2014/3/23

増田常徳展トーク 徐京植+武居利史+増田常徳鼎談  企画展

連日の「増田常徳展」関連イベント。
午後1時から、「ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマ―3.11以後の社会と美術」と題して、徐京植さん(東京経済大学教授・作家)、武居利史さん(府中市美術館学芸員)、増田常徳さん(画家)による鼎談を開催しました。
この日も若い学生や美術館関係者など幅広い客層で、100人の方が来場して下さいました。

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トークの前半は、増田さんを中心に、展覧会の感想や長崎や福島を主題にした作品への思いを語る内容となりました。
そして会場からの発言なども踏まえた後半では、「3.11後」における美術の在り方、そしてそれを受け止める社会の側の問題について踏み込んでいく、たっぷり2時間の聞き応えのある議論でした。

後半部で、三人の出演者が立て続けに長く発言された内容が、今回のテーマの核心をついていると思われたので、抄録として書き留めておきます。

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増田 ぼくは、もろもろの出来事に対し、政治性だけを前に出すのではなく、昇華しなければいけないと思う。作品になるというのは、ポスターのように分かりやすくものごとを説明するのではなくて、制作のプロセスのなかで、自分をぎりぎりまで追い込んでいく。
美術館が展示を拒否するという問題がありましたけど、ぼくは拒否されても構いません。
作品の力、独創性を信じて将来に向かいたいと思う。

ぼくはどこで展示をさせてくれということは一切言わない。
美術館の側の要求と自分がやろうとするものが一体になっていいものを展示したいという気持ちがある。その先に起こるもの、アクションがなくてはいけない。
日本では、原爆をテーマに描くと、「お前はその時代に生きてもいないだろう」と攻撃される。
でも創造というのは、その場所に自分が行ったりしながら、触発され、ひらめくもの。
そういうことを心掛けてやっていこうと思っている。
皆さんは本当に直接でないと、直接ではないと言うけれども、自分がいま、行っている行動とか、描いている現実は、相当直接である。

抵抗がないと良い絵はできないと思う。抵抗というのは心の抵抗であり、葛藤であり、生活するうちに何をよしとするかということ。
それは若いときから現在までにだんだん整理されていくもの。向かうべきものは水が浸透していくように、もともとある。その道を変えてもだめなのではないか。そこで圧力を受けても仕方がない。
小林多喜二や田中正造のようになれるかどうかは、ぼくは直接そういう経験をしていないからわからないけれども……。

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 増田さんの作品にはリアリティがあると私は思う。しかし、今の日本のマジョリティにとっては、受け入れたくないものだろう。
ひどい災害が起きても責任を追及しないで明るい希望を見たいという人たちが多いなかで、こうした本当の闇の部分を表現できる人は非常に少ない。それを見て、こうした闇は自分のなかにあるかもしれない、と思う人もいる。それがアートの力。増田さんがどう思っているかは別として、「安倍政権打倒」というメッセージを描く以上に、とても政治的な表現だと思う。
そうした作品を、多くの日本人が見ることができる状況でないということは、増田さん個人の力というより、社会の問題でもある。

3.11以後、多くの映像や言説があふれたけれど、こういう風にマチエールと格闘して自分自身の身体的なエネルギーを注ぎ込んで、3.11後の状況とぶつかりあっている人は、多くはない。
野見山暁治さんはその一人。数日間被災地をまわって絵を描いた様子をNHKの「心の時代」が放送したなかで、野見山さんは「やっぱり廃墟は美しいなあ」とつぶやく。不謹慎だとかそういう言説ではないと思う。戦場だって美しいと思うから、浜田知明は絵に描いた。しかし、戦争賛美ではない。芸術の尺度はそうしたものとは違う。

加害と被害の問題を考えることは難しい。
アウシュビッツの生き残りのイタリアの作家プリーモ・レーヴィは、『溺れるものと救われるもの』を書いた翌1987年に、「どんなに書いても人は聞く耳を持たない」と絶望して自殺した。
彼は「灰色の領域」というエッセイのなかで、アウシュビッツの証言を聞く者たちは、どんな怪物のような悪人が善人をいじめたのかという二分法を聞きたがり、生還者が最悪の状況を逃れるためにあらゆる手段を使ったということを理解してもらえない、と書き残した。
そのことを取り上げて、「だから加害者と被害者を分けることはできない」という話は大嘘。
プリーモ・レーヴィもそれに反対して、「ナチスの悪魔的な知恵だ」と書いている。被害者は共犯に取り込まれて、自分は被害者だという意識さえ持てなくなる、と。

それは「福島の電気を使っているお前たちだって手が汚れている」という論理と同じ。
ある組織が善人と悪人を識別してジャッジメントを下せという話ではなくて、構造というものが持っている恐ろしいまでの邪悪さを私たちは透徹して知らなければいけないということ。
「灰色の領域」という言葉は、後ろめたい人が自己弁明のために「誰だって灰色の領域」と使うことがあるが、その認識がプリーモ・レーヴィを死に追いやった。「灰色の領域であることを強いるような構造をやめろ」と言って彼は死んだ。

増田さんがやっている仕事は、そういうことだと思う。人間の中にある保存、帰属、国益と言われたらすぐになびくような心の手触りや臭いを、見る者に感じさせる。

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武居 東京都美術館で政治的であるという理由で作品が撤去された問題は、東京新聞が一面で報じたから事件になったので、実は近年日常化している問題。
東京都美術館は税金で運営しているから、作品鑑賞の場であって政治的主張の場ではないという言い方がされるが、それは鑑賞する側の立場であって表現者のことを考えていない。
美術館を多くの方が利用するようになっていく過程のなかで、表現の自由がないがしろにされていると感じる。

増田さんの作品について考えるとき、戦後のリアリズム論争を思い浮かべる。
論争の中心にいたのが、神奈川県立近代美術館をつくった土方定一。
リアリズムには、見えるものを見えるように描く「写実主義」と、現実の社会の矛盾を描く「現実主義」という二つの考え方が存在し、混乱していた。しかし、土方はどちらでもない「第三のリアリズム」を提唱する。画家の造形思考が大事だという考え方。そこには、戦争に協力することによって画家自身が造形思考を自ら失っていった、ということへの反省の意識がある。

その土方が高く評価したのが、戦争に抵抗したという松本竣介らの新人画会のグループ。
彼らは「異端の画家」ではあるのだけれど、ある意味、戦後日本美術のスタートの時点では、土方によって「主流」に位置づけられた。
つまり、美術館は戦争に対する反省の上で展開されてきた。ところが、そうした流れが徐々にあいまいになっている。現代美術が注目され、リアリズムの絵画が顧みられなくなっている。

しかし、私が絵画を重要だと思うのは、土方の言う造形思考を見せてくれるメディアだということ。ただ原発の近くに行っても、原発の恐ろしさや被害の大きさは、そのまま描いたのでは描けない。画家はそれを形にできるし、色にできる。それが造形思考の力。
メディアや表現思考は多様化しているけれども、絵画の領域で伝える人は多くはない。
「異端」を「主流」に戻していく画家が必要なのではないかと思う。

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3.11後の芸術、そして今後の丸木美術館の企画の方向性についても考えさせられる、示唆に富んだ内容でした。
ご来場いただいた皆さま、そして増田常徳さん、徐京植さん、武居利史さんのお三方に、心より御礼を申し上げます。
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