2013/6/29

美術館ニュース第114号発送作業  美術館ニュース

14名のボランティアの方々(うち初参加1名)が参加して下さり、美術館ニュース第114号の発送作業が無事に終了しました。
実は今回、表紙の重大な誤字を見逃してしまいました。
「第114号」のはずなのに、「第113号」で入稿してしまったのです。
本当に申し訳ありません。
以下に、ニュースの目次と、「第114号」に修正後の表紙画像を掲載いたします。

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丸木美術館ニュース第114号(発行部数2,500部)

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〈主な記事〉
8月6日ひろしま忌のご案内 …… p.2
ひろしま忌出演者紹介 田中一正さん、中川五郎さん …… p.3
5月5日高橋哲哉さん講演抄録 3.11以後、何が問われているのか …… p.4,5
丸木美術館開館記念日に参加して(川村 まり子/竹間 滋) …… p.6
鄭周河写真展「奪われた野にも春は来るか」報告 (齋藤 千晴) …… p.7
連載 丸木位里・丸木俊の時代〈第15回〉 丸木家の没落/位里と広島画壇 (岡村 幸宣) …… p.8,9
祖父・山本作兵衛のこと 原爆の図丸木美術館での展覧会に寄せて (緒方 惠美) …… p.10
丸木美術館情報ページ …… p.11
リレー・エッセイ 第46回 (本川 なおこ) …… p.12

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高橋哲哉さんの講演抄録や、緒方惠美さんによるエッセイ「祖父・山本作兵衛のこと」など、今号も読みごたえがありますので、ぜひお楽しみください。
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2013/6/28

神奈川県立近代美術館葉山「戦争/美術」展作品搬出  館外展・関連企画

このところ、諸事情により、なかなか日誌を更新していませんが、美術館ではいま、公益財団法人移行後の最初の決算報告に向けて、事務局のYさんを中心に連日たいへんな事務作業が続いています。

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この日は、午後から神奈川県立近代美術館のN学芸員が来館され、7月6日から神奈川県立近代美術館葉山館で開催される「戦争/美術 1940-1950 モダニズムの連鎖と変容」展の作品搬出が行われました。

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丸木美術館からは、原爆の図第1部《幽霊》から第4部《虹》まで4点を貸出し、前後期2点ずつが展示されます(当初は第1部《幽霊》、第2部《火》が前期、第3部《水》、第4部《虹》が後期の予定でしたが、作品のコンディションの問題で第1部と第3部が前期、第2部と第4部が後期に変更となります)。

以下は、展覧会概要からの文章の抜粋。

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 1940年代の日本は、戦争という美術家たちにとって非常に困難な時代でありながらも、モダニズムの成熟と転換という豊かな可能性を秘めた時代でもありました。本展は、戦前から戦後の時代を1940年代という時間の経過で捉え、これまで分断されてきた戦前、戦後の日本の美術史を新たな文脈でとらえ直そうという展覧会です。当館のコレクションの根幹を形成する松本竣介、朝井閑右衛門、麻生三郎、鳥海青児、山口蓬春などの戦前戦後をつなぐ作品や資料に新たな照明を当てるとともに、丸木位里、俊夫妻の《原爆の図》に結実するまでの画業など、同時代の広がりも、絵画を中心に紹介します。
 総動員体制のもと自由が圧殺され戦争に突入し、敗戦をきっかけにしがらみから解放されるという極端な振れ幅の時代のなかで、優れた才能はどのような創造の営みを続けていたのか、あるいは、中断や挫折を余儀なくされたのか。しなやかに、したたかに、ときに強情に生き抜いた画家たち。彼らの残した作品は1951年に開館した神奈川県立近代美術館の歴史的、文化的背景にほかなりません。葉山館開館10周年を記念して開催する本展は、私たちの美術館活動の出発点の確認作業という性格も備えています。


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丸木夫妻の《原爆の図》がとても重要な位置を占める展覧会になるようです。
岡村も、展覧会図録に“二つの芳名録と「原爆の図」”と題する文章を執筆させて頂きました。

会期中には、ギャラリートークや連続講座、座談会などさまざまな企画も行われます。
丸木夫妻関連では、8月24日に近現代史研究者の小沢節子さんが講演をされます。
ぜひ、多くの方にご覧頂きたい注目の企画展です。
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2013/6/22

朗読企画「なめらかなノスタルジーへ穴を穿つ〜60年安保闘争から今へ」  イベント

正午より、丸木美術館前の八怪堂にて、朗読企画「なめらかなノスタルジーへ穴を穿つ〜60年安保闘争から今へ」が開催されました。

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出演は、毎回恒例の高瀬伸也さん(企画構成/演奏)と青柳秀侑さん(朗読)。
朗読作品は、長田弘「クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか」(1966年、思潮社)、樺美智子「最後に」(1960年)、永六輔+中村八大「黒い花びら」(1959年)、水木かおる+藤原秀行「アカシヤの雨のやむ時」(1960年)、金光圭「かすかな昔の恋の影」(1988年、土曜美術社 新・世界現代詩文庫3)、ジョニ・ミッチェル「私が最後にリチャードに会った時」(1969年)。

