2013/4/30

広岩近広著『被爆アオギリと生きる  語り部・沼田鈴子の伝言』  書籍

福島大学で行われた「原爆文学研究会」も無事終了し、安藤栄作さんと落合恵子さんの対談イベントも大盛況。いよいよ今日からは5月5日の開館記念日に向けての準備に向かいます。

午前中、駐車場周辺の草刈りをしました。
この4月から、週に1、2回程度、K寺(M)さんが事務局のお手伝いに来て下さっているのですが、友の会会員の更新手続きなどの作業をしてくれて、とても助かっています。

   *   *   *

このところ、さまざまな方からご著書をお送り頂いているので、少しずつご紹介していきます。
まずは、毎日新聞専門編集委員・広岩近広さんの『被爆アオギリと生きる――語り部・沼田鈴子の伝言』(岩波ジュニア新書)。

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広岩さんは『毎日新聞』(西日本版)で、「平和をたずねて」という連載を長年続けています。
2007年11月から12月にかけては、「原爆の図 終わらない旅」と題して、5回にわたって原爆の図の現在を、関係者に焦点を当ててとりあげて下さいました。岡村、ヨシダ・ヨシエさん、袖井林二郎さん、針生一郎さん、小沢節子さんの順に紹介されています。
(web検索をしたところ、当時の連載記事がスクラップされているブログを見つけました)
http://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/d89285720c906ddd06ed1fe4cb13bd3b

そんな広岩さんの原点が、広島の語り部として知られる沼田鈴子さんとの出会いでした。
沼田さんは、22歳の夏に爆心地から約1.3kmの距離にあった勤務先の広島逓信局で被爆。がれきの下敷きになり、左足を切断してしまうのですが、焼けこげたアオギリが新芽を出す様子を見て自殺を思いとどまり、1980年代に「10フィート運動」で返還された米調査団のフィルムに自らの姿が写っていたことをきっかけに、被爆証言活動をはじめました。

広岩さんは、1988年に取材を通じて沼田さんと知り合い、「戦争と戦争につながることに反対する姿勢」、そして「あらゆる差別や人権を侵害する行為を許さない姿勢」を教わり、大きな影響を受けたそうです。
1993年には、明石書店より『青桐の下で――「ヒロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり』を刊行されています。

今回のジュニア新書は、2011年に亡くなられた沼田さんのメッセージを若い世代に届けるために、93年以後の彼女の活動に加え、新たな取材も重ねて、書きおろしたもの。
広島だけでなく、沖縄、韓国、重慶、マレー半島の戦争の傷跡をめぐったり、アジア、ヨーロッパ、アメリカと世界じゅうを飛び回って平和への思いを伝えていた沼田さんのスケールの大きな活動が紹介されています。
第1章には、沼田さんの講演の録音や証言集などをもとに広岩さんが講演形式で構成した沼田さんの“語り”が収められていますし、丸木夫妻の関連では、『ひろしまのピカ』イタリア語版にまつわるエピソードも登場します。

沼田さんの生涯を描く映画『アオギリにたくして』も今夏公開予定とのこと。
昨年丸木美術館で朗読をして下さった女優の斉藤とも子さんも出演されると聞いているので、完成のときが今から楽しみです。
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2013/4/29

安藤栄作+落合恵子トークイベント  企画展

午後2時より、企画展の関連イベントとして、彫刻家の安藤栄作さんと作家の落合恵子さんの対談が行われました。

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今回の企画展では、落合さんの主宰するクレヨンハウスから刊行された(といっても一般書店での販売は5月8日から、丸木美術館で先行販売中)安藤さんの初の絵本『あくしゅだ』の原画を展示しています。

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対談は、そのきっかけとなった安藤さんの“「3.11」を超える作家たちへ”という文章の話題からはじまりました。
福島県いわき市の家を津波と火災で失った安藤さんがネット上に発表したこの文章を、落合さんが知り、ご自身のブログに紹介されたのが昨年3月のこと。
それから、クレヨンハウスの絵本出版の話が立ち上がっていったのです。

「3.11という出来事のなかで、人は追いつめられると自分のことより人のことを考えるようになる。そのおかげで今の自分たちがある。そのことを世界じゅうに伝えたいけれども、話そうとすると涙が出てしまってダメなんですよ」
そんな思いを訥々と語る安藤さん。
「私は東京で暮らして福島の電気を使ってきました。スリーマイルの原発事故から、チェルノブイリを経て、いろんな学習会やデモや集会を続けてきたつもりたったのに、福島の事故が起きたとき、どこかで緩んでいた自分を突きつけられた」
そう、厳しく内省する落合さん。
「3.11後、自分をどう位置づけていいのか、どんな影響を受けたのかがわからない。言葉にした瞬間にずれてしまう。原発事故は何ひとつ収束していないし、私たちひとりひとりの心も収束していない」という二人の会話に、会場には頷く方も多くいらっしゃいました。

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1時間半に及ぶトークは、お話の巧みなお二人の対談とあって、惹き込まれるように進み、内容も多岐にわたりましたが、とりわけ記憶に残ったのは次のような会話でした。

