2014/1/31

堀場清子『鱗片』  書籍

詩人の堀場清子さんから、『鱗片 ヒロシマとフクシマと』(ドメス出版、2013年12月刊)をご恵贈頂きました。

クリックすると元のサイズで表示します

「あとがき」によれば、堀場さんは、もともとこの本を書く予定ではなかったとのこと。
『堀場清子全詩集』の末尾に、福島第一原発事故のエッセイを数ページだけ付け加えるはずだったのが、「突然文字列が裂けて、《原爆》が噴き上げた。」・・・・・・14歳で体験された広島の原爆の、劫火に焼かれた重傷者の列が「私を取り巻き、休ませなかった」というのです。
そうした深い思いが、この562頁に及ぶ厚い一冊に結実されたことを想像すると、胸が痛み、重い本を持つ手に、いっそうの重みが感じられます。

まだ、第1章を読みはじめたばかりなのですが、あまり急いで読み飛ばさず、手もとに置いて、じっくりと、時間をかけて読み進めていこうと思っています。

『鱗片』というタイトル、そして表紙の装幀が、とても美しいと思いました。
鬼の能衣装、金と白の三角のウロコ模様がデザインされているそうです。
第9章「内なるデーモンを呼び醒ませ」の結びには、その「鬼の袖」について、次のような詩が記されています。

==========

われら まつろわぬ民
三角のウロコ連なる鬼の袖を
旗幟に立てる
狂気の政治を放逐し
呪われた原発を封じ込め
核のすべてを
暗黒と静止の元の巣へ回帰させて
われら 危機を脱し 〈いのち〉を守る
子々孫々の 〈いのち〉を守る
大地と海とのありとある 〈いのち〉を守る
社会の未来に 光さす日々を守る


==========

子どもの頃からの“鬼好き”としては、とても胸に沁みる、そして背筋が伸びるような、心に刻み込みたい言葉です。
3

2014/1/26

ギャラリー古藤「ガタロ展」トーク  講演・発表

午後、京都から新幹線に乗って東京へ戻り、練馬区のギャラリー古藤へ。

広島の基町アパートで清掃員として働きながら絵を描き続ける画家・ガタロさんの絵画展で、ギャラリートークを行いました。

クリックすると元のサイズで表示します

昨年、NHKのETV特集で放送され、大きな反響を呼んだというガタロさん。
会場には、力強い筆致で描かれた清掃具や原爆ドーム、自画像、そして原発事故を予見したような1985年の作品《豚児の村》などが壁面いっぱいに展示されていました。

おそらくは、現代の美術界の流行とは無縁のままに制作を続けてきたガタロさん。
とはいえ、作品を見ていると、ゴッホや村山槐多のような「夭折の画家」たち、あるいはケーテ・コルヴィッツや佐藤哲三のような「社会主義リアリズム」の画家たちの作品の雰囲気にも重なります。

今展の企画に尽力した武蔵大学教授の永田浩三さんによれば、広島では公募展にも出品していたようで(「選外」になったために、電車の「線外」に展示する「線外展」を独自に企画したこともあったとか)、決して自らの内に籠って制作するというわけではなかったようです。

会場をご覧になっていた近現代史研究者の小沢節子さんは、ガタロさんの素描のうちの一点に、山端庸介が長崎で撮影した写真の一部が引用されていることを指摘されていました。
そうしたさまざまな影響の跡が見えることは、ガタロさんが、一見、アウトサイダーアートのように見えながらも、実は非常に美術の研究を重ねていて、その上で自らの制作スタイルを選びとっていることを示しているのだと思います。

ギャラリートークでは、主に広島を主題にした作品を中心に非核芸術の系譜をたどり、ガタロさんゆかりの基町アパートが整備される前の、基町のバラック街「原爆スラム」を描いた作品も数点紹介しました。

夕方から激しい風が吹き、非常に寒い日だったにもかかわらず、40名近くの会場いっぱいの方がお集まりくださったことに、本当に感謝いたします。

そして、ギャラリー古藤のスタッフの皆さん、ギャラリートークにお招き下さった永田浩三さんには、貴重な機会を頂いたことに、心から御礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。
2

2014/1/25

ギャラリーヒルゲート「夜話市民講座」  講演・発表

福山から新幹線で移動して、夜は京都寺町のギャラリーヒルゲートで「夜話市民講座」。

クリックすると元のサイズで表示します

画廊主の人見ジュン子さんにお呼び頂いて、「核を描いた表現者たち−丸木夫妻をはじめとして−」と題する、1時間ほどのスライド&トークを行いました。

嬉しかったのは、奈良から、昨年丸木美術館の企画展でお世話になった彫刻家の安藤栄作さんと長谷川浩子さんのご夫妻が駆けつけてくださったこと。

クリックすると元のサイズで表示します

写真は右から安藤さん、岡村、長谷川さん、彫刻家のノブコ・ウエダさんです。
この日は他にも、芸術や社会問題に関心を持つ幅広い分野の方々が、人見さんのお声掛けで集まってくださいました。
京都の画廊でトークを行うのははじめてのことだったのですが、たくさんの質問や感想をいただき、とても気持ちよく話すことができました。

   *   *   *

トークの後は、近くのお店で打ち上げ会。
そこでは、ギャラリーヒルゲートのなりたちを、人見さんからお聞きすることができました。
もとは神戸で輸入雑貨店を営んでいた人見さんのお父さまが戦災で京都に移り住み、いまの寺町の店舗でゴルフ用品の販売店をされていたそうなのですが、作家の水上勉さんの誘いで、画廊をはじめたのが1988年のこと。

クリックすると元のサイズで表示します

ギャラリーヒルゲートの看板は、水上勉さんの筆によるものです。
もちろん画廊業はまったくの素人でしたが、開廊後最初の展覧会には水上さんが作品を提供して下さって、画廊を軌道に乗せてくださったそうです。

