2015/6/30

大宮北高校出張授業  講演・発表

今日は午前中に韓国から来られた団体Asia Regional Initiativeの館内説明をした後(第14部《からす》が渡米中なのが残念)、午後から、さいたま市立大宮北高校へ出張授業。
米国出張中に突然の依頼があり、急きょ決まった授業です。

帰国後は連日のように会議や来客、館内説明、外出予定等、どうにもならないほどスケジュールが詰まっているのですが、たまたまピンポイントで日程がぽっかり空いていたので、受けることができました。

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大宮北高校は、かつて修学旅行で沖縄で平和学習を続けていた時期があり(その頃には事前学習で毎年丸木美術館に来ていたのですが、今回は久しぶりの依頼)、校舎の玄関口には立派なシーサーが飾られていました。

担当のT先生や校長先生に温かく迎えていただき、体育館で1000人を超える全校生徒に、パワーポイントやDVD映像を用いながら、丸木美術館や《原爆の図》、そしてアメリカ展について1時間ほど話をしました。

先生たちと話をしていると、やはりアメリカ展に対する関心が非常に高いようです。
生徒たちがどうかはよくわかりませんが、この機会に初めて《原爆の図》を知る、ということも大切なのだと思います。彼らの日常の世界を、いかに70年前の広島や海の向こうの「原爆の図展」につなげていけるか、考えながら話をしました。

来週は、広島大学と東京造形大学の講義の予定が入っています。
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2015/6/25

川越西高校出張授業  講演・発表

アメリカ展だけでなく、国内の《原爆の図》の動向も慌ただしくなってきました。
今日は午後から埼玉県内の川越西高校で出張授業を行いました。

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秋に広島へ修学旅行に行くという2年生が体育館に集まり、《原爆の図》三部作の原寸大複製をパネルに展示して、絵の鑑賞も行うという授業です。

丸木夫妻の原爆体験やなぜ《原爆の図》を描いたかという話とともに、現代の高校生にも興味を持ってもらえるように、70年前の原爆をなぜ今知るべきなのか、私たちの生きる日常とどのようにつながってくるのか、という内容をもうひとつの軸にしながらの話でしたが、蒸し暑い体育館内で生徒たちは最後まで静かに集中して聞いてくれました。

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明るく元気の良い高校生たちの目に、《原爆の図》はどのように映り、絵から何を読み取ってくれたのか。
ある意味では、アメリカ展と同様、あるいはそれ以上に興味深いところではあります。
出張授業に帯同してくれたボランティアの画家・Mくん、そして複製画の展示を手伝って下さった川越西高校の先生方、旅行係の生徒たちに感謝。

原寸大複製は、1950年代の「原爆の図全国巡回展」の状態を再現するように八幅の掛軸に仕立てているのですが、その機動性は、出張授業でたいへん役に立っています。
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2015/6/24

NHK FMラジオ「日刊さいたま〜ず」出演  TV・ラジオ放送

午後6時からのNHK FMラジオ「日刊さいたま〜ず」にスタジオ生出演し、「発掘! 知られざる原爆の図展」について6時半頃までお話ししました。
担当して下さったのは、4月に山形局から来たという地元埼玉出身の岸田麻由美キャスター。
明るく元気の良い方で、こちらもつられてテンションの高いトークになりました。

事前に丸木美術館にも足を運んで下さった岸田(麻)さんは、「発掘! 知られざる原爆の図展」と「島田澄也展」についても的確に話題を振って下さり、番組の後半では最新のニュースであるアメリカ展の報告もさせていただきました。
リクエスト曲は、作曲家の大木正夫が《原爆の図》から着想した交響曲第5番「ヒロシマ」から第4楽章の「火」をお願いしました。

埼玉県域のみの放送でしたが、お聞き下さった皆さまに心から御礼を申し上げます。
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2015/6/23

原爆の図米国展の反響  掲載雑誌・新聞

久しぶりに美術館に出勤し、米国展に関する新聞記事などを整理しました。
多数のメディアでご紹介いただいたため、すべてに目配りすることは難しそうですが、なかでも埼玉新聞は、事前の連載報道の充実ぶりに加えて、6月13日、16日と2度にわたって1面トップで報道するなど、「原爆の図展」への注目ぶりが傑出していました。

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地方新聞の心意気を見る思いで、中心となって報道して下さった保坂直人記者には心から感謝です。
その他の新聞記事で、ネットから検索できるものを以下に書き出しておきます。
(他にも細かい記事はあるかもしれませんが、拾っていくときりがありません)

6月12日東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015061201001204.html
6月12日信濃毎日新聞 http://www.shinmai.co.jp/newspack3/?date=20150612&id=2015061201001204
6月13日日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM13H19_T10C15A6NNE000/
6月15日毎日新聞 http://mainichi.jp/select/news/20150615k0000e030071000c.html
6月15日北海道新聞 http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/international/international/1-0145754.html

国外では、AP通信の配信記事が目につきました。『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』、メキシコの新聞などにも掲載されたという情報が入ってきています。
http://readingeagle.com/ap/article/japanese-art-on-atomic-bombings-on-exhibit-in-washington
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2015/6/20

『中日新聞』高校生★Newsにて《原爆の図》紹介  掲載雑誌・新聞

高校生★News 丸木美術館「原爆の図」 描かれた意味を考えた
 ――2015年6月15日『中日新聞』朝刊

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5月の終わりに来館された中日新聞の高校生スタッフの記事が6月15日に掲載されました。

