2012/9/2

『日本経済新聞』“美の美”欄に原爆の図《焼津》紹介  掲載雑誌・新聞

2012年9月2日付『日本経済新聞』“美の美”欄「証言する絵画――戦争の時代C」に、丸木夫妻の原爆の図 第9部《焼津》が紹介されました。

以下、記事から《焼津》について触れている箇所の抜粋です。

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丸木位里・丸木俊「原爆の図第9部 焼津」
(1955年、紙本着色、屏風4曲1双、屏風の全図は180×720a、原爆の図丸木美術館蔵)
この絵が制作された当初、海の上には第五福竜丸ではなく、富士山が描かれていた。原爆被災地での救出活動を描く第8部、原爆反対の署名運動の様子が題材の第10部の間に位置する作品

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 原爆投下数日後には広島に駆けつけて被害を目に焼き付け、一連の「原爆の図」を描いていた丸木位里と俊。第五福竜丸事件はこの夫妻の心も動かした。被爆地の惨状を直接題材にした8作品に続けて制作されたのが「原爆の図第9部 焼津」で、画面右には第五福竜丸が海面の上に浮遊するように描かれ、左には厳しい表情の漁民たちが家族と連れ立って集まっている。

 この絵を所蔵する原爆の図丸木美術館の岡村幸宣学芸員は、当時の丸木夫妻の心境について「原爆の問題は形を変えて続いていると考えたのではないか」と言う。それまでは原爆の爆風や熱線が直接もたらす悲惨さを訴えてきた。しかし、目に見えない放射線にもそれらに匹敵する破壊力がある。50年代に入れば、広島と長崎で放射線障害が世代をまたいで続いている実態も明らかになってきた。

 第五福竜丸事件でクローズアップされた放射能の問題を取り上げ、「核の暴力に対抗する人間、怒れる漁民の姿を描いた」と、岡村氏はこの絵を読み解いている。丸木夫妻は70年代後半から放射線被害の危険を警告し、原発については「破壊がゆっくりやってくる原爆」と呼んでいたそうだ。


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記事を書いて下さったのは、文化部の宝玉正彦記者。
第五福竜丸の被ばく事件や砂川闘争など、戦後に残された核の脅威や基地問題を軸に、岡本太郎の《明日の神話》(下絵No.1、1967年)や《死の灰》(1956年)、中村宏の《砂川五番》(1955年)、池田龍雄の反原爆シリーズ《埋められた魚》(1954年)なども紹介されています。

東西冷戦は緊張を何度も招き寄せ、たえず戦争の予感をはらんだまま80年代末まで続いた。ベトナムでの紛争にはやがて米国が介入し、60年代には本格的な戦争へと突入した。大戦争の負の遺産、核兵器は以前世界を脅かしている。戦争の時代は“戦後”になっても終わっていない」というまとめが印象的な、非常に内容の濃い、お勧めの記事です。
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