ひとつは、自由についての会話。
安藤さん 3.11後に、日本中で原発反対の声が上がっていなければ、原発はとっくに動いていたはずですよね。官邸前のデモに参加し、交差点のまんなかでジャンベ(アフリカの太鼓)を叩きながら自分の意志を叫ぶとき、こんなに解放される、自由があるのかと感じたんですよ。逆に警察や政治家は、不自由な立場だなと思いました。
落合さん 詩人の堀場清子さんは、「一憶総懺悔」を繰り返してはならない、と記しています。私たちは自分をそうした縛りから解放してあげよう、自由にしてあげよう。そうすると、爽快な気持ちになって、世界の見え方が変わってくる。

そしてもうひとつは、ジェンダーについての会話。
落合さん 大きな差別構造を変えていくためには、個人の内なる差別構造を変えていかなければならない。たとえば、性の違いにも差別の構造がありますよね。男女の支配と被支配の構造があまりにも長かった。
安藤さん 原発は男性的思考回路に社会が偏ってきた結果できたものだと思う。今の社会は限界がきているんですよ。山登りや潜水の世界的な達人と呼ばれる人たちは、中性的なたたずまいに見える。個人のなかに、男性性と女性性が調和している状態がいいですよね。
落合さん それぞれの個人が、かつて「男性性」、「女性性」と呼ばれていたものをあわせ持つ、ある意味では両性具有的な存在ですね。今、原発的社会を変えようとしている人たちのなかにも、子どもを持つことによって母性に気づいた男性や、会社組織からリタイヤした男性が多いんですよ、。
安藤さん 今まで話したことが、全部「光のさなぎ」や絵本の『あくしゅだ』につながっているんです……。

トークの終盤には、私もお二人の会話に参加させて頂き、丸木美術館という場所の持つ意味、そして安藤さんの展覧会が開催できたことのよろこびなどを話しました。
大きな企業や行政の援助ではなく、ひとりひとりの市民によって支えられてるこの美術館が、今の世界のなかで、本当は大きな意味を持っているということ。
「貧乏である(経済的に余裕がない)」という点は、クレヨンハウスも安藤さんも同じ。自分を売らないから貧乏なのだけど、本当は、こうした仕事をしている人たちがお金持ちになるような社会が来たとき、この国の文化は大きく変わるのではないか、という落合さんの言葉に、会場は大いに湧いていました。

最後は、クレヨンハウスで販売している被災地の応援歌「空より高く」が流れ、非常に心に沁みる締めくくりとなりました。

   *   *   *

トークの後は、展覧会場で安藤さんと落合さんを囲んで、クレヨンハウスのスタッフや、安藤さんのお友だち、「デモ友」たちと記念撮影。

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絵本『あくしゅだ』もたいへんよく売れて、非常に充実した一日となりました。
安藤さん、落合さんはじめ、大勢で駆けつけて下さったクレヨンハウスの皆さま、そしてご来場いただいた皆さまに、心より御礼を申し上げます。
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2013/4/28

原爆文学研究会福島フィールドワーク  調査・旅行・出張

2日目は福島フィールドワーク。
福島駅西口ロータリーに集合し、貸切バスに乗ってまずは福島市内のミネロファーム見学へ。
ミネロファームは、2012年1月に設立されたNPO法人「福島農業復興ネットワーク」が運営する牧場です。はじめに、NPOの事務局長のMさんが挨拶をして下さり、震災によって経営が困難になった牧場の土地と建物を借り受け、飯館村や浪江町から避難している酪農家の方々が共同運営しているというミネロファームの概要を説明して下さいました。
ちょうど新幹線の車内誌(『トランヴェール』、2013年4月号)にも特集記事が掲載されていましたが、フランスの乳製品メーカー、ダノングループからの復興支援の寄付金を受けるためにNPOが設立され、ミネロファームが誕生したそうです。

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やがて、ひと仕事を終えて事務所に戻ってきた場長のTさんがあらわれ、飯館村長泥地区で10年ほど酪農を営んでいたこと、そして放射能汚染のために牛を処分して飯館村を離れ、ミネロファームで働くようになるまでの詳しい経緯や心境を語って下さいました。

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地震の後、完全に情報から遮断された状況で、最初に汚染の情報を伝えてくれたのはフリーのジャーナリストだった。しかし、空気が赤く見えるとか、唇が痺れるという実感があるわけではないので、はじめは妙な数字や「シーベルト」なんて言われても、何のことかわからない。それより目の前のたいへんな状況を打開しなければいけないという思いが強かったのだが、いつまでたっても社会の機能が戻らないし、まわりの人たちがいなくなっていく。徐々に置かれている状況を理解していって、切なさでいっぱいになってしまった……。

「原爆文学研究会」のフィールドワークという情報が事前に伝わっていたせいでしょうか。
話は次第にTさんのプライベートな事情に発展していき、それはここには書きませんが、広島における「被爆者手帳」が飯館村にも必要なのか、健康面でのサポートが必要な反面、手帳の存在が差別を生み出すのではないか……という重い問いかけにもつながっていきました。

見学の人数が多かったため、雑菌の侵入を防ぐとの理由で牛舎の見学はできませんでしたが、牛の方は私たちの方を興味深そうに見学していました。
M事務局長がバスの車輪を消毒液で洗浄していたのがとても印象的でした。
飼料はすべて外国から輸入し、放射能測定だけでなく衛生面にも気を配っているという話とともに、ミネロファームが福島の酪農の信頼回復に尽力している様子が伝わってきました。