以下のWebサイトから、記事全文を読むことができます。
http://edu.chunichi.co.jp/weekly/?p=2741

名古屋、津、岐阜から4人の高校生を埼玉まで連れて来てくれた教育報道部O記者に感謝。
若い世代による《原爆の図》の“発見”には、勇気が出ました。とても良い記事ですね。
「過去と向き合い、これから先の未来をつくっていくヒントに」、生かして頂きたいと思います。
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2015/6/19

【米国出張12日目】アメリカより帰国  調査・旅行・出張

いよいよニューヨークのJFK国際空港より、帰国です。
今回のアメリカン大学展で印象に残ったことをひとつだけ書きとめておきます。

展覧会初日に姿を見せた退役軍人のことです。
オープニングレセプションの後、歩行器に支えられながら原爆の図第13部《米兵捕虜の死》の前に立った彼は、倒れこむように絵の台座に座ってしまいました。

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近くにいた私とラスムセン館長がとっさに支え、絵に触れることはなかったのですが、94歳の彼に「立て」とは言えず、目を押さえてへたり込むのを見守るより仕方ありませんでした。
格好の取材対象を記者たちが放っておくはずもなく、やがて彼の口から原爆投下の正当性を主張する発言を引き出そうと質問が集中しました。

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「私がこの絵のようになるかもしれなかった。日本は中国でなにをしたのか」という彼の返答は、誤解を恐れずに言えば、理解できる部分もありました。
一般の市民さえ捕虜を虐殺する日本だからこそ、原爆を落とすしかなかったんだ……という捉え方を、この絵は促すかも知れない。この“問題作”をどう見ればいいのか、正直なところ私には本当に難しく、今も考えはまとまっていません。

ただ、今回の展覧会に関するさまざまな言説の中で、ともすれば「原爆の被害だけでなく加害の視点を提示することに意味がある」と強調されることについては、ずっと引っかかるものがありました。
この作品が、その後の第14部《からす》や《沖縄戦の図》につながっていったことは間違いありません。しかし、この丸木夫妻の米国に対する応答は45年前に行われたもので、その後の3度に及ぶ米国開催の展覧会で必ず展示され続け、ある意味では《原爆の図》と米国との関係を象徴するステレオタイプの語りになりつつあります。

加害であれ、被害であれ、そこにわざわざ国境線を引いて見る者の立場を分かつのは、ボーダレス化の加速する21世紀にどういう意味を持つのだろう。いや、もちろん意味があるのも理解はできますが、NPT再検討会議が国際政治に翻弄されて決裂した直後にあって、せめて《原爆の図》は、芸術のもたらす力で、言葉や民族、習慣、政治の壁を越えて、人の心から人の心へ、大切な何かを届けることができないだろうか。

その日、憔悴して帰宅したであろう老人は、意外にも翌日の午前中にも再び会場に姿を見せ、今度は記者に囲まれることなく、じっくりと絵を見ていました。
彼は何を見ていたのでしょうか。彼の心にも、命とは何かを問う想像力は届いたでしょうか。
彼の後ろ姿からは、少なくとも「見るに値しない絵」とは思っていないであろうことは、伝わってきました。

《原爆の図》について自分の言葉を伝える機会がなかったアメリカン大学の展覧会を体験して、私にはアメリカの人たちに知ってほしいこと、ともに考えたいことがたくさんあることに、今さらながら気がつきました。
幸い、次のボストン展では、絵について話をする機会をもらえそうです。原爆投下の悲惨さを伝え、その是非を問うことには、もちろんまったく異存はありません。けれども、この原爆を表現した芸術が、なぜ生まれ、何を描き、どう読み解かれてきたかをまずはきちんと伝えること、そこからすべてをはじめることが、今回のアメリカ巡回展で自分の果たすべき役割なのだろうと、あらためて思うのです。
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2015/6/18

【米国出張11日目】ニュースクール調査/ニューヨーク近代美術館  調査・旅行・出張

朝から、なかなか慣れないニューヨークの地下鉄を乗り継いで、5番街13丁目にあるニュースクールへ。

今回、ニューヨークを訪れた目的は、1970年に開催された「原爆の図」の会場となったニュースクールで資料調査を行うことでした。

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事前に連絡していた資料室のJenny Swadoshさんは、とても優しく案内して下さって、ファイルなどを見せてくれましたが、図録やパンフレット、絵葉書セット、新聞・雑誌記事などそのほとんどは丸木美術館でも保管しているもので、新しい発見は残念ながらありませんでした。

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当時のことを知る職員もいないとのことですが、会場写真は一枚だけ残っていました。
この写真は俊さんの自伝で見たような気もしますが、初めて見るかもしれません。
丸木美術館に戻ってから確認しなければいけません。

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会場となったニュースクール・アートセンターの外観写真も見せてもらいました。

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当時の建物はすでになく、現在は巨大なニュースクール・ユニヴァーシティセンターになっています。
昔のアートセンターの写真と同じ角度から、写真を撮ってみました。建物はずいぶん大きく変わりましたが、後ろのビルは昔と変わっていないので比較しやすいと思います。

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資料室の壁には、ニュースクール草創期の写真も数点掲示されていました。
Jennyさんに聞いたところ、この学校は1896年に創設された歴史ある学校だそうです。
学校のHPを調べてみると、ニューヨークのアート・スチューデント・リーグから離脱した革新的な集団が創立したようです。
1904年にはフランク・パーソンズが美術教師として参加し、「芸術は一部の金持ちや教会、才能あるものたちだけのためにあるのではなく、産業の芸術こそ私たちの芸術の基礎である」との考えから、デザインの先駆的な概念を打ち出したとのこと。そのため、当初の学校名にはパーソンズの名前が冠されました(現在もパーソンズの名はニュースクールと併用されています)。
1921年には姉妹校としてパリ校も開校し、外国にキャンパスを設立した米国で最初の美術学校となりました。

