2014/10/30

東大駒場博物館「ロベルト・ユンク展」トークセッションのお知らせ  講演・発表

東京大学駒場博物館ではじまった特別展「越境するヒロシマ―ロベルト・ユンクと原爆の記憶」 (12月7日まで)のサイド企画として、11月29日(土)午後1時より行われるトークセッション「僕らが見つめる戦争の記憶」に、ゲストスピーカーとして参加することになりました。

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ロベルト・ユンクが空間を越えてヒロシマの記憶をヨーロッパに運んだとするならば、時間を越えたところにいる現代の若者たちにはヒロシマの記憶は届いているのか、また、彼らは日本の外へ、あるいは次の時代へと、その記憶を時空を越えて(超えて)伝えてゆくことができるのか……という内容を考えるイベントとのこと。

私に何が話せるのかはわかりませんが、ともあれ、若い学生たちとのトークセッションということで、楽しみにしています。
入場無料、どなたでもご参加いただける企画です。
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2014/10/26

第五福竜丸展示館「新たなる出航のコンサート」  他館企画など

明治大学生田キャンパス内の探索を終えた後は、夕方から、都立第五福竜丸展示館へ移動して、「第五福竜丸 新たな出航のコンサート」を聴きました。

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演奏は、丸木美術館でもお世話になっているピアニストの崔善愛さんをはじめ、チェロに三宅進さん、ヴァイオリンは戸島さや野さん、竹原奈津さん、ヴィオラは大島亮さん。
さらに第2部では、岡原真弓さんをはじめとするオペラシアターこんにゃく座の歌役者の皆さんが出演されるという注目のコンサートです。

私の席は、第五福竜丸の甲板に並んで舞台を見下ろす「天井桟敷」。戸島さや野さんの妹Rさんと隣同士の場所でした。

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第1部の曲目は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第4番ハ短調作品18の4と、ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58。ピアノ+弦楽四重奏の演奏です。

そして第2部は2012年に亡くなられた林光さん特集。
三宅さんのチェロ独奏「裸の島の主題によるパラフレーズ」からはじまり、三宅さんと崔さんによるパブロ・カザルス「鳥の歌」と続いて、映画『第五福竜丸』の音楽をもとに林さんがあらためて作曲されたという「ラッキードラゴン・クインテット」。
「新たなる出航のコンサート」の名にふさわしい素晴らしい演奏に、会場からは大きな拍手が沸き起こりました。

そして最後は、1958年8月20日、第4回原水爆禁止世界大会の最終日に日比谷野外音楽堂で上演されたという翻案劇「最後の武器」より5つの歌、「民衆のよろこびのうた」、「すばらしい番犬のうた」、「23人の漁夫たちのバラード」、「預言者の苦難の讃歌」、「新しい出発の歌」が、オペラシアターこんにゃく座の歌役者の皆さんによって再演されました。

この作品は、ギュンター・ヴァイゼンホルン作「世界に警告する(ケッチンゲン・カンタータ)」を安倍公房が翻案し、千田是也の演出、林光の音楽、朝倉摂の美術といった豪華スタッフにより、語り手に女優の岸旗江、独唱に声楽家の関忠亮、ほか俳優座、民芸、青年座、三期会の有志と中央合唱団ら200名近くが参加して上演されたそうです。
「23人の漁夫たちのバラード」は、もちろん、第五福竜丸の乗組員たちをテーマにした歌。

船乗りたちは 西からのぼる 太陽をみた
嘘の太陽は 赤く海を染め やがてもえつき もえつき
間もなく東から 本物の太陽がのぼると
白い灰が降り出した 降り出した
・・・・・・

ちなみに、この第4回原水爆禁止世界大会のポスターを手がけていたのは丸木俊でした。

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きっと俊さんも56年前に、この「最後の武器」上演を見ていたのだろうなあと、天井桟敷の上から感慨深く見届けました。

コンサートの合間には、出演者やスタッフの方がた、そして大勢のお知り合いにお会いすることもできました。
ここ数年、第五福竜丸展示館を中心とする皆さまとのお付き合いのなかで、本当に世界が広がっていったことを、あらためて実感しました。
いつもお世話になっているYさん、Iさんはじめ、関係者の皆さまに感謝です。
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2014/10/26

