2013/7/8

「戦争/美術 1940-1950」展図録  館外展・関連企画

神奈川県立近代美術館 葉山で7月6日から開幕した「戦争/美術1940-1950 モダニズムの連鎖と変容」展の図録が、昨日、手もとに届きました。

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図録の表紙を飾っているのは、なんと、「原爆の図」第1部の《幽霊》です。
そして、この《幽霊》の画像部分、実は表紙を包む帯になっているのです。

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帯を全部開くと、こんな感じ。
部分画像かと思われた《幽霊》が、実は全体画像として使われていたのです。
そして「原爆の図」の下には、松本竣介の《立てる像》や朝井閑右衛門《丘の上》などの画像がひそんでいました。
この計らいからは、いかにこの展覧会が「原爆の図」に敬意を払って下さっているのかが伝わってきて、とても嬉しく思いました。

本文中の《幽霊》の画像も、観音開きの見開きで大きく全体像が見えるように配慮して下さっています。

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総動員体制のもと自由が圧殺され戦争に突入し、敗戦をきっかけにしがらみから解放されると言う極端な振れ幅の時代のなかで、優れた才能はどのような創造の営みを続けていたのか、あるいは、中断や挫折を余儀なくされたのか。しなやかに、したたかに、ときに強情に生き抜いた画家たちの足跡を辿る。

表紙に記された水沢勉館長の「あいさつ」から抜粋された一文も、胸に迫ります。

水沢館長による「空虚と充満―1940年代美術への一視座として」、戦争画研究で知られる河田明久氏による「作戦記録画をめぐる思惑のあれこれ」と題された論考も素晴しく、岡村も「ふたつの芳名録と「原爆の図」」と題する短い文章を寄せています。
とりわけ、水沢館長の論考の以下のくだりは、《原爆の図》に日頃から関わるものとしては、本当に嬉しく、励まされる内容でした。

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 翼賛体制は、これも奇妙な成りゆきであるが、「日本画」「洋画」といった従来のジャンルを相対化させるようにも結果的に働いたのではなかろうか。
 当時、日本文化のアイデンティティがさまざまな角度から再検討されていたことは、思想史的には、1942年に雑誌『文学界』の9月号、10月号に連続して特集された「近代の超克」にも明確に読み取れるとおりであり、一部の画家たちもまたジャンルという枠組みを、特権的な作戦記録画の画家たちとは別に、在野にあって意識的に壊そうとしていた。靉光(1907-1946)の試みた「日本画」(cat.nos.92,93)は、特異な孤立した現象のように一見思われるが、画家の身近にいたもう一人の「日本画家」丸木位里(1901-1995)が、「洋画家」丸木俊(1912-2000)との共同制作によって(詳しくは本カタログ岡村幸宣論文参照)、ジャンルを問うことがそれ自体無意味であるもうひとつの「戦争画」として、非対称的に戦中の「戦争画」を補完する《原爆の図》連作(cat.nos.177〜181)にたどり着く。その過程は、1940年代後半のもっとも感動的であり、かつ、重要な創造の水脈であると同時に、靉光の「日本画」を例外の孤島から救い出す、広がりの連鎖を秘めた作品であることも、いわゆる「戦争画」とともに本展で初めて並んで展示され明らかになるにちがいない。また、展示・受容史の文脈で、両者を精密に比較することも、今後重要な課題となるであろう。
 また、日本画とは無縁と思われる松本竣介(1912-1948)も、羅漢の油彩スケッチを残しているように、東洋画に無関心ではなかった。竣介の技法そのものはあくまでも洋画の圏域に留まったが、ちょうど羅漢を研究していたころに、丸木位里が発表した《不動》(1941年、広島県立美術館蔵、cat.no.99)は、主題としては典型的な「戦争画」であり、その翌年に描かれることになる竣介の代表作《立てる像》(神奈川県立近代美術館蔵、cat.no.124)にも、かすかにであるが、共通のモチーフの影が感じられる(とくに神奈川県立近代美術館蔵の顔の部分のみの鉛筆素描のまなざしの表現など)。あるいは、新潟の新発田で中央画壇からは距離をおいて独特の油彩表現を、同地の農民生活や風景を中心的なモチーフに描いていた佐藤哲三(1910-1954)もまた、1944年の《切られし桜》(個人蔵、神奈川県立近代美術館寄託、cat.no.149)に見られるように、前景から遠景へと突然飛躍してしまう、西欧の遠近法とはまったく別種の空間表現を作りだしている。
 1940年代には、近代の枠組みを超える努力がさまざまに試みられていたのである。