1970年、つまり最初の「原爆の図展」が開催された年に、パーソンズはニュースクール(New School for Social Research)という進歩的知識人の組織と合併します。
ニュースクールは1919年に、より自由で平等な教育の場として、伝統的な大学に代わる存在となることを目指して設立されました。ヨーロッパでナチが台頭すると、米国へ逃れてきた学者たちの受け入れも行いました。
そうした歴史的背景があったために、芸術やデザインともに社会的・政治的な視点からの学際的な研究を続けている学校であるようです。「原爆の図展」を受け入れたのもうなずけます。

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Jennyさんによれば、昨年には、1939年の第2次世界大戦によってパリ校が閉鎖されて以来、75年ぶりにパリに新校舎が開設されたそうです。長い歴史を持つこの学校にとっては、大戦をはさんでの念願の再出発ということになるのでしょう。

今年11月、ニューヨークで原爆の図展が開催される際には、ぜひ見に来てほしいと彼女に伝えると、学生たちにも告知する、彼らにとってもいい勉強になるでしょう、と言ってくれました。
気がついてみると、若い学生たちが画材を持って、何度もビルを出入りしていました。

   *   *   *

午後は、5番街を歩いてニューヨーク近代美術館(MOMA)へ。

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企画展は、なんと「Yoko Ono: One Woman Show, 1960–1971」展
会場にたくさんの観客が入っているのが印象的でした。

アフリカ系アメリカ人の南から北への大移動を描いたジェイコブ・ローレンスの連作「The Migration Series」の企画展「One Way Ticket」も見ごたえのあるものでした。
絵画だけでなく、ジャズ奏者や歌手たちの音源を聞くコーナーや写真があったり、多角的な視点から当時の社会状況を紹介している展示に感心しました。
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2015/6/17

【米国出張10日目】ニューヨークへ移動/グッゲンハイム美術館  調査・旅行・出張

ボストンのローガン空港からニューアーク空港へ。
飛行機でニューヨークへの移動日です。

1月に「原爆の図展」の打ち合わせで訪れて以来、半年ぶりのニューヨーク。
ホテルも前回と同じくセントラル・パークの近くにとりました。

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とはいえ、真冬で池も凍っていた前回とはまったく異なり、セントラル・パークは青々と緑が茂り、日光浴を楽しむ人たちがたくさんいます。

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午後は、ホテルから少し歩いて、グッゲンハイム美術館へ行きました。
前回のニューヨーク滞在では美術館へ行けなかったので、ようやく念願がかないました。

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現在、グッゲンハイム美術館では、「Storylines: Contemporary Art at the Guggenheim」を開催中。
ジェンダーや、セクシュアリティ、歴史、政治などの新たな視点を提示する「ストーリーライン」をテーマにした若手作家を数多く紹介する内容でした。

6月26日からは「ドリス・サルセド展」も予定されているとのことでしたが、準備中で見ることは叶わず。サルセドの展覧会は広島市現代美術館の個展も見逃してしまったので、なかなか縁がなく残念なことです。
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2015/6/16

【米国出張9日目】ボストンにてHさんTさんと  調査・旅行・出張

ボストン大学美術館の交渉も順調に進み、この日は一日休養日。
6月はアメリカ展の準備で休みなく走り続けていたので、ようやくひと息つくことができました。

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早朝、まずはホテル近くのボストンの港周辺を散策。
アメリカ建国の歴史が息づく街で、子どもたちは早くも夏休みに入っているので、観光客で朝からにぎわっています。

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港の奥に見えるのは、高さ151m、1915年完成の時計台カスタム・ハウス・タワー。
今回のボストン散策の目印になった建物でした。

   *   *   *

今回のアメリカ展でたいへんお世話になったフリープロデューサーのHさんとお連れ合いのTさんとも、今日でお別れです。
お二人の古い友人であるJさんが昨日に引き続きホテルまで迎えに来て下さって、ハーヴァード大学界隈を案内して下さいました。
Hさんたちにとっては、かつて留学し暮らしたことのある懐かしい街のようです。

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大学のなかも自由に歩くことができました。立派な図書館は、全米で国立図書館に続いて2番目に大きな規模を誇るそうです。学生たちはこの図書館で本の海を泳ぐようにして学んでいくとか。

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ハーヴァード大学の創設者と言われる(実際は寄贈者?)ジョン・ハーヴァードの銅像の前で、Hさんたちに促されて写真を撮りました。
銅像の靴の先をなでると幸運が訪れるとのことですが、Jさんいわく、「学生たちが酔っぱらって銅像の上に登って靴におしっこをひっかけるから、触らない方がいい(笑)」とのこと。

Hさんは盛んに「留学」を勧めて下さいました。
「留学するなら家族いっしょに来た方が世界が広がる」と具体的なアドヴァイスも下さり、たいへん光栄でしたが、まあ、もちろん、そんなに簡単な話ではありません。
Tさんからは「今回の展覧会を頑張ったから……」とのことで、ハーヴァード大学のロゴマークの入った上着をプレゼントして頂き、その優しいお気持ちだけで本当にありがたかったです。

その後はハーヴァード大学美術館を見に行きました。
2011年から2012年にかけて日本国内各地を巡回した「ベン・シャーン展」の際、ベン・シャーン撮影の大量の写真を所蔵していることを知って、その名を記憶している美術館です。

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ベン・シャーンだけでなく、古今の美術品のコレクションは素晴らしく、マーク・ロスコが大学のために作成した壁画を紹介する特別展も開催していました。