平和のための博物館ネットワーク全国交流会/明治大学登戸研究所跡  調査・旅行・出張

朝から、明治大学生田キャンパスで開催された「平和のための博物館ネットワーク」全国交流会に参加しました。
2日間の開催のうち、参加できたのは第2日のみでしたが、山田朗教授(明治大学平和教育登戸研究所資料館館長)による講演「自民党安倍政権下での歴史認識と歴史教育を巡る現状と平和博物館の課題」をはじめ、立命館大学国際平和ミュージアム、山梨平和ミュージアム、wam(女たちの戦争と平和資料館)、満蒙開拓平和記念館、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会の近況報告を聴くことができました。
また、短い時間ではありましたが、丸木美術館の近況と来年度の原爆の図アメリカ展に向けた取り組み、アーサー・ビナードさんによる原爆の図の紙芝居制作の話も報告することができました。

   *   *   *

実は、明治大学生田キャンパスは、戦時期に開設された「第9陸軍技術研究所」の跡地です。
防諜(スパイ活動防止)、諜報(スパイ活動)、謀略(破壊・かく乱活動・暗殺)、宣伝(人心誘導)のためのさまざまな秘密戦兵器が開発されていたので、秘匿名として「登戸研究所」と呼ばれていました。

現在は、旧登戸研究所の建物を保存・活用して「明治大学平和教育登戸研究所資料館」を設立し、登戸研究所の歴史を記録しつつ、歴史や平和などの教育拠点としているそうです。
今回の交流会でも、第1日目に資料館の見学があったようなのですが、私は残念ながら参加できなかったので、交流会の後で、個人的にキャンパス内を巡りながら研究所時代の跡をたどってみました。

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まずは、旧登戸研究所本館前のヒマラヤ杉並木。
登戸研究所の本館は、このヒマラヤ杉の南隣、現在の図書館との間に建っていたそうです。
この一帯は、登戸研究所当時の名残をもっともよく残す場所になっています。

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キャンパス東端の正門脇にひっそりと建っているのは、「動物慰霊碑」。
1943年、研究で用いられた実験動物の霊を慰めるために建立されたものです。

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台座を含めて、高さ約3m、幅約95cmの石碑は、動物慰霊碑としては国内最大級とのこと。

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敗戦後、研究所は証拠隠滅を図られますが、この碑の裏に刻まれた「陸軍登戸研究所」の文字は、かつてこの地に研究所が存在した事実を伝える貴重な史料となります。
この碑を建てた費用は、当時の首相兼陸軍大臣の東条英機から授与された陸軍技術有功章の副賞1万円(現在の1000万円相当)が使われたそうです。

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キャンパス内を歩いていくと、図書館前に古い消火栓が現存していました。
登戸研究所時代に設置された消火栓です(すでに消火栓としては機能していません)。

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こちらは学食棟前で埋もれていた消火栓。
よく見ると、旧陸軍の五芒星のマークが確認できます。
研究所内における化学兵器の開発・製造に伴う火災も想定されていたことを示す重要な遺跡とのことです。

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キャンパス内の南西奥には、登戸研究所第二科が研究施設として実際に使用していた建物、現在の「明治大学平和教育登戸研究所資料館」が建っています。
こちらの中も見たかったのですが、日曜は休館とのことでした。
館内には、登戸研究所の歴史的背景や運営体制、役割の変化、風船爆弾や生物兵器の研究開発、偽札製造などの資料が展示されているとのこと。非常に興味深い内容なので、機会があれば、ぜひ見学したいと思います。

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さらに、この付近には、通称「弾薬庫」と呼ばれていた倉庫跡(実際には「薬品庫」だったとも言われているが、詳細な用途は不明)も残っていました。
外観は台形ですが、内部は奥行き約3.2m、間口約2.7mの長方形で、天井の高さは約3mだそうです。

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第1校舎1号館裏のやぶの中にも、同じ形態の倉庫跡が残っていました。

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最後に、キャンパス北西の登校路を登り切った右手にある弥心神社(現生田神社)を訪れました。

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1943年に建立された神社で、研究所の前身である新宿区戸山ヶ原の陸軍科学研究所の「八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)」という研究(知恵)の神が分祀されているそうです。
また、研究中の事故による殉職者も合祀されていたようです。

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境内の片隅には、1988年に元所員有志によって建てられた登戸研究所跡碑もありました。
裏面には、「すぎし日は この丘にたち めぐり逢う」という句が刻まれ、研究所が存在していたという事実を忘れまいとする元所員の心情が込められているとのこと。
この頃から、元所員たちによって研究所の記憶が高校生たちに語られるようになり、市民運動に発展して登戸研究所資料館建設の道が開かれていったのだそうです。
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2014/10/25

