2015/5/31

5月最後の日  来客・取材

5月最後の日。
いよいよ渡米する《原爆の図》6点の、出発前の最後の展示日です。
そのため、開館前から取材クルーが美術館前でスタンバイしているという慌ただしい一日になりました。

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最初の取材はBS朝日。「黒柳徹子のコドモノクニ」という番組で、アーサー・ビナードさんが旅人になって丸木美術館を訪れる「「原爆の図」を描いた画家・赤松俊子」(8月19日午後10時放送予定)の収録です。
アーサーさんからのインタビューを受ける形で、私も《原爆の図》の前で、そのなりたちや、何が描かれているのか、といったことを少しばかりお話しました。

その間、別の展示室では、NHKワールド(国際放送局)の取材クルーが、アメリカへ渡る《原爆の図》を丹念に撮影していました。互いの撮影が重ならないように、調整をしながらの撮影です。

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さらに別の部屋では、NHKさいたま放送局が「発掘!知られざる原爆の図」展に展示する《原爆長崎之図》や高野山成福院の《原爆の図》を撮影。こちらはニュース番組用の取材で、翌朝の首都圏ネットワークで放送されました。
http://www3.nhk.or.jp/lnews/saitama/1106837721.html

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「原爆の図」で知られる丸木位里さんと妻の俊さんが原爆が投下された直後の長崎などを描いた作品のうち全国に点在している9点が埼玉県東松山市の美術館に集められ、展示されることになりました。

画家の丸木夫妻は「原爆の図」で知られていますが、このほかにも原爆の凄惨さを訴える作品を描いています。
2人の作品を展示する東松山市の美術館では、ことしが原爆が投下されてから70年となることから、大阪や長崎の資料館などに所蔵されている合わせて9点を集めて展示することになりました。
このうち、「火」と題された作品は、原爆投下直後の広島で吹き上がる炎と爆風の中、逃げ惑う人々が描かれています。
また「浦上天主堂」は、丸木夫妻がはじめて長崎の惨状を描いた作品で、聖像の脇で子どもを抱く母親が水墨画で印象的に描かれています。
これらの作品がまとめて展示されるのは初めてだということで、「原爆の図 丸木美術館」の学芸員の岡村幸宣さんは「作品を見て、人間がもたらす原爆の悲惨さに目を向けてほしい」と話していました。
展示は6月3日から、東松山市の「原爆の図 丸木美術館」で行われます。


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午後からは、『中日新聞』の「高校生☆News」という取材企画で、愛知県や三重県、岐阜県の女子高生がO記者に連れられて来館。《原爆の図》について、とても熱心に取材をしていました。こちらは6月12日頃に掲載予定とのこと。

そんなこんなで、朝からずっと美術館で待っていてくださった共同通信国際局海外部のT記者とようやくお話できたときには、すでに午後4時になっていました。

週明けには、いよいよ《原爆の図》の梱包作業を行います。
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2015/5/30

《原爆の図》撮影相次ぐ  来客・取材

今月いっぱいで、アメリカへ渡る原爆の図6点の展示は終了します。残すところあと2日。
そのため、連日、駆け込みで撮影依頼が相次いでいます。

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この日はブックデザイナーの鈴木一誌さんと、写真家の西川茂さんが来館。
8月末に刊行予定の、1950年代の「原爆の図展」をまとめた拙著の口絵や表紙のための撮影をして下さいました。どんな表紙になるのか、まだ本の題名も確定していないのですが、とても楽しみです。

もう一組の撮影は、童心社のアーサー・ビナードさんの紙芝居。編集者のNさんと写真家の岡倉禎志さんが来館されました。紙芝居の方は全面的に構成を組み直し、写真も一から撮り直し。こちらは詳しい予定はまだ言えませんが、昨秋に見た内容より、はるかに良くなっていました。方向性は固まってきた感じです。

どちらも朝から一日がかりでの撮影、本当にご苦労さまでした。
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2015/5/28