はじめ人見さんは市役所にお勤めで、講演会でお呼びした縁で水上さんと出会い、また、1984年7月12日から22日にかけて京都市美術館で丸木夫妻の「原爆の図展」が開催されていたこともあって、丸木夫妻も1989年12月9日〜17日の「ヨーロッパを描く」展以後、毎年年末にヒルゲートで展覧会を開催することが恒例となっていきました。

印象深かったのは、絵本画家の安野光雅さんとの出会いについての話。
そのきっかけは、丸木夫妻だったというのです。
人見さんは安野さんに展覧会を開いて頂きたいと思いながらも、簡単な話ではないだろうと思い、ずっと展覧会の案内状を送り続けていたそうです。
すると、あるとき安野さんから、「私は丸木俊さんの絵本をとても尊敬しています。あなたの画廊の案内状を見ていると、毎年、丸木夫妻の展覧会をされているようですね。そんな画廊なら、私も展覧会をやってみたい」というお返事が来たのだそうです。

安野さんは、彫刻家の佐藤忠良さんとの対談録『ねがいは「普通」』(2002年、文化出版局)の中で、次のように丸木俊さんについて語っています。

==========

安野 あのころ(注:佐藤忠良さんが絵本『おおきなかぶ』を出版した頃)僕はこの佐藤先生と旧姓は赤松、結婚して丸木俊さんの絵にはかなわないなあと思っていましたね。絵本の中にしっかりしたデッサン力がそのまま移行して住んでいるんです。ただただ絵が上手、なんてものではダメなんですね。

佐藤 赤松さんは札幌の道立女学校の一期生ですね(注:実際は1929年3月に旭川高等女学校を卒業)。あの原爆絵図、あれは世界に誇る日本の芸術ですよ。

==========

こうした安野さんの思いが、ギャラリーヒルゲートとの出会いにつながっていることを知り、とても嬉しく思いました。

現在、ギャラリーヒルゲートでは、画廊と縁の深い作家たちの小品展「折々の作家たち」展(1月26日まで)を開催中。丸木夫妻や安野光雅さんをはじめ、田島征三、田島征彦、司修、野見山暁治など、展示作家の名前を見ていくと、この画廊独自の視点が見えてきます。
社会に対して視線を開く志を持った芸術家に寄り添っていこうという姿勢です。

京都は非常に画廊の多い街なのですが、ギャラリーヒルゲートのような姿勢を打ち出している画廊は、他にあまりないそうです。
ちょうど1月23日付『京都新聞』文化欄には、私がお招き頂いた「夜話市民講座」についての記事が掲載されていました。
以下、ギャラリーヒルゲートに関する個所を抜粋いたします。

==========

 中京区のギャラリー「ヒルゲート」は11年に「夜話市民講座」を開講した。これまでにアートディレクターの北川フラムさん、画家の司修さん、京都市美術館学芸課長の尾崎真人さんらを講師に招き、参加者たちが現代の美術事情や歴史について学んだ。

 同ギャラリーを営んで26年目になる人見ジュン子さんは、バブル景気やリーマン・ショック、デフレ不況など時代の変化をつぶさに見てきた。「売れる、売れないだけでは、ストレスで疲れてしまう。人と新たに出会い、その人の生き方も含めて自分の知らないことを学ぶ。それが現代人の心の滋養になると思います」


==========

こうした地道で重要な仕事を続けている画廊にお招き頂いたことを、心から嬉しく思います。
人見さんはじめ、お世話になったギャラリーヒルゲートのスタッフの皆さま、本当にありがとうございました。
1

2014/1/25

鞆の津ミュージアム「山下陽光のアトム書房」展  他館企画など

早朝の飛行機で広島へ飛び、福山市の鞆の浦にある鞆の津ミュージアムに行ってきました。

クリックすると元のサイズで表示します

現在開催中の企画展は、「山下陽光のアトム書房調査とミョウガの空き箱がiPhoneケースになる展覧会」

クリックすると元のサイズで表示します

鞆の津ミュージアムを訪れたのは初めてでしたが、アウトサイダーアートを基軸にしながら、マイノリティの表現の紹介を目ざすという視点のはっきりした美術館です。

この美術館で山下陽光くんの展覧会が企画されたのは、高円寺を中心にこれまで彼が展開してきた「素人の乱」「トリオフォー」「途中でやめる」「原発やめろデモ!!!!!」(どれも面白いのでネットで検索してください)などの活動が、社会の主流から逸脱することで、いまの時代に本質的な疑念を突きつけているからなのでしょう。

クリックすると元のサイズで表示します

いわゆる美術館的な整えられた内容ではなく、手作り感あふれる展示スタイルで、彼の活動が時系列に沿って紹介され、今展のメイン展示となる「アトム書房調査」につながっていくという流れ。
展覧会のタイトルになっている「ミョウガの空き箱がiPhoneケースになる」という言葉の意味は、本当にそのまま文字通り、ミョウガの空き箱がiPhoneケースにぴったりだ!という驚きの発見として展示されていました。

クリックすると元のサイズで表示します

「アトム書房」は、原爆投下後に原爆ドーム近くの焼け跡に出現した書店。
看板には「Bookseller Atom」と記されており、つまり、米兵を相手に「アトム(=原爆)」という名で商売をしていたというわけです。店内では、被爆した瓦やガラス瓶などを売っていたとか。

クリックすると元のサイズで表示します

山下くんは、「アトム書房」を営む杉本豊の足取りを独自の調査でたどりながら、戦前のダダイスト画家・山路商とアトム書房がつながっているのではないか、という仮説を立てます。
山路商は、戦時中に治安維持法容疑で逮捕され、原爆投下前年の1944年に死亡しているのですが、比治山の下で画材屋を営んでいたという彼のもとには、後に《原爆の図》を描いたことで知られる丸木位里や船田玉樹、靉光、末川凡夫人といった前衛画家たちが集まっていました。
そんな自由で破天荒な雰囲気を持つ表現者たちが「タムロ」している様子を、山下くんは「まるで素人の乱のようだ」と考えて親近感を抱いていくのです。