田辺一乃講談「第五福竜丸」「ゴジラ誕生」  イベント

午後2時から、企画展「第五福竜丸/ゴジラ 1954→2014」の展示会場で、講談師・田辺一乃さんによる講談「第五福竜丸」「ゴジラ誕生」を開催しました。

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田辺一乃さんは、故・田辺一鶴師匠にスカウトされたことをきっかけに、長年務めていた仕事をやめて講談界に入られたという異色の経歴の持ち主で、現在二つ目の講談師です。

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講談「第五福竜丸」は、「私は船でございます。第五福竜丸と申します。元は漁船でございました・・・」という口上からはじまり、船そのものを語り部として、1954年3月1日のビキニ環礁での米軍水爆実験による被ばく事件をわかりやすく丁寧に語る内容でした。

しんみりとした語りのあとは、がらりと雰囲気が変わって「ゴジラ誕生」です。
1954年暮れに公開された映画『ゴジラ』の誕生秘話を、素朴でユーモアのある手描きのイラストレーションを巧みに使いながら見せていくという、笑いあふれる内容でした。

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プロデューサー・田中友幸をはじめ、特撮監督・円谷英二、音楽・伊福部昭、監督・本多猪四郎といった錚々たる顔ぶれのスタッフが、次々と登場します。
大勢のスタッフが苦労と工夫を重ねて、ようやくこぎつけた映画の“試写会”では、大戸島の山の向こうからゴジラが顔を出す名場面をまさかの再現!

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島の古老が「ゴジラじゃ〜」と叫ぶシーンでは笑いが起こり、さらにゴジラが姿をあらわすと、会場からは「おおお!」とどよめきが。

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さらに電車をつかんで持ち上げる場面や、国会議事堂を破壊する場面も見事に(?)再現。

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最後は、古生物学者の山根博士、科学者の芹沢博士、山根博士の娘の恵美子さん、そして若き宝田明が演じる尾形さんとオールスターキャストが勢ぞろいして、最終兵器オキシジェン・デストロイヤーによってゴジラが溶解するクライマックスへ。

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講談を聴いて、あらためて興味深かったのは、ゴジラの撮影開始(8月)から公開(11月3日)まで、わずか3か月程度しかなかったというスケジュールの制約でした。
当初、円谷監督は、先行するアメリカの特撮映画『キングコング』や『原子怪獣あらわる』に倣って、人形を使ったコマ撮りのアニメーションを検討したそうですが、時間的にとても間に合わないと判断し、窮余の策として着ぐるみでの撮影を考案したとのこと。
それが結果的に、これまでにはなかった新しい表現世界を開拓してしまうのですから、何が幸いするのかわかりません。

さらに翌1955年1月には米国政府と日本政府のあいだで第五福竜丸の被ばくに関する政治決着がなされるので、撮影がその後まで延びていれば、水爆実験の話題を蒸し返すような『ゴジラ』の公開は、困難になっていたかも知れません。
そうした意味では、本当に奇跡のようなめぐりあわせによって、人びとの記憶に残る“水爆実験映画”『ゴジラ』に命が吹き込まれたのだと思いました。

ご来場下さった皆さまには、心から御礼を申し上げます。
ゴジラ展会場で、たくさんのゴジラ作品に囲まれながら聴く講談「ゴジラ」は格別でした。
素晴らしい講談を演じて下さった田辺一乃さん、本当にありがとうございました。
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2014/10/24

アーサー・ビナードさん新作紙芝居『やわらかい はだ』撮影  来客・取材

今日は、朝から詩人のアーサー・ビナードさんと写真家の岡倉禎志さん、童心社の編集者の方がたが来館して、《原爆の図》の写真撮影を行いました。

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米国生まれで日本語の詩を書き、第6回中原中也賞を受賞するなど高い評価を受けているアーサー・ビナードさん。
実は現在、オリジナルの脚本によって、丸木夫妻の描いた《原爆の図》を独自の視点で切り取り、新たに再構成した実験的な紙芝居を制作中なのです。
タイトルは、『やわらかい はだ』(童心社より来春刊行予定)。

「《原爆の図》は100人が見れば、100通りの物語が生まれる作品」というアーサーさんが、ある家族を主人公にして、従来の《原爆の図》とはまったく異なる物語を紡ぎ出していく注目の紙芝居です。

