2011/12/28

仕事納め/忘年会  ボランティア

今年も大勢のボランティアが参加して下さって、無事に一年の最後を締めくくる大掃除と忘年会を行うことができました。
東日本大震災、原発事故という大きな出来事に翻弄され、目黒区美術館「原爆展」の中止、丸木美術館では「第五福竜丸展」や「チェルノブイリ展」の開催、そして年末の「Chim↑Pom展」まで、あまりにも多くのことがあった濃密な一年でした。
来年も、いろいろとたいへんな状況は続いていくのだと思いますが、日々の小さな物語を大切にしながら、地に足をつけて過ごしていきたいと思います。

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仕事納めのこの日、NHKさいたま局から年明け1月18日(水)のNHK-FMラジオ(埼玉県内向け)出演依頼が来ました。現在開催中の企画展「丸木スマ展」の紹介です。

2月12日(日)には、銀座シネパトスで『生誕百年 今井正監督特集』記念イベントとして、映画『原爆の図』(1953年、今井正・青山通春監督)が上映されることが決まりました。

さまざまなイベントの詳細は、年明けにお知らせいたします。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
皆さま良いお年をお過ごしください。
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2011/12/27

『毎日新聞』夕刊に“Chim↑Pom展”記事掲載  掲載雑誌・新聞

2011年12月27日付『毎日新聞』夕刊文化欄に、“Chim↑Pom:東京で個展 「騒動」バネに「ヒロシマ」と「フクシマ」結ぶ”との見出しで、丸木美術館で開催された個展の報告記事が掲載されました。

http://mainichi.jp/enta/art/news/20111227dde018040039000c.html

以下に、記事の一部を抜粋します。

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 今月中旬、埼玉県東松山市の「原爆の図 丸木美術館」で開かれたチン↑ポムの展覧会「LEVEL 7 feat.広島!!!!」は、メンバーの意志を改めて示す内容だった。しかも、3年前の「騒動」と重なり合う形で。

 3年前の「騒動」とは、映像作品にするのを目的に、広島市の上空に飛行機雲で「ピカッ」の文字を描いたこと。市民らの批判を浴び、メンバーは被爆者団体に謝罪した。作品を発表予定だった広島市現代美術館での個展は中止に。その後は、「騒動」を多角的に検証する本を出版し、完成させた映像作品も東京と韓国で3度公開している。

 丸木美術館での展覧会は、昨年死去した美術評論家、針生一郎との縁で実現した。同館館長だった針生は検証本にも寄稿し、メンバーを応援していたのだ。チン↑ポムは当該映像のほか、8月6日夜に同館が行った灯籠(とうろう)流しの残り火(平和の火)を譲り受け、その火で燃やした板絵を壁一面に並べた「平和の日」など新作を発表した。さらに、会期中に東京地検から戻ってきた「付け足し」の絵画や、事故後の福島で撮影した映像作品も展示。同館所蔵の丸木位里・俊の代表作「原爆の図」(1950年)と、現代の目で捉える「ヒロシマ」の記憶、そして放射能によって2011年の「フクシマ」がつながっていることを示した。

 最終日に開催されたトークには、若い世代を中心に大勢が集まり、隣室にあふれるほど。関心の高さをうかがわせた。広島出身で、検証本への寄稿を拒否した明治学院大の山下裕二教授は「付け足し」について「礼賛する気はないが、意味のある『ひんしゅくを買うこと』は、現代美術家の重要な役割だ」と指摘。チン↑ポムのリーダー卯城竜太さんは、表現規制があった時期に描かれた「原爆の図」について、「『それでも描く』というものすごい情念を感じた。僕らの絵と共通する」と語った。


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取材して下さった文化部のK記者は、「ピカッ」作品の“軽さ”は否めないとしながらも、〈メンバーが「騒動」から逃げず、核や平和について考え続けてきた力が今、表現に生かされたと言えるのではないか〉と結んでいます。

「ヒロシマ」と「フクシマ」がつながった特別な年の締めくくりに、丸木美術館で個展を開催することができたのは、彼らにとっても大きな意味があったのだと、記事を読みながら考えました。
震災の前に個展の話が持ち上がった当初は、「ピカッ」作品を中心とする「ヒロシマ」の展示を行う構想だったのですが、結果的には「フクシマ」の作品とともに展示することで、「ヒロシマ」作品もより説得力を増していたのではないかと思うのです。
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2011/12/25

【福岡への旅】第37回原爆文学研究会  調査・旅行・出張

早朝の飛行機で福岡に飛んで、午後1時から九州大学西新プラザで開催された第37回原爆文学研究会・創立10周年記念ワークショップ「原爆文学研究この10年、これからの10年」に参加しました。

司会・コーディネーターは川口隆行さん(広島大学)。
研究会の前半部では、長野秀樹さん(長崎純心大学)が会の創設者である故・花田俊典さんの残した文章から原爆文学研究会発足の原点を振り返り、中野和典さん(福岡大学)は機関誌「原爆文学研究」の成果と課題をまとめ、これまで原爆文学と見なされてこなかった作品を取り上げ、他の分野へも積極的に問題領域を広げてきたことなどについて言及しました。

休憩をはさんだ後半部では、松永京子さん(神戸市外国語大学)が米国の保守地域で原爆について語ることの意味と可能性を考察し、李文茹さん(台湾淡江大学)は台湾という視点から原爆と原発について語りました。また、深津謙一郎さん(共立女子大学)は“「3.11」以降の「原爆・文学・研究」”と題し、原爆文学研究の今後にも示唆を与える発表を行いました。

