2013/9/29

木下晋展「生命の旅路」チラシ入稿  企画展

月末の入稿ラッシュ。
丸木美術館ニュース第115号に続き、11月12日よりはじまる企画展「木下晋展 生命の旅路」のチラシも入稿しました。

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10Hから10Bまでの22段階の鉛筆を駆使し、「最後の瞽女(ごぜ)」といわれた小林ハル、元ハンセン病患者の詩人・桜井哲夫など、過酷な運命を生きた人々を緻密な線描で表現する木下さん。
一本の皺も逃さず描き込むその作品の数々は、人間の生のただごとでない重みを深く問いかけるものとして、観る人の心に強く残ります。
今年6月、彼はその原点ともいうべき絵本「はじめての旅」(福音館書店)を出版しました。放浪癖のある実母に手を引かれ、少年時代に体験した富山から奈良までの流浪の旅の物語です。
今展では、その絵本原画を出発点にして、16歳でクレヨンを油彩代わりに使用して描き、自由美術協会展に初入選したデビュー作《起つ》をはじめ初期油彩画21点、さらに長い苦悩を経てたどり着き、彼の代名詞ともなった鉛筆画の数々へと続いていく、木下さんの長い旅路を紹介いたします。

出品作品は、木下さんのクレヨン画1点、油彩画21点、鉛筆画45点、絵本原画「はじめての旅」、「ハルばあちゃんの手」(以上、会期中前後期展示替えあり)に加え、山形県鶴岡市湯殿山の注連寺のために描かれた天井画「天空之扉」のエスキース(下絵)も予定しています。

また、会期中には以下のイベントも開催予定。
@オープニングトーク「木下晋の旅路 はじめての旅から合掌図まで」
 11月16日(土)午後2時 木下晋+岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員)
A記念対談「木下晋の仕事をめぐって」
 12月21日(土)午後2時 木下晋+水沢勉(神奈川県立近代美術館館長)
いずれも参加自由(当日の入館券が必要です)、当日は、午後1時に東武東上線 森林公園駅南口に美術館の送迎車が出ます。

現在、PC故障のためHPの更新が滞っていますが、近々HPでもお知らせしていく予定です。

そして、この展覧会が2014年春に沖縄県立博物館・美術館へ巡回することが決まりました!
丸木美術館で企画した展覧会が、公立美術館に巡回するのは初めてのこと(というより、そもそも他館に巡回した経験がない)で、粗相がないようにと少々緊張気味ではあります。

ともあれ、展覧会の内容は、とても素晴しいものになりそうなので、丸木美術館で、そして沖縄で、多くの方にご覧頂きたいと思っています。
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2013/9/26

女子美術大学大学院「言語とアート」特別講義  講演・発表

夕方、相模原の女子美術大学を訪れ、大学院の島村輝先生の授業「言語とアート」で特別講義をさせて頂きました。

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前週には、神奈川県立近代美術館・葉山で開催中の「戦争/美術 1940-1950」展を観てきたという学生さんたちに、丸木夫妻を軸にして1940年代美術についての話をしました。
以下は、レジュメからの見出しの抜粋。

1.はじめに ―― 神奈川県立近代美術館葉山「戦争/美術 1940-1950」展を見て
 a)1940年代の美術 ―― 幕末・明治期以後の日本の「洋画」のひとつの到達点
 b)「日本画」と「洋画」というジャンルの解体
2.前衛画家としての丸木位里
 a)歴程美術協会時代の絵画 ―― シュルレアリスムの日本的解釈
 b)水墨の実験 ―― 銀座紀伊国屋画廊「丸木位里・船田玉樹個展」1939年10月16日〜20日
3.丸木俊の南洋体験
 a)裸体表現の獲得
 b)位里との出会い ―― 「洋画」と「日本画」の融合
4.「弱者」への視座
 a)丸木位里:被差別者への共感と大衆運動への参加
 b)丸木俊:パラオ島民(被支配者)に対するまなざし
5.「原爆の図」という実験
 a)広島を「見た」二人の画家
 b)何を「描く」か、何を「描かない」か ―― 占領下の時代の「戦争画」
 c)「日本画」と「洋画」の融合・共同制作

授業のあとで、学生さんの感想文を見せて頂いたのですが、思っていた以上に「原爆の図」に対する好意的な評価が記されていて(私が講義をするという事前情報があったせいかも知れませんが)、ちょっと驚きました。
若い世代の美大生は社会的主題を敬遠しがちなのではないか……と先入観があったのですが、女子美の学生さんが特別なのかどうかはわかりませんが、必ずしもそうとばかりは言えないようです。

女子美大学院の講義は、2週連続で行う約束なのですが、なかなか準備をする時間がないので、2週目は現在執筆中の「非核芸術案内」をテーマに、原爆投下後から現在にいたる核をテーマにした芸術を紹介することにしました。
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2013/9/25

益子・朝露館訪問  調査・旅行・出張

近現代史研究者のKさんといっしょに、栃木県益子町へ行ってきました。
丸木美術館の元評議員で、陶作家の関谷興仁さんの展示施設「朝露館」を訪問するためです。
1両編成の真岡鉄道に乗って益子駅に着くと、関谷さんと詩人の石川逸子さんの御夫妻が車で迎えに来て下さいました。
益子の中心街を案内して頂きながら、さっそく「朝露館」へ。

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関谷さんは1932年生まれ。81年より益子を訪れて陶芸をはじめ、88年にこの地に工房・窯を設けると、92年に工房の隣に「朝露館」を開館させたのです。

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丸木美術館でも、2003年に個展を開催して下さっています。
館内に入ると、金明植の叙事詩「漢拏山」や、石川逸子さんの長詩「千鳥ヶ淵へ行きましたか」など、丸木美術館の個展でも展示された懐かしい作品が並んでいました。

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関谷さんの作品は、光州事件や15年戦争など、社会的主題を扱った詩や文章を、陶板に彫り刻んで作られます。さらに刻んだ文字のくぼみに白い陶土を埋め込むという手間のかかる過程を踏んで、仕上げられていくのです。
それは、関谷さんの言葉を借りれば、「僕には、こうして悼むしか、今に対する対し方はない。それは僕自身を悼むことである」という作業です。

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端正に彫り刻まれた文字ではありますが、しかし、展示全体を見ると、その“過剰さ”に圧倒されます。
しかもその過剰さは、年々エネルギーを増しているように思います。

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今回の新作は、戦時中に秋田県の花岡鉱山で中国人労働者が蜂起した“花岡事件”など、中国人の強制連行をテーマにしたもの。

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強制連行された中国人の名簿を入手し、その一人一人の名前を小さな陶板に刻むという、大変な労力の結果、完成した作品です。

