2014/5/9

「最初に原爆を描いた画家」福井芳郎のインタビュー記事  作品・資料

少し前のことになりますが、NHKプラネット中国支社のSディレクターが、丸木美術館に取材に来館して下さいました。
NHK総合テレビの番組「プライムS」の被爆70年シリーズの一環として、「ヒロシマを描き続けて〜被爆画家・福井芳郎〜(仮)」という番組を制作されているのです。
(放送は6月27日午後8時より、中国地方5県向けの予定)

広島の原爆投下から1時間以内に燃え上がる街をスケッチし、「最初に原爆を描いた画家」とされる福井。しかし米軍占領下の時代には、焼け跡の風景画の発表のみにとどまり、その間に発表された丸木夫妻の《原爆の図》の後を追うように、1952年4月の占領終結後に《炸裂後15分》などの油彩画を発表しています。

福井が丸木夫妻について言及している資料はあまりないのですが、太平洋地域のアメリカ軍総司令部が発行していた英字新聞『Pacific Star & Stripes』1952年7月7日号に、Fred Saito記者によるインタビュー記事が掲載されています。

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丸木夫妻の名前は出ていませんが、記事の中で言及される「a Communist artist」(単数形ですが)が、当時日本共産党員だった(1964年に除名)丸木夫妻を指しているのは間違いないでしょう。

以下に、英文記事と、その拙訳を掲載いたします。

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Japanese Says Sight Beautiful, Dreadful
Artist Portrays Hiroshima Blast

By Fred Saito

HIROSHIMA (AP)―A Japanese painter is now trying to capture on canvas the most unforgettable sight of his life―a sight both beautiful and dreadful.
Yoshiro Fukui, 40-year old Hiroshima artist, was among the handful of survivors within the one-mile radius of the atomic explosion seven years ago.
The First of his series is an oil painting six feet high and 30 feet long. In the center of the scene, a young women looks up with forlorn eyes. Her baby is dead at her feet. To the right, a man carries his mother on his back. Others lie dead or dying.
Flames and smoke shoot up in the background. A patch of pure blue sky is seen above the inferno.

ALL THE PEOPLE in the scene are naked.
“The blast tore clothes from everyone, and these three I have painted dropped dead a few minutes after I saw them standing like this,” Fukui explained.
On the morning of Aug. 7, the artist was standing on the second floor of a military barracks near his present studio. He was a medical sergeant in the Army. From the window, he saw Hiroshima suddenly lit by a flash so bright it surpassed the strong summer sun.
“It was unearthly beautiful,” he said.

A MOMENT LATER he was pinned under the beams of the collapsing barracks. A few minutes after that, he was pulled out of the debris by another solder, who dropped dead shortly after.
In his dazed stupor, Fukui stepped out into the ruined street. Then he became wide awake as the unforgettable sights unfolded before his eyes.
Everything around him was in ruins. All the men and women were naked. They were falling dead by the roadside like burned flies. Flames were rising everywhere. The sky was still unbelievably blue.

FUKUI REMEMBERED his medical duties and ran to the dying. Men, women and children saw his uniform and muttered with their dying breath, “Soldier, revenge for me!”
But Fukui, a big, well built man with scars on his back from the falling beams, said the theme of his work would not be “revenge.”
“The voices of the dying rang in my ears until last year,” he said. “Those voices wracked my nerves and numbed my hands when they held the brushes.
“But now I feel my work can transcend it all, and I think it is my duty to reproduce my most unforgettable sight, which was both beautiful and dreadful.”

HE SAID HE ALSO felt the call when he saw many imaginary pictures of the Hiroshima bombing painted by a Communist artist. These lurid scenes were widely circulated by the Japan Communist party in its anti-American propaganda campaign.
But Fukui, who was there, has nothing but scorn and contempt for the Communist paintings.
“To call such dreadful sights beautiful may sound blasphemous, but nevertheless they appeared to me to have some element of surpassing, unearthly beauty, “Fukui said. “The Communist painting are only hideous and ugly.”
When Fukui finishes about a dozen of his Hiroshima series he will exhibit them in Tokyo, probably this fall.

IN HIS STUDIO were many other of his paintings―still lifes or landscapes. They showed touches of the refined French school.
But his A-bomb painting is altogether different―stark realism itself.
“I have always worshipped Cezanne, both his style and his way of living,” Fukui said. “But this is not for Cezanne. May be Van Gogh. Maybe something different, something entirely new, something all my own.” We must wait and see.
(Pacific Stars & Stripes Monday, July 7, 1952)

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日本人は「美しく、恐ろしい光景」と言った
ヒロシマを描く画家

フレッド・サイトウ

広島(AP)―ひとりの日本人画家が、彼の人生において忘れることのできない、美しく、恐ろしい光景を、描き出そうと試みている。
40歳の広島の画家・福井芳郎は、7 年前の原爆投下の際、半径1マイル以内における、数少ない生存者のひとりだった。
彼の連作の最初の作品は、縦6フィート、横30フィートの油絵である。画面の中心では、若い女性が絶望的な視線を漂わせ、彼女の赤ん坊は足もとで息絶えている。傍らでは、男が母親を背負って運んでいる。累々と横たわる瀕死の人々や死者たちの群れ。背後には炎と煙が立ち上る。そんな地獄の光景の頭上には、真っ青な空が広がっている。

