2012/3/31

ひっくりかえる展 ―Turning around―のお知らせ  館外展・関連企画

4月1日からワタリウム美術館で「ひっくりかえる展―Turning around―」が開催されます。
昨年、丸木美術館で個展を開催したChim↑Pomのキュレーションによる現代美術展です。

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社会のタブーや問題に対して真っ向から立ち向かい、社会の変革を目ざして行動する表現者を紹介するという挑戦的な企画展。
壁を挟んで対立するパレスチナ人とイスラエル人のポートレイトをその壁に貼ってしまうフランス出身のJRや、街頭でパトカーを燃やしてしまうロシアのアート集団ヴォイナ、反資本主義のカナダの雑誌「アドバスターズ」など……ときに「お騒がせ」との批判を受けたり、騒動にまきこまれることも恐れないセンセーショナルな作家たちとともに、なんと、1950年代はじめの米軍占領下に行われた丸木夫妻の原爆の図巡回展の映像や資料が展示されることになりました。

原爆がタブーだった時代に、芸術によって圧力に立ち向かった丸木夫妻の仕事を、Chim↑Pomは自分たちの「先駆者」として位置づけ、展覧会の導入に紹介するようです。
60年という歳月を越えて、丸木夫妻の仕事がこうしたかたちで若者たちに“再発見”されること自体、何だか“ひっくりかえる”ような思いもあります。
ともあれ、従来の丸木夫妻の展示とはかなり趣きが異なるものになりそうです。
(最初に展示品借用の話があったとき、Chim↑Pomの卯城くんには「それで……イケてるように展示したいんすよ」と言われました。丸木美術館はイケてなくてごめんなさいね)

《原爆の図》そのものは展示されませんが、巡回展当時の様子を記録した貴重な映像や、実際に輸送に使われた原爆の図を収めるための木箱(おそらく初公開。この木箱を見たことがある人はほとんどいないのでは?)が会場で公開される予定です。
イケてる丸木夫妻の展示を、ぜひお見逃しなく。
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2012/3/30

美術館ニュース第109号入稿  美術館ニュース

年度末で慌ただしい中、美術館ニュースの編集作業がようやく終わりました。
いつも本当に綱渡りなのですが、なんとか4月7日(土)の発送作業には間に合いそうです。
ボランティア募集中です!

今回の表紙の絵は、丸木俊の油彩画《犠牲者(安保斗争)》。
1961年第15回女流画家協会展出品作で、60年安保闘争で犠牲になった樺美智子さんを主題にしています。「生誕100年丸木俊展」にあたり、ご遺族の厚意によって5月19日まで当館で展示させて頂いています。
また、椎名町駅前にあるアトリエ村の小さな画廊・Iさんの発掘した草稿『文学は「二十五時」の地区に』(掲載紙不明)より抜粋した文章も表紙に使わせて頂きました。

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丸木美術館ニュース第109号(発行部数2,500部)

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〈主な記事〉
5月5日丸木美術館開館記念日のご案内 …… p.2,3
生誕100年丸木俊 ―― 丸木俊先生の思い出 (平松 利昭) …… p.4
「被爆ピアノ」コンサートによせて (崔 善愛) …… p.5
四月から公益財団法人に移行しました そして脱原発のために太陽光発電を復活させます! (小寺 隆幸) …… p.6
脱原発世界会議報告 会場に大きなインパクトを与えた《原爆の図》 (鶴田 雅英) …… p.7
連載 丸木位里・丸木俊の時代〈第10回〉 新しい母レンと俊/図画教師・戸坂太郎 (岡村 幸宣) …… p.8,9
美術館の日常から (中野 京子) …… p.10
丸木美術館情報ページ ……p.11
リレー・エッセイ 第41回 (稲葉栄美) …… p.12
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2012/3/29

新刊案内:『平和をねがう「原爆の図」―丸木位里・俊夫妻―』  書籍

鎌倉市の鶴岡八幡宮の近くにある出版社・銀の鈴社より、ジュニアノンフィクションシリーズ(小学校中級以上)として、丸木夫妻の伝記『平和をねがう「原爆の図」―丸木位里・俊夫妻―』(作・楠木しげお、絵・くまがいまちこ、1575円)が刊行されました。

