2017/4/30

『ジャパンタイムズ』に原爆の図保存基金紹介  掲載雑誌・新聞

《原爆の図》保存の募金活動が埼玉のギャラリーではじまる
 ―2017年4月30日付『ジャパンタイムズ』

http://www.japantimes.co.jp/news/2017/04/30/national/famed-saitama-art-gallery-kicks-off-fundraising-campaign-to-preserve-hiroshima-panels/#.WQhjAIFcWEd

共同通信社・平野恵嗣記者の配信による英文記事。
丸木美術館の歴史性も含めて、丁寧にまとめて下さっている良い記事です。
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2017/4/28

本橋成一写真集『位里と俊』  書籍

本橋成一新刊写真集『位里と俊』(2200円+税)、が入荷しました!
展覧会とともに、ぜひご覧ください。

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椹木野衣(美術評論家)
ふたりの絵が、まるで結晶のように生まれてきたことが、手に取るようにわかるのだ。

奈良美智(美術家)
本橋さんの写すふたりの生活は、まるで家族が撮ったように自然な広がりを感じさせる。
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2017/4/27

木下直之『せいきの大問題 新股間若衆』  書籍

本日、手もとに届いた木下直之さんの新著『せいきの大問題 新股間若衆』(新潮社)に、ついに《原爆の図》が登場しました。

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まず「戦後復興を見据える未来像」の一例として、赤松俊子の《裸婦(解放されゆく人間性)》を取り上げ、しかし、それは黒田清輝以来のルール、つまり「両股を閉じ、陰毛を描きさえしなければ普通の油絵と変わらない」とする裸体像の原則に従った絵であるとした上で、《原爆の図》の特異性に注目していきます。

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画面両端の女の姿を間近に見て、ふたりの股間には陰毛が描かれていることに気がついた。右の女はさらに性器らしきものも表現されている。考えてみれば当たり前の話だ。被爆者を黒田清輝以来の約束事に従って描くことなどできるはずがない。被爆者は原爆の閃光と熱線と旋風とによって、衣服を引き裂かれ、焼かれて裸にされたのだから、その裸が美しいヌードであるはずがない。被爆の現実を描こうとするのであれば、股間だけを奇麗事で済ますわけにはいかなかった。
《幽霊》には男の姿もある。少なくとも三人の男の股間には正しく性器が描かれている。そして、このことは印刷物の図版ではなかなか判読できない。実物と向き合わなければわからない。じっと見ているうちに、人間を描こうとした位里と俊の強い意思が伝わってくる。


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拙著『《原爆の図》全国巡回』からも、「《原爆の図》が、まず、裸体表現を『エロチック』、原爆の惨状の描写は『グロテスク』と批判され、『一つの見世物』と評されたことは記憶しておきたい」という一文を引用して下さっていますが、この箇所はまさに、木下さんの前著『股間若衆』や『美術という見世物』を思い浮かべながら記したものでした。

さらに、再制作版《原爆の図》は股間表現に後退が見られることや、すべての股間を赤裸々に描いたわけではなく、随所に洋画家としての配慮が働いていること、その配慮は、裸体画のルールにしたがったというだけでなく、死者に対するものでもあったこと、それでも《原爆の図》がこれまでの裸体画の約束事を突き破ったことは間違いないと、木下さんならではの視点から《原爆の図》に迫っていきます。

その他の章はまだじっくり読んではいませんが、藤田嗣治と水木しげるの戦争表現について、「ふんどし」を手がかりに分け入っていき、「人間と向き合うことにおいて、藤田嗣治の《アッツ島玉砕》は水木しげるの『総員玉砕せよ!』(上)の足元にも及ばない」と断じるなど、興味深い箇所が満載の一冊です。
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2017/4/24

太田市美術館・図書館オープニング  他館企画など

休館日ですが、太田市美術館・図書館のオープニング・レセプションに行きました。

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美術館と図書館が一体になった新しい形の複合施設。開館記念展は「未来への狼煙」。太田市生まれの詩人・清水房之丞をはじめに、展示室には浅井裕介、石内都、片山真理ら太田市と縁のある作家の作品が並び、ときには図書館スペースと混ざり合うように小さな作品が展示されています。