【「知られざる原爆の図」集荷の旅・3日目】堺〜大阪人権博物館  調査・旅行・出張

堺の街で朝の散歩。

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千利休生家跡。早朝なので敷地内には入れませんでしたが、井戸が見えました。

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路面電車の走る大通り沿いには、与謝野晶子生家跡。歌碑もあります。

海こひし潮の遠鳴りかぞへつゝ少女となりし父母の家

戎(ザヴィエル)公園(日比屋了慶屋敷跡)にはザヴィエル芳躅の碑。

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自由都市・堺の“黄金の日々”の面影が残ります。

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同じ公園内には、安西冬衛の「春」の詩碑も。

てふてふが一匹革達革旦海峡を渡って行った

安西冬衛は旧制堺中学の出身なのですね。

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この日の作品集荷は、大阪人権博物館所蔵の原爆の図《高張提灯》。

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朝一番に集荷作業を済ませて、大阪を出発。ひたすら高速道路を走り、午後9時頃に埼玉県の丸木美術館に搬入を済ませることができました。
たいへんお世話になった輸送業者のHさんに、心から御礼を申し上げます。
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2015/5/27

『朝日新聞』夕刊「各駅停話」つきのわ駅編  掲載雑誌・新聞

各駅停話382 東武東上線㉛つきのわ のどかな景色と原爆と
――2015年5月27日付『朝日新聞』夕刊

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沿線ごとに駅にまつわる物語を一駅ずつ連載していく「各駅停話」。
つきのわ駅の紹介で丸木美術館が取り上げられました。
私のコメントには多少記者さんの解釈も入っているように思うのですが、「のどかで自然にあふれる風景が広がる」ことに間違いはありません。
駅から徒歩30分、ゆっくり歩いてご来館ください。
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2015/5/27

【「知られざる原爆の図」集荷の旅・2日目】姫路〜高野山〜堺  調査・旅行・出張

早朝、輸送業者のHさんとともに姫路を散歩。
彫刻の輸送を専門とするHさんがかつて設置したという、姫路駅から姫路城に続くメインストリートの野外彫刻を見ました。

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写真は舟越保武《花を持つ少女》。柳原義達や佐藤忠良など、良質な作家の彫刻を展示しているのがHさんにとっては誇りのようです。

これ以上ないほどの晴天に恵まれ、“白鷺城”の異名をとる姫路城は眩いばかりに白く輝いていました。

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世界遺産巡りではないですが、姫路を出発して高野山へ。
高野山にある寺院のひとつ成福院には、先代住職・上田天瑞がビルマから贈られた釈迦如来を本尊として、戦死者の供養を目的に建てられた摩尼宝塔があります。

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「人間の浅ましい姿を反省しつつ、その中にひそむ価値創造の生命力に目覚の永世に生きんとする希望の塔です。不安定な現世を宗教と芸術と生活とを一体とし何者か永遠なるものを求めんとする実践の塔です」という建立趣旨のこの塔は、回廊部が宗教美術館となっていて、丸木夫妻が《原爆の図》二部作を奉納しているのです。

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Hさんの手際よい仕事のおかげで、4mほどの高所に飾られていた《原爆の図》二部作を無事に梱包。今回の集荷の最大の難関が片づきました。

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標高800mの山を一気に下って、この日は大阪・堺に宿泊です。

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大阪〜高野山の道中で、もっとも印象的だったのが、富田林市で見かけた白い巨塔でした。
この塔は、「大平和祈念塔」といい、正式名称は「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」。通称は「PLタワー」。
あの桑田・清原のPL学園で知られるPL教団が建てた、180mという圧倒的な高さの塔です。

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PL教団は「人生は芸術である」の真理のもと、各人の真の個性を世の為人の為に最大限発揮し、ひいては世界人類永遠の平和と福祉の為に貢献する事を目標とする、というから、詳しいことはよく知りませんが、どこか摩尼宝塔の建立趣旨と重なる部分もあります。

宗教には「平和」と「芸術」に親和性があるのでしょうか。
高野山は宗教美術、こちらは前衛の塔。前衛というより、どこか懐かしい近未来SF世界のような、どちらかといえば「キッチュ」な存在感です。

