2013/10/30

『朝日新聞』夕刊に「平野正樹展」紹介  掲載雑誌・新聞

2013年10月30日付『朝日新聞』夕刊文化面に、“貨幣に宿る夢と絶望”との見出しで、現在丸木美術館で開催中の平野正樹写真展「After the Fact」の展評が掲載されました。
記事を執筆して下さったのは、オープニングに来場して下さった西岡一正記者です。どうもありがとうございました。
以下は、記事からの一部抜粋です。

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 平野が注目したのは、大日本帝国の崩壊によって紙くずと化した紙幣や債券の類い。実物の表裏両面をスキャナーで読み取り、大型プリントで細部まで克明に見せる。「戦時貯蓄債権」や「徴兵保険証書」が戦時下の内地の状況をうかがわせる一方で、「満州中央銀行券」やマレー半島で日本軍が発行した「百ドル札」は、アジアに版図を広げた日本近代史を思いがけない形で想起させる。
 国家が瓦解すれば貨幣は価値を失う。自明の理だが、おぼろげな背景に浮かぶ紙幣の鮮明な像には「紙くず」にとどまらない生々しさがある。例えば、ぼろぼろの「朝鮮銀行券」には日本統治下の庶民の夢と欲望、憤怒と絶望が染み込んでいるかのよう。貨幣と私たちとの名状しがたい関係がそこに潜む。


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ちょうどこの日は、《ひろしま》などの作品で知られる写真家の石内都さんが展示を観に来館して下さいました。
平野さんの写真展は11月9日(土)まで。アウシュヴィッツを描いた画家・コシチェルニャック展、久しぶりに全14部がそろった《原爆の図》と合わせて、ぜひこの機会に、ご覧下さい。
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2013/10/26

佐野市立吉澤記念美術館「田中正造をめぐる美術」  講演・発表

朝からあいにくの雨でしたが、心配された台風はどうやら直撃を免れたようで、佐野市立吉澤記念美術館で開催されている「田中正造翁没後百年顕彰事業 特別企画展 田中正造をめぐる美術」(11月24日まで)の講演会のため、栃木県の佐野市を訪れました。

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佐野駅に到着すると、講演をご一緒する田中正造大学の坂原辰男さんが、車で迎えに来て下さいました。
坂原さんに案内されて、まずは佐野市郷土資料館へ。
郷土資料館でも、正造没後100年を記念して、「田中正造と共に〜嶋田宗三家文書からたどる〜」(11月24日まで)と題する企画展を開催しています。

坂原さんの説明によれば、谷中村で生まれた嶋田宗三(1889-1980)は、13歳のときに正造の演説を聞いて感銘を受け、晩年の彼をもっとも身近な存在として支え続けたそうです。多くの人が正造のもとから去った後も、最後まで彼の仕事を手伝い、正造の死後はその資料収集に心血を注いだとのこと。
現在の田中正造研究の礎は、彼の功績によるところが非常に大きいようです。

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続いて案内して頂いたのは、田中正造の生家と墓所。
正造の遺骨は、彼を尊敬する人たちによって分けられたため、墓所は現在判明している限りでも6ヶ所あるとのことです。

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生家から道路を挟んで向かいに建つ墓碑には「義人 田中正造君碑」と刻まれており、石碑の表面には同郷の画家・小堀鞆音の筆による正造の姿が彫られています。

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田中正造の生家は、道路拡張工事のために従来の場所から北側に移築されたそうで、厳密には正造存命のときのままではないそうですが、当時の面影を感じさせます。

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道路沿いに建っているのは、不在がちな正造の留守を守って父の富造と妻のカツが住んでいたという隠居所。西側に並んで表門と便所も見えます。

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中に入ると、土間から部屋の内部の様子も見ることができます。
この隠居所は、正造から地元の小中農教倶楽部に寄贈され、1949年からは佐野市の公民館第1号として活用されていたそうです。

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隠居所の奥には、正造の生まれた育った母屋もありました。
正造はこの家に医師を迎え入れて、村の診療所として開放していたそうです。
雨の降りしきる中、午後から講演会も控えているため、駆け足での見学でしたが、正造の足跡をたどることのできる貴重な機会となりました。