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なぜオープニングに来たのかというと、この図書館に、元丸木美術館館長の針生一郎の蔵書の一部が収められ、「針生一郎文庫」が設けられたから。

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資料そのものは希少本というわけではないのですが、針生さんの書き込みが残されている本も、そのまま手に取ることができます。

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写真は、針生一郎文庫の『ヨシダ・ヨシエ全仕事』。
ヨシダさんの署名も入っています。

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小沢節子さんの著書『「原爆の図」 描かれた〈記憶〉、語られた〈絵画〉』にも、針生さんの引いた線がいくつもありました。
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2017/4/22

本橋成一写真展「ふたりの画家」  企画展

本橋成一写真展「ふたりの画家 丸木位里・丸木俊の世界」展が開幕しました。
初日は、本橋さんご本人と、ポレポレタイムス社のOさんが会場に来てくださいました。

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広い企画展示室には、80点ほどの写真が壁にならび、丸木夫妻それぞれのポートレートが天井から吊り下げられています。

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丸木夫妻の制作の様子や、日常の風景、開館記念日、ひろしま忌、そして沖縄、栃木館、神宮寺などの写真も飾られていて、すっきりとした、とても良い展示になりました。

本橋さんは丸木夫妻の写真をもっとも多く撮影した写真家ですが、意外にも、丸木夫妻の写真をまとめた写真展を企画展として丸木美術館で開催するのは、今回が初めてです。

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その手前の導入スペースには、本橋さんが丸木夫妻と出会ったきっかけになった、スライド『ひろしまを見たひと』の映像が常時上映されています。
あまり鮮明な画像ではありませんが、約20分ほどの構成の中に、手際よく丸木夫妻の仕事が紹介されていて、貴重な作品です。

そして、今回、常設展示室では、丸木夫妻の「《原爆の図》だけではない」ふたりの絵画を紹介してみました。

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位里さんは、《鵜》《松韻》《樹林》などの迫力のある水墨画。

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俊さんは、《パラオ島》《ヤップ島》の代表作に、《母と子》など初期の油彩画です。
写真展とあわせて、ふたりの絵画世界をお楽しみください。

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会期中には、イベントも予定しています。

まず、5月5日(金/祝)開館50周年記念日には、本橋さんと歌手の小室等さんの対談「位里と俊 ふたりの画家を語る」と、小室等さんのコンサートが開催されます。
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/top/0505.html

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さらに5月20日(土)午後1時からは、原爆文学研究会との共催で、映画「ナージャの村」上映と、「本橋成一2017チェルノブイリ再訪ドキュメント(仮)」上映+アフタートーク(入館料+1000円)。
アフタートークの聞き手は、柿木伸之さん(哲学/広島市立大学)が務めて下さいます。

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6月11日(日)午後2時からは、映画「HELLFIRE:劫火−ヒロシマからの旅−」上映+ジャン・ユンカーマン監督アフタートーク(入館料+1000円)。

ぜひ、こうしたイベントにもご参加ください。
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2017/4/21

『埼玉新聞』に本橋成一写真展・原爆の図保存基金紹介  掲載雑誌・新聞

丸木夫妻の素顔記録 写真家本橋さん「反戦のメッセージ感じて」
 ―2017年4月21日付『埼玉新聞』

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埼玉新聞に本橋成一写真展「ふたりの画家 丸木位里・丸木俊の世界」の紹介記事が掲載されました。
以下は、記事からの一部抜粋です。

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 「ファインダーの中で2人をのぞいて興味を持ち、暮らしぶりや生き方を撮ってみたくなった」。本橋さんが丸木夫妻と出会ったのは1985年。土本典昭監督のスライド作品「ひろしまを見たひと―原爆の図丸木美術館」の制作で、撮影を担当したのがきっかけだった。

 以来、3年にわたって2人に密着。絵画の制作現場では、息のぴったり合った共同作業に驚くとともに、「理屈ではなく、肉体が訴える反戦」を実感した。「原爆の図」がよく分からないと言う小学生を納得させた「絵は想像力を働かせて見るもの」との言葉にも感銘を受けたという。