1970年の建設というから、岡本太郎の《太陽の塔》の影響もあるのでしょうか。
誰がどのような意図と経緯でデザインを考えたのか、ネットで検索してもすぐに答えが見つかりませんが(設計は日建設計、施工は東急建設とのこと)、このような不思議な塔を作ってしまうのだから、つくづく人間というのは面白いと、何だか心を打たれてしまったのでした。
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2015/5/26

【知られざる原爆の図」集荷の旅・初日】長崎〜姫路  調査・旅行・出張

朝一番の飛行機に乗って、長崎へ。
6月から特別展示「発掘!知られざる原爆の図」展で公開を予定している、長崎市原爆資料館所蔵の《原爆長崎之図》二部作の集荷です。
輸送業者のHさんと現地で待ち合わせ、さっそく作業に取りかかります。

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1954年に練馬のアトリエで制作され、東京都美術館の「日本アンデパンダン展」で発表後に長崎市に寄贈された《浦上天主堂》(写真)と《三菱兵器工場》。

前日からこの日にかけて、共同通信長崎支局の配信で、『東京新聞』、『中国新聞』、『産経新聞』、『日本経済新聞』、『長崎新聞』など各紙に報じられましたが、“故丸木夫妻の「原爆の図」里帰り 60年ぶり埼玉へ”という見出しは適切かどうか……。
美術館が開館したのは今から48年前なので、埼玉県では初公開になります。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015052502000222.html

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H0C_V20C15A5000000/

http://www.sankei.com/region/news/150526/rgn1505260028-n1.html

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ともあれ、集荷後すぐにトラックに同乗し、長崎の滞在時間はわずか1時間程度でした。

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写真は嬉野SAからの光景。佐賀県です。
関門海峡を渡り、この日は姫路まで戻って宿泊しました。
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2015/5/22

「発掘!知られざる原爆の図」展のお知らせ  特別企画

原爆の図アメリカ展の準備も何とか進み、6月2日には《原爆の図》6点が梱包され、米国ワシントンD.C.に向けて丸木美術館を出発する予定になっています。

「《原爆の図》がなくなってしまったら、展示はどうなるのですか?」と多くの方に聞かれるのですが、ご心配なく。
6月3日からは特別展示「発掘!知られざる原爆の図」がはじまります。

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《原爆の図》15部連作で知られる丸木夫妻ですが、実はこの15部作以外にも、さまざまな“番外”ともいうべき《原爆の図》を描き残しています。
1954年に初めて長崎を訪れた際に取材し、当初は第7部、第8部として制作される構想もあった「原爆長崎之図」の二部作《三菱兵器工場》と《浦上天主堂》。
1959年にビルマ戦没者慰霊のため建てられた高野山成福院の摩尼宝塔に奉納された二部作《火》と《水》。
1982年に東京・葛飾区の勝養寺に依頼されて描いた《幽霊》、《火》、《水》、《夜》の4部作。
1986年に被爆後の差別問題を描いた《高張提灯》(大阪人権博物館蔵)などです。

これらの作品は、さまざまな事情から、ふだんはほとんど見ることができません。
しかし、どの作品も、それぞれの時代の丸木夫妻の画風を反映させており、見ごたえのある作品ばかりです。

被爆70年にあたる2015年夏、丸木美術館では、各地で大切に守り残されている《原爆の図》をお借りして、特別展示として公開いたします。

会期中の8月30日には、小沢節子さんをお迎えして、「知られざる《原爆の図》を見る」と題するトークも予定しています。
「知られざる《原爆の図》」を見に、ぜひ、この夏は丸木美術館にお越しください。

●特別展示記念トーク「知られざる《原爆の図》を見る」
2015年8月30日(日)午後2時より
出演:小沢節子(近現代史研究者、『「原爆の図」描かれた〈記憶〉、語られた〈絵画〉』著者)+岡村幸宣(丸木美術館学芸員)
参加費自由(入館料別途)
当日は市内循環バス運休のため、午後1時に東武東上線森林公園駅南口に送迎車が出ます。
※森林公園駅南口からタクシー約10分、つきのわ駅南口から徒歩27分(駅窓口で地図がもらえます)。
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2015/5/21