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現状の一番の課題は、共同経営型牧場の方法論の模索だそうです。
Tさんも、「個人的には飯館村にいた頃のように牛と綿密に接し、自然と調和のとれた遊び心のある仕事をしたいと思っているが、共同経営というのは他の人の生活も成立させなければいけないため、現状では生産性を追求しなければいけない」という葛藤を語っていました。
もっとも、福島の酪農を復興させたい、という熱い気持ちは、MさんからもTさんからも強く伝わってきて、心を打たれました。

   *   *   *

次に訪れたのは、あぶくま茶屋。
ここでは飯館村から避難してきた農家の女性たちが立ち上げた「かーちゃんの力プロジェクト」の皆さんが温かく迎えて下さり、お話を伺いながら手づくりのお弁当をいただきました。

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古代米にひじきの煮物、蕗の油いため、煮卵、さつまいもなど季節の素材がたっぷりの美味しい「笑顔弁当」でした。
(ウクライナ基準=野菜1kgあたり40ベクレル未満=よりもさらに厳しい基準を設け、1kgあたり20ベクレル未満の食品を提供しているそうです)

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食事のあとで、放射能測定のために毎日3食分の弁当を潰さなければいけない、というお話を聞きながら、3食分=1kgの弁当が入った袋を実際に手に持ち、その重みを実感しました。

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あぶくま茶屋は阿武隈川の渓谷沿いにあり、橋の下の方に降りていくと、美しい景観を見ることができました。この美しい山河が、目に見えない放射能に汚染されてしまったことを思うと、本当に胸が痛みます。

   *   *   *

最後に、バスで1時間ほど高速道路を走り、郡山市へ。
富岡町から避難してきた方々の仮設住宅のなかにある生活復興支援センター「おだがいさまセンター」を見学しました。

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仮設住宅といっても、ひとつの町だと思えるほど、規模の大きな地域です。

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その中心となって避難している人の心を支えているのが、「おだがいさまセンター」の存在。
福島原発事故直後の富岡町の方々の避難の状況から、ビッグパレットふくしま避難所の入所後の問題点の改善と運営組織の整備、そして「おだがいさまセンター」開所にいたるまで、センター長のAさんがたいへん詳しく報告をして下さいました。

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3つの場所でお話を聞きながら、3.11後の福島の混乱と分断、そしてそれぞれの置かれた状況のなかでの復興への努力と葛藤に、何度も涙が流れそうになりました。
情報のあふれる現在において、福島の状況もネットやメディアを通じて、いくらでも知ることができます。それでも、実際にその場所を訪れて、直接人の話を聞くことの意味というのは、どんな時代でも失われることはないのだということを、あらためて感じました。

まるで本職の旅行会社のように、非常に行き届いたフィールドワークの準備をして下さった原爆文学研究会の事務局、そして福島大学の皆さまに、心から感謝です。
本当に充実した2日間になりました。どうもありがとうございました。
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2013/4/27

第41回原爆文学研究会 in 福島大学  講演・発表

震災後はじめて、福島県を訪れました。
午前中、まずは福島県立美術館へ。

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風は少し強く冷たかったですが、青空のもと、信夫山の麓という美しいロケーションに恵まれた美術館を観て、とても清々しい気持ちになりました。
時間があまりなかったので、学芸員の方々へのご挨拶は失礼して、開催中の企画展「横尾忠則ポスター展」も観ず、常設展示のみの急ぎ足の鑑賞。
本当は、ベン・シャーンの《ラッキー・ドラゴン》を観られればいいなと期待していたのですが、残念ながら展示されていませんでした。
それでも、松本竣介の《駅》や、関根正二の《姉弟》など、心に沁みる絵を観ることができて、嬉しく思いました(関根は福島県白河市の出身)。
いずれあらためて、ゆっくりと訪れたい美術館です。

   *   *   *

午後1時からは、福島大学にて「第41回原爆文学研究会」
いつもながら、準備に余念のない世話人の方々に感謝しつつ、研究発表「非核芸術の系譜―広島から福島まで」を1時間ほど行いました。
「3.11」以後、丸木美術館の企画展や『東京新聞』の連載「非核芸術案内」でとりあげた作品を中心に、広島・長崎からビキニ、スリーマイル、チェルノブイリ、福島の順に時系列に沿って、問題意識や表現の変遷を紹介する内容です。

初の福島開催ということもあり、参加者は会場いっぱい。研究会の会員でない方の姿も多く、わざわざ広島から元美術館学芸員の方も駆けつけて下さったりしたので、冷や汗ながらの発表ではありましたが、さまざまな示唆を受ける質疑もいただき、まあ、ともあれ無事に終えることができて良かったです。

続いて行われた野坂昭雄さん(大分県立芸術文化短期大学准教授)の鹿島田真希『六〇〇〇度の愛』についての観念論として原爆をとらえる試みについての考察や、澤正宏さん(福島大名誉教授)の「終わりなきオブセッション―福島原発事故/隠蔽と強権とを超えて原発0へ―」と題する講和もたいへん興味深く聞きました。