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数年前から原爆文学研究会に参加するようになり、研究会の当初の目的や会の持つ意味をほとんど知らなかった私にとっては、それぞれの発表の内容と、それを踏まえた会場からの意見交換はとても興味深いものでした。
そもそも、なぜ原爆文学研究会で“文学”の分野ではない《原爆の図》の発表をさせて頂いているのか、実はあまりよくわかっていなかったのですが、この研究会は創立当時から、文学を専門とする研究者のための会ではなく、さまざまな立場の人に開かれ、多様な表現分野を横断的にとらえていく場であることを目ざしていたようです。

実際、文学をはじめとする原爆表現は、あまりに大きなテーマ性を抱えていることもあって、当初から特定の専門的な表現者だけが担っていたわけではなかったのです(その意味でも、原爆を題材にした多様なジャンルの視覚芸術を横断的にとらえようとした目黒区美術館の「原爆展」が実現しなかったことは、本当に痛恨というか、日本の文化史研究において大きな損失だったと思います)。

原爆のような大きな惨禍を主題にした表現は、ともすれば「戦争」や「平和」といった“大きな物語”に回収されてしまいがちです。
もちろんそれが一概に悪いというわけではないのですが、“大きな物語”は、世界を視るまなざしを固定化・硬直化してしまう方向に向かいやすいように思います。
しかし、その“大きな物語”を丹念に解きほぐしたとき、そのなかからすくい取れる“小さな物語”は、硬直化した世界観を揺さぶり、想像力を刺激して、現状を打ち破る新しい可能性を拓いていくような気がするのです。
文学や絵画などの芸術表現は、まさにその“小さな物語”として真価を発揮する性質のもののように思います。

考えてみれば、私が1950年代はじめに行われた《原爆の図》全国巡回展の調査に取り組んでいるのも、“大きな物語”として語られがちな《原爆の図》の巡回展を、そこに関わった多様な人びとの“小さな物語”として捉えなおすことで、これまで考えられていたものとは違う、新たな《原爆の図》の意味が浮き上がってくるのではないかと気づいたからでした。

原爆文学研究会は、私にとって、そうした考えを整理したり、新たな刺激や発見を与えてくれる“場”であり、何より、自分が孤独ではない、同じような問題意識を持って原爆表現に向き合っている人たちがいるのだと勇気づけられる貴重な“場”だったのです。

本当は、今回のワークショップでは、私はそのことを発言して研究会の皆さんに御礼を言いたかったはずなのに、ぼんやりしていて機会を逃してしまったことを、少しばかり後悔しています。

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研究会の終了後は、王貞治さんも贔屓にしているという中華料理店「悠好!朋友」で懇親会。
今回の研究会は、冬休みの家族旅行を兼ねて妻と子どもたちもいっしょに福岡にやってきていたので、懇親会から合流しました。
5年前に神戸YWCAで講演会を行った際にお世話になった神戸大学のTさんが今回から原爆文学研究会の会員に加わり、久しぶりに再会することができたのも、とても嬉しい驚きでした。
神戸のときも家族で訪れ、懇親会には家族みんなで参加していた(まだ娘Mは生まれていませんでしたが……)ので、Tさんに子どもたちの成長した姿を見て頂くことができて、良かったです。
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2011/12/24

「朗読+演奏」公演 12/1941:開戦の熱狂の中から生まれたことば  イベント

午後2時から、「朗読+演奏」の実験的な企画として、「12/1941:開戦の熱狂の中から生まれたことば」の公演が行われました。
企画+演奏(6弦と12弦ギター)は高瀬伸也さん。朗読は松川充さんです。

公演の内容は、今から70年前、1941年12月8日の「対米英蘭開戦」いわゆる真珠湾攻撃の後に生まれてきた高村光太郎、村野四郎、三好達治、草野心平、中勘助、安西冬衛、堀口大學らの戦争詩あるいは愛国詩と、「そうだその意気」、「空の神兵」、「海行く日本」、「朝だ元気で」、「みたみわれ」、「海ゆかば」、「勝利の日まで」、「銃後の妻」などの歌詞に、ロックやブルースといったスタイルのギター演奏という「遠いもの」を対峙させることにより、 戦争賛美とその時代について再考するという試みです。

高瀬さんたちは、これまで、たびたび丸木美術館という場で、「遠いもの」を対峙させ“不協和音”を奏でる実験的な問題提起をひそやかに繰り返してきました。
今回の企画は、もちろん、戦時下に生まれてきた無条件に戦争を賛美する表現への批判であるわけですが、同時に、その批判の精神は、現代的な視点からそれらの表現を拒絶し隠匿してしまうことに対しても向けられているのです。
ひとつの結論に簡単に集約されない問題提起だからこそ、その“不協和音”は、いつまでも聴く人の心を複雑に揺さぶり、余韻を残し続けるのではないかと、公演を聴きながら思いました。

聴いているときはまったく気がつかなかったのですが、高瀬さんがこの日に奏でた曲は、「ジングルベル」や「アヴェ・マリア」など、すべてクリスマスソングを即興で変奏したものだったそうです。
彼の複雑な批判精神は、公演を行ったこの日、クリスマス・イヴにも向けられていたのでした。
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2011/12/23

丸木スマ展 生命のよろこびを見つめて  企画展

2011年12月23日(金/祝)から2012年2月4日(土)の会期で、「丸木スマ展 生命のよろこびを見つめて」がはじまりました。
丸木美術館では、4年ぶりの丸木スマの個展になります。