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A5判220ページ、カラー口絵も充実した一冊。
「ジュニアノンフィクション」といっても、子どもから大人まで幅広い年齢層の方にお読み頂ける内容。二人の画業を知るための“入門編”ともいうべき伝記です。
以下に、目次をご紹介します。

1.ヒロシマの絵
2.絵のすきな女の子
3.女絵かきへの道
4.丸木位里との出あい
5.位里という人
6.戦時下の絵かき夫婦
7.ピカの地獄
8.「原爆の図」をかく
9.世界をめぐる「原爆の図」
10.「原爆の図」の美術館
11.アウシュビッツや水俣も
12.原発の電気はいらん


これまでに刊行された丸木夫妻の自伝を中心に、周辺資料を丹念に調査し、手際良くまとめて下さっています。
丸木美術館でも取り扱いますので、ご購入いただけます。
ぜひ多くの方にご覧頂きたいお勧めの一冊です。
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2012/3/28

朝日新聞社/目黒区美術館  調査・旅行・出張

午前中は東松山CATVのIさんが来館。
丸木美術館紹介ビデオの最後の映像チェックを行いました。
また、日頃ホタルの里や河童会議などでお世話になっている環境保全課のKさんも来館。
2012年度から市の部署の構成が大きく変わるため、Kさんも異動になるそうです。
年度の変わり目はさまざまな別れと出会いの季節でもあります。

   *   *   *

午後からは、築地にある朝日新聞本社の週刊朝日編集部へ行きました。
30年以上前に『アサヒグラフ』に掲載された、福島原発の労働現場のルポルタージュによせて漫画家の水木しげるさんが描いたイラストレーションを見せて頂きました。
茶色く変色した当時の雑誌(1979年10月26日号・11月2日号)は、大判サイズの上に細部まで綿密に描きこまれた描写で、非常に見応えがあります。もっとも、残念ながら原画は行方不明(水木さんは自身の絵を切り貼りして別の絵を作ってしまうことがあるとか……)とのこと。

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このイラストレーションとルポルタージュは、『福島原発の闇 原発下請け労働者の現実』(文=堀江邦夫、絵=水木しげる、朝日新聞出版社、2011年発行)として再刊されています。

   *   *   *

その後は、文化部のO記者とお会いして、喫茶店でお茶を飲みました。
丸木美術館の企画展や、完全中止になった目黒区美術館の原爆展の話題など。
1時間ほどお話したあと、O記者と別れて目黒区美術館へ。

目黒区美術館では、「メグロアドレス 都会に生きる作家」展を開催中。
展覧会を見た後、原爆展でお世話になった学芸員のMさんとIさんが3月末で退職されるので、学芸員室へ行きました。
Iさんも来られていて、ご挨拶ができたのでよかったのです。
Mさんからは「‘文化’資源としての〈炭鉱〉展「夜の美術館大学」・講義録」(「補講」として、美唄市の研究家Sさんによる「GHQ占領下の『原爆の図』 北海道巡回展1951年10月28日-1952年5月1日」が収録されています)を頂き、Iさんからは武蔵野美術大学研究紀要の抜刷「美術館としての原爆堂に関する覚え書 ―丸木位里・俊夫妻と白井晟一の交流について」を頂きました。
これらの貴重な資料については、後日あらためてご紹介いたします。

膨大な炭鉱と原爆の資料に囲まれた資料部屋で、話し出したら止まらないMさんと、午後7時半近くまで話し込みました。 これも最後かと思うと少し寂しい気がします。
美術という領域の価値基準からゆるやかに逸脱し、視点を変えて読み解いていけば、魅力的な表現は社会のなかにたくさん存在するということを提示したのが、近年のMさんの仕事の重要な意味だったのだと、お話を聞きながらあらためて思いました。
結局は実現できなかったけれども、Mさんの「原爆展」に関わることができたのは、やはり自分にとって本当に貴重な体験でした。
心から、Mさんに感謝いたします。
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2012/3/27

川越スカラ座「月あかりの下で」  川越スカラ座

午後から、川越スカラ座で特別上映された『月あかりの下で ある定時制高校の記憶』を観ました。
埼玉県立浦和商業高校定時制(2008年に残念ながら廃校となりました)の生徒たちの学校生活を丹念に撮影したドキュメンタリ映画です。