クリックすると元のサイズで表示します

山下くんの調査は必ずしも学術的なものではなく、むしろ、人から人へとつながりながら、関係者にたどり着くという突撃取材の産物。
その高揚感が、手作り感あふれる展示の行間から伝わってきます。

クリックすると元のサイズで表示します

当初は、アトム書房の活動を「原爆投下に対する抵抗の表現」と考えていたという山下くんですが、調査を進めていくうちに、原爆投下そのものを商品化してしまう図太くたくましい「ゲスさ」にその本質を見出すようになります。

クリックすると元のサイズで表示します

会場に掲示された原爆投下前の古地図には、アトム書房があった場所も示されていました。
市電が走っていた相生通りに面していたのですね。

クリックすると元のサイズで表示します

実は、調査の過程で私にも人づてに連絡があり、山下くんがとりわけ強い関心を寄せている画家・末川凡夫人についての資料を提供させて頂きました。
丸木美術館の所蔵品の中には、末川凡夫人が戦前に水墨画を描いていた色紙帖が所蔵されており、丸木スマの描いた《凡夫人とスケッチ》という絵画もあるのです(位里は凡夫人と親しく、二人で東海道を旅した絵日記を1935年の『藝備日日新聞』に連載していました)。
今回の展覧会で「作品を貸してほしい」と言われたら、ぜひ協力したいと思っていたのですが、残念ながら借用の依頼はありませんでした。

クリックすると元のサイズで表示します

美術館の土間には、凡夫人の抽象画が数点展示されていました。
凡夫人の作品はめったに目にする機会がなく、私も油彩画を実際に観たのは初めてでした。

丸木位里や靉光、船田玉樹、山路商らの作品は、もちろん、広島県立美術館や広島市現代美術館で観たことがあります。
今回の企画では、そうした一定の評価を得ている作家の作品は、あえて展示しなかったようです。

展示を観て回りながら、どうやら今回重要だったのは、山下くんが自分の足で動いたことで、人から人へつながって発見されていった調査結果であり、作品であったのだということが、わかってきました。
猿楽町でアトム書房に隣接していた「山本兄弟洋家具店」の家具も、山下くんによって発見され、展示物のひとつとして会場にならんでいました。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

こうした「アトム書房」の調査を通して、山下くんは、広島の街が「平和都市」として整備されていくなかで記憶から失われていったひとつの歴史を掘り起こしただけでなく、「3.11」後の現在を生きる道標を発見したようです。
彼が「ゲスさ」と呼んでいる、逆境を笑い飛ばすように生きる糧にする反逆精神。
それは、ミョウガの空き箱が、一見、まったく関係ないと思われるiPhoneのケースとしてぴったり機能するように、戦後の広島だけでなく、「3.11」後のさまざまな意味で絶望的な時代を生きる私たちにとっても、重要なエネルギー源として見えてくるような気がします。

   *   *   *

ちなみに鞆の浦は、江戸時代の小さな漁港の雰囲気が今も残る静かな港町。

クリックすると元のサイズで表示します

この町の片隅で、ひっそりと、他のどの美術館も企画しないような独自の視点を持つ展覧会に挑んでいることに、個人的には大きな感銘を受けました。

週末にもかかわらず、この日の午前中、鞆の津ミュージアムに見学に来ていたのは、私と美術評論家の福住廉さん(偶然!)の二人だけ。
観客数や採算を気にしなければならない昨今の多くの美術館では、決してできない企画です。
それでも、やるべきだと思う企画をちゃんとやっていくんだという強い意志を持つこの小さな美術館に、心から敬意を表します。
5

2014/1/23

『中国新聞』インタビュー“「非核芸術」の重要性 見えぬ脅威と戦うために”  掲載雑誌・新聞

2014年1月22日付『中国新聞』朝刊の「言」欄に、“「非核芸術」の重要性 見えぬ脅威と戦うために”と題し、岡村のインタビュー記事が掲載されました。23日付で、「ヒロシマ平和メディアセンター」のWebサイトにも記事の全文が掲載されています。

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20140123092030750_ja

取材して下さったのは、田原直樹論説委員。わざわざ広島から丸木美術館まで来館して下さいました。どうもありがとうございます。
以下は、記事からの一部抜粋です。

==========

―今なぜ、非核芸術が重要なのでしょうか。
 原爆の悲惨を訴える作品が数多く制作されてきました。核の危険性を暴き出す役割も。放射能をはじめ「見えない」核の脅威を「見える」よう、作家は表現してきたのです。でも福島の事故から3年もたたないのに、危険性をうやむやにする動きが現れ、国民の間にも「見ようとしない」風潮が出てきそうです。非核芸術に注目すべきときではないでしょうか。

―どんな作品がありますか。
 「原爆の図」は占領期に発表され、大きな衝撃を与えました。第五福竜丸事件で原水爆禁止運動が広がり、1950年代に大きなうねりとなります。この時期の非核芸術の特徴は肉体の破壊。同時代の人々の痛みを広く共有する表現です。

 核の平和利用が唱えられて原発が造られ、危機意識が薄れますが、70年代から再び盛り上がります。被爆を体験した世代が、非体験の世代へ記憶を伝える重要性を意識したのです。中沢啓治の「はだしのゲン」、平山郁夫の「広島生変図」などもこの時期の作品です。

―ヒロシマの表現は今後どう展開するでしょうか。
 原爆に関しては、体験のない表現者が、やはり体験のない人々へ伝える時代を迎えつつあります。想像力で物語を紡ぐしかない。当然、表現の直接的な喚起力は50年代と比べ、弱まるでしょう。受け止める側の関心も希薄になってはいますが、若い世代を引きつける新しい表現も現れています。

―非核芸術の方向性は。
 被爆の記憶が遠くなる一方、福島の原発事故が起き、非核芸術にとって新たな展開の時代と言えます。核の脅威が身近なところで再び現れたわけです。ただ、原発事故の被害を表現するのは難しい。肉体の破壊が衝撃だった原爆に対し、人間関係の分断や地域社会の崩壊などの被害は目に見えにくい。芸術がどう食い込み、人々に伝わる表現をするかが問われます。

