2012/2/9

Ring-Bong 第2回公演「名も知らぬ遠き島より」  他館企画など

連日、「生誕100年丸木俊展」の準備を進めています。
ようやく作品の展示がほぼ終わり、後は11日の初日に向けて、最終的な仕上げをするばかりになりました。
この日は、朝日新聞と埼玉新聞の記者が来館して、企画展の取材をして下さいました。

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夕方からは、小竹向原のサイスタジオコモネで行われたRing-Bong第2回公演「名も知らぬ遠き島より」を観に行きました。

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昨年、共通の知人を通じてお会いした文学座の山谷典子さんがみずから脚本を手がけ、出演されている作品です。
舞台は敗戦直後、1946年の中国・牡丹江にある旧日本軍病院と、現代の東京の病室。
登場人物は、ソ連軍の満州侵攻によって関東軍に置き去りにされた負傷兵と看護婦たち。
そのうちの一人、病院付きの衛生兵・近藤義春の最期を看取る義理の娘・千恵と孫の恵による会話と、若き日の近藤たちの満州での体験が交錯しながら物語は進んでいきます。

敗戦後の中国の兵站病院という設定に、私はまず丸木位里の友人の画家・靉光を思い浮かべました。靉光は1946年3月に上海の病院で戦病死しています。
病室で隣になった兵士と飯盒を交換し、帰国した隣人が飯盒を遺族のもとに届けたために、現在も靉光―本名・石村日郎―の飯盒は存在し、2007年に東京国立近代美術館で開催された「生誕100年靉光展」にも展示されていました。
今回の舞台でも、病死した兵士の飯盒を遺族に届けるか否かというやり取りが登場します。

また、「広島」という台詞が一度だけ登場したのも印象的でした。
衛生兵の一人が、従軍看護婦に、日本に残してきた妻と2人の娘の思い出を語りながら、「妻の実家が広島で、東京より食べ物があるだろうから、広島に行っているんだ……」というのです。
ただそれだけの言葉で、この衛生兵は生きて日本に帰っても家族は原爆で全滅しているのではないか、と想像させられ胸が痛みます。

「(放射能のことは)心配し過ぎよ。だって国が大丈夫だって言ってるのよ」という現代での会話に、国に見捨てられた満州の人びとの姿が重なったり、「慰安婦」をめぐる日本軍と朝鮮人女性、ロシア軍と日本人女性の状況が描きこまれていたり、厳しく重い主題がそこかしこに散りばめられていましたが、しかし、後味が決して悪くなかったのは、困難な時代のなかで、それでも可能性があるかぎり生きて、命をつないでいこうという登場人物の姿勢が、時代を超えてつながって見えてきたからなのでしょう。

山谷さんは、私とほぼ同世代。
自身の戦争体験はもちろん、おそらくは両親も戦争の記憶がない世代だと思います。
そうした世代が、体験者の話を聞きながら、60年以上前の戦争と現代をつなげて自分なりの想像力を広げ、リアリティを見出していく。
たとえば、こうの史代の『夕凪の街、桜の国』や、Chim↑Pomの広島を主題にした作品もそのひとつなのかも知れませんが、体験者の持つ“リアル”を受けとめるだけではなく、次の世代としての読みとり方を考えるような、そんな作品がこれからの時代に必要とされ、人びとの心に響いていくのだろうな……と感じながら、興味深く鑑賞させて頂きました。

「名も知らぬ遠き島より」は、2月14日まで上演されています。
ご予約・お問い合わせは以下の通り。
[mail]ringbong2011@gmail.com
[tel]03-5375-1118
(双葉&サイ(株)スタジオ事業部:受付平日11時〜18時)
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