2011/11/5

KEN 崔善愛ピアノソロ「Piano, my Identity」  他館企画など

夕方から、粟津ケンさんの主宰する三軒茶屋のスペースKENで開催された崔善愛ピアノソロ「Piano, my Identity」に行きました。

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ピアニストの崔善愛(チェ・ソンエ)さんは、日本で生まれ育った在日韓国人三世。
21歳のとき「外国人登録」の指紋押捺を拒否し、アメリカに留学する際に日本の特別永住権を剥奪されました。その後20年間にわたって裁判で争い続け、1999年に国会参議院審議に参考人として招致され、翌年に特別永住権を原状回復しています。
アメリカ留学中に『ショパンの手紙』という書籍に出会ったことから、強国の侵略によって祖国ポーランドを失ったショパンの心情を知り、自身の生き方と重ね合わせながら表現活動を続けてきたとのこと。粟津ケンさんとは25年前からのお知り合いだそうです。
「自分の国」を問い続けて』(岩波ブックレット)、『父とショパン』(影書房)、『ショパン 花束の中に隠された大砲』(岩波ジュニア新書)といった著書も執筆されています。

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ワルシャワ時代の記念碑的作品「ピアノ協奏曲第1番」ではじまったコンサートは、若き日のショパンが祖国を離れる直前に悩み苦しんだ心境を崔さんが詳細に解説しながら曲を奏でるという、非常に興味深い内容でした。

祖国に残って友人たちとともに独立運動に参加するべきか、二度と帰国できないことを覚悟つつ音楽活動のために外国へ旅立つべきかと悩み、引き裂かれるような思いで国を離れることを決意したショパンがウィーンに到着したわずか1週間後、ワルシャワではロシアの統治に対する武装蜂起が起こります。
「武器をもって闘うことだけが国に尽くすことではない。音楽をもってポーランドの悲劇を世界中に響かせる使命を忘れてはならない」という友人の言葉もあって、ショパンは暴れ狂った気持ちをぶつけるように作曲に向かったそうです。
そうした解説を聞いた後で、“外国の侵略を受け続けたポーランドの歴史絵巻を見るような”と崔さんが評する壮大な叙事詩「バラード第1番」や、喪失感に打ちのめされたような「ノクターン 嬰ハ短調・遺作」などの演奏を聴くと、“ピアノの詩人”という華麗なイメージの強いショパンが、いかに祖国独立への情熱や亡命者の悲しみを抱えて“闘っていた”のかを考えさせられます。

崔さんが、「音楽は国境を越えるとか、音楽家はコスモポリタンであるという言葉を聞くと、幸せな環境にいる人だとしか思えない。ショパンでさえ国家に翻弄され、自由に国境を越えることはできなかった」と発言されていたことが、とても心に残りました。

人間が自由に生き、表現活動を行うことは、本当に大切だと思います。
しかし、厳しく抑圧された環境から生み出される優れた芸術もあります。
ショパンがマズルカやポロネーズといった民俗舞曲を曲のなかに取り込んでいったのも、祖国の文化が抑圧されていたことと深く関係しています。
日本でも、戦争によって自由な表現活動を行えなかった時代に、松本竣介や靉光といった画家たちが不安と緊張感にあふれた鋭い作品を残しています。
丸木夫妻の《原爆の図》も、初期の作品は米軍占領下の時代に描かれており、検閲によって原爆の記憶が奪われていくことへの抵抗の気持ちがあったはずです。

悲しみや痛みから生まれた表現に触れ、心を動かされ、今まで自分が見てきた世界を、まったく違う視点からとらえかえす。芸術にはそうした変化を生みだす可能性があるのだと、あらためて感じることのできた貴重な体験でした。

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KENでの崔さんのコンサートは、11月26日(土)、12月3日(土)にも開催されます。
各回2,500円、予約の方は2,000円。
時間はいずれも午後4時半開場、午後5時開演とのことです。
http://www.kenawazu.com/event.html#che
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2011/11/4

第34回日本スリーデーマーチ  イベント

今年も11月4日から地元の東松山市で第34回日本スリーデーマーチがはじまりました。
初日のコースは丸木美術館の前を通るので、毎年恒例のリンゴジュースを販売しました。

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天候に恵まれ、暖かい一日となったので、ジュースの売り上げも好調だったようです。ボランティアでときがわ町のS木(E子)さん、川越のS木(N子)さんが手伝いに来て下さいました。

珈琲や黒糖チャイ、たいやき、大学芋、みそおでん、インドネシア雑貨の出店などもならび、とても賑わっていましたが、スリーデーマーチの参加者は例年より少なかったように感じました。

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この日は県内のA女子学園中学校が団体で来館。午前と午後の2度に分けて館内の説明を行いました。
スリーデーマーチの参加者とまざって混乱するのではないかと少々心配していたのですが、うまく時間をずらして下さったので、とても助かりました。
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2011/11/3

室蘭「再現原爆の図展」報告  館外展・関連企画

10月28日から30日まで、室蘭市民美術館で60年ぶりに開催された「再現 原爆の図展」の報告をO館長から頂きました。

わずか3日間の会期でしたが、来館者は1,034人を数え、O館長によれば「初日解説には、開館時間早々に50名の来館者があり美術館オープン以来はじめて」とのことです。
それだけ室蘭の方々が熱意を持って展覧会の開催に取り組んでいたのでしょう。