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テレビ局も密着取材し、撮影の様子やアーサーさんのインタビューを収録していました。
「《原爆の図》は、ふつうの絵とは違う。見る人は、描かれた人といっしょになって、絵の中を探検する、そういうつくりの作品なんだ」
「この紙芝居を見たら、もう一度、《原爆の図》のなかを探検してみたくなるよ」
アーサーさん独特の感覚によって、《原爆の図》に新しい命が吹き込まれる、嬉しい予感がしてきました。

11月2日(日)には丸木美術館でアーサーさんの講演会「やわらかい はだ―原爆の図は本当に原爆を描いているのか?」を行います。
完成間近の紙芝居の内容をいち早く披露、実演して下さるという、たいへん貴重な機会です。
ぜひ、多くの方にご来場頂きたいと思っています。

アーサー・ビナード講演会
「やわらかい はだ―原爆の図は本当に原爆を描いているのか?」
日時 11月2日(日)午後2時開始 予約不要 参加費500円(入館料別途)
交通 東武東上線つきのわ駅より徒歩27分
当日は午後1時に東武東上線森林公園駅南口に送迎車が出ます(利用者多数の場合、お待ちいただくことがあります)。
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2014/10/21

日本経済新聞「老いの力十選」にスマ《簪》紹介  掲載雑誌・新聞

2014年10月21日付『日本経済新聞』朝刊文化欄の東京国立近代美術館主任研究員・保坂健二朗さんによる連載「老いの力十選」に、丸木スマの《簪(かんざし)》が紹介されました。

保坂さんは昨夏の「炭坑展」の際にトークゲストとして丸木美術館に来館され、そのときに丸木スマのファンだという話を聞いて、嬉しく思っていたところでした。

以下、記事からの一部抜粋です。

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 鳥、草木、蝶、猫、雛、様々な生き物によって、屏風仕立ての画面が覆い尽くされている。動植物の隙間も、この画家にとっては、精気のみなぎる空間なのだろう、様々な模様で埋め尽くされている。乱雑に描いているわけでないことは、右隻と左隻それぞれにおいて白がアクセントになっていることからもわかる。

(中略)

 本作は亡くなる前年の作品。死亡理由は殺害であるからにして、ここに死の予感などというものは一切ない。しばしば芸術家や美術史家は、人間にとって死は永遠の謎だから芸術はそれを主要な課題として扱うのだなどと語るけれども、80歳の(あえてこう言おう)老女が描いたこの生命力に満ち溢れた作品の前でもそう嘯けるかどうか。

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ご紹介下さった保坂さん、そして日本経済新聞社の担当記者のKさんに御礼を申し上げます。
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2014/10/20

川越スカラ座『消えた絵 クメール・ルージュの真実』  川越スカラ座

久しぶりに川越スカラ座へ行き、『消えた画 クメール・ルージュの真実』(リティ・パニュ監督、カンボジア・フランス、2013年)を観ました。

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1970年代のカンボジア、ポル・ポト率いる「クメール・ルージュ」による数百万人の市民の大虐殺の歴史を、生存者である監督自身の独白とともに、カンボジアの大地から作られた土人形によって状況を再現し、詩のような映像で伝えるという作品。
記録として残されなかった/抹消された出来事を、記憶をもとに民話のような語りで成立させるという手法に、心を揺さぶられました。



再現不可能の極限状況を、表現を介した想像力で伝えるという手法は、丸木夫妻の《原爆の図》や、水木しげるの『総員玉砕せよ!』などの漫画を思い起こしました。
時おり挿入されるポル・ポト政権下に撮影された当時の映像が、統治していた側にとって都合のよい「選ばれた」記録であったことと、素朴なつくりの土人形が織りなしていく「消された」記憶の対比が鮮やかで、歴史を語ることの意味を考えさせられます。
流れるような動きの、いわゆる「アニメーション」的な映像とは異なるリアリティと想像力の追及は、黒田征太郎さんによる『戦争童話集』の映像も連想させます。

記録に残されなくても、不条理な圧力によって人間性が破壊されても、名もなき民を主人公とする物語は強靭に語り継がれていく……という希望を感じることのできる、美しい映画でした。
川越スカラ座での上映は10月30日まで。火曜定休。
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2014/10/18

粟津潔 meets 秩父前衛派  企画展

企画展「第五福竜丸/ゴジラ 1954→2014」の関連企画として、午後2時よりスペシャルライブ「粟津潔 meets 秩父前衛派」を行いました。

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はじめに、粟津潔のポスターが貼りめぐらされた展示室で、ご長男の粟津ケンさん(KEN主宰)が、粟津潔の表現者としての精神についてのお話をして下さいました。

