2012/11/30

NHK FMラジオ「日刊!さいたま〜ず」出演のお知らせ  TV・ラジオ放送

午前中に東京新聞N記者が本橋成一写真展「屠場」の取材で来館して下さいました。
まだ掲載予定は決まっていませんが、いつも足しげく通って下さるので、本当に感謝です。

そして、昼にはNHKさいたま局の山崎薫子キャスターが来館。
12月5日(水)午後6時から、NHKさいたま放送局FMラジオ(さいたま85.1MHz、秩父83.5MHz)の番組「日刊!さいたま〜ず」に出演させて頂くため、その打ち合わせと、展覧会を実際にご覧になるために足を運んで下さったのです。
ラジオは「屠場」についてのトークが中心になりますが、これまでの本橋さんの仕事に一貫している姿勢や、丸木夫妻との交流についても紹介できればと思っています。

リクエスト曲は、本橋さんの友人で、いっしょにベラルーシの汚染地域を訪れている小室等さんがロシア語で歌う「ベラルーシの少女」をお願いしました。
そしてもう一曲は、「屠場」といえば誰もが連想するであろう有名な曲。これには美術館内でも「え〜本気?」といろいろ賛否があったのですが、それでもリクエストしたのにはちゃんと理由があるのです。理由は、放送のなかでお話いたします。

埼玉県内のみという限定の放送ですが、電波の届く環境にいらっしゃる方は、どうぞ5日の夕方はNHK-FMラジオをお聴きください。
2

2012/11/29

一宮市三岸節子記念美術館「生誕100年丸木俊展」報告  館外展・関連企画

昨日、一宮市三岸節子記念美術館で開催されていた「生誕100年丸木俊展」の作品が無事に返却されました。
会期中に掲載された新聞記事のコピーを頂いたので、以下に紹介いたします。

クリックすると元のサイズで表示します

まずは2012年10月5日付『朝日新聞』尾張・知多版の紹介記事。
杉山章子学芸員が「三岸節子と丸木俊は女子美術専門学校(女子美術大)の同窓で、ともに女性洋画家の先駆者でした。創造性にあふれた多彩な作品を残した俊のたくましい歩みを知っていただく絶好の機会です」とのコメントを寄せています。

2012年10月12日付『朝日新聞』愛知県版の広告特集では、俳優の天野鎮雄さん、山田昌さん夫妻による「画家 丸木俊の魅力を語る」という対談が掲載されました。
以下は、その一部抜粋。
==========
 ……「あの大作を前にすると、立ちすくんでしまう。ぼう然とするような迫力がありました」と第一印象を語る天野さん。「初めて見た時、ただの裸婦のようにも思えましたが、爆風で身に付けていた服も吹き飛んでしまったのでしょうね。戦場のうめきやにおいさえ漂ってくるような。本物ってすごいですね」と山田さんが言葉を添えた。筆舌に尽くしがたいほどの惨状を、どのように描けば見る人の心に伝わるのか。原爆の図に描かれた傷のない少女の美しい裸体には、夫妻の苦悩の跡がにじんでいるのであろう。いずれの作品も二人で構想を練り、俊が細部を描きこむと、位里は上から墨を流し、さらに俊が描いて位里が消して……と、二人の画家は創作をめぐって格闘を続けた。丸木俊の自伝『女絵かきの誕生』には、当時の模様が俊の言葉で淡々とつづられている。

 展覧会での朗読を機に本書を一晩で読み上げたという山田さんは、丸木夫妻の創作活動をこう語る。「位里が墨を流した後、俊さんの『あーあ』という言葉が一番印象に残りました。私たち夫婦だったら、取っ組み合いのけんかになるところですが、そうじゃない。俊さんは位里さんを信頼していたのでしょうね。結果的にできあがった作品は、後世にその名を残す傑作となりました」。
 俊の洋画家としての優れたデッサン力による群像表現と位里の伝統的な日本画の手法が融合したからこそ、絵画の世界に新分野を作りだすことができたのであろう。生前の丸木夫妻と交流のあった天野さんは、「僕がお会いしたのは20年前のことでしたが、あの激しい作品からは想像もつかないほど、穏やかなご夫婦でした」と振り返る。