とりわけ、澤さんの講話は、「3.11」後の原発事故発生の政府の声明を聞いたときに「また福島が犠牲にされたな(松川事件を想起して)」という思いが浮かび、身体感覚として広島、長崎、沖縄とつながっていく感覚がした、という点や、歴史的にさかのぼりながら具体的な事象をならべ、いかに「隠蔽」と「強権」の上に原発が成り立ってきたかを実証していく点が、「非核芸術」の発表内容とも重なる部分があり、大いに参考になりました。
こうした話を「福島」という場所で聞くことの意味の重みをあらためて考えさせられる、素晴しい研究会であったと思います。

夜は原爆文学研究会恒例の、打ち上げ飲み会。
私は寝不足だったので一次会のみの参加でしたが、多くの皆さまにお声がけいただき、また、新たな仕事のお話もいただいたりして、とても楽しく過ごすことができました。
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2013/4/26

福島大学「原爆文学研究会」発表準備  講演・発表

火曜日は、朝から立命館大学国際平和ミュージアムのK学芸員が来館されて、母屋のH子さんとともに一日がかりで特別展示「丸木スマ展」に出品する作品16点の状態チェックと梱包作業。

水曜日は、午前中に県内の看護専門学校の館内説明があり、昼には米国から来られたイベントプロデューサーたちといっしょに原爆の図の巡回展示の可能性についての打ち合わせ。午後には東松山CATVのT記者が撮影に来館し、6月放送予定の15分番組のための収録。そして夜は池袋に出て、劇作家Yさんにお会いし、夕食をとりながら「ある地方美術館で行われる灯ろう流し」をテーマにした架空の物語の脚本執筆のための取材を受けました。

今週もまたいろいろなことがあり、その合間に伸びてきた筍を掘ったりして、毎日が慌ただしく過ぎていきました。

また、昨日は沖縄県立博物館・美術館のT学芸員がわざわざ企画展を観に足を運んで下さり、今日は広島大学のKさんや、台湾・淡江大学のLさんなど原爆文学研究会の方も、福島で行われる研究会に向かう途中で丸木美術館に立ち寄って下さいました。
本当にありがたい限りです。
Kさんからは、古浦千穂子著『風迷う』(1977年、湯川書房)と岡村淳著『忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅』(2013年、港の人)も頂きました。
このところ慌ただしくて、他にもお送り頂いた書籍がいくつかあるにも関わらず、まだご紹介しきれていません。そのうちに、あらためて感想を書かせて頂きます。

というわけで、今まさに、研究発表の準備に追われているのですが、明日午後1時より、福島大学にて第41回原爆文学研究会が開催されます。
事務局Nさんからのメールによれば、予定していた会場がいっぱいになるほど大勢の、多分野の方がお見えになるということです。やはり福島で初開催ということの意味は大きいのでしょう。そんなときに発表を行うという巡り合わせに、かなりプレッシャーを感じています。
ご参加される皆さまは、どうぞくれぐれもお手柔らかに。
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2013/4/22

岡本太郎記念館Chim↑Pom展/長谷川浩子展/映画『爆心』試写会  他館企画など

休館日。
午前中に青山の岡本太郎記念館へChim↑Pomの「PAVILION展」を観に行きました。

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2年前、渋谷駅に設置されている岡本太郎の壁画《明日の神話》に福島原発事故の絵をつけたしたChim↑Pom。
その現物作品を含めた展示で、岡本太郎の表現と“対話”するという試みです。

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アトリエには、Chim↑Pomが渋谷駅に設置した絵画が、まぎれこんで展示されていました。
この絵画が警察から返却されたのは、2011年12月、丸木美術館で「Chim↑Pom展」を開催していた最中でした。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1780.html
その後、絵画は岡本太郎記念館に寄贈されたと聞きましたが、1年半ぶりの再会です。

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居間のテレビには、そのときの状況を記録した映像作品が流れています。
この映像作品も丸木美術館で展示していました。

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庭には、キノコ雲のオブジェも太郎の作品にまぎれて草むらにひそんでいました。

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もっとも、一番印象に残ったのは、カラスが仲間を呼ぶ声の録音を流し、剥製を使ってカラスの大群を呼び寄せる《BLACK OF DEATH》という映像作品の2013年リメイク版でした。
住民が避難して無人となった福島の町や、渋谷の雑踏(東電も映っていました)、大阪万博公園に立つ《太陽の塔》の裏側の黒い太陽のまわりを飛び回るカラスの群れの映像は、何を示唆しているのか。いろいろと考えさせられる展示でした。

   *   *   *

岡本太郎記念館のあとは、銀座に移動してギャルリー志門で長谷川浩子さんの個展を拝見。長谷川さん、ご自身の個展でお忙しいさなか、丸木美術館の「安藤栄作展 光のさなぎたち」のオープニングにも駆けつけて下さいました。
木彫による愛らしい彫刻群。青白い炎の色がとても美しく、印象に残りました。

午後1時からは、東劇ビルの松竹試写室で『爆心 長崎の空』(日向寺太郎監督、2013年7月公開)の試写を観ました。

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谷崎潤一郎賞・伊藤整文学賞を受賞するなど評価の高い青来有一の小説『爆心』を原作にした映画。6編の短編をひとつの長編に仕立てているため、小説とは別ものの作品になっているのですが、生命をめぐる深い悲しみと再生を描いた心を打たれる内容でした。



