2013/8/8

「足尾鉱毒の図」後期展示  特別企画

現在、特別展示として公開中の丸木夫妻の共同制作「足尾鉱毒の図」。
前期は第1部から第3部までを公開していましたが、この日、太田市(群馬県)に返却し、後半の第4部《直訴と女押し出し》、第5部《谷中村強制破壊》、《谷中村野焼き》をお借りしてきて、展示替えを行いました。

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これまで、第4部は軸装、第5部は未表装の状態だったのですが、田中正造没後100年を記念して、今回、修復して屏風に仕立てなおすことになったのです。
昨日、太田市では記者会見を行い、屏風を披露していたようです。
以下、毎日新聞群馬版の記事“足尾鉱毒の図:びょうぶに”
http://mainichi.jp/feature/news/20130809ddlk10040181000c.html

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こちらが第4部《直訴と女押し出し》の展示風景。

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そしてこちらが第5部《谷中村強制破壊》。
どちらも、画面がきれいになり、何より、たいへん展示しやすくなりました。

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《谷中村野焼き》はもともと屏風だったので、3作品すべて軸装だった前期展示から一転して、後期展示はすべて屏風となります。
特別展示は9月8日まで。貴重な機会ですので、どうぞお見逃しなく。
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2013/8/7

『毎日新聞』『東京新聞』『埼玉新聞』などでひろしま忌紹介  掲載雑誌・新聞

2013年8月7日付『毎日新聞』朝刊埼玉版にて、“ひろしま忌:夕暮れ、灯籠流し 原爆被害者を悼む”との見出しで、8月6日に行われた丸木美術館ひろしま忌の様子が紹介されました。

以下の毎日新聞のWEBサイトで全文を読むことができます。
http://mainichi.jp/area/saitama/news/20130807ddlk11040222000c.html

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同日付『東京新聞』朝刊埼玉版でも、“父は広島で、自らは原発避難 福島の酪農家が講演”との見出しで、8月6日のひろしま忌で行われた酪農家・田中一正さんのお話の内容が紹介されています。

こちらも、東京新聞のWEBサイトで全文を読むことができます。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20130807/CK2013080702000140.html

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同じく『埼玉新聞』朝刊社会面でも、“灯籠よ 平和へ導け”との見出しで、ひろしま忌の様子がとうろう流しの写真入りで紹介されました。

こちらは、WEBサイトで記事を読むことができないので、一部を抜粋して紹介いたします。

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今年は東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故で、福島県飯館村で被災した酪農家田中一正さん(42)が「福島原発事故の被災体験、被爆二世として」と題して講演。「父は戦時中、広島へ疎開して被爆。私は被爆二世だが、原発事故が発生するまで実感することもなく暮らしていた。まさか、新規就農で入植した福島で被災するとは思わなかった」と話し「酪農はできる限り最後の最後まで頑張って続けたい」と福島への思いを語った。

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また、8月7日朝のNHK総合テレビのニュース「おはよう日本」首都圏情報でも、丸木美術館のひろしま忌の様子が3分ほど紹介され、参加者代表で挨拶をした中学生の谷川真太郎くんの映像などが映っていました。
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2013/8/6

『西日本新聞』に“山本作兵衛の生きた時代”紹介記事掲載  掲載雑誌・新聞

2013年8月6日付『西日本新聞』文化欄に、“山本作兵衛の生きた時代 戦前・戦中の炭鉱に迫る”との見出して、現在開催中の企画展「坑夫・山本作兵衛の生きた時代」の展評が掲載されました。
取材して下さったのは、原爆文学研究会でもたびたびご一緒している大矢和世記者。
展覧会の趣旨をきちんと捉えて下さった、良い記事です。

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以下、記事の前半部分の抜粋。

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 丸木位里、俊夫妻の「原爆の図」を常設展示する丸木美術館(埼玉県東松山市)で、福岡・筑豊地方の炭鉱を描いた記録絵師・山本作兵衛(1892〜1984)をめぐる企画展が開かれている。国連教育科学文化機関(ユネスコ)が、作兵衛の絵などを世界記憶遺産登録した2011年以降、関連本の刊行や東京での個展などが続いているが、今回の展示は、絵や彫刻、印刷物や映像など作兵衛以外の表現者も含めて戦前戦中の炭鉱に迫ろうとするものだ。多岐にわたる展示からは「描かされた/自ら描いた」表現の差異を考えさせられる。