==========
天野さんと山田さんは、会期中に朗読会「丸木俊 女絵かきの誕生」を開催され、大盛況だったと聞いています。

2012年10月26日付『信濃毎日新聞』東海版展覧会欄にも紹介記事が出ています。
「……波乱に富んだ人生の時代ごとに作品を六つに分けて展示。モスクワ滞在中は毎日1枚のスケッチを自分に課していたといい、鉛筆や水彩で描いた人物や劇場風景が多い。「女ゴーギャンになる」と渡ったパラオでの作品は、鮮やかな色彩と伸びやかなタッチが印象的だ。
 原爆の図は俊が主に人物を、位里が彩色や背景を担当。全15作品のうち、第2部「火」を展示している。戦後の作品では「解放されゆく人間性」と題した力強い裸婦像と口に手を当て背景を黒く塗った自画像が目を引く。


同じ2012年10月26日付『岐阜新聞』イベント欄にも記事が出ています。
「……パラオから帰国後に南の島の女性たちの踊る様子を描いた「踊り場」は約70年ぶりの公開。ペンの細かい線で丹念に描かれた墨絵のびょうぶ仕立ての作品は不思議な躍動感をみせる。
 一方で優れた描写力を生かして手掛けた絵本は150冊に及ぶ。今回は南洋をテーマにした色鮮やかな「ヤシノ木ノ下」や原爆を描いた「ピカドン」など代表作45冊を紹介している。
 そして原爆の図は、1950年に位里と制作した「第2部・火」のほか俊自身が描いた「横たわる母子像」など数点を展示。「第2部・火」は、見る者を立ちすくませるすご味と迫力を見せる。……自然と人を愛し、豊かな創造性にあふれた作品を描き続けながら、原爆の悲惨さを訴え、人間の業を見つめてきた女流画家の波乱に富んだ生涯をたどる展覧会でもある。


そして2012年11月1日『日本経済新聞』愛知県版夕刊には、美術評論家の天野一夫さんが展評を書いて下さいました。
==========
……特に南洋の現地の人とともに暮らした濃密な4ヵ月で、俊は女たちの「休み場」や、銅山の「アンガウル島へ向かう」船などで、通常の主題の裏面に着目し、南方の強い光線の裏の対比的な深い闇のカオティックな情念を集合的に描こうとしている。
 1944年の闇の中で耐えた意志を示す自画像を経て、47年の「裸婦―解放されゆく人間性」では、正しく始原的な森から立ち上がる、原始的なエナジーを感じさせる象徴的な絵画で、それも作者が女であることを考えればその立ち姿は、近代からのそれも含め何重かの自立を示しているだろう。同年の手で筆を掲げ持ち、社会に宣言するような自画像とともに基点となったであろう作品だ。
 その翌年から取りかかった「原爆の図」は、その後、手持ちで全国巡業して原爆の悲惨さを伝える貴重なメディアとなったのだが、戦後の中、画家が、そして絵画が一旦裸形のままに世界に対すことで、我々はこれまでに無い絵画を持つことになったのだ。

==========

生誕100年という節目にふさわしく、丸木俊の再評価につながる展覧会になったことと思います。

また、展覧会の終了にともない、三岸節子記念美術館で販売されていた「生誕100年 丸木俊展」図録を、丸木美術館でも扱うことになりました。

クリックすると元のサイズで表示します

販売価格は1800円。
意外にも、俊にとって初めての個展図録。小沢節子さんの論考や、俊の南洋・モスクワノートの書き起こしなどの資料が収録された貴重な一冊です。
一宮の展覧会を見逃してしまったという方は、ぜひ丸木美術館でお求めください。
1

2012/11/28

ラマチャンドラン氏からの寄贈作品  作品・資料

午後、T評議員のご夫妻が、丸木夫妻と親交のあったインドの画家A.ラマチャンドランさんから丸木美術館に寄贈された作品12点を持って来館されました。

クリックすると元のサイズで表示します

今回、寄贈して下さった作品は以下の通り。

丸木位里 水墨軸装《紅梅の図》1982年
丸木位里 水墨未表装《富士山1》
丸木位里 水墨未表装《富士山2》
丸木位里 水墨未表装《富士山3》
丸木位里 水墨色紙《平和の鳩》
丸木俊 水彩デッサン未表装《ババン》1976年
丸木俊 水彩デッサン未表装《ババン》1976年
丸木俊 水彩未表装《母と子》
丸木俊 水彩色紙《五羽の鳩》
丸木俊 水彩未表装《提灯もち》
丸木俊 布に水墨彩色《平和の鳩》
大道あや テラコッタ《位里の像》