 芸術と平和を共に追い求めるまなざしのほか、「平凡な夫婦」としての素顔にも引き付けられた。肩を並べて散歩したリ、時には焼きもちを焼いてみたり。「2人とも最後まで男と女で、本気で恋愛していたんだと思う」。本橋さんは懐かしそうに振り返る。


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また、「保存へ寄付呼び掛け」との見出しで、原爆の図保存基金についての記事も出ていました。
こちらも、以下に記事から一部抜粋。

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 同館では「自然な状態で見てほしい」という夫妻の思いを尊重し、作品を保管するガラスケースを使わず、自然光も室内に取り入れてきた。同じ理由から、今年2月までエアコンも未設置。学芸員の岡村幸宣さん(42)は「ここ数年で気温が上昇したせいか、急に虫食いの被害が増えてきた」と説明する。
 たびたび修復しているものの、損傷が目立たなくなるだけで元通りにはならず、抜本的な改善が必要と判断。「開館50周年を記念し、50年後も作品を見てもらおう」と、温度や湿度を管理し、防虫対策も施した新館の建設を決めた。当初は建て替え案も浮上したが、「歴史継承」の観点から増築を採用したという。


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丁寧に取材して下さった橋本浩佑記者に感謝です。
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2017/4/21

【広島出張2日目】アートギャラリーミヤウチ/ギャラリー交差611  調査・旅行・出張

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が、館内の職員に呼びかけて原爆の図保存基金に協力して下さることになり、この日は朝8時半の開館と同時に館長さんに御礼のご挨拶。

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丸木夫妻はまだ遺影登録をしていないというので、登録用紙を頂きました。
さっそくご遺族の方と相談しなければ。

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意外に未登録の方も多いそうで、祈念館としては登録を呼びかけているとのことです。

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その後、廿日市のアートギャラリーミヤウチにて「テレポーティング・ランドスケープ」展と、英国のグループ・オトリスの映像作品《ラディアント》を観ました。

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学芸員の今井さんには、こちらの都合で通常開館の1時間前にギャラリーを開けて頂き、とてもありがたかったです。

「テレポーティング・ランドスケープ」は、「観る者を時空間の彼方へと瞬間的に拉い去る」風景、というコンセプト。

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例えば、小田原のどかさんの作品《↓》は、かつて長崎爆心地に設置されていた矢形標柱を、ネオン管を使って、3階から2階へ突き抜けるように実寸大で再現しています。
この矢形の意味を知った瞬間、この場所は爆心地となり、あるいは私たちの方が長崎爆心地へと拐われる、ということでしょうか。

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小宮太郎さんの《垂直で水平な風景を撮る》という作品は、一見、ありふれた窓のようですが、この画廊の窓の複製で、彼はこの窓を新潟や京都、小倉に持って行き、風景写真を撮っています。これらの土地に共通するのは原爆投下候補地であったということ。つまり、広島とそれぞれの土地が、彼の作品を媒介にして突如入れ替わるのです。

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諌山元貴さんの《screen》は、焼成していない陶土の壁が、徐々に水に侵食されて崩れ落ち、やがて壁の向こうの白い光に包まれるという無音の映像作品。
丸橋光生さんの《像と棒》は、石膏像などに斜めに棒を立てかけることで、重心を視覚的に揺さぶる作品で、いずれも観客の先入観を異なる次元に「瞬間移動」させる展示になっていました。

オトリスの1時間ほどの映像《ラディアント》は福島原発事故をテーマに、港千尋、重信メイらのインタビューと、古今のさまざまな原発ドキュメント、震災、アート関連映像と音楽をモンタージュしながら、核と現代社会の問題性を多層的に浮かび上がらせる作品。2012年のドクメンタ出品作で、日本では初公開とのことでした。

昨日初めてお会いした写真家のSさんが、「あの立地で、あれだけの企画をされると、われわれは何も言い訳ができなくなる」とアートギャラリーミヤウチを評価していたけれど、意欲的な企画には本当に感心させられます。
広島の中心部からは少し離れていますが、無理しても足を運ぶ意味のある場所だと思います。

