2012/9/27

『美術館ニュース』第111号入稿  美術館ニュース

なかなか原稿がそろわずハラハラしていた割に、土壇場になって『丸木美術館ニュース』の編集作業が思いのほか順調に終わり、本日、無事に入稿することができました。
いつも入稿が遅れてご迷惑をおかけしているS印刷所のSさんには、珍しく予定日に入稿できると伝えたところ、「えっ、本当ですか!?」と笑われてしまいました。

発送作業は10月7日(日)、ボランティア募集中です!

今回の表紙の絵は、丸木スマの《川のかに》。
2013年の丸木美術館カレンダーは丸木スマ特集なのです。友の会会員の皆さまには、ニュースとともにカレンダー申し込み用紙を同封いたしますので、ぜひお求めください。

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丸木美術館ニュース第110号(発行部数2,500部)

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〈主な記事〉
丸木美術館ひろしま忌に参加して 子どもたちに渡したい「未来」のバトン (佐藤 和美) …… p.2
丸木美術館の太陽光発電と社会変革 (桜井 薫) …… p.3
本橋成一写真展「屠場」 いのちといのちをつなぐ人 (本橋 成一) …… p.4
大成功だった「原爆の図展」 (宮原 大輔)/「丸木俊絵本原画展」報告 (中村 美幸) …… p.5
原爆の図インド展を開いて (菊池 智子) …… p.6
美術館の日常から 「ふくしまの子ども達とあそぶ会」あそび日記 (中野 京子) …… p.6,7
連載 丸木位里・丸木俊の時代〈第12回〉 女子美術専門学校/上野の女似顔絵描き (岡村 幸宣) …… p.8,9
公益財団法人 原爆の図 丸木美術館新体制の報告 …… p.10
丸木美術館情報ページ …… p.11
リレー・エッセイ 第43回 (鈴木 房江) …… p.12
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2012/9/26

一宮市三岸節子記念美術館「丸木俊展」作品搬出  館外展・関連企画

昨日から、一宮市三岸節子記念美術館のS学芸員が来館され、収蔵庫で「生誕100年記念 丸木俊展」の準備をしていましたが、本日、無事にすべての出品作品が搬出されました。
丸木美術館の常設展示からは、原爆の図第2部《火》が貸出されます。

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10月6日(土)からはじまる展覧会では、約70年ぶりの公開となる南の島の女性たちをペン画で屏風に描いた《踊り場》や、南洋とモスクワ時代の雑記帳など新たな作品や資料も加えつつ、丸木俊の生涯の画業をあらわす代表作や絵本原画約110点を展示します。

丸木俊の大規模な個人の回顧展は、意外ですが初めての開催となります。
女流画家の紹介に取り組み続けてきた一宮市三岸節子記念美術館ならではの充実した内容ですので、どうぞご期待ください。
展覧会の詳細は以下の通り。

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生誕100年記念 丸木俊展
2012年10月6日(土)〜11月25日(日)
9:00-17:00(入場は16:30まで)
休館日:月曜日(ただし10月8日は開館)、10月9日(火)

一宮市三岸節子記念美術館
〒494-0007 愛知県一宮市小信中島字郷南3147-1
TEL 0586-63-2892
http://s-migishi.com

【講演会】
11月3日(土・祝) 午後2時〜(午後1時30分開場)
「丸木俊・旅する「物語の画家」−絵本から原爆まで」
小沢節子(近現代史研究家)
※申込不要・聴講無料

【スペシャルギャラリートーク】
11月11日(日) 午後2時〜
岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員)
※観覧券をお持ちの上、2階ロビーにお集まりください。

【こどもアートツアー&絵本の朗読会】
10月28日(日)午後2時〜
展覧会を見学後、丸木俊が手がけた絵本を<朗読ぐるーぷ言の葉>による朗読で楽しみます。
※申込不要・参加無料。1階受付前にお集まりください。保護者の方もご参加いただけます(要観覧券)。

【学芸員による展示説明】
10月20日(土)・11月17日(土)  ともに午後2時〜
※観覧券をお持ちの上、2階ロビーにお集まりください。

【ミュージアムコンサート】
11月17日(土) 午後5時30分〜(午後5時開場)
「富田牧子 無伴奏チェロの夕べ〜大地のことば〜」
※要チケット(一般1,000円、高大生500円、小中生250円)。
10月6日(土)より販売開始。 友の会会員 20%割引。
※当日、午後3時より整理券配布。定員100名。
※当日に限りコンサートチケットで特別展・常設展の観覧可。
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2012/9/25