―表現の中心は原発ですか。
 3・11後、私たちが暮らす社会の矛盾も露呈しました。原発立地や沖縄の米軍基地など、中央のため地方が犠牲になり、弱者が踏み台にされる構造です。非核芸術は、社会が抱える問題も併せて表現するでしょう。

==========

記事でも紹介して下さっている岩波ブックレット『非核芸術案内』は、インターネットやお近くの書店でお求めいただけます。
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/tsearch?show=270887

また、1月25日(土)午後6時30分には、京都・ギャラリーヒルゲートにて、夜話市民講座「核を描いた表現者たち―丸木夫妻をはじめとして―」と題するトークを行います(参加費2,000円、学生1,000円、茶菓子付)。画廊さんから、広く宣伝してくださいとご連絡を頂いているので、関西方面の方、ぜひとも、ご来場ください。お申し込みは075-231-3702ギャラリーヒルゲートまで(要申込)。
2

2014/1/22

『東京新聞』木下晋インタビュー“魂の旅 鉛筆に載せ”掲載  掲載雑誌・新聞

2014年1月22日付『東京新聞』首都圏版に“魂の旅 鉛筆に載せ”という見出しで、現在丸木美術館で企画展開催中の木下晋さんのインタビューが掲載されました。

クリックすると元のサイズで表示します

取材をして下さったのは、中里宏記者。木下さんの人生の歩みをたどる物語性のある記事で、非常に大きな反響を呼んでいます。
以下は、記事から前半部分の抜粋。

==========

 三歳のころ、富山市にあった実家が全焼した。引っ越した家には水道もなく、極貧の生活。「母親が家に戻るのは年一、二回。(幼少時に)母親のもとで育った記憶がない」という。

 「小学四年のとき、母親の後を追って街をさまよい、空腹からパンを盗んで児童相談所に保護された」。面会に来た小学校の校長が置いていった本がビクトル・ユゴーの「ああ無情」だった。「自分と同じ人間がいる」。パンを盗んだ主人公の話を一気に読んだ。

 校長は面会のたびに本を持ってきた。「結局、児童向けの文学全集を読んで、今の自分がつくられた」。中学では、才能を見いだした美術教師に富山大学の市民講座を紹介され、本格的に美術を勉強した。一九六三年、画材が買えないためベニヤ板にクレヨンで描いた作品「起つ」が、自由美術協会展に十六歳の最年少で入選。経済的な理由で高校を中退した後も制作を続けた。

 「君は芸術家として最高の環境に育った。母親を描け」。鉛筆画の大家としての現在につながる転機となったのは、世界デビューを夢見て渡ったニューヨークで出会った画家・荒川修作氏(故人)の言葉だった。荒川氏から「君のバックボーンは何か」と問われ、母親のことを話したのだった。「それまでの価値観が逆転した」。幼少時、母親はいくら求めても、そばにいなかった。底なしの不安と孤独。長じて憎しみの対象になっていた母親を、限界を感じていた油彩ではなく、可能性を見いだしていた鉛筆画で描いた。「絵を描くことは、人間関係を築くこと。母親は全国を放浪していた。初めて母親と対話して、この人は俺に絶対できないことをやっている、と尊敬するようになった」
・・・・・・

==========

はじめて美術館に来られるという方からの問い合わせも多く頂いているのですが、この時期の丸木美術館の展示室は非常に冷え込みます。
できるだけ、暖かい服装でお越しいただくことをお勧めします。

また、絵本原画『はじめての旅』は、石川県立美術館での展示が2月1日からはじまるため、1月26日までの展示となります。どうぞご了承ください。28日からは、『ハルばあちゃんの手』絵本原画を展示いたします。
0

2014/1/22

Ring Bong第4回公演『しろたへの春 契りきな』  他館企画など

Ring-Bong第4回公演『しろたへの春 契りきな』を観ました。
文学座の山谷典子さんが主宰し、年に1度の公演を行っている演劇集団にも、すっかり顔なじみになりつつあります。

山谷さんの書く脚本は、毎回、戦争の時代と現代を行きつ戻りつしながら、共通する問題意識を浮かび上がらせるという作りになっています。
今回の『しろたへの春 契りきな』の舞台は、1942年の京城(現在のソウル)と現代の日本。
京城で写真館を営む日本人家族と、その家に仕える朝鮮人の女中や書生たちの物語です。

クリックすると元のサイズで表示します

過去3回のRing-Bongの公演は、演劇という約束事を逆手にとるように、年配の俳優さんが現代と過去を生きるひとりの男性の「老年」と「少年」を効果的に演じ分けていましたが、今回は逆のパターン。主人公の芽という写真館の末娘役を演じた若い俳優さん(小野文子さん)が、ひとりの女性のふたつの年齢を演じ分けているのです。

年配の俳優さんが、場面が変わったとたんに突然少年らしく振舞いはじめるのは、コミカルで微笑ましく感じられるのですが、若い俳優さんが(メイクも衣装も変えないまま)老女へと年齢の変化を演じ分けるのは、かなり難しかったのではないかと思います。

けれども、実際に公演を観て、今回の舞台にとってこの配役は重要な意味を持っているのだと理解しました。
認知症の老女が、「京城」という今は存在しない追憶の街に生きる「14歳の少女」を内包している感じがよく伝わってきて、とても「かわいらしい」(と表現すると、劇中の「芽さん」に叱られてしまいそうですが)年齢を重ねた女性に見えてきたのです。

家族のなかで最年少だった彼女は、日本の朝鮮半島支配と差別構造に対し、もっとも“無垢”な存在でした。「京城」が幸福な記憶として存在するのもそのためでしょう。
そのあたりは、美術家の出光真子の映像作品《直前の過去》(2004年)を連想します。
一見、平和で幸福な家庭を支えているのは、日本の植民地政策による搾取の構造。