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夜は、またもJさんの案内で、ブルーグラスを演奏するクラブに連れて行っていただきました。
私はもうアメリカ展のあれこれですっかり疲れ果てていましたが、Hさんは本当にお元気で、楽しそうにボストンの夜を満喫されていました。

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明日からは一人でニューヨークへ移動し、1970年に丸木夫妻が行った「原爆の図展」の足跡をたどる調査を行います。
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2015/6/15

【米国出張8日目】ボストン大学打ち合わせ/ボストン美術館  調査・旅行・出張

ボストン滞在2日目。米国へ来て初めての雨。
午前中、地下鉄(途中から路面電車)に乗って、Boston University West駅へ。

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9月から展覧会を予定しているボストン大学へ、打ち合わせのため訪れました。
大通りに面した、石造りの風格のある建物です。

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展覧会を予定しているのは、ボストン大学アート・ギャラリー。
アメリカン大学ほど立派な設備が揃っているようには見えませんが、歴史を感じさせる雰囲気がボストンらしく、とても気に入りました。
芸術学部の学生たちが同じ建物の中で活動していて、若者たちとの距離が非常に近いのも好感が持てます。

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ギャラリー担当のJさんたちスタッフが笑顔で迎えて下さいました。
最初に驚いたのは、同行したHさんが「ボストンは私たちにとって特別な場所です。なぜなら、1988年に丸木夫妻がマサチューセッツ芸術大学で名誉博士号を受賞したからです」と話したところ、二人とも当然のように知っていたことでした。

それどころか、私が「できれば会期中に1988年に公開されたジャン・ユンカーマン監督の映画『HELL FIRE―劫火 ヒロシマからの旅』を上映して欲しい」とリクエストすると、すでに米国版の映像を入手していた上に、大木正夫作曲の交響曲第5番「ヒロシマ」の存在まできちんと調べていたのです。

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「『原爆の図』を展示するにあたって、絵画に加えて、映画や音楽など多角的な角度から紹介したい」というJさんの言葉は、とても嬉しく心に響きました。
大木正夫という作曲家が、映画『原爆の図』(1953年、今井正・青山通春監督)の映画音楽を担当し、それをもとに交響曲まで制作していたことは、日本でもあまり知られていません。

アメリカン大学のオープニングでHさんがスピーチをした際、「原爆の図》の芸術性は人の心を動かす」と語っていましたが、どちらかといえば「戦後70年に原爆投下の是非を問う」という政治的な展覧会となったワシントンD.C.の展示に対し、ボストン大学は《原爆の図》の芸術性に焦点を当て、原爆を表現し伝えることの意味を深める内容になります。

会期は9月10日から10月18日まで。10日のオープニング・レセプションでは、私も芸術的視点から《原爆の図》を語る講演を行うことになりそうです。

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会場は、部屋の中央にならぶ円柱の存在や、微妙に幅が足りない壁面の問題もないわけではありませんが、何とか6点の《原爆の図》を展示することは可能な広さでした。

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知識人が多いとされるボストンの街で、27年ぶりの《原爆の図》がどのように見られるのか。
日本でもまだ企画されていないような、《原爆の図》に対する敬意がひしひしと伝わってくる内容の展覧会なので、非常に楽しみになってきました。

   *   *   *

ボストン大学の打ち合わせの後は、ボストン美術館を訪れました。
日本美術の非常に良質なコレクションで知られるボストン美術館。
玄関で、TさんHさん夫妻と古くからの友人のJさん(昨日とは別の方)と待ち合わせ、美術館の中に入ります。

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現在、企画展として、日本の写真家がとらえた震災以後をテーマにした「In the Wake Japanese Photographers Respond to 3.11」(7月12日まで)を開催中。

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荒木経惟や川田喜久治、畠山直哉、志賀理江子ら、さまざまな世代の17人の写真家の作品が展示されています。NHKがヘリコプターで上空から撮影した津波の臨場感あふれる映像も流れていました。

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そのなかに、丸木美術館でも個展を行った新井卓の銀板写真も展示されていました。
今回は、その新井さんに紹介されたキュレーターのAさんにお会いし、少しだけご挨拶をさせて頂きました。

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「ひとりひとりの反応はよくわからないけれど、予想以上に大勢の観客が見てくれて手応えを感じている」というAさん。
震災の被害写真だけではなく、さまざまな角度、視点から表現としてあらわれた「3.11」の影響を見せようという興味深い企画で、この機会に見ることができて良かったです。

   *   *   *

ちょうど開催中だった「HOKUSAI」展(8月9日まで)も見てきました。
さすがに人気の北斎の企画展。ディスプレイにもたっぷりと予算をかけています。

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「富士」や「滝」などいくつかのセクションに分かれた展示は、日本ではむしろ見られないくらい作品の質も素晴らしく、大勢の観客が惹き込まれるように見入っていました。

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美術館が閉館した後は、フランス料理店で美味しい魚料理のディナーを頂き、ボストン在住のJさんに案内されて、マサチューセッツ街にあるWally's Cafeという小さなジャズ・クラブに向かいました。

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このジャズ・クラブは、1947年に開店した歴史ある店で、若い音楽家の発表の場として長く活動を続けてきたそうです。
もともとは道路の反対側にありましたが、1977年に現在の場所に移転してきたとのこと。

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チャーリー・パーカーやビリー・ホリディ、アート・ブレイキーといった著名な演奏家・歌手も、この店に出演したことがあるそうです。

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この日は高校生の若者たちのセッションでした。
大人たちが酒を楽しみながら静かに演奏に耳を傾ける光景からは、当たり前のように街の文化を守り育てていく人びとの姿勢を考えさせられ、とても気持ちの良い夜になりました。
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2015/6/14

