2013/5/17

【筑豊出張3日目】炭鉱犠牲者復権の塔など  調査・旅行・出張

筑豊出張最終日は、朝一番にEさんに案内されて、宮若市の千石公園にある「炭鉱犠牲者復権の塔」(1982年建立)を訪れました。

クリックすると元のサイズで表示します

塔の上に建つのは、夫婦の坑夫のブロンズ像。夫は先山(石炭を掘る熟練した採炭夫)、妻は後山(採炭夫の助手)として2人一組になって坑内労働を行っていた様子をあらわしています。

クリックすると元のサイズで表示します

注目すべきは、塔の裏面に彫り込まれた次の文字です。

すべての国の働く人々は
世界の仲間である
かつては断絶や抑圧もあったが
このごには連帯と尊厳があるように

WORKERS OF EVERY NATION
ARE CITIZENS OF THE WORLD
THEIR PAST-ISOLATION AND OPPRESSION
THEIR FUTURE-SOLIDARITY AND DIGNITY


クリックすると元のサイズで表示します

この塔を見たとき、私にはまったく予備知識がありませんでしたが、この練り込まれた言葉に、ただごとではない思いが込められているように感じました。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

塔の三方には、坑内作業の様子やボタ山の風景などが刻まれたレリーフが飾られています。

M学芸員の教示によれば、塔の建設を筑豊の人びとに理解してもらい、建設費用を集めるため、山本作兵衛の絵による紙芝居が各地で上演されたそうです。
炭鉱の犠牲者、そして炭鉱の労働に従事させられた外国の人びとの復権を目的とした塔建設のために尽力されたのは、牧師の服部団次郎さん。
服部さんの生涯については、以下のWEBサイトに詳しく紹介されています。
http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/242837/www.town.miyata.fukuoka.jp/Kouhou/H17/Nov/txt/kouhoutextP0512.htm

戦前に沖縄へ渡りハンセン病患者の救済運動に従事されていた方で、この「炭鉱犠牲者復権の塔」は、沖縄の「ひめゆりの塔」や「魂魄の塔」から想を得ていたようです。
筑豊と沖縄を重ねて見る、という視点には、驚きと同時に、ああやはり……という思いもありました。「3.11」後の現在においてその視点は、原発事故の被害を受けた福島にもつながっていくということなのでしょう。

Eさんは、「本当は朝鮮人犠牲者を追悼する無窮花堂も見せたかったのだけど」と言って下さったのですが、時間がないために残念ながら今回は断念しました。

   *   *   *

小竹駅でEさんとお別れし、写真家の萩原義弘さんと合流。
炭鉱画を描いた山近剛太郎のスケッチブックを所有されている元貝島炭鉱の重役Fさんのお宅を訪れ、スケッチを拝見させていただきました。

クリックすると元のサイズで表示します

坑内で作業をする女坑夫の墨画や、坑内馬を描いた彩色画など、興味深いスケッチばかり。
丸木美術館の展覧会への出品をお願いしたところ、快く了解して下さいました。

   *   *   *

最後に、小倉駅に向かう途中、萩原さんの案内で、遠賀川のほとりに建つ「炭掘る戦士像」を訪れました。
1954年に地元有志の発案で直方駅前に設置され、“炭都”直方のシンボルとして長年市民に親しまれた花田一男(直方出身の彫刻家)の制作によるセメント彫刻です。

クリックすると元のサイズで表示します

キャップランプをかぶり、ドリルで石炭を掘る炭鉱夫の力強い姿の像。
1996年に駅前ロータリーの再整備によって河川敷に移転されたのは、時流のせいというべきなのでしょうか。

クリックすると元のサイズで表示します

炭鉱画が世界記憶遺産となり、炭鉱の遺跡群も再び注目を集めつつある現在にあって、河川敷の片隅でクモの巣まみれになっている坑夫の像は、少々寂しそうに見えました。

今回の筑豊出張はこれで終了。
作品を無事に丸木美術館に搬入し、夏の企画展の準備を少しずつ進めていきます。
お世話になった皆さまに、心から御礼を申し上げます。
3



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