旧知の日向寺監督にも久しぶりにご挨拶をすることができて、よかったです。
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2013/4/21

KEN「根本佳奈展」/トークイベント「壷井明《無主物》を語る」のお知らせ  他館企画など

安藤栄作展が一段落したので、日曜日は夕方から家族で三軒茶屋のKENに行き、「根本佳奈展 月をよむ」を観ました。

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佳奈さんの作品は、これまで何度か拝見しています。
現在の街のなかを行く人びとを主題にした繊細な版画とともに、お祖父さんの書棚にあった古い詩集から、かつての時代を生きた詩人が綴った言葉をぬきとり、一緒に展示するという興味深い企画でした。

KENにいるあいだ、会場にはお客さんが絶えず訪れ、佳奈さんの人柄が偲ばれる微笑ましい空間になっていました。

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さて、KENでは、岡村企画展の第2弾として、5月18日(土)午後5時より「福島原発事故を描く―壷井明《無主物》を語る」と題するトークイベントを予定しています。

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福島原発事故を描く - 壷井明、《無主物》を語る
2013年5月18日(土)
OPEN 16:30 START 17:00

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福島原発事故から2年が過ぎました。可視化することのできない放射能被害、そして地域のなかに生じる信頼関係の亀裂......壷井明は、そんな福島の人びとの苦悩を聞きながら、絵物語として油彩画《無主物》に描き込み、首相官邸前デモなどの"路上"で発表し続けています。その一連の姿勢は、はからずも丸木夫妻の《原爆の図》や1950年代のルポルタージュ絵画などの歴史的な系譜を連想させます。今回の企画では、《無主物》を前にして、この絵画がどのようにして生まれてきたのか、どのような思いを込めて、何を描いてきたのかを、対話形式で作者自身に語っていただきます。

企画 / 聞き手:原爆の図丸木美術館 岡村幸宣

参加費 : 1000円
※予約不要  (定員40名 先着順)


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丸木美術館での特別展示では、壷井さん自身の絵画への想いをきちんと聞く機会がなかったのが心残りだったので、今回の企画では、《無主物》を描くことになったきっかけや、作品に込めた思いを、じっくりとお聞きするつもりです。
ぜひ、多くの方にご来場頂きたいと思っています。
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2013/4/20

安藤栄作展オープニング  企画展

「安藤栄作展 光のさなぎたち」がはじまりました。
あいにくの雨模様となりましたが、初日は多くのお客さんが、福島や関西方面からも駆けつけて下さって、盛況となりました。
午前中からNHK国際放送のクルーやいわき市の「日々の新聞」も取材に来て下さり、安藤さんのインタビューを収録されていました。

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午後2時からは、オープニングパフォーマンス。
安藤さんが手斧を振り下ろし、木を刻む音が展示室に響きわたります。
「光を降ろす」行為です。

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そして、茨城県から駆けつけて下さった舞踏家の鈴木ヴァンさんが、ゆっくりと登場。
舞踏と彫刻という身体表現のコラボレーションです。

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やがてヴァンさんは、福島の被災をテーマにした詩を叫びます。
「心まで汚染されてたまるか。そうだとも、私たちは白い穂。そうだとも、私たちは光のさなぎ!」

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そして安藤さんは、手斧をジャンベ(アフリカの太鼓)に持ち替え、太古から続く生命のリズムを刻みはじめます。

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ジャンベの音は次第に激しさを増し、ヴァンさんの身体も小刻みに激しく動きます。

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安藤さんの手斧で刻まれた木片が形成する環のなかにヴァンさんが入ると、ジャンベの音は止み、緊張感のある静寂に包まれたなかで、ヴァンさんのパフォーマンスは終わりました。

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休憩のあとは、安藤さんによる作家トーク。
震災後しばらくは、支援の意味を込めた展覧会が急増し、その頃唯一作ることのできたのは再生を司る“鳳凰”のシリーズだったこと。
昨年夏の芦屋での“鳳凰”の個展を境に支援の企画がなくなり、それが被災者としての着地点だと思っていたところで、丸木美術館での個展の話がきたこと。
震災という体験は自分のなかからいろいろなものがはがれ落ち、今はいつ何が起きても自分は真実を生きているという思いでいること。
そこから生まれてきたのが、すべてを失った荒野のなかで、原点となるのは互いを愛し尊重する男と女――“光のさなぎ”というテーマだったということ。

また、私はすでに聞いていたのですが、丸木美術館でのドローイング制作の最中、川に向かって下りていく道を散策した際に、足もとに陶器の破片や小石が埋められていることに気づき、丸木夫妻たちの歴史のなかに自分が入りこんでいると感じた瞬間、二羽のモンシロチョウが飛んできて、「おねがいね、かいてね」と背中を押されたような気がしたという話もして下さいました。

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クレヨンハウスのIさんも会場に駆けつけて下さり、絵本『あくしゅだ』の出版秘話を披露。
絵本の紹介をしてくださいました。

