2012/8/30

「戦時下に描かれた絵画」展の準備  企画展

今週はようやく夏休みをとることができて、家族といっしょに名栗川へ2泊3日で川遊び、キャンプ、温泉三昧の日々を過ごしてきました。今日からまた、職場に復帰です。

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すっかり遅れてしまっている「発掘:戦時下に描かれた絵画」の準備を進めるために、D社のOさんと連絡をとりあったり、招待券の発送準備をしたり、出品作の周辺資料調査をはじめたり。

今日は、1942年陸軍美術協会発行の画集『聖戦美術』をめくっていたら、今回の展覧会に出品する吉田博の油彩画《急降下爆撃》とは別バージョンの戦闘機を描いた油彩画《空中戦闘》がモノクロで掲載されているのを見つけました。

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絵のかたわらには、以下のような解説文も添えられています。

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我爆撃隊は堂々とその編隊を以て今や敵の重要都市の上空を目指して突入せんとしてゐる。當に敵の頭上に巨彈の雨を降らさんとせる寸前、堪りかねてか小癪にも舞上つて挑戰して來た敵戰闘機、と見るや我戰闘機はよき獲物とばかりぐつと機首を下げて忽ち死角に突入する。既に一機は黒煙を長く引いて落下した。

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大陸に従軍したとき、吉田はすでに60歳を超えていました。しかし、現場主義にこだわる気骨あふれる九州男児の彼は、戦闘機に乗りこみ、宙返りの訓練まで体験したそうです。
もちろん、実際の戦闘場面では飛行機に乗り込むというわけにはいかなかったでしょうが、作品から伝わる臨場感は、そうした彼の絵画への姿勢があってこそだったのでしょう。

丸木夫妻の《原爆の図》が爆弾を落とされた地上からの視線であれば、吉田の作品は空から見下ろす視線です。
加害と被害が複雑に交錯する戦争という時代。人はどちらの側にも立たされます。
そのとき、爆撃される側への想像力がいかに麻痺してしまうのか。吉田の絵と文章からは、その無意識な様子があらわれて、一瞬、はっとさせられます。
決して彼が好戦的な人物といいたいわけではありません。むしろ、ほかのスケッチを見れば、鋭い観察眼で冷静な写実を重視する人だということがよくわかります。

『聖戦美術』の画集をめくってみても、たとえば丸木位里の友人で、戦後に厭戦的な作品を数多く残す古沢岩美が、夢のなかで日章旗をひるがえし万歳と叫ぶという《露営》という作品を残していたりします。
戦争の時代を生きるということは、本当に難しい。
丸木夫妻も、決して戦争中は「反戦の画家」だったわけではなく、その反省が、戦後の《原爆の図》や《沖縄戦の図》につながっていったと言えるのでしょう。

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吉田の《空中戦闘》に描かれた曲がりくねった川を空から見下ろす風景は、彼の水彩スケッチから一場面を引用して組み合わせていると思われます。
そうした静かな風景スケッチも、今展の出品作のひとつです。

このほかにも、風景画に定評のある吉田の油彩画や水彩、写真を30点ほど展示します。
東京国立近代美術館が米国から無期限貸与されている153点の「戦争記録画」はよく知られていますが、もちろん、その他にも戦時下に描かれた絵画はたくさんあります。でも、その多くは戦後公開される機会もなく、埋もれています。

戦争と芸術の関わりをどう考えるかというのは、非常に難しい問題もありますが、とにかく芸術作品は、やはり、まず実見することが大事だと、あらためて感じています。
吉田の作品だけではなく、長谷川春子の油彩画や作者不詳の風景画さえも、戦時下という不穏な時代の空気を漂わせていることの不思議。
それを、観る人それぞれがどのように受け止めるのか。難しい展覧会ではあるけれど、絵を観てもらうことの意味は、やはり大きいのではないかと思うのです。
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2012/8/24

NHK国際放送にてアーサー・ビナードさん紹介  TV・ラジオ放送

2012年8月24日午後1時からのNHK国際放送で、詩人のアーサー・ビナードさんによる、原爆を主題にした写真絵本『さがしています』(童心社)の取り組みが紹介されました。
放送の内容は以下のWEBサイトの動画で(おそらく数日間は)視聴することができます。

http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/english/movie/feature201208241218.html