ほとんどが未表装なので、すぐに展示で紹介するというわけにはいきませんが、丸木夫妻とラマチャンドランさんの国際的な交流の証でもある貴重な作品群なので、美術館では大切に保管したいと思っています。

ラマチャンドランさんは、2007年10月30日に来館され、そのとき私も初めてお会いしました。
とても背の大きな方で、優しそうな表情が印象的な方でした。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/835.html

日本では、放射能による海洋汚染をテーマにした絵本『大亀ガウディの海』(田島伸二作、Dindigul Bell)の挿絵でも知られています。
http://tajimashinji.at.webry.info/201112/article_2.html

T評議員ご夫妻からは、いつか丸木美術館で『大亀ガウディの海』の絵本原画展を開いてほしいとの希望も頂きました。神話風の表現がとても印象的な絵本作品なので、機会を見て、展示の可能性を探っていきたいと思います。
2

2012/11/23

本橋成一さん「屠場」スライド&トーク  イベント

あいにくの寒さと小雨まじりの天候にもかかわらず、午後2時から行われた本橋成一写真展「屠場」には、約50人の方が訪れ、会場はほぼ満席となりました。

クリックすると元のサイズで表示します

実は、今回の展覧会は、本橋さんから「丸木さんのところで屠場を展示して、位里さん、俊さんに見て頂きたかった」とのお話を聞いたことを機に実現した企画。
本橋さんは屠場を撮りはじめた1985年頃に、丸木夫妻の写真も撮影されていて、『ふたりの画家』という写真録にまとめられているのです。

クリックすると元のサイズで表示します

トークは本橋さんの語る丸木夫妻の思い出からはじまりました。
初めて丸木美術館を訪れたのは、スライド『ひろしまを見た人』(1985年/監督=土本典昭/構成=西山正啓/撮影=本橋成一)の仕事。《原爆の図》は高校生の時に新聞記事でご覧になっていたのですが、ファインダー越しに絵を見たとき、とても奥の深い、見る人の想像力を広げる絵だと感じたそうです。
その後、二人の画家の暮らしを記録するために丸木通いをはじめた本橋さんは、俊さんが子どもたちに「原爆を体験したらあなたたちはこの世にいない。だから想像してもらえる絵を私たちは描いたのよ」と語りかける姿が印象に残っていると語りました。

クリックすると元のサイズで表示します

『ふたりの画家』に収まっていない写真も、スライドで紹介して下さいました。
たとえば当時本橋さんがされたという屋外の展覧会(木と木の間に洗濯用のロープをわたして、クリップで写真をとめた展示の様子)など。
木漏れ日のなかの写真展、とても気持ちよさそうです。

クリックすると元のサイズで表示します

この頃の丸木美術館は、ジャン・ユンカーマン監督が映画『HELLFIRE』を、土本典昭監督が映画『水俣の図・物語』を撮影されたり、《沖縄戦の図》制作の過程をテレビ局がドキュメンタリ映像に収めたり、作家の石牟礼道子さんや詩人の関根栄一さんたちが出入りされていたり、さまざまな文化的なコミュニティの場として隆盛を迎えていたようで、とても興味深いです。
そのあたりの聞き取り調査も、いずれ進めていきたいところです。

クリックすると元のサイズで表示します

「屠場」についてのお話では、やはり「命を頂いているという実感を持ちにくい時代のなかで、せめて人間が食べるものだけでも人間の手でちゃんとやってあげたい」という本橋さんの言葉が心に響いたと、多くの参加者がおっしゃっていました。
質疑も活発に行われ、とても良い雰囲気のなかで行われたトークでした。

無理をして会場に駆けつけて下さった本橋さんはじめ、ポレポレタイムス社のOさん、ご協力いただいた関係者の皆さまに心から御礼を申し上げます。
1

2012/11/22

世田谷美術館「松本竣介展」レセプション/企画委員会  他館企画など

夕方から、世田谷美術館「生誕100年 松本竣介展」のレセプションに参加。

クリックすると元のサイズで表示します

岩手、神奈川、宮城、島根と全国を巡回して5館目の展覧会。
私は夏に神奈川県立近代美術館で一度拝見しているのですが、その後に巡回展に加わった作品もあり、展示空間が変わると作品の見え方も変わってくるので、あらためて新鮮な気持ちで鑑賞しました。