【米国出張7日目】レバノン人画家アトリエ/ワシントンからボストンへ  調査・旅行・出張

アメリカン大学ではじまった「原爆の図展」の反響が、日本で続々と出てきているようです。

   *   *   *

米・ワシントンで「原爆の図」を初展示
 ―6月14日NNNニュース(広島テレビ提供) 
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20150614-00000010-nnn-int

広島、長崎の被爆70年にあわせて原爆の悲惨さを描いた絵画「原爆の図」が、アメリカ・ワシントンで初めて公開された。
「原爆の図」は広島出身の画家・丸木位里さんと妻の俊さんが描いた作品。高さ180センチ、横720センチからなるびょうぶには、原爆投下直後、炎の中で苦しむ人々の姿などが描かれている。
アメリカでは原爆投下を正当化する意見も根強い中、展示の企画者は「若い世代に見てほしい」と呼びかけている。
展示を企画した早川与志子さん「若い人たちが70年前に実際に何が起きたのかということを、芸術の力を借りて平和への道を築くきっかけになってほしい」
展示は8月16日まで行われる予定。

   *   *   *

今朝は、昨夜のレセプションで出会ったレバノン人画家シャウィー・フレンChawky Frennの家に招待され、朝一番にTさんHさん夫妻、写真家Sさんとともにホテルを出発。

大学美術館から車で15分ほど、ワシントンD.C.近郊の集合住宅の一室に案内されました。1981年に渡米してきたというシャウィーは、ジョージ・メイソン大学の美術学校教授をしながら、米国社会が内包している矛盾を絵画によって可視化する活動を続けているそうです。

私たちの来訪をとても喜んで、たくさんの果物やお菓子でもてなしてくれました。とりわけ、食後に入れてくれたトルコ風のエスプレッソ・コーヒーは、薄味のアメリカン・コーヒーにやや辟易していた身には、とても嬉しく感じました。

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部屋の壁には彼自身の作品や恩師の油彩画などとともにケーテ・コルヴィッツの版画の小品が1点ならび、まるで小さな画廊のようです。

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「《原爆の図》にはとても共感した。政治的ではない、human rights―人権を描いた作品だ。昨日はこの国に来て初めて原爆の話を聞いた。ワシントンD.C.にはホロコースト博物館があるというのに、なぜ原爆博物館がない?」
興奮する彼の話を聞きながら、画集や実際の作品も見せてもらいました。

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ネイティブ・アメリカンの骸骨の上に立つジョージ・ワシントン像。理想を掲げる合衆国憲法の条文が記されたポスターの上に描かれた泣き叫ぶアラブの子どもの絵。米国国旗で包まれた死者の像。
複雑な米国社会のなかで、自らの故国を思いながら、孤独な“戦い”を続けている彼にとって、《原爆の図》は魂の部分で分かり合える仲間のように思えたのでしょう。

この作品で米国社会で認められるのは大変だ……と思いつつ、それでも大学教員として生計を立てることのできるこの国の懐の深さに、日本だったら果たしてどうだろうかと、つい考えてしまいます。

その後、シャウィーの車でアメリカン大学美術館に送ってもらい、《原爆の図》の前で少しだけ絵について語りあいました。
彼もまた、20世紀のひとつの潮流である社会派リアリズムの仕事を引き受け、継続している芸術家なのだということを、あらためて感じました。

   *   *   *

この日は、熱心に核問題を取材して全米を飛び回っているA新聞のT記者と、少し落ち着いて話をすることもできました。T記者は、いかにもジャーナリストらしい鋭い分析力と取材力を持つ記者で、話をしているとこちらも非常に勉強になります。
6月2日付『朝日新聞』朝刊に掲載された彼のピーター・カズニック教授へのインタビューは、非常に読み応えのある内容で、原爆の図展開催についても触れています。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11785770.html

昼過ぎにアメリカン大学美術館を出た後は、ホテルで明日帰国する写真家のSさんと別れ、TさんHさん夫妻とともに夕方のレーガン空港発の便でボストンへ移動。

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飛行機の窓の下には、ニューヨークのマンハッタンが見えました。

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ボストンのホテルに到着すると、TさんHさん夫妻の古い友人で、今回、ボストン大学へ展覧会の話の橋渡しをして下さった81歳の経済学者Jさんとともに港のすぐ近くのレストランに行きました。
Jさんは貧困に苦しむアフリカ諸国を救うための経済の研究を続けてきた方で、今もウガンダに飛んで行ったり、現役で仕事を続けているそうです。

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ボストンに来たからにはロブスターを食べた方がいい、というわけで、美味しいロブスター料理を頂きました。
疲れが出たのか、少し体調を崩していたのですが、よくやく体も元に戻ってきました。

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窓から見える港の夜景も美しいです。
明日は、ボストン大学へ行き、ワシントンの次の展覧会の打ち合わせを行います。
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2015/6/13

【米国出張第6日】原爆の図ワシントン展開幕  調査・旅行・出張

いよいよ、ワシントンD.C.のアメリカン大学で原爆の図展がはじまりました。
開館前の美術館に入り、まずは無人の展示室を記録しました。

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静かに開幕を待つ6点の《原爆の図》。
開館と同時に、少しずつ来場者が現れ、それをたちまち日本のメディアが追いかけます。

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NHKではすぐにニュースが流れたようです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150614/k10010114011000.html

   *   *   *

「原爆の図」米ワシントンで初の展示
 ――2015年6月14日 NHKニュース

原爆投下から70年となることし、原爆投下後の広島や長崎の惨状などを描いた「原爆の図」が日本の美術館からアメリカに貸し出され、首都ワシントンで初めて展示されました。