「ピカドン」という言葉との出会いや、広島の被爆者の遺品が語りかける“物語”についての調査の様子など、番組では『さがしています』に込めたアーサーさんの想いを丹念に取材しています。

丸木美術館で開催中の特別展示「さがしています」は、9月2日(土)まで。
残すところあと1週間となりました。
写真絵本『さがしています』も入口ロビーで販売していますので、ぜひぜひ、この機会にお求めください!
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2012/8/23

『子どもの本棚』に「平和を願う『原爆の図』」紹介  執筆原稿

子どもの本の月刊書評誌『子どもの本棚』2012年9月号(No.527、日本子どもの本研究会編集、子どもの本棚社)の“わたしのよむ”欄に、今春刊行された『平和をねがう「原爆の図」―丸木位里・俊夫妻―』(楠木しげお著、くまがいまちこ絵、銀の鈴社)について、“未来を生きる子どもたちに手渡す仕事”と題する記事を執筆しました。

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といっても、私はこの書籍には、資料提供や全体の校閲のような立場で関わっているので、書評ではなくて、本の応援のような文章です。

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(前略)

 位里は一九〇一年に生まれ、俊は二〇〇〇年に没した。原爆、アウシュビッツ、南京、水俣、原発事故……。二人の画家の足どりは、そのまま二〇世紀の歴史に重なる。その歴史は、自分たちがより豊かになるための競争の歴史であり、そこには、意識的であれ、無意識的であれ、「他者の命(そこには自分たちの子孫も含まれている)をふみにじっても」という但し書きが、かならずついてまわる。二一世紀は、そんな二〇世紀の負債があちこちに重くのしかかる時代になるのだろう。だからこそ、これからの時代を生きる子どもたちには、競争に勝ち抜いて「偉業」を成し遂げた人の物語よりも、他者の痛みや苦しみを自分のことにように感じながら立派な仕事を残した人たちがいることを知って欲しい。

(中略)

 いまを生きる、そして未来を生きる子どもたちのために絵を描き続けた丸木夫妻の仕事を、次の世代へと手渡していくのは、私たちの大切な役目なのだと、あらためて思う。この本をつくりあげるために尽力した方がたの熱い思いが、現代の子どもたち(だけではなく、多くの大人たちも含めて)の心に、どうか少しでも届いてほしい、と願わずにはいられない。

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今号の『子どもの本棚』の特集は「沖縄復帰40年―沖縄からの発信―」。
そして巻頭エッセイが大田昌秀さんの「沖縄戦について知ってほしい」。
書評では『希望の筆 ダウン症の書家・金澤翔子物語』や『もういちど家族になる日まで』を取り上げ、新刊紹介やブックガイドも充実。
確かな視軸がしっかり貫かれている雑誌だと、あらためて感心します。
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2012/8/22

原爆の図原寸大複製がインドで展示!  館外展・関連企画

8月の丸木美術館は、来客も多く、取材なども多く、毎日が慌ただしく過ぎていきます。
そのため、日々の記録も滞りがちになってしまいますが、どうぞご容赦ください。
今回は、そのなかでも忘れてはならない今夏の重要な展覧会の紹介です。

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8月6日から20日まで、インドで原爆の図三部作(原寸大複製)の展覧会が開催されました。
会場は、ニューデリーの日本文化センター。展覧会の開催に尽力されたKさんが、貴重な写真を送って下さったので、掲載いたします。

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ご覧の通り、たくさんのインドの小中学生が会場を訪れて下さっています。
この光景は、なかなか凄いですね。

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展覧会は、そもそも、Kさんが絵本『ひろしまのピカ』をヒンディー語版で翻訳出版されたことからはじまりました。
Kさんによれば、初版5000部はすでにほぼ完売とのこと。
描かれてから30年の歳月を経た今でも、新しい国に翻訳されて売れていくという、この絵本の底力をあらためて感じました。
会場では、ヒンディー語による『ひろしまのピカ』の朗読会も行われたそうです。

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「原爆の図展」を見た学生たちから受けた質問は、次のようなものが多かったそうです。

誰が原爆を落としたのか?
原爆は普通の爆弾とどう違うのか?
今の広島の状況は?
どうしたら原爆は無くなるのか?
灯ろうとは何か?
原爆の図第一部《幽霊》に描かれているのは幽霊なのか人間なのか?