アーサー・ビナードさん来館  来客・取材

今日は東京都内の工芸美術協会と、長岡戦災資料館の団体が来館。
それぞれ《原爆の図》の前で館内説明を行いました。
そして、昼からは詩人のアーサー・ビナードさんと出版社の方々が来館されました。

今年の夏、広島の被爆者の遺品が現在の私たちに語りかけてくる写真絵本『さがしています』を刊行して話題となったアーサーさん。
次の企画には、丸木夫妻の《原爆の図》が大きく関わってくるのです。

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アーサーさんは、「原爆を、たんなる情報ではなく、人間の皮膚感覚の体験として(見る人に)手渡す」作品として《原爆の図》を高く評価されています。現在、アーサーさんが温めている企画も、「体験として手渡す」ことを重視したものになるでしょう。

半日がかりでひとつひとつの絵を隅々まで観ていたアーサーさんと出版社の皆さん。
きっと素晴しい作品が生まれてくることと、期待しています。
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2012/9/24

『毎日新聞』夕刊に“吉田博が写した戦争”紹介  掲載雑誌・新聞

2012年9月24日付『毎日新聞』夕刊に、“画家吉田博が写した戦争 油彩、水彩画など埼玉で戦後初公開”との見出しで、22日にトークセッションに参加して下さった毎日新聞社大阪本社学芸部の佐々木泰造専門編集委員が、「発掘――戦時下に描かれた絵画」展の紹介記事を書いて下さいました。

http://mainichi.jp/feature/news/20120924dde018040026000c.html

以下は記事からの一部抜粋です。

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 吉田は自然と写実、詩情を重視した作風で知られる。浮世絵のように高度な技法を用いた木版や油彩で、世界の名峰などを描いた。若くしてアメリカ、ヨーロッパに渡って展覧会を開催し、海外で活躍する日本人画家の先駆けとなった。帰国した吉田らが1902年に結成した太平洋画会は、黒田清輝らが創設した白馬会と画壇を2分した。

 公開中の戦争画は38〜40年、陸軍省嘱託の従軍画家として中国に派遣されたときの作品。油彩の「急降下爆撃」は137cm×108cmの大作で、41年の第4回新文展(日展の前身)に出品された。上空から平野に向けて画面を切り裂くように急降下する戦闘機を、背後から捉えている。動感あふれる作品だ。

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 吉田は従軍時、62〜64歳。「画家は自分が描いているものを感じなければならない」と、実際に戦闘機に乗り込んで曲芸飛行を体験したという。戦争の是非への判断を抜きに、一場面を風景として切り取ったようにみえる。

 従軍画家としての作画態度を示す作品もある。腹ばいで銃を構える兵士の淡彩画と、同じ構図の写真が残っていた。自身が撮影した写真には、のんびりとこちらを向いた兵士の姿も映っている。戦闘のポーズをとらせたことが明らかだ。

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 従軍画家は実際には、最前線に身を置くことはなかった。ほぼ同時期に中国へ派遣された小磯良平や中村研一らは、南京城攻略戦(37年)を目にしていないにもかかわらず、まるで現場にいたかのように細部まで描き込んだ。それに対して、2人より世代が上の吉田はあくまで現地で見たものの写生にこだわったように思われる。

 本展は、戦後埋もれてしまった戦争画をありのままに見つめ、画家がどのように戦争に直面したかを考えようと企画された。激戦地、南京・光華門の戦跡を描いた作者不詳の未発表作品「弾痕光華門外」なども出品中で、画風を見比べることもできる。


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さっそく、問い合わせの連絡なども届いています。
記事を書いて下さった佐々木泰造さんに感謝です。
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2012/9/22