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戦争と美術の関わりを再考する、この夏のもっとも興味深い展覧会。
ぜひ、多くの方にご覧頂きたいと思っています。
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2013/7/7

安藤栄作展から炭坑展へ、展示替え  ボランティア

猛暑のなかの企画展展示替え。
安藤栄作展の搬出を行い、「炭坑展」の展示作業や、常設展示室の丸木スマ作品の展示換え、次々回企画展平野正樹展の展示実験、企画展示室のLED証明設置など、一日じゅう慌ただしく館内を動きまわっていました。
ボランティアでお手伝いして下さったY浅さん、M山くん、K村(H)くん、S藤さん、N村さん、受付に入ってくれたI葉さん、本当にありがとうございました。
そして、素晴しい展示をして下さった安藤栄作さんに、あらためて、心から感謝。
「炭坑展」出品作家の萩原義弘さん、9月から企画展を予定している平野正樹さんも、暑いなかの作業お疲れさまでした。

この日は午前中に東急グループによる安藤さんの撮影が入りました。
今夏、渋谷駅前のスクランブル交差点に面するQ FRONTの大型街頭ビジョンに、安藤さんの作品展の展示風景が放映されることになったのです。
これまでは、コマーシャル映像だけが流れるスペースだったのですが、8月1日の大型ビジョンのリニューアルにともない、新たな試みとして現代アートの最先端の表現を紹介する映像も流していくそうなのです。
丸木美術館の展示風景が渋谷のスクランブル交差点に放映されることになるとは、想像してもいませんでした。安藤さんの仕事がそれほど高い評価を受けたことに、微力ながらもお手伝いできたことを、心から嬉しく思います。

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写真は、展示替えを終えた後、夕方、ひらひらと美術館の前に飛んできたオオムラサキ。
準絶滅危惧種に指定されていますが、丸木美術館のまわりでは、この時期、ときどき見かけることがあります。

この日は、写真家の佐藤時啓さんとジェームス中川さんも、安藤さんの作品を観に来館して下さいました。残念ながら作品は撤去した後でしたが……。
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2013/7/5

木下晋『はじめての旅』  書籍

昨日の夕方に群馬県の太田市役所からお借りしてきた「足尾鉱毒の図」第1部《足尾銅山》、第2部《押し出し》、第3部《渡良瀬川の洪水》を、午前中のうちに展示しました。
今年の夏は、田中正造没後100年を記念する特別展示として、丸木夫妻の共同制作「足尾鉱毒の図」全6点を前後期(前期:7月13日〜8月8日、後期:8月10日〜9月8日=第4部《直訴と女押し出し》、第5部《谷中村強制破壊》、《谷中村野焼き》を展示)に分けて公開するのです。

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そして、11月12日から2014年2月8日にかけて丸木美術館で個展を開催予定の木下晋さんから、新刊絵本『はじめての旅』(福音館書店)が届きました。

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ご自身が幼少期に体験されたという、放浪癖のある母親との徒歩による富山から奈良までの旅を、鉛筆画で丹念に描きあげた、心をえぐられるような悲しみや厳しさ、あたたかさが伝わる絵本です。

木下さんにとっては、『ハルばあちゃんの手』に続く2作目の絵本。
丸木美術館の個展では、この『はじめての旅』の絵本原画を出発点に、木下さんの自伝的要素の強い内容で構成していきたいと思っています。
どうぞお楽しみに。
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2013/7/4

KEN BOOKS『フェラ・クティ自伝』  書籍

7月13日からはじまる「坑夫・山本作兵衛の生きた時代〜戦前・戦時の炭坑をめぐる視覚表現」展のために、午前中、隣の嵐山町にある国立女性教育会館から展示ケースを5台お借りしてきました。
今回の展示は、雑誌や写真、巻物など貴重な資料の出品も多いのです。

昼過ぎには栃木県のアジア学院から学生団体33人が来館。
「原爆の図」の前で館内の説明を行いました。
ちょうど粟津ケンさんが来館されていて、多国籍な学生たちを嬉しそうに眺めていたのが印象的でした。高校から米国に渡ったケンさんにとっては、ご自身の学校生活を思い出させる雰囲気だったのでしょう。