以下は、企画者の高瀬さんが当日に配布した資料からの抜粋です。

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 池田勇人の所得倍増計画、高度経済成長、終身雇用、専業主婦、商店街、原っぱの土管・・・そして東京オリンピック(1964年)、といった「昭和30年代」への私たちのノスタルジーが、4月28日に行なわれた「主権回復の日」を背後から支えているのではないか。
 過去を美化し「今」から目をそらせるための「なめらかなノスタルジー」とは異なる「ごつごつしてささくれ立ったノスタルジー」はありうるのか。
 60年安保闘争をふまえて書かれた長田弘の長詩「クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか」(1965年発表)等の作品を朗読+演奏により提示することにより、「講和条約/日米安保条約」による戦後体制を支えるノスタルジーに穴を穿(うが)試み。


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聴衆はわずかに2人と少なく、事務局の方も仕事が立て込んでいて落ち着いて聴くことができなかったのが残念ですが、高瀬さんと青柳さんの決して挫けぬ持続力に、今後も大いに期待したいところです。
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2013/6/21

「坑夫・山本作兵衛の生きた時代〜戦前・戦時の炭坑をめぐる視覚表現」  企画展

7月13日からはじまる企画展「坑夫・山本作兵衛の生きた時代〜戦前・戦時の炭坑をめぐる視覚表現」(9月8日まで)のチラシを、ようやく入稿することができました。

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今回の展示では、ユネスコの世界記憶遺産としても知られる山本作兵衛の、遺族や近しい人たちに遺した“秘蔵”の炭坑画60点をはじめ、戦前・戦時における絵画、写真、彫刻、デザインなど幅広い炭坑の視覚表現を紹介します。

なぜ、丸木美術館で「炭坑展」を?……と思われる方もいらっしゃるかも知れません。
けれども近代化に向かって突き進む社会のなかで、人間の尊厳に目を向けるという点では、原爆も炭坑も非常に近い問題意識があるはずです。
丸木夫妻の「原爆の図 第14部《からす》」に描かれた朝鮮人徴用工の問題も、(直接表現されてはいませんが)炭坑に深いかかわりを持っています。
今年の夏は、特別展示として「田中正造没後100年 足尾鉱毒の図特別展示」も行いますので、ぜひ、原爆―足尾―炭坑を重ね合わせながら、丸木美術館でさまざまなことを考えて頂ければと思っています。

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坑夫・山本作兵衛の生きた時代〜戦前・戦時の炭坑をめぐる視覚表現
2013年7月13日(土)〜9月8日(日)
共催:作兵衛(作たん)事務所、ポレポレタイムス社
後援:夕張地域史研究資料調査室、みろく沢炭鉱資料館、常磐炭田史研究会、コールマイン研究室

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「低層 先山 後山」 山本作兵衛 1973年

2011 年5 月、田川市石炭・歴史博物館、福岡県立大学が保管する、故・山本作兵衛の炭坑絵画589 点と日記・メモ類108 点 が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)により「メモリー・オブ・ザ・ワールド」(MOW、通称・世界記憶遺産)に登録されました。それを契機として、現在、炭坑(鉱)への関心が寄せられつつあります。

作兵衛は、炭坑を見聞きすることがなくなる孫たちのため、「炭坑とはどういうもので あったか」を絵画として描き残しました。彼が自宅を訪れた人々に炭坑画を持ち帰らせたのは、世代を越えて炭坑への関心が広がるのを期待していたからではないでしょうか。

世界記憶遺産登録を機に、作兵衛の炭坑画の再評価が進められるのは喜ばしいことです。その一方、他の画家や写真家たちの炭坑を巡る表現を総合的に見渡し、それぞれの時代、それぞれの産炭地の炭坑イメージや表現に込められた意味を読みなおすことも重要です。

本展では、作兵衛が近しい人たちに遺した「炭坑画」をはじめ、同じ筑豊を描いた原田大鳳、井上為次郎、島津輝雄、山近剛太郎、常磐を描いた大宮昇らの絵画作品や、萩原義弘撮影による、戦時の軍需生産美術推進隊が全国に制作した坑夫像、大正期に町田定明が撮影した『三井三池各事業所写真帖』ほか各産炭地の主要石炭会社の写真帖など、戦前・戦時に生み出された各地の炭坑をめぐる幅広い視覚表現を検証します。

それらの表現からは、炭坑労働の実情や問題点の啓蒙、国家的要請での石炭増産体制の訴え、炭坑生活へのいとおしみなど、さまざまな思いが読み取れるはずです。
戦後、相次ぐ閉山によって石炭産業の火が消え、産炭地を除けば、これらの視覚表現はほぼ顧みられることがありませんでした。今こそ、作兵衛の「孫たちへの願い」を思い起こし、多くの炭坑の表現者たちが、炭坑をどのように受け止め、世に伝えようとしてきたのか、遺された作品群に目を凝らし、耳を澄まし、頭を巡らす時ではないでしょうか。