年齢の割に重過ぎる人生を背負い、悩みや傷を抱えて入学してくる生徒たち。
授業より先に、学校が〈居場所〉であることを示すところからはじめる教師たち。
ほとんど学校崩壊のような状態から、彼らが何をきっかけに、どのように変わっていくのかを、カメラはひとりひとりに寄り添うように記録しています。
事件が起きては、生々しい人間の感情がぶつかり合う。
そこから信頼関係が生まれ、あるいは壊れ、少しずつ彼らは変化していく。
学校の原点、というより、人間と人間の“絆”の原点がどのように作られていくのかを考えさせられる、素晴らしい作品でした。

   *   *   *

映画の重要な登場人物のひとりである女子生徒は、3年生最後の日に、クラスのみんなに妊娠を報告します。そして、彼女が産休に入る前の最後のクラス遠足で向かった先が、実は、丸木美術館だったのです。
2006年6月のことです。その頃はまだ映画にするという話はなくて、テレビのために定時制高校のドキュメンタリ番組を撮影する、という説明を受けていたと記憶しています。
カメラは、原爆の図第2部《火》の、炎に包まれた幼子の絵の前でたたずむ妊娠7ヵ月の女子生徒を映していました。
「こわいね……」とつぶやく彼女。
作品を鑑賞した後、小高文庫に上り、クレヨンでカードに「平和がいちばん」と感想を書き込んだ彼女は、生まれてくる子と《原爆の図》を重ねていたのでしょうか。

ここ数年、美術館に団体で来館する学校が減り続け、特に公立学校が激減していくなかで、それでも来て下さる学校は私立の成績上位校が中心になっています。
きちんと事前学習をして、事後にも要点をとらえた立派な感想を送ってくれる彼らに絵を見せることの意義はとても大きいと思います。
しかし、数年前までときどきやってきた、“骨のある”生徒たちのいる学校も懐かしい。
ぼくは彼らに、ずいぶん“語りの力”を鍛えられた気がします。
先生が連れて来なければ、丸木美術館には生涯足を運ぶことがなかったかもしれない彼らにこそ、本当は《原爆の図》を観て、何でもいいから心に感じてもらいたいと、映画を観ながらあらためて思ったのでした。

こうした経緯があったので、2010年に映画が完成したときには、浦和で開かれた試写会にも呼んで頂いたのですが、残念ながら都合が悪くて参加できず、そのことをずっと気にしていたので、今日は映画を観ることができて本当によかったです。

上映後には太田直子監督のトークもあり、その後で監督に挨拶をしました。
実は太田監督は、ぼくの出身校である東京都立立川高校の先輩なのです。
そんな御縁もあって、これからも何らかのかたちでつながっていくことができそうな気がしました。

   *   *   *

夜は、文学座アトリエの会の江守徹演出による『父帰る』(菊池寛作)と『おふくろ』(田中千禾夫作)を鑑賞。
丸木美術館のボランティア新聞編集長のK田(N)さんが演出助手を務めている舞台です。
『父帰る』は、若い頃に広島で演劇をしていた丸木位里も出演したと回想している戯曲。
当時位里さんはまだ20代なかばでしたが、50歳を過ぎた「父」役を演じていたとか……。
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2012/3/25