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丸木スマは1875年に広島県安佐郡伴村(現広島市安佐南区沼田町伴)に生まれました。
幼い頃より野山を駆けまわり、伸びやかに成長した彼女は、20歳で飯室村(現広島市安佐北区飯室)の丸木金助と結婚し、 3男1女を生み育てます。
家業の船宿業や家事のほか、畑を耕し、蚕を育てるなど目まぐるしく働きますが、やがて家業は衰退。土地も家財も手放して広島市内の三滝町に転居し、そこで原爆を体験します。
彼女は命をとりとめたものの、夫の金助は翌年春に亡くなりました。

その後、スマは長男の位里と俊の夫妻に勧められ、絵を描きはじめます。
そして70歳を過ぎて初めて筆を執ったにもかかわらず、誰もが驚く天真爛漫な自然讃歌の作品を次々と生み出し、 女流画家協会展や院展に入選を重ねて一躍注目を集めるようになりました。
1956年に81歳で死去するまで、彼女の残した絵は実に700点を超えています。
今回の展覧会では、そのうち、代表作を中心に49点を紹介。3つの展示室を使って、それぞれ、「花」、「生きもの」そして「四季」というテーマに分けて展示しています。

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丸木美術館では、位里・俊の描いた《原爆の図》とともに、スマの絵も紹介し続けてきました。
まれに見る大災害や原発事故の続いた年の締めくくりにスマの展覧会を開催するのも、多くの人が傷つき、 苦しんだ今こそ、スマの見つめた生命のよろこびを観ていただきたいという思いからです。

スマの作品世界について、作家の水上勉は「誇張でなく哲学的で、一見童画風ながら、まったくちがう。 人生の苦惨を経た人の、無心な絵に心をうばわれた」と書いています。
大きな悲しみを経たからこそ、見えてくる世界がある。
どんな状況でも、希望を見失ってはならない。
スマの絵から見出せるユーモアやよろこびが、来る2012年に向けて、人びとの励みになることを願ってやみません。
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2011/12/22

美術館ニュース108号入稿  美術館ニュース

明日からはじまる「丸木スマ展」の展示作業と並行しながら進めていた美術館ニュースの編集作業がようやく終わりました。年末進行の慌ただしい入稿締め切りを過ぎてしまい、S印刷さんには迷惑をかけてしまいましたが、何とかインターネットで『丸木美術館ニュース』第107号の入稿を終えました。
ニュースの発送作業は年明けの1月7日(土)となります。ボランティア募集中です。

表紙の絵は、丸木スマの代表作《ひまわり》。
今年はいろいろと悲しい出来事が多くありましたが、来年は逆境に負けずに、明るい大輪の花を咲かせるような一年になって欲しいという願いを込めました。
ゴッホよりもスマさんのひまわりの方がいいという、アーサー・ビナードさんの文章も表紙に引用させて頂きました。

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丸木美術館ニュース第108号(発行部数2,500部)

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〈主な記事〉
肥田舜太郎さん講演報告 原爆から原発まで「内部被ばくの怖さ」 …… p.2
「フクギの雫」東京公演に感謝して (宜野座 映子) …… p.3
丸木美術館で平和のための博物館市民ネットワーク全国交流会を開催して (宮原 大輔) …… p.4
再現「原爆の図」室蘭巡回展のこと (北浦 晃) …… p.5
松戸市立博物館「松戸の美術100年史」展 丸木夫妻と松戸 (田中 典子) …… p.6
特別企画Chim↑Pom展「LEVEL 7 feat. 広島!!!!」報告 …… p.7
連載 丸木位里・丸木俊の時代〈第9回〉 丸木家の跡を訪ねて/浄国寺の《松》と《梅》 (岡村 幸宣) …… p.8,9
書評 小沢節子「第五福竜丸から『3.11』後へ」 (川口重雄)/栗田明子「海の向こうに本を届ける」(松木近司) …… p.10
丸木美術館情報ページ ……p.11
リレー・エッセイ 第40回 (池田龍雄) …… p.12
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2011/12/20

両岡健太個展「沈潜してゆく感覚」  他館企画など

Chim↑Pom展による嵐のような1週間は終わりましたが、展示の撤去作業や美術館ニュースの編集、次回企画展の準備などしばらく慌ただしい日々が続いています。

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さて、20日からは、銀座のNICHE GALLERYでは、画家の両岡健太くんの個展「沈潜してゆく感覚」が開かれています(27日まで、日曜休廊)。

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両岡くんは1981年埼玉県生まれ。多摩美術大学で日本画を専攻し、2004年に丸木美術館で学芸員実習をして以後、ボランティアとして美術館の仕事を手伝ってくれています。
岩絵具を用いながら、中世ヨーロッパ的な筆致で描かれる静謐な絵画は、観る者を深い思索に導く力を秘めています。近年では、色彩や構成を極限まで単純化した抽象性の強い作品に向かっているようです。

私も何とか時間を見つけて、会期中に銀座まで足を運びたいと思っています。
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2011/12/18

Chim↑Pom展最終日トークショー  イベント

大きな反響を呼んだChim↑Pom展もいよいよ最終日。
朝から大勢の来館者が途絶えず、丸木美術館は大混雑。とても12月の光景とは思えません。
週の後半からツィッターなどで情報が広がり、予想をはるかに超える大盛況となりました。
なんとこの日の有料入館者は200人を超え、招待客を含めると来館者は250人以上。
8月6日のひろしま忌よりも多くの方が集まったのですから、丸木美術館の歴史に残る“事件”と言えるでしょう。

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そんな展示会場の熱気を横目に、午前中、Chim↑Pomのメンバーは午後から行われるトークショーの準備を黙々と進めていました。