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井上為次郎「炭坑風俗」より
 
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大宮昇版画集「炭山画譜」表紙

「坑夫・山本作兵衛の生きた時代〜戦前・戦時の炭坑をめぐる視覚表現」展実行委員会
相談役:山本照雄、本橋成一、小寺隆幸
実行委員:井上忠俊、緒方惠美、上野朱、中込潤、青木隆夫、渡辺為雄、野木和夫、菊地拓児、萩原義弘、正木基、岡村幸宣

【企画展関連イベント】
●オープニングコンサート+トークイベント「炭坑の視覚表現をめぐって

7月13日(土)午後2時
コンサート出演:緒方もも(ヴァイオリン、山本作兵衛曾孫)、奥野幸恵(ピアノ)、清水英里子(ヴァイオリン)
トークイベント出演:鳥羽耕史(早稲田大学教授)+保坂健二朗(東京国立近代美術館主任研究員)+正木基(casa de cuba 主宰)

●ギャラリーツアー
7月15日(月)、17日(水)−19日(金)、23日(火)−26日(金)
午前10時〜午後4時まで随時
ツアーガイド:本展企画委員

●ギャラリートーク1「炭坑を語る」
7月27日(土)午後2時
出演:菊地拓児(コールマイン研究室)+萩原義弘(写真家)+ヤリタミサコ(詩人)

●ギャラリートーク2「山本作兵衛を語る」
8月13日(火)午後2時
出演:井上忠俊(作兵衛(作たん)事務所所長)+上野朱(古書店主)+緒方惠美(作兵衛(作たん)事務所代表代理)+本橋成一(写真家・映画監督)

=いずれも参加自由(当日の入館券が必要です)
7月13日、27日、8月13日は、午後1時に東武東上線 森林公園駅南口に美術館の送迎車が出ます。
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2013/6/19

NHK FMラジオ「日刊!さいたま〜ず」安藤栄作展紹介  TV・ラジオ放送

午後6時から、NHKさいたま放送局の埼玉県内向けFMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」(さいたま:85.1Mz、秩父83.5Mz)のカルチャーコーナーに生出演させて頂きました。

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お相手下さったのは、山崎薫子キャスター。
昨年12月の「本橋成一写真展 屠場」以来、山崎さんとは2度目になります。
今回は、現在開催中の企画展「安藤栄作展 光のさなぎたち」のご紹介。
「安藤さんは、どんな方ですか?」という質問からはじまり(家でラジオを聴いていた息子Rはラジオに向かって「えっと、眼鏡をかけてて……」と答えていたとのこと。もちろん容姿の話ではなく、これまでどんなことを考え、作品を作ってこられた方か、とお答えしましたが)、福島で被災して関西に避難されたという経緯や、今回の作品「光のさなぎたち」に込めた思い、そして絵本『あくしゅだ』について……と話しているうちに、あっというまに30分間が過ぎていきました。
山崎さんのにこやかな笑顔に引きこまれるように、楽しくお話をすることができました。

リクエスト曲「空より高く」も、発行元のクレヨンハウスからCD絵本を送って頂いたので、「売り上げの一部が福島の被災地支援に当てられる」ということも、しっかり宣伝することができました。

「日刊!さいたま〜ず」への出演は、今回が延べ11回目。
台風でスタジオにたどりつけなかったり、高校野球の放送が延長になってスタジオ入りしていながら番組が中止になったり、さまざまな“事件”もありましたが、いつも気持ちよく出演させて頂き、何より、キャスターの皆さんが(その日の担当者だけでなく、廊下ですれ違ったりするときにも)とても温かく迎えて下さることに、心から感謝です。

いつも放送後に通用口まで見送ってくれて、ときどき食事もごいっしょした“幼馴染”の石垣真帆さんが、4月から名古屋局に異動となったのは少々寂しいですが、新天地でもがんばっているようです。
http://www.oricon.co.jp/news/movie/2022418/full/
http://www.nhk.or.jp/nagoya-ana-blog/250/

最初に丸木美術館に取材に来て下さった増田佳奈さんから数えると、かれこれ10年近く。
キャスターの方々は代替わりしても、変わらずおつきあい下さるNHKさいたま放送局。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
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2013/6/16

近田洋一“月桃忌”  講演・発表

琉球新報や埼玉新聞でジャーナリストとして活躍し、晩年には辺野古の米軍基地移設への抵抗を主題にしたコラージュの大作《HENOKO 家族の肖像》を発表した故・近田洋一さん(2008年死去)をしのぶ“月桃忌”が、浦和のコムナーレで開催されました。

会場には、近田さんが手がけた油彩画やコラージュ作品、陶器がならび、芸術を愛する近田さんの人柄が偲ばれる空間になっていました。

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写真は、近田さんの作品(《HENOKO 家族の肖像》はレプリカ)を前にして挨拶をする御子息の和生さんです。