池田龍雄展/2012年度年間企画予定のお知らせ  企画展

丸木美術館の理事会・評議員会が開催され、2012年度企画展の年間予定案が承認されましたので、お知らせいたします。

   *   *   *

現在開催中の「生誕100年 丸木俊展」は5月19日(土)まで。
5月26日(土)から7月7日(土)は「福島から広がる視線1 池田龍雄展」が開催されます。

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1928年に佐賀県に生まれた池田龍雄さんは、海軍航空隊に入隊し、特攻隊員として17歳で敗戦を迎えました。戦後、一時は師範学校で教師を目指しますが、「軍国主義者」と見なされて追放され、既成の権威や秩序に縛られずに自由な表現の世界に生きようと決意して多摩造形芸術専門学校(現・多摩美術大学)へ入学します。やがて岡本太郎や花田清輝らの研究会に参加し、前衛芸術の道を歩むようになりました。
1950年代には、社会問題への関心を高め、絵画によるルポルタージュの可能性を探り、炭鉱、内灘・立川などの基地闘争、水爆実験、日本の再軍備などをテーマとした作品を次々と発表し、注目を集めました。その後も美術界の第一線で活躍し、丸木美術館で毎年開催している「今日の反核反戦展」にも出品を続けています。
今展では、福島原発事故を主題にした《蝕・壊・萌》三連作を軸に、戦争や社会の歪みを表現してきた池田さんの近年の作品を紹介しながら、現代文明が抱えている問題をとらえなおします。
「芸術は人々の意識に働きかけることによって間接的に世界を変えることができる」と語る池田さんの一連の作品は、私たちの想像力を刺激し、未来に向けてどのように歩んでいくべきかを考えさせてくれるのではないでしょうか。

【オープニング企画・池田龍雄講演会】
5月26日(土)午後2時
参加自由(当日の入館券が必要です)
※当日は、午後1時30分に東武東上線森林公園駅南口に美術館の送迎車が出ます。

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その後の企画展予定は以下の通りとなります(予定は変更となる場合があります)。

7月14日(土)〜9月1日(土) 福島から広がる視線2 新井卓銀板写真展
9月8日(土)〜10月13日(土) 戦時下に描かれた未公開絵画展
10月20日(土)〜11月17日(土) 今日の反核反戦展2012
11月23日(金/祝)〜2013年1月19日(土) 本橋成一写真展「屠場」
2013年1月26日(土)〜3月2日(土) 丸木美術館クラブの10年展
3月9日(土)〜3月23日(土) 遠藤一郎展
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2012/3/23

絵本原画修復、各種打ち合わせなど  来客・取材

午前中、いつも絵画修復をお願いしているD社のOさんとYさんが来館。
丸木俊の絵本原画『つつじのむすめ』のシリーズの修復と額の新調、そして『12のつきのおくりもの』や『ぶらんこのり』、丸木位里の『赤神と黒神』の額の新調のため、作品搬出を行いました。
天気予報では朝から雨、だったのですが、何とかパラパラと小雨が降る程度で、搬出にほとんど支障がなかったのでひと安心。

今年は丸木俊生誕100年ということで、4月25日から6月4日まで佐喜眞美術館、7月26日から9月9日まで下関市立美術館、10月6日から11月25日まで一宮市立三岸節子記念美術館と、各地で丸木俊の展覧会が予定されており、絵本原画もきれいな状態で観て頂けるよう、準備を進めているところです。

   *   *   *

午後には、5月5日の開館記念日でコンサートをして下さる歌手の大嶋愛さんが来館。
会場で打ち合わせを行いました。

また、東松山CATVのIさんも、丸木美術館紹介ビデオのデモ映像を持ってきて下さいました。
今回は「丸木位里編」と「丸木俊編」。着々と映像が仕上がっているのが頼もしいです。
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2012/3/22

池田龍雄さん山荘訪問  調査・旅行・出張

朝8時すぎに大宮駅から新幹線に乗って長野方面へ。
銀座の画廊主Kさんと落ちあい、画家の池田龍雄さんの山荘を訪ねました。
池田さんには、これまで「今日の反核反戦展」などでいろいろとお世話になっていたのですが、山荘にお伺いするのは初めてです。

池田さんの山荘は、F山落という白樺の林に囲まれた静かな別荘地の一角にあります。
この山落は、50年前に当時活動していた総合芸術グループ「実験工房」のメンバーが中心になって作った“芸術家村”なのだそうです。

池田さんは写真家の大辻清司に誘われ、数年遅れて1964年に山荘を建てたとのこと。
作曲家の武満徹や写真家の秋山正太郎、中村征夫、早崎治、デザイナーの柳宗理など多くの方が山荘を建てましたが、今はほとんどの方が亡くなり、代替わりして、50年前の入居者で今も住んでいるのは池田さんご夫婦くらいだそうです。
今年はF山落を回顧する展覧会の話も持ち上がっているというので、貴重な歴史の証言が掘り起こされることでしょう。

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池田さんの山荘は、家の上に凧を乗せたような大きな屋根が特徴的で、通称“カイト・ハウス”というのだそうです。山荘の右奥に小さく見える小屋は、瀧口修造の死後、池田さんが瀧口邸から譲り受けたプレハブ小屋とのこと。
赤々と火が燃やされた暖炉の前に座り、窓の外の白樺林を見ながら、時を忘れて池田さんのお話を伺い、それからアトリエでたくさんの作品を見せて頂きました。