トークセッション「戦時下に描かれた絵画を読む」  イベント

午後2時から、企画展「発掘:戦時下に描かれた絵画」の関連企画としてトークセッション「戦時下に描かれた絵画を読む」を行いました。
出演者は、小勝禮子さん(栃木県立美術館)、北原恵さん(大阪大学)、佐々木泰造さん(毎日新聞大阪本社学芸部)、尾形純さん(画家・修復家)。
会場には、出品作品の修復を手がけて下さったディヴォート絵画修復部の皆さんや、吉田博さんのご遺族の方々、吉田博研究で知られる安永幸一さんらが駆けつけて下さり、たいへん盛況となりました。

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はじめに、尾形さんが今回の出品作品を住友資料館や吉田家から「発掘」した経緯を報告し、世代を超えて戦争のイメージを伝えるためにも、当時描かれた絵画の修復が必要な時期に差し掛かっている、と発言されました。

続いて、佐々木さんが謎の油彩画《弾痕光華門外》について、昨年4回にわたって毎日新聞に連載した内容を中心に、作者は吉田博や満谷国四郎と同門で縁の深い石川寅治ではないかとの仮説を発表されました。

北原さんと小勝さんは、出品作のひとつである長谷川春子の《小婦国防》を軸に、戦時下における女性画家の活動という視点から長谷川春子の活動を報告されました。
北原さんは、ご自身が所蔵されている長谷川春子の油彩画《ハノイ風景》(1939年)を持参し、会場の一隅に絵葉書や書籍などの資料とともに展示して下さいました。

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小勝さんは、長谷川春子と赤松俊子(丸木俊)の比較研究もされているため、俊が1941年に広島で描いた南洋作品、《アンガウル島へ向かう》、《休み場》を、この時代に描いたとは思えないほど南洋の人びとの陰影を表現している、とスライドで紹介して下さいました。

《弾痕光華門外》は中国の南京で占領された人びとの陰影を描いた作品ですが、俊の南洋作品にも共通するまなざしが潜んでいることに、あらためて気づかされました。

《弾痕光華門外》の作者は、結局のところ、今の時点では誰かはわかりません。
しかし、ともあれ、日本の中国大陸進出に対して良心の揺らぎを感じ、写実的な描写で時代の影を描き残した画家が存在したということは、深い意味があるのではないかと思います。

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トークの最後に、今の時代に戦争画を見つめることの意味について、出演者の皆さまから頂いたコメントがそれぞれ興味深いものだったので、記録しておきます。

北原さんは、戦争画だけではなく、戦争に加担した表現はさまざまなものがあると前置きした上で、現代の視点でそれらの表現を見る際には、最初に描かれたときの文脈や意味を抑えることが重要との指摘をされました。また、これから戦争をしない/させないために、こうした表現に向き合っていく必要があるとも発言されました。

小勝さんも北原さんの意見に全面的に賛同し、画家を復権させたいという気持ちで当時の文脈から離れて技術的側面で讃えるのは片手落ちであるとおっしゃいました。その一方で、だからといって封印し、隠してしまうことも誤りである、それらの作品がどうして描かれていったのかを考えるきっかけにしていく必要がある、とも発言されました。

佐々木さんは、東日本大震災などが起きると、いま、私たちは自分に何ができるかと考えることがあるけれども、戦争画は、社会と関わりながらどのように生きていくかという点で参考になる、今の自分にも関わる問題であるとおっしゃっいました。

尾形さんは、とにかく絵を保存し、残していけば、今回のような議論が生まれ、次の世代にも話を受け継ぐことができるという修復家ならではの視点を提示して下さいました。

気がつけば、3時間近くにもおよぶ長いトークセッションとなりました。
しかし、この企画展の意味を考える上で、たいへん重要な、濃密な時間になったのではないかと思います。
出演者の皆さま、そしてご参加頂いた方々に、心から御礼を申し上げます。
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2012/9/21

パルシステム埼玉の取材  来客・取材

ずっと暑い毎日が続いていましたが、ようやく涼しい一日になりました。
午後から、パルシステム埼玉の広報課のNさん、Sさんが取材のために来館して下さいました。

生活協同組合のパルシステムにはこれまでも美術館運営の助成金を頂くなどたびたびお世話になっていて、私も2009年9月に浦和で講演会に呼んで頂いたことがあります。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1242.html

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今回は、パルシステム埼玉の月刊誌『あすーる』で連載されている“今月の「さいたま・彩の人」”で取り上げて下さるとのことで、美術館で働くことになったきっかけや、現在の仕事の内容、これからどのようなことをしていきたいか、といったさまざまな質問を受けました。