ワシントンにあるアメリカン大学で13日に始まった展示会では、画家の故・丸木位里、俊夫妻が原爆が投下されたあとの広島や長崎の惨状などを描いた「原爆の図」6点が展示されました。
「原爆の図」は、原爆投下から70年となることし、核兵器の廃絶を訴えようと、埼玉県にある美術館から貸し出されたもので、展示会はアメリカの核問題の歴史研究者などが協力し開かれました。
展示された作品「幽霊」は、原爆の爆風や高熱によって衣服が焼け落ち、ただれた皮膚を引きずりながらさまよう人々の姿が生々しく描かれています。「原爆の図」がアメリカの首都で展示されるのは初めてで、中には、広島で被爆したアメリカ兵の捕虜を描いた作品も含まれています。
アメリカでは今なお原爆投下を正当化する意見が少なくありませんが、会場では、「普通の暮らしをしている人たちに原爆を投下する必要はなかった」と話す女性もいました。
また、展示会を主催したアメリカン大学美術館のラスムセン館長は「これをきっかけに原爆のことなどを議論してもらいたい」と話していました。
「原爆の図」の展示会はワシントンで8月16日まで行われたあと、ボストンやニューヨークでも開催が予定されています。

   *   *   *

1995年に「原爆展」の中止問題で揺れたスミソニアン航空宇宙博物館の元職員も来場し、《原爆の図》を素晴らしい作品だと褒めてくれました。

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笑顔のラスムセン館長と会場アルバイトの学生たち。
無事に開会を迎えて、館長も嬉しそうです。

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午前中の来場者は少なくて心配しましたが、夕方になるにつれて次第に多くなっていきました。

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この日取材に訪れたのは、NHKのほか民放全社。日本テレビ系は早川さんの元職場・日本テレビと広島テレビの両方が来ていました。さらに読売新聞、朝日新聞、毎日新聞も。海外では、中国やロシアのテレビ局も来ていました。

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オープニング・セレモニーでは、企画者のピーター・カズニック教授が司会をつとめ、広島平和記念資料館の志賀館長、広島の被爆証言者の山本さん、長崎の被爆証言者の深堀さん、原爆の図展企画者の早川与志子さん、丸木美術館の小寺隆幸理事長、アメリカン大学美術館のジャック・ラスムッセン館長が次々と壇上に立ち、スピーチを行いました。

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とりわけ、山本さん、深堀さんの被爆証言は、来場者に大きな衝撃を与えたことでしょう。
レセプション終了後、大勢のメディアが山本さんを取り囲んで取材をされていました。

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ピーター・カズニック教授のもとへ、第二次世界大戦の退役軍人が詰め寄る一幕もありました。
かつてテニアンで通信兵をしていたという94歳の男性です。

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「原爆投下の是非」を問う議論なのか……とすぐに日本のメディアに取り囲まれましたが、はっきりとそういう質問をしたわけではなかったようで、後でピーターさんに聞いたところ、「なぜ二回目に長崎へ原爆を投下したのか」「当日の天気はどうだったのか」といった内容を、敵意むき出しでぶつけてくるという、ちょっとよくわからないやりとりだったようです。
とはいえ、彼はやはり原爆投下を肯定する立場であり、「私たちがこの絵のようになっていたかもしれないんだ。日本は中国で何をしたんだ」とも語っていました。それも一理あるとは思いながらも、ピーターさんは「高齢だから、議論が難しい」と言い、「若い人たちの意識を、少しずつ変えていきたい」と話していました。

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この日は美術館全体で5つの展覧会がオープニングを迎え、1階のロビーではパーティもはじまりました。

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《原爆の図》の前では、オール・ソウル・チャーチ(ワシントンD.C.にあり、広島の子どもたちとの交流の絵が60年ぶりに発見されて数年前に話題になった教会)の合唱団が歌います。
出演者や観客が絵にぶつからないように、冷や冷やしながら見ていましたが、美術館スタッフが大勢絵の前に立って下さり、何とか無事に終わりました。

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夜遅い時間でしたが、親子で《原爆の図》を見る光景も見られました。
かつて日本の巡回展で見られたという、「このややこが、焼けて死んだんやで……」という光景を思い起こします。

米国でも、若い世代には核に対する否定的な意識も増えていると聞きます。
しかし、この日の会場では、85歳の元沿岸警備兵の男性からも「この絵は素晴らしいと思う。人間の想像力には限界があるから、絵が大きな役割を果たすだろう」という感想が聞かれ、世代にかかわらず、《原爆の図》の前に立つという“体験”が、それぞれの心に響いていたことを感じさせました。

私もNHKと広島テレビの前でコメントをしましたが、思っていた以上に多くの人に来場いただいた展覧会初日。
原爆の絵を見て、多くの人が「美しい……けれども悲しい」という言葉を口にしている姿を見て、あらためて《原爆の図》の持つ芸術的な力を再確認する思いでした。

   *   *   *

オープニングの後は、美術館近くのイタリアン・レストランで、ラスムセン館長夫妻、カズニック夫妻、広島平和記念資料館・丸木美術館関係者一行で夕食をとりました。

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そして食後……実はこの日、私は誕生日を迎えていたのですが、突然目の前にかわいいティラミスがあらわれ、皆さんから「Happy Birsthday!」の合唱でお祝いを頂きました。

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事前に何も聞いていなかったので、本当にびっくりしました。
仕事に追われて、すっかり疲れ果てた一日でしたが、忘れられない誕生日になりそうです。
皆さまには心から御礼を申し上げます。
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2015/6/12