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そして最後に、ギャラリー交差611で始まった小原一真写真展「silent histories/ 沈黙ノ歴史」に駆け込みました。
以前に新井卓の公開制作が行われた新興のギャラリーで、その時は都合がつかなかったから、今回訪ねることができたのは幸運でした。

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小原一真さんは1985年生まれの若い写真家で、主に福島原発やチェルノブイリをテーマに撮影し、すでに国際的に高い評価を受けています。
今回は、大阪大空襲によって身体に傷を負った方々の長く重い「沈黙ノ歴史」を、ポートレイトや資料、本人の証言テキストなどを組み合わせて表現していました。

展覧会の初日だったこともあり、写真家本人にも会って話をすることができました。
福島やチェルノブイリの作業員も、大阪の空襲被害者も、「復興」に向かう社会の中で置き去りにされ、苦しみの声をあげることもできずに沈黙を強いられた立場の人たち。そんな彼らの痛みをどう受け止め、表現していくことができるかを考え続けている姿勢が伝わってきて、飛行機の出発までの限られた時間でしたが、刺激的な会話は楽しいものでした。

手作業で本を作るのが好き、とのことで、ちょうど展覧会のカタログも自分で綴じていたので、注文して後から送ってもらうことにしました。
手もとに届くのが楽しみです。
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2017/4/20

【広島出張初日】広島市現代美術館「殿敷侃展」  調査・旅行・出張

広島出張。夏の展覧会と秋の重要案件の打ち合わせ・ご挨拶の仕事を終えて、午後は詩人の井野口慧子さんとともに広島市現代美術館の「殿敷侃展」に行きました。

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殿敷侃は1942年広島生まれ。3歳のときに父が爆心地付近の広島郵便局で原爆に遭遇し、直後に母とともに父を探して入市、二次被爆しました。
そのため8歳で母を失い、高校卒業後、国鉄に勤めますが、20歳の頃に肝臓病のため長期入院、絵を描きはじめます。

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鉄かぶとなど両親の遺品を細密な点描で描いた作品は以前に観たことがありましたが、今回の展覧会では、初期の具象的な油彩画(最初期には、川べりの「原爆スラム」を描いた作品がありました)や、『朝日ジャーナル』の表紙を飾ったポップアート、アンディ・ウォーホル風のシルクスクリーン作品、ヨーゼフ・ボイスの影響を受けた晩年の廃物や漂流物のインスタレーション作品など、50歳で亡くなるまでの表現の全貌を俯瞰することができました。

一見、原爆から離れていくようなテーマの作品でも、例えばエッチングではクギや櫛などのモチーフを型取りして転写するような手法が原爆の影を想起させ、シルクスクリーンでは父の遺した爪のイメージが増殖して新聞紙やポスターなどの画面全体を覆い、プラスチックの廃材を焼き固めたオブジェは社会において不当に蹂躙された存在を想起させるというように、原爆体験とは切り離すことができません。

1981年、日本被団協が被爆者援護法の制定を求める運動として全国で上演した構成劇「原爆の非人道性と国の戦争責任を裁く国民法廷」の山口会場で、殿敷のキノコ雲やケロイドをモチーフにしたシルクスクリーン作品が舞台美術に使われ、体験を語る証人のひとりとして殿敷自身も「出廷」したという話も興味深いところです。

同行した井野口さんは、晩年の海の漂流物を使ったインスタレーションのプロジェクトに参加されていたとのことで、作家の人柄や当時の「協働」の記憶などのお話を伺いながら、会場を観てまわりました。

展覧会は5月21日まで。4月29日(土)午後2時からは、原爆文学研究会でもお世話になっている広島市立大学の柿木伸之さんの講演会も行われます。
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2017/4/18

本橋成一写真展「ふたりの画家」展示とNHKラジオ  TV・ラジオ放送

本橋成一写真展「ふたりの画家」展示作業の光景です。

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写真左端はスタッフの仕事を温かく見守る本橋さん。
天井から吊った丸木夫妻の写真が格好良いですね。

4月18日(水)午後6時からは、NHKさいたま放送局のFMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」に出演して、本橋成一写真展と、丸木美術館開館50周年、「原爆の図保存基金」について、渡辺裕之アナウンサーとお話しします。

今年の5月は話題が盛りだくさんです。
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2017/4/18