会場では、もっぱら近現代史研究者で松本竣介についての著作もあるKさんといっしょに観てまわりましたが、大学時代の恩師のM先生や、美術史研究のSさん、50年代研究のTさん、他館学芸員のHさん、Kさん、新聞社のTさん、Iさん、図録制作会社のMさんご夫婦などなど、さすがにさまざまな方にお会いしました。

何しろ、世田谷美術館の1階、2階すべての展示室を使い、総出品数が400点を超える壮大な企画。同じ生誕100年の丸木俊が1948年の時点でどれだけ作品を残しているかを考えると、松本竣介の多作ぶりは脅威的だとあらためて感じながら、会場をまわりました。見どころもさまざまあるのですが、個人的には、やはり《画家の像》、《立てる像》、《三人》、《五人》といった4点の大きな油彩画がならんでいる空間が見応えがありました。

レセプションはかなり会場が混雑していたので、できれば会期中にもう一度ゆっくり観に行きたいと思っているのですが、どうなるでしょうか……

   *   *   *

その後は池袋へ移動して、丸木美術館の企画委員会に参加。来年度の企画展について、さまざまな討議を行いました。
1

2012/11/21

企画展「屠場」に向けての展示替え作業  企画展

昨日に引き続き、本橋成一写真展「屠場」の展示替え作業です。
今回、大活躍しているのは、学芸員実習生のS大学Kくんと、職場体験のO高校Oくん、Aくん。

クリックすると元のサイズで表示します

写真は、事務局のYさんの指導のもと、展示作業を体験しているところです。
企画展だけではなく、企画展示室に向かう途中の小展示室も展示替え。

クリックすると元のサイズで表示します

牛が大好きだった位里さんの描いた牛の水墨画を9点並べてみたところ、とても面白い空間ができあがりました。
大画面に描かれた牛。迫力があって、ユーモラスで、位里さんらしさがよく伝わってくるような……こういう展示もなかなかいいな、というのは新鮮な発見でした。
展示中に通りかかったN事務局長は「あ、おいしそうな牛」とひとこと。
来館された方は、位里さんの絵を観た後で、本橋さんの屠場の写真を観る、という流れになるのです。

クリックすると元のサイズで表示します

また、もうひとつの小展示室には、俊さんの絵本原画『ぶらんこのり』を展示しました。
サーカスの曲芸師を主人公にした絵本です。こちらは、本橋さんがかつて手がけた写真集『サーカスが来る日』へのオマージュのつもり。特に明記していないので、わかる人だけがわかる、という展示ですが。

写真展「屠場」会期中は、企画展だけではなく、そこにたどりつくまでの小展示室にも、ぜひご注目ください!
0

2012/11/20

本橋成一写真展「屠場」展示作業  企画展

23日からはじまる本橋成一写真展「屠場」の展示作業日。
残念ながら本橋さんご本人は、急な事情で来られなくなってしまいましたが、ポレポレタイムス社スタッフのOさんが立ち会って下さり、順調に作業が進んでいます。

クリックすると元のサイズで表示します

「屠場」の写真展はこれまで、東京、大阪などで何度か開催されていますが、今回は過去最多の作品数、いわば“決定版”の展覧会となります!!
新たに大きく引き延ばしてプリントした写真もあります。
すでにご覧になっている方にも、お勧めの展覧会になること間違いなしです。

初日の23日(金/祝)午後2時からは、本橋さんのスライド&トークを予定しています。
今回、本当ならとても来られないような事情が発生したにもかかわらず、本橋さんから直々に、駆けつけて下さるというお電話を頂きました。
丸木美術館に対して、とても強い想いを抱いて下さっているのだと、つくづく感じました。
本当にありがたい限りです。
23日は天気予報があまりよくないようですが、多くの方のご来場を心から願っています。
0

2012/11/19

振り込め詐欺と思われるメールについて  その他

本日、岡村とメール送受信の履歴のある方に、以下のメールが送られたようですが、まったく事実無根の内容です。どうぞ速やかに削除して下さい。

=====

Good Morning,
I'm writing this with tears in my eyes,I came down here to Philippines on a short vacation with my family unfortunately i was mugged at the park of the hotel where i stayed.All cash,credit cards and cell phone were stolen off me but luckily for me i still have my passport with me.