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「文字」を展示しているにもかかわらず、関谷さんの作品は、非常に視覚的なのが面白いところです。
それにしても、彫るのも大変そうですが、焼いて、展示するのも大変そうです。
それだけ思いが強くあるのでしょう。
作品解説をする関谷さんの話も、時間を忘れて熱が入ります。

濃密な関谷さんの作品世界に圧倒されながら、関谷さんをこれほどまでに駆り立てる戦争への思いとはいったい何なのか、そうした思いの強さを私たちがどう受け止めていけばいいのか、なかば呆然とするような思いで展示を拝見しました。
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2013/9/24

福住廉さんの展評  掲載雑誌・新聞

先日、「平野正樹展」のオープニングトークに出演して下さった美術評論家の福住廉さん。
いつも、受付で名乗ることもなく入館して、こちらが気づかなければそのまま展示を観て黙って出て行ってしまう方なのですが、実は丸木美術館の展示に頻繁に足を運び、目配りをしてくれている、数少ない美術関係者なのです。

先日、毎月2回発行されているwebマガジンartscapeに、もうずいぶん前から福住さんが、丸木美術館の企画展の展評を書いて下さっていることを、初めて知りました。
たいへん恥ずかしい話なのですが、福住さんも自分から全然言わないし、私もあまりネット上の評判など検索しないもので……

以下に、丸木美術館に関連する展評をピックアップしてみますが、企画意図をきちんと受け止めて評価して下さり、かつ、こちらの反省点があれば的確に指摘して下さるという意味で、本当にありがたい展評です。励みになります。

壷井明 無主物(2013/02/01〜2013/04/14)
http://artscape.jp/report/review/10086461_1735.html

遠藤一郎 展 ART for LIVE 生命の道(2013/03/03〜2013/04/14)
http://artscape.jp/report/review/10086460_1735.html

福島原発の闇(2012/05/26〜2012/07/07)
http://artscape.jp/report/review/10041038_1735.html

本橋成一写真展 屠場(丸木美術館ではなく、銀座ニコンサロンの展評ですが)
http://artscape.jp/report/review/10034600_1735.html

Chim↑Pom展 LEVEL7 feat. 広島!!!!(2011/12/10〜2011/12/18)
http://artscape.jp/report/review/10019540_1735.html

チェルノブイリから見えるもの(2011/05/03〜2011/06/25)
http://artscape.jp/report/review/10007030_1735.html

今日の反核反戦展2010(2010/09/11〜2010/10/15)
http://artscape.jp/report/review/1223870_1735.html

これらの展評を読むだけでも、福住廉という評論家が、タダモノでない、今の時代には稀有な存在であることが感じられます。

   *   *   *

さて、今年末に岩波書店から『非核芸術案内 核はどう描かれてきたか』と題するブックレットを刊行させて頂くことになりました。
昨夏、今春と東京新聞に連載した記事をもとに、加筆・再構成した内容になります。
そのため、現在、集中して執筆作業に取り組んでいます。
ブログ「丸木美術館学芸員日誌」は、しばらく更新をお休みさせて頂きます。
10月上旬(未定)に再開予定です。どうぞご了承ください。
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2013/9/22

コシチェルニャック展・野村路子さん講演  特別企画

丸木美術館2階アートスペースにて、9月21日から10月20日まで特別展示「ミェチスワフ・コシチェルニャック展」が開催されています。

ナチスによってアウシュヴィッツ強制収容所に連行された画家コシチェルニャックの絵画展です。

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コシチェルニャックは1912年、ポーランドに生まれました。
クラクフの美術アカデミーを卒業後、絵画制作に励んでいましたが、1939年にナチス・ドイツがポーランドに侵攻すると、ポーランド防衛軍に参加。やがて戦傷で故郷に戻り、反ナチスの抵抗運動に身を投じました。
しかし、1941年2月、ドイツ兵がポーランド人を殺害する場面を描いていた絵が見つかって、できたばかりのアウシュヴィッツ収容所へ送られたのです。

アウシュヴィッツでは、偶然、ナチスの幹部に絵の才能を認められ、美術工房でドイツ軍に命じられるポスターなどを描くことになりました。
そこで幹部たちの肖像を描かされながら、密かに収容所の実態を描き、仲間の協力で、外部の地下組織に流していたそうです。

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たとえば、一見、美しく描かれたコンサートの風景。
演奏する人の顔は、ナチスへの抵抗運動をしていた指導者になっています。
つまり、彼らがまだ収容所内で生きていることを、外部の人間に伝えていたのです。

そのころ、彼と交友を深めていたマクシミリアノ・コルベ神父は、他人の身代わりとなって餓死室で生涯を終えました。
コシチェルニャックは、コルベ神父に「あなたは生きて人びとに収容所のできごとを伝えなさい」と言われたことを忘れず、解放後もアウシュビッツの絵を描き続けます。

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アウシュヴィッツ収容所跡に国立博物館が開設されると、初代館長に迎えられましたが、「精神的負担が大きい」とのことで間もなく辞任したそうです。
今回、丸木美術館で展示された絵画は、1995年に『写真記録 アウシュヴィッツ』(ほるぷ出版)の構成・編集に携わった野村路子さんが、コシチェルニャック夫人のウルシュラさんとの文通を重ねるなかで、「夫の遺志」として夫人から譲り受けたものです。

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この日は午後2時から、コシチェルニャックの絵の前で、野村路子さんの講演会が行われました。

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狭いアートスペースは、50人ほどの参加者で満員状態。
野村さんは、今から20年ほど前に、アウシュヴィッツの生存者を連れて丸木美術館を訪れたときのお話などを交えながら、アウシュヴィッツの実態、そしてコシチェルニャックの生涯について、詳しく語って下さいました。
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2013/9/20

あいちトリエンナーレ2013 揺れる大地  調査・旅行・出張

筑豊・広島出張の帰途、名古屋で途中下車してあいちトリエンナーレ2013を見てきました。
今回のあいちトリエンナーレのコンセプトは、「揺れる大地」。
必ずしもすべての作品というわけではないのですが、東日本大震災や福島原発事故を視野に入れた作品が多いのが特徴です。

メイン会場となる愛知芸術文化センターには、ヤノベケンジのサンチャイルドが立っています。

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サンチャイルドは、昨年6月、第五福竜丸展示館に展示されたときに観ていました。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1910.html

放射能防護服を脱いでも生きていける世界を希求する希望のモニュメントです。

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胸のガイガーカウンターには、「0」という数字が刻まれています。
サン・チャイルドの足もとや背後の壁に見える黄色いラインも作品です。

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愛知芸術文化センターの地下2階から10階までの吹き抜けのスペースを利用して、原寸大の福島第一原発の建屋の立体図面を描いた宮本佳明の《福島第一さかえ原発》。

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原子炉建屋の大きさを、展覧会場に転写することで実感するという試みです。