複製とはいえ、原寸大の絵画の迫力は凄いもの。
インドの子どもたちも、絵を見ながら、時間も距離も遠く離れた広島へと想像力を広げてくれたのではないかと思います。
展覧会を実現してくれた、Kさんはじめたくさんの関係者の皆さまに心から感謝いたします。
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2012/8/19

アーサー・ビナードさん、新井卓さん対談  イベント

現在開催中の企画展「福島から広がる視線2 新井卓銀板写真展」と特別展示「さがしています展」の関連企画として、午後4時から、詩人のアーサー・ビナードさんと写真家の新井卓さんのトークイベント「写真を見る/見られる 広島・福島」が開催されました。

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会場は100人を超える来場者で大盛況でした。
二人の対話は、まず、それぞれの仕事についての話からはじまりました。
アーサーさんが「『さがしています』は、モノたちが語る広島を、どういうふうに読者に手渡せるかと考えて“翻訳”した写真絵本。広島を過去という器に入れて語り継ごうとするから難しくなる。今現在を見つめるためのレンズとして広島を生かすことが大事。無理して広島と福島をつなげる必要はまったくない。なぜなら科学的・歴史的につながているから。つながっていないという方が歪曲、ペテンだよね」といえば、新井さんは「3.11で物事を見る目が変わった。東京からたった250km先で原発が爆発して目に見えない影響があらわれている。写真のテーマはいつも“距離”――目に見える距離と見えない皮膚感覚の距離のバランス――だと思っているから、日本のなかで分断されている皮膚感覚の距離を、いかに縮めることができるかを考えて銀板写真を撮っている」と語りました。

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その後は、アーサーさんが「絆す(ほだす)」という言葉をキーワードに、建物の下敷きになって助けを求めるときは、ただ叫ぶだけではなくて相手を特定する(「そこの黄色いシャツのお兄さん!」というように)と無視できなくなる、という興味深い「災害時に助かる方法」を話して下さいました。
芸術作品も、生き残るためには観る者の心を「絆す」ような、素通りできない力が必要、というのです。

その「絆す」力――ただ一方的に相手から見られるだけではなく、作品の方も相手を見つめ返すような表現というのは、実は、丸木夫妻の《原爆の図》、新井さんの銀板写真、そしてアーサーさんが手がけた写真絵本『さがしています』に共通するものです。
丸木美術館の一連の企画「福島から広がる視線」という副題も、「福島への視線」ではなく、そこから「広がる」もの、一方的に見つめるだけでは終わらない、という意味を込めて名付けたものだったので、このアーサーさんの話には大いに頷きました。

さらに話は原発問題の過去・現在にも及び、大間原発建設に反対して最後まで自分の土地を売らずに守り抜いた熊谷あさ子さんの例をあげながら、「私たち個人が政府や企業のPRにだまされない目を持ち、核の歴史に終止符を打つための行動を少しずつでも続けて行くことが大事」というアーサーさんの言葉に、会場は拍手に包まれました。

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写真は、アーサーさんが会場の皆さんに配って下さったアメリカ土産の刺激的な味のキャンディ“ATOMIC Fire Ball”。
日本から見れば悪ノリとも思える商品が、アメリカでは核のPRのために堂々と販売されているわけで、こうした力に粘り強く抗していくためにも、広島や福島との皮膚感覚を少しでも縮めていくことが、まずは私たちにとって大切なのではないかと思います。

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トーク終了後は、アーサーさん、新井さんに加えて、丸木美術館のK理事長夫妻、童心社の編集者Nさんらとともに、居酒屋で打ち上げ。『さがしています』に続く次のアーサーさんのプロジェクトには、丸木美術館も大きく関わることになるために、その打ち合わせも行いました。
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2012/8/16