共同通信配信「学芸員、大臣「がん」発言に憤り」  掲載雑誌・新聞

自宅で、いろいろと仕事に追われていた休館日。
突然、世の中では「学芸員」が注目ワードになったらしく、共同通信社の記者から電話がありました。

まともに語るべくもない話題とも感じましたが、最近の一連の閣僚の「失言」の数々には、バラバラの事象のようで、一貫した暴力性を感じています。そして彼らが決して「失言」と思っていないであろうことも。
また、現在の学芸員を取り巻く環境や、もしかすると教育現場などの状況の悪化も、こうした空気とは決して無関係とは言えないのではないか、とも考えています。

配信された記事は、『日本経済新聞』など各紙で取り上げられたようです。

学芸員、大臣「がん」発言に憤り
ー2017年4月18日『日本経済新聞』
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLZO15423710X10C17A4CR8000/

以下は、記事からの一部抜粋です。

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 被爆の惨状を描いた「原爆の図」の大半を常設展示している原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)で長年学芸員を務める岡村幸宣さん(42)は、「今の時代だけでは判断できない普遍的な価値を見いだすのが学芸員の仕事だが、経済活動への結び付きしか考えていない」と憤った。

 原爆の図は虫食いや紫外線の影響で傷みが激しい。保存と展示の両立に日々頭を悩ませており「学芸員の仕事に全く理解がない」と憤慨する。


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2017/4/16

『朝日新聞』に「原爆の図保存基金」掲載  掲載雑誌・新聞

「原爆の図」虫食いに泣く 丸木美術館、新館建設へ寄付募る
 ―2017年4月16日付『朝日新聞』

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記事全文はこちらから(無料会員登録が必要です)。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12894151.html?_requesturl=articles%2FDA3S12894151.html&rm=149
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2017/4/12

NHKニュース「原爆の図新展示施設に寄付を」  TV・ラジオ放送

2017年4月12日夕方のNHK総合テレビ・首都圏ネットワークにて、「『原爆の図』新展示施設に寄付を」というニュースが紹介されました。

以下のWEBサイトで動画が期間限定公開されています。
http://www3.nhk.or.jp/lnews/saitama/1106065661.html

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「原爆の図」新展示施設に寄付を
04月12日 17時36分

原爆投下後の広島や長崎の悲惨な様子を描いた絵画、「原爆の図」を展示している埼玉県東松山市の美術館は、作品の傷みが激しいことから、作品を展示・保存する施設を新たに建設することになり、広く寄付を呼び掛けています。

「原爆の図」は、画家の丸木位里・俊夫妻が15部からなる作品を30年かけて完成させたものです。
このうち14部の作品を展示・保存している東松山市の「原爆の図丸木美術館」では、作品の虫食いや紫外線による痛みが激しいことから、作品を展示・保存する施設を新たに建設することになりました。
新たな施設は今の美術館に併設する形で作られ、温度や湿度を適切に管理できるほか、防虫対策が施されているということです。
一方、新たな施設は比較的狭く、すべての作品を一度に展示できないことから、美術館は同じ大きさの作品のレプリカを作って今ある建物に展示する計画です。
美術館は、建設費などに見込まれる5億円を目標に、今月から広く寄付を呼びかけていて、学芸員の岡村幸宣さんは、「『原爆の図』を適切に展示・保存し、平和の尊さや命の大切さを後世に伝えていきたい」と話していました。


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2017/4/11

【沖縄出張】沖縄県立博物館・美術館「山元恵一展」  他館企画など

沖縄県立博物館・美術館で開催中の「山元恵一展 まなざしのシュルレアリスム 夢のかけら」を観ました(4月23日まで)。

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山元恵一(1913-1977)は、那覇市で生まれ、東京美術学校でシュルレアリスムのグループ「貌」に参加して杉全直や福沢一郎と交流。
1941年に沖縄へ帰り、戦後に首里のニシムイ美術村に石積みのアトリエ「石の家」を建て、1951年には沖縄のシュルレアリスム絵画の代表作である《貴方を愛する時と憎む時》を発表しています。

