2017/5/20

本橋成一さん映画上映+ベラルーシ再訪報告  イベント

原爆文学研究会との共催で、本橋成一さん監督の映画『ナージャの村』(1997年)と、映像報告「ベラルーシ再訪2017」+アフタートークを開催しました。

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『ナージャの村』は、チェルノブイリ原発事故で汚染されたベラルーシの小村ドゥジチに暮らす人びとの慎ましい生活を、四季折々の美しい映像とともに淡々と記録した作品。
主人公の少女ナージャの近所に住む初老の男ニコライが、セルゲイ・エセーニンの詩の一節「天国はいらない、故郷が欲しい」と暗唱するシーンが印象に残ります。
この映画を観るのはおそらく8年ぶりで、本当に久しぶりでした。「3.11」後の視線から見ると、どうしても福島の現状が重なってしまい、複雑な思いが湧いてきます。

「ベラルーシ再訪」映像は、『ナージャの村』のドゥジチ村や、やはり本橋さん監督の映画『アレクセイと泉』(2002年)の舞台であるブジシチェ村などを今年の春に本橋さんが訪れて撮影した最新報告。
人の手を丹念にかける暮らしを営んでいた村が、人影も見えず、荒れ果てて廃村寸前であるという現実に、「復興」の困難さを思い知りました。

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アフタートークの聞き手は、原爆文学研究会会員の柿木伸之さん(広島市立大学)。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの記録文学『チェルノブイリの祈り』を参照しつつ、歴史の記録には残らない人間関係の中から聞こえる声にいかに共感できるか、と指摘しながら、映画に対する本橋さんの思いを丁寧に引き出して下さいました。

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そして原爆文学研究会の醍醐味は、予定調和的でない活発な質疑応答による議論の展開です。
残念ながら今回は、あまり質疑の時間がとれなかったものの、それでも真っ先に手を挙げた詩人のTさんは「美しすぎるほどの映像に、この村は実は汚染されていないのではないかと、誤って見たくなる誘惑に駆られる」といつもながら鋭く問題提起。
本橋さんは「美しいからこそ怖ろしい。その現実は映像の中に写り込んでいる」と答えましたが、東松山駅近くの焼きとり店に場所を移した懇親会の席でも、この話題は続きました。

「3.11」を体験してしまった現在は、現地の人が口にするキノコやウオツカなどの安全性の問題が気になるし、去る者と残る者が存在する村の人間関係が複雑に分断されることも容易に想像できる。そのあたりをどう考えるか。『ナージャの村』は、後日談の「ベラルーシ再訪」映像とともに観るべきなのではないか……。

残念ながら本橋さんは都合により懇親会は欠席だったので、代わって、というわけではありませんが、90年代にはチェルノブイリ原発事故による健康被害の報道写真にも注目が集まり、本橋さんの映像が「美しすぎる」という議論は当時もあったこと、本橋さんの写真家としての出発点は筑豊の炭鉱であり、坑夫たちとともに生活してその現実を記録した上野英信の影響が大きいことなどの情報を紹介しました。

原爆文学研究会は九州の関係者や1950年代記録文学を専門とされる方が多いので、炭坑へのまなざしとチェルノブイリ原発事故をつなげながら、本橋さんに話を聞く機会があってもよかったのかもしれません。

「本橋さんの関心は故郷の喪失のようだが、それほど故郷は大事だろうか」という問題提起もありました。
ううむ、なるほど、人は、どこにいても生きていける……と思う一方で、九州の山間部出身の若い研究者が、「批判的に見なくてはいけないと思いつつ、映画に登場する老婆の姿が自分の故郷の祖母にそっくりで、恥ずかしながら心を動かされた」と打ち明けてくれたことに、はっとさせられたりもしました。

当初は原発事故の実態を撮るためにベラルーシを訪れたという本橋さんですが、そこで見出したものは、炭鉱や魚河岸、屠場、旅芸人の一座など、本橋さんが一貫して関心を寄せ続けている、(消えゆくかもしれない)ささやかな「共同体」の在り方だったのかもしれません。
その問題意識には、自由学園や共働学舎、あるいは上野英信の筑豊文庫と関わってきた本橋さん自身の人生が反映されているようにも思います。

「共同体」と言うと、思想性が前に出てきてしまうようですが、本橋さんの場合は、地縁も含めたゆるやかな存在。
昨年IZU PHOTO MUSEUMで開催された個展の題名「在り処」が、「故郷」でも「共同体」でもない絶妙なニュアンスを表現していて、とても感心したことを思い出します。

1980年代に本橋さんが丸木美術館に通っていたのも、丸木夫妻への関心だけでなく、二人のまわりに成立していた「共同体」のような人間関係が、本橋さんの関心につながっていたのかもしれないと、思い当たりました。

本橋さんの一連の写真や映像作品は、センチメンタルなノスタルジーと紙一重かもしれませんが、社会から虐げられ、あるいは少数派の立場として、忘れ去られそうになりながら肩を寄せ合って生きる人たちにも「幸福な物語」が確かにあるのだと伝え、記憶するという点で、重要な意味を持つように思います。

今回、沖縄から来られた研究者のMさんが、「ベラルーシ再訪映像の中で、『あなたの送ってくれた写真集を何度も見ている』とナージャのお母さんが語る場面があった。村が失われていく中で、本橋さんの仕事は、現地の人たちの心の支えになっていたのではないか」と最後に話していたことが、心に強く残りました。
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