しかし、物語が進むにつれ、実は彼女こそが“家族”や“国籍”といった枠組みを揺さぶる大きな秘密を抱えていたということが、観客に明かされます。
その秘密を、当の彼女や、現代の娘や孫たちは、どうやら知らされていないようです。
国を奪われ、言葉や文化を奪われた者たちの“恨”の思いの深さを、現代の日本を生きる私たちは知らない。
搾取の時代を生きる張本人たちさえ、無神経にも気づいていない。
日本と朝鮮半島のあいだに横たわる深い歴史の記憶の溝を、暗示しているかのようです。

もっとも、彼女の存在は、たんに「歴史の記憶の溝」を示すだけにとどまらず、“国家”や“民族”といった実は曖昧な境界によって隔てられた「近くて遠い隣人」の関係ではなく、「同じ人間」として共に生きていきたいという山谷さんの思いが反映されているようにも思います。
深く、重いテーマであるにもかかわらず、観終わった後に、それでも前を向いて生きていこうと清々しい気持ちになれるのは、彼女の脚本の力がなせる業でしょう。

もちろん、ソウルの南大門刑務所などの歴史をめぐる緻密な資料調査は、彼女の真骨頂。
今回も作品の奥行きを豊かなものにしています。
ピアノ演奏などで工夫を凝らして見事に表現される場面転換も見どころのひとつ。
演出の小笠原響さんの確かな力量もあって、Ring-Bongの舞台は、回を追うごとにより深く作りこまれ、世界が広がっているように思いました。
公演は1月26日まで。ぜひ、多くの方に見て頂きたい作品です。

   *   *   *

そして、2015年3月に予定される第5回公演は、なんと丸木美術館から想を得たという『闇のうつつに 我か我かは』に決定したそうです!
昨夏、朗読劇として執筆した作品を、今度は演劇として大幅に加筆するというので、これは楽しみなような、ちょっと怖いような。
2

2014/1/21

『福竜丸だより』No.379「“非核芸術”に内包される未来」  掲載雑誌・新聞

2014年1月1日付の都立第五福竜丸展示館ニュース『福竜丸だより』No.379が手もとに届きました。

クリックすると元のサイズで表示します

表紙が黒田征太郎さんのイラストレーション、そして裏表紙が萩尾望都さんの漫画『福島ドライブ』というカラー印刷の立派な紙面でした。

その6ページ目に、粟津ケンさんが「“非核芸術”に内包される現在」とのタイトルで、拙著『非核芸術案内』(岩波ブックレット)の書評を書いて下さいました。
いかにもケンさんらしく自由に書いて下さった文章(いわば、「書評」らしからぬ「書評」)で、ブックレットについて具体的に触れているのは「勇敢な本」「ディープな一冊」「意味深い本」という箇所くらい・・・・・・。いえ、もちろん、がっかりしているわけではありません。

それでは何が書かれているのかというと、かつて米国に存在していたニグロ・リーグの話題が中心。こんな具合です。

==========

・・・・・・実は岡村さんとは美術についてではなく、普段はもっぱらアメリカの野球やバスケットボールの話題です。とりわけ一八六〇〜一九四七年まで続いたニグロ・リーグについては盛り上がります。大リーグでは長い間、白人以外の選手はプレイできませんでした。なので、彼らブラック・ピープルは独自のリーグを組織し、それを運営、経営してきたのです。彼らの野球が、白人のそれとは本質的に異なる、ある特有のgrooveに富んだ至上のノリの良さを持つ極めて優れた代物であったことは想像するに容易です。

 で、KENという場が目指すべきは、実はこのニグロ・リーグであると思っています。彼らのやったことを簡単に言うと、それは、自分のやりたいことを、自分で築いた舞台で実践するということ。逆境をパワーに変換すること。そこには、当事者ならではの抜群のセンスが表現されています。創造力の塊のような無名なる選手たちが大勢いたことでしょう。美術や音楽といった芸術の価値は、学者や批評家が決めることではありません。自分で見つめ、感じ、自分の生き方や愛情から決定する問題です。非核や反核をテーマにしているからといってその作品が面白いとは限りません。デモの有り様もまたしかりです。反核、非核といっても、権威に軸足を置いたスタンスからは独自の文脈の優れた表現は野球にせよ美術にせよ音楽にせよデザインにせよ生まれないと思っています。


==========

この文章を読んで、一般の読者が「非核芸術」に興味を持ってくれるかどうかは、正直なところ、わかりません。
でも、何となく、「非核芸術」の生まれてくる現場の熱度は伝わってくれるのではないかと思っています。
従来の芸術とは違う舞台から、独自の視点で立ちのぼってくる表現の熱度。
ケンさんは、その得体の知れないエネルギーを、彼ならではの皮膚感覚で言語化して下さったのかも知れません。
ともあれ、他では読めない興味深い内容ですので、ぜひ『福竜丸だより』No.379をご一読下さい。
もちろん、『非核芸術案内』の方もよろしくお願いします。
1

2014/1/19

KEN「笹久保伸 秩父前衛派」展  他館企画など

美術館閉館後に三軒茶屋のKENへ行き、「笹久保伸 秩父前衛派」展(2月1日まで)を観てきました。

若きギター奏者の笹久保伸とはKENで知り合ったのですが、最近、『アヤクーチョの雨』などのCDで注目を集めている実力のある表現者です。
今回の展覧会では、彼の描く「図形楽譜」の展示と、彼の初監督作品である秩父を舞台にした前衛映画『犬の装飾音+秩父休符』の上映、さらに週末にはコンサートも企画されています。
http://www.kenawazu.com/events/#chichibu1

クリックすると元のサイズで表示します

図形楽譜も映画も、1950年代の「実験工房」など前衛芸術の影響を大きく受けているように感じました。
21世紀という時代に、若い表現者があえて「前衛」を名乗ることの意味は何なのか。
そんなことを考えながら、展示を興味深く拝見しました。
字義通りの「前衛」というより、かつて「前衛」と呼ばれた表現を見つめなおして展開される、いわば「前衛復古」ともいうべき(矛盾をはらんだ言葉ですが)活動。
とりわけ映画は、秩父という前近代的な空気の漂う土地を舞台に8mmフィルムで撮影していることもあり、時代性を超越した何とも不思議な味わいを放っていました。