実はケンさんは、ちょうど刷り上がったばかりの新刊『フェラ・クティ自伝 FELA! THIS BITCH OF A LIFE』を持って来て下さったのです。

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この本は、アフロ・ビートの創始者として世界的に知られ、音楽を通して反体制運動、黒人解放運動をおこなったナイジェリア出身のフェラ・クティ(1938〜1997)の人生を、彼の友人でキューバからの亡命者である作家カルロス・ムーアが聞き語りで書き下ろした自伝です。
そして、KENの出版部門(KEN BOOKS)の最初の刊行物でもあります。ケンさんによれば、私がその購入者第1号とのこと。
この本のことは、以前からたびたび聞いていたのですが、いよいよかたちになって目の前にあらわれてくると、感慨深いものがあります。

日頃からケンさんが口にしている「自由とはどこまでも個人で奪いとるもの」という信念のひとつの結晶として、大切に、じっくりと読ませて頂きます。
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2013/7/3

『日々の新聞』と安藤栄作展  企画展

好評開催中の「安藤栄作展 光のさなぎたち」も、残すところあと数日になりました。
連日、安藤さんのお知り合いを中心に、美術館に足を運んで下さる方々で賑わっています。

今回は、紹介の機会を逸してしまった福島県いわき市の『日々の新聞』第245号(2013年5月15日発行)に掲載された安藤栄作展の特集記事をご紹介いたします。
http://www.hibinoshinbun.com/files/245/245_tobira.html

表紙に「光のさなぎたち」展の会場写真、そして6、7、8面に特集記事と大々的に取り上げて下さった記事のなかには、安藤さんの思いがたっぷりと詰め込まれています。
その記事から、福島原発のドローイングを描いていたときの体験について語っているくだりを抜粋いたします。

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 初日の昼食のあと、安藤さんが都幾川まで散歩に出ると、二匹のモンシロチョウがいっしょについてきた。美術館から河原に下りる階段には、丸木夫妻が作ったものが埋め込んであり、その二匹のモンシロチョウが丸木夫妻に思えた。
 「頑張って描いてね」と、夫妻に言われている気がして、迷いが吹っ切れ、絶対に描けると感じた。描きあげた時、守られて歩けたという喜びと感謝の気持ちでいっぱいになった。
 ぱっと見ただけでは、丸木夫妻の「原爆の図」はおどろおどろしいが、しっかり見るとすごく美しいのがわかる。それは愛がないと決して描けず、「あそこには愛が描かれている」と安藤さんは言う。
 だから「原爆の図」として成り立ち、そのぐらいきれいな心でないと、「原爆の図」は描けない。原発のドローイングも同じで、攻撃的な気持ちになったら描けない。福島第一原発のドローイングを描き、丸木夫妻の「原爆の図」を描いた時の気持ちが、わかるような気がしたという。
 午後七時、作品展の展示が終わった。ライトをあてて、離れて眺め、スケールに呆然とした。静かで厳かで、愛にあふれた美しい空間だった。
 「作家人生のなかで一番やろうとしていたことができたかもしれない」。安藤さんは思った。


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「作家人生のなかで一番やろうとしていたことができたかもしれない」という言葉が、とても嬉しいです。
会場を訪れる方のなかには(丸木美術館としては珍しく)美術家も多く、「いい展示だ」という感想を何度も頂きます。
7月6日(土)までの開催ですが、まだご覧になっていない方は、どうぞお見逃しなく。
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2013/7/2

広島県立美術館「ピース・ミーツ・アート」作品搬出  館外展・関連企画

午前中、広島県立美術館のY学芸員が来館され、7月20日から開催される広島市内の3つの美術館の共催企画「アート・アーチ・ひろしま・2013」の一環となる企画展「ピース・ミーツ・アート」展のため、「原爆の図」第7部《竹やぶ》と第12部《とうろう流し》の作品搬出を行いました。

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この展覧会は、「再生=原爆や震災からの復興と再生」、「対話=自然や人々との交流、東西文化の対話・融合」、そして「平和」をテーマに生きるということの強さと美しさを表現した作品に注目し、岡本太郎、パブロ・ピカソ、土田麦僊、平山郁夫、イサム・ノグチ、内藤礼など、様々な時代やジャンルを横断する表現を紹介するそうです。
「原爆の図」は、前期展示では第7部《竹やぶ》、後期展示では第12部《とうろう流し》が出品される予定です。
また、展覧会図録には、岡村が「いま、深い亀裂の向こう側に、思いをめぐらせる」と題する、「3.11後」の視点で原爆の図を見つめるエッセイを執筆させて頂きました。

3館共催という試みであるだけに、いろいろとたいへんなこともあったようですが、楽しみな企画。10月14日までと会期も長いので、広島まで伺うことができれば……と思っています。
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