午後4時からは、近田さんと沖縄の芸術をテーマにして、岡村が、2010年に丸木美術館で開催した「OKINAWA −つなぎとめる記憶のために−」展を中心にトークをさせて頂きました。
近田さんの作品が沖縄の歴史と現在を象徴する重要な作品で、ぜひ丸木美術館で展示をしたいと思ったこと。基地問題を主題にしていながら、家族の肖像を画面にちりばめた、ユーモラスで温かみのある作品であるということ。
そして、母方が沖縄の血をひく近田さんにとって、もちろん沖縄には深い愛着があるのでしょうが、実際に生まれたのは「南洋群島」ロタ島で、沖縄に住んでいる時間は生涯の1/3程度であり、外からの、いわば“越境者”としての視線で沖縄を見ているからこそ踏み込んでいける問題もあったのだろう、ということ。

後半は、会場の皆さん(もちろん、近田さんにお会いしたことのない私より、ずっと深く近田さんをご存知の方々なので、トークをするのは冷や汗ものだったのですが)からの発言を交えてディスカッションも行われました。
埼玉新聞文化部のSさんは、「近田さんの“外からの視線”は埼玉にも厳しく向けられていた」と回想され、近田さんとともに障碍者運動(駅と車椅子の問題)にとりくまれてきた方は、「私たちの運動は敗北の歴史であったが、30年後の現在はすべての駅にエレベータが設置されている。長い目で見れば勝ったんだと思う。近田さんはそうした希望を込めて記事を書いてくれた」と心を打たれる発言をされていました。

会場には長年沖縄問題などに取り組んで来られたジャーナリストの森口豁さんも出席されており、会の終了後に『東京新聞』に連載した「非核芸術案内」について、過分なお褒めの感想を頂いたことも、嬉しい限りでした。
近田洋一さんを偲ぶ貴重な場にお声掛け下さった和生さんに、心から感謝いたします。
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2013/6/15

立命館大学国際平和ミュージアム「ミリキタニ+スマ展」  館外展・関連企画

現在、立命館大学国際平和ミュージアムで開催中(7月20日まで)の「ジミー・ツトム・ミリキタニ回顧展」と同時開催の「丸木スマ展」を見るため、日帰りで京都へ行ってきました。

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奇しくもこの日は、(企画担当のK学芸員によれば、まったくの偶然だったそうですが)昨年10月に逝去したジミー・ツトム・ミリキタニの誕生日。
ドキュメンタリ映画『ミリキタニの猫』(2006年、リンダ・ハッテンドーフ監督)の上映会とカフェ企画が開催されたのです。

   *   *   *

ジミー・ツトム・ミリキタニ(日本名:三力谷勤)は、1920年に米国カリフォルニア州サクラメントに生まれ、生後すぐに日本に戻り、広島県佐伯郡五日市町(現広島市佐伯区)で育ちました。
ジミーが徴兵の年齢に達する頃に日中戦争が近づき、父は兵学校への進学を勧めますが、幼い頃から絵が好きで「日本画」を学んでいた彼は、1938年、(映画のなかの彼の言葉によれば)「東洋と西洋を融合する新しい絵画」を確立するために、市民権を持つ米国に渡ります。
広島で「日本画」を学び、30年代後半に「東洋と西洋の融合」を志す、というと、丸木位里や船田玉樹らと何らかの接点があったのではないかと想像してしまうのですが、彼がどのように絵を学んでいたのかはわかっていません。
後年の彼の絵には、「東京上野芸大卒」「山水川合玉堂 仏画木村武山門下」と記されているのですが、今回の企画展のための調査では、東京芸大に在籍の記録はなく、玉堂門下であるという事実は判明されなかったそうです(広島出身の玉堂門下といえば、児玉希望を連想しますが、やはり関係性は不明)。
ただし、彼が日系人強制収容所時代に描いたキャッスルロックを描いた「日本画」(「尊厳と芸術」展出品作)に記された雅号「三力谷萬信」は、木村武山による命名だという情報はweb上に見られます。
http://www.avantipress.jp/2012/11/20121114_1.html

英語の不得手な「帰米二世」としてオークランドやシアトルの親戚を頼り、洗濯屋などで働いていた彼の運命は、1941年12月の日米開戦のために一変します。
西海岸一帯の日本人と日系米国人に出された強制立ち退き命令(行政命令9066号)によってカリフォルニア州のツール・レイク収容所に送られたのです。
そこでは米国への忠誠と従軍の意志を問う「忠誠登録」を求められましたが、ジミーはこれを拒否。市民権放棄にも応じました。そのため、戦後も別の収容所に送られ、拘留されました。
1948年にようやく自由を得た彼は、ニューヨークのレストランで働きながら絵を描き、ジャクソン・ポロックや国吉康雄とも接点があったそうです。しかし、当時の作品は現存せず、どのような制作活動をしていたのかはわかりません。
晩年に彼が絵に記し続けた「雪山」という雅号は、この時期に、コロンビア大学で日本学を教えていた(ドナルド・キーンの師でもある)角田柳作によって命名されたそうです。K学芸員によれば、この情報は信憑性があるのではないか、とのこと。