掲載は11月号になります。10月号には、7月の被爆ピアノコンサートで朗読をして下さった女優の斉藤とも子さんが登場されるそうです。
丸木美術館とも縁のある斉藤さんと連続で取り上げて下さるのが、とても嬉しいです。
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2012/9/19

文学座公演『エゲリア』  他館企画など

閉館後、文学座準座員Kさんのお誘いで、吉祥寺シアターへ文学座公演『エゲリア』(作=瀬戸口郁、演出=西川信廣)に駆けつけました。

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エゲリアとは、ローマ神話に登場するヌマ王の妻。彼女のように「永遠に青春の女」たらんと激しく生きた作家・岡本かの子とその家族を描いた舞台です。
Kさんの紹介で知り合った俳優・佐川和正さんが、息子の岡本太郎役を演じています。

家事は一切せず、幼い太郎を柱にしばりつけて自身の創作に没頭し、夫の一平の了解のもとに愛人を家に招き入れて共同生活をするなど、世間の常識を蹴散らしながら、破天荒に、芸術のために生きたかの子の姿を、彼女の詠んだ歌を交えながらたどっていく意欲作。

ドラマ以上にドラマティックな現実の物語を舞台化することの、そして圧倒的に突出した個性を持つ登場人物を演じることの困難さは感じましたが、笑いと熱気のあふれる、ぐいぐい惹き込まれていくような舞台でした。

クライマックスで読み上げられるパリ留学中の太郎への手紙が、非常に効いていました。

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 えらくなんかならなくても宜い、と私情では思う。しかし、やっぱりえらくなるといいと思う。えらくならしてやり度いとおもう。えらくならなくてはおいしものもたべられないし、つまらぬ奴にいばられるし、こんな世の中、えらくならなくても宜いような世の中だからどうせつまらない世の中だからえらくなって暮らす方がいいと思う。
 あんたやっぱり画かきになさい。


(中略)

 だが私は思うのよ。制作の発表場所を与えられれば迷いながらも一つの仕事を完成する。そして世に問うて見、自分に問うて見、また次の計画がその仕事を土台にして生れる。そしている内にともかく道程がだんだん延びて次の道程の道程をつく―でなければいつまでたっても空間に石を投げるようにあてがつかない。無に無が次いで遂につみ上ぐべき土台の石一つも積むことは出来ない。
 手で働きながら心で考えることだ。


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ときに滑稽とさえ思えるほど、心身を削って芸術に対峙していた母の覚悟が、息子へと注ぎ込まれていくような内容で、ああこうして岡本太郎の精神ができあがっていったのだと、しみじみと心を打たれるラストシーンでした。
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2012/9/19

『東京新聞』に「戦時下 従軍画家の視点」紹介  掲載雑誌・新聞

本日の『東京新聞』首都圏欄に、“戦時下 従軍画家の視点 謎の油絵「弾痕光華門外」など展示”との見出しで、現在丸木美術館で開催中の企画展「発掘 戦時下に描かれた絵画」が紹介されました。

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以下、記事からの一部抜粋です。

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 第二次大戦中、多くの画家が従軍し、戦意高揚のための作品が描かれた。光華門は一九三七年の南京攻略戦を象徴する戦跡で、「弾痕〜」は南京陥落の直後に描かれたとみられている。

 他の画家の絵が光華門の外側から進軍する兵士などを描いているのに対し、「弾痕〜」は、西日が差し込む門内から描かれている。門に残る弾痕が西日で浮き上がり、背中を丸めるように歩く中国人の足元には、外門の上に立てられた戦死者の墓標の影が長く伸びる。戦意高揚とはほど遠く、哀感が強調された作品だ。

 東京都足立区の収集家の所蔵で最近、修復に出されるまで未発表のまま埋もれていた。岡村幸宣学芸員は「従軍画家の絵は攻め込む側からの視点が多く、同時代にこの絵が存在し、埋もれていたことは興味深い」と話す。


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このところ、毎日のようにこの絵を見続けていますが、絵から感じられる“哀感”は、日中戦争における大義の揺らぎ―この戦争は本当に正しいのだろうか―との思いや後ろめたさが、作家(不詳)の意識あるいは無意識のうちに、あらわれているのかも知れないと思ったりしています。