笹久保さんにとっての「前衛」は、ペルーの山岳地域のアヤクーチョ地方で採集したという「民謡」と同じような、古くて新しい知的好奇心を刺激する存在なのかも知れません。
同じ埼玉を拠点にしている、しかも時代の主流に与さない稀有な表現者である笹久保伸の活動には、今後も注目していきたいと思っています。
2

2014/1/18

「大木正夫と映画「原爆の図」―《交響曲第5番「ヒロシマ」》への軌跡―」論考  作品・資料

年末のことになりますが、広島大学大学院教育学研究科の能登原由美さんから、同音楽文化教育学研究紀要]]X(2013.3.22)に発表された「大木正夫と映画「原爆の図」―《交響曲第5番「ヒロシマ」》への軌跡―」と題する論文の抜き刷りをお送りいただきました。

原爆投下から8年後の1953年に、大木正夫(1901-71)が丸木夫妻の共同制作《原爆の図》に寄せて作曲した《交響曲第5番「ヒロシマ」》(同年の第8回芸術祭奨励賞受賞)を取り上げ、「ヒロシマ」の音楽表現法の一事例を考察するという内容です。

これまでほとんど論じられることのなかった大木正夫という作曲家の生涯と思想の創作活動への影響関係からはじまり、興味深いのは、大木が手掛けた映画『原爆の図』(1952年、今井正・青山通春監督、新星映画社)の音楽と、それをもとに創作した交響曲「ヒロシマ」の連続性と非連続性を比較している点です。
音楽的な視点から《原爆の図》をめぐる表現が分析がされたものは、今までほとんど見たことがなかったので、非常に興味深く読ませていただきました。

能登原さんは、映画『原爆の図』の音楽について、全体的に「不協和音を多用した無調風の響きが主体となって」おり、「戦後盛んになり始めた実験的な音楽様式を試み」、「描かれた内容をより効果的に音楽で描写するかのようにも用いられている」と指摘します。
以下は、そのひとつの具体例の抜粋。

==========

 第2部「火」ではピアノ高音部での連打や速いパッセージが画面上の炎の勢いや切迫感を想起させる一方、それとは対照的に第3部「水」では、低弦による緩やかな半音階進行や不協和音を重ねた音の伸ばしによって川面の不気味な静けさを暗示させている。

==========

《原爆の図》の絵画的描写が、どのように音楽に変換されているのかを分析している視点が新鮮です。
また、映画に《中国地方の子守唄》や《浜辺の歌》といった著名な歌曲が、画面にあらわれた原爆の図(第4部《虹》や第5部《少年少女》にあわせて「観る者に同情や共感の念を引き起こそうとの意図」で用いられている点も指摘しています。

こうした判断は、もちろん大木一人のものではなく、今井・青山監督の意図を組んだ可能性も考えられます。
実際、大木は『まだ逢う日まで』(1950年)、『どっこい生きている』(1951年)、『山びこ学校』(1952年)、『愛すればこそ』(1955年)、『純愛物語』(1957年)、『キクとイサム』(1959年)と、数多くの今井映画の音楽を手掛け、『今井正 映画読本』(論創社、1953年、2012年再刊)に記したエッセイのなかで、「演出家はじめ諸君のそれぞれの意図をみきわめるようにつとめる」「作曲家は、つねに演出家の忠実な女房であるべき」と述べているのです。

では、交響曲「ヒロシマ」はどんな内容なのか。
交響曲「ヒロシマ」には、映画『原爆の図』制作時には完成していなかった第6部《原子野》が新たに挿入されていますが、基本的な構成は変わっていません。楽曲全体の様式については共通部分が多く、各楽章に使用されている曲想についても共通するものが見られるそうです。
つまり、映画音楽は今井・青山監督の意図だけではなく、大木自らの作曲意図も強く反映されていたと考えることができるのでしょう。
とりわけ、第1楽章「幽霊」、第2楽章「火」、第3楽章「水」には、共通の特徴が顕著にあらわれているようです。

一方、第4楽章「虹」と第5楽章「少年少女」は、映画『原爆の図』で既存の歌曲が使用され、抒情性を強調していたのに対し、交響曲「ヒロシマ」では既存の曲の使用は一切見られず、「何らかの情緒を生み出すはずの旋律性の欠如ゆえ、空疎や無感情、あるいは生命体の根絶といった印象を逆に連想させる曲想となっている」とのこと。
そうした非連続性について、能登原さんは「他者であるゆえの表現の難しさ、不安定さ」の露呈であると仮説を立てています。

さらなる楽曲分析や創作背景の調査については、今後の研究を待ちたいところですが、1950年代の《原爆の図》をめぐるムーヴメントが、映画や幻灯だけではなく、交響曲にも展開されていたことの幅広さをあらためて考えさせられる貴重な機会となりました。

ちなみに、《交響曲第5番「ヒロシマ」》のCDは、現在、丸木美術館でも取り扱っています。

映画『原爆の図』の方は市販されていませんが、丸木美術館では16oフィルムと、それをデジタル化したDVDを保管しているので、今後、公開の機会を増やしていきたいと思っています。
映画と交響曲の音楽の聴き比べという企画も、面白いかもしれません。
2

2014/1/14

『日刊ゲンダイ』に『非核芸術案内』書評掲載  掲載雑誌・新聞

『日刊ゲンダイ』に、“生き残るためにこそ読む本”との見出しで、政治学者の五野井郁夫さんによる『非核芸術案内』の書評が掲載されました。
記事の全文は、以下のWEBサイトで読むことができます。
http://ch.nicovideo.jp/nk-gendai/blomaga/ar433444