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そんなわけで、トークのあとは会場でサイン会を開催。
たくさんの方が安藤さんにサインをお願いしていました。
「こういう質の高い展覧会があれば、丸木美術館にまた来たいという気持ちになるし、《原爆の図》も再発見されて新たな命を吹き込まれるのでは……」というご意見も頂きました。
ご来場いただいた皆さまに、心から御礼を申し上げます。
安藤さんの展覧会は、7月6日(土)まで開催しています。
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2013/4/20

『毎日新聞』埼玉版「安藤栄作展」掲載  掲載雑誌・新聞

2013年4月20日付『毎日新聞』朝刊埼玉版に、“福島・いわきで被災、安藤栄作さん個展 困難に負けぬ「光」の彫刻”との見出しで、今日からはじまる企画展「安藤栄作展 光のさなぎたち」の記事が掲載されました。

以下のサイトで記事の全文を読むことができます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130420-00000080-mailo-l11

記事の一部を抜粋して、以下に紹介します。

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 安藤さんは東京都出身。東京芸大彫刻科卒業後の1989年、大自然の中で彫刻を作ろうと、いわき市の山間部に家族で移住した。その後、海沿いに転居し、制作活動に取り組んでいた。

 そんな時、震災が発生する。津波と火災で自宅を失ったうえ、原発事故が起きる。安藤さん一家は、いわき市を離れて避難先を転々とした後、奈良県明日香村に移住。現在は、同県天理市に移って制作活動を続けている。

 震災から3週間後、安藤さんは家族とともにいわき市に戻った。海岸近くにあった自宅とともに大小数百体の彫刻が流失していたが、一家は、小さな木彫り人形と着せ替え用洋服が入った小さな箱と木彫りの車の玩具を見つけた。玩具と人形は、安藤さんと彫刻家の妻が、幼い子どもたちのために作ったものだった。安藤さんは「『大切なのは、これを作った気持ちだ』というメッセージをもらったように思った」と振り返る。

 安藤さんが制作した「光のさなぎ」は、約3メートルのヒノキの丸太を手おので削って、向き合う1組の男女を表現した作品だ。「人はどんな状況にあっても光を生み出すさなぎのようなもの。社会の最小単位である男女が互いに大切な存在として誠実に愛することで光はより増幅される」というメッセージを込め、苦しい時でも自ら「光」を生み出してほしいという願いも込めている。


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記事を書いて下さったのは、毎日新聞川越支局長のNさん。
今日もわざわざ掲載紙を届けに美術館においで下さいました。
いつも丁寧に取材して下さり、心から感謝いたします。
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2013/4/19

「安藤栄作展 光のさなぎたち」展示  企画展

「安藤栄作展 光のさなぎたち」も、いよいよ明日から。
安藤さんのドローイングが最終段階を迎えました。
福島原発事故をテーマにした線描ではありますが、「なんか、全然おどろおどろしい感じじゃないんだよね」と安藤さん。怒りや憎しみといった感情(もちろん、安藤さんは原発事故があったから福島を離れたわけで、そうした感情がないという意味ではありませんが)を超えて、神々しささえ感じる画面です。
原発を優しさや愛で包みこみ、鎮め、自然に還す。そんな安藤さんの気持ちが伝わってきます。

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この日は県内の看護専門学校の生徒が団体で来館したのですが、安藤さんのドローイングの制作現場を見て、圧倒されたように無言で見つめているのが印象的でした。

午後2時過ぎ、ついに4m×12mのドローイングが完成。
いったん紙を巻いて、展示室の壁に少しずつ広げながら貼っていきます。

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圧倒的なスケール感です。安藤さんも、やり遂げた、と満足そう。
このドローイングのために使ったマジックペンは、なんと40本だそうです。

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その後、いったん彫刻を床に仮置きして、垂直に立つかどうかを確認しながら(なにしろ3mを超える彫刻なので、アトリエでは立ててみることはできないのだそうです)、斧で底面を削って平衡をとります。

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最後に、ボルトで底板と彫刻を固定し、展示位置を決めていきます。
実は、安藤さんの展示の直前に、LED照明が導入されたため、以前とは比較にならないくらい光がシャープになりました。
彫刻1体1体に光を当てていくと、表面の斧の刻み跡がくっきり見えて、空間が立体的になってきました。

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福島原発事故のドローイングの前に立つ、6体の「光のさなぎ」と1体の「鳳凰」。
企画展示室が、荘厳な空間に生まれ変わりました。
丸木美術館でこれだけのスケールの彫刻展を行うのは、おそらく初めてのこと。
もっとも、空間もドローイングも彫刻も、すべてが大きいので、写真だけではこのスケール感が伝わりにくいのです。

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人間を入れて写真を撮ると、この大きさが少しは伝わるでしょうか。
「とうとうやり遂げたね」と感慨深く展示を見つめる安藤さん。
最後に、安藤さんが「光のさなぎたち」展によせた文章を掲載します。
明日は午後2時より、作家トークやパフォーマンスなどのオープニングイベントを行います。

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バックのドローイングは福島第一原発。
僕らはどんな状況にあっても光を生み出すサナギのようなもの。
男性は女性のたおやかさと朗らかさを、
女性は男性の気高さと誠実さを愛する。
その行為そのものが光で、
二つが合わさると光はより増幅される。
原発事故とその後の落胆だらけの様々な出来事、
そんなものに魂まで絡め捕られていてはいけない。
今こそ自分自身が光のさなぎであることを思い出し、
男性は女性を女性は男性を大切な存在として誠実に愛し、
その光で世界を満たす時だ。
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2013/4/17