I've been to the embassy and the Police here not helping issues at all,my return flight leaves in few hours from now but am having problems settling the hotel bills and the hotel manager won't let me leave until i settle the bills. Am so worried at the moment.

Kind regards
Yukinori Okamura

=====

どうやらアカウントに入りこまれたようで、迷惑メールの配信後まもなく知人から知らせを受けてすぐにパスワードを変更したのですが、返信された方のなかには、その後私とよく似た別のアドレス「Okamuira」から振込口座の指定もあったようです。
今後も同様の被害が続くようであれば、アカウントの変更など対応を考えます。ご心配、ご迷惑をおかけして本当にすみません。心よりお詫びを申し上げます。
なお、複数の方から、以前にもまったく同じ内容のメールを別の方から受けとったことがあるとの報告を頂きました。
在フィリピン日本大使館のHPにも注意勧告が出ていました。
http://www.ph.emb-japan.go.jp/pressandspeech/osirase/2012/110812.htm
皆さまもくれぐれもお気をつけ下さい。
0

2012/11/18

企画展展示替/協同分科会/キューバ報告会  他館企画など

「今日の反核反戦展2012」も無事に終わり、企画展の展示替えを行いました。
参加ボランティアは、常連のM岡くんにK峯さん、A森さん、そしてA木さん、初参加のM澤くんとI井くんです。

この日は、展示替えと同時並行して「いま「協同」が創る2012全国集会」の第19分科会「協同から平和を発信する旅・丸木美術館」も開かれ、美術館は大忙しでした。
福島大学の塩谷弘康教授による基調講演「〜フクシマ、丸木美術館(東松山)をつなぐ平和への想い〜」が行われ、パネルディスカッションにはコーディネーターとして丸木美術館監事の岡野さん、パネリストとして江藤善章さん(元大宮北高校教諭、パンフルート奏者)、中野京子さん(丸木美術館事務局長)、太田昌紀さん(連合埼玉比企地域協議会、「平和を考える戦争展in比企」事務局長、百瀬智さん(労協センター事業団北陸信越事業本部)が参加しました。

閉館後には、三軒茶屋のKENへ移動。
「Reunion de CULUTURA CUBANA」という企画に、事務局長のNさん、ボランティアのM岡くん、I井くんとともに駆けつけました。
この企画では、文化庁の「新進芸術家海外研修員」として1年間キューバに滞在されていた、沖縄のインディペンデント・キュレーター岡田有美子さんの「キューバ美術の現在」と題する貴重な報告が行われ、社会主義国であるにもかかわらず自由な批判精神とユーモアが感じられるキューバ・アニメーションの上映や、平野正樹さんの写真作品「habaneros:cuba,1992-1995」も会場に展示されているという、とても興味深い内容でした。
0

2012/11/17

知の木々舎「往復書簡:記憶に架ける橋No.3」  執筆原稿

WEBマガジン「知の木々舎」に連載中の舞踏家・和泉舞さんとの往復書簡「記憶に架ける橋」第3回(岡村から和泉さん宛て書簡分)が掲載されましたので、報告いたします。
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2012-11-10-11

ちなみに第2回の和泉さんから岡村宛ての書簡分はこちら。
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2012-10-25-12

和泉さんが江戸川区の銀林美恵子さんと原爆犠牲者追悼碑についての話題を書かれていたので、私も最後に少し、銀林さんのことを書かせていただきました。

銀林さんに誘われて、江戸川区の滝野公園にある追悼碑を訪れたのは、2009年11月のこと。
それまでにも、何度か銀林さんには「追悼碑を案内するから、ぜひ来て下さい」とお誘いを受けていたのですが、いつかかならず、と思いながら、なかなか足を運べずにいたのです。
そのときは温厚な銀林さんにしては珍しく、「どうしても」と強く誘って下さったので、今度は行かなければならない、とただごとではない雰囲気を感じて、初めて追悼碑を訪れたのでした。

「丸木美術館学芸員日誌」ブログにも訪問記を書いています。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1275.html

