2011/9/29

「原発やめよ」の旗/山本寛斎さん「天灯」  作品・資料

3月11日の福島第一原発事故以後、都内の反原発デモなどでたびたび丸木美術館の旗が掲げられています。

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この写真は、9月19日に明治公園で開催された「さようなら原発5万人集会」の様子(写真提供:小寺理事長)。
長年使いこまれた旗なので、色合いもかなり古びているのですが、それがかえってよく目立つ(?)と評判のようです。
実はこの旗、1989年頃に位里さんが字、俊さんが絵を描いた直筆の“作品”なのです。

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「原発やめよ 命が大事」
赤ん坊からお年寄りまで、さまざまな年齢層の人びとを中心に、鳥、魚、猫などの生きものたち、そして星と太陽が力強い筆で描かれています。

原爆の惨状を描き、生涯かけて反戦平和の姿勢を貫いたことで知られる丸木夫妻ですが、1980年代はじめ頃から、いち早く原発の危険性を訴え、反対運動にも積極的に参加していました。
旗とともに原発に反対する丸木夫妻の思いも美術館に関わる人びとに受け継がれ、今も重要な機会には直筆の“作品”が登場する、というわけです。

現在、丸木美術館の新館ロビーでは、その「原発やめよ」の旗を中心に、1980年代の『丸木美術館ニュース』に掲載された俊さんの文章や、当時北海道知事だった横路孝弘さんとの往復書簡、そして3月11日以後、丸木夫妻の思いにあらためて注目した新聞記事などを展示した小特集コーナーを設けています。

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原爆の放射能と原発の放射能は同じものなのであります。チェルノブイリ、スリーマイル島の事故のひどさについては、伝えられておりますようによくわかっております通りでございます。この次の事故は日本であると語られております。三十三基のうちどれかであるということになります。チェルノブイリクラスの事故の時は日本列島、太平洋の島島、隣接する国々へと放射能はひろがって行きます。
 (1987年10月1日『丸木美術館ニュース』第25号、横路知事への書簡)

止まれ、止まれ、原発止まれ。止まれと叫んでも止まらない。追跡しても止まらない。
「必ず大事故が起きるよ。その時に止まるよ」
位里は平気でそんな事を言う。事故が起きたら大変なのよ。といいながら、心細くなってくる。
日本列島三十八基の原発。いつ事故が起きても不思議はない状態だと言う。
止められなかったとしても、「止めよ」といって行動を起こさねばならない。放射能に包まれて死ぬかもしれないから、行動を起こしても起こさなくても死ぬのなら、結構でございます、と肯定した姿では死ねないのです。

 (1989年6月20日『丸木美術館ニュース』特別号)

原発を建てるものたちは強大な権力と金にもの言わせているに違いない。
反対するものは、生活に追われながらの闘いであるに違いないのです。
どこか遠くに住んでる者が投資して、それが利益を手にするのでしょう。原発で働く労働者や近くに住んでいる人たちの災害は目に見えているのです。

 (1989年7月28日『丸木美術館ニュース』第33号)

当時の俊さんの言葉を読み返すと、今回の福島の原発事故をまるで予見していたかのような表現が何度も目にとまります。
展示を見て驚いた方が、たびたび「コピーを下さい!」と声をかけて下さいます。
資料のコピーは、希望者の方に美術館受付で頒布しています。

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2011年9月24日付『東京新聞』に、ファッションデザイナーの山本寛斎さんが震災の犠牲者を追悼する紙風船の灯ろうを夜空に飛ばす「天灯」のイベントを福島県相馬市で行ったという記事が掲載されていました。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2011092402000066.html

以下は、記事からの一部抜粋。

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「千個の灯籠が浮かび上がった天灯終了後、遺族や被災者の方々が次々に私に駆け寄り『寛斎さん、よくやってくれた』と握手を求めてきた」と山本さん。「これまでの『私の世界をお見せする』というイベントとは違う、初の鎮魂イベントだったが、私も感情が高ぶって涙がポロポロこぼれた。やってよかった」
 震災当日、山本さんは都内の事務所にいた。「被災地の映像にぼうぜん自失。数日後、弟で俳優の伊勢谷友介がおにぎりを持って東北に行ったと聞き、『私には何ができるか。私にしかできないことは何か』と考えた」
 地震と津波は想像できるが、放射能の被害はどんなものか分からない。「それなら、過去の事故現場を見てみよう」と、チェルノブイリ原発に向かった。
 「周辺住民には甲状腺がんの手術跡なのか、首に傷痕がある人が多かった。旧ソ連時代だったので、軽装備で事故対応して犠牲となった多くの人たちのことも知った。福島の人たちがどうなるのか、心配になった」
 四月には被災地の相馬市へ。山本さんは同市と縁が深い。一九九三年にモスクワの「赤の広場」で行われた山本さん企画の文化交流イベント「ハロー! ロシア」に、同市の神事「相馬野馬追い」の騎馬武者が参加。観衆十二万人の大成功を収めた。それ以来の交流が続いている。
 「横転した車がそのまま残り、がれきだらけの海岸を歩いた。避難所も十カ所ほど回ったが、会えた友人はたった二人。行方が分からず、会えない友人ばかりだった」
 同市の死者数は四百五十人以上。原発事故の余波もあって、復興もままならない。そんな現実に、山本さんは「せめてもの鎮魂に灯籠流しをやろう。でも、川ではなく、夜空に灯籠を飛ばそう。被災者が上を向いて、前に進めるように」と心に誓った。


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このイベントは、スマトラ沖地震津波の被害を受けたインドネシアと、チェルノブイリ原発事故のあったウクライナでも開催され、「痛みを共有できる」3つの国の人びとがつながり、新たな交流も生まれているそうです。

山本寛斎さんは、震災直後の3月20日に丸木美術館においで下さっています。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1574.html
そのときに、「これから何ができるか、自分のできることを考えていきたい」とおっしゃっていましたが、そのひとつがこのようなかたちで実現したのかと、嬉しい思いをかみしめました。

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今回発行する『丸木美術館ニュース』第107号には、武蔵野美術大学の石黒敦彦さんが「3.11以降のアートとアトム」シンポジウム報告記事のなかで、「原子力を基幹とする文明は、そのエネルギーの性質から、中央集権、巨大科学による管理、秘密軍事体制、言論操作など、民主主義とは相対する世界を招来する」と印象的なことを書かれていました。
丸木夫妻や山本寛斎さんの活動を思いながら、「原子力を基幹とする文明は、芸術文化とも、人間が人間らしく生きることのできる世界とも相対する」と感じるこの頃です。
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