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展覧会の記事は『北海道新聞』と『室蘭民報』に2回、『読売新聞』の地方版にも掲載されました。展覧会の開催に尽力された画家の北浦晃さんは、10月29日付『室蘭民報』に次のように寄稿されています。

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 今から60年前の1951年から翌年にかけて、北海道内35カ所で、丸木位里・俊夫妻共同制作の「原爆の図」巡回展が開催され、当室蘭市がその皮切りでした。しかし、まだ米軍による占領下で、原爆による被害状況は一切報道されていなかったため、この巡回展の記録も公には残っていなくて、右記のようなことがわかったのは、つい昨年のことでした。
 現在、作品を収蔵・展示している「原爆の図丸木美術館」(埼玉県東松山市)でも、北海道の巡回展は、室蘭市、旭川市、秩父別村(当時、俊の出生地)、札幌市、函館市が記録されていただけで、室蘭市については日時も会場も判っていませんでした。
室蘭については、中島本町の広田義治さんの貴重な記録によって、巡回展開催の経緯が判ってくるにつれ、当時の困難な状況の中で展覧会開催の実現に奔走された人びとの心情を思い、丁度60周年に当たるこの時期に「再現展」が企画されたのです。アメリカの大統領でさえ、核兵器の廃絶に言及する時代に、日本人の中からは原爆の記憶が薄れてきていることへの危惧もありました。


(後略)

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10月27日付『北海道新聞』には、広田義治さんの「当時は広島や長崎の状況は一切伏せられ、状況が分からなかった。絵を見たときは驚いたなんてもんじゃなかった」「開催に奔走し今は亡くなった当時の文学青年たちに見せてあげたかった」というコメントも掲載されていました。

企画に関わる方々の思い入れの強さが、展覧会の成功につながるということを、つくづくと考えさせられた今回の室蘭展。
素晴しい展覧会を作り上げた室蘭の皆さんに、大きな拍手を送りたいと思います。
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2011/11/2

粟津美穂さん『ディープ・ブルー』  書籍

午後、粟津ケンさんがお母様とお姉様を連れて丸木美術館に来館して下さいました。
お二人とも丸木美術館へは初めての来館とのことです。
お姉様の粟津美穂さんは、アメリカでソーシャルワーカーの仕事をされており、今回は2週間ほどの帰国のさなかに、わざわざ丸木美術館を訪ねて下さったのです。

実は、美穂さんは中村正義の美術館館長の中村倫子さんと小学校・中学校の同級生。
お二人の父君である「粟津潔」と「中村正義」が出会ったのは、なんと小学校の授業参観だというから、想像するとすごい光景です。

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美穂さんは『ディープ・ブルー 虐待を受けた子どもたちの成長と困難の記録 アメリカの児童保護ソーシャルワーク』(太郎次郎社エディタス、2006年)という本を出版されており、私も中村倫子さんに勧められて拝読していました。

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 たとえば、七歳の子どもは夜、眠りにつくまえに何を心配するだろうか。
「もう三日も何も食べていないけど、明日は何か食べものにありつけるかな」
「今夜も母さんが家にいないけど、麻薬をやりすぎて、外で死んでやしないだろうか」
「どうか今夜は、義理の父さんがあたしのベッドに入ってきませんように」

 アメリカでソーシャルワーカーとして仕事を始めてから、十三年がたった。何百人という子どもたちに出会い、彼らとかかわって仕事をし、彼らの多くが若者へ、大人へと成長していった。そして何年も、普通の子どもたちには考えもおよばないような心配事をしながら、毎日眠りについて育ったことを、私は知った。


 (中略)

 この本は、虐待を受け、親から離されて育った子どもたちの成長と、そして、彼らが大人になっていく過程で遭遇する、あらゆる決別と出会いと困難を描いたものだ。

 (「序 虐待から逃れた子どもたちと」より)

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米国の児童虐待の現場の生々しい現実を、鋭く硬質な筆致で描いたノンフィクション。
暴力が暴力を生みだす負の連鎖のなかで傷つけられた子どもたちを家庭から救い出し、成長の手助けをするソーシャルワークの実例を、感情に寄りかかることなく、理性的に報告しています。
それぞれの章末では、米国・児童保護施策の歴史や、貧困、依存症、ドメスティック・バイオレンスと子ども虐待との密接な関わりなども丁寧に解説されているので、私のように児童虐待について詳しくない者にもよくわかります。

“社会派”という言葉でまとめてしまって良いのかどうか、米軍基地のため漁場を奪われた漁民たちの反対闘争ポスター『海を返せ』(1950年)など数々の先鋭的なデザインの仕事を残した粟津潔さんの精神の根底に流れているものを、美穂さんも受け継いでいらっしゃるのだろうと、読み進めながら心を打たれました。

美穂さんは、日本とアメリカの虐待児童を表現活動でつなげていくようなプロジェクトを考えていらっしゃるとのこと。今後の活動にも注目していきたいと思います。
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