   *   *   *

10階の愛知県立美術館には、旧知の I 学芸員が勤めています。
そこで、I 学芸員に案内して頂き、芸術文化センターの作品を観ていきました。

I 学芸員のお勧めは、オランダ人作家アーノウト・ミックによる映像作品《段ボールの壁》。
避難所となった福島県郡山市の「ビックパレットふくしま」を舞台に、段ボールの敷居のなかで暮らす原発被災者に対し、お詫びしてまわる東電の責任者たちの姿を撮影した映像を、仮設の段ボール越しに観る、という作品。
ひとりひとりに土下座をする東電の責任者たち。無視をする人、憤りをぶつける人、泣きだす人……延々と流される映像を観ていると、しかし、次第に、ある違和感を覚えるようになります。
どうもおかしい、この映像は本当に記録映像なのだろうか、と。
実は、この作品は、被災者に参加してもらって撮影した再現映像なのです。
後半部分になると、再現映像から逸脱し、完全にフィクションの世界へと入っていきます。
それが作品の狙いではあるのですが……しかし、作品については賛否両論の意見があるとのこと。たしかに、「被災」というデリケートなテーマを扱い、実際に被災した方々に参加してもらいながら、フィクションの世界を表現するのは、難しい部分もあるのでしょう。

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また、その他にも、瓦礫を使って異物に「修復」する仙台出身の作家・青野文昭の作品なども印象に残りました。

   *   *   *

その後は、元NHKさいたま放送局のキャスターで、現在は名古屋局でラジオ番組のパーソナリティを担当している I さんと待ち合わせ、納屋橋エリアと長者町エリアも楽しんできました。

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写真は、納屋橋エリア。元ボウリング場だった東陽倉庫テナントビルを使って、ボウリングのレーンを建物から出し入れさせるリチャード・ウィルソンの作品。
道路から見上げているのは、I さんです。
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2013/9/19

広島「ピース・ミーツ・アート」展/位里襖絵調査など  調査・旅行・出張

午前中、Eさんに新飯塚の駅まで送って頂き、これから佐賀・長崎へ向かうというMさんとも別れて、新幹線で広島に入りました。

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広島県立美術館では、現在「ピース・ミーツ・アート!」展を開催中。今夏に広島で開催された三つの美術館の共同企画「アート・アーチ・ひろしま2013」の一環で、丸木夫妻の原爆の図 第12部《とうろう流し》(後期展示10月14日まで、9月1日までの前期展示では第7部《竹やぶ》)が出品されているのです。
展覧会は「破壊から再生へ」、「対話(自然と人との対話)」、「未来へのアート・アーチ」という三つの章からなっているのですが、仕事柄もあって、やはりもっとも興味を惹かれたのは第1章「破壊から再生へ」でした。

入口には岡本太郎の《明日の神話》が飾られ、同じ空間にはピカソの版画《フランコの夢と嘘》(9月1日までの前期展示では群馬県立近代美術館所蔵の《ゲルニカ》タピスリが展示)も並んでいました。さらに岡部昌生の広島のプラットフォームの床面を削り取ったフロッタ―ジュ作品や米国で戦争を体験した国吉康雄の女性像《夜明けが来る》、藤田嗣治の《アッツ島玉砕》などを見ながら展示室に入っていくと、石内都の《ひろしま》シリーズ並んで原爆の図《とうろう流し》がありました。向かって右隣りの壁面には平山郁夫の《広島生変図》。それぞれ強い個性や制作背景を持つ作品でありながら、色調が美しく連続していて、企画担当のN学芸員の仕事ぶりがうかがえるような端正な構成だと感じました。

そしてそれらの作品と向き合うように、宮川啓五の《太田川》が展示されています。
この作品は原爆の図以上に横幅の長さを感じさせる絵画で、左から右に太田川が流れ、上流から順に昭和10年冬、昭和15年春、昭和20年夏、昭和25年秋の風景を描いているのです。
一見、川の四季の移ろいを描いた日本画らしい題材の作品なのですが、画面中央右が炎に包まれていて異彩を放ちます。昭和20年夏、つまり原爆投下直後の風景です。原爆を描くのであれば、一般的には爆心地付近、つまり原爆ドーム(旧産業奨励館)や相生橋の風景をそれに当てるのでしょうが、宮川の作品では三篠橋が炎に包まれ、つまり、爆心地を少しずらしたかたちで原爆の風景を描いています。
それは何故か。
おそらく、作者は昭和25年秋、つまり原爆から5年後の風景として、爆心地近くの太田川沿いに並ぶ「原爆スラム」と呼ばれた基町のバラック群を描きたかったのではないでしょうか。
そこから逆算して四季と太田川の風景を選んでいったのではないかと私には感じられ、しばらくバラック群の描写から目が離れませんでした。原爆を描いた作品は数多くありますが、「原爆スラム」を描いた作品はほかにもあるのか(こうの史代の漫画『夕凪の街、桜の国』を連想しますが)、調べておきたいところです。

また、第3章の現代美術では、山本基の《迷宮》や広島出身の内藤礼が初めて原爆をテーマにしたという被爆したガラス瓶を用いた作品《タマ/アニマ(わたしに息を吹きかけてください)》も印象に残りました。

けれども、ここでは所蔵品展示の美術館のこども部屋ver.1「ケンビの宝物。名作って何だろう?」に触れておきたいと思います。
子どもたち向けに、視点を変えて所蔵品を楽しむという趣旨のこの企画。

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「宝物の箱ってどんな箱?」という章で、広島県立美術館所蔵の丸木スマの掛け軸《動物》とともに、作品が収められている箱も展示されているのです。

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ふだんから舞台裏を知っている学芸員にとっては、決して目新しくない箱ですが、「宝物」がこんなに大切にされているんだと子どもたちは新たな発見をしてくれることでしょう。
箱書きは、スマ作品を愛し、そのコレクションを広島県立美術館に寄贈された小林和作。
作品を表装したのも小林和作で、展示では「この作品のように紙や布に絵や文字を貼ることを表装といいます。この作品の表具は、丸木スマさんの作品が大好きで集めていた人がつくりました。作品がよりステキに見えるように、考えられています。あなたなら、どんな表具にしますか?」といった問題も出題されていました。

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続いて、ひろしま美術館の「イサム・ノグチ〜その創造の源流〜」を観ました。

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平和大橋のデザイン、そして幻となった原爆慰霊碑の作者として知られるイサム・ノグチの創造の源流を、影響を受けた作家の作品とともに振り返るという企画。
ニューヨークで石垣栄太郎の影響を受け、黒人のリンチを題材にして制作した《死(リンチ)》という彫刻や、メキシコの壁画運動との出会いを紹介した章が特に印象に残りました。