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後に「ルポルタージュ絵画」と呼ばれる1950年代のリアリズム絵画の状況など、池田さんのお話は非常に詳しく貴重なものでしたが、とりわけ、戦後すぐに進駐軍を相手に「絹こすり」の仕事で生活費を稼いだという体験談は初めて聞くもので、興味を惹かれました。
というのも、少し前に高山登さんのお話をうかがったとき、やはり女子美出身のお母さまが「絹こすり」の仕事で生活を支えていたという話を耳にしていたからです。
そこで、池田さんに「絹こすりの仕事はどういうものだったんですか?」と質問をしてみました。

池田さんの回想では、もとになる肖像写真を幻灯機で投影・拡大して、それを薄紙に写しとり、礬砂引きをした絹布の上に転写。その上に油絵具を少しずつ落としてこすり、本物そっくりの肖像画を描くのだということです。
この仕事には胴元がいて、外交員と呼ばれる役割の人が米兵から仕事をまとめてとってくると、数十人の画家が集められていっせいに描きはじめます。部屋じゅうで絹をこする音がカサカサと、まるで蚕が桑の葉を食べるように響いたそうです。
転写が終われば家に持ち帰って仕上げをしてもいいのですが、初心者は1日1枚仕上げるのがやっとで、慣れると3枚から5枚は描けたとのこと。大きさは大、中、小の3種類あり、30cm四方ほどの標準サイズで売値は1枚1ドル(360円)。そのうち、画家の取り分は200円ほどで、多い人は1日に1000円稼いでアトリエを建てた人もいたとか。もっとも、池田さんは自分の絵を描く時間を得るために、絹こすりは1日1枚程度に留めていたそうです。
こうした細部にいたるまで、池田さんの記憶力は本当に素晴しいので感動します。

丸木美術館では、5月26日から「福島から広がる視線」と題して、池田龍雄さんの展覧会を開催する予定です。

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 われわれ美術表現に携わる者は何をなすべきか、何ができるのか、と自らに問い掛けるのだが、しかし、その問いに単純直截に答えを出すことは容易ではない。芸術は政治に対して至って無力なのだ。但し、芸術は心や魂の領域にあるのだから、人々の意識に働きかけることによって緩やかに間接的に世界を変えることは可能だろう。だから、いやしくも「表現者」ならば、つねに現状に対する批判と抵抗の精神だけは失わないでいたい。心の中にその火のある限り、その熱は作品に映り、たとえテーマの直接的表現ではなくとも、必ずやそれを見る人の意識に然るべき作用をするに違いないのである。
 革命は、血を流すことなく時間をかけてゆっくり、心と魂の側からなされるべきだ。

(『丸木美術館ニュース』第108号より、2012年1月10日発行)

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このように芸術と社会を見据える池田さんが、福島原発事故にいたるまでの日本の状況をどのように捉えてきたのか、今あらためて見なおすことのできる企画になればと思っています。

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お忙しいなか、貴重な時間を割いて下さった池田さんご夫妻、そして作品の調査や梱包を手伝って下さったKさんに、心から御礼を申し上げます。
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2012/3/21

NHK-FMラジオ出演延期のお知らせ  TV・ラジオ放送

今日は、午後6時からのNHKさいたま局FMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」に出演するため、5時半頃からスタジオで待機していたのですが……なんと、今日から開幕した選抜高校野球の中継が長びいて、結局、中止になってしまいました。

予定時間の6時には9回表を迎えていたので、10分遅れぐらいのスタートかな?と最初は楽観視していたのですが、大阪桐蔭高校が9回に4点を追加する長い攻撃。結局、6時半頃にようやく試合が終了し、6時45分までの番組が6時40分開始に変更となってしまいました。
そんなわけで、ずっとスタンバイしていたのですが、今日のカルチャーコーナーは中止。

下村寧キャスターと番組をごいっしょするのは今回が初めて(しかも、3月でさいたま局を“卒業”とのことで、最後の機会)だったので、残念でしたが、「生誕100年丸木俊展」の紹介はあらためて4月11日(水)に延期になりそうです。