==========

 昨年末、政府与党は今後のエネルギー基本計画で、原子力発電を「引き続き活用していく重要なベース電源」と明言した。民意に応えて前政権時代に決定されたはずの「原発ゼロ」政策は、白紙撤回されたも同然だ。福島第1原発事故は現在でも収束せず、避難地域の住民には日常生活がまだ戻っていないことなど、忘れてしまえと政府は言わんばかりである。

 こうしたなか、本書は「広島・長崎から福島まで」の「非核芸術」の系譜を示すことで、この政府主導の心ない忘却にあらがう。


==========

このような書き出しではじまる文章は、丁寧かつ簡潔に『非核芸術案内』の内容を紹介して下さっています。
《無主物》の作者「壷井明」が「坪井直」に、《サン・チャイルド》の設置場所「福島空港」が「福岡空港」に誤記されている点は、少々残念ではありますが・・・・・・。
ご紹介くださった五野井郁夫さんには、心から御礼を申し上げます。
1

2014/1/13

ギャラリーヒルゲートおよびギャラリー古藤にてトークのお知らせ  講演・発表

1月のギャラリートークのお知らせです。

1月25日(土)午後6時30分より、京都・ギャラリーヒルゲートの夜話市民講座Bコースにて、「核を描いた表現者たち―丸木夫妻をはじめとして―」と題してトークを行うことになりました。参加費2,000円(学生1,000円)と、ちょっと高めではありますが、京都・関西方面の方、お時間がございましたら、ぜひ、ご来場ください。
会場では新春恒例の企画「折々の作家たち展」を開催中。安野光雅・貝原浩・木下晋・田島征三・田島征彦・司修・野見山暁治・丸木位里・丸木スマ・丸木俊・水上勉など錚々たる画家たちの作品もご覧いただけます。お申し込みは075-231-3702ギャラリーヒルゲートまで(要申込)。

   *   *   *

また、1月26日(日)午後5時30分からは、江古田のギャラリー古藤で開催される「ガタロ絵画展 ヒロシマ 美しき清掃の具」(1月14日〜27日)のギャラリートークを行います。
この「ガタロ絵画展」については、1月13日付『東京新聞』東京版で紹介されました。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20140113/CK2014011302000113.html
広島・基町で清掃夫の仕事をしながら、原爆ドームなどの絵を描き続けてきたガタロさん。
昨年、NHKのETV特集で紹介され大きな反響を呼んだそうですが、首都圏では初の個展開催とのこと。
私も初めて作品を生で拝見するので、楽しみにしています。

会期中のトークの予定は以下の通り。
1月17日(金)18―19時 中間英敏(NHKプラネットディレクター・「ガタロさんが描く街」制作)
1月18日(土)17―18時 ガタロ×永田浩三(武蔵大学教授)
1月19日(日)14―15時 田島征三(絵本作家)×ガタロ×永田浩三
1月23日(木)18―19時 代島治彦(映画「アウトサイダーアート」監督)
1月25日(土)17―18時 市田真理(第五福竜丸展示館学芸員)
1月26日(日)17時半―18時半 岡村幸宣(丸木美術館学芸員)

※ギャラリートークの予約は、電話またはメールにて。
入場料300円(小・中学生無料)、ギャラリートーク参加費(入場料含む)は1000円です。

1月29日〜2月9日には、横浜市青葉区のスペースナナでも「ガタロ絵画展」が開催予定です。
1

2014/1/11

川越スカラ座『そして父になる』  川越スカラ座

午後8時頃から、川越スカラ座にて是枝裕和監督の『そして父になる』(2013年)のティーチインを聞きました。

『そして父になる』は、新生児の病院での取り違え事件を題材にした作品。
大手建設会社に勤務し、都心の高級マンションで暮らす福山雅治と尾野真千子の演じるエリート家庭と、群馬で冴えない自営業を営むが子煩悩のリリー・フランキーと真木よう子の演じる庶民的な家庭という対照的な二つの家庭を対比しながら、“血”のつながりを選ぶか、共に過ごした“時間”を選ぶかという、どちらも選べないけれども、選ばなくてはいけない不条理に葛藤する夫婦の姿を描き出します。

クリックすると元のサイズで表示します

題名の通り、この映画の主人公は福山雅治演じる父親。
子どもの取り違え事件を機に、それまで順風満帆に人生の階段を上って来た(と自分で思っていた)男が、思い通りにいかない問題を抱え、“父になる”とはどういうことかを見つめなおす物語です。

「時間だよ、子どもは時間」―― 映画中盤で、リリー・フランキー演じる子煩悩父が福山雅治演じるエリート父にさらりと語る一言が、重く響きます。

ティーチインでは、初期の『ワンダフルライフ』(1999年)や『DISTANCE』(2001年)などのドキュメンタリ風の作品(それを是枝監督は「撮影された演劇にならないような実験」と表現していました)から、自分で台詞を書きはじめた『歩いても歩いても』(2008年)以後の作品への心境の変化に触れていたのが印象的でした。
映画・演劇・台詞に対する自分の中での興味が変化している……とのことでしたが、それでも、脚本を全部作り上げて撮影に入るのではなく、役者の中から出てきたものをどう映画に生かすかということを考えている点では変わっていない、アプローチの仕方が変わってきただけかもしれない、というのです。

また、海外では「小津に似ている」と言われることが多い、という話も興味深く聞きました。
どこが似ているのか、と聞くと、「時間の流れが似ている。“めぐる”という感覚。一周めぐって出発点と違うところに着地するとことが似ている」と言われたそうです。
是枝監督が言うには、それは自作の特徴というより、日本人の時間の捉え方かもしれない、外国からの視線だからこそ生まれてきた指摘ではないか、とのことでしたが、しかし、確かに、是枝監督の、とりわけ近年の作品はそうした傾向があるように思います。
『そして父になる』のティーチインはもう間もなく終了し、すぐに新作の撮影がはじまるという是枝監督。これからも、新作を見続けていきたい映画監督です。