「創造の源流」を見て、あらためてイサム・ノグチの設計した平和大橋を見ておきたいと思い、平和公園を通って平和大橋へ。

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平和大橋を渡って向かった先は、広島市高等女学校原爆慰霊碑。
学徒動員によって建物疎開などの労働中に原爆を受け、広島市高等女学校では広島市内で最も多い679人の生徒・職員が亡くなったそうです。

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この慰霊碑は、石碑の中央で女の子が抱えている「E=MC2」と書かれた箱が重要です。
数式は、原爆の原理であるアインシュタインの相対性理論の原子力エネルギーの公式です。
この碑が建立されたのは、1948年8月6日。
当時は米軍の占領下にあり、プレスコードの影響で、慰霊碑にさえ「原爆」という言葉を刻むのがはばかられた、時代の空気の証なのです。

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この日の最後に訪れたのは、中区にある丸木家の親戚にあたる昭法寺でした。
丸木位里の筆による竹と梅の襖絵の調査です。

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1975年初夏に描かれたこれらの襖絵は全部で15枚。
決して大作ではありませんが、丸木位里らしい力の抜けた飄々とした筆運びの襖絵です。

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また、本堂には、俊の筆による飛天も描かれていました。
さすがに広島市には、まだまだ知らない丸木夫妻の作品がたくさん眠っているようです。
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2013/9/18

【筑豊出張2日目】炭鉱展作品返却その2  調査・旅行・出張

今日はお風呂好きのMさんのリクエストで、朝から温泉。
Eさんのご案内で、飯塚駅前の忠隈炭鉱のボタ山にほど近い筑豊の湯へ行きました。

朝食の後は、田川市にある、山本作兵衛のお孫さんのIさんが経営されている自動車会社2階の作兵衛事務所へ。上野朱さんもわざわざおいで下さり、山本作兵衛の炭坑画60点の返却です。一点一点の作品を、元々入っていた額に収める作業。さらに、御親戚の方に作品を返却し、御礼のご挨拶もしてきました。

お昼御飯は、炭鉱の最盛期に長屋で店をスタートさせたという由緒あるホルモン焼きのお店「朝日屋」へ。
今回の「坑夫・山本作兵衛の生きた時代」展では、Iさん、Eさん、上野朱さんには本当にお世話になりました。そのことにありがたさを痛感しながら、今展の作品返却はすべて終了。

その後、5月の集荷を手伝って下さった筑豊における現代美術の中心人物Bさんの怪我のお見舞いに市立病院へ。病院の面会室からは、香春岳(かわらだけ)が真正面に見えました。

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筑豊は「黒ダイヤ(石炭)と白ダイヤ(石灰)」で栄えたそうですが、香春岳の一ノ岳は、質の良い石灰岩を採掘したために山が半分の高さで真二つになっているのです。

一旦、飯塚のEさんの家に戻った後に向かったのは、飯塚霊園に建つ「無窮花(ムグンファ)堂」。Eさんが前回の筑豊出張の際に「どうしても見せたい」と仰っていたもので、植民地時代に炭鉱などで強制連行されて亡くなった朝鮮の方々の遺骨を安置するために2000年12月に建てられた御堂です。

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無窮花とは、ムクゲの朝鮮半島における呼称。
小さな枝からでも根を下ろし、初夏から秋にかけて毎朝花を咲き変わらせながら咲き続けるというたくましさを、朝鮮の方々は植民地として支配されていた時代に、自らの魂の象徴としたのだそうです。

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歴史回廊と名づけられた周囲の壁面には、視点を反転させた東アジアの地図(通常の北を上にした地図ではないので、日本列島が大陸の一部であり、ひとつのつながりになっているという位置関係がよく見える)や、植民地支配と過酷な強制労働の歴史などが写真入りのタイルで紹介されています。

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「こうした御堂が建つまでに、55年もかかってしまったんだね」とMさん。
筑豊をまわっていると、朝鮮の方々との関係の深さ、そしてその慰霊や鎮魂の碑があちこちにあるということに気づきます。炭鉱と強制労働の歴史は、本当に、切り離せない関係にあるのです。

夕方には、本日二度目の温泉として、所田温泉に行ってきました。この温泉は、かつて貝島炭鉱保険組合が運営していた保養所だったという施設で、現在は宮若市の社会福祉センターとなっています。値段も安く、地元の人たちが利用する地味な温泉なのですが、風呂の風情が山本作兵衛の絵に登場する坑夫たちの浴場を思い起こさせる(「残念なのは混浴でないこと」とはMさんの談)、好感の持てる温泉でした。

その帰り途にはEさんのご案内で、貝島炭鉱の跡地をまわってきました。
貝島炭鉱は、麻生、安川とならぶ筑豊御三家の貝島財閥の創始者で「筑豊の炭坑王」の異名をとった貝島太助が開きました。
1885年に開坑し、1976年に閉山するまで大規模な露天掘りをしていた大之浦炭坑の跡地は、現在は大きな貯め池になっています。

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また、広大な跡地の一部には、大和ハウスが巨大な太陽光発電施設を建設していました。総事業費は65億円とのこと。炭坑跡地にメガソーラー。ずらりとパネルが並んだ異空間的な光景を見ながら、炭鉱と違って原発に文化は生まれなかったけれど、メガソーラーからも面白い文化は生まれることはなさそうだな……と思いました。

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その近くには、貝島太助が設立し貝島私学と呼ばれた旧私立大之浦小学校を利用した宮若市石炭記念館もあります。残念ながら私たちが訪れた際には開館時間を過ぎてしまっていたのですが、館内は小学校の教室をそのまま展示室として生かし、山近剛太郎の油彩画なども展示されているようでした。

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石炭記念館の周辺には、かつての炭住の跡であることが偲ばれる集合住宅が整然と並んでいます。少し先の区画には、「大之浦中学校跡」の巨石碑もありました。

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この中学校も“貝島私学”かと思いましたが、調べてみると公立(当時の宮田町立)だったようです。
石碑の裏側には校歌も刻まれていました。今回の「炭坑展」のトークで、コールマイン研究室のKさんが産炭地の学校の校歌に注目されていたことを思い出し、以下にその歌詞を書き出します。

南によろう笠置山
北にそびゆる六ヶ岳
青雲匂うまほらまの
つゝじが丘によりつどい
自立独往の精神に
おのれ鍛えん
あゝわが浦中


その後、炭坑跡を整備した「2000年公園」を通って石炭記念館の裏手にまわると、先ほどは気がつかなかったのですが、校庭の奥に1940年1月21日に建立されたと刻まれている「殉職者慰霊碑」が建っていました。

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貝島大之浦炭坑では、1939年1月21日のガス炭塵爆発事故で92人が亡くなっているので、その一周忌の際に建立された慰霊碑のようです。もちろん、もともと小学校に建っていたのではなくて、別の場所から移してきたようです。