9月22日(土/祝)午後2時からは、絵の謎を追った毎日新聞の佐々木泰造さん、修復を手がけた尾形純さん、そして栃木県立美術館の小勝禮子さん、大阪大学の北原恵さんのトークセッションが行われます。とても興味深いトークになりそうです。
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2012/9/18

『日本経済新聞』に丸木俊「解放されゆく人間性」紹介  掲載雑誌・新聞

2012年9月18日付『日本経済新聞』朝刊文化欄の「生誕百年のつむじ曲がり十選」第7回に、丸木俊の《裸婦(解放されゆく人間性)》が紹介されました。
紹介して下さったのは、練馬区立美術館学芸員の野地耕一郎学芸員です。

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以下は、記事からの一部抜粋。

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 この「解放されゆく人間性」は、戦後間もない47年に発表された。戦中の抑圧された時代の闇をくぐり抜けて、ようやく輝かしい本来の人間性を取り戻せた喜びと希望が、地に足をつけ、光差す宙を見上げる裸婦の堂々とした体躯にみなぎっている。
 これを「光の人間像」とすれば、「闇の人間像」ともいえる「原爆の図」が翌年から描かれることになる。作風の転換は、真実の人間像を描こうとする彼女の性根の据わったつむじ曲がりのゆえと思いたい。


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《裸婦(解放されゆく人間性)》は、10月6日から一宮市立三岸節子美術館で開催される「生誕100年記念 丸木俊展」に出品されます。
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2012/9/16

「幻灯:光の紙芝居」と「被爆者の声をうけつぐ映画祭」  講演・発表

やや体調不良だったのですが、午後から早稲田大学大隈タワーで「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー2012」の一環として開催された「幻灯:光の紙芝居」を観に行きました。
昨年度に少しだけお手伝いさせて頂いた、早稲田大学演劇映像学の公募研究「「映画以後」の幻灯史に関する基礎的研究」の鷲谷花さんたちの企画です。

この日の会場は超満員。
講談師の宝井琴柑さんの語りによって、以下の5本の幻灯が上映されました。

@ぼくのかあちゃん(1953/製作:東大セツルメント川崎こども会/構成:加古里子/協力・配給:日本幻灯文化社)
Aわれらかく斗う 激斗63日(1953/製作:日本炭鉱労働組合/配給:日本幻灯文化社)
Bトラちゃんと花嫁(製作年不詳/小西六寫眞工業株式會社/作:松嵜與志人/画:古沢日出夫 ※大阪国際児童文学館蔵/政岡憲三作の同名短編アニメーション映画の幻灯版)
Cモスクワの地下鉄―地下の宮殿(製作年不詳/製作:星映社)
D嫁の座(1954/製作:朝日スライド/※復元版/出演:山形県南村山郡滝山村の阿部善勇氏御一家)

1950年代の占領期前後に、比較的手軽に作り、上映することのできる映像メディアとして、さまざまな社会運動などに活用されたものの、現在ではほとんど忘れ去られてしまった数多くの幻灯作品を、発掘・再発見していくという貴重な試みです。

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なかでも『ぼくのかあちゃん』は、後に絵本作家として知られる加古里子さんが、東大セツルメント川崎こども会時代に製作を手がけている貴重な作品。素朴な表現のなかに、後の加古さんの絵本の片鱗が垣間見えて、心打たれました。

日本炭鉱労働組合製作の『われらかく斗う 激斗63日』や、四世代が暮らす山形県の農家の一家を生活のあり方を記録した『嫁の座』など、当時の社会・生活状況を描いた幻灯作品も興味深いものでした。
幻灯は、映画作品をダイジェストで紹介する“簡易版の映像”といった側面もありますが、それだけではなく、映画のような“特別な記録”からはこぼれ落ちたような、ささやかな時代の記憶がタイムカプセルのように保存されている気がして、見逃せません。
生活・社会運動の担い手が自ら記録した映像メディアとして、今後も幻灯研究は1950年代の文化運動を考えていく上で、貴重な手がかりになることと思います。

ちなみに、現在編集中の一宮市立三岸節子美術館の「丸木俊展」図録の年譜にも、鷲谷さんたちが掘り起こした丸木夫妻の幻灯作品『ピカドン』や『原爆の図』を追加させて頂いています。