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この日の大きなニュースは、渋谷警察署から《LEVEL7 feat.『明日の神話』》の“本画”(実際に渋谷駅の壁画に付け足された作品)が返却されてきたこと。
“本画”には、壁の突起物(《明日の神話》を保護するアクリル板を抑える止め具)をやり過ごすための丸い穴が右上部に空いているのですね。

卯城くんの話では、渋谷警察署で“本画”を見たときには、裏面に指紋を採取するための黒い粉が全面的に付着していたそうです。彼はその生々しさを残しておきたかったために「絶対にそのままの状態で返して下さい」とお願いしたそうなのですが、実際に返却された作品は、「芸術作品ですから」と理解を示してくれた警察署の方々によって丁寧に拭きとられていたとのこと。
裏面がすっかりきれいになってしまったのは残念ですが、貴重な証拠品として、この日のトークショーでは舞台の背景に展示することになりました。

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森林公園駅から丸木美術館までお客さんを運んでくれたのは、“未来美術家”遠藤一郎くんの運転する「未来へ号」でした。
遠藤一郎くんは、黄色い車体に大きく“未来へ”という文字が描かれた車で生活をしながら全国各地をまわり、「GO FOR FUTURE」のメッセージを発信し続けている若手アーティスト。
この日はなんと、駅と美術館の間を15往復もしてくれたそうです。

彼は震災後に東北地方をまわって様々な支援活動をしているのですが、この日、最初に森林公園駅に着いた途端、一人のタクシー運転手が駆け寄って来たとのこと。実は運転手さんは南三陸町の方で、かの地で「未来へ号」の活動を目撃しており、偶然この日に再会したため、ひとこと御礼が言いたくて駆け寄ってきたのだそうです。
そんな素晴らしい巡り合わせも体験しながら、「未来へ号」は多くの来館者を丸木美術館から“未来へ”と運び続けてくれたのでした。

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その頃美術館の事務所では、Chim↑Pomメンバーの稲岡くんと、事務局のNさん、評議員のOさんが「鳥団子汁」の準備に奮闘中。
来館者の方々に温まってもらうため、そしてChim↑Pomの展覧会費用の赤字を少しでも埋めるために、急きょ「鳥団子汁」を販売することになったのです。
具だくさんで身体の芯から温まる鳥団子汁、おかげさまでたいへん好評だったようです。

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そんな熱気のなかで午後2時からはじまったトークショー。
展示作品の関係で広いホールは使用できず、70〜80人ほどで満員になってしまう小さなロビーで開催したのですが、ご覧のとおり、会場は人が入りきれないほどの超満員。

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第1部では、高円寺を中心に「原発やめろ」デモを企画している古着屋“素人の乱”の山下陽光くんと、「東京電力からお越しの」(卯城くんによる紹介)水野俊紀くんが出演しました。
水野くんはChim↑Pomのメンバーなのですが、この展覧会の資金を稼ぐために福島第一原発で働いていたのです。

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写真は左から司会の卯城くん、山下陽光くん、水野俊紀くん。
等身大の感覚からデモの可能性を若者たちに広めていった山下くんが、高円寺の歴史をひも解きながら3.11以後のデモの動きを軽妙な話術で語れば、絶妙のタイミングで背後の《明日の神話》の“本画”が落下するというハプニングもあり、会場は笑いの渦に。

一方、水野くんの原発労働現場での体験談は、多くの人が「危険」で「過酷」な報告を期待する雰囲気のなかで、「現場も落ち着いていて雰囲気は普通だった」「宿の食事は美味しくて肌つやが良くなった」「危険な思いをしたことは一度もなかった」「作業員は休日にパチンコ屋アトムに通うので、アトムは儲かっていた」……と、思わず脱力してしまうような平凡な日常の報告が続き、こちらも緩やかな笑いを誘っていました。

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第2部では、写真左から、司会を阿部謙一さん(「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」編集者)が務め、東琢磨さん(ライター。音楽・文化批評/ヒロシマ平和映画祭実行委員会事務局長)、山下裕二さん(美術史家、美術評論家、明治学院大学教授)とChim↑Pomの卯城くんが出演。
同じ広島出身の東さんと山下さんの間で、“広島”と“平和”に対する複雑な葛藤について批判的な議論が行われました。

そうした議論を聞きながら、今さらながら気づいたのは、Chim↑Pomと丸木夫妻の共通点がもうひとつあったということです。
それは、どちらも広島という都市に受け入れられなかった存在である、という点です。
Chim↑Pomは広島市現代美術館で個展をする予定であったけれども、「ピカッ」騒動によって中止に追い込まれ、その結果、丸木美術館にたどり着きました。
丸木夫妻も広島に《原爆の図》の美術館を作りたいと願いながら、(俊の回想によれば)市議会で否決され、埼玉県に自力で美術館を建設することになったのです。

両者の作品は、制作された時代も表現手法もまったく異なるものでありながら、(作者がそれを望んでいたかどうかはともかく)広島が求める“平和”のイメージの根幹を揺さぶってしまう、という点では、案外つながる部分があるのかも知れません。
この問題については、もう少し時間をかけて考え続けていきたいと思います。

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ともあれ、丸木美術館にとって非常に実験的な試みであったChim↑Pom展は、想像以上の大きな実りをもたらしてくれました。
長年友の会会員として丸木美術館の展示を見続けているMさんも、目を潤ませながら「こんな凄い企画をやるなんて……」と会場で声をかけて下さいました。
わずか1週間の会期に、2度足を運んで下さった方もいらっしゃいます。
吹雪のなか新潟から朝一番に車で駆けつけて下さった方、沖縄から東京出張のついでに来て下さった方、関西からこの展覧会を見るためにわざわざ東京に出張の足をのばして下さった新聞記者の方もいらっしゃいました。
本当に、皆さまに深く感謝いたします。
Chim↑Pomのメンバーから聞いた「これほど自分たちの思うように発表の場を与えてくれた美術館は初めてだった」という言葉も、たいへん嬉しく響きました。

