2014/5/7

週刊『新発見!日本の歴史』歴史ミュージアムに《原爆の図》紹介  掲載雑誌・新聞

朝日新聞出版より刊行されている週刊朝日百科『新発見!日本の歴史』第44号(5月18日号)現代4“敗戦・占領の「断絶と連続」”(1945-1950)の連載コラム“歴史ミュージアム”に、丸木夫妻の原爆の図第1部《幽霊》が大きく紹介されました。

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執筆者は、美術史家・美術評論家の足立元さんです。
占領期の「歪められた身体」”との見出しで、鶴岡政男《重い手》(1949年)、桂ゆき《婦人の日》(1953年)、大塚睦《ハンスト》(1949年)、北脇昇《クォ・ヴァディス》(1949年)も紹介されています。

以下は、記事から《原爆の図》にかかわる部分の抜粋です。

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 日本国憲法第21条には「表現の自由」が定められ、国家による検閲も禁じられたはずだった。だが実際、占領軍による封書の検閲は日常的に行われていたし、出版物の事前検閲という「見えない検閲」が存在し、占領軍への批判などは徹底的に言説空間から封殺されていた。絵画においても、軍国主義を批判するものはあっても、占領軍を批判するものはほとんど残っていない。

 朝鮮戦争の勃発によるアメリカ軍の移動に伴い、検閲による言論統制は1950年には収束していた。だが、丸木位里・俊夫妻の《原爆の図》の全国巡回展において、関係者がしばしば逮捕されたという証言が残っている。

 占領軍は、文化財保護行政や東京国立博物館の人事問題などに介入し、旧態依然としたシステムを排して「美術の民主化」に貢献したといわれる。とはいえ、占領軍と大手新聞社が結託し、共産主義色が強い画家たちを画壇の片隅へ追い込んだのも確かだ。戦後美術が始まる占領期には、東西冷戦構造が大きな影を落としていたのである。


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作品解説文には、「屏風仕立ての水墨画でありつつ、モデルの写生に基づく群像表現という点で、日本画と洋画の融合を試みた実験作である」との記述もあります。

この連載コラム、第42号(4月27日号)現代2“日中戦争 総力戦への道”(1937-1941)では、阿部合成《見送る人々》(1938年)や古賀春江《海》(1929年)など、第43号(5月4・11日号)現代3“アジア・太平洋戦争の全貌”(1941-1945)では、藤田嗣治《アッツ島玉砕》(1943年)や宮本三郎《山下、パーシバル両司令官会見図》(1942年)などの作品が、いずれも河田明久さん(千葉工業大学准教授)の解説によって紹介されていて、見応えがあります。
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