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展覧会は、「序章 山元恵一と県立二中」、「第1章 青春の輝き―グループ貌とその時代」、「第2章 占領下の人物と背景」、「第3章 実験的絵画の時代」、「第4章 失われしものへのオマージュ」、「第5章 シュルレアリスムの拡がり」という6つの章に分かれています。

序章では山元と同時代の県立二中(現那覇高校)の画家、第1章では東京時代の交友画家、第5章でも70年代の沖縄のシュルレアリスム画家の作品の展示がほとんどなので、全出品作158点のうち85点と山元の絵画自体は決して多くはありません。
とりわけ、戦前の山元の絵画が1点も存在していないのは、辛い気持ちにさせられます。
沖縄戦の圧倒的な破壊が、個々の歴史も断絶させていることを、否応なく意識してしまいます。

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前半のハイライトは《貴方を愛する時と憎む時》で、この作品は1951年11月3日-5日に那覇琉米文化会館で開催された第3回沖展に出品されて専門家投票で首位を獲得したそうです。
煉瓦造りの廃墟の前に、黄布をまとったマネキンや黒い水差し、レモンなどがならび、白い胸部のマネキンや、目をかたどった針金のようなものが宙に浮いています。

タイトルが意味する「貴方」とは、妻の文子さんの話では「人間に対してではないらしい」とのことらしく、1951年という時期―サンフランシスコ条約で占領解放から沖縄が取り残された―を考えると、日本を意味しているようにも思えます。
ともあれ、この時代に描かれた作品で現存するものは少なく、他にシュルレアリスム的な傾向のものは見られないため、展覧会では少し唐突な印象を受けました。

その後、米軍統治の時代が続く中で、山元はさまざまな抽象表現の実験を試みていきますが、後半のハイライトは1970年代の牛頭骨をモチーフにした20点近くのシリーズでしょう。
このシリーズは、私が「石の家」を訪れたとき、いつも壁に飾られていました。

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(撮影は2016年4月)

牛骨とともにレモンやかぼちゃ、メトロノームなどのモチーフが描かれ、背景の淡いピンク色と牛骨の赤色が印象に残ります。
また、今回の展覧会で初めて知ったのですが、同時期には、フロッタージュの手法を用いた幾何学的なドローイングも数多く残していたようです。

1972年の「本土復帰」の頃から、沖縄では多くの画家がシュルレアリスム風の絵画に取り組みはじめます。
それは、1973年4月7日-22日に沖縄タイムスホールで開催された「現代の幻想絵画展」の影響が大きかったようですが、山元にとっては戦前の東京の記憶がシュルレアリスムという表現手法と分かち難く結びついて、日本と沖縄が遠ざかり、あるいは近づくたびに愛憎の思いと共によみがえるようにも感じられました。

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午前中には、T学芸員に連れられて、福沢一郎記念館のI学芸員とともに「石の家」を訪問しました。
私は昨春に続いて3度目の訪問。妻の文子さんをはじめ山元家の方々が温かく迎えて下さりました。

展覧会には、画家である文子さんの油彩画も2点展示されていますが、夫の亡き後の1990年頃に制作したもので、文子さんのお話を伺っていると、織布の美しい端切れを集めたスクラップ帖がセットのように登場してきます。
それらは戦後の長きにわたって生活を支えるための手段であり、沖縄の女性が許された唯一と言っていいような自己表現の手段でもありました。しかし、こうした仕事の意味はもちろん、日本美術史上に語られる機会はほとんどありません。

ミュンヘンのPostwar展に提示されていたような、複合的な文化体験から生じる「新たなハイブリッド」の表現は、現在、沖縄の若手現代美術家の間で花開き、国際的にも高い評価を獲得しています。
しかし、沖縄の美術の流れを見ていく上では、歴史の複雑な層の中に落ち込むように「残されなかったもの」「描かれなかったもの」のことを、思わずにはいられません。

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今回、「石の家」に伺ったところ、ニシムイ美術村の跡地がポケットパークとしてきれいに整備されていました。
日曜美術館の特集や、県立美術館の企画展、原田マハさんの『太陽の棘』など、近年の注目度の高まりのおかげでしょうか。
とはいえ、現存するアトリエは1件だけなので、近所の方からは「山元家の公園」と言われているとか。
ともあれ、文子さんもお元気そうで、ゆっくりとお話ができて良かったです。

