2012/4/30

丸浜江里子著『原水禁署名運動の誕生』  書籍

ゴールデン・ウィークは、一般の来館者の方々もたくさん丸木美術館に足を運んで下さいますが、今日は研究者の方の来館も続きました。
はじめは元M美術館のM学芸員。そして入れかわるように、1954年に杉並から全国に広がった原水禁署名運動の研究をされている丸浜江里子さんが来館して下さいました。

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昨年5月に刊行された丸浜さんの『原水禁署名運動の誕生』(凱風社)は、ビキニ水爆実験後の原水禁署名運動を支えた杉並の市民活動を、戦前・戦中の前史にさかのぼりながら、丹念に調べ上げた約400頁の労著です。

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表紙には、丸木夫妻の原爆の図第8部《署名》が使われています。
丸浜さんのお話によれば、杉並の原水禁署名運動――とりわけ1954年の署名運動は、街頭署名ではなく戸別訪問が中心だったこともあり、記録写真がほとんど残っていないのだそうです。
丸木夫妻の《署名》は、その杉並の署名運動のイメージをもとに描かれた当時の貴重な“視覚資料”という側面もあるわけです。

杉並の署名運動といえば、2年前の10月、署名運動に大きな役割を果たした杉並区立公民館跡を訪ねたことがありました。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1490.html
その話を丸浜さんにすると、次第に1950年代の公民館運動にも話題が及びました。
丸浜さんは現在、杉並区と国立市の公民館運動の比較に関心を寄せられているとのこと。
国立市の公民館運動が、隣の立川市の米軍基地問題と大きな関わりがあるという話を聞きながら、1952年8月に立川で開かれた「原爆の図展」の会場も、立川南口公民館であったことを思い出しました。

1950年代の原爆の図巡回展について調べているなかで、1954年3月のビキニ水爆実験を境にして、巡回展の報道が極端に減少していることに気づきました。
それは、原爆の図の初期三部作が1953年6月に海外へ渡ったことや、巡回展がはじまって3年が経過し、全国の主要箇所をひとまわりしていたことも影響しているのだとは思います。
しかし、何よりも世間の関心が、「原爆投下」から「原水爆実験」に大きく移行していったことを示しているのでしょう。
とはいえ、こうした変化を別々の運動と捉えるのでなく、ひとつの連なり(あるいは戦時体制からの連続性も含めて)として見つめることによって、公民館などを軸にした当時の市民活動の姿がより鮮明に見えてくるのではないかと考えています。
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