2013/8/1

広島県立美術館「ピース・ミーツ・アート!」展  執筆原稿

広島市内の3つの美術館がアートを通じて平和を発信しようという共同企画「アート・アーチ・ひろしま2013」が7月20日からはじまりました(10月14日まで)。
そのうち、広島県立美術館で開催中の「ピース・ミーツ・アート!」展には、丸木美術館から原爆の図第7部《竹やぶ》(前期展示)、第12部《とうろう流し》(後期展示)を貸し出しています。
担当の永井明生学芸員によれば、原爆の図は、石内都の写真「ひろしま」シリーズや、平山郁夫の《広島生変図》とともに展示されているとのことです。

先日、この展覧会の図録が手もとに届きました。
図録の冒頭では、永井学芸員が次のように記しています。

==========

 原爆と芸術との関係について少し考えてみたい。実際に被爆した方やその惨状を目撃した方が、その体験に基づいて創作した作品(美術に限らず、例えば小説等も含む)は、未来に引き継がれるべき貴重な証言である。しかし、それが特権的なものになってしまってはいけないと思う。「原爆を体験していない者に何がわかるのか(わからないだろう)」という圧力のようなものがあるとすれば、それはよくない。原爆を直接知らない者たちにも、この問題を切実なものとして意識したならば、積極的に考え、語り、創作していくべきである。そうしていかない限り、少しずつしかし確実に、ヒロシマは多くの人の意識から遠のき続ける。忘れられることにより、悲劇が繰り返される危険が増す。しかしまた、「広島に住んでいるのであれば、原爆をテーマにつくらないといけない」という無言の重圧というものもまた、あってはならないことである。つまるところ作家は、自由に、しかし真摯に、過去の歴史や現代社会、そして自分自身と向き合いながら作品を作り続けるしかないということだろう。震災と芸術についても、同じようなことが言えると思う。東日本大震災の発生から2年以上が経過し、その間実に多くの作家が、さまざまな取り組みをし、多様な作品を生み出してきた。そのいかなる活動も自由であるべきだし、同時に真摯であるべきである。そうして生み出された作品の多くが淘汰されながらも、その一部は次の世代へと継承され、未来へのアート・アーチが架けられていく。

==========

こうした永井学芸員の真摯な思いに後押しされながら、岡村も、“3.11後に「原爆の図」を見ることの意味”をテーマに図録に文章を書かせて頂きました。
広島に向けて「原爆の図」を語ること、まして3.11後の現在の視点から語ることの重さに、とても苦労した原稿でしたが、石牟礼道子さんが「原爆の図」について書かれた文章なども引用しながら、何とか書き上げました。
個人的には、何か憤ったような文章になってしまって、もう少しうまくまとめることができたのではないかと、原稿を手放すときに何度も逡巡したのですが、永井学芸員からは「いつになく熱く、自分の思いを率直に語っている」と温かい言葉をかけて頂いたので、少しばかり肩の荷が下りたようにも思いました。

ともあれ、文章の最後の部分の数行のみを紹介しておきます。

==========

 「3.11」という、私たちの生きる社会が根底から揺らぐような体験を経て、それから、まだあまりにも間がないというのに、世界はずるずると、亀裂の向こう側の死者たちを置き去りにして、まるで、なにごともなかったかのような顔で、もとの道を進んでいこうとしているように見える。そればかりではない。何代にもわたって生命を受け継いできた豊饒な大地を汚され、そこから追われた人びともまた、二度と埋めることのできない複雑な亀裂に分断され、引き裂かれているのではないか。
 深い罪を負った「許されない筈のにんげんたち」に、どうして魂を鎮めることなどできよう。
 この一見変わらず美しい、しかし、以前とは決定的に異なる亀裂だらけの世界のなかで、もがき苦しみ悩みながらも、「思い出す」ことのできない死者たちを、踏み台にするのではなく、まつり上げるのでもなく、ひとりひとりの等身大の“生”に少しずつでも近づこうと試みる。そのつとめを繰り返すことでしか、やはり私たちは生きていけないのではないか。


==========

広島市内の美術館で「原爆の図」が公開されるのは、1995年以来実に18年ぶり。
「ピース・ミーツ・アート」展会期中に、何とか広島まで足を運びたいと思っています。
3



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