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せっかく浦和まで来たので、下村さんとスタジオで記念撮影。
個人的には生放送の番組の大変さを垣間見る貴重な体験だったのですが、アナウンサーやスタッフの皆さまにはとても気を遣って頂いて、かえって恐縮なほどでした。

お世話になった下村さん、5年間のさいたま勤務、本当にお疲れさまでした。
またそのうちに、お会いしましょう!
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2012/3/20

The Economist "Art-after-Fukushima"  掲載雑誌・新聞

英国の雑誌『The Economist』のWebページに、福島原発事故以後、核の脅威に反応した日本の芸術家たちの新たな展開として、昨年12月に丸木美術館で個展を開催したChim↑Pomなどの活動を、また核の表装の歴史として、丸木夫妻の《原爆の図》やゴジラ、岡本太郎の《明日の神話》などを紹介する動画が掲載されましたので、ご紹介いたします。

http://www.economist.com/blogs/prospero/2012/03/art-after-fukushima

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今日は、東京・ヒロシマ子ども派遣団の皆さまが来館されて、館内説明の後、とても熱心に鑑賞して下さいました。

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2012/3/18

NHK FMラジオ「日刊さいたま〜ず」出演のお知らせ  TV・ラジオ放送

来週の水曜日、3月21日(水)午後6時から、NHKさいたま放送局FMラジオ(さいたま85.1MHz、秩父83.5MHz)の番組「日刊!さいたま〜ず」に生出演させて頂くことになりました。
現在開催中の企画「生誕100年 丸木俊展」の紹介です。

「日刊!さいたま〜ず」には今回で8度目の出演となります。
これまで、2010年12月の「没後15年 丸木位里展」からはじまり、2011年9月の「追悼 大道あや展」、2012年1月の「丸木スマ展」と、丸木家ファミリーの展覧会を紹介してきたので、「これで丸木俊展を紹介できたら思い残すことはありません!」と話していたところ、下村寧キャスターが早速お声掛けくださいました。
今回お相手して下さるのは、その下村キャスター。
これまで打ち合わせではお話ししていましたが、ラジオでごいっしょするのは初めてです。

リクエスト曲は、今井正・青山通春監督の映画『原爆の図』(1953年公開)の音楽を担当したことから、《原爆の図》に想を得て作曲されたという大木正夫の「交響曲第5番ヒロシマ」から「火」をお願いしました。
そして、「丸木俊展」のトークでは絵本の仕事も紹介するということで、もう一曲は子ども向けの、北海道育ちの俊さんらしさも感じられる明るい曲を選びました。

埼玉県内のみという限定の放送ですが、電波の届く環境にいらっしゃる方は、どうぞ21日の夕方はNHK-FMラジオをお聴きください。
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2012/3/17

美術館クラブ「浮世絵コラージュ」  ワークショップ

毎月1回開催される恒例の美術館クラブ工作教室。
今回は、版画家の小林政雄さんを案内人にして、なんと、紙に木版で刷られた本物の「浮世絵」を切ってコラージュする、という内容でした。

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いつも参加者が驚く材料を集めて来るワークショップ担当のMさん。
江戸時代の技法を現代に再現した広重の「東海道五十三次」などの浮世絵を大量に入手したとのことで、「えーっ、これ切っちゃうのもったいない!!」という参加者の声にもひるまず、てきぱきと作業を指示します。

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一度完成された作品をバラバラにして再構成する、という作業は、考え出すと本当に難しい。
案内人の小林さんも、他人には目もくれず、自分の作品づくりに没頭しています。

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こちらは完成作の一例。
今回はなかなか味わえない、ユニークな体験になりました。
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2012/3/16

銀座ニコンサロン「新井卓写真展」/ギャラリー志門「安藤栄作展」など  他館企画など

午前中に美術館でこのところたまっていた雑事を片付け、午後1時過ぎにNHKさいたま局のSキャスターと3月21日(水)に出演するFMラジオ番組の打ち合わせをしたあと、都内に出て銀座のギャラリーをまわりました。

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最初に訪れたのは、銀座ニコンサロンの新井卓写真展「Here and There ―明日の島」。