Chim↑Pomが巻き起こしてくれたこの丸木美術館の新しい可能性を、ぜひ“未来へ”とつなげていかなければならないと痛感しながら、若いアーティストたちといっしょに、打ち上げの会に参加しました。
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2011/12/16

「Chim↑Pom展」最終日トークショーのお知らせ  イベント

現在開催中のChim↑Pom展「LEVEL 7 feat. 広島!!!!」。
新聞報道などの影響もあって、たいへん好評です。
閉館時間を過ぎても熱心に鑑賞している来館者の方々が目立ちます。
最終日の1月18日(日)のトークショーのご案内です。

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【第一部】
午後2時〜3時30分
出演:山下陽光(素人の乱)、Chim↑Pom、水野俊紀(東京電力)

※この展覧会は、Chim↑Pomのメンバーの水野俊紀くんが福島第一原発で働いたアルバイト代で成立しています。3.11以降の原発問題に対して、象徴的なアクションを起こした当事者たちによる座談会。あれから何が変わり、これからどうなるのか? 今年を振り返りながら未来を語り合います。

【第二部】
午後4時〜5時30分
出演:東琢磨(ライター。音楽・文化批評/ヒロシマ平和映画祭実行委員会事務局長)、山下裕二(美術史家、美術評論家、明治学院大学教授)
司会:阿部謙一(編集者。「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」編集者)
聞き手:Chim↑Pom

広島出身の文化系評論家2人による対談。広島の感情、これまでと今後、広島における文化の話などを通じ、今後の日本の被爆問題への展望を考えます。

森林公園から丸木美術館までの交通手段として、臨時送迎車(Chim↑Pomの友人アーティスト・遠藤一郎くんの「未来へ号」)が12時から第1部が始まる午後2時まで(ほぼ30分)と、トーク終了後ピストン運行する予定です(「未来へ号」はカンパ方式ですのでご利用の際はぜひ宜しくお願いいたします)。

多くの方の来場が予想され、椅子に限りのある小さな会場のために立見の可能性もありますが、興味深いトークショーになると思いますので、ぜひお越しください。
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2011/12/15

『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』  書籍

現在開催中の「Chim↑Pom展」を観る際に、ぜひお読み頂きたいのが『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(発行:無人島プロダクション、発売:河出書房新社、2009年)です。

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この書籍は、Chim↑Pomが広島のピカッ騒動を起こした際に発行されたもので、丸木美術館の針生一郎元館長の寄稿なども掲載されています。
とりわけ興味を惹かれるのは、ピカッ騒動の一報を受けたとき、丁度丸木美術館で《原爆の図》を観ていたという美術評論家の福住廉さんの文章(pp.146-155)。
Chim↑Pomの「ピカッ」作品を、丸木夫妻の《原爆の図》と比較しながらいち早く論じていて、今回の「Chim↑Pom展」を観る際に、非常に多くの示唆を受ける内容です。

福住さんは、両者の作品について、次のように比較します。

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かたや反核平和運動の象徴的作品であり、かたや新進気鋭のアーティストによるあまりにも無邪気なゲリラ・パフォーマンス。たしかに、双方を同列に並べて論じることには無理があるのかもしれません。なにより決定的に異なるのが、表現形式です。丸木位里・丸木俊が「平面」という二次元の支持体に「絵画」を描写したのだとすれば、Chim↑Pomは「大空」という広大な三次元の空間に「落書き」を描きつけたのでした。「絵画」が高尚で永遠の価値を志向するのにたいし、「落書き」はいずれ消し去られてしまう宿命を抱えています。

(中略)

「原爆の図」は全国各地をゆっくりと時間をかけて巡回していくことで、ついに国民的な被爆体験を形成することに貢献したといわれていますが、「ピカッ」はセンセーショナルなイメージだけが先行してしまい、どうやら瞬間的に消費されてしまったようです。公平で有益な議論のためには絶対欠かすことのできない「作品」にいたらなかったという点でも、「ピカッ」は「原爆の図」にとても及びません。

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その上で、両者に共通点がないわけではないとして、二つの理由をあげています。
第一に、「両者はともに被爆者ではないということ」。
第二に、「双方がともに原爆という主題に意欲的にアプローチしている点」。

詳しくは実際の文章をお読み頂くとして、福住さんは現代美術の抱える問題点として、次の点を指摘します。

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「原爆の図」が反核平和運動のうねりのなかで画風を徐々に変化させながら大衆に受容されていく一方で、その大衆性や叙情性を批判的に乗り越える芸術作品が登場したとはいえません。現代美術はわたしたちの文字どおり同時代の表現であるはずですが、その大半は物質やら視覚やらマチエールやらの些事に拘泥するばかりで、原爆や戦争、あるいは天皇制といった、わたしたちの「生」を根底で規定している政治的社会的テーマを、いまも昔も敬遠しているからです。「原爆の図」のほかに、とくに目ぼしい「原爆美術」の成果を残していないという意味で、日本の戦後美術はとてつもなく貧しいのです。

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そして、原発や「核の傘下」にもとづいている、いわば原爆を内面化している現代の社会をいかに視覚化することができるのか――それが事実の描写と平和への祈りによって成り立つ「原爆の図」には見出すことのできない今日的な課題ではないかというのです。

