2012/1/14

脱原発世界会議・第1日  館外展・関連企画

パシフィコ横浜で開催される脱原発世界会議に参加し、原爆の図三部作(原寸大複製画)を展示するため、午前中から横浜のみなとみらいへ行きました。

《原爆の図》の展示場所は、1階のメインホールに向かう途中のエントランス。
T田理事、事務局のY子さんといっしょに掛軸状になっている複製画を展示していきました。
広大なスペースに三部作はちょうど良い具合に収まり、なかなか圧巻です。

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第1日目のイベントは午後1時からはじまります。
開会イベントの時間が近づくと、エントランスのまわりはたくさんの人であふれました。
外国からの参加者の姿も目立ちました。
会議に参加する方々を、まず最初に《原爆の図》がお迎えするという格好です。

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〈開会イベント「ふくしまから世界へ」〉は、開始時間になっても会場の外にたくさんの参加者が入り切れずに並んでいるという大混雑で、いきなり30分ほど遅れてのスタートとなりました。
司会の野中ともよさん(NPO法人ガイア・イニシアティブ代表)の進行によって、会議の実行委員長・吉岡達也さん(ピースボート共同代表)の挨拶に続き、佐藤栄佐久前福島県知事や、ドイツのレベッカ・ハルムスさん(欧州議会議員、緑の党・欧州自由同盟代表)、環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也さん、オーストラリア非核連合共同代表のピーター・ワッツさん、ヨルダン国会議員のモオタシム・アワームレさん、広島被爆医師・肥田舜太郎さんが次々と登壇しスピーチをされました。

飯田哲也さんは、3.11の福島原発事故は世界の歴史を変える出来事だったと位置づけながらも、歴史は一夜で変わるものではないので、たゆまずあせらず変えていく努力が必要であり、そのためには意見の違う相手であっても合意できる部分を積み重ねていく“未来志向”の発想が必要であるという感動的な講演をされていました。



「人間は、放射線を安全に操作することはできません。ですから、原発も核兵器もなくして、安全な地球に住むということしかないわけです!」と結論づけて大きな拍手を受けていたのは、肥田舜太郎さん。
肥田さんは昨年10月22日に丸木美術館で講演をして下さっています。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1739.html
そのときも94歳とは思えないお元気な姿に勇気づけられたのですが、この日も肥田さんの発する言葉はひとつひとつが力強く、心に深く響きました。



また、開会イベントの最後には、福島から避難しているお母さんや子どもたちが登壇し、横浜に避難している郡山市の小学生が会場に向けて今の思いを語りました。
「ぼくはまだ死にたくない。生きて将来は環境に優しいエネルギーの開発や人の役に立つ仕事をしたい」という言葉に、涙を流している人も多く見られました。

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脱原発国際会議は、1階のメインホールや3階ホールで行われるセッションやトークライブのほか、アーティスト・ラウンジでのライブパフォーマンス、シアターでの映像上映、「ふくしまの部屋」での会議や交流会、海外ゲストと対話する部屋や子ども向けコーナー、そして7つの部屋で行われるもちこみ企画など、同時多発的にたくさんの部屋で企画が進行していきます。そのため、どの企画に参加するべきか、とても悩んでしまいます。

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広河隆一さんや本橋成一さんの写真展、広島・長崎の記録写真展、脱原発ポスター展などの展示もあり、69のさまざまな団体のブース出展も賑わっています。

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3階には特設スタジオがあり、インターネット中継USTREAMで世界に向けて会議の様子が配信されていました。

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開会イベントは1,000人を収容するメインホールで行われたのですが、場内は満員どころか立ち見が出るほどの大盛況。そしてイベントが終わって会場を出ると、次のセッションのために入場を待っている参加者が廊下に長蛇の列を作っており、会議の熱気に圧倒されました。
なんと初日だけで5,000人を超える参加者が訪れたそうです。
これだけの会議を開催した実行委員会の方々の努力には、本当に頭が下がります。
そして同時に、われわれが歴史の変わり目にいるのだという実感を強く受けました。

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さまざまな会場を見てまわりながら、午後4時30分からアーティスト・ラウンジで開催された〈「原爆から原発へ」世界の核を追ったカメラマンの証言〉に参加することにしました。