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今回の展示では、粟津潔のデビュー作である《海をかえせ》からはじまり、原水協時代のポスターを軸に、その後の幅広い活動の中から反戦や反核、人権問題など社会性の感じられる仕事を主に紹介しています。
「多岐にわたる活動を短い時間で話すのは難しい」と言いながらも、ケンさんは、「表現者がまっとうな仕事をしようとすれば権力に対峙するのは必然」と本質的な話をしていました。
とりわけ、「忘れ去られていくものを掘り起こす」という点で、粟津潔の仕事と笹久保伸の「秩父前衛派」は共通しているのではないか、というのがケンさんの視点です。

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秩父出身のギタリスト笹久保伸さんは、ペルーに渡り、アンデス音楽を学んできましたが、近年は「秩父前衛派」と名乗り、秩父が歴史的に背負ってきた土着の“前衛性”に関心を広げ、音楽はもちろん、映画、絵画などさまざまな領域を横断するように表現活動を展開しています。

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かつて秩父地方で織物づくりや農作業の合間に庶民に歌われ、高度経済成長の時代に消えていった“仕事歌”を掘り起こし、『秩父遥拝』と題するCDを出したばかりの笹久保さん。

この日のライブでは、はじめに秩父の機織り歌を2曲と「武甲山の雨乞い歌」を歌いました。

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続いて、ペルーの山岳地域アヤクーチョ出身のケチュア語の歌手イルマ・オスノさんが、笹久保さんのギターとともにアヤクーチョの仕事歌などを歌いました。

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10歳頃までは、実際に仕事歌を聞きながら育ったというイルマさん。
独特の音域、節回しで歌う彼女の歌声は、丸木美術館にアンデスの風をもたらします。

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続いては、民俗楽器サンポーニャを演奏する青木大輔さんが加わり、アンデスの風は一気に加速度が増しました。
群馬県高崎市出身の青木さんは、9歳で日本に出稼ぎに来ていたペルー人にサンポーニャを教わり、以後、サンポーニャひとすじ、独学で研鑽を積んできたという“鬼才”です。

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その圧倒的な存在感には、初めて「秩父前衛派」の演奏を聞いた丸木美術館事務局のYさんも度肝を抜かれたようです。

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最後は三人そろってオリジナルのアヤクーチョの「カント」を演奏。
イルマはアヤクーチョ伝統の巨大なハサミを手にして、鳴らしながら歌います。

ペルーの山岳地帯・アヤクーチョと日本の山岳地帯・秩父の融合。
決して大勢の観客が集まったわけではなかったのですが、その分、演奏者と客席との距離が近く、濃密な雰囲気のライブになりました。

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最後に、残ってくれた熱心な観客の方がたと出演者で記念撮影。
友の会会員のTさんは、この日の夜、購入したCD『アヤクーチョの雨』を聴いて、興奮のあまり眠れなくなってしまったそうです。

この土地から生まれる/この土地からしか生まれない“文化”を大切に育て、再発見していく。
その意味では、「秩父前衛派」の活動には大いに共感するところがあるので、今後も彼らの活動を見続け、また機会をみて演奏会を企画したいと思っています。
今度は、もっと大勢の方に見に来て頂ける企画として。

素晴らしい演奏をして下さった秩父前衛派の皆さん、そして観客の皆さんに、心から御礼を申し上げます。
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2014/10/13

「第五福竜丸/ゴジラ展」黒田征太郎トークペインティング  企画展

台風が近づくなか、午後2時から黒田征太郎さんのトークペインティングを開催しました。
昼頃から雨が降りはじめ、誰も来なかったらどうしようと心配していたのですが、参加して下さったお客さんは約20人ほど。とても嬉しく思いました。

トークは、まず、黒田さんのお名前「征太郎」の話からはじまりました。
昭和14年、1939年生まれの黒田さんは、征服の「征」が名前に入っていることについて、私たちの世代はずっと戦争を背負っている、と言います。

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黒田さんのお父さまは、もともと筑豊で炭鉱の仕事をしており、大阪に出てきて軍需産業の会社を興し、戦争とともに経営を拡大していったとのこと。
戦争と生活が深くつながっていた時代に、黒田さんは生まれてきたわけです。

5歳の頃に、西宮に転居。そこで空襲を体験します。
そのとき避難所になった母校の小学校を、再び訪れたのは1995年の阪神大震災の直後。
偶然通りかかった避難所が母校だったと気づいたとき、自分の人生は避難所から避難所を渡り歩いてきただけだったのではないか、と感じたそうです。