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夕方からは、明治大学リバティタワー1階のリバティホールで開催されている「被爆者の声をうけつぐ映画祭」に駆けつけました。
ジャン・ユンカーマン監督による丸木夫妻の記録映画『Hellfire:劫火―ヒロシマからの旅―』(1988年/シグロ)の上映があり、上映後にトークを行ったのです。

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『劫火』を観るのは久しぶりでしたが、あらためて、とても良くできている映画だと感じました。
《原爆の図》の紹介はもちろん、丸木夫妻の質素な生活ぶり、二人を支える人たちの姿、とうろう流し、夫婦共同制作の様子など、丸木夫妻を知るための主要な要素が実に丹念に手際よく記録されているのです。

ですから、私が補足することは何もないようにも思ったのですが、夫妻の仕事を今日的な視点からどう見つめていくべきか、というような話を少しだけさせて頂きました。
会場からはいくつも質問が寄せられ、関心の高さがうかがえました。

その後は、スタッフの皆さんといっしょに台湾料理店での打ち上げに参加。
さまざまな立場、年齢層の方が映画祭を支えていることを目の当たりにして、楽しいときを過ごしました。
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2012/9/13

紀伊國屋画廊「増田常徳展」/ポレポレ坐「怒る犬」展  他館企画など

午後、紀伊国屋画廊で開催中の増田常徳展「不在の表象」(9月25日まで)を観てきました。

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増田常徳さんは、1948年に長崎県五島列島に生まれた油彩画家で、今回は、昨年3月11日の原発事故であらわになった不条理な社会のあり方、国や電力会社への憤りを表現した作品《不在の表象―浮遊する不条理》や、鎮魂の思いを込めて震災津波後の風景を描いた大作《浄土ヶ浜》などが展示されていました。
ちょうど会場には増田さんご夫婦もいらっしゃって、少し雑談をすることができました。

   *   *   *

続いて、11月23日(金/祝)から来年1月19日(土)まで丸木美術館で開催する本橋成一写真展「屠場」の打ち合わせのために、東京・東中野のポレポレタイムス社へ。
大阪・松原の新旧屠場で働く人びとを約30年に渡って記録した貴重な写真の数々。
今年6月には銀座ニコンサロンでも展覧会が開催され、私も観に行きました。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1900.html
本橋さんもお元気そうで、初日の23日にはスライドトークも行って下さることになりました。
これから、ポレポレタイムス社スタッフのOさんといっしょに、チラシや会場レイアウトの作成など準備を本格的に進めていくことになります。

   *   *   *

ポレポレ坐では、現在、黒田征太郎「怒る犬 MAD DOG」展を開催中。
「原爆を落としたのは誰だ」「あやまちを繰り返すのは誰だ」と、たくさんの犬が吠えている、一見ユーモラスながら黒田さん自身の核への怒りがあふれている同名の絵本(岩波書店刊)の原画展です。

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午後7時からは、元目黒区美術館学芸員の正木基さんをナビゲーターに、黒田さんをゲストにお迎えして、上映+トークイベント「黒田征太郎アニメーション史」が開催されました。
佐喜眞美術館や第五福竜丸展示館と関わりの深い黒田さんですが、個人的にはお会いするのは初めてなので、トークの前にご挨拶。イメージ通り、とてもまっすぐで気持ちの良い印象の方でした。

野坂昭如さんの『戦争童話集』を黒田さんがアニメーション作品にしていることは聞いていましたが、実際に映像を観るのは、この日がはじめてでした。
正木さんのセレクションによる『凧になったお母さん』と『八月の風船』の2本は、アニメーションと聞いてすぐに思い浮かぶような、コマ送りで絵を動くように見せるものではありません。
黒田さんが描きまくる画面全体を、炎などの効果も用いて、本質から揺さぶり動かしてしまう、衝動的な作品です。
皮膚からじりじりと戦争の痛みが伝わってくるというのか。
ともかく凄いものを観た、と圧倒されました。