さらに、小沢節子さんの評論「『原爆の図』―描かれた〈記憶〉、語られた〈絵画〉」(2002年、岩波書店)で指摘されている、“「原爆」という誰も語りつくすことのできない出来事を、「誰にでも分かる」ように、そしてできるだけ多くの人びとに伝える”という困難な到達点を目ざしたという点では、丸木夫妻とChim↑Pomは同じである、と述べています。

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多くの現代美術がその表象不可能性を前にしてたじろぎ、だれにでも分かると同時にできるだけ多くの人びとに伝えるという条件をクリアできなかったことを考えれば、そうしたアートの歴史的経緯を尻目に、一気に原爆との距離を縮める鮮やかさは、Chim↑Pomならではの魅力だといえます。表象不可能性という限界点で長らく自転を繰り返してきた「原爆美術」に、Chim↑Pomはこれまでとまったく別の方向性を指し示したのではないでしょうか。

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という福住さんの結論には、そのまま、今回丸木美術館で開催された「Chim↑Pom展」の意味が凝縮されているような気がして、その先見の明に頭が下がります。

2011年の視点から付け加えるならば、丸木夫妻もChim↑Pomも、最初の原爆作品の発表によって物議を醸しながら、反響を受けとめ、人びととの対話を続けて、社会に向けてさらなる発表を続けていったという点も、共通しています。
そして原爆の先に、原発につきあたったという点も。

常設展示では丸木夫妻の《原爆の図》14部作を展示しているので、同時代の事件として原爆を「体験」した丸木夫妻と、原発事故を「体験」したChim↑Pomの、目まいのするような表現の落差のなかにひっそりとつながる問題意識に、目を凝らして頂きたいと思います。
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2011/12/14

『朝日新聞』夕刊「回顧2011美術」/目黒原爆展完全中止  掲載雑誌・新聞

2011年12月14日付『朝日新聞』夕刊の文化欄「回顧2011美術」欄に、丸木美術館で現在開催中のChim↑Pom展「LEVEL 7 feat. 広島!!!!」が、ベネツィア・ビエンナーレやヨコハマトリエンナーレといった大規模国際展、今年亡くなられた佐藤忠良の彫刻とともに写真入りで取り上げられました。
丸木美術館の展覧会が、日本全国で年間に行われた展覧会の回顧記事で紹介されるということは、これまでに一度もなかったことなので、たいへん嬉しいです。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201112160227.html

展覧会の初日に取材に駆けつけて下さったO編集委員による2011年を回顧する文章のなかには、以下のように紹介されています。

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今年、何かと目立ったのが、6人組の「Chim↑Pom」だろう。岡本太郎の壁画に原発事故を思わせる絵を付け足し、個展は4本。震災直後に福島第一原発近くに突入した映像作品などは一見無謀だが、差し障りのない表現にとどまらない迫力を見せた。18日までの丸木美術館での個展も充実、その問題意識が理解できる。

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原爆美術の代表作とも言える《原爆の図》を展示する丸木美術館にChim↑Pomの作品を取り上げることには賛否もあったのですが、しかし実際に展示してみると、両者の間に横たわる60年という歳月を対比する緊張感のある空間が成立していることに驚きます。

60年のあいだに芸術の手法や考え方は大きく変化したため、両者の表現の性質はかなり異なります。しかし、原爆という「表現不可能」な存在に対峙し、等身大のリアリティを追求しようという作家の熱い思いは、実はそれほど変わらないのではないかとも思います。

さまざまな偶然が重なったとはいえ、ヒロシマとフクシマがつながった特別な年に、原爆投下直後にヒロシマに足を踏み入れた丸木夫妻と、原発事故直後にフクシマに向かったChim↑Pomの作品が丸木美術館という空間で交錯したことは、やはり特別な意味があるのではないかという気がしてなりません。

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そして、今年一年を回顧する美術記事を読みながら、本来であれば、この場で取り上げられていたであろう展覧会を思わずにはいられません。
4月から目黒区美術館で開催予定だった「原爆を視る 1945-1970」展です。
東日本大震災・福島原発事故を受けて中止となったこの展覧会は、一度は来年度の開催を目ざしたものの、12月11日付『中国新聞』で、ついに完全中止という結末が報道されました。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201112110009.html

核をめぐる問題がこれほど注視された年に、よりによって原爆表現を歴史的に位置づける展覧会が中止に追い込まれたこと、そして代わりに引き受ける美術館も現時点であらわれていないという事実は、公立美術館が今日的な課題に向き合う意識を欠落させていることを露呈したようで、あまりにも口惜しく、残念です。
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2011/12/12

川越スカラ座『グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独』  川越スカラ座

休館日。「Chim↑Pom展」に没頭する1週間だったので、午前中に妻子と気分転換に川越スカラ座へ行き、『グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独』 (2009年、カナダ、監督:ミシェル・オゼ、ピーター・レイモント)を観ました。

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バッハの『ゴールドベルク変奏曲』の斬新な解釈と並外れた演奏技術で知られるピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)の実像を、未公開の映像や写真、音声、日記と彼を愛した女性たちの証言によってたどりなおすドキュメンタリ映画です。

真夏でも手袋とマフラーを手放さない、異様に低い椅子に座って歌いながら演奏する、1964年以降コンサートから引退してレコードだけを発表する……といった奇行のイメージや、ニューヨークフィルとの演奏会において指揮者のレナード・バーンスタインが演奏前に「私はこの(グールドの)解釈に賛成しているわけではない」とスピーチしたという話題が先行するグールドですが、楽曲を解体して斬新な発想で再構築してしまう独創性にはやはり圧倒されます。