その後、裕福な老人宅で長年住み込みで働きますが、彼の死で仕事と住居を失い、80年代末頃からニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジのワシントン・スクエア・パークの店先や路上で寝起きし、クレヨンやボールペンで描いた猫や花の絵を売る生活をはじめました。
そして映画監督のリンダ・ハッテンドーフと知り合い、2011年9月11日の「同時多発テロ」後の混乱のなか、彼女の家に同居することを勧められ、ドキュメンタリ映画『ミリキタニの猫』が製作されたというわけです。



映画上映会の後、会場にならぶ30点の絵画を観ました。
「平和ミュージアム」らしく、ジミーの絵画作品だけではなく、在米日本人・日系米国人強制収容所の展示コーナーも非常に充実していて、日本人の血を引く住民はすべて出頭するよう求めるポスター(!)や、収容所生活についての一問一答形式の手引書、収容所の生活空間の再現展示など、当時の状況がとてもよくわかる構成になっていました。
収容所を描いたジミーの4点の絵画は、いずれもキャッスル・ロックなどを中心とする風景画で、(墓地が描かれた絵もありましたが)「忠誠登録」を拒否した心情や怒りがストレートに反映されているというものではありません。

個人的に興味を惹かれたのは、原爆や「同時多発テロ」を主題にした作品群でした。
黒煙と炎に包まれた旧産業奨励館を描いた《原爆ドーム》という絵画。その構図と黒煙、炎の描写は、《ワールド・トレード・センター》と題された3点の絵画と酷似しています。
原爆というより、「9.11」の光景を原爆ドームに置き替えたような内容です(ただし、《原爆ドーム》には仏画がコラージュされているものの、《ワールド・トレード・センター》にはそれがなく、3点のうち1点にはビン・ラディンの写真がコラージュされていました)。
映画のなかでも、「9.11」の後、米国内でのアラブ人への取り締まりが強化される報道をテレビで観たジミーが「Same story!」と吐き捨てる場面がありましたが、彼にとって「9.11」後の米国社会の反応は、かつて自らが体験した日米戦争/強制収容の記憶と重なるものだったのでしょう。

彼の作品は、絵画だけではなくコラージュが非常に面白いのですが(もっとも、売り絵である猫や花の絵にはコラージュは見られず、自身の過去や戦争を主題にした作品に頻繁にフォト・コラージュが登場するようです)、中でも《ヒロシマ》と題するコラージュ作品は、自らが描いた原爆ドームの絵の写真を中心に、興味深い構成となっています。
左上部には広島の焼野原の航空写真、右上部に旭日旗と日章旗、右下部にミッドウェイ海戦を伝える記事の切り抜き、左下部に鯉の絵(鯉は広島の象徴で、ジミーは映画のなかで「原爆で全滅した広島の街で巨大な鯉だけが生きていた」と語っています)が配置され、そして左中央部には、イラク戦争当時の日米の首脳、小泉純一郎とジョージ・W・ブッシュが笑顔でならぶ写真も見られます。
そこには、日米戦争と「9.11」というふたつの歴史的事件を米国社会で体験したマイノリティとしての、複雑でシニカルな視線が潜んでいるようにも思えます。

今回展示されている作品は、すべて、ジミーと親交のあった日系人画家ロジャー・シモムラの企画によってウィング・ルーク博物館(シアトル)で開催された2006年の「ジミー・ツトム・ミリキタニ」展の出品作。
現在、相続人のいないジミーの遺品はニューヨーク市が管理しており、ジミーの作品をまとめてみることができるのは、このコレクションしかないようです。
晩年の路上生活時代に制作された作品のみなので、「尊厳と芸術」展出品作や、若い頃の写真に写された仏画(たしかに、木村武山の「慈母観音」を思わせる)からの表現の連続性(というより、ほとんど別人の絵のように見えるので、断絶というべきか)を知ることはできません。
会場には、はつかいち美術ギャラリー学芸員のYさん、Uさんの姿も見られ、たいへん興味を持たれていたので、広島でもほとんど知られていないという彼の画業や生い立ちについて、今後、調査研究が期待されるところです。
まずは数年越しの粘り強い企画で貴重な作品鑑賞の機会をつくってくれたK学芸員はじめ、立命館大学国際平和ミュージアムの皆さんに深く感謝。

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また、2階の1室では特別企画展示として「丸木スマ展」も開催中。
当初のK学芸員の構想では、「ミリキタニとスマ」の表現を比較する企画だったそうです。
たしかに、「アウトサイダー・アート」的な猫の表現や、原爆という主題を描いている点(今回のスマ展では、《ピカのとき》をはじめ3点の原爆を描いた作品を展示)、そしてスマの夫の金助も広島から出稼ぎ移民として1890年代末にハワイで働いた経験があるなど、いくつかの共通項があるので、そのあたりをもう少し近づけて提示できればよかったのですが……
ともあれ、関西方面で丸木スマの絵を観ることができるのは貴重な機会。
ミリキタニ作品とともに、ぜひ、スマの絵画もご覧下さい。
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2013/6/14