【米国出張5日目】フィリップス・コレクション  調査・旅行・出張

いよいよ展覧会前日になりました。
日本国内では、共同通信の配信記事が各紙に掲載されているようです。

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米首都で20年ぶり原爆展 被爆実相伝える
 
 ――2015年6月12日付『東京新聞』
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015061201001204.html

昨夕からは、K理事長夫妻も現地に到着しています。

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午前中はアメリカン大学美術館へK理事長夫妻をご案内。
とはいえ、開幕直前になってくると案外やることがなくなってくるので、午後は美術館を離れて、1月のワシントン出張の際に見逃してしまったフィリップス・コレクションへ。

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いま、丸木美術館で高野山成福院と勝養寺の《原爆の図》を「ロスコ・ルーム風」(誰が何と言おうと!)に展示しているので、やはりロスコ・ルームは見逃せません。
テート・ギャラリー、川村記念美術館に続いて、生涯3つ目のロスコ・ルーム体験です。

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瞑想なのか睡眠なのか、しばし部屋の中央の椅子で休んだ後、館内をじっくりまわりました。

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特別展は「American Moments」というフィリップ・コレクション所蔵写真展。
都会の風景や人々の姿、自然などのテーマに分けて33人の写真家がアメリカを映し出した作品を紹介していたなかで、アーノルド・ニューマンのアート・スチューデンツ・リーグを撮影した写真に目を惹かれました。

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アート・スチューデンツ・リーグは、ニューヨークの有名な美術学校。
最前列中央に国吉康雄、右端にはベン・シャーンの姿が写っています。
参考までに、以下に展示されていたキャプションを書き起こしておきます。

Art Students League Alumni Group
June 1, 1950
Photograph by ARNORD NEWMAN

This photograph captures alumni from the Art Students League gathered in 1950.
Pictured at front, left to right: Henry Billings, Alexander Brook, Whitney Darrow, Paul Cadmus, Otto Soglow, Robert Philipp, Peppino Mangravite, Peggy Bacon, Yasuo Kuniyoshi, Arnold Blanch, Vaclav Vytlacil, Dean Cornwell, Reginald Marsh, and Ben Shahn
Behind, left to right: Gifford Beal (president of the league), Harry Sternberg, Philip Evergood, John Groth, Ernest Fiene, Russell Cowles, Bernard Klonis, Henry Schnackenberg, William Zorach, Adolph Dehn, Kenneth Hayes Miller, Frank DuMond, Eugene Speicher, Ogden Pleisser, Chaim Gross, Sidney Dickinson, and Louis Bouche


このほかにも、ネイティブ・アメリカンの苦難の歴史を描いたジェイコブ・ローレンスの連作も見ることができました。

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コレクターであるフィリップス夫妻の妻マージョリー・フィリップスの描いた《Night Baseball》は、Baseball Artとしてなかなかの良作です。

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今はなきワシントン・セネタースとニューヨーク・ヤンキースの試合風景。
同じような構図で、ラウル・デュフィもボストンのフェンウェイ・パークの光景を描いていますが、フランス人で野球についての知識のないデュフィが、いわば“適当”に流して描いているのに対し、マージョリーはちゃんと野球を知っていることが伝わってきます。

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もちろん、パウル・クレーもアンリ・マティスもジョージア・オキーフも、良い作品がそろっていて、今回のワシントン滞在では唯一となる半日の自由時間を美術館でゆっくり過ごせたのはとても嬉しいことでした。

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ホテルへの帰り道、今回の出張で初めての街歩きをしたのですが、デュポン・サークルからジョージタウンに向かう途中の橋の両側にバッファロー?の彫刻があるのを発見しました。

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阿吽の狛犬ならぬバッファローの存在感はなかなかのものでした。

夕食はTさんHさん夫妻と、日本から到着したA新聞社のK記者といっしょにホテル近くのタイ料理店へ。ジョージタウンは小さなお店や飲食店が多くて助かります。
体調を整えて、いよいよ明日は展覧会のオープニングです。
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2015/6/11

【米国出張4日目】航空宇宙博物館別館エノラ・ゲイ  調査・旅行・出張

今日は午前中、広島市の皆さんといっしょに、現地在住のKさんに案内されて、ダレス国際空港の近くにあるスミソニアン国立航空宇宙博物館別館ウドバー・ハジー・センターに展示されているエノラ・ゲイを見に行きました。

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KさんはHiroshima/Nagasaki Peace Committee of the National Capital Area のCo-Coordinator として反核平和活動を手伝っていらっしゃる方です。
同団体は日本被団協の支持を得て、30年来毎夏被爆者証言を中軸とした平和祈念集会を企画してきたとのこと。

別館の入口には、同団体の中心として活動しているJさんや、エノラ・ゲイのクルーの一人の孫であるAさんも待っていてくれました。

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Kさんによれば、1995年の原爆投下50年を機にエノラ・ゲイを修復展示して原爆の被害などの資料とともに公開する「原爆展」が退役軍人の反対運動によって中止に追い込まれ、航空宇宙博物館に機体のみが展示されたものの、2003年に別館が完成すると地の利の良い本館からさっさとこちらの方に移されてしまったとのことです。

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東京ドームの約1・5倍という広さの館内に入っていくと、すぐにエノラ・ゲイを見つけることができました。
エノラ・ゲイというより、実はB-29の実物を見るのも初めてだったのですが、さすがに“空の要塞”Superfortressと呼ばれた想像を絶するスケールの大きさに、圧倒されてしまいました。