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はじめに、任キョンアさんのチェロ生演奏(武満徹の「死んだ男の残したものは」やパブロ・カザルスの「鳥の歌」など)とともに、トリニティの核実験から広島、長崎、マーシャル諸島などの核実験、チェルノブイリ、スリーマイル、イラク……福島原発事故に至るまでの世界の核の現場を撮影した写真のスライド・ショー(キュレーター・新藤健一さん)が上映されました。

そして、丸木美術館でもたびたび写真展やスライド・トークを開催しているフォト・ジャーナリストの豊田直巳さん(上写真)の司会により、豊崎博光さんの「原爆から原発へ」、島田興生さんの「ビキニ核実験―被ばくの原点を語る」、森住卓さんの「草原の民・核の爪痕」(ビデオレター)、野田雅也さんの「福島第一原発事故と中国の核実験」、新藤健一さんの「ハワイを襲った津波―アイゼンハワーのAtoms for Pease」、そして豊田さん自身の「イラクから福島へ」と題するスライド&トークが次々と行われました。

広島、長崎、第五福竜丸、福島という日本の被ばくの歴史だけを見て、「世界で唯一の被ばく国」と捉える人も多くいますが、実際には被ばくの問題はすでに世界を覆い尽くし、人類を脅かす問題になっているのだということを、次々と映し出されるスライドを見てあらためて痛感しました。

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次に参加したのは、午後5時45分から3階ホールで開催された〈東電福島第一原発事故―被害の実態と被ばく最小化への提言〉というセッション。

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このセッションには、昨年7月の『丸木美術館ニュース』でも取り上げた「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の代表・中手聖一さんをはじめ、国際環境NGO FoE Japan理事の満田夏花さん、福島老朽原発を考える会(フクロウの会)代表の阪上武さん、福島市大波地区で農業を営む小池光一さん、核戦争防止国際医師会議運営委員・放射線学者のアンドレアス・ニデッカーさん、国際環境NGOグリーンピース・ジャパンの核・エネルギー担当の鈴木かずえさんが参加されました。

原発事故後の福島が置かれた状況の具体的な報告、そして「避難の権利」の確立に向けた議論は非常に興味深いものでした。
そのなかで、自然農の実践を通じて福島の自然と日々向き合っている小池さんの「放射能は目に見えないというが、自然のなかにいるとまったく違う。鳥や虫たちの姿は見えなくなり、植物の様子もまったく違う」という言葉が心に残りました。
“除染”とひとことで言っても、生命の源とも言える大地を削り取られる無念は、どれほどのものか、と思います。福島の人びとが先祖代々、長い歳月をかけて自然とともに作り上げてきたものが、ここで無にされてしまう。それどころか、子や孫の代に負債を残してしまうことの意味の重さを考えると、本当に胸が痛みます。

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この日の最後に参加したのは、午後8時からメインホールで行われた〈トークライブ〉でした。

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登壇者は、歌手の加藤登紀子さん、手塚治虫の長男でヴィジュアリストの手塚眞さん、人類学者の中沢新一さん、ブロードキャスターのピーター・バラカンさん、ミュージシャンのSUGIZOさん、広告メディアクリエイティブ[サステナ]代表のマエキタミヤコさん(上写真右から)。

加藤登紀子さんが「一刻も早く脱原発を」と唱えると、手塚眞さんは「もう一度自分たちが使っている電力を見直す脱電力を考えたい」と語り、中沢新一さんは「ヴァーチャル(言葉)をリアル(現実)にしなければならない。グリーン・アクティブというゆるやかなネットワークを作り、日本における“緑の党”のような新しい政治団体“緑の日本”を設立する」と宣言しました。



“緑の日本”がどのような活動を展開していくのかはまだよくわかりませんが、“ゆるやかなネットワーク”がこれからの時代を動かしていく、という考え方は、本当にその通りだと思いました。
この脱原発世界会議が、短い準備期間にも関わらず多くの人びとの参加によって、非常に熱気のあるものになったのも、その“ゆるやかなネットワーク”の持つ力の大きさなのだと思います。
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