芸術における“異端”とは何か……と考えつつ、どうしても思考は丸木夫妻とChim↑Pomという方向に向かってしまい、気分転換になったのか、ならなかったのか。
ともあれ、グールド好きにはお勧めの映画です。
川越スカラ座では12月26日まで上映中。
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2011/12/11

東松山CATVとの番組制作  TV・ラジオ放送

午後、東松山CATVのIさんが「Chim↑Pom展」取材のために来館されました。
地元のTV局としていつも取材してくれる東松山CATVですが、実は現在、ある計画が進行中。
この日は、その計画の打ち合わせも行いました。

来年度に向けて、東松山CATVが丸木美術館の紹介映像を作る、という計画です。
学校団体などの事前学習のために丸木美術館を紹介する映像が欲しいという希望は、以前からたびたび受けていました。
ただ、せっかく紹介映像を作るなら、後々まで使えるきちんとした映像を作りたい。
そう考えて東松山CATVに相談したところ、快く制作に協力して下さることになったのです。

現在の計画では、短時間で丸木美術館を学ぶことのできる15分程度の映像を1本制作し、そのほかに《原爆の図》や丸木夫妻、スマの絵画などを詳しくお伝えするテーマ別の映像(各15分)も数本制作する予定。つまり、用途に応じてさまざまなかたちで貸出ができる、ということです。
完成後は貸出だけでなく、東松山CATVでも連続番組として放送して下さる予定です。

撮影開始は年明から。それまでに番組内容を具体的に詰めていかなければなりません。
東松山CATVさんには、4月の映像完成(予定)まで、いろいろとお世話になりそうです。
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2011/12/10

Chim↑Pom展「LEVEL 7 feat. 広島!!!!」  特別企画

若手芸術家集団Chim↑Pomによる「LEVEL 7 feat. 広島!!!!」展が、いよいよ丸木美術館ではじまりました。
(12月18日まで、最終日午後1時よりトークイベントあり)

丸木美術館としては異例の午後5時オープニング。
前日から徹夜で(私も付き合いましたが)展示作業を続けていた彼らは、最後の最後まで仕上げにこだわり、午後5時きっかりに展示終了、同時に開場となりました。

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美術館の入り口には、彼らが用意した展覧会用のバナーが展示されています。
事故で大破した福島原発3号機の建屋にレッドカードを提示する建設作業員の写真。
実は、今回の展覧会の資金捻出のために福島原発事故現場でアルバイトをしたChim↑Pomのメンバーの一人が、作業の合間にこっそりセルフタイマーで撮影したものだそうです。
ちなみに、今回の展覧会は「supported by 東京電力」というコンセプトになっています。

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Chim↑Pom展の最初の展示室には、福島第一原発から30km地域周辺の植物を除染して制作した生け花作品《被曝花ハーモニー》が中央に展示されています。
Chim↑Pomとフラワーアーティスト柿崎順一さんとのコラボレーションです。

その背後、右側に見えるのが、《LEVEL7 feat.『明日の神話』》。
渋谷駅にある岡本太郎の巨大壁画《明日の神話》にChim↑Pomが追加した福島第一原発の爆発の絵です。実際に壁に掲示した絵は渋谷警察署に押収されたままだそうですが、展示している作品はその予備ヴァ―ジョン。映像作品と合わせて展示されています。

背後の左側に見えるのは、放射線の検出によって封鎖された福島の砂場に作った“サンドアート”を撮影した《Destiny Child》。子ども用防護服と防護メガネにスプレーのりを吹きつけ、砂をまぶして、砂場で遊ぶ子どもの姿を制作しています。

この展示室には、他にも被災地で拾った額に、被爆者団体代表の坪井直氏による《Never Give Up》の題字や被災地で出会った犬や牛の写真が飾られた作品が並んでいます。

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2つめの展示室には、福島県相馬市で出会った地元の若者たちとChim↑Pomのメンバーによる映像作品《気合い100連発》、そして原発事故からちょうど1ヵ月後に防護服を着て福島第一原発内展望台の登頂を目指す様子を収録した映像作品《REAL TIMES》が投影されています。展望台を登りきった彼らは、煙を噴き上げる原発を目撃し、白旗にスプレーで日章旗を描くと見せかけて放射能マークを描き、展望台に掲げます。

また、その防護服とガスマスクをカカシにして福島第一原発に最も近い畑に設置した写真作品《Without say GOOD BYE》も展示されています。

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最後の大展示室に展示されているのは、等身大の八羽の鶴の模型のまわりに折鶴を飾った《リアル千羽鶴》(写真左)と、広島の原爆の残り火「平和の火」を用いた絵画シリーズ《平和の日》(写真右)。
《平和の日》は、スーパーマーケットで集めたさまざまなデザインイメージを、高所から投げ込んだ一発の火によって焼き上げるというコンセプトの作品です。
11月30日夜に、丸木美術館近くの都幾川河川敷で燃やしたのは、この作品だったのです。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1766.html
こちらも映像作品とともに展示されています。

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《リアル千羽鶴》と反対側の壁には、広島の原爆ドームの上空に飛行機雲で「ピカッ」の文字を描く映像作品《広島の空をピカッとさせる》が投影されています。
Chim↑Pomが丸木美術館で個展を開催することになったきっかけともいえる作品です。

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こうした展示のスケール感は実際の会場でぜひ体験して頂きたいと思います。
オープニングに足を運んで下さった埼玉県内の某美術館の学芸員さんは、「今まで彼らのことをメディア情報の先入観でしか見ていなかったけれども、現代美術家として“凄い”と今日初めて知った。ひさびさの興奮を味わった」と絶賛して下さいました。
実は私も、この1週間ほどChim↑Pomと関わりながら、彼らの芸術に対する真摯な姿勢に、ずっと心を打たれていました。