趙根在写真展/『沖縄 うりずんの雨』試写会/山内若菜展  他館企画など

午前中は、東京・東村山市の国立ハンセン病資料館で開催されている「この人たちに光を―写真家趙根在が伝えた入所者の姿―」を見てきました。

この資料館は、1993年に「ハンセン病に対する正しい知識の普及啓発による偏見・差別の解消及び患者・元患者の名誉回復を図ること」を目的として、国立療養所多磨全生園に建てられました。
常設展示も充実していて、ハンセン病患者・元患者のたどった差別や偏見による苦難の歴史を詳しく学ぶことができる施設です。

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1階の展示室には、古い映写機「フジセントラルF-61」(富士精密工業、1952年製)が展示されていました。
この映写機は、森田惠子監督の映画『旅する映写機』で見たことがあります。
http://www.eishaki.com/intro.do?cmd=detail&id=7

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映画館をはじめ、まるでひとつの町のようにさまざまな設備が整っていたのは、療養所が外の世界から隔離された存在であった悲しい歴史を示しています。

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その全国10ヵ所の療養所に通い、入所者とともに暮らしながら、2万点におよぶ写真を撮り続けた趙根在(チョウ・グンジェ、日本名・村井金一)の写真展が今月末まで開かれています。
趙根在の名前は、上野英信とともに編集した『写真万葉録・筑豊』の存在でおぼろげながら知っていました。
しかし、今回の展示で初めて知ったのですが、1961年に日大芸術学部を中退してから20年間、ずっとハンセン病療養所を撮り続けている方だったのです。
そのきっかけは、生家が貧しく中学校を退学して働いた炭鉱にありました。「地底の暗闇」で迎える死の予感に耐えられなくなり、「地上へ、光への脱出願望」をつのらせていた体験が、後にハンセン病療養所の入社への深い共感につながっていったそうです。

展覧会のタイトル「この人たちに光を」は、まさに写真家の思いそのものだったのですね。
劣悪な生活環境が原因で発病することのあるハンセン病の入所者が、一般社会よりも在日朝鮮人の割合が高く、入所者全体の約1割を占める園もあったということを、初めて知りました。
趙根在が撮影を続けたのは、同胞の苦難を見逃せなかったからでもあったようです。

彼の写真は、入所者たちの日常の生活を、温かく寄り添うようなまなざしで記録しています。
互いに不自由な指先で、向かいあって煙草の火をつける姿が、何枚も撮影されていて、深く印象に残ります。
本当の苦しみを知る人間同士の心のつながりが、写真から伝わってくるようです。

このところ、若い世代の広島・長崎や福島を主題にした表現にかかわりながら、体験していない者が表現することは可能か、という問題をずっと考え続けています。
いや、そもそも答えのあるものではないし、「体験」とは何かという問題もあるのですが、趙根在の写真を見ながら、自分の内なる経験と外の現実がつながってしまったとき、その衝撃がやむにやまれぬ何かを突き動かすということも「体験」なのではないか、狭義の「体験者」であろうとなかろうと、切実な表現はそこから生み出されるのではないかと、ふと思いました。

   *   *   *

午後からは岩波シネサロンに移動して、ジャン・ユンカーマン監督の新作映画『沖縄 うりずんの雨』(6月20日より岩波ホールほか全国でロードショー)の試写会を観ました。

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江戸末期のペリー来航までさかのぼり、東アジアの要石として沖縄を領有しようとする米国、そして差別し本土のための捨て石にしてきた日本のあいだで翻弄される沖縄の近代の歴史を丹念に解きほぐしていく2時間28分の見応えのある映画でした。