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炭住地区の一角では「貝島炭鉱創業之地」と刻まれた石碑も見つけました。
貝島炭鉱の重役であった山近剛太郎の作品調査の過程でも感じたことですが、貝島炭鉱は筑豊の大手炭鉱のなかでは良心的であったというか(もちろん、朝鮮の方々を労働させてはいるのですが)、関係者が誇りと愛着を持って語る会社であったということが、跡地をめぐっていても感じられます。
Mさんは「貝島は大会社なのに“一山一家”的な雰囲気の会社なんだね」と感心していました。

Eさんの家に帰宅し、夕食を頂いた後、韓国版の筑豊炭鉱遺跡ガイドブックを見せて頂きました。ハングルなので読めませんが、そのガイドブックに掲載されている施設は、今回の「炭坑展」の集荷・返却の際に、私たちがEさんに連れられて歩いた場所とかなり重なっていました。
おそらくは、日本の型通りのガイドブックでは知ることができない内容。実際に現地へ足を運んで、炭坑に深い思いを寄せている方々に案内されて、それで初めて知ることができる内容です。
「これはいい内容のガイドブックだ」とMさんも絶賛。
山本作兵衛の記録画や廃墟ブームを機に、日本でも炭鉱への関心が高まっているとは思いますが、それでも、「このガイドブックの日本語版が欲しい」と私たちが思うように、表層的なブームではなく、炭鉱の意味を考える深まった視点の筑豊ガイドはまだ作られていません。そのあたりに、日本の炭鉱文化の視点をめぐる問題点が潜んでいるような気もします。

このガイドブックで知った施設に、小竹町で個人が運営されているという「兵士・庶民の戦争資料館」という小さな(しかし、興味深い)施設がありました。
もう少し早く知っていたら、Eさんにも案内して頂いたのですが、今回は時間がないので断念しました。次に筑豊を訪れたときのために、とっておくのも良いのかもしれません。
Eさんのお連れ合いのTさんからは、「ここをいつでも泊まれる場所と思って、また筑豊に遊びに来て下さい」と嬉しい言葉を頂きました。
今回もまた、充実した筑豊出張となりました。
Eさんはじめ、お世話になりました皆さまには、心から御礼を申し上げます。
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2013/9/17

【筑豊出張初日】炭鉱展作品返却その1  調査・旅行・出張

休館日ですが、「坑夫・山本作兵衛の生きた時代」展の作品返却のため、展覧会の企画委員の一人で元学芸員のMさんとともに、早朝の新幹線で小倉へ向かいました。5時間新幹線に揺られ、小倉駅に到着したのが正午過ぎ。

山本作兵衛のお孫さんのEさんが車で迎えに来て下さって、そのまま、まずは小竹町にお住まいの元貝島炭鉱重役のFさんのお宅へ。Fさんが大切にされている山近剛太郎のスケッチブックを返却しました。

続いては、直方市石炭記念館へ移動し、直方谷尾美術館のN学芸員に立ち会って頂きながら、山近剛太郎の坑内馬を描いた色紙と原田大鳳の《炭坑絵巻》を返却。
ちょうど館内では、9月10日から11月10日まで特別企画として山近剛太郎の炭鉱画や秘蔵の下絵の展示をしていたので、そちらの方もじっくりと拝見しました。
この展示のはじまる直前に、山近剛太郎の炭鉱画のもとになる貴重な下絵や参考資料が発見されたという話をN学芸員から伺っていたのですが、今回は、実際にその下絵などをひとつひとつ見せて頂きました。

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「作兵衛さんは脳内リアリズムだけど、山近さんは技術者だけあって、科学的なリアリズムだね」とMさんがおっしゃっていたように、下絵には緻密に計算された人体や坑道の奥行きの比率などの数字があちこちに描き込まれ、「炭鉱の絵には決して間違いがあってはいけない」という作者の思いが伝わってきます。
また、雑誌などから切り抜かれた、人体を描いた古今の画家たちの絵画や外国の炭鉱画の資料などもスクラップされていて、熱心な研究ぶりもうかがえました。とりわけ、ゴヤの《1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺》の絵の欄外に記された「血で赤色を出すこの絵こそ、坑内変災を画けと自分にいうのである(54.4.3.)」との書き込みには心を動かされました。

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直方市石炭記念館の裏手には、九州炭鉱救護隊連盟直方救護練習所時代に使われた訓練用坑道や圧縮空気式機関車などが残されています。

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前回、作品借用に伺った時には、裏手の方まで見る時間がなかったので、今回はその坑道の周辺も見せて頂きました。

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坑道の奥には、石炭記念館設立を機に1971年に建てられた炭鉱殉職者慰霊碑もあります。

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前庭には、1938年製で、30年間石炭輸送に走り続けたC11-131号蒸気機関車も展示。

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実際にこの機関車に乗って働いていたという現石炭記念館職員の方にお話を伺い、博物館のすぐ前に架かっている跨線橋にかつての直方駅の転車台が転用されていることも知りました。

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その後は、N学芸員の勤務先の直方谷尾美術館へ。
企画展「動物園がやってきた!! ようこそ!のおがたサファリランド」を観たのですが、出品作家の一人、角孝政さん(造形作家、不思議博物館館長)の射的で動物の的を倒す、という展示(というか、アトラクションのような……)に、Mさんが童心に帰って大よろこび。

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さらにEさんのリクエストで、白鳥のかぶりものをかぶって銃を構えるMさんといっしょに記念撮影。なんだかひどいことになっていますが、子どもたち(と、子どもの心を持った大人たち)は大いに楽しめる展示なのではないかと思いました。

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温泉好きのMさんのために、一日の締めくくりはEさんに案内されて、脇田温泉湯乃禅の里(宮若市)へ行きました。

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風情のある温泉の廊下の途中には竹原古墳という6世紀後半頃の犬鳴川流域の豪族の墓の横穴式石室が復元されていて、中国や朝鮮半島の影響を受けたとされる鮮やかな壁画に心を惹かれました。

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空にぽっかりと浮かんだ、満ちつつある月を眺めながら、水車風呂、寝風呂、小原庄助風呂、河童風呂という四つの露天風呂を楽しみ、旅の疲れをとりました。
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2013/9/14

「平野正樹写真展」ギャラリートーク  企画展

いよいよ「平野正樹写真展 After the Fact」がはじまりました。
初日は午後2時より、写真家の平野正樹さんと美術評論家の福住廉さんをお迎えして、ギャラリートークを行いました。

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90年代にサラエヴォの内戦の弾痕を撮影した「Holes」シリーズからはじまり、最新作「Money」日本版にいたるまでの平野さんの制作についてお聞きしながら、福住さんの鋭い作品評も交えて、非常に充実した1時間半のトークでした。