国立新美術館「具体展」/世田谷美術館「村山知義展」/吉田敬三写真展  他館企画など

8月上旬からお盆休みにかけては、丸木美術館の入館者が一年でもっとも多い時期で、入館受付や物品販売などに奔走しているうちに一日が終わってしまいます。
そのため、メールへのお返事や締め切りのある原稿がどうしても遅れがちになってしまうのですが、どうかお許しください。
そんな中、職員は順番に休みを頂いています。
この日はその貴重な休日を、都内の美術館・ギャラリー巡りに使いました。

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午前中は、国立新美術館で開催中の企画展「具体―ニッポンの前衛 18年の軌跡」へ。

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1954年から72年まで吉原治良を中心とする関西の芸術家たちによって結成された前衛芸術グループ「具体美術協会」の活動を追った、東京での初めての回顧展です。

「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という思いをあらわす「具体」の活動を、高度経済成長を駆けあがっていった当時の社会状況と重ねるように紹介する内容で、最後が大阪万博で終わる、というのが象徴的。

個人的には、もちろん「具体」の活動については知識として触れる機会はあったものの、こうして実作品をまとめて目の当たりにするのは初めてだったので、興味深く観ました。

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昼には世田谷美術館へ移動して、今度は戦前の前衛芸術を象徴する企画展「村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する」展へ。

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展示を観る前に友人のN学芸員に挨拶を、と思って学芸室にお伺いしたところ、Nさんではなく、S学芸員、T学芸員とごいっしょにレストランでランチをするという予想外の展開に。Sさんは松本竣介展、Tさんはスタイケン展の担当でお忙しいなかでしたが、お二人とゆっくりお話しするのは久しぶりなので、嬉しかったです。ありがとうございました。

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「村山知義の宇宙」展は、大正から昭和初期にかけて、大正期の新興美術運動の旗手として美術をはじめ、建築、舞踊、舞台美術、映画、小説、戯曲、評論、イラストレーション、装丁など幅広い表現活動を展開した村山知義(1901-1977)の本格的な回顧展。
非常に見応えのある素晴らしい内容でした。

村山知義は丸木位里と同い年。しかも、ともに政治的・芸術的な前衛思想に関心をよせていて(村山は治安維持法容疑で逮捕歴もある)、俊と同じく絵本の創作にも熱心だっただけに、どこかで接点もあっただろうと思うのですが、なかなか見出せず。
今後の調査の課題にしていきたいと思います。

粟津ケンさんのご教示で、粟津潔さんの初めてのポスターの仕事が、村山知義演出の舞台「石狩川」であったことは初めて知りました。いろいろなところで、間接的につながっているわけではありますが。

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その後は、新宿ペンタックスフォーラムで開催中の吉田敬三写真展「被爆2世 108人の肖像」展(8月20日まで)に伺いました。

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長年被爆2世の肖像写真を撮りためたカメラマン吉田敬三さんの地道な仕事です。
被爆の体験を語る被爆者に対し、被爆2世には、原爆から生まれ、今へと続く物語があります。核がもたらすものは、苦しみ、あるいは喜びも含めて、世代を超えて影響を与えていくのだということを、2部屋の壁を張り巡らした肖像写真から感じました。

帰りに新宿の書店で、足立元著『前衛の遺伝子―アナキズムから戦後美術へ』(2012年、ブリュッケ)を購入。
小川芋銭、村山知義など戦前の作家からはじまり、戦後の《原爆の図》にもつながっていった大切な地下水脈をとりあげた興味深い著作。後日詳しくご紹介いたします。
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2012/8/16

『東京新聞』「非核芸術案内」第5回  執筆原稿

2012年8月16日付『東京新聞』4面「3.11後を生きる」欄に、岡村が執筆している連載「非核芸術案内」の第5回が掲載されました。

最終回の今回は、福島第1原発事故を軸に、ヤノベケンジの《サン・チャイルド》、岡本太郎の《明日の神話》+Chim↑Pom、新井卓の銀板写真《2011年7月26日、飯館村長泥、放射性のヤマユリ》を紹介しました。

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記事に紹介している新井さんのヤマユリの写真は、現在、丸木美術館で開催中の企画「福島から広がる視線2 新井卓銀板写真展」で展示中です。
以下、ヤマユリについて記した箇所を抜粋します。

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 写真家の新井卓は、ダゲレオタイプ(銀板写真)という写真最初期の技法を用いて、福島で被災した人びとや自然の風景を記録し続けている。利便性や合理性ではなく、あえて時間のかかる手わざを選ぶことで、彼は「記憶」への強い意志を写真に込める。