朗読公演「なめらかなノスタルジーへ穴を穿つ」のお知らせ  イベント

いつもひそやかに世相を撹乱する企てを試みる、高瀬伸也さんと青柳秀侑さんの二人組の恒例の朗読企画が、6月22日に丸木美術館で開催されます。
今回もまた、興味深い内容です。
毎回、参加者もあんまりひそやかなので、ぜひ、多くの方で盛り上げて頂きたいと思います。

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〈朗読公演〉なめらかなノスタルジーへ穴を穿つ 〜60年安保闘争から今へ〜

池田勇人の所得倍増計画、高度経済成長、終身雇用、専業主婦、商店街、原っぱの土管・・・そして東京オリンピック(1964年)、といった「昭和30年代」への私たちのノスタルジーが、4月28日に行なわれた「主権回復の日」を背後から支えているのではないか。
過去を美化し「今」から目をそらせるための「なめらかなノスタルジー」とは異なる「ごつごつしてささくれ立ったノスタルジー」はありうるのか。
60年安保闘争をふまえて書かれた長田弘の長詩「クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか」(1965年発表)等の作品を朗読+演奏により提示することにより、「講和条約/日米安保条約」による戦後体制を支えるノスタルジーに穴を穿(うが)試みです。
ぜひおいで下さい。

〈日時〉 6月22日(土) 12:00-13:00
〈出演〉 青柳秀侑(朗読)、高瀬伸也(演奏/企画・構成)
〈公演場所〉丸木美術館八怪堂 (雨天時は美術館内)
〈料金〉無料(ただし美術館入場料は必要です)
〈問合せ先〉高瀬 E-mail ici-aillurs@an.em-net.ne.jp
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2013/6/13

東松山CATV取材/NHK-FMラジオ「日刊!さいたま〜ず」のお知らせ  TV・ラジオ放送

午前中に、東松山CATVのT記者が来館。
7月放送分の丸木美術館紹介映像を撮影されました。
2ヵ月に1本、丸木美術館の情報を放映して下さる15分番組で、今回は、7月13日(土)からはじまる「坑夫・山本作兵衛の生きた時代〜戦前・戦中の炭坑をめぐる視覚表現」展を中心とする紹介です。
山本作兵衛や井上為二郎の炭坑画を急きょ展示室の一部に飾って、炭坑の作業や文化がどのように描かれているのか、作兵衛さんが何を思って炭坑画を描きはじめたのか、というような内容をカメラの前で語りました。
また、「今月の一枚」では、「原爆の図 第14部《からす》」を紹介。
これは、なぜ丸木美術館で炭坑の絵を紹介するのか、という問題にも関わってくるのですが、戦時中のエネルギーを支えた石炭の採掘のために、多くの朝鮮人が徴用されていたこと、そしてそうした人たちもまた、原爆によって命を奪われていることを忘れてはならない、という話をしました。
いつものように、手際良く撮影を進めて下さるT記者。
今回もまた、素敵な番組に仕上げてくれることでしょう。放映は7月の1ヵ月間。東松山CATVで毎日繰り返し流れる予定です。

   *   *   *

そして午後は、NHKさいたま放送局の山崎薫子キャスターと、電話でラジオ出演の打ち合わせ。
7月18日午後6時からの埼玉県内向けFMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」(さいたま:85.1Mz、秩父83.5Mz)のカルチャーコーナーに出演して、現在開催中の企画展「安藤栄作展 光のさなぎたち」の紹介をさせて頂くのです。
県内の博物館・美術館の学芸員が展覧会の見どころを語るこのコーナーも、立ち上げから4年ほどが経過し、その間に10回ほど出演させて頂きました。いつも温かく迎えて下さるキャスターの皆さんのおかげで、本当に、毎回、楽しく話をさせて頂いています。
今回も、前回の出演に引き続き、山崎キャスターの笑顔に引き込まれながら、「安藤栄作展」の魅力をたっぷりとお伝えしたいと思っています。
リクエスト曲は、作家の落合恵子さんが主宰する出版社(NHKなので、企業名は放送できないそうです)が福島復興支援のために出版したCD絵本の曲『空より高く』をお願いすることにしました。心に沁みる、とても素晴らしい曲です。
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2013/6/11

藝華書院「戦時下日本美術年表」  書籍

藝華書院のYさんが来館され、戦時下の美術史研究で知られる飯野正仁さんが編纂された『戦時下日本美術年表』の刊行を知らせて下さいました。

この書籍は、戦争と美術のかかわりに焦点を当てながら、当時の印刷物から関連記事・図版を収集。1930年から1945年、戦後までの日本近代美術史の動向を、年・月・日順に概観できるよう年表形式にまとめ、戦時下日本美術史の輪郭を形づくるという労作です。
「あの時代、美術に関わる人々はどのように生きたのか、そしてそれは同時にあの時代をこの国の人々がいかに生きたのかを知ることでもある。この本が、戦時下日本の美術を知る手掛かりとなり、また戦時下日本の日本人の生きた歴史を考える手掛かりとなる事を願っている」という飯野さん。今後の戦争美術研究において、欠かすことのできない貴重な資料になることは間違いないでしょう。
私も、地元の図書館などに購入を勧めて、目を通していきたいと思っています。