このトークの様子は、平野さんが書き起こして図録にまとめられるとのことですので、ここでは詳しく記しませんが、ひとつだけ、すでに無価値となった紙幣のシリーズ「Money」について、福住さんが「紙幣の墓標のように見える。けれども、それを見る私たちが金銭的な関心から完全に抜け出せないという意味では、死に切れていない、Moneyの“ゾンビ”だとも思った」とコメントされていたことは、とても印象に残りました。

そう思ってみると、天窓に吊って展示した「Money」は、この世に残れず、かといって浮かばれることもないままに、宙に浮いているように見えてきます。
福住さんとトークでごいっしょしたのは初めてですが、やはり面白い視点で美術を見ている方だな、とあらためて感心しました。

いつも飄々とやってきては、名乗りもせずにそっと企画展を見ていく彼が、「最近、企画展がとても充実していますね。前は1年に1、2回くらいしか来なかったのに、このところ2、3か月に一度は丸木美術館に来ている気がする」と言ってくれたのも嬉しい限りでした。

そして、まっすぐに社会の矛盾を見つめ、自分が作品を作ることでどうすれば世界を変えていけるのかを真剣に考えている平野さんの熱さにも敬意を表します。
展覧会は11月9日(土)まで。
決して華やかな話題となる企画ではないかも知れませんが、危うさをともなった経済政策が期待込みでもてはやされる今の状況のなかで、ぜひとも見ておくべき作品だと思います。
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2013/9/13

「平野正樹展 After the Fact」展示作業  企画展

昨日から「平野正樹展 After the Fact」の展示作業を行っています。
今回の展示の見どころは、平野さんの新作、「Money」日本編のシリーズ。
日本帝国主義時代の台湾や朝鮮、満州の紙幣をもとにした写真画像を大きく引き伸ばして展示するのですが、「展示室の天窓から作品を吊って、太陽光を透かして見せたい!」という平野さんのアイディアによって、今回も足場を組んで高所作業を行うことになりました。

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今日は高所作業のスペシャリスト、ボランティアのMくんに手伝いに来てもらって、展示作業を行いました。
天井から差し込む自然光が、うまい具合に「Money」の作品を照らしています。
なかなかいい感じに仕上がっています。

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壁面展示では、もちろん、その他の「Money」の展示をはじめ、サラエヴォの弾痕「Holes」、東ティモールの窓枠「Windows」、アルメニアのトーチカ(特火点)「Bunkers」といったシリーズを展示しています。

明日はいよいよ展覧会初日。
午後2時から、平野さんと美術評論家の福住廉さん、岡村の3人でトークイベントを行いますので、ぜひご来場ください。
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2013/9/11

ポレポレ坐「標的の村」/ギャラリー岳「増田常徳展」/KEN「壷井明展」  他館企画など

午前中、「炭坑展」の作品返却のために東中野のポレポレタイムス社を訪れ、現在ポレポレ坐で上映中の映画「標的の村」を観てきました。

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「標的の村」は、ヘリパッドの建設やオスプレイ配備に反対する沖縄県の高江地区の住民たちの姿を記録したドキュメンタリ映画。
8月の公開以来、私の周辺でも非常に評判になっていました。
ヴェトナム戦争時に仮想の「ヴェトナム村」として軍事訓練に参加させられたという高江の住民たちの歴史から、座り込みを行ったことによって国に訴えられた裁判の様子、そして、2012年9月29日―つまり、オスプレイが配備される前夜に普天間基地ゲート前に座り込み、基地を「完全封鎖」した人びとと警察との衝突など、生々しい映像で沖縄の基地問題の現在に切り込んでいく作品です。

基地を封鎖してオスプレイの配備に反対する人びとを、力づくで排除していく警官隊に対し、「同じ沖縄の人間でしょう。あなたたちは沖縄の人を守るために警察になったんじゃなかったの」と涙ながらに訴える女性の言葉が胸を打ちます。
沖縄を分断させているのは、本当はいったい誰なのか。
“当事者”という言葉の意味を深く考えさせられる映画でした。

基地問題をめぐっては、よく、沖縄のメディアと東京のメディアの温度差の大きさが指摘されますが、文字どおり体を張って取材し、このような映像作品をつくってしまう(琉球朝日放送が制作、同局でキャスターを務める三上智恵が監督)沖縄の切実な思いを、私たちは、どのように受け止めていけばよいのだろうかと考えると、本当にやるせない思いがします。

   *   *   *

映画を観た後は、7階のポレポレタイムス社で、スタッフOさんが作って下さった美味しい昼食(『サライ』にも紹介されたという噂の「ポレタイごはん」)を頂きました。
本橋さんはじめ、温かく迎えて下さったスタッフの皆さま、本当にごちそうさまでした!!
そして、午後1時半からは新宿の東京都庁へ「原爆の図米国展」実現に向けての打ち合わせや協力のお願いに行ってきました。

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その後は、国立のギャラリー岳で開催中の「増田常徳展 震災が投げかけたもの」に足を運びました。
増田常徳さんは、来年3月に丸木美術館で個展を開催して下さいます。
今展では、震災で餓死した牛への鎮魂の思いを込めた油彩画が印象深く、あらためて力量の高い作家だということを再確認しました。
残念ながらこの日は増田さんはいらっしゃらなかったものの、「増田常徳展」のイベントとして丸木美術館でコンサートをして下さる「トロッタの会」の木部与巴仁さんにお会いして、3月に向けての打ち合わせを行いました。

   *   *   *

最後に、三軒茶屋のKENにて開催中の壷井明「無主物 食供養画」展へ。
今年春に丸木美術館アートスペースで紹介した福島原発を題材にした絵物語《無主物》に加え、「3.11」前まで壷井さんが手がけていたという《食供養画》のシリーズを展示した企画です。
KENの黒壁には、壷井さんの作品がよく映えていました。

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「3.11」以後の福島原発に関する活動が注目されがちな壷井さんですが、そこにいたるまでの歩みや葛藤、そして人生に深く関わる制作活動も非常に興味深いところがあります。
ケンさんは「聖書をもとにした宗教画や、あるいは古代人が岩に刻んだ図像に似ている」と壷井さんの一連の作品を高く評価されていましたが、こうした特異な画家が、現代の社会でどのように受容されていくのか、今後も注視していきたいと思っています。

また、この日KENを訪れたのは、若手の女優兼劇作家のYさんを紹介するためでもありました。秋にKEN岡村企画の第3弾として、とある美術館のとうろう流しの絵を題材にした朗読劇を公演できないかと考えているところです。
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2013/9/8