 印象的なのは、飯館村の野に咲くヤマユリの、透きとおるような輝きだ。人間がもたらした深刻な放射能汚染を露ほども知らず、生命の普遍的な営みを繰り返すその哀しい美しさには、思わず胸を締めつけられる。丸木夫妻の《原爆の図》を、「ヒロシマやナガサキのもたらした人間の惨苦のイコン」と評したのは米国の歴史学者ジョン・ダワーだが、新井のとらえたヤマユリもまた、希望と絶望が交錯する二十一世紀の新たな被ばくのイコンといえるだろう。

 自然を裏切り、環境を破壊しながら「発展」を追い続けてきた近代以後の日本。福島原発の事故は、そのひとつの帰結だったのかもしれない。今まで当然のように受け入れてきた社会のあり方が揺らいでいるなかで、従来の価値意識をいかに乗り越え、自然と共に生きる新たな道を模索していくことができるか。私たちは、その大切な岐路に、今まさに立たされている。


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担当のH記者はじめ東京新聞の皆さま、そして毎回貴重な助言を下さった小沢節子さん、お世話になった作家・関係者の皆さま、記事をお読み下さった皆さま、本当にありがとうございました。心から感謝いたします。

今回で連載は一旦終了しますが、続編を来春に書かせて頂けることになりました。
次回もどうぞ、ご期待下さい。
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2012/8/11

プチミュ!シアター東京公演  他館企画など

久しぶりに美術館の休みを頂き、午後から、子どもたちを連れて練馬区の武蔵大学大講堂で開催されたプチミュ!シアターこども劇場東京公演に行ってきました。

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「プチミュ!」とは、被災地・岩手県大槌町と釜石市の子どもたちが中心となって行う小さなミュージカル公演。NHK時代にお世話になり、現在は武蔵大学教授の永田浩三さんが関わっている企画で、こちらも友人のNHKさいたま局キャスターの石垣真帆さんが司会を務めるというので、ぜひ行かなければと駆けつけたのでした。

東日本大震災で被災した子どもたちが歌やダンス、芝居などに取り組み、「表現者」となることで周囲の大人たちにも元気を届けるという企画。
これまで岩手県で6回ほど公演を行っていて、東京公演は今回が初めてだそうです。
中心となってプチミュをつくりあげてきた高梨由さんは、舞台挨拶で「児童劇団とは違うので、大きな舞台で公演を行うレベルには達していないかも知れないけれども、子どもたちが一生懸命取り組んでいくプロセスを理解して見てほしい」とおっしゃっていましたが、子どもたちの堂々とした姿、そして、そんな彼らを支えている東京の出演者の皆さんも含めて、非常に心を打たれる内容でした。

何より、中央から地方/被災地を支援する、という一方向的な関係ではなく、両者がともに舞台を作り上げていくことを大切にするという発想に、目を開かれる思いがしました。
この日の公演の様子は、地元の大槌町にも中継がつながっていたとのこと。
きっと、たくさんの元気と希望が、子どもたちの故郷にも伝わったことと思います。

わが家の子どもたちも、たくさんの個性的なロボットが登場する舞台にはすっかり釘づけ。
「面白かった!」と、とてもよろこんでいました。
公演終了後には大槌町の国道沿いに花を植えて育てている「大槌フラワールート45」の方々からチューリップの球根のお土産も頂きました。
本当に素晴らしい舞台を見せてくれた子どもたち、そして関係者の皆さまの尽力に、心から敬意を表したいと思います。
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2012/8/9

『東京新聞』「非核芸術案内」第4回  執筆原稿

2012年8月9日付『東京新聞』4面「3.11後を生きる」欄に、岡村が執筆している連載「非核芸術案内」の第4回が掲載されました。
今回はチェルノブイリ原発事故を軸にして、貝原浩の絵画《風しもの村》、本橋成一の写真《無限抱擁》、纐纈あやの映画『祝の島』を紹介しました。原発という科学技術の“最先端”の破綻によって、人間の営みの原点が踏みにじられることの矛盾を見つめる内容です。