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何しろ両翼の長さは43m。一昨日に見たゼロ戦が12mですから、まったく規模が違います。
空襲の際には、この大型爆撃機が大編隊を組んで現れたのだから、一般の人びとの絶望感はいかばかりだったか。

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上のフロアの通路にあがると、エノラ・ゲイの隣に展示された日本の戦闘機との大きさの違いがはっきりわかりました。
これだけの差がありながら、よく戦争をしたものだと、むしろ感心するほどです。

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地上フロアに降りて、エノラ・ゲイに近づいてみました。
機体の名前の由来は、機長であるポール・ティベッツ大佐の母親、エノラ・ゲイ・ティベッツからとられたものであることはよく知られています。

被爆体験者のYさんが、8月6日当日の様子を回想して語っていました。
この飛行機が、あの日の朝、広島の上空に現れたのです。

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磨き上げられた機体には、原子爆弾を投下した扉も見ることができます。

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近くのケースの中には、原子爆弾に使われた安全プラグも展示されていました。

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ちょうど団体客向けのボランティアガイドがはじまったので、近くでそれとなく聞き耳を立てていましたが、解説は淡々としたもので、8月6日に原爆が投下されたことで、8月15日には玉音放送があり、9月2日に対日戦争の終わりをもたらした、という事実が語られるのみ。その被害の大きさなどは一切説明に出てきませんでした。

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それは、展示されていた解説パネルも同様です。
あくまでキノコ雲の上からの視線、勝利をもたらした象徴なのだということをあらためて感じました。

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広大な展示場は航空展示と宇宙展示に分かれ、スペースシャトル・エンデバーなども展示されていましたが、B-29の圧倒的な印象の前には、もはやあまり関心も沸かず。

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航空宇宙博物館別館を出た後は、広島市の一行と別れ、Kさんに日本食レストランに案内され、お昼ご飯をご一緒しました。
お世話になったKさんには心から感謝です。

   *   *   *

午後はアメリカン大学美術館へ移動して、共同通信社ワシントン支局と読売新聞広島総局の取材を受けました。
会場の壁には、展覧会のロゴも貼りだされました。

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共同通信社の記者からは、「日本にいない2年ほどのあいだに、メディアが驚くほど右傾化している状況に驚き、危機感を感じている」との話も伺いました。
外から日本を見ていると、やはり非常に危険な方向に向かっていることが感じられるのですね。

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この日の夕方には、日本からK理事長夫妻も到着しました。
明日はいよいよ開幕前日。展示の最後の点検を行います。

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2015/6/10

【米国出張3日目】ラジオ出演、アメリカン大学美術館展示作業  調査・旅行・出張

今朝は午前4時(日本時間午後5時)20分から10分間、NHKラジオ第1放送『先読み!夕方ニュース』の「夕方トピック」のコーナーに電話で生出演。
畠山智之キャスターと黒崎瞳キャスターにお相手いただき、海を渡った《原爆の図》についてのレポートを行いました。
10分間はあっという間でしたが、以前広島局に勤務していたという黒崎キャスターのお声掛けで、現地からの情報を生でお伝えすることができ、とてもありがたい機会でした。

6月24日には、埼玉限定ですが、午後6時からNHK-FMラジオ放送『日刊!さいたま〜ず』に出演予定で、現在丸木美術館で開催中の企画展「発掘!知られざる原爆の図」展とあわせてアメリカ展について報告いたします。

   *   *   *

午前中にHさんとともにアメリカン大学美術館に到着すると、NHKワシントン支局と広島テレビの取材クルーが来られていました。

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まずは《原爆の図》6点をまわりながら、今回の展覧会の見どころを含めた作品を解説。
「原爆の惨禍」「核実験と反核運動」「鎮魂」「国境を超えた核被害」という4つのテーマから選ばれた作品について話しているうちに、ピーター・カズニック教授が来場するという情報が。
毎日新聞ワシントン支局の取材を受けるために来場され、簡単に挨拶を交わしました。

昨日、作品の設置が終わった会場では、照明を調整するため高所作業車が登場。

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移動も高低の調整も一人で自在にできるすぐれた機能に、「うーん、これは丸木美術館に欲しい。いや、しかし、置き場所がない……」とひとりつぶやいていました。

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展示責任者のBさんの細かい指示を受けて、高所で照明を手際よく調整するのはZさん。
息の合った二人の作業は、見ていて安心できます。
自然光が後ろから差し込むスペースもあって、照明はなかなか難しいのですが、《原爆の図》の色をどう美しく出すか、一番見せたい部分はどこかということを考えながら調整している様子が伝わってきて、とても頼もしく見えました。

午後からは、アーリントン墓地に撮影に行っていたカメラマンのSさんとHさんのお連れ合いのTさんも合流。
夕方には、AP通信の記者が来場して、《原爆の図》について丁寧に質問をされていました。

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世界に配信するAP通信の取材があったのは、なかなか大きなことのようです。
きっかけは、共同通信国際局のT記者が配信した記事だったそうで、T記者には感謝です。

Famed Hiroshima Panels bound for U.S. in bid to spark rethink of A-bombings
 ――6月9日“Japan Times”
http://www.japantimes.co.jp/news/2015/06/09/national/history/famed-hiroshima-panels-u-s-bound-bid-spark-rethink-bombings/#.VXls8dEVipp

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展示室の作業も、残すところはキャプションの設置のみ。
ずいぶん準備が進んできました。

夜は、この日からワシントンD.C.入りした広島平和記念資料館のS館長や被爆体験証言者のYさん、資料館のSさん、Wさんと合流し、Penn Quarterの繁華街でシーフードを食べました。
着々と人が到着し、いよいよオープニングの13日が近づいたという実感がわいてきました。
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