安藤栄作さんのドローイング  企画展

今日も朝から安藤栄作さんは展示室にこもってドローイングを続けています。
午後には安藤さんの知人の鈴木ヴァンさんが茨城県から来館され、20日に行うパフォーマンスの打ち合わせを行いました。

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安藤さんがジャンベを叩き、ヴァンさんがリズムに合わせてゆっくりと舞踏をはじめます。
展示室の空気が一気に引き締まる瞬間。
オープニングのパフォーマンスが楽しみです。

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ドローイングに没頭する安藤さんを横目に見ながら、となりの小さな展示室には、クレヨンハウスからこのたび刊行される絵本『あくしゅだ』の原画を展示しました。
こちらの展示も、空間に見事にあっています。
そして、4月20日から先行販売をさせていただく絵本も、本日、美術館に到着しました。

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東松山CATVも取材に来てくれました。
6月放送予定の15分番組では、安藤さんの展覧会を軸に紹介して下さる予定です。

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展示室いっぱいに広がった12mの大画面。
この画面を線描のみで仕上げるというのですから、たいへんなスケールです。

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見ているだけで呼吸を忘れるような緊迫感のある作品。
この迫力を体感しに、ぜひ丸木美術館にお運び下さい!
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2013/4/16

安藤栄作展搬入/鄭周河展オープニング  企画展

朝いちばんで、奈良から彫刻家の安藤栄作さんが到着しました。
すぐにトラックも到着し、彫刻作品《光のさなぎ》6体と《鳳凰》1体も搬入しました。

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展示室に、ヒノキの爽やかな香りが充満します。
そして、空間の雰囲気が一変しました。

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韓国から来られた写真家の鄭周河さんは、「ブランクーシのようだ」と安藤さんの彫刻を気に入り、作品を抱きしめるパフォーマンス。

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今日から安藤さんは、丸木美術館の企画展示室で、福島原発事故をイメージした4m×12mの巨大なドローイングを制作されるのです。

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もちろん、その期間中も美術館は開館しているので、ご来館された方は、安藤さんの制作風景を観ることができます。公開制作のようなかたちになっています。

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「原発を描くとはいっても、やっぱり愛がなければ描けない。出発点は、愛なんだよね」という安藤さん。
《光のさなぎ》という愛の象徴によって、原発を鎮めるというのが、安藤さんの思いです。

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午後にはNHK国際放送のY記者も来館、取材をされていました。
安藤さんの展覧会は、世界に向けて発信されるのです。

   *   *   *

午後2時からは、2階のアートスペースで「鄭周河写真展 奪われた野にも春は来るか」のオープニングイベント。

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会場には多くの方が来場され、鄭さんに加えて東海林勤牧師もお迎えし、スライドをまじえたトークが行われました。

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鄭さんの撮影した福島の美しい風景は、放射能汚染によって奪われた風景であり、また、この世界のどこにでも起こりうる“予兆”でもあります。
写真展は5月5日まで。
安藤さんの展覧会は、20日にオープニングを迎えます。
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2013/4/15

企画展展示替え/特別展「鄭周河写真展」など  ボランティア

休館日ではありますが、企画展「遠藤一郎展」と特別展示「壷井明 無主物」の撤去作業や「鄭周河写真展 奪われた野にも春は来るか」の展示に美術館1階のLED照明設置工事も重なり、出勤日。
ボランティアとしてお二人の新人が参加して下さり、「鄭周河写真展」の実行委員会の方々も展示のお手伝いに集まって下さって、たいへん助かりました。

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午後からは、遠藤一郎くんはじめ4人のスタッフが展覧会の片付けに来てくれて、展示室はすっかり空っぽに。
左端に遠藤くんが少し写っていますが、遠藤くんもかなりお疲れの様子でした。
今回の展示は、マネージャーの伊藤さんのキュレーションにより、遠藤くんのこれまでの活動の軌跡がよくわかる内容になっていました。
個人的には、3.11以後の遠藤くんのスタンスがもう少し観客に伝わりやすい工夫があれば良かったかな、という反省点がありますが――例えば、「アートに何ができるか」と東京で議論している若い美術家たちに「それを気にしているのなら行け。お前のアートなんか必要ない。お前が必要なんだ」と激昂したという彼の熱さを見せる工夫をしたかった――、遠藤くんも「3年後にまたやりたい」と言ってくれているので、いずれ、何らかのかたちでいっしょに仕事ができたらいいなと思っています。

ともあれ、遠藤くん、伊藤さんはじめ、展覧会を手伝ってくれた若者たちに、心から御礼を申し上げます。
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2013/4/14

映画『月あかりの下で』上映会  イベント

午後1時半から、新学期特別企画として、映画『月あかりの下で〜ある定時制高校の記録〜』(太田直子監督、2010年)の上映会が行われました。
今回の上映会では、4月からボランティアで通ってきて下さっているK木さんの提案により、(偶然、M建設さんからお借りしていた工事用の足場があったこともあって)やぐらを組んでスクリーン代わりに白塗りの木製パネルを設置するという大掛かりな準備を行いました。