戦時下日本美術年表
飯野正仁=編
定価:本体6万円+税
体裁:A4判変形/上製/横綴じ/函入り/総頁数約1,300頁/モノクロ図版約3,500点収録
刊行予定:2013年7月


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2013/6/8

ホリホリレッド参上  来客・取材

午後から、NHK札幌放送局の撮影スタッフが来館され、「原爆の図」の撮影を行いました。
北海道発掘バラエティ「ホリホリX」という情報バラエティと、朝のニュースという2本の番組の撮影です。

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まずは、情報バラエティ「ホリホリX」の撮影。
第1部《幽霊》の前で画面の大きさと等身大の人物像を紹介している赤いつなぎの男性が、ホリホリ団のリーダー・ホリホリレッドこと岩尾亮さんです。

丸木美術館にある「原爆の図」連作と、北海道の秩父別の俊さんの生家・善性寺にある1992年作の「原爆の図」(おそらく、丸木夫妻にとって最後の共同制作でしょう)を比較し、視聴者が楽しみながらも原爆というテーマに近づいていける番組を目ざす、とのことで、ディレクターのYさんは事前に2日間足を運んでじっくりと取材をされていました。
私もホリホリレッドとかけあい、あるクイズを出すという役割をつとめました。さすがに経験豊富なホリホリレッドさん。会話も楽しく弾み、大事な場面では予想以上に深みのある話ができたように思います。

ニュース番組の方には、遺族のH子さんとJさんが丹念に取材を受けていらっしゃいました。
放送はどちらも7月(北海道内向け放送)とのことですが、今からとても楽しみです。

   *   *   *

また、夕方からは、共同通信のT記者が大阪から来館。
1950年代の原爆の図全国巡回展について取材され、その後、入院中の美術評論家ヨシダ・ヨシエさんのもとへ、いっしょにお見舞いに行き、ヨシダさんの話もうかがいました。
こちらの方は、6月中に記事が配信される予定だそうです。
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2013/6/4

「われらの詩」復刻版刊行のお知らせ  書籍

峠三吉没後60周年を記念し、三人社より、『われらの詩』復刻版が刊行されることになりました。
http://3ninsha.blog.fc2.com/blog-entry-6.html

『われらの詩』は、峠三吉を中心に、広島県内の職場や地域、学校や結核療養所の文化サークルで活動する若者たちが集い、誕生した「われらの詩の会」の機関誌です。
創刊号は1949年11月20日、終刊号にあたる第20号は1953年11月10日、4年間で計19冊が刊行されました(第7号は未発行)。発行所は峠の自宅、編集人は峠のほかに、増岡敏和、且原純夫、古井誠三など職場サークルのリーダー格の発起人らが持ち回りで担当しました。

丸木夫妻との関わりで言えば、1950年10月に広島・五流荘で開催した「原爆の図三部作展」に「われらの詩の会」のメンバーが深く関わり、第10号(1950年12月15日発行)に「壷井・丸木・赤松諸氏を囲む座談会」(壷井繁治と丸木夫妻の座談会)の記事が掲載されています。

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写真は丸木美術館に現存する『われらの詩』第10号。表紙左上に、峠の自宅である平和アパートの住所とともに「われらの詩の會」と刻まれた印が押されています。

復刻版概要は次の通り。

われらの詩 1949年〜1953年

◎巻数 全2巻・別巻1・付録1
◎体裁 A5判・上製/A4判・並製/総頁数約1,260頁
◎解説 宇野田尚哉(大阪大学大学院文学研究科准教授)、川口隆行(広島大学大学院教育学研究科准教授)、海老根勲(元中国新聞記者)
◎揃価格 本体70,000円+税
◎推薦 御庄博実(元中四国詩人会会長・詩誌「火皿」同人)、小沢節子(近現代史研究者)
◎原本提供 広島文学資料保全の会・広島市立中央図書館
◎刊行 2013年6月
【全巻の構成】
第1巻『われらの詩』第1号〜第10号(7号は未発行)/『反戦詩歌集』第1集〜第2集
第2巻『われらの詩』第11号〜第20号+解説(宇野田尚哉+川口隆行)
別巻『広島文学サークル』第1号〜第4号/『とだえざる詩』第1号〜第3号/『風のように炎のように』(峠三吉追悼集)
付録『原爆詩集』 峠三吉自筆稿本+解説(海老根勲)


最後に、小沢節子さんの推薦文から、一部を抜粋して紹介いたします。

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 東西冷戦が東アジアの熱戦として展開した時代、彼らの詩作活動は反米反戦を掲げる平和運動という側面をもち、定型的な革命歌や、民族を超えた「共闘」や「連帯」も詠われる。だが、それらの言葉が政治に引きずられた皮相な表現として葬り去るならば、60余年後の私たち自身が歴史から問いつめられることになるだろう。そして、こうした活動の中から、林幸子の「ヒロシマの空」のような、人びとの原爆体験を結晶化した作品が生まれ、「原爆詩人」峠三吉もまた、新たな光の下での再読を迫ってくる。原爆表象を研究する者のみならず、1950年代の文化と政治に関心を持つすべての人にとって必読の雑誌の復刻である。