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オープニングの際、あるTV局(この日はメディアの取材が非常に多く、中にはスイスのTV局の姿もありました)のインタビューに応えていた彼らを見ていて、「何を作るかは会議で決める。1人がやりたいんじゃなくて、6人全員がやりたいと思ったときに動き出す」という趣旨の発言に興味を惹かれました。
リーダーの卯城くんの説明によれば、「6人全員が良いと思うようなアイディアか、あるいは1人のアイディアでも他のメンバーに『やろう!』と思わせるような力がなければ、社会に通用する作品にはならない」というのです。
唯一の女性メンバーであるエリイちゃんは「6人いればもう社会だからね」という示唆に富んだ発言をしていました。

そうした言葉を聞きながら、ふと丸木夫妻の共同制作を思い出しました。
丸木夫妻も、おそらく1人で原爆に対峙していたら、《原爆の図》のような奥行きの深い作品にはならなかったでしょう。2人の異なる個性を持った画家の共同制作だったからこそ、個人の思想や好みに偏らずに、無数の被爆者の記憶の受けとめる作品が描けたのです。
共同制作だからこそ(個人の内面表現ではなく)社会に向かって開かれていくというのは、案外見逃してはならない重要な問題のような気がします。

両者に違いがあるとすれば、丸木夫妻は独立した2人の画家同士の共同制作であるのに対し、Chim↑Pomはバンドのような存在であるということでしょうか。
理論的支柱のリーダーが存在して、華のあるヴォーカルがいる。そしてイメージを具現化できる凄い演奏技術を持ったメンバーもそろっている。なんだかそんなイメージです。

もちろん、丸木夫妻が「傷つけられた人の痛み」を一貫して見つめながら制作していたのに対し、Chim↑Pomは「ちょっと真面目、でもちょっとふざけてる」という軽やかな毒とユーモアによる“Chim↑Pomらしさ”にこだわっている点は大きく違います。
しかし、それはそれぞれが背負っている時代の違いでもあるのでしょう。

Chim↑Pomはこれからも賛否両論を巻き起こしながら、人びとの心をさまざまな意味で揺さぶり続け、世界的に活躍の場を広げていくのだと思います。
個人的には、いつか彼らは、21世紀初頭の日本を代表する重要な芸術集団として、歴史に位置づけられるような気がしてなりません。
そのとき、「彼らが初めて美術館で個展をやったのは、原爆の図丸木美術館だった」と記憶してもらえるとしたら、担当した学芸員としてはとても嬉しいです。

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この日は午後6時半から、音楽プロデューサーの小林武史さんがゲストとして登場し、Chim↑Pomの作品《ピースが壊れた》(一説には《建屋が壊れた》ではないかとも……)のなかで素晴しいライヴ演奏をして下さいました。

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天井には仮設スクリーンが設置され、Chim↑Pomの制作による映像が投影されて、光と音の鮮やかなコラボレーションとなりました。

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参加者は約120名。冬の夜という悪条件にもかかわらず、丸木美術館としてはとても画期的な試みに大勢の方が足を運んでくださいました。
お世話になった皆さまに、心から御礼を申し上げます。
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2011/12/9

Chim↑Pom展開幕前夜  企画展

12月10日(土)にオープニングを迎えるChim↑Pom展「LEVEL 7 feat. 広島!!!!」のため、今週は毎日夜遅くまで展示作業が続いています。
懸命に作業に打ち込んでいるChim↑Pomのメンバーとアシスタントの若者たちの姿は、なかなか感動的。
丸木美術館で行われる企画展示としては、空前のスケールになりそうです。

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今回のChim↑Pom展は、これまで彼らが発表してきた原爆と原発をテーマにした平面、映像、インスタレーションなどの作品の集大成となります。
広島の空に飛行機雲で「ピカッ」という文字を書いたり、岡本太郎の壁画《明日の神話》に福島原発事故の絵を描き足したり、さまざまな物議を醸した作品もあるのですが、それらが“原爆”や“原発”を表現するという点で成功しているのかと問われると、私にはまだ判断できません。
彼らが現在表現している、そしてこれから表現していく作品を見続けながら、いっしょに考えていくことしかできないような気がします。

ただ、私の印象に深く残っているのは、はじめてリーダーの卯城くんが丸木美術館を訪れたとき、決して現在の美術史の本流として評価されているとはいえない《原爆の図》や丸木位里の水墨作品を観て、その「凄さ」を思いのほか適確に評価したことです。
あ、彼らは丸木夫妻のような表現もちゃんとわかる人なんだ、その上で自分たちなりのリアリティで原爆を捉えようとしているんだと、そのとき信頼できるように思えてきたのです。

丸木美術館の企画展で《原爆の図》に対峙するのは、実はなかなかたいへんなことです。
ちょっとやそっとの表現力では、《原爆の図》の迫力に圧倒されてしまいます。
Chim↑Pomの破天荒なエネルギー、そして軽やかな明るさが、この美術館の空間でどのように受けとめられるのか。
明日午後5時の開場を楽しみに待ちたいとおもいます。

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明日は午後3時30分から30分間隔で、森林公園駅南口と丸木美術館を往復する臨時バスが運行される予定です。
オープニングイベントとして、音楽プロデューサーの小林武史さんがChim↑Pomの作品のなかでライブ演奏をするというコラボレーション企画も行われます。
丸木美術館隣の野木庵では、深川めしなどを用意した飲食店が特別出店されます。
午後5時以後のイベントに参加する方の入館料は1000円となります。
館内は冷え込むことが予想されますので、暖かい服装でご来館下さい。
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