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夕方は沖縄タイムス社を訪れて、展覧会の御礼報告。
夜の飛行機で慌ただしく沖縄出張を終えました。

帰路の途中で、画家の儀間比呂志さんの訃報を知りました。
2008年に町田市国際版画美術館で開催された「美術家たちの南洋群島」展のレセプションでお会いしたことを懐かしく思い出します。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-477083.html
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2017/4/10

【沖縄出張】佐喜眞美術館など/栄町市場  調査・旅行・出張

沖縄へ向かう途中、一人芝居の北島角子さんの訃報を知りました。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-475924.html
2000年に初めて沖縄へ行き、佐喜眞美術館を訪れたとき、訳が分からないまま連れられて、知花昌一さんの民宿の庭先で北島さんの一人芝居を観ました。それはとても強烈な沖縄体験でした。

今回の沖縄出張の主目的は、展覧会でお世話になった方々への御礼とご挨拶。
北島さんと縁の深い佐喜眞美術館の皆さんには、お会いできるだろうかと不安になりましたが、佐喜眞館長のご家族が温かく迎えて下さいました。北島さんの御親戚であるU学芸員にお会いできなかったのは残念ですが、仕方ありません。

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展覧会の御礼報告をした後、コレクション展を観ました。
丸木夫妻はじめ、丸木スマ、大道あや作品が目を楽しませてくれます。
沖縄なのでなかなか観ることができませんが、佐喜眞美術館の大道あやコレクションは、《薬草》《牡丹祭》《小江戸祭》など、質の高い作品が多いのです。

   *   *   *

午後は琉球新報社に御礼報告し、夜はキュレーターの居原田遥さんに連れられて、栄町市場のすぐ隣にある、手塚太加丸くんが主宰するシェアハウスに遊びに行きました。
太加丸くんは昨年の「私戦と風景」展の出品作家で、今も丸木美術館の裏の林には、彼が暮らした小屋が残っています。

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那覇では、以前に牧志公設市場に行ったことはありましたが、栄町市場を訪れたのは初めてでした。
迷路のような狭い路地を歩き、かつての沖縄現代美術の実験場・前島アートセンター(現在は解散)の移転先だった跡地にも案内してもらいました。

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この界隈は、戦前はひめゆり学徒隊で知られる沖縄県立第一高女があったようです。
今も戦後の闇市の猥雑な雰囲気を残し、独特の賑わいが続いています。
http://www.sakaemachi-ichiba.net/about.html

市場を抜けた先のビルの2階と3階が、太加丸くんのシェアハウス。
この日は10人足らずの若者たちが滞在していたので、屋上に上がって、心地よい夜風に当たり、市場の明かりを見下ろしながら、彼の近況やシェアハウスの運営の話を聞きました。

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だいたい1か月以上滞在する人からは家賃をもらうけれども、短期滞在者は無料。
たぶん生活上のルールはほとんどなくて、なんとなく順番に食事を作ったりしているようです。
台湾から来た滞在者もいて、特に仕切られた空間もないので、みんな適当に居場所を確保して住みついている感じでした。
屋上の空間ではアートイベントをしたり、フリーマーケットを開いたりしているとのこと。
全国にはこういう場所がいくつかあって、互いに訪ねて行って交流しているそうです。
ぼくはこうした若者たちの動向には疎いので、ただただ面白がって聞いていました。

密集した家の屋根を渡って市場まで行けそうな、このシェアハウスの立地は魅力的です。
風に乗って、酔客たちの騒ぎ声がかすかに聞こえてきました。
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2017/4/9

童心社60年展  他館企画など

銀座・教文館の「童心社60年展」、最終日の朝一番に駆け込んでから美術館に出勤しました。

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家族でたいへんお世話になっている絵本の原画の数々。関連グッズも充実していました。
奇しくも高校の大先輩というT社長にお会いしてご挨拶することもできました。

今年は、丸木美術館50年、童心社60年というダブルメモリアルイヤー。
現在進行中のプロジェクトも、素晴らしい発表ができることを期待しています。
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