2011/9/23

「大道あや展」アーサー・ビナードさん&小沢節子さん講演  イベント

追悼 大道あや展」の関連企画として、詩人のアーサー・ビナードさんと、近現代史研究者の小沢節子さんをお迎えして、講演会を開催しました。大道あやの大きな絵がずらりと並んだ会場には約100人の方が集まり、とても内容の深い講演会になりました。

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ビナードさんは、日本語を学びはじめた頃から大道あやの絵本のファンだったそうです。
「スマの娘や位里の妹という見方では、あやさんの本質は語れないから、本当は比べたくない」と前置きしつつ、「驚くべき才能を開花させた世界でもまれな芸術一家の一員である以上、比較は避けられない運命」として、「束ねないで、違いをあぶり出すことで意味のある明確な対比ができる」と、スマの絵や《原爆の図》と比較しながら話して下さいました。

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「ぼくにとっては世界一の画家。モネと比べたらモネがかわいそう」とスマを評価するビナードさんは、「スマさんは、描く対象とのあいだに距離がなく、同じ生きもの同士として描いている」のに対し、「あやさんは同じ動植物を描いているけど、仲間としていっしょになるわけではない。すさまじい集中力と観察力で科学的な分析をしている“プロ”の意識を持った画家」と違いを語ります。

また、原爆の実体験を持ち、「あれは絵だから」と《原爆の図》に対して批判的だったあやを、「《原爆の図》はたんなる実体験を伝えるために描いた絵じゃない。もっと広い時空をとらえて、見る者を見返し、包み込み、見る者を変えていく“装置”として描かれている。あやさんの言葉は当たっているところもあるが、違う次元で論じていて、ズレているところもある」と鋭く指摘し、あやが90歳を過ぎて描いた絵本『ヒロシマに原爆が落とされたとき』(2002年、ポプラ社)については、「《原爆の図》とは見る者の巻き込み方が違う、一般市民の原爆の絵に入る作品。あやさん自身、《軍鶏》のような美術家として描いた絵とは違い、体験者として表現する義務を帯びて描いている」と話していました。

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また、ここ数年、大道あやの作品世界を深く掘り下げ、興味深い論考の発表を続けている小沢節子さんは、あやの波乱万丈の生涯を丹念に振り返りながら、作品世界とのつながりを解きほぐしていきました。

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「描くのがつろうてつろうてしょうがない」としばしば語っていたあやの苦しみについて、小沢さんは「スマ、位里、俊の三人を追いかけて画家を目ざした人生の道すじと深く関わっている」と考えます。
「スマさんの死後、いち早くスマさんを継ぐ者として“丸木”姓を名乗る意思表明をした俊さんに対し、あやさんには娘の自分こそが母の後を継ぐという意識があったのかも知れない。その証拠に、あやさんは母の出品した展覧会(院展、女流美術展)を追いかけて出品している。美術という制度のなかで、母や兄嫁のように展覧会に入選して社会的評価を得たいという極めて近代的な自意識を最初から抱えていた彼女は、比較される運命に一番苦しんでいたのではないか」という分析は非常に鋭いものでした。

また、あやが55年ぶりに原爆と向き合った絵本『ヒロシマに原爆が落とされたとき』については、ビナードさんと同じく「絵本作家ではなく、一人の被爆者として描いた」としながらも、「描いた9枚の絵のほとんどが位里さん、俊さん、スマさんの表現に重なる。あやさんは自分は本当の原爆を見たという自負から《原爆の図》を批判し、真実の記憶を描くつもりで絵本に取り組んだはずだが、それは現在の時点からの上書きされた記憶であり、家族の記憶が混然一体となっていたのではないか。過去の歴史は複数の記憶の相互作用から生まれてくるもの」と興味深い指摘をしていました。

「原爆であれ、今回の震災津波であれ、体験の中心にいるのは死者・犠牲者であり、あやさんの言葉でいえば『生きたまま死んでいった』人の体験は誰も語ることができない、というのが、爆心地の絵を途中で塗り潰したあやさんの思いではなかったか。本当の体験を語ることのできない苦しみは、表現の苦しみそのものを知っていたあやさんには、人一倍感じられたのだろう。原爆を描く作品は、そもそも完成しないものかも知れない」
《原爆の図》や被爆市民の絵画を長年研究してきた小沢さんの分析は、たんにあや作品の世界にとどまらず、“原爆の記憶を表現すること”そのものの奥に深く踏み込んでいき、本当に考えさせられるものでした。

「あやさんにとっても、描くことが苦しいだけではなかったはず。自由や解放感、救いなどの思いも、絵から感じ取れるのでないか」という言葉に、現在のこの時代に大道あやの絵を見つめ直すことの意味を、あらためて噛みしめました。

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講演のあとには、会場からの質問を交えながら、お二人の対談が行われました。
広島から駆け付けてくださった、お孫さんの大道眞由美さんも挨拶をして下さいました。

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背後にある《軍鶏》の絵について、「あやさんは美容師としての眼で、一番いい髪型ならぬ“羽型”で軍鶏を描いている。この絵は自画像? いや、あやさんの理想の男性のタイプを描いていたのかも知れない!」と声をあげるビナードさん。
「スマとの比較さんだけではなく、あやさんと俊さんの絵本の対比もしてみたい」という小沢さんの提案に、ビナードさんが「俊―紫式部、あや―清少納言」という珍説を思いつくなど、会場から笑いの絶えない楽しい対談になりました。

「なんでこれだけ凄い作品が残っているのに“大道あや美術館”がないんだろう? おかしいよ。まだ40年くらい早いのかな。今、“大道あや美術館”はないのに……日本に原発は57基ある。でも、40年したら、変わっているかもしれない」というのはビナードさんの言葉。

実は半年前、原発事故の直前に丸木美術館で開催した「第五福竜丸事件」展の講演会の際にも、お二人は会場に来て下さっているのです。
そのときには、元第五福竜丸乗組員の大石又七さんも講演に来て下さって、小沢さんは大石さんの聴き手役として参加されました。
http://fine.ap.teacup.com/applet/maruki-g/20110305/archive

10月26日には、小沢さんが岩波ブックレット『第五福竜丸から「3・11」後へ 被爆者 大石又七の旅路』を刊行されます。
冒頭では、丸木美術館で開催された大石さんとビナードさんの対談が紹介され、そこから“旅路”の物語がはじまるそうです。
こちらも、ぜひ多くの方にお読み頂きたいと思います。
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