 企画展は炭鉱を撮り続けた写真家・映画監督の本橋成一さんと「“文化”資源としての〈炭鉱〉展」(09年、目黒区美術館)の担当学芸員だった正木基さんらが企画した。丸木美術館の岡村幸宣学芸員は「近代の中で翻弄され、しかししたたかに生きた人間という意味で、原爆と炭鉱は共通性をもつ」と語る。
 「描かされた」表現は例えば1944年結成の軍需生産美術推進隊だ。美術家が軍需省指定の炭鉱などを回り制作したという炭鉱労働者像は、従事者たちを鼓舞するように、たくましく誇らしげな肉体として造形される。彫塑はレプリカを含む9体のみ現存し、絵はほとんど残っていないという。戦後、炭鉱会社が倒産し、売却または廃棄されたためだ。描かされ、やがて“利用価値”をはぎ取られた表現の行く末は悲しい。


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記事はその後、炭鉱労働者が「自ら描いた」ものとして井上為次郎や島津輝雄、山本作兵衛の絵画を紹介していきます。
そして彼らの表現の共通点として、オープニング・トークに参加して下さった東京国立近代美術館の保坂健二朗主任学芸員の「地中にもぐらない人には見えないものを、伝えたいという思い」という言葉を引用しながら、記事は「見えないものを見えるようにしてくれた。「伝えたい」という意志は何にも替え難い“価値”である。その価値をはぎ取り忘れるのか、深め強めていくのか、それは後世の私たちにゆだねられているのだ。」と結ばれています。

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記事中でも紹介されていますが、8月13日午後2時からは、本橋成一さん、記録作家・上野英信さんの長男上野朱さん、作兵衛の孫井上忠俊さんと緒方惠美さんによるトークがあります。
多くの方のご来場をお待ちしています。
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2013/8/6

被爆68年 丸木美術館ひろしま忌  イベント

今年も8月6日の丸木美術館ひろしま忌がつつがなく終了しました。
平日にもかかわらず、有料入館者は150人を超え、無料入館者(友の会会員や高校生以下の入館者)も100人超。ボランティアスタッフなどを加えると、300人を超える大盛況でした。

天候も暑すぎず、心配された集中豪雨もなく、とても雰囲気の良いひろしま忌だったという感想をいくつも頂きました。
ご来館頂いた皆さま、そして一日じゅうお手伝いをして下さったボランティアスタッフの皆さま、本当にありがとうございました!

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今年のひろしま忌は、美術館前の広場に出店が11店舗も並びました。
カレー、パン、団子、野菜、ソフトクリーム、冷やしたい焼き、ジュース、アジア雑貨、オカリナなどなど……買いものを楽しまれた方も多かったのではないでしょうか。

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毎年恒例の工作教室のほかに、ヨーヨー釣りなどの新企画もあって、子どもたちも楽しんでいたようです。

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午後2時からは、城西川越中学の尺八演奏。例年は和太鼓だったのですが、今年は尺八です。

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飯館村で被災した酪農家の田中一正さんのお話も、立ち見が出るほどの大盛況でした。

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父親が広島で被爆したという田中さんは、福島原発事故を機に、自分が「被爆二世」でもあることを、はじめて意識したといいます。
放射能汚染で飯館村を追われ、東京電力に対する怒りはもちろんある、としながらも、震災後に上京して都会のネオンライトやライトアップを見たときに「正直、何だこれ、と思った」という率直な思いも語って下さいました。
「原発は結局、都会の人が電気を安く使いたいという要望に、電力会社が応えようとして手を出したのではないか」という重い問いかけに、会場も静かに聞き入っていました。

現在は、福島市内の共同牧場で酪農を復興させようとしている田中さん。
会場からは、「原発事故が終わっていない福島で酪農を再開することについて、どう思うのか」という厳しい質問も出ましたが、「もちろん厳しい現状はわかっているけれども、本当に福島では酪農ができないという結論が出るまでは、自分はあきらめきれない」と言葉を探すようにして思いを語る姿に、涙ぐみながら頷く人もたくさん見られました。

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その後は、中川五郎さんの反戦フォーク・ライブ。
We shall over comeなどの歌に、会場も一体となって盛り上がりました。

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夕方からはひろしま忌の集い。
被爆者の霊を悼む黙祷とK理事長のあいさつに続いて、米国ロスアラモスを訪れた中学生からの報告がありました。

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この日、急きょ沖縄から駆けつけた画家・宮良瑛子さんも、長旅の疲れにもかかわらず、挨拶をして下さいました。宮良さんは来春、丸木美術館で個展を予定しています。

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そして観音堂の前にならぶ手作りの灯ろうの前で、KNOBさんが「世界最古の管楽器」のひとつと言われるアボリジニの楽器ディジュリドゥの演奏をして下さいました。

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一日のイベントを締めくくるのは、都幾川でのとうろう流し。
実は、前日の準備の際には、川の水が例年になく少なくて、とうろう流しができるかどうか危ぶまれたのですが、上流の方で大雨が降ったのでしツう、いつのまにか水量が増して、無事にとうろうを流すことができました。