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吉澤記念美術館で開催中の「田中正造をめぐる美術」展は、正造が少年時に絵を学んだという吉澤松堂(吉澤記念美術館のコレクションの祖)の《墨竹図》や、正造の描いた《墨竹図》、さらに正造の家の数軒隣で友人だったという小堀鞆音が描いた蓑笠姿の正造像(田中正造誕生地墓碑拓本)からはじまり、丸木夫妻の《足尾鉱毒の図》や小口一郎の連作版画《野に叫ぶ人々》など、正造の活動を描いた絵画がならびます。
文献資料でたどることの多い正造の足跡を、芸術作品という視覚資料で振り返るという試みは、決して出品数は多くはないものの、とても新鮮なものでした。
また、現代美術の表現によって足尾鉱毒を見つめるという作品もならび、3.11後の現在の状況が正造の時代とどう変わったのか、あるいは変わっていないのかという問題提起も感じられました。

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午後2時から行われた講演会には、台風の影響で悪天候にもかかわらず、多くの方が参加して下さいました。
はじめに岡村が、《足尾鉱毒の図》にいたる丸木夫妻の画業を紹介し、続いて坂原さんが、丸木夫妻が足尾鉱毒や田中正造の足跡を取材した際の様子や、モデルを使った実際の制作現場の様子などを回想して下さいました。

そのなかで、当初から5部作として構想された《足尾鉱毒の図》の一環として、《足尾銅山》、《押し出し》、《渡良瀬川の洪水》、《直訴と女押し出し》、《谷中村強制破壊》のあいだに描かれながら、5部作に含まれていない《谷中村野焼き》、《大逆事件》の位置づけについての議論がありました。
なぜ大逆事件をテーマにした作品に、正造を描いた掛軸や「正造念仏」を踊る女性たちの姿が描き込まれているのか。
《谷中村野焼き》の燃え上がる炎は、たんに野焼きの描写だけではない、世の中を焼き尽くし、浄化していくような意味が込められているのではないか。
これらの問題については会場の参加者からも発言が寄せられ、あらためて《足尾鉱毒の図》が近代社会の歪みの原点として描かれていたこと、そして世の中を変革しようという正造の思いに丸木夫妻が共鳴していたことを確認する機会となりました。

かつて丸木美術館栃木館にかかわっていた方々も大勢来場して下さいました。
貴重な機会を頂いた吉澤記念美術館の皆さまには、心からお礼申し上げます。
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2013/10/24

渋谷・ギャラリーTOM「木下晋展」など  他館企画など

丸木美術館の新商品クリアファイルを製作するため、渋谷のデザイン会社に丸木俊の原画を届け、渋谷駅前のスクランブル交差点の大型ヴィジョンに放映されている安藤栄作さんの彫刻《光のさなぎ》を確認してきました。

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丸木美術館の企画展示室での光景も、しっかり紹介されています。

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その後、鍋島松濤公園の近くにあるギャラリーTOMへ。

ギャラリーTOMは、前衛美術家・村山知義と童話作家・籌子の息子であり、自身も児童劇作家として知られる村山亜土・治江夫妻によって1984年に創設された小さな美術館です。
現在は、11月に丸木美術館で個展を開催する木下晋さんの絵本『はじめての旅』の原画展を開催中。

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美術館の入口には、「ぼくたち盲人もロダンをみる権利がある」という言葉が刻まれたプレートが組みこまれています。
視覚障害者であった村山亜土と治江の息子、錬による言葉です。
この言葉に突き動かされて、二人は、「手で彫刻を見る」ことのできる美術館を設立したというわけです。

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木下さんの展示を拝見した後、子どもの頃に読んでいた懐かしい絵本を見つけました。
村山知義の絵による『おなかのかわ』です。

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しかも、1958年発行の「こどものとも」32号(鈴木三重吉訳)版と、1975年2月発行の改訂版(瀬田貞二再話、1977年4月特製版)の2種類の絵本があったことを、初めて知りました。
よく見ると、「こどものとも」版(写真左)は縦書き左開き、改訂版は横書き右開きになっていて、そのために図版もすべて描きなおしていることがわかりました。

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昨年、神奈川県立近代美術館や世田谷美術館などを巡回した「すべての僕が沸騰する―村山知義の宇宙」展も見ていたのですが、そのときには、『おなかのかわ』にふたつのヴァージョンがある、ということには気がつきませんでした。
比べて読むと、とても面白いです。