クリックすると元のサイズで表示します

私が『そして父になる』を観たのは6日(月)でしたが、上映後、ロビーではスカラ座スタッフやアルバイトの皆さん、それに見知らぬお客さんまで加わって、それぞれの視点から感想を語る時間が自然発生的に生まれていました。
その輪の中に加わりながら、良い映画の証しだ、と思いました。
川越スカラ座での上映は17日(金)まで。
2

2014/1/11

美術館ニュース第116号発送作業  美術館ニュース

年4回発行している丸木美術館ニュースの、第116号の発送作業。
今回は14名のボランティアの方々が参加して下さり、無事に作業を終了しました。
ご参加下さったボランティアの皆さま、どうもありがとうございました。
以下に、ニュースの目次と、表紙画像を掲載いたします。

===

クリックすると元のサイズで表示します

丸木美術館ニュース第116号 (発行部数2,500部)

〈主な記事〉
もう隷従しないと決意せよ 秘密保護法と安倍改憲にノーを! (海渡 雄一) …… p.2
田中正造没後百年における《足尾鉱毒の図》 眼を見よ! (赤上 剛) …… p.3
平野正樹写真展「AFTER THE FACT」報告 呟きと志・丸木芸術の胎内で (平野 正樹) …… p.4
「木下晋−生命の旅路」展を見て 「生命」の重さを突きつける鉛筆画 (金城 美奈子) …… p.5
「ミエチスワフ・コシチェルニャック展」開催報告 テレジン・アウシュビッツ・丸木美術館をつないだもの (野村 路子) …… p.6,7
連載 丸木位里・丸木俊の時代〈第17回〉 位里の再婚と二度目の上京/明朗美術研究所 (岡村 幸宣) …… p.8,9
追悼 さようなら! 銀林美恵子さん (石川 逸子) …… p.10
丸木美術館情報ページ …… p.11
リレー・エッセイ 第48回 (楠本 峰生) …… p.12

===

今号の表紙は、丸木俊の可愛らしい絵本『そりにのって』です。
秘密保護法について弁護士の海渡雄一さんが、そして銀林美恵子さんの追悼文を詩人の石川逸子さんが書いて下さっていることにも、ご注目下さい。
友の会会員のお手元には、近日中に届くことと思います。
1

2014/1/7

『中日新聞』文化欄「そして戦になった」  掲載雑誌・新聞

2014年1月7日付『中日新聞』文化欄の連載「そして戦になった 第1次大戦から100年」の第1回に、丸木俊(赤松俊子)作《アンガウル島へ向かう》が紹介されました。

1940年に当時日本の委任統治下にあった「南洋群島」パラオ諸島を訪れた俊の作品と、日本各地の戦争の遺構を撮影し続ける若手写真家の下道基行さんのテニアン島を舞台にした「torii」シリーズと対比しながら、時代の異なる南洋の「統治の風景」を見つめた二人の視線を交錯させるという企画です。
担当は宮川まどか記者。下道さんの仕事は、以前からとても興味深く思っていたので、こうしたかたちで関わりが生まれたのは、とても嬉しいことでした。

以下、記事から一部を抜粋いたします。

==========

クリックすると元のサイズで表示します
丸木俊(赤松俊子)「アンガウル島へ向かう」 1941年 個人像

 「南進論」を唱え、日本は第一次世界大戦の勃発を機に南洋群島を占領。大勢の日本人が南を目指した。日本は第二次大戦への道をひた走り、南洋はやがて死闘の地となる。そうした危うさをはらみつつも、原爆の図丸木美術館学芸員の岡村幸宣(39)は「俊が滞在したのは最も幸せな時。『外にある日本』へ異国を見に行く感覚だった」と推測する。

 その通り俊は当初、光注ぐ島の暮らし、人々を、明るい色で描いた。フランス人のゴーギャンがタヒチを楽園として表現したように。が、彼らとの仲が深まるにつれ、別の考えを持つようになる。「見る側」から「見られる側」へ。転換を如実に示すのが、四一年制作の「アンガウル島へ向かう」だ。

 パラオの南に位置するアンガウルには、畑の肥料になるリンの鉱床があった。俊が描いたのは、リン掘削のため、狭い船室に押し込められた黒い人影。第二次大戦に備え、日本に搾取される現地の人々の姿だ。「かび臭さが漂うような暗い絵には、島の人への共感がにじむ。日本人である俊は、深く葛藤していたはずだ」と岡村は言う。

     ◇

 二〇〇六年、美術作家で写真家の下道基行(35)は旅行者として、旧南洋のテニアン島を訪れた。現れたのは、生い茂る草の中にそびえ立つ鳥居。戦後、米自治領となっているその場所が、かつて間違いなく日本だったという証しを目の当たりにし、レンズを向けた。

 「風景は現在までのさまざまな時間が積み重なってできている。鳥居を媒介にすることで、そういう時間の地層から一つの時代が見えてきた」。以来、六年かけて台湾、韓国など五つの国と地域をめぐって鳥居を撮影、「torii」シリーズに結実させた。

 放置されたもの、倒されてベンチとして使われているもの、あるいは撤去されてしまったもの…。鳥居を中心にした風景は、歴史解釈の在りよう、地元民の感情が決して一様でないことを物語る。そしてそれは、戦前の日本の統治の歴史とも密接なかかわりを持つ。

 「鳥居のとらえ方を見ても、世界は複雑であいまい。イエスかノーかではない。一定の方向で分かりやすくとらえようとすると、必ずゆがみが出る」。下道は続ける。「国境だって、地図上の線。いつの間にか引かれ、いつも揺らいでいる」


==========

「他者に対する不寛容さが増しつつある今、美術家の手でさらされた過去をどう見るか。われわれは試されているのかもしれない」という言葉で結ばれているこの記事は、未曽有の惨禍をもたらすことになった100年前の戦争のはじまりと現代の「戦へのきざし」を、さまざまな分野を通して重ねるという試みだそうです。

時局を見据えた素晴らしい企画をして下さった宮川記者に、御礼を申し上げます。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