丸木美術館のとうろう流しは、毎年、子どもたちがじゃぶじゃぶと川の中に入って行き、おごそかというよりは、川遊びのように賑やかな雰囲気になってしまいます。
もう少し、しんみりととうろうを流す方がいいのかな……と思う一方で、子どもたちの明るい歓声が聞こえるとうろう流しこそ、戦争で亡くなった人たちが喜ぶのかも知れないと思ったりもします。

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ともあれ、「こうあらねばならない」というのでなく、参加者の皆さんが、心のなかで広島と向き合いながら、それぞれの思いのままに同じ時間を過ごす一日。
今年も無事に迎えられたことを、心から感謝いたします。
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2013/8/1

広島県立美術館「ピース・ミーツ・アート!」展  執筆原稿

広島市内の3つの美術館がアートを通じて平和を発信しようという共同企画「アート・アーチ・ひろしま2013」が7月20日からはじまりました(10月14日まで)。
そのうち、広島県立美術館で開催中の「ピース・ミーツ・アート!」展には、丸木美術館から原爆の図第7部《竹やぶ》(前期展示)、第12部《とうろう流し》(後期展示)を貸し出しています。
担当の永井明生学芸員によれば、原爆の図は、石内都の写真「ひろしま」シリーズや、平山郁夫の《広島生変図》とともに展示されているとのことです。

先日、この展覧会の図録が手もとに届きました。
図録の冒頭では、永井学芸員が次のように記しています。

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 原爆と芸術との関係について少し考えてみたい。実際に被爆した方やその惨状を目撃した方が、その体験に基づいて創作した作品(美術に限らず、例えば小説等も含む)は、未来に引き継がれるべき貴重な証言である。しかし、それが特権的なものになってしまってはいけないと思う。「原爆を体験していない者に何がわかるのか(わからないだろう)」という圧力のようなものがあるとすれば、それはよくない。原爆を直接知らない者たちにも、この問題を切実なものとして意識したならば、積極的に考え、語り、創作していくべきである。そうしていかない限り、少しずつしかし確実に、ヒロシマは多くの人の意識から遠のき続ける。忘れられることにより、悲劇が繰り返される危険が増す。しかしまた、「広島に住んでいるのであれば、原爆をテーマにつくらないといけない」という無言の重圧というものもまた、あってはならないことである。つまるところ作家は、自由に、しかし真摯に、過去の歴史や現代社会、そして自分自身と向き合いながら作品を作り続けるしかないということだろう。震災と芸術についても、同じようなことが言えると思う。東日本大震災の発生から2年以上が経過し、その間実に多くの作家が、さまざまな取り組みをし、多様な作品を生み出してきた。そのいかなる活動も自由であるべきだし、同時に真摯であるべきである。そうして生み出された作品の多くが淘汰されながらも、その一部は次の世代へと継承され、未来へのアート・アーチが架けられていく。

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こうした永井学芸員の真摯な思いに後押しされながら、岡村も、“3.11後に「原爆の図」を見ることの意味”をテーマに図録に文章を書かせて頂きました。
広島に向けて「原爆の図」を語ること、まして3.11後の現在の視点から語ることの重さに、とても苦労した原稿でしたが、石牟礼道子さんが「原爆の図」について書かれた文章なども引用しながら、何とか書き上げました。
個人的には、何か憤ったような文章になってしまって、もう少しうまくまとめることができたのではないかと、原稿を手放すときに何度も逡巡したのですが、永井学芸員からは「いつになく熱く、自分の思いを率直に語っている」と温かい言葉をかけて頂いたので、少しばかり肩の荷が下りたようにも思いました。

ともあれ、文章の最後の部分の数行のみを紹介しておきます。

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 「3.11」という、私たちの生きる社会が根底から揺らぐような体験を経て、それから、まだあまりにも間がないというのに、世界はずるずると、亀裂の向こう側の死者たちを置き去りにして、まるで、なにごともなかったかのような顔で、もとの道を進んでいこうとしているように見える。そればかりではない。何代にもわたって生命を受け継いできた豊饒な大地を汚され、そこから追われた人びともまた、二度と埋めることのできない複雑な亀裂に分断され、引き裂かれているのではないか。
 深い罪を負った「許されない筈のにんげんたち」に、どうして魂を鎮めることなどできよう。
 この一見変わらず美しい、しかし、以前とは決定的に異なる亀裂だらけの世界のなかで、もがき苦しみ悩みながらも、「思い出す」ことのできない死者たちを、踏み台にするのではなく、まつり上げるのでもなく、ひとりひとりの等身大の“生”に少しずつでも近づこうと試みる。そのつとめを繰り返すことでしか、やはり私たちは生きていけないのではないか。


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広島市内の美術館で「原爆の図」が公開されるのは、1995年以来実に18年ぶり。
「ピース・ミーツ・アート」展会期中に、何とか広島まで足を運びたいと思っています。
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