ギャラリーTOMでは、偶然、福音館書店相談役の松居直さんご夫妻にもお会いできました。
絵本の歴史を変える画期的なお仕事をされた方とお話できて、とても嬉しく思いました。
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2013/10/20

コシチェルニャックとコルベ神父  特別企画

現在、丸木美術館2階のアートスペースで展示中の「ミェチスワフ・コシチェルニャック展」。
当初は10月20日までの予定でしたが、11月9日(土)まで会期を延長することになりました。

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ポーランドの画家であるコシチェルニャックは、ナチスに抵抗しアウシュヴィッツ強制収容所に捕えられた体験を持つ方です。
今回の展示作品のなかには、彼がアウシュヴィッツの収容所で交流を深めたというマキシミリアノ・マリア・コルベ神父の肖像画も6点含まれています。
作品を所蔵されている作家の野村路子さんによれば、コシチェルニャックは、処刑されるはずだった他人の身代わりとなって餓死室に送られる直前のコルベ神父と言葉を交わし、「あなたは生き延びて、この収容所のことを描いて伝えてください」と言われたそうです。

遠藤周作の小説『女の一生・第2部』にも登場するコルベ神父は、アウシュヴィッツに収容される前に、布教のために日本の長崎にも滞在していました。戦後、“アリの町の神父”として知られるようになるゼノ修道士といっしょに活動をしていたそうです。
長崎の大浦天主堂の近くには、聖コルベ館があり、コルベ神父の活動を伝えています。

『長崎の鐘』などの執筆で知られる永井隆も、コルベ神父を診察したことがあり、被爆後に一時は昏睡状態に陥ったものの、長崎の聖母の騎士修道院近くの本河内ルルドの水を飲んだ際に、「マキシミリアノ・コルベ神父の取次ぎを願え」という声が聞こえて回復に向かったとのこと。
それほど日本と縁の深い方だということを、恥ずかしながら、今回初めて知りました。

コルベ神父との約束通り、コシチェルニャックは、戦後、アウシュヴィッツの体験を伝える絵画を数多く描き、アウシュヴィッツ博物館の初代館長も務められました。
野村さんは、コシチェルニャック夫人から、日本に絵を紹介して欲しいとの思いとともに絵を譲り受けたのだそうです。
なかなか公開される機会の少ない貴重な作品ですので、ぜひ、この機会に、丸木美術館でご覧下さい。
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2013/10/16

台風/FMラジオ「日刊!さいたま〜ず」  TV・ラジオ放送

前夜からの台風は午前中まで強風が続き、丸木美術館に通勤する途中にも、橋を渡る際の強風制限と倒木の影響で、東武東上線が2度も停車してしまいました。
ようやく美術館に到着すると、都幾川の水も大増水。
このあたりは昔から氾濫が多く、丸木美術館の上下流の橋は欄干のない、いわゆる「沈下橋」になっています。
また、この地域を舞台にした打木村治の児童文学『天の園』にも、大正期の大洪水の場面が描かれています。

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幸いなことに美術館周辺では大きな被害はありませんでした。
そして、台風や大雪のときには必ずお客さんが来られるというジンクス通り、この日も午前中のうちから来館して下さった方がいらっしゃいました。

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夕方からは、浦和へ移動してNHKさいたま放送局の埼玉県内向けFMラジオ放送「日刊!さいたま〜ず」に出演。残念なことに、せっかく丸木美術館に事前取材に来てくださった内藤裕子アナウンサーは、台風のために前夜スタジオに残っていたとのことで、ラジオ放送はキャンセル。
急きょ代役を務めて下さった岡弘子キャスターとともに、現在開催中の企画展「平野正樹展」と特別展示の「コシチェルニャック展」について、20分ほどお話しました。
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2013/10/12