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場所は新館ホール。午前中のうちに、屋根にのぼって天窓もすべて遮光しました。
ためしに試写をしたところ……「おおお、まるで映画みたい!」と感動の声が。
そうですとも、映画なのです。

会場には、現役の学校の先生も含め、多くの方が来場して下さいました。
浦和商業高校定時制(2008年3月に統廃合により閉校)の3人の女子生徒を中心に、さまざまな事情を抱えて生きる彼らの入学から卒業までの成長や葛藤の日々を撮影した記録映画。
映画の後半には、校外学習として丸木美術館を訪れるシーンも登場します。

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妊娠して、翌日から産休に入る女子生徒の目に映る、《原爆の図》――。
大きくふくらんだ自身のお腹をさすりながら、炎に包まれる赤ん坊の絵をじっと見つめる彼女が、ふと「こわいね」とつぶやきます。
このシーンを、丸木美術館の空間のなかで、見てもらいたかった。

なぜなら、丸木美術館で絵を見ることの原点が、このシーンに凝縮されているように思うからです。
学校の先生に連れてこられなければ、一生、《原爆の図》のことも丸木美術館のことも知らないままであろう子どもたちが、絵の前に立って、何かに気づく。そこから世界が変わって見えてくる……そんな体験を一人でも多くの人にしてもらいたい、手渡したいと思いながら、日々、館内の説明をしている身としては、本当に心を打たれる映像でした。

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映画の後は、当時の担任教師・平野和弘先生と太田直子監督がゲストで登場。岡村が進行役をつとめ、笑い声あり、真剣な話ありの濃厚なトークを行いました。
トークの詳しい内容は、『月あかりの下で』HPに、配給担当のS田さんが記してくれているので、こちらをぜひご覧下さい。
http://tsuki-akari.com/?page_id=689

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トークのあとは、美術館前庭にて、浦和商業定時制OBを中心とする太鼓集団「響」の公演。
プロ宣言をして、昨年には西日本をめぐる大規模なツアーを敢行した彼らの素晴しい演奏に、観客の皆さんも心から楽しんでいました。

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奇しくもこの日は、「響」の新しい稽古場が本庄児玉町に完成した日。
メンバーの皆さんは、演奏の直後にも関わらず、新しい稽古場に直行して音出しをしたそうです。
そちらの方の詳しい報告は、「響」の活動ブログをご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/hibikikizuna/archives/25695840.html

後片付けの後には、上映会の開催に尽力して下さったウッキープロダクションのS田さんと太田監督とともに、駅前の居酒屋で打ち上げ会。またいつか、何かの企画をごいっしょできたらと思っています。
太鼓集団「響」の皆さんや平野先生にも心から御礼を申し上げます。また、わざわざ会場にお運び下さったグループ現代のT野さん、本当にありがとうございました。
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2013/4/13

遠藤一郎ライブペイント  イベント

午後2時を過ぎた頃、丸木美術館に遠藤一郎くんの運転する「未来へ」号が姿を現しました。

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現在開催中の企画展「遠藤一郎展 ART for LIVE 生命の道」も残すところあと2日。
今日は遠藤くんの公開ライブペイントが行われるのです。

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美術館の前で「未来へ」号を待ちうける人、「未来へ」号に乗って東京からやってきた人。
人びとが見守るなかで、遠藤くんは車を降り、企画展示室へと向かいます。

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物理学者の佐治晴夫さんも、「未来へ」号に乗って美術館においで下さいました。
遠藤くんがライブペイントの準備をしているあいだ、佐治さんは館内をまわり、《原爆の図》や遠藤くんの展示を見て下さいました。
「ゴーギャンの絵画《われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか》のように、《原爆の図》にも過去・現在・未来の時間の流れが描かれているのが興味深いですね」と佐治さん。

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会場では、いよいよライブペイントの準備ができたようです。
和紙を貼り合わせ、床いっぱいに広げた大画面に、裸足で向き合った遠藤くん。
壁面の作品に描かれた赤い太陽に呼応するような黒い太陽を、一気に描きあげていきます。

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なにしろ、10mを超える大画面。
画面の上を走り、腰を曲げて、絵筆を動かしていくのも大仕事です。
静かな展示室に、遠藤くんの荒い呼吸の音が響きわたります。

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赤い絵の具で描いた文字は「泣 笑」。
大地と空のあいだの生命が、泣き、笑いながら続いていくという意味のようです。

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春とはいえ、観客にとってはやや肌寒さも感じる日。
しかし、激しく動きまわる遠藤くんの身体からは、汗がしたたり落ちます。

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絵筆を置いた遠藤くんは、黒い太陽の上に立ち、足の裏に絵具をつけて、そのまま、歩き出しました。画面の上に拡散される黒い足あと。

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この世界すべてが“家族”であり、人びとは泣き、笑いながら“生命の道”をつなげていくという遠藤くんのまっすぐなメッセージ。

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四方の壁、そして床も含めて、遠藤くんの展示空間ができあがりました。
「ART for LIFE 生命の道」の完成の瞬間です。
最後は佐治さんがピアノでバッハの平均律クラーヴィア曲集第一番を演奏。遠藤くんの作品空間と響きあいながら根源的な世界観を表現しているようでした。
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