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小沢さんが提起しているのは、丸木夫妻の「原爆の図」にも引きつけて考えることができそうな問題です。
近年、50年代に関心を寄せる若い世代の研究者と多く出会いますが、新たな視点における50年代の文化運動の再評価が、この復刻を機にますます進んでいくことでしょう。
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2013/6/2

大宮昇『炭山画譜』・入山採炭スケッチブック  企画展

午後から、画家の大宮昇(1901-1973)の御子息夫婦と元学芸員Mさんが来館されました。
7月13日からはじまる「坑夫・山本作兵衛の生きた時代〜戦前・戦時の炭坑表現」展に出品されることになった、大宮昇の版画集『炭鉱画譜』(1936年)をはじめ、常磐炭田の入山採炭を取材した貴重なスケッチブックなどをお持ち下さったのです。

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大宮昇は、愛媛県松山市出身の版画家です。
戦前は日本版画協会に石版画を出品、1939年から41年まで新版画会を組織していました。
1941年には『炭山画譜』が絵読本となり『石炭を生む山』として学習社から出版、文部省並出版文化協会から推薦を受けました。1944年には長野県に疎開し、敗戦とともに山本鼎の流れを組む農民美術草木染信濃紬の指導にも従事。51年に版画に専念し、57年に松山に帰郷し、その後は版画教育の普及につとめたそうです。

M元学芸員によれば、この一連の作品の存在は本当に貴重な発見とのこと。
いわき市美術館が2004年に常磐炭田をテーマにした「炭鉱(ヤマ)へのまなざし」という非常に充実した展覧会を開催しているのですが、大宮昇の仕事については触れられていないそうです。
『炭山画譜』の版画の仕事ももちろんですが、そのもとになったスケッチブックを一枚一枚めくってみると、作者が相当な力を込めて炭坑の様子を描いていたことが伝わってきます。
御子息のMさんは、「父が治安維持法容疑で検挙され、“転向”した後の国策に加担する仕事だったので、本人は炭坑の版画についてはまったく語ろうとしなかった」とおっしゃっていましたが、しかし、そうした複雑な事情を越えて、対象に迫る画家の眼に心を打たれました。

素晴しい作品を出品して下さった、大宮家のご厚意に心から感謝です。
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2013/6/1

「池袋モンパルナスの記憶」高山登さんとの対談  講演・発表

現在、池袋の東京芸術劇場5階ギャラリー2で開催中の「池袋モンパルナス―歯ぎしりのユートピア」展(6月5日まで)。

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その関連企画として、午後1時より、映画『水俣の図・物語』(監督=土本典昭、1981年、111分)の上映と、「池袋モンパルナスの記憶」と題するトークが行われました。
出演は、造形作家・東京藝術大学名誉教授の高山登さんと、岡村です。

「池袋モンパルナス」と呼ばれるアトリエ村で生まれ育った高山登さんは、お母様が丸木俊と女子美術専門学校(現女子美術大学)の同級生。昨年3月には、近現代史研究者の小沢節子さんとともに、高山さんを訪ね、詳しい聞き取り調査も行いました。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1830.html

今回のトークは、そのときの内容をベースにしながら、私が聞き手役として、高山さんのお話を伺う、というものでした。
近年、渋谷や世田谷など、各地の芸術家村/アーティストコロニ―の歴史が発掘・再評価される企画が目につきます。それらの歴史にも興味を惹かれつつ、けれども、やはり「池袋モンパルナス」が面白いと思うのは、当時の日本の辺境……北海道や沖縄、朝鮮半島なども含めたさまざまな地域からたどりついた、多様な背景を持つ若者たちが集まる場所であったということで、そのため、東京に対する憧れと同時に、東京的なものに対する抵抗の精神が複雑に交錯する雰囲気が形成されていたように思います。
そして、学生時代に(富山妙子さんの紹介状を持って!)北海道の炭鉱をめぐったことを機に、線路の枕木を近代社会の“人柱”として作品化し続ける高山さんの仕事も、そうした複雑な場所で育ったことと関わりがあるのではないか、という気がしてなりません。

トークのなかでは、そのあたりの話を少し深めていきたいと思っていたのですが、限られた時間ということもあり、後になって振り返ると、「もっとこうすればよかった」という個人的な細かい反省点もいろいろあり。
結局、イベントの後、高山さんがお帰りになる新幹線の時間まで、高山さんの教え子のNさんや、豊島区のS学芸員たちと池袋駅近くの居酒屋でごいっしょしていたのですが、「池袋モンパルナス」の話は、やはりこうした雑多な雰囲気のなかで話すのが一番面白い……とつくづく感じたのでした。

お酒を飲みながらも丸木美術館の行く末を心底気にして下さっていた高山さん、丁寧な心配りで企画を進めて下さったS学芸員、そしてトークの会場にお運び下さった大勢の皆さまに、心から御礼を申し上げます。
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