2015/6/9

【米国出張2日目】アメリカン大学美術館展示/国立航空宇宙博物館など  調査・旅行・出張

午前10時にホテルの送迎車に乗ってアメリカン大学美術館へ向かいました。
いよいよ今日から展示作業がはじまります。

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《原爆の図》の展示室は、美術館の入口から階段を上がっていき、最上階の3階。
今は同時に5つの企画展の準備が進められていて、オープンはいずれも6月13日。
そのため、アメリカン大学美術館の展示チームはとても忙しそうですが、屏風の扱い方を指導すると、手際よく作業を進めてくれました。

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まずは第1部《幽霊》から作品を開きます。展示台の長さは約7m。奥行きが浅いので、丸木美術館の展示に比べると、少々屏風の傾斜角度が小さいですが、しっかり台座に固定するというので、安心しました。

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展示室は3/4円形で、天井の高さは約5mと高め。白い壁に《原爆の図》の屏風はよく映えますが、なかなか展示の難しい空間です。窓から外光も入ってくるので、画面に直射日光が当たらないように展示の向きも注意しています。

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第2部《火》の屏風を開いて炎の描写が目に飛び込んできたときには、思わず朱色の鮮やかさに声が出そうになりました。
第1部《幽霊》と第2部《火》は「原爆の被害」という最初のテーマを示す作品。
会場に入った瞬間に向き合うよう展示しているので、大きな印象を与えられそうです。
あらためて、《原爆の図》の表現力の強さを実感しました。

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今回の展示は、4つのテーマから作品を選んでいます。
第2のテーマは、「核実験と反核運動」。1953年の第五福竜丸の被ばく事件を受けて、全国に広がった署名運動を描いた第10部《署名》です。
輸送のあいだ、画面に差し込んでいた薄紙を丁寧に抜いていく作業チーム。
チーフのBさんはじめ、こちらの意向によく耳を傾けてくれて、本当にありがたいです。

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全身にタトゥを施したBさんが、第12部《とうろう流し》の画面を開いていきます。
この作品は、第3のテーマ「鎮魂」を表しています。
壁がゆるやかに弧を描いているので、壁面にはりつけるのではなく、台座を少し前に出して設置しています。それが結果的に、現代美術の展示のようにも見えます。

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《原爆の図》のために空間を設計した丸木美術館とは、また違った展示風景。
第1部《幽霊》と第2部《火》をひとつのセットに、第10部《署名》と第12部《とうろう流し》をひとつのセットにして視界に入るように設定しています。
配置や光の具合によって、絵の見え方もかなり変化してきます。

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第13部《米兵捕虜の死》も展示しました。1971年の発表以来、3度の米国展のすべてに展示されている唯一の作品。実は米国展の定番です。
丸木夫妻にとっては捕虜虐殺という、加害と被害の複雑に交錯する戦争の姿に気づいたきっかけになった作品ですが、先日来館したアーサー・ビナードさんは、「アメリカ国家が自国の市民を被爆に巻き込んだという視点は、広島・長崎以前のトリニティ核実験やウラン鉱山採掘の被曝問題につながる」という独自の鋭い解釈をされていました。なるほど。

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朝鮮人徴用工の被爆死を主題にした第14部《からす》も《米兵捕虜の死》と向き合うように展示しました。この2点は、最後のテーマである「国境を超えた核被害」を表しています。
巻尺を使って細かく設置の位置を確認しているのはプロデューサーのHさん。
記録写真を撮影しているのはカメラマンのSさんです。

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照明の設定は明日以降となりますが、まずは6作品の展示が無事に終了しました。
展示室のどこから見るかによって、空間はまったく変わってきます。

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展示室のカーブと台座の直線、屏風のジグザグのラインが入り混じり、ちょっと面白い空間ができあがりました。今日の作業はここまで。

   *   *   *

展示チームはほかの展示室の展示で忙しそうなので、われわれ一行は一度ホテルに戻ってから、「モール」と呼ばれる博物館や記念碑の集中している広い公園に向かいました。

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モールの中央に建つワシントンD.C.のシンボル、ワシントン記念塔。
初代大統領ジョージ・ワシントンを称えるオベリスクです。ちなみに高さは169.2m。

モールはとにかく広いので、せっせと歩いて、スミソニアン国立航空宇宙博物館に向かいました。1995年に「原爆展」が中止に追い込まれたという因縁の博物館です。
この博物館の2階には、第2次世界大戦に使われた戦闘機が集められていて、その中には、日本の「ゼロ戦」三菱零式戦闘機52型A6M5が展示されています。

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以前、パラオのペリリュー島でゼロ戦の残骸は見ましたが、状態良く保存されている機体を見るのは初めてです。
戦闘機を間近に見るための渡り廊下の反対側の壁面には、真珠湾攻撃を描いたと思われる油彩画が向かい合うように2点展示されていました。

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作者やいわれはわかりませんが、戦後にアメリカ人の画家が描いた油彩画のようです。
まあ、あまり重要な展示ではなさそうですが、日本の「戦争画」を思い出させます。

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その後は、歩いて来た道をタクシーで戻って、2004年に作られたという第2次世界大戦記念碑World War II Memorialに向かいました。

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噴水を中心に円を描くように建てられた戦死者の慰霊碑は、南側が「太平洋」、北側が「大西洋」に分かれ、その中央部の小さな池のまわりには、激戦地の地名が刻まれています。

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太平洋戦争の最後には、ミッドウェーやガダルカナル、レイテ、ペリリューなどの地名に続いて、硫黄島、沖縄、日本の地名が刻まれています。

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何というか、あまりに巨大な戦争の記憶装置で、このモニュメントが戦死者の慰霊だけでなく、未来の戦争の推進装置になるのだろうと、複雑な思いもしました。

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この慰霊碑のまわりには、ベトナム戦争や朝鮮戦争の戦没者慰霊碑もあります。
アメリカという国は本当に、世界中どこへでも出かけていって戦争をしてきたのだと、あらためて体感しました。

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あちこちを見て歩く時間もないので、ホテルに帰る道すがら、ベトナム戦争戦没者慰霊碑に立ち寄りました。
妙にリアルな3人の若い兵士の像の前で、夏休みに入った大勢の子どもたちがボランティアのツアーガイドを受けていました。

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そして、その兵士の像の視線の先には、長さ151mの黒御影石の壁のモニュメントが。
そこには、5万人を超えるベトナム戦争の戦死者の名前が年代順に刻まれています。
モニュメントを熱心に見ているのは、プロデューサーのHさんとお連れ合いのTさん。

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戦争の記憶装置めぐりにすっかり疲れたものの、芝生でソフトボールを楽しんでいる若者たちの姿には心を癒されました。
野球場でも何でもない芝生の上でソフトボールをしているグループがたくさんいたのは、サマーキャンプのプログラムか何かでしょうか。
これこそ、野球発祥の国の原風景。草野球こそ野球の本質です。
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