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以下は、記事からの一部抜粋。

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 「どこへ行けというんだ。人間が汚した土地だろう」
 強制移住区の村に残る老人は本橋に語った。住み慣れた土地で残り少ない時間を生き切りたいと願う彼らは、等身大の暮らしを続けることで、核の脅威に静かに向き合う。
 チェルノブイリ事故から四半世紀後、昨年三月の福島原発事故は、日本にも数多くの「風しもの村」を作り出した。住み慣れた土地に残るべきか、子どもたちの健康を考えて新しい町に移るべきか。チェルノブイリのときと同じ苦悩を抱える人もあらわれた。
 核の脅威は、たんに生命を危険にさらすだけではない。家族を引き裂き、人間関係を壊し、それぞれの土地で過去から未来へと受け継がれるはずの物語をも奪いとる。

 本橋のもとで映画制作を学んだ纐纈あやは、二〇一〇年に映画『祝の島』を撮った。海や山と共に生きる山口県の祝島の人びとは、サマショーロの老人の姿にも重なる。彼らはいち早く原発の甘い誘いの裏に潜む罠に気づき、三〇年にわたって粘り強く原発建設に反対し続けている。
 原発に依存しなければ生きられないのでは決してない。人は原発ができるずっと前から、自然の恵みと生命のつながりのなかで、ささやかな日常をたくましく暮らしてきた。そんな大切なことを、私たちはどこで見失ってしまったのだろうか。


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次週は福島をテーマにした芸術作品を紹介いたします。
これで今回の連載は終了しますが、担当のH記者からは、嬉しいことに「好評につき、続編の連載の打診」を頂きました。来年3.11頃とのことですが、どうなるでしょうか。
まずは最終回の執筆に集中したいと思います。
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2012/8/8

『中国新聞』に「丸木俊生誕100年」特集連載  掲載雑誌・新聞

2012年8月1日から3日にかけて、『中国新聞』に“いのちを見つめて 丸木俊生誕100年”特集が連載されました。
担当は文化部の西村文記者です。西村記者は丸木美術館にも取材に来て下さいました。
記事には、近現代史研究者の小沢節子さん、栃木県立美術館の小勝禮子さん、兵庫県立美術館の出原均さん、下関市立美術館の中村美幸さん、そして岡村のコメントが紹介されています。

『中国新聞』の中心エリアである広島でも丸木夫妻を知らない方が増えているとのことなので、非常に意味のある連載になったのではないでしょうか。

以下のWEBサイトで記事の全文を読むことができます。

第1回(8月1日)「大きな絵本」
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20120802150933477_ja

第2回(8月2日)「南洋体験と終戦」
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20120802151728556_ja

第3回(8月3日)「孫たちへの遺言」
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20120803102300461_ja

貴重な企画をしてくださった西村記者に、心から御礼を申し上げます。
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2012/8/7

大木茂写真展「汽罐車 〜よみがえる鉄路の記憶1963-72〜」  他館企画など

8月6日のひろしま忌の片づけをした後、夕方には新宿のコニカミノルタプラザで開催されている大木茂写真展「汽罐車 〜よみがえる鉄路の記憶1963-72〜」を、家族で観に行きました。

大木茂さんは、『北の零年』、『劒岳 点の記』など数々の映画のスティル写真や鉄道写真などを手がけている腕利きのフリーカメラマン。お連れ合いの晴子さんが丸木美術館の評議員をして下さっている縁から、丸木美術館の所蔵作品の写真をボランティアで撮影して下さるなど、日頃からたいへんお世話になっています。

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昨年刊行された写真集はすでに拝見していたのですが、やはり大判にプリントされた写真は迫力が違います。
最初は会場を駆けまわっていた子どもたちも次第に写真にくぎ付けに。
大木さんの写真は、もちろん「汽罐車」が主人公なのですが、それだけではなく、わずか40年ほど前には当たり前のように各地に存在していた、人間のつつましく、たくましい営みがとらえられていて、心を動かされます。

会期中は毎日ご夫婦で会場に通われているとのこと。
そうした細やかさも、お二人の人柄があらわれていて、頭が下がります。

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晴子さんからは、辺野古の海の貝がらで作ったストラップも頂きました。
お勧めの展覧会、8月10日までの開催です。
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2012/8/7

