2013/9/1

第42回原爆文学研究会in神戸  調査・旅行・出張

早朝の新幹線に乗って、神戸市外国語大学三木記念会館で開催された第42回原爆文学研究会に参加しました。
2日間の研究会のうち、私は2日目のみの参加になってしまったのですが、備忘の意味も込めて、以下に全体の内容を記します。

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第42回原爆文学研究会

【1日目】
○研究発表
「ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』:形成過程の考察〜編集者の役割を中心に〜」 繁沢敦子
「「原爆の子」を読む」 中谷いずみ
「「原爆/原発小説」の修辞学(レトリック)」 中野和典

【2日目】
○プログラム1 ワークショップ「ヒバクシャを「語る」―核と植民地主義―」
報告1「マーシャル諸島の米核実験被害の実態 ― グローバルヒバクシャの射程から迫る」 竹峰誠一郎
報告2「朝鮮人被爆者を「語る」― 韓水山『軍艦島』の場合」 楠田剛士
全体討議
○プログラム2 記録映像作家・岡村淳ドキュメンタリー上映および鼎談
司会者から 川口隆行
ドキュメンタリー上映 「消えた炭鉱離職者を追って」序章+「リオ フクシマ」
鼎談 岡村淳、高野吾朗、川口隆行


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原爆文学研究会には、いつも参加するたびに大きな刺激を受けます。
そして、今回も充実したテーマ設定と発表内容に、深く感銘を受けました。

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2日目のワークショップについては、あらかじめ、次のような問題設定がされていました。

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 かつて小田実は『HIROSHIMA』の「あとがき」のなかで、原爆の原料となったウラニウムがアフリカのベルギー領コンゴの鉱山から採掘されたことにふれ、原爆は「そもそもの初めから侵略、植民地支配、差別、収奪の歴史とじかに結びついたものであった」と指摘した。実際のところ、ウラン採掘、核実験、核廃棄物処理を含んだ核兵器製造過程や原爆投下、そして原子力発電のあらゆる局面において、人種的・社会的マイノリティが搾取されてきた歴史を無視してヒバクシャを<語る>ことは難しい。
 今回のワークショップではまず、<グローバルヒバクシャ>の提唱者でもある竹峰誠一郎氏が、マーシャル諸島の米核実験被害を住民の「生活史」の観点から聞き書きで再構築し、住民の抵抗の側面も視野にいれつつ核被害の実態に<グローバルヒバクシャ>の射程から迫る。
 次に、本研究会会員の楠田剛士氏が、韓水山の小説『軍艦島』を取り上げ、朝鮮人被爆者の強制連行、炭鉱労働、原爆被爆といった大きな問題がいかに人間の生死のありようを問い直しているのかという点について<語り>の側面から検討する。
 核と植民地の問題に焦点を当てながら、ヒバクシャを<語る>ことの意義をフロアとともに考えてみたい。


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丸木美術館の評議員でもある竹峰誠一郎さんの報告は、彼が継続的にフィールドワークを行っているマーシャル諸島における米核実験被害の実態について。
とりわけ、「核なき世界」、「脱原発」といった大文字の政治課題によって核被害者の問題が周縁化させられることへの懸念や、「核の難民」として土地や文化を奪われて生きるマーシャルの人々の暮らしや苦悩についての具体的かつ詳細な報告は、ともすればこぼれ落ちることの多い視点だけに、非常に重要な意味を持つ視点であったと思います。

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竹峰さんに続いて行われた楠田剛士さんの報告は、朝鮮人被爆者を主題に記された韓水山の小説『軍艦島』を、「カラス」(韓国で出版された際の題名)のイメージによって分析するという内容でした。

「軍艦島」と呼ばれた長崎の端島炭鉱で強制労働をさせられ、長崎の原爆で被爆する朝鮮人の若者たちの姿を描いた韓水山の小説は、丸木夫妻の原爆の図 第14部《からす》から想を得たもので、韓国版の表紙にも原爆の図の《からす》が使用されていました。
ところが日本で出版されるときには(廃墟ブームで注目されていた)『軍艦島』へと題名も表紙写真も変更されると聞き、当時、たいへん残念に思ったことを覚えています。
以前、日誌でも《からす》について少し記しましたが、このイメージはもともと『朝日ジャーナル』1968年8月11日号に掲載された石牟礼道子さんの「菊とナガサキ」に由来しています。原爆投下後に放置された朝鮮人の死骸にカラスが群がり「目ン玉は食いよる」という情景で、原爆被害の大きさにかき消されがちな複雑な差別の問題を鮮やかに提示しているのです。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/2209.html

小説に多様なイメージでカラスが用いられていることを取り上げる楠田さんの発表を聞きながら、あらためて考えていたことは(楠田さんの発表趣旨とは若干異なるのですが)、炭鉱の強制労働と原爆という二重の苦難を「からす」というひとつの語で象徴させた発想の凄みでした。

発表の後のディスカッションで、会場から投げかけられた「この小説で重要なのは、土地から切り離されたところで故郷を思いながら死んでいくということ。その点は、広島・長崎の被爆者とまったく異なる。土地を奪われて苦しむマーシャルの人びとが重なる」という趣旨の発言も、ずっと心に残り続けています。

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岡村淳さんの記録映像『リオ フクシマ』(2012年)は、リオで行われた世界環境会議に参加し、福島原発の問題を訴えた市民グループの行動を撮影した作品でした。
この映像の「何も決めずに、目の前で起きていることを映す」という姿勢のシンプルさと、その映像の意味する複雑かつ多層的な視点には、「これが本当のドキュメンタリというものか!」と目から鱗が落ちる思いがしました。
そこに映された出来事からは、今回のワークショップでとりあげられていた「核と植民地主義」というテーマにも重なって見える問題を想起させられます。
また、同時に、「原発」という大文字の政治的課題を超えて、観る人それぞれに返ってくる根源的な問題を突きつける厳しい作品であるとも感じました。

撮影から編集、そして発表(!)までをすべて個人で手がけるという特異な映像作家・岡村淳さんでなければ作れないであろう、何ものをも恐れない映像作品。その後の鼎談や意見交換の活発な発言も、この映像の魅力とパワーに触発されてのものだったのでしょう。
岡村さんの著作『忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅』(港の人、2013年)は、ぜひともお勧めしたい一冊です。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013063000012.html

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今回の研究会は、夏の繁忙期ということもあって、当初は参加を考えてはいませんでした。
けれども、申し込み〆切直前になって広島大の川口隆行さんから直接ご連絡を頂いて、急きょ駆けつける決心をしたのです。結果的には、その決断は大正解でした。
「非核芸術」というテーマを掘り下げて考えている今の時期に、さまざまな問題を考える手掛かりを頂いたことに、あらためて感謝いたします。
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