2011/11/23

【名古屋の旅】三岸節子美術館/名古屋市美術館「中村正義展」  調査・旅行・出張

祝日でしたが丸木美術館の休みをもらって、愛知県へ一日旅行に行ってきました。

午前中は、一宮市立三岸節子記念美術館へ。
これまで、日本近現代の「女流画家」を継続的に企画展に取り上げているこの美術館では、来年10月から11月にかけて「丸木俊展」の開催を予定しています。
担当学芸員のSさんが一宮駅まで車で迎えに来て下さり、ところどころ織物工場が見える街のなかを通って、やはり織物工場だったという三岸節子の生家跡に13年前に建てられた美術館に到着しました。

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建物は、織物工場の特徴である三角形の鋸屋根をモチーフにしています。
入口には、三岸節子のブロンズ像も立っています。

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三岸節子は1905年1月生まれ。女子美術学校(現在の女子美術大学)を首席で卒業した後、19歳で画家の三岸好太郎と結婚。好太郎は10年ほどで死去しますが、その後も彼女は子育てをしながら精力的に油彩画の発表を続け、色彩鮮やかな力強い作風で「女流画家」の代表的存在として20世紀を駆け抜けました。
美術館開館の半年後、1999年4月に神奈川県の大磯で亡くなっています。

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美術館の別棟は、現存する土蔵を生かし、アトリエを復元した小展示室になっています。
節子が生まれた吉田家はかなり富裕な家だったようですが、彼女が15歳のとき、第1次世界大戦後の不況の影響で破産してしまったそうです。
現在の土地は、市が買い戻して美術館にしたとのこと。

館内は1階が三岸節子の油彩画を並べた常設展示室。2階が企画展用の展示室という具合に分かれています。
常設展示室では、現在、「三岸節子 風景画家として―滞欧期―」と題し、25点の油彩画を展示中(1月22日まで)。80歳を過ぎた晩年の作品も多かったのですが、さすがに見応えがあり、あらためて画家としての力量の確かさを感じました。

2階の企画展示では、「佐分眞展 ―洋画界を疾走した伝説の画家―」を開催中。この日が最終日ということもあって、多くの来場者の姿がありました。

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6代目一宮町長の息子として名古屋に生まれた油彩画家、佐分眞(さぶり・まこと 1898-1936)の画業を紹介する展覧会です。
佐分は東京美術学校(現・東京藝術大学)で藤島武二に師事し、パリにも留学、帝展で3度特選に選ばれるなど画壇のエリートコースを歩んだものの、1935年の帝展改組の処遇に失望し、38歳でみずから命を絶ってしまったそうです。
油彩画49点、水彩・素描画29点の作品からは、彼がヨーロッパで多くの画家の作風を熱心に研究し、確かな技術で制作に生かしていたことが伝わってきます。

来年の今頃には丸木俊の作品がこの展示室に紹介されるということで、とても楽しみです。
丸木俊にとっては、公立美術館で開催される初めての単独回顧展となります。

   *   *   *

午後からは、名古屋市白川公園内の名古屋市立美術館へ行きました。

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現在開催中の企画展は「日本画壇の風雲児 中村正義 新たなる全貌」展(12月25日まで)。
愛知県豊橋市出身で、36歳で日展審査員に選ばれながら翌年日展から脱退し、日本画の革新運動に身を投じた中村正義(1924-1977)の画業を、230点を超える作品数で回顧するという非常に充実した展覧会でした。

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実は丸木美術館でも2009年の秋に「中村正義展」を開催しています。
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2009/2009masayoshi.htm
そのときも見応えのある内容になり、また、川崎市の「中村正義の美術館」の企画展にもたびたび訪れて作品の迫力に心を打たれていたのですが、今回の企画は重要な作品をすべて網羅した圧倒的迫力の“決定版”ともいうべき展覧会。
2012年2月19日から4月1日まで練馬区美術館にも巡回する予定なのですが、名古屋でしか展示されない作品もあり、「中村正義の美術館」館長の中村倫子さんから「ぜひ名古屋の展覧会を観て欲しい」とのお誘いを頂いていたのです。

この日は午後2時から、倫子さんと映画監督の武重邦夫さんの記念対談「父をめぐる旅―異才の日本画家・中村正義の生涯」が行われました。司会は企画担当の山田諭学芸員です。

武重監督は、現在、中村正義の娘である倫子さんが、父を知る人や作品をたどる旅をする過程を取り上げたドキュメンタリ映画『父をめぐる旅』を撮影中なのです(2012年春公開予定)。



記念対談では、正義と親交のあった今村昌平監督のもとで助監督をしていた武重さんの正義との出会いや思い出、そして今回の映画撮影におけるエピソード、あまり聞く機会のない倫子さんと父・正義との関係など、貴重なお話をたくさん伺うことができました。

司会の山田学芸員のお話でとても心に残ったのは、芸術家にしては珍しく商才にも長けていた(実家がこんにゃく問屋だった影響なのか)正義が、不動産や作品売買で作った資金を、若手作家の育成や展覧会の開催などに惜しげもなく注いでいたという話でした。
作家を育て、美術館を育て、画廊を育て、観客を育てる。
日展脱退後の正義は、上(権力者)からの視点ではなく、下(市民)からの視点で「日本の文化をどう作っていくか」という課題に一貫して取り組んでいた、というのです。
だからこそ江戸の町人文化としての浮世絵に関心を抱き、とりわけ、大胆な表現が異端視されたという写楽に自身を重ねて作品研究に没頭していったのでしょう。

対談の後には、倫子さん、武重監督、山田学芸員や映画撮影スタッフの皆さんといっしょにお茶を飲みながら雑談。皆さんの正義に対する熱意に圧倒されながら、楽しい時間を過ごしました。

展覧会も映画も非常に見応えがあるので、ぜひ多くの方にご覧いただき、中村正義の作品が放つ凄みを感じていただきたいと思います。
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