『東京新聞』などでひろしま忌紹介  掲載雑誌・新聞

ひろしま忌から一夜明け、丸木美術館は静かな日常に戻りつつあります。
2012年8月7日付『東京新聞』朝刊埼玉版に、“平和、脱原発願い灯籠流し 丸木美術館で「ひろしま忌」”との見出しで、とうろう流しの様子が紹介されました。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20120807/CK2012080702000124.html

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 広島への原爆投下から六十七年の六日、東松山市の「原爆の図丸木美術館」で、恒例の「ひろしま忌」の行事が開かれた。

 核兵器廃絶を目指す科学者グループ「パグウォッシュ会議」の日本グループに参加する物理学者小沼通二さんの講演や、おおたか静流さんのコンサートなどのイベントがあり、家族連れら約二百五十人が参加した。

 午後六時からの「ひろしま忌の集い」では、小寺隆幸理事長が「フクシマを経験した私たちは、ヒロシマが今につながっていることを知った。原発は絶対に止めなければならない」と強調。小沼さんは「原爆を描いた映画の中で、十代の子どもが母親に『ぼくはいつまで生きられるかな』と問い掛けた。同じことが形を変え福島で起きている」と語り掛けた。

 この後、参加者が手作りした約百個の灯籠が、美術館前の都幾川に流された。


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同じく『東京新聞』朝刊社会面には、“「原爆の図」に脱原発の灯”との見出しで、太陽光発電の取り組みが紹介されています。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012080702000096.html

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 埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」が、反核とともに「脱原発」を訴えた丸木位里、俊夫妻(ともに故人)の遺志を受け継ぐため、寄付を募って設置した「市民太陽光発電」が三日から稼働を始めた。原爆忌の六日、美術館が発表した。

 丸木美術館は国内すべての原発が停止した五月五日、美術館の電力を太陽光発電で賄う計画を発表。市民からの寄付を募っていた。

 小寺隆幸理事長によると、発表翌日から募金が殺到し、六月に目標の六百万円を突破。七月末までに約七百六十万円が集まった。設置した太陽光発電装置は、発電パネル九十七枚で、最大出力は毎時一三・五キロワット。「美術館の電力をほぼ賄っている」という。

 丸木夫妻は一九八九年に「原発分の電気」の料金支払いを拒否。九〇年に館に太陽光発電を導入し十数年続けたが、財政難などで維持できなくなった。館は募金の残りを有効利用するため、八月末まで寄付を募り、初代の設備も復活させる。


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また、WEB上には掲載されていませんが、同日付の『埼玉新聞』や『毎日新聞』埼玉版にも太陽光発電やとうろう流しの記事が掲載されています。
そして、同日朝のNHKの首都圏ニュースにも紹介されましたが、こちらもWEB上で動画を見ることはできないようです。

取材に訪れて下さった記者の皆さま、どうもありがとうございました。
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2012/8/6

被爆67年丸木美術館ひろしま忌  イベント

被爆67年目の丸木美術館ひろしま忌。
今年は月曜日だったので、どれほど多くの方が来て下さるか不安もあったのですが、参加者は約250人。午前中の雨にもかかわらず、大盛況となりました。

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正午からは、小高文庫で急きょ特別試写が決定した映画『ひろしま』(関川秀雄監督、1953年、日教組プロ制作)の上映会。
数日前にメールでお知らせしたにも関わらず、会場は満席。関心の高さがうかがえました。



その頃、美術館入口前の八怪堂では、美術館クラブ工作教室や、とうろう作りが大盛況。

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午後2時からは、原爆観音堂前の広場で、城西川越中学和太鼓「欅(けやき)」の演奏が行われました。毎年勇壮な太鼓の音を披露して下さる欅の皆さん。
今年は午前中の雨で開催が危ぶまれましたが、無事、例年通りに行うことができました。

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午後3時からは、物理学者で世界平和アピール七人委員会の小沼通二さんの講演会。
「核兵器と原発の時代を超えて」と題し、1時間を超える熱の入ったお話をして下さいました。

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そして午後4時半からは、おおたか静流さんのコンサート「広島へ福島へ」。
圧倒的に美しい歌声で場の空気を一変させる静流さん。さすがの存在感です。