黒田さんは人間が火を手に入れた歴史から原発の過ちまでをたどりなおす『火の話』(2011年12月、石風社刊)という絵本も手がけています。
「人のために何かをしたいとは思わない」
「人は人を救えない」
と突き放した言葉を口にしながらも、人間(に限らず、生きものたち)の痛みに鋭く反応し、思考するよりまず本能的に表現する黒田さんの仕事を、あらためて見つめなおしてみたいと思わせる濃厚な時間でした。

   *   *   *

また、この日は、正木さんに紹介されて、写真家の平野正樹さんに初めてお目にかかりました。
冷戦後のボスニア・ヘルツェゴビナで弾丸の壁痕を撮影した連作《HOLES》など、興味深い作品を作り続けていらっしゃる方です。
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2012/9/12

一宮市立三岸節子記念美術館「丸木俊展」図録校正中  館外展・関連企画

今日は、9月9日に閉幕した下関市立美術館「丸木俊展」の出品作品が無事返却され、久しぶりに原爆の図14部作がそろって展示されました。
これで、夏の館外展も一段落……ですが、今度は10月6日から11月25日まで一宮市三岸節子記念美術館で開催される「生誕100年記念 丸木俊展」に向けて準備が佳境に入っています。
先週末から、図録の校正作業に没頭中。
今日は色校正が届いて、いよいよ展覧会が近づいてきたな、と実感しています。

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ポスターやチラシもすでにできあがっているのですが、今回は1947年に描かれた《自画像》がメイン・イメージとして使われています。
写真左の頁にあるのは、約70年ぶりの公開となる南洋を主題にした屏風画《踊り場》。
この作品は、おそらくほとんどの方がご覧になったことがないはず。今展の注目作です。

図録には、近現代史研究者の小沢節子さんが「丸木俊―旅する女性画家」と題する論考を執筆されています。
右手に筆を持ち、左手を口に当てた1947年の《自画像》を出発点にしながら、モスクワ・南洋群島の旅、さらに《原爆の図》へ、そして《原爆の図》からの旅へと掘り下げられていく内容です。

小沢さんは2002年に岩波書店から『「原爆の図」描かれた〈絵画〉、語られた〈記憶〉』という、《原爆の図》を読み解く上で画期的な評論を刊行されていますが、俊さんについて書かれたのは、久しぶりのこと。
「自分が今までに書いていないこと、他の人も書いていないこと」を論じるという、言葉では簡単ですが実践するのは非常に難しい姿勢を、いつもながら貫かれていることに、あらためて心を打たれながら、論考を読み終えました。

今の時代、そしてこれからの時代に、丸木夫妻の残した仕事をどのように見つめていくべきか、さまざまな示唆を与えていただいた気がします。
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2012/9/7

足利市立美術館「木下晋展」内覧会  他館企画など

午後、東松山市職員のKさんと人権擁護委員のMさんといっしょに、足利市立美術館の「木下晋展 祈りの心」内覧会に行きました。

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10Hから10Bまでの鉛筆を駆使して、過酷な運命を生き抜いた人間が醸しだす深みを、他に類例のない精密な写実描写で表現する作品で知られる木下晋さん。
今年5月にNHK教育テレビの「日曜美術館」で特集されたこともあって、内覧会には大勢の方が来場していました。

私がはじめて木下さんの作品を知ったのは、盲目の瞽女・小林ハルさんを描いたシリーズでしたが、今回の展覧会は、その後の木下さんのモチーフとなった元ハンセン病患者の詩人・桜井哲夫さんや、東日本大震災後に描かれた合掌図などで構成された、たいへん見応えのある、そして心を打たれる内容でした。

内覧会では、木下さんがみずから会場をまわりながら、丁寧に解説をして下さいました。
心に残ったのは、木下さんが「絵を描きたいというより、関心のある人間に会いたい」とおっしゃっていたことでした。
小林ハルさんにしろ、桜井哲夫さんにしろ、あるいはその他の人たち(認知症になった知人の母親や、谷崎潤一郎の『痴人の愛』のモデルになった女性、洲之内徹、宮大工の職人、ホームレスの男性など)も、木下さんは「描いた人との出会いはすべて偶然」と語ります。
けれども、その人の中にある、人間としての深みがなければ、「描きたい」という気持ちにはなれないそうです。
たとえば、白洲正子さんとは、家が近かったということもあって、ずいぶん親しくしていたそうですが、「悪いけど白洲さん程度の生き方では描きたいとは思えないんですね」と涼しい顔で語る木下さん。聴衆には思わず微笑が広がっていました。