米国立公文書館所蔵の米軍による記録映像も掘り起こされ、戦場で戦った日米双方の元兵士や捕虜になった学徒隊員、チビチリガマの「集団自決(強制集団死)」の生存者、戦後の少女暴行事件で懲役刑に処せられた元米兵の証言など、取材対象も多岐にわたります。

上映後、ユンカーマン監督に少しだけご挨拶をしたのですが、ひとこと、ふたこと会話をしただけで伝わってくる深いやさしさには、いつもながら心を打たれます。この深いやさしさが、理不尽な暴力への怒りの根源にあるのだとあらためて思いました。
   *   *   *

その後は、銀座・中和ギャラリーで開催中の「山内若菜展」(5月23日まで)へ。

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2013年に神奈川県立近代美術館・葉山で開催された「戦争/美術 1940-1950」展を機に、丸木美術館に連絡を下さった若い画家です。
中和ギャラリーでは6年ぶりの個展だそうで、私は今回初めて作品を見せて頂きました。
浪江町の牧場を取材した際の風景を題材に描いたという壁いっぱいの大作に目を惹かれます。一見儚げで、しかし、土と風の匂いのするような作品。現実の風景と心象風景が入り混じったようでもあり、過去と現在の時間が折り重なるようでもあります。

彼女は文化交流としてロシアをたびたび訪れているそうで、シベリアの強制収容所と福島・飯館村の廃墟のイメージがつながったという《ラーゲリと福島》という作品も、深く印象に残りました。
福島を主題に継続的に取り組んでいくとのことで、今後も見続けたい作家のひとりです。
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2015/5/20

『毎日新聞』朝刊埼玉版に島田澄也展紹介  掲載雑誌・新聞

激動の戦前・戦中・戦後 体験描く 丸木美術館で島田澄也展
 ―― 2015年5月20日付『毎日新聞』朝刊埼玉版

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現在開催中の企画展「島田澄也展 蒼き昭和時代」が、毎日新聞埼玉版に紹介されました。
取材して下さったのは支局長の中山信さんです。

以下のWebページで記事全文を読むことができます(要無料会員登録)。
http://mainichi.jp/feature/news/m20150520ddlk11040209000c.html

さっそく、記事をご覧になった方が来場して下さるなど、反響が来ています。
どうもありがとうございました。
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2015/5/18

『朝日新聞』長崎版に竹田信平展プレ対談紹介  掲載雑誌・新聞

“被爆体験 芸術通し 竹田さん、作品を語る”
 ――2015年5月18日付『朝日新聞』長崎版

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長崎県美術館で今夏開催を予定している「竹田信平展 アンチモニュメント」のプレ対談企画の様子が、『朝日新聞』長崎版に紹介されました。

以下のWebページで記事全文を読むことができます(要無料会員登録)。
http://www.asahi.com/articles/ASH5K5DG8H5KTOLB006.html?iref=sp_area_nagasaki_list_n002

取材をして下さった八尋紀子記者に感謝です。
どうもありがとうございました。
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2015/5/17

長崎県美術館「竹田信平展」プレ対談  講演・発表

朝の飛行機で長崎へ飛び、長崎県美術館へ。
8月1日から9月13日まで開催される「竹田信平展 アンチモニュメント」のプレ対談企画に呼んで頂きました。

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今年で開館10年目を迎える長崎県美術館ですが、個人的には初めての訪問。
以前に長崎市内を訪れたのは15年前で、まだ美術館はありませんでした。そして2011年3月に計画していた長崎旅行は、東日本大震災の影響でキャンセルしてしまったのです。

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隈研吾の設計による、運河を跨ぐような二つの建物からなる美術館。
屋上庭園から見える景色は素晴らしく、海なし県から来たので汽笛の音や海鳥たちの声、潮の匂いに胸が高鳴ります。

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昼食は、運河の上の連絡通路にあるカフェで頂きました。
なかなか気持ちの良い空間です。

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午後2時からの対談に先立って、まず竹田さんが単独で記者会見。
続いての対談では、竹田さんがこれまでの作品をスライドで投影しながら自作を語り、岡村が丸木美術館での展覧会の経験も踏まえて、作品の背景や意味について竹田さんに質問をするという内容になりました。
(この対談の内容は、8月の展覧会の際に刊行される図録に掲載されるそうです)