銀林さんが持病の悪化で病院に入られたという知らせを聞いたのは、それからしばらくしてからでした。
被爆者である銀林さんが、どんな思いで私を追悼碑に案内して下さったのか。
銀林さんは、あのとき私にどのような橋を架けて下さっていたのか。
和泉さんのおかげで、久しぶりに、そんなことを思い出しました。
0

2012/11/16

本橋成一写真展「屠場」作品集荷  企画展

11月23日(金/祝)からはじまる本橋成一写真展「屠場」の集荷のために、午後から事務局のYさんといっしょに車でポレポレ東中野へ行ってきました。

慣れない都内の道路事情に苦労しながら到着すると、本橋さんやスタッフのOさん、Nさんが写真の入った木箱を入口まで運んで待っていてくれました。
いつも皆さん温かく迎えて下さるので、ポレポレに伺うのはとても楽しみなのです。

木箱4箱と巻物、販売物の入った段ボール箱を車に積み込んで、夕方、無事に丸木美術館へ帰着しました。

クリックすると元のサイズで表示します

「屠場」は本橋さんが30年という長い歳月をかけて撮り続けた貴重なお仕事です。
「この写真は、ぜひ丸木美術館に展示して、位里さん、俊さんに見て頂きたかった」と、本橋さんも強い思いを抱いて下さっています。
23日には午後2時からスライド&トークも行いますので、ぜひ皆さま、ご来場ください。
0

2012/11/15

多摩美術大学特別講義/KEN「安藤ニキ展」  講演・発表

多摩美術大学の椹木野衣先生にお声掛け頂き、午後1時よりレクチャーホールにて「20世紀美術論」の特別講義を行いました。

2コマ続きの講義で、1コマ目は1950年代を中心とする《原爆の図》の誕生と展開の様子を、2コマ目は3.11後の丸木美術館の活動(太陽光発電への取り組みや、非核芸術を紹介する企画展について)をスライドや動画映像を交えて紹介しました。

一般学生向けの講義でしたが、某出版社の編集者Nさんや、多摩美術大学を卒業した画家の友人Mくんも聴講に来てくれました。
時間がたっぷりあったおかげで、内容を深めて話すことができたように思います。

講義のあとは、控室で椹木先生と1時間ほど雑談。
実は椹木先生と直接お話ししたのは、今年の夏に第五福竜丸展示館でお会いしたのが初めてだったのですが、その後すぐにメールで特別講義の依頼を下さったのです。
核をめぐる芸術や、Chim↑Pomなど関心の対象に共通するものが多く、今回ゆっくりお話ができたのは、とても嬉しい機会でした。

最近の丸木美術館の企画展についても、「よく練られていますよね」と評価して下さったのは、本当に心強い思いがしました。

   *   *   *

その後、画家の友人Mくんと三軒茶屋のKENを訪れて、現在開催中の「EXPOSE 2012 いま。 安藤ニキ展」を観ました。
安藤ニキさんは、自身が内面に抱える異世界を油彩画や劇画など多様な手法で表現されている画家。今回の展示の様子は、動画に編集されてネット上で観ることができます。



残念ながらご本人のニキさんはいらっしゃいませんでしたが、KENの壁面が黒く塗られた空間と、傷ついた天使などの絵画イメージが共鳴しているように感じられて、とても印象深い展示でした。

そしてここでも粟津ケンさんと長々と雑談。いつものように熱く、これからの企画や社会に対峙する表現活動への想いなどを語り合いました。
2

2012/11/12

アーサー・ビナードさん講演「絵の根っこ」  館外展・関連企画

2日間で3回のトークを無事に終えて、ぽっかりと空いた時間ができたので、(たまっている原稿を旅先で片付けようかとも思ったのですが……)気分転換にふらりと室生寺に立ち寄りました。

クリックすると元のサイズで表示します

国宝の五重塔で知られる室生寺は、現在、金堂の特別拝観中。
釈迦如来像や十一面観音像などを観ることができました。
旅先でゆっくりと仏像を鑑賞するなんて、学生のとき以来でしょうか。
ずいぶん久しぶりで、懐かしい気もします。