描かれた人びとはみな、裸だった。
「爆風がすべての人の衣服を剥ぎ取った。ここに描いた三人は、私が立っている姿を見た後で、倒れて死んでいった」と福井は説明する。
8月7日(註:原文ママ)の朝、画家は現在のアトリエ近くの兵舎の2階に立っていた。彼は陸軍救護班に勤務していた。窓の向こうに、突然、夏の強い日差しを上回るほどの閃光に照らされた広島を見た。
「この世のものとは思えないほど美しかった」と彼は言った。

一瞬の後、彼は崩壊した兵舎の梁の下敷きになった。数分後、他の兵士によって瓦礫の中から救出されたが、その兵士はすぐ後に亡くなった。
彼は呆然としながら、焼け野原となった街路に歩き出した。そして、決して忘れることのできない光景に目を見張った。
すべてが廃墟となっていた。男も女も裸だった。道端で、虫けらのように焼け死んでいた。そこかしこで炎が燃え上がっていた。空だけが、信じられないほど青かった。

福井は救護班としての任務を思い出し、死に行く人たちのもとへ駆けつけた。男も女も子どもたちも、彼の軍服を見て「兵隊さん、復讐して下さい!」と最後の声を振り絞ってつぶやいた。
しかし、原爆で背中に傷を負ったものの、大柄で体格の良い福井は、作品のテーマは「復讐」ではないと言う。
「昨年まで、私の耳もとに死者たちの声が響いていた」と彼は言った。「彼らの声は、私の神経を不安に苛み、絵筆を持つ手の感覚を無くした」。
「しかし今は、描くことですべてを乗り越えることできると信じている。美しくも恐ろしい、最も忘れられない光景を再現することが、自分の義務だ」。

彼はまた、共産主義の画家によって描かれた広島の原爆の空想の絵を見て、使命を感じたと述べている。これらの不気味な作品は日本共産党によって反米プロパガンダのキャンペーンとして広く巡回された。
しかし、この目で現場をみた福井は、共産主義者の絵画に軽蔑の念を覚えた。
「凄惨な光景を美しく表現したいと言うと、冒涜に聞こえるかもしれない。にもかかわらず、そこには至高の美が潜んでいるように、私には思える」と福井は言う。「共産主義者の絵には恐ろしさと醜さしか感じられない」。
広島の連作を描き終えたとき、福井は東京で展覧会を開催する。それはおそらく、今年の秋になるだろう。

アトリエには、他にも数多くの彼の描いた静物画や風景画があった。それらの絵画は、洗練されたフランス教育を受けた筆致を示していた。
しかし、原爆の絵はそれらとまったく異なるリアリズムの表現だった。
「私は常にセザンヌの画風と生き方を崇拝している」と福井は言った。「しかし、これはセザンヌではない。むしろヴァン・ゴッホだ。おそらく今までとは違う、まったく新しいものが、私の中から生まれてくる」。私たちは、その作品を直視しなければならない。
(1952年7月7日付『パシフィックスターズ&ストライプス』)

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(翻訳協力:吉岡志朗)

実際に原爆を見た(8月6日に広島にいた)画家という立場から、丸木夫妻の《原爆の図》を醜い空想の絵と断定し、自分は「美」を見出したいと語る福井の対抗心と意気込みが伝わってくるインタビューです。

実際、彼は1952年8月に広島の福屋百貨店で原爆記録画の中間報告展を開催し、翌年8月に東京の日本橋白木屋で「ノーモア・ヒロシマズ広島原爆絵画展」を開催しています。

しかし、そこで発表された絵画が、丸木夫妻の《原爆の図》とは異なり、「美」を表現できたかというと、疑問の残るところです(むしろ個人的には、やはり丸木夫妻の作品こそが原爆を広義の「美」に昇華させていると感じます)。

また、占領時代の終結とともに『アサヒグラフ』の1952年8月の原爆特集に代表される「被爆写真」が大量に公開され、絵画で原爆を表現することの意味が、丸木夫妻の最初の《原爆の図》発表時とは変質していた点も、福井にとっては機を逸する大きな理由になったのではないかと思います。

ともあれ、丸木夫妻の作品ほどには社会に衝撃を与えることがなかった福井の作品は、その後、多くの人に知られることなく、現在は広島平和記念資料館に所蔵されています。
とはいえ、もちろん、その仕事に意味がなかったというわけでは、決してありません。
広島平和記念資料館の初代の被爆人形のジオラマの背景画を手がけたのが、「ヒロシマを描いた画家」である福井だったことも記憶に留めておきたいと思います。

知られざる福井の画業が、番組のなかでどのように取り上げられ、被爆70年という節目の年に向けて、新たな意味を見出されていくのか。
熱心に取材を進めているSディレクターの試みに、期待したいと思っています。
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