2012/10/21

『日本経済新聞』の“美の美”に赤松俊子「海洋少年団」紹介  掲載雑誌・新聞

2012年10月21日付『日本経済新聞』の“美の美”欄「「コドモノクニ」とモダンニッポン」に、赤松俊子の童画「海洋少年団」が紹介されました。
ボランティアのK林(T)さんが記事を持ってきて下さいました。

大正時代に創刊された本格的な子ども向け絵雑誌として知られる『コドモノクニ』。
その終刊号(1944年3月発行、第287号)に、俊が童画を描いていたことは、これまでまったく知りませんでした。
丸木美術館に掲載誌は現存せず、従来の年譜にも『コドモノクニ』の仕事は抜け落ちています。

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新聞に掲載された図版を見ると、南洋パラオ帰りの俊が、この時期に手がけていた絵本『ヤシノミノタビ』(1942年、帝国教育出版部)や『みなみの海』(1943年、二葉書房)などを連想させる、独特のリズミカルな線描によって海の波が表現されています。

記事には、次のように俊の仕事が紹介されています。

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 自由を尊び、優れた芸術で子どもの精神を育む「コドモノクニ」の理想はもはや戦中の日本とは相いれなかった。紙の配給もままならないなか、44年3月号で終刊を迎える。

 最終号に載った「海洋少年団」。作者は後に丸木俊と名を変える赤松俊子。原爆投下直後の広島で惨状を目の当たりにし、以後、夫・位里とともに原爆の絵を描き続けた。日本の子どもと南の島の子どもが一つの海で楽しく遊ぶこの作品には、画家のヒューマニズムの精神がうかがえる。この号で「コドモノクニ」の22年の歴史は幕を閉じるが、読者の心には着実にそのメッセージは伝わっていた。

 戦後、絵本作家のいわさきちひろや赤羽末吉、漫画家の手塚治虫らかつての愛読者が新たな芸術を切り開き、「コドモノクニ」の遺伝子は次の世代の子どもたちに受け継がれていった。


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日本の子どもと南の島の子どもがいっしょに遊ぶという筋書きは、俊の最初の絵本『ヤシノ木ノ下』(1942年、小学館)とも重なります。
記事にあるように、(戦後へと続く)俊のヒューマニズムの精神の発揮であり、また、当時の大日本帝国の植民地政策の正当化を支える役割も果たしていたことでしょう。
ともあれ非常に興味深く、また、俊の質の高い仕事をあらわす作品のひとつだと思います。

残念だったのは、この童画の存在がわかったのが、一宮市立三岸節子記念美術館の「丸木俊展」図録の刊行が終わった後だったということ。
今回、現時点でできるだけ詳しい年譜を入れて頂いたたつもりなのですが、さっそくこぼれ落ちた仕事がいくつか見つかっているので、悔しいです。
単行本であれば図書館等の目録で比較的簡単に見つけることができるのですが、『コドモノクニ』のような絵雑誌の仕事は、総目次(などの資料が、整理されているとして)を丹念に調べなければなかなか“発見”できません。
まだまだ、丸木夫妻の残した仕事の整理作業は、これからも続いていきそうです。
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