2015/6/18

【米国出張11日目】ニュースクール調査/ニューヨーク近代美術館  調査・旅行・出張

朝から、なかなか慣れないニューヨークの地下鉄を乗り継いで、5番街13丁目にあるニュースクールへ。

今回、ニューヨークを訪れた目的は、1970年に開催された「原爆の図」の会場となったニュースクールで資料調査を行うことでした。

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事前に連絡していた資料室のJenny Swadoshさんは、とても優しく案内して下さって、ファイルなどを見せてくれましたが、図録やパンフレット、絵葉書セット、新聞・雑誌記事などそのほとんどは丸木美術館でも保管しているもので、新しい発見は残念ながらありませんでした。

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当時のことを知る職員もいないとのことですが、会場写真は一枚だけ残っていました。
この写真は俊さんの自伝で見たような気もしますが、初めて見るかもしれません。
丸木美術館に戻ってから確認しなければいけません。

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会場となったニュースクール・アートセンターの外観写真も見せてもらいました。

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当時の建物はすでになく、現在は巨大なニュースクール・ユニヴァーシティセンターになっています。
昔のアートセンターの写真と同じ角度から、写真を撮ってみました。建物はずいぶん大きく変わりましたが、後ろのビルは昔と変わっていないので比較しやすいと思います。

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資料室の壁には、ニュースクール草創期の写真も数点掲示されていました。
Jennyさんに聞いたところ、この学校は1896年に創設された歴史ある学校だそうです。
学校のHPを調べてみると、ニューヨークのアート・スチューデント・リーグから離脱した革新的な集団が創立したようです。
1904年にはフランク・パーソンズが美術教師として参加し、「芸術は一部の金持ちや教会、才能あるものたちだけのためにあるのではなく、産業の芸術こそ私たちの芸術の基礎である」との考えから、デザインの先駆的な概念を打ち出したとのこと。そのため、当初の学校名にはパーソンズの名前が冠されました(現在もパーソンズの名はニュースクールと併用されています)。
1921年には姉妹校としてパリ校も開校し、外国にキャンパスを設立した米国で最初の美術学校となりました。

1970年、つまり最初の「原爆の図展」が開催された年に、パーソンズはニュースクール(New School for Social Research)という進歩的知識人の組織と合併します。
ニュースクールは1919年に、より自由で平等な教育の場として、伝統的な大学に代わる存在となることを目指して設立されました。ヨーロッパでナチが台頭すると、米国へ逃れてきた学者たちの受け入れも行いました。
そうした歴史的背景があったために、芸術やデザインともに社会的・政治的な視点からの学際的な研究を続けている学校であるようです。「原爆の図展」を受け入れたのもうなずけます。

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Jennyさんによれば、昨年には、1939年の第2次世界大戦によってパリ校が閉鎖されて以来、75年ぶりにパリに新校舎が開設されたそうです。長い歴史を持つこの学校にとっては、大戦をはさんでの念願の再出発ということになるのでしょう。

今年11月、ニューヨークで原爆の図展が開催される際には、ぜひ見に来てほしいと彼女に伝えると、学生たちにも告知する、彼らにとってもいい勉強になるでしょう、と言ってくれました。
気がついてみると、若い学生たちが画材を持って、何度もビルを出入りしていました。

   *   *   *

午後は、5番街を歩いてニューヨーク近代美術館(MOMA)へ。

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企画展は、なんと「Yoko Ono: One Woman Show, 1960–1971」展
会場にたくさんの観客が入っているのが印象的でした。

アフリカ系アメリカ人の南から北への大移動を描いたジェイコブ・ローレンスの連作「The Migration Series」の企画展「One Way Ticket」も見ごたえのあるものでした。
絵画だけでなく、ジャズ奏者や歌手たちの音源を聞くコーナーや写真があったり、多角的な視点から当時の社会状況を紹介している展示に感心しました。
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