「炭坑展」最終日、トム・アレンツさん来館  企画展

今夏、丸木美術館を賑わせた「坑夫・山本作兵衛の生きた時代」展も、いよいよ最終日を迎えました。
この日は午後2時から、ベルギーから来日中のトム・アレンツさんと本展企画委員の正木基さん、写真家の萩原義弘さんが「炭鉱を語りあう」というギャラリーツアーが行われました。
アレンツさんは、2012年にリューバン・カトリック大学日本学科修士課程を卒業。修士時にベルギーのケンペン炭田と空知の石狩炭田の比較研究を行い、現在は日本の石狩炭田と筑豊炭田を比較研究中とのこと。国際産炭地ネットワーク・産炭地プロジェクト NPO法人Het Vervolg/COALFACEのメンバーでもあります。

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「炭坑展」をはじめてご覧になるアレンツさんのために、まずは正木さんが会場を案内してまわりながら、たっぷりとレクチャー。

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その後は、アレンツさんがベルギーの炭鉱についての報告を行いながら、日本とベルギーの比較をする、という内容でした。

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会場には、30人近くの参加者が集まり、ベルギーの炭鉱の映像や、炭鉱をテーマにした現代美術展などの話を、興味深く聴きました。
同じ炭鉱でも、ヨーロッパの炭鉱の建物がデザインも格好良く、色彩鮮やかで、緑の芝が明るく映えているのは不思議な気がします。
もっとも、戦時中ドイツの占領下にあったベルギーの炭鉱ではロシア軍捕虜が働かされ、戦後は逆にドイツ軍捕虜が働かされていたという話を聞くと、朝鮮人労働者が徴用されていた日本と大きな違いはなかったとも感じましたが。

   *   *   *

アレンツさんのお話が終わると、いよいよ「炭坑展」も終了。
名残惜しい思いもありましたが、閉館後、残って下さった10人ほどのボランティアや実習生、スタッフとともに、一気に作品の撤去、梱包作業を行いました。
作業の終了は午後9時半。
皆さん本当にお疲れさまでした。

次回の企画展は9月14日からはじまる「平野正樹写真展 After the Fact」
サラエヴォの内戦の弾痕を撮影した「Holes」シリーズや東ティモールの戦禍で焼かれた家の窓を題材にした「Windows]シリーズ、アルバニアに残されたトーチカ(特火点)を撮った「Bunkers」シリーズなど、現代社会における戦争の痕跡をとらえ続ける写真家の平野正樹さんが、日本帝国主義時代に発行された紙幣や証券を作品化した新作「Money」シリーズを発表します。
「アベノミクス」や「東京オリンピック」など、期待先行の経済効果がもてはやされる現在に、貨幣経済そのものの意味を問い直す試みです。
初日の9月14日には、午後2時から、平野さんと美術評論家の福住廉さん、岡村の三人が平野さんの作品をめぐって鼎談を行います。
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2013/9/4

テレビマンユニオン今野勉さんギャラリートーク  企画展

午後2時より、テレビマンユニオン取締役・最高顧問の今野勉さんをお迎えして、正木基さんとともに「炭坑展」ギャラリートークが行われました。

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日本で最初の独立製作プロダクションであるテレビマンユニオンの立ち上げに参加された今野さんは、夕張の登川炭鉱で少年時代を過ごされたそうです。
実は、正木さんが以前に目黒区美術館で企画された「‘文化’資源としての〈炭鉱〉」展の際に行われた「夜の美術館大学」という講義のなかで、今野さんは、非常に印象的な問題提起をされていました。

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1960年私が大学を卒業してTBSに入った翌年、土門拳さんが『筑豊の子どもたち』という写真集を出版されます。これは各方面に衝撃を与え、私も衝撃を受けました。
ただ、私が受けた衝撃というのは皆さんのとはまったく違っていました。うちは5人兄弟で私は長男だったのですが、次男坊の弟が何かの付録で当たった小さいカメラで三男坊と四男坊がじゃれ合っている姿を写真に撮って、東京にいる私に送ってくれました。長屋を背景にふたりが楽しそうに笑っていました。「ああ、みんな幸せそうにしているな」と私は思いました。ただ、驚いたことに『筑豊の子どもたち』を見てみると、全く同じような写真がのっていました。そしてそこでは「こんなにも貧しいのに明るい子どもたち」というような見せ方がされていました。「貧しい」ということが前提とされていました。たしかに長屋を背景にボロボロな服を着ているのですが、私は炭鉱にいる間に「自分が貧しい」なんて一度も感じたことはありませんでした。なぜなら私だけでなく炭鉱に住んでいる者はみんな貧しかったからで、格差はありませんでした。あと、炭鉱では家が保証されていて、光熱費も無料で、病院も無料だったので物乞いや生活保護の人がいませんでした。炭鉱は貧しさを感じさせないような世界なんです。ただ、弟の写真を土門拳さんの写真とちがうと私が感じられたのは、自分の弟が撮ったものであり、写っているのも自分の弟たちだったからかもしれません。それはきわめて主観的な見方であり、弟の撮った写真を他の人が見たら「貧しいけれどがんばっている」としか見られないかもしれない」そう思いました。そして私は「リアリズムには限界がある」、逆に言うと、写真では意識というものは簡単には写し出せないと思いました。リアリズムへの不信をもちました。「リアリズムがだめならば、じゃあどうすればいいのか」と言われるとよくわからないので、私は何も言わずに沈黙していましたが・・・。それで、炭鉱のドキュメンタリーやドラマを作ることが、私にはできなくなりました。その後、自分が生まれ育った場所を題材にする場合にどのような方法論をとるべきかをずっと考えて、ただ一度だけ炭鉱をテーマにドキュメンタリーを作りました。

(『‘文化’資源としての〈炭鉱〉展 「夜の美術館大学」・講義録』より、2012年3月25日、目黒区美術館発行)

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今回のギャラリートークで今野さんが最初にお話をされたのは、そのドキュメンタリー番組「地の底への精霊歌」のなかでも取り上げた山本作兵衛のキツネの絵のことでした。
残念ながら今回の出品作の中には、炭坑に伝わっていたというキツネの伝承を描いたものはないのですが、事故で大火傷を負った坑夫の家にキツネたちが人に化けてあらわれ、好物のかさぶたを食べて死なせてしまうという物語です。

今野さんは、炭鉱を拓くためにたくさんのキツネを殺したという贖罪の意識が筑豊にあり、稲荷神社もたくさんあって、そうした共同幻想ともいうべき物語が語り継がれていったのではないかと読み解きます。

その後も、炭鉱独特の「友子」制度という徒弟組織についての話や、非常に興味深い話が続いていったのですが、残念ながら他の仕事の都合でゆっくりお聴きできなかったのが残念でした。

さて、「炭坑展」も残すところあとわずか。
最終日の9月8日(日)には、午後2時からベルギーの炭鉱研究者トム・アレンツ氏をお招きして、最後のギャラリートークが行われます。
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2013/9/1