司会を務めて下さったのは、竹田展の担当をされるN学芸員。6月からはじまる「フリオ・ゴンザレス展」の準備が大詰めでたいへん忙しそうでしたが、丁寧に対応してくださいました。

これまで長崎県美術館では「原爆」を主題にした展覧会企画がなかったそうで、今回の竹田さんが初めてとのこと。
それには、「原爆は長崎市が担当」という区分けが開館当初に設定されていたこと(実際、《原爆の図》をはじめ原爆を描いた美術作品は長崎市原爆資料館が所蔵しています)や、学芸員が全員長崎県外の出身で、原爆を扱うのがためらわれたことなどの理由があったようです。

そうしたなかで、今回、竹田展を実現させることができたのは、もちろん竹田さん自身の熱意があってこそですが、N学芸員の偏見のない誠実な姿勢が大いに影響していたのだろうと感じました。
また、竹田さんの作品が、原爆そのものを表現するのではなく、被爆体験の継承という問題意識を現代美術という手法で提示する内容であったことも、N学芸員の関心につながったのではないかと思います(N学芸員は、昨年の丸木美術館での個展にも足を運んでくださいました)。

ともあれ、会場に集まった大勢の方々やメディアの関心も高い様子だったので、長崎という“特別な場所”で竹田さんの作品にどのような反応があるのか、楽しみにしたいところです。

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夜は、竹田さんといっしょに中華街に繰り出し、麻婆豆腐や皿うどんなどを食べました。
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2015/5/16

東京国立近代美術館「片岡球子展」/フルブライト女性セミナー  他館企画など

午前中、東京国立近代美術館で開催中の「生誕110年 片岡球子展」へ。

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女子美術における丸木俊の先輩であり、丸木位里とは針生一郎らが主宰した「日本画研究会」にともに参加したという、丸木夫妻とも少々関わりのある画家です。
「面構えシリーズ」に代表される、従来のいわゆる“日本画”の端正な表現から逸脱する力強い表現は見ごたえがありますが、それにしても会場の混雑ぶりにはちょっと疲れました。

最近、かなり尖った方向に舵を切り、楽しみに観ているコレクション展示の方は、出光真子の映像《おんなのさくひん》が上映されていたものの、やや期待外れ感あり。
戦争画のコーナーで、小磯良平が描いた《娘子関を征く》(1941年)が展示されていたのには興味を惹かれました。

   *   *   *

午後からは、フルブライト女性セミナーに参加。講師は大石芳野さん(写真家)と山根和代さん(立命館大学)。テーマは「記録、記憶、継承」。
大石さんは写真をスライドで投影しながら、戦争の記憶を残すことの意味を語り、山根さんは平和学と戦争・平和博物館の役割について、世界の平和博物館を見て歩いた体験をもとに報告して下さいました。

最後の質疑応答で、大石さんが「写真は映像より伝える力が弱いかもしれないが、写っている人と対話することができる。私たちと違うのか違わないのか。これから世界はどうなっていくのか……。弱いはずの写真の方が、心に響く場合もある」と答えていたのが印象に残りました。

トークの後は「原爆の図アメリカ展」プロデューサーのHさんやカメラマンのSさんとともに喫茶店で打ち合わせ。いよいよアメリカ展が近づいて参りました。
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2015/5/15

『日本経済新聞』「文化往来」に島田澄也展紹介  掲載雑誌・新聞

2015年5月15日付『日本経済新聞』朝刊文化欄に「文化往来」に“島田澄也、驚異的記憶力で昭和を描く”との見出しで、現在開催中の企画展「島田澄也展 蒼き昭和時代」が紹介されました。

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取材をして下さったのは、オープニングトークに来館されたH記者です。
記事では、展覧会の内容や、島田さんの経歴、引退後に再び絵筆をとって「記憶画」を描きはじめたことなどに続いて、次のように紹介されています。