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戦後すぐに父親を病気で失い、「国の破たんと家庭の破たんが同時に来た」という黒田さん。
生活は困窮し、10代で輸送船の船員として働くようになりましたが、そのとき頻繁に渡っていたのが、沖縄でした。ベトナム戦争に向かう兵士たちとも、いっしょに船に乗っていたとのこと。
「沖縄に米軍基地を作るのにも加担していた」との思いもあるそうです。

作家の野坂昭如さんとの出会いや、米国へ移住し2001年の「9.11」を間近で体験したことも、黒田さんが戦争を考え、表現し続ける大きな道標となったようです。
奇跡のように生まれてきた命の可能性を使い切ることが一番大事、と考える黒田さんにとっては、本人の思いに反して命を断ち切られる戦争は、理不尽そのもの。

決して声をあげて「戦争反対!」「原発反対!」と叫ぶ生真面目な人間ではない、と言いつつも、誰もが自由に生きることのできる世界を作るために、自分に何ができるかを考え続けていらっしゃるようでした。

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そんな話を1時間ほどしてくださったあとで、黒田さんは一本のクレヨンを取り出しました。
「クレヨンはどうしてできたのか?」という突然の難しい質問に、会場の人びとは戸惑います。

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目の前にきれいな花があって、持って帰りたいと思ったとき、花を摘むと枯れてしまうかもしれない、だから、その代わりにクレヨンで花を描いたんだ、と言いながら、さらさらっと一輪の花の絵を描く黒田さん。

今、生きていることを、記憶するために描く。
それが黒田さんにとっての絵なのだということが、とてもよくわかりました。

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それから、みんなで自由に絵を描くことになりました。
今、生きていることを、記憶するために。

それぞれが描いた絵の上に、黒田さんも絵を描いて下さるそうです。
大人も子どもも、クレヨンを持って、一所懸命に手を動かしています。

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丸木俊さんの姪で、絵本作家のひさ子さんも参加して下さいました。
ひさ子さんが描いた野菜の上に、黒田さんが生きものたちの絵を描いて、とても素敵なコラボレーションになりました。

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楽しい時間を過ごすことができて、みんな大よろこび。
最後に黒田さんは、みんなで丸木美術館を大事にしよう、と呼びかけて下さいました。

《原爆の図》がアメリカに渡るときには、ニューヨークの街に車で《原爆の図》のスライドを投影しながら走り回ったら面白いんじゃないか、と大胆な提案もして下さいました。

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今回の展覧会で、黒田さんは《原爆の図》への応答のように、絵のなかに描かれた子どもたちの姿をたくさん描き出して下さいました。
それらを、黒田さんがこれまでに描きためた絵といっしょに、壁いっぱいに作品を展示して下さっています。

戦争をテーマにしているのに、見ているだけで楽しくなってくるような、不思議な空間です。
優しく、力強く、温かく、繊細な、黒田さんの人柄が、絵のなかから伝わってくるようです。
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2014/10/12

第五福竜丸展示館「黒田征太郎展」オープニングイベント  館外展・関連企画

丸木美術館の休みを頂き、午後1時から、都立第五福竜丸展示館ではじまった黒田征太郎「フクリュウマル展」(12月10日まで)の、オープニングイベントに家族で参加しました。

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黒田さんが描いた第五福竜丸とキノコ雲の絵の大きなバナーが天井から吊り下げられ、第五福竜丸の船体のすぐ下には、黒田さんの絵がたくさんならんでいます。
現在、丸木美術館で開催中の「第五福竜丸/ゴジラ 1954→2014」展に展示されている、《原爆の図》に触発された黒田さんの絵画の複製も紹介されていました。

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75歳という年齢を感じさせない若々しい黒田さん。
ベン・シャーンの「STOP H BOMB TESTS」のポスターのとなりで、さっそく嬉しそうに、ベン・シャーンに触発されて絵を描かれていました。
描くことが生きることそのものだ、という気持ちが伝わってきます。

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絵は利き手だけでなく、もう一方の手で描くこともできる。
目を瞑って描くこともできれば、開いて描くこともできる。
私たちのもっている体の可能性を、できるだけ生かして描くことができれば面白い。

私たちの命は、奇跡のように生まれてきた。
その命が、私たちの思いに反して、理不尽に断ち切られることもある。
だから今日は、私たちがここにいる「今」をテーマに描こう。