第42回原爆文学研究会in神戸  調査・旅行・出張

早朝の新幹線に乗って、神戸市外国語大学三木記念会館で開催された第42回原爆文学研究会に参加しました。
2日間の研究会のうち、私は2日目のみの参加になってしまったのですが、備忘の意味も込めて、以下に全体の内容を記します。

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第42回原爆文学研究会

【1日目】
○研究発表
「ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』:形成過程の考察〜編集者の役割を中心に〜」 繁沢敦子
「「原爆の子」を読む」 中谷いずみ
「「原爆/原発小説」の修辞学(レトリック)」 中野和典

【2日目】
○プログラム1 ワークショップ「ヒバクシャを「語る」―核と植民地主義―」
報告1「マーシャル諸島の米核実験被害の実態 ― グローバルヒバクシャの射程から迫る」 竹峰誠一郎
報告2「朝鮮人被爆者を「語る」― 韓水山『軍艦島』の場合」 楠田剛士
全体討議
○プログラム2 記録映像作家・岡村淳ドキュメンタリー上映および鼎談
司会者から 川口隆行
ドキュメンタリー上映 「消えた炭鉱離職者を追って」序章+「リオ フクシマ」
鼎談 岡村淳、高野吾朗、川口隆行


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原爆文学研究会には、いつも参加するたびに大きな刺激を受けます。
そして、今回も充実したテーマ設定と発表内容に、深く感銘を受けました。

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2日目のワークショップについては、あらかじめ、次のような問題設定がされていました。

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 かつて小田実は『HIROSHIMA』の「あとがき」のなかで、原爆の原料となったウラニウムがアフリカのベルギー領コンゴの鉱山から採掘されたことにふれ、原爆は「そもそもの初めから侵略、植民地支配、差別、収奪の歴史とじかに結びついたものであった」と指摘した。実際のところ、ウラン採掘、核実験、核廃棄物処理を含んだ核兵器製造過程や原爆投下、そして原子力発電のあらゆる局面において、人種的・社会的マイノリティが搾取されてきた歴史を無視してヒバクシャを<語る>ことは難しい。
 今回のワークショップではまず、<グローバルヒバクシャ>の提唱者でもある竹峰誠一郎氏が、マーシャル諸島の米核実験被害を住民の「生活史」の観点から聞き書きで再構築し、住民の抵抗の側面も視野にいれつつ核被害の実態に<グローバルヒバクシャ>の射程から迫る。
 次に、本研究会会員の楠田剛士氏が、韓水山の小説『軍艦島』を取り上げ、朝鮮人被爆者の強制連行、炭鉱労働、原爆被爆といった大きな問題がいかに人間の生死のありようを問い直しているのかという点について<語り>の側面から検討する。
 核と植民地の問題に焦点を当てながら、ヒバクシャを<語る>ことの意義をフロアとともに考えてみたい。


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丸木美術館の評議員でもある竹峰誠一郎さんの報告は、彼が継続的にフィールドワークを行っているマーシャル諸島における米核実験被害の実態について。
とりわけ、「核なき世界」、「脱原発」といった大文字の政治課題によって核被害者の問題が周縁化させられることへの懸念や、「核の難民」として土地や文化を奪われて生きるマーシャルの人々の暮らしや苦悩についての具体的かつ詳細な報告は、ともすればこぼれ落ちることの多い視点だけに、非常に重要な意味を持つ視点であったと思います。

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竹峰さんに続いて行われた楠田剛士さんの報告は、朝鮮人被爆者を主題に記された韓水山の小説『軍艦島』を、「カラス」(韓国で出版された際の題名)のイメージによって分析するという内容でした。

「軍艦島」と呼ばれた長崎の端島炭鉱で強制労働をさせられ、長崎の原爆で被爆する朝鮮人の若者たちの姿を描いた韓水山の小説は、丸木夫妻の原爆の図 第14部《からす》から想を得たもので、韓国版の表紙にも原爆の図の《からす》が使用されていました。
ところが日本で出版されるときには(廃墟ブームで注目されていた)『軍艦島』へと題名も表紙写真も変更されると聞き、当時、たいへん残念に思ったことを覚えています。
以前、日誌でも《からす》について少し記しましたが、このイメージはもともと『朝日ジャーナル』1968年8月11日号に掲載された石牟礼道子さんの「菊とナガサキ」に由来しています。原爆投下後に放置された朝鮮人の死骸にカラスが群がり「目ン玉は食いよる」という情景で、原爆被害の大きさにかき消されがちな複雑な差別の問題を鮮やかに提示しているのです。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/2209.html

小説に多様なイメージでカラスが用いられていることを取り上げる楠田さんの発表を聞きながら、あらためて考えていたことは(楠田さんの発表趣旨とは若干異なるのですが)、炭鉱の強制労働と原爆という二重の苦難を「からす」というひとつの語で象徴させた発想の凄みでした。

発表の後のディスカッションで、会場から投げかけられた「この小説で重要なのは、土地から切り離されたところで故郷を思いながら死んでいくということ。その点は、広島・長崎の被爆者とまったく異なる。土地を奪われて苦しむマーシャルの人びとが重なる」という趣旨の発言も、ずっと心に残り続けています。

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岡村淳さんの記録映像『リオ フクシマ』(2012年)は、リオで行われた世界環境会議に参加し、福島原発の問題を訴えた市民グループの行動を撮影した作品でした。
この映像の「何も決めずに、目の前で起きていることを映す」という姿勢のシンプルさと、その映像の意味する複雑かつ多層的な視点には、「これが本当のドキュメンタリというものか!」と目から鱗が落ちる思いがしました。
そこに映された出来事からは、今回のワークショップでとりあげられていた「核と植民地主義」というテーマにも重なって見える問題を想起させられます。
また、同時に、「原発」という大文字の政治的課題を超えて、観る人それぞれに返ってくる根源的な問題を突きつける厳しい作品であるとも感じました。

撮影から編集、そして発表(!)までをすべて個人で手がけるという特異な映像作家・岡村淳さんでなければ作れないであろう、何ものをも恐れない映像作品。その後の鼎談や意見交換の活発な発言も、この映像の魅力とパワーに触発されてのものだったのでしょう。
岡村さんの著作『忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅』(港の人、2013年)は、ぜひともお勧めしたい一冊です。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013063000012.html

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今回の研究会は、夏の繁忙期ということもあって、当初は参加を考えてはいませんでした。
けれども、申し込み〆切直前になって広島大の川口隆行さんから直接ご連絡を頂いて、急きょ駆けつける決心をしたのです。結果的には、その決断は大正解でした。
「非核芸術」というテーマを掘り下げて考えている今の時期に、さまざまな問題を考える手掛かりを頂いたことに、あらためて感謝いたします。
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