内覧会のあと、木下さんにご挨拶。
本当に気さくな人柄の方で、「そのうちにぜひ、丸木美術館で展覧会をやりましょうね」と温かい言葉をかけて下さいました。

人間の身体に深く刻まれた皺が、ときに抽象表現のようにも見えるほどのスケール感は、やはり作品の前に立ってこそ伝わるもの。画集や映像では感じられません。
生きることの意味をあらためて確認させてくれるような、お勧めの展覧会です。
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2012/9/7

『東京新聞』“この人”欄に原爆の図インド展の菊池さん紹介  掲載雑誌・新聞

2012年9月7日付『東京新聞』の“この人”欄に、原爆の図複製画展をインドで開催した菊池智子さんが紹介されました。

福島県出身の菊池さんは、ヒンディー語の専門学校を卒業後、インドへ留学し、現地の大学院を卒業。翻訳やライターの活動を続けながら、丸木夫妻の絵本『ひろしまのピカ』の翻訳を思いたち、昨年11月にヒンディー語版の出版にこぎつけたのです。
そして今年の夏は、ニューデリーの日本文化センターで、原爆の図三部作の原寸大複製画展の開催も実現させました。
以下は、記事からの一部抜粋です。

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 鑑賞を市内の学校に働き掛け、中学生年代の生徒が多く訪れた。核兵器と通常兵器の違いを知らない生徒も多かったが、「今日の絵を忘れず、将来偉くなったら原爆を無くしてほしい」との言葉に、力強くうなずく笑顔が印象的だった。
 インドの魅力は「人の温かさ」といい、「今後は日本との文化交流の中継ぎ役を果たしたい」。


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記事を執筆されたのは、かつて埼玉支局長時代にお世話になった仁賀奈編集委員。いつも丸木美術館のことを気にかけて下さり、本当に感謝です。
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2012/9/6

「戦時下に描かれた絵画」展示終了  企画展

企画展「発掘:戦時下に描かれた絵画」の開幕を明後日に控えて、ようやく展示作業が終了しました。

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今回は、最初の小展示室に作者不詳の謎の油彩画《弾痕光華門外》など住友資料館所蔵の4点の作品を展示し、大きな企画展示室には吉田博の従軍スケッチや油彩画、写真など30点を展示しています。

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といっても、展示中は美術館は平常通り開館していて、今日もさいたま市内の県立高校とドイツの高校生たちが団体で来館し、賑わっていました。

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今回の展示の軸となる《弾痕光華門外》は、1937年の南京陥落直後に日本人画家によって描かれたと思われる作品ですが、従来の「戦争記録画」のように戦争の“正当性”を誇示したり、戦果を誇張するのではなく、生々しい銃弾の痕をとどめる門壁や、門の上の墓標、寂しげに町を行きかう中国人たちの姿が印象的な、もの悲しい雰囲気の風景画です。

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画面右下には「国四郎」との署名がありますが、満谷国四郎は南京陥落の前年、1936年に逝去しています。画面には署名を消された後もあり、後に何ものかによって改ざんされたものと思われます。

また、X線調査の結果、作品の下地に富士山の絵が描かれていることも判明しました(肉眼でも、画面上に富士山の輪郭線を確認することができます)。
二つの絵を描いたのは、同一の画家だったのか。
なぜこのような国策から逸脱するような雰囲気の作品が描かれたのか。
さまざまな謎を呼ぶ絵画です。

昨年、毎日新聞社の佐々木泰造さんが、この《弾痕光華門外》の謎を追う記事を4回にわたって連載していました。
佐々木さんは、記事のなかで、絵の作者を満谷国四郎とも親交のあった石川寅治ではないかと推測しています。これは、なかなか興味深い仮説です。
展示室には、この毎日新聞の記事も参考資料として掲示しています。

9月22日(土/祝)には、その佐々木さんをはじめ、長谷川春子研究で知られる栃木県立美術館の小勝禮子さんや、大阪大学の北原恵さん、修復家の尾形純さんをお迎えして「戦時下に描かれた絵画」のトークセッションを行います。

どうぞ多くの方に、お運び頂きたいと思っています。
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