2012/12/1

占領下の「原爆の図展」に対する調査書  1950年代原爆の図展調査

11月末は、原爆文学研究会『原爆文学研究』、アジア女性資料センター『女たちの21世紀』、日本の戦争責任資料センター『Let's』の3つの機関誌の原稿と、大阪大学大学院「日本学方法論の会」に提出する発表原稿などの〆切が集中してどうなることかと思いましたが、かなり綱渡りではあったものの、なんとか予定通りに収めることができました。

まあ、ひと安心するのも束の間のことで、12月にはまた別の原稿の〆切があり、年内にはあと数本仕上げなければ年を越せないのですが……。

   *   *   *

大阪大学に提出した発表原稿のなかで、占領下における「原爆の図展」の立場をあらわす資料として、1951年5月31日付で福島県の耶麻地方裁判所から管轄町村に向けて発せられた調査書を紹介しました。
「プレスコード」のような表現に対する検閲ではなく、政令325号「占領目的阻害行為処罰令」への抵触を示唆する内容が具体的に記されている興味深い行政文書です。
以下、全文の書き起こしです。

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昭和二十六年五月三十一日
耶麻地方事務所長
各町村長殿

丸木位里赤松俊子共同製作に係る「原爆の図」展覧會に関する調査について

標記の件に関し昨年八月頃より全國各地において展覧會を開催しこれと並行して催される平和懇談会等において反米反戰熱を煽っている模様であるが責町村内において過去における該展覧會の開催状況及び将来の開催予定を調査の上その結果を六月五日まで期日厳守報告願いたい。
なお過去の状況については(1)開催年月日及び場所(2)主催者名(3)入場者の数及び性別階層等(4)反響(5)会場における宣傳活動(資料等あれば添付のこと)(6)懇談會等の状況等を又爾今開催の場合は前記同様により調査され至急報告されたく申添える。


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この文書に対し、管轄内の慶徳村からは村長の名で以下の返答が出されています。

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丸木位里赤松俊子共同製作に係る「原爆の図」展覧調査報貢標のことについて照會ありましたが左記之通報告致ます。

      記
一、本村には過去に於ても予定等とも該当ありません

昭和二十六年六月二日 慶徳村長 長谷部新
耶麻地方事務所長殿


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この貴重な資料は、『喜多方市史3 近代・現代通史編V』(2002年発行)の編纂に携わった元高校教師M氏からご提供頂いたものです。

調査書は1951年5月31日付となっていますが、これは画文集『ちび筆』に出てくる俊の回想のなかの、空知支庁から秩父別村に届いた文書と時期も内容もほぼ一致しています。
つまり、福島県の耶麻地方だけではなく、広域的に(おそらくは全国規模で)調査が行われていたものと思われます。
1951年10月、俊の母校である秩父別の小学校は、「原爆の図展」開催直前に、この通達を理由に断っています。通達が、文面通りの単なる「調査」ではなく、無言の圧力となっていたことは容易に想像されます(結局秩父別では、俊の実家の善性寺で開催)。
また、秩父別展の直後に開催された札幌展では、「反米的」な感想文を会場に掲示したという理由から、展覧会場責任者が逮捕されるという事件も起きています。この事件も調査書の内容とつながっているように感じられます。

M氏のご教示によれば、この時期は「原爆の図展」だけではなく、ほかにもさまざまな労働・社会・文化運動の内偵的な調査が行われていました。メーデー関連の行事や、共産党指導下に展開されている各種平和運動、各種文化サークル活動(前進座や劇団プーク、楽団カチューシャなど)などの調査書も現存しているようです。

なお、当時の行政資料は当然ながら手書き文書。写しをいただいたものの、私の教養では解読できない略字や崩し字もあり、書き起こしには元美術館学芸員Mさんや書家のI先生にご協力を仰ぎました。心から御礼を申し上げます。
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