佐野市立吉沢記念美術館「田中正造をめぐる美術」展  館外展・関連企画

本日より、佐野市立吉澤記念美術館にて、「田中正造翁没後百年顕彰事業 特別企画展 田中正造をめぐる美術」がはじまりました(会期は11月24日まで)。

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この展覧会には、丸木夫妻の「足尾鉱毒の図」(太田市蔵)から、第1部《足尾鉱毒》、第4部《女押し出し》が展示されるほか、木版画家・小口一郎の連作《野に叫ぶ人々》、塚原哲夫《谷中村の田中正造》など、正造を主題にした作品が展示されます。
また、正造の描いた《墨竹図》や、彼が師事したという小堀鞆音の《墨竹図》も展示されるとのこと。

会期中の10月26日(土)午後2時からは、特別講演会「丸木位里・俊が見た足尾鉱毒」が行われます(定員70名、参加無料、申込先着順、10月20日〆切)。
講師は田中正造大学事務局長の坂原辰男さんと岡村です。
坂原さんは、実際に足尾鉱毒の図のモデルも務めるなど、丸木夫妻の足尾の仕事を間近にご覧になっている方なので、私も勉強をさせて頂きます。
私の方は、人生の最晩年に手がけた「足尾鉱毒の図」に至るまでの丸木夫妻の共同制作の歩みをご紹介する予定です。
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2013/10/10

NHKさいたま内藤アナウンサー来館  TV・ラジオ放送

午後、NHKさいたま放送局の内藤裕子アナウンサーが来館されました。
昨年夏にさいたま局に赴任され、丸木美術館には初めて来館されたという内藤さん。
もっとも、東京の私立女子高時代に、学校で丸木美術館を訪れる機会があったそうで、そのときは残念ながら内藤さんご自身は美術館に来られなかったそうですが、「念願」の丸木美術館訪問に、とても喜んで館内を観てくださいました。

10月16日(水)には、午後6時からのFMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」(周波数さいたま85.1MHz、秩父83.5MHz)に出演させて頂きます。

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今回、お相手を務めて下さるのが内藤アナウンサーということで、その打ち合わせも兼ねての来館というわけでした。
番組では、現在開催中の「コシチェルニャック展」と「平野正樹展」について、前後半10分ずつお話させて頂きます。

リクエスト曲は、アウシュビッツ収容所を描いた「コシチェルニャック展」にあわせて、オリヴィエ・メシアン作曲の「世の終わりのための四重奏曲」をお願いしました。
この曲は、ナチス・ドイツによってゲルリッツの収容所に入れられたメシアンが、収容所のなかで「ヨハネの黙示録」第10章をもとに作曲し、1941年1月15日に、捕虜たちを前にしてピアノ、チェロ、クラリネット、ヴァイオリンによって初演されたと言われています。
極寒の収容所のなかで、チェロやピアノの弦も切れていたそうですが、メシアンは後に「私の作品がこれほどの集中と理解をもって聴かれたことはなかった」と語っています。

電波の届く環境にある方は、ぜひ、「日刊!さいたま〜ず」をお聴きください。
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2013/10/5

美術館ニュース第115号発送作業  美術館ニュース

年4回発行している丸木美術館ニュースの、第115号の発送作業。
今回は9名のボランティアの方々が参加して下さり、無事に作業を終了しました。
あいにくの雨模様にも関わらず、ご参加下さったボランティアの皆さま、どうもありがとうございました。
以下に、ニュースの目次と、表紙画像を掲載いたします。

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丸木美術館ニュース第115号(発行部数2,500部)

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〈主な記事〉
2013年8月6日田中一正さんのお話抄録 福島原発事故の被災体験、被爆二世として(松山高校新聞部) …… p.2,3
中川五郎さんライブ報告 心配だったんだなぁ〜・・・汗が絵に飛ばないか (大木 晴子) …… p.4
「はだしのゲン」閲覧制限問題に思うこと (川口 隆行) …… p.5
神奈川県立近代美術館 葉山「戦争/美術 1940-1950」 小沢節子さん講演抄録 …… p.6,7
連載 丸木位里・丸木俊の時代〈第16回〉 代用教員・赤松俊子/女教師の記録/熊谷守一との出会い (岡村 幸宣) …… p.8,9
「坑夫・山本作兵衛の生きた時代」展報告 炭鉱災害の犠牲者を忘れさせないために (萩原 義弘) …… p.10
丸木美術館情報ページ …… p.11
リレー・エッセイ 第47回 (江畑 佳子) …… p.12