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新井卓さんは写真黎明期の技法ダゲレオタイプ(銀板写真)を用いて作品を撮り続けている写真家で、今年夏に丸木美術館でも個展を開催する予定です。
銀板を完全な鏡面に磨きあげ、直接カメラに入れて撮影し、水銀蒸気で現像するという手間のかかる手法から生まれる複製不可能な「記憶装置」としての写真。
今回の展示では、この1年のあいだに新井さんが福島の被災地などをまわりながら撮影した15点の作品が会場にならんでいました。

飯館村のヤマユリや南相馬の犬、ポニー牧場、池に飛来する白鳥、川内村の検問所、三春滝桜、飯館村から福島市に避難している母子、伊達市の仮設住宅前の男性など……

鏡面に映るやや不鮮明な風景を見ながら、情報としてすぐに消費されてしまうのではない、長期的な“記憶”と結びつく映像について考えさせられました。
撮影に時間がかかるというダゲレオタイプの短所とも思える特徴は、逆に、それぞれの場所のかけがえのない光や空気を鏡面に注ぎ、刻み込んでいるとも考えられ、今回のような忘れてはならない記憶を定着させる上で、とても大きな意味を持っているように感じます。

会場では、新井さんが1年間に記した『日誌「拾日録」より』が400円で販売されていて(60部限定)、この文章も非常に良かったです。
たとえば、2011年7月13日の日記。

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 震災から4ヶ月が経ち、東京や横浜の街々はぼんやりとした日常に戻りつつあるように見える。でも、本当はみな、分厚いアクリルの水槽に閉じこめられた魚たちのようにどこかうつろな目をしていて、熱く澱んだ空気の底で呼吸が苦しそうだ。
 忘れてはいけない、忘れたくない、と思っても結局私たちは忘れてしまう。それは生存本能の一つなのだからしようがない、では、広島やトリニティサイトに建てられた謎めいたモニュメントは、永く私たちの忘却をおしとどめてくれるだろうか?(フィンランドのオンカロ、プルトニウムの最終処分場にやがて建てられるであろう、奇妙なオベリスクも)
 必要とされるのは暗号でも神話でもない一個の肉体、ある光景が繰り広げられたまさにその場所で、その場所の光によって刻み目を受けた手負いの肉体そのものだ。傷口を永遠に向かって運ぶために求められる、不死の第五福竜丸。第五福竜丸のダゲレオタイプ。

 
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新井さんの作品は、3月14日発売の『ニューズウィーク』日本版(2012年3月21日号)でも4頁にわたって掲載されています。丸木美術館の個展もちょっとだけ紹介されています。

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続いて、ギャラリー志門の「安藤栄作 ドローイング&彫刻展」に足を運びました。

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安藤栄作さんは、福島県で活動されていた彫刻家で、2008年に埼玉県立近代美術館で「丸木スマ展」が開催されたときに、“世代を越えて共演”という趣旨で素晴らしい木彫作品を出品して下さったのです。しかし、昨年3月11日の大震災後の津波によってアトリエがすべて流され、現在は、奈良に移住して制作を続けています。

たまたま展示を見ているうちに安藤さんも会場に来られて、お元気そうな姿を見られたので良かったです。
さらに偶然、大学時代の恩師であるO先生が会場に来られて、こちらはかれこれ15年ぶりくらいでしょうか。思いもよらない場所での再会に、驚きつつも近況報告など話が弾みました。

   *   *   *

午後6時半からは、新宿ニコンサロンに移動して、シンポジウム「写真とことば―記録の先にあるもの」に参加しました。講師は作家の池澤夏樹さん、写真家の鷲尾和彦さん、新井卓さん。司会進行は写真批評家でニコンサロン選考委員の竹内万里子さんです。
池澤さんと鷲尾さんは、昨年9月に中央公論社から『春を恨んだりはしない―震災をめぐって考えたこと』を出版されており、今回、新宿ニコンサロンでは鷲尾さんの写真展も開催されているのです。
会場には、第五福竜丸展示館学芸員のYさん、Iさんも来られていました。

非常に興味深い内容のシンポジウムでしたが、とりわけ、「目に見えないものをどう撮るかが作家のオリジナリティの要素だと思う」という新井さんの発言を受けた池澤さんが、新井さんのダゲレオタイプ(銀板写真)について、「今の写真が追求している方向から見れば決して鮮明な画像ではないが、人がものを見るというのは心の奥と関わるもの。いろんなものをそぎ落として、自分にとって大切なものを拾い出す作業を、ダゲレオタイプはやってくれている。ものを見るというのはこういうことだと感じる」と語られていたことが深く印象に残りました。