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そんな黒田さんの話を聞いた後、画用紙に黒田さんが描いた「かたち」をベースにしながら、参加者はクレヨンなどを使って、それぞれ自由に絵を描き足していきました。

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できあがってきた作品を、デザイン事務所K2のスタッフの皆さんが、ひとつの壁画のようにならべて、貼り付けていきます。

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その上から、さらに黒田さんが、絵と絵をつなぐように、丸を描いたり線を引いたり、黒いクレヨンでぐいぐいと描き足していきました。
画面中央、画用紙が少しぐちゃぐちゃになっているのは、生後5か月のわが家の末っ子も参加して、「描く」だけでは飽き足らずに、紙を「握る」という表現も発揮してしまったからです。
黒田さんは、その皺だらけの作品も、ちゃんと線でつなげてくださいました。

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こうしてつながった絵の上から、またみんなで描き足してみよう、と黒田さん。
絵はうまいとかへたじゃない。気持ちを描くことが一番大事。
いろんな人が参加して、今日、ここでしかできない作品ができあがったら、それをまたバラバラにして、みんなで家に持ち帰ろう、と話してくださいました。

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絵の上に乗っかって、みんなで思い思いに描き足していきます。
最初は「何を描けばいいのかな?」と考え込んでいた参加者も、だんだん自由になって、何も考えずに、勢いで手を動かしていくようになりました。

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大きな第五福竜丸のすぐ下で、みんなで絵を描く光景。
なんだかとても面白い、嬉しい気持ちになりました。

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できあがった作品を前に、黒田さんも嬉しそうです。
この絵の前で、みんなで写真を撮ろう!と言いました。

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とても楽しいイベントが終わった後は、屋外でパーティがはじまりました。
第五福竜丸展示館のI学芸員が用意して下さった美味しいおでんや、稲荷寿司、肉団子、エビフライなどなど、美味しい料理と飲み物を楽しみながら、いろいろな方と話をしました。
子どもたちに声をかけてくれたり、遊んだりしてくれた皆様に感謝です。

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台風が接近中とのことでしたが、天気が良くてとても気持ちの良い一日でした。
明日13日は、午後2時から丸木美術館で黒田さんのトークペインティングを行います。
何とか台風の直撃は免れそうですが、雨はちょっと心配です。
せっかくの機会なので、大勢のお客さんが来て下さることを、心から祈っています。
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2014/10/11

『東京新聞』埼玉版に「第五福竜丸/ゴジラ」展記事掲載  掲載雑誌・新聞

“核の脅威を想像する 丸木美術館「第五福竜丸/ゴジラ」展”
――2014年10月11日付『東京新聞』埼玉版

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丸木美術館で開催中の「第五福竜丸/ゴジラ 1954→2014」展の記事が、大きくカラーで紹介されました。
いつも取材して下さる中里宏記者に感謝です。
以下のWEBページで記事全文を読むことができます。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20141011/CK2014101102000140.html

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 第五福竜丸事件は原水爆禁止運動の契機となり、東西冷戦下で繰り返された水爆実験は「雨にぬれると放射能に汚染される」と子どもたちが恐怖するなど、当時の日本人には身近な核の脅威だった。

 ゴジラ世代の画家長沢秀之・武蔵野美大教授は、二〇一一年の東日本大震災後、「映画のゴジラを大きいゴジラとすると、『3・11』の原発事故で小さいゴジラ(放射能)が無数に生まれたのではないか」とイメージした。翌一二年八月、東京・小平市の中学校で学生、中学生、市民を巻き込んで、それぞれが想像したゴジラを描くワークショップを開いた。

 今回の企画展では、そのときの作品などを中心にした「大きいゴジラ 小さいゴジラ」をメーンに展示。パラフィン(石ろう)で作られた小さいゴジラが無数に並べられ、壁や戸袋からは大きいゴジラの目やしっぽがのぞく。擬人化されたゴジラや着ぐるみのゴジラが登場する漫画風の作品など、学生や子どもたちが描いた想像上の小さいゴジラたちも並ぶ。小さい家の模型をのぞきこむと、六〇年代風のちゃぶ台のある部屋で、新婚のゴジラ二頭がくつろぐ情景が見えるといった思わず噴き出してしまう作品もある。

 展示室には、小さいゴジラを主題にしたユーモラスなアニメーション作品が流れ、ポップで楽しめる内容だ。


(記事からの抜粋)

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さて、台風が近づいているので、やや心配なのですが、13日(月/祝)午後2時からは、《原爆の図》に触発されて描いた新作絵画群を出品して下さっているた画家・イラストレーターの黒田征太郎さんによるトークペインティング(参加費500円、入館料別途)も開かれる予定です。