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バイオリニストの金子飛鳥さん、そしてニューヨークから駆けつけて下さったダンサーのヨシコ・チュウマさんも特別出演。素晴しい舞台となりました。

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午後6時からは、手作りのとうろうが並ぶ原爆観音堂前で「ひろしま忌の集い」。

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ここで公式に小寺理事長が丸木美術館市民太陽光発電の発電開始を報告。
多くのメディアが駆けつけ、熱心に取材をして下さいました。

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黙祷のあと、おおたか静流さんと金子飛鳥さんが急きょ共演。
心にしみる歌声と、バイオリンの音を聴かせて下さいました。

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そしてこの日最後の行事となるとうろう流し。
今年は都幾川の水量が少なかったので、参加者は川のすぐ近くまで降りて行ってとうろうを流すことができました。

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それぞれの思いを乗せたとうろうは、静かに川面を流れていきます。

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ご来場いただいた皆さま、本当にありがとうございました。
そして、駐車場整理や駅までの送迎、販売、まかないなど、さまざまなかたちでイベントを支えて下さったボランティアの皆さまに、心から御礼を申し上げます。
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2012/8/5

『東京新聞』サンデー版に丸木俊特集  掲載雑誌・新聞

2012年8月5日付『東京新聞』や『中日新聞』などのサンデー版に、生誕100年丸木俊特集が大きく掲載されました。
見開き2頁の紙面いっぱいに、作品画像や写真、年表などが盛り込まれた保存版です。

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紙面制作はサンデー版編集部のI記者。
岡村は全体の監修と、“悲しみと希望の器”と題する文章の執筆を担当しています。以下、冒頭からの抜粋。

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 丸木俊は最初から原爆を描く画家だったわけではありません。さまざまな土地に根を張って生きる人間や、その暮らしのなかから生まれ、語り継がれてきた物語が大好きな、心の優しい女性でした。
 そんな彼女が、広島で無数の人が焼け死んでいくのを見てしまったのです。
 戦争に負け、米軍が日本を占領していた時代でした。原爆の被害を報道することは厳しく規制されていました。誰かが原爆を伝えなければ、人びとの痛みが忘れられてしまう。そう思ったとき、夫の位里とともに命をかけて原爆を描く決意をしたのです。
 被爆者から聞いた体験談をもとに、俊が細部を描きこむと、位里は上から墨を流しました。説明的すぎる、いや、この場面は詳しく伝えなければいけない。二人は無言のまま、絵で会話を続けました。画家の個性や心の葛藤が激しくぶつかりあいながら、《原爆の図》は生まれました。
……

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この記事は、「世界と日本 大図解シリーズ」の一環で、学校教材などで使用するためにWEBサイトからプリントの申し込みができるようです(No.1055)。
http://www.tokyo-np.co.jp/daizukai/index.html

掲載紙をサンデー版編集部や販売店から大量に頂いたので、美術館内でも数日間は無料で配布しています(記事がなくなり次第配布を終了させて頂きます)
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2012/8/3

反核平和の火リレー/太陽光発電稼働など  その他

ひろしま忌に向けて、慌ただしく準備を続ける毎日です。

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午前中には反核平和の火リレーが丸木美術館の前で中継されました。
事務局のNさんがトーチの中継に立ち会い、力強い挨拶をしました。

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また、この日はついに太陽光発電を外部の電線につなげる工事が行われました。
NHKのT記者も取材に訪れ、その作業の様子を撮影して下さいました。

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午後3時過ぎ、ついに太陽光発電が稼働。
3つのメーターの数値を足すと、10kw前後で安定しています。
電気については現実的に目に見える変化があるわけではないのですが、われわれスタッフも感慨深く数値を見上げました。

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夕方には、2階アートスペースに特別展示「2012 Aaron & Ash Speaking Tour プレパネル展」が完成(8月25日まで)。
イラク戦争の初期に米軍兵士として従軍したアーロン・ヒューズとアッシュ・キリエ・ウールソンの作品展示です。
彼らは今冬に来日し、12月7日から9日にかけて、丸木美術館アートスペースにて本格的な展示を行うのですが、今回はその前宣伝のプレパネル展となります。
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