司会の竹内さんがシンポジウムの冒頭に語られていたこと―「3.11以後、何かが決定的に変わったという言い方には違和感がある。そうではなくて、深く問われることになったのだと思う。その結果、引き続き深化される可能性もあり、変化する可能性もある」という言葉も、折に触れて思い出すことになりそうです。
大切なのは、竹内さんもおっしゃっていたように、「何かを見る、書くという行為を往還しながら考え、悩み、小さな声に耳を傾ける」ということなのでしょう。
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2012/3/15

東松山CATV丸木位里作品撮影  来客・取材

今日は午前中に、C大文学部のYさんが来館。
Yさんは一昨年に丸木美術館で学芸員実習を行い、大学の卒業論文で「戦争をどのように伝えるか―丸木位里・俊が描いた沖縄戦と佐喜眞美術館の活動から考える―」というテーマに取り組んでいたのです。
無事論文も終わり、大学も卒業できるとのことで、今日は資料の返却とともに、論文も持ってきてくれました。

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午後からは、2か月以上にわたって撮影を続けていた東松山CATV制作の丸木美術館紹介ビデオの最後の取材。2階の1室に丸木位里の作品を臨時に展示して撮影を行いました。

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この紹介ビデオは各回15分で、「丸木美術館」、「原爆の図(上)」、「原爆の図(下)」、「丸木位里」、「丸木俊」、「丸木スマ」の6本立てとなります。
「丸木俊」の回と同じように、丸木夫妻の遺族のH子さんにもご出演頂いて、位里さんの思い出などを語ってもらいました。

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大きな屏風絵から絵本原画まで、位里さんの生涯をたどる作品の解説をしながらの撮影も、夕闇迫る閉館時間前にようやく終了。まだ細かいシーンの撮影の追加はあるかもしれませんが、一応の「クランクアップ」となりました。
丁寧に撮影して下さったIさんに心から感謝。
これから本格的な編集作業が行われ、4月には映像が完成する予定です。
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2012/3/14

松山市民活動センターの緞帳撮影  来客・取材

午前中、丸木美術館の紹介ビデオを制作中の東松山CATVのIさんといっしょに、松山市民活動センター(東松山市松本町)へ行きました。
先日の東松山市立青鳥小学校に続いて、館外ロケの“第2弾”です。

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松山市民活動センターには、378人収容のホールがあり、舞台の緞帳には丸木夫妻が下絵を描いた“平和のやまんば”が使われているのです。

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撮影のため、わざわざ緞帳を下ろして頂いたのですが、間近で見ると凄い迫力です。
照明も緞帳の全面には当てきれず、どうしても上の方は影になってしまいます。
ロビーの壁には、額装された原画も飾られ、説明書きが記されています。

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平和のやまんば 〈ホールどんちょう原画〉

やまんばの声が、餅もってこおーと響きわたる。おそるおそる餅ついて届ける。
山のいただきに、色さまざまの十二の子を育てる美女あり。 作者
昔から山間に残る伝承民話「山姥」の主題を平和の鳩でつつんだ構図。


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“平和”と“やまんば”というイメージは、結びつかないと思う方も多いかも知れません。
丸木俊は、1970年頃から児童文学者の松谷みよ子さんとコンビを組んで、各地の民話や伝承を掘り起こして絵本にする仕事に取り組んでいました。
そんな二人が、なかば戯れで結成したというのが“やまんばの会”です。
一般的には、人里離れた山奥に住み人をとって食う恐ろしい妖怪と考えられているやまんばですが、二人にとっては、文明に頼らず自然の循環のなかに生き、大勢の子どもを生み育てる(やまんばには多産の伝承が多い)、平和を愛する母性の象徴として“憧れの存在”であったのです。

丸木美術館ゆかりの東松山市の多くの市民が集う場所で、俊さんの精神そのもののような作品が見られるということに、あらためて心を動かされました。
今回、東松山CATVで制作してくれている紹介ビデオは、丸木美術館だけでなく、こうした地元の貴重な遺産も記録しているという意味で、とても興味深いものになりそうです。
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