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ひろしま忌や「坑夫・山本作兵衛の生きた時代」展の報告に加え、「はだしのゲン」閲覧制限問題や「戦争/美術」展の小沢節子さんの講演抄録など、今号も盛り沢山の内容です。
そして、ひろしま忌の田中一正さんのお話の報告では、地元の県立松山高校新聞部による『松山高校新聞』から特集記事を転載させて頂きました。
松山高校新聞部の皆さんは、取材を兼ねて今年のひろしま忌でボランティアとして参加して下さったのです。こうした地元の高校生の参加はとても嬉しいです。
ぜひ、彼らの記事にもご注目下さい!
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2013/10/3

女子美術大学大学院「言語とアート」特別講義その2  講演・発表

この日は、評議員のSさんのご紹介により、飯田橋駅前の再開発に伴う建て替え工事が進んでいる富士見町教会に事務局のYさんとともに伺って、パイプ椅子100脚をご寄付頂きました。
今までは大きなイベントのたびに近所の組合や公民館から椅子をお借りしていただけに、本当にありがたいご寄付です。
ご紹介くださったSさん、そして富士見町教会の皆さまには、心から御礼を申し上げます。

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夕方には相模原市の女子美術大学へ移動して、大学院の島村輝先生の授業「言語とアート」の特別講義を行いました。
今回のテーマは、先週予告した通り、「非核芸術」の歴史。
丸木夫妻の「原爆の図」からはじまり、鶴岡政男の「人間気化」、高山良策の「矛盾の橋」、上野誠の「ケロイド症者の原水爆防止の訴え」、ベン・シャーンの「ラッキー・ドラゴン・シリーズ」、水木しげるの「パイプの森の放浪者」、貝原浩の「風しもの村」、石内都の「ひろしま」、Chim↑Pomの「広島の空をピカッとさせる」「LEVEL 7 feat.明日の神話」など、核被害の歴史とともに生み出された非核芸術について話をしました。

授業のあとは、島村先生や助手、学生の皆さんと簡単な打ち上げ会。
皆さん、思いのほか関心を高く持って下さっていて、感謝です。
中には、「3.11」直後の開館記念日に、当時目黒区美術館の学芸員だった正木さんが中止となった「原爆展」について講演された際、わざわざ丸木美術館まで聴きに来て下さったという助手の方もいらっしゃいました。

女子美の皆さんからたくさんの刺激と元気を頂いて、刊行の迫っている「非核芸術案内」の執筆に取り組みます。
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2013/10/1

artscape福住廉さんによる「平野正樹展」展評など  企画展

2013年10月1日号のwebマガジン「artscape」に、福住廉さんによる「平野正樹展 After the Fact」の展評が掲載されました。

http://artscape.jp/report/review/10091742_1735.html

以下は、記事のなかから一部を抜粋。

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 政治的・社会的な主題と正面から向き合った写真が一堂に会した会場は、壮観である。展覧会のタイトルに示されているように、それらの写真には過去への志向性が強く立ち現われていたが、同時に現在との接点がないわけではなかった。たとえば壁面に立ち並んだ「Money」は交換価値を失った点で墓標のように見えたが、その一方で生と死の狭間を漂うゾンビのようにも見えた。というのも、「Money」を眼差す私たちの視線には、たんなる追慕や郷愁を上回るほどの交換価値への欲望が明らかに含まれているからだ。「Money」は死んだ。しかし、それらを成仏させないのは、私たち自身にほかならない。会場の天井付近に設置された「Money」は、まさしく生と死の境界を彷徨っているかのようだった。

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相変わらず、切れのある良い記事です。平野さんも、とても喜んで下さっていました。

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この日は、東京女子大学のKさんが卒業論文の相談のために来館。
Kさんは、「原爆の図」を取り上げ、絵画を通して戦争を伝えることの意味について考えたいとのことです。若い世代の方に、「原爆の図」を“発見”してもらえるのは、嬉しいことです。

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この間、少ない時間をやりくりしながら執筆を続けてきた「非核芸術案内」を、ようやく書き終えました。今後、掲載画像をそろえて掲載許諾を申請したり、文章を推敲しながら細かい箇所を整えていく作業は残っていますが、とりあえず肩の荷が下りた気がします。
「非核芸術案内」は、岩波書店のブックレットとして、12月4日に刊行される予定です。
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