その後、京都駅に出て、伊勢丹7階の美術館「えき」KYOTOで開催中の「平等院養林庵書院 襖絵奉納記念 山口 晃展」を鑑賞。

クリックすると元のサイズで表示します

   *   *   *

午後6時からは、京都のギャラリー・ヒルゲートで13日からはじまる「生誕100年 丸木俊展」の関連企画として行われたアーサー・ビナードさんの講演会「絵の根っこ イキモノを育てた三人の画家」を聴きました。

原爆はなぜ京都を回避して広島・長崎(第1目標は小倉)に落とされたのか。
その理由を文化財保護のためという従来の説ではなく、より深く核戦略と重ねて考えると、現在の福島とつながって見えてくる……という話題からはじまった刺激的な講演会。

話題は、次第に、絡み合う丸木家の三人の画家の世界に移っていきました。

スマさんの絵の凄さの前では、モネの絵さえどうでもよくなってしまう。
人間の枠の中で画家をやるのでなく、生きものとして、対象と自分が同じ仲間になって描いているから、これ以上の説得力はない……と丸木スマの絵を絶賛するアーサーさん。

俊さんは人間の生きた肌の曲線を愛撫するように描いた画家。
位里さんは、墨の気持ちがよくわかり、化学反応を起こして自然現象のような絵を描く画家。
それぞれの絵を観ると、よくこれだけまったく合わない二人が共同制作をしたと、一見思ってしまうんだけど、実は《原爆の図》はそこがミソ。原爆という化学の連鎖反応が墨のように肉体に浸食し、人間は生きようともがく。そのせめぎあいが、位里さん・俊さんの力学に似ている……と、興味深い指摘もされていました。

第五福竜丸の被爆を描いたベン・シャーンや、丸木夫妻のような画家を「社会派画家」という檻に入れてしまうのでなく、社会と向き合うのは画家として当然だと、もっと多くの人に知ってもらいたい、というアーサーさんの言葉の余韻をかみしめながら、終電の時間が近づいていたので、講演会が終わるとすぐに京都駅に駆け込み、東京行きの新幹線に飛び乗って帰宅しました。

実りの多い関西出張でしたが、風邪気味だったせいか、やや疲れがたまっています。
1

2012/11/11

三岸節子記念美術館「丸木俊展」ギャラリートーク/名古屋parlwrトーク  講演・発表

午前中から、「生誕100年 丸木俊展」を開催中の一宮市三岸節子記念美術館へ。

クリックすると元のサイズで表示します

企画担当のS学芸員はじめ美術館の方々にご挨拶をした後、展示を観てまわりました。
女子美術専門学校(現女子美術大学)時代からはじまり、二度にわたる外交官の子どもの家庭教師としてのモスクワ滞在、当時日本の統治下にあって「南洋群島」と呼ばれていたミクロネシア・パラオへの旅、そして原爆投下後の広島……俊の前半生は、まるで歴史の証言者のように重要な舞台に次々と立ち会い、油彩画やスケッチでその風景や人びとを描いています。

そのなかで、今回、約70年ぶりに公開された《踊り子》が、やはりとても興味深く感じられました。1941年8月、「三滝画房」で描かれたと記されているこの屏風画は、《アンガウル島へ向かう》、《休み場》とともに、丸木位里と結婚した俊が、広島の三滝町にある位里の実家に挨拶に訪れた際に描いたものと思われます。この3点はいずれも南洋群島を題材にしていますが、それまでの俊の油彩画とはまったく違う、実験的な雰囲気の作品です。
ペン画による丹念な描写の上に、墨が使われていたり、にじみやぼかしの効果が用いられていたり……位里の絵に衝撃を受けた俊が、みずからの絵にその表現を取り込もうとした格闘のあとであったのかも知れません。

   *   *   *

午後2時からは、展示会場でギャラリートークを行いました。
あいにくの雨にもかかわらず、とても大勢の方々が来場して下さって、本当に感謝です!
丸木美術館元職員のY子さん、そしてお連れ合いのTさんも駆けつけて下さって、久しぶりに元気な姿を見せてくれました。

クリックすると元のサイズで表示します

写真提供は、三岸節子記念美術館S学芸員。
皆さんといっしょに会場を楽しくまわりながら、あっという間の1時間でした。

クリックすると元のサイズで表示します

美術館の入口には、俊さんの絵本原画『うみのがくたい』や『そりにのって』の一場面をもとにした素敵な看板が立っていたので、記念撮影をしました。
左から三重県立美術館のH学芸員、三岸節子記念美術館のS学芸員、岡村、愛知県立美術館のI学芸員です。