ぜひ、多くの方にご来場頂きたいと思っています。お待ちしています!!
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2014/10/5

美術館ニュース第119号発送作業  美術館ニュース

年4回発行している丸木美術館ニュースの、第119号の発送作業。
大型台風の迫る中、8名のボランティアの方々(!)が参加して下さり、無事に作業を終了しました。
ご参加下さったボランティアの皆さま、どうもありがとうございました。

今回の表紙の絵は、丸木俊による「第6回原水爆禁止世界大会予備大会」のスケッチ。
現在開催中の「第五福竜丸/ゴジラ展」でも粟津潔・杉浦康平の第6回原水爆禁止世界大会ポスターを展示していますが、壇上には、二人がデザインしたシンボルマーク(この1960年の第6回大会から使われるようになりました)も大きく掲げられています。
以下に、ニュースの目次と、表紙画像を掲載いたします。

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丸木美術館ニュース第119号 (発行部数2,500部)

〈主な記事〉
2014年・被爆70年 原爆の図米国展開催に向けて なぜ今「原爆の図」をアメリカで展示するのか(小寺 隆幸) …… p.2
リレー・エッセイ 第51回 「ベータ崩壊展」を振りかえって (竹田 信平) …… p.3
特別展示「はだしのゲン」絵本原画展 川口隆行さん+小沢節子さん対談「『はだしのゲン』を読み解き、読み継ぐために」…… p.4
8・30 加藤登紀子トーク&ライブ 『広島 愛の川』を歌う 報告(小寺 美和) …… p.6
「第五福竜丸/ゴジラ 1954→2014」展オープニング 長沢秀之さん+岡村幸宣対談「想像力としてのゴジラの復活」 …… p.7
連載 丸木位里・丸木俊の時代〈第20回〉 黒川医院と近藤浩一路/《峡壁》の衝撃/第二回藝州美術展の中止 (岡村 幸宣) …… p.8
連載 丸木美術館で学ぶ―教育の現場から―〈第3回〉 アジア学院における平和構築の学び (大柳 由紀子) …… p.10
丸木美術館情報ページ/ショップ便り (小寺 美和・田中実花子) …… p.11
写真で見る 丸木美術館の日常風景 (山口 和彦) …… p.12
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2014/10/2

リリック小川にて出張授業  講演・発表

午後1時半から、埼玉県比企郡小川町のリリック小川(小川町公民館)にて、県立O高校の2年生を対象に、沖縄戦についての出張授業を行いました。

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小川町は外秩父の山に囲まれた盆地になっていて、「武蔵の小京都」と呼ばれています。
伝統工芸の和紙でも知られ、丸木位里の愛した日本酒「晴雲」の晴雲酒造もあります。

丸木美術館の関係者としては、2002年に亡くなられた理事の栗原克丸さんが、この県立O高校に40年間勤められ、学校図書館運動に力を注いでいたことを思い出します。
栗原さんはご自身も詩人として活動し、退職後に「冬扇社」を設立、亡くなるまで『冬扇通信』を発行されるなど、地域の文化に大きく貢献されていました。
ちなみに栗原さんの娘は詩人の木坂涼さん、その夫がアーサー・ビナードさんです。

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今回の出張授業は、沖縄修学旅行の事前学習という位置づけでした。
修学旅行の旅行代理店の担当者が、数年前の丸木美術館の学芸員実習生という縁もあって、話を下さったのかもしれません。
沖縄戦の授業というのは、実は初めての体験だったのですが、当時の記録映像や、丸木俊を特集した10分ほどのテレビ映像を参考に見て頂きながら、@なぜ沖縄戦が起きたのか A沖縄戦の特徴とは何であったか Bなぜ、今、70年前の戦争について学ぶ必要があるのか という3つの大きなテーマを設定して、1時間ほど話をしました。

近現代史研究者のKさんご夫妻とともに、ここ数年、沖縄の南部戦跡や、パラオのペリリュー島の戦跡めぐりなどを続けてきたことが、こうして役に立つとは思ってもいませんでした。

先生方も、生徒たちも、とても気持ちよく出張授業に迎えて下さって、嬉しく思います。
きっと皆さん、沖縄の旅を楽しみにしていると思うのですが、69年前の戦争の記憶、そして今も続く米軍基地の不条理にも想像力を広げて、実り豊かな体験にして頂きたいと思いました。
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