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 「俺は学校の成績は悪かったが、見たものは何でも覚えちゃうんだ」と島田。労働者のデモ行進を暗褐色の画面に描きだした「1930年頃のメーデー」、東京の空が真っ赤に染まる「東京大空襲」などからは暗鬱な時代の空気が濃厚に立ちのぼってくる。一方、ベーゴマ遊びや駄菓子屋などを描いた絵にはノスタルジーがあふれ、見ていてほほが緩む。
 担当学芸員の岡村幸宣氏は「写真にも残っていないようなイメージが描かれている。絵画の持つメディアとしての意味を考えさせられる」と話す。


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展覧会は7月11日まで開催中です。
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2015/5/13

長崎県美術館にて竹田信平さんとの対談のお知らせ  講演・発表

2015年5月17日(日)午後2時から、長崎県美術館で竹田信平さんとの対談を行うことになりましたので、ご案内いたします。
竹田さんの展覧会は、2014年夏に丸木美術館で開催しました。
そのときのご縁で対談のお話も頂いたのですが、70年前の記憶と私たちがどのように向き合うことができるのか、その可能性を、メキシコから原爆を見つめ続ける竹田さんとともに考えていきたいと思っています。
以下は、長崎県美術館のWebページより。

http://www.nagasaki-museum.jp/museumInet/sca/eveScheduleView.do?id=2985&command=lecture

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●概要
8月1日(土)から当館で開催する企画展「竹田信平 アンチモニュメント」のプレイベントとして、作家・竹田信平氏(1978〜 )と原爆の図丸木美術館学芸員の岡村幸宣氏(1974〜 )によるトークショーを開催します。戦後70年、被爆70年を迎えようとする今日、その記憶を我々はどのように引き継ぎ、将来に活かすことができるのか。被爆をテーマに長年作品制作を続ける作家と、戦争と平和と芸術に関する考察を積み重ね、岩波ブックレットより『非核芸術案内――核はどう描かれてきたか』(2013)を出版した学芸員との対談を通し、その可能性、あるいはその不可能性も含めて考える機会とします。

●開催概要  
日時:平成27年5月17日(日)14:00〜15:30   
会場:アトリエ
講師:竹田信平(アーティスト)、岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員)
定員:50名程度(先着順、13:30から受付)
◎聴講無料


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2015/5/10

板橋区立美術館「戦争の表象」  他館企画など

午前中、最終日の「上野の森美術館大賞展」を観に行ってきました。
長年、丸木美術館のボランティアをしている両岡健太くんの作品が賞候補に選ばれたのです。
不安定な時代の陰鬱な空気を描き出している点が評価されたのでしょうか。
ここ数年、着実に評価を高めている両岡くんの今後の活躍が楽しみです。

  *   *   *

その後、都内某所での打ち合わせを経て、午後2時からは板橋区立美術館の館蔵品展「近代日本の社会と絵画 戦争の表象」(6月7日まで)の記念講演会「予兆と現実、そして想起」を聞きに行きました。講師は近現代史研究者の小沢節子さん。

「予兆」(浜松小源太《世紀の系図》など1930年代後半のシュルレアリスム作品)、「現実」(新海覚雄《貯蓄報告》など「作戦記録画」と銃後の生活の間で描かれた戦時下の絵画)、「想起」(堀田操《断章》や山下菊二《オ時間デスヨ》、高山良策《1948年》、大塚睦《ハンスト》など戦後の政治的前衛と芸術的前衛を結びつけた“遅れて来た”シュルレアリスム作品)という三つのテーマに分けて、板橋区立美術館の30年にわたる地道で独自性の強い収集・研究活動を分析するという聞き応えのある内容でした。

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若手学芸員Hさんの確かな仕事ぶりに刺激を受けつつ、館内を奔走して(Hさんにもご協力いただき)今回、4種類印刷したという展覧会チラシをすべてゲット。
講演後、学芸室へお茶に誘っていただき、そこで頂戴したメロン(!)も美味でした。
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