   *   *   *

午後7時半からは、名古屋市内のスペース・Parlwrに移動して、愛知県立美術館のI学芸員や愛知芸大の大学院生Tさんたちが企画して下さったトークイベント「FILE-N004 丸木夫妻と非核芸術の現在」に出演。
こちらも、高い関心を持って下さった聞き手の皆さんの前で、1950年代を中心とする《原爆の図》の全国巡回展や、3.11を踏まえた非核芸術の歴史についての話をさせて頂きました。
1時間半という長めのトークでしたが、会場から内容の濃い質問も寄せられて、充実した時間を過ごしました。

トークの後は、近くの中華料理店で打ち上げをして、I学芸員のご自宅に泊めて頂きました。
お世話になった三岸節子記念美術館の皆さまや、I学芸員に心から御礼を申し上げます。
1

2012/11/10

大阪大学大学院・日本学方法論の会 研究会「被爆体験とその表象  講演・発表

午後1時より、大阪大学待兼山会館会議室にて、2012年度日本学方法論の会 研究会「被爆体験とその表象」に参加しました。

クリックすると元のサイズで表示します

チラシは大阪大学文学研究科院生・西井麻里奈さんのデザインです。
私は、『われらの詩』研究会などでたびたびお会いしている大阪大学の宇野田尚哉さんにお誘いされて、原爆の図の巡回展を中心とする発表をさせて頂きました。

宇野田さんは、詩人の金時鐘や作家の梁石日が若き日に大阪で発行していたサークル誌『ヂンタレ』に注目されるなど、1950年代の在日朝鮮人の文化運動の研究に取り組んでこられました。
その後、広島で1949年から53年にかけて詩人の峠三吉を中心に発行されていたサークル詩誌『われらの詩』を研究され、占領下、そして朝鮮戦争が勃発するという状況のもと、当時の左派の青年たちがどのような言葉で時代と対峙し、被爆体験がどのようなかたちで想起されたのかを考えていくなかで、峠三吉とも関係の深かった丸木夫妻の《原爆の図》と、その全国巡回展の重要性に注目されるようになったそうです。

そういうわけで、今回の私の発表は、初期の《原爆の図》が当時あらわれつつあった他の原爆表現とどのように違っていたのか、占領軍とのせめぎあいのなかでどのように全国に広がっていったのか、その後の共同制作がどのような葛藤を抱えながらテーマを深化し拡大させていったのか、という内容で行いました。
当時の巡回展の様子を記録した貴重な映像、1953年に今井正・青山通春監督によって制作された映画『原爆の図』も上映しました。

コメントは文学研究科院生の山本潤子さんが担当され、体験の「中心」の不在を想像力で表現した《原爆の図》に向き合う際、私たちの想像力の強度は何を足がかりとして確かにしていけるのか、被爆市民の描いた「原爆の絵」をもうひとつの極とした場合、絵画として《原爆の図》が構築した強固な世界観はどのように見る側に迫ってくるのか、などの問題提起をして下さいました。

   *   *   *

戦時中、広島で地下壕を掘った在日韓国人の強制労働の証言を記録した『土の記憶』(2005年)や、在韓被爆者の帰国後の生活を記録した『狂夏の烙印』(2009年)を撮影されたイトウソノミさんの発表も非常に興味深いものでした。

総合討論では、会場から(11月3日に一宮市立三岸節子記念美術館で講演された小沢節子さんが言及されたという)丸木俊が1949年に描いた油彩画《広島製鋼事件によせて》のチマチョゴリの女性像に関する質問もありました。

クリックすると元のサイズで表示します

《原爆の図》にはっきりと朝鮮人被爆者のイメージが描かれるのは、1972年制作の第14部《からす》まで待たなければなりませんが、その以前に丸木夫妻が朝鮮の人びとの存在にどのように目を向けていたのか、1950年代の全国巡回展の際にもたびたび関わりがあったはずなので、そのあたりも今後調べていきたいところです。

研究会のあとは、参加者の皆さんと打ち上げに参加。
夜は東京行き最終便の新幹線で移動して、翌日のトークに備えて名古屋泊です。
1



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