2011/7/10

川越スカラ座「内山節さんトークイベント」報告  川越スカラ座

午後4時から、川越スカラ座にて、哲学者の内山節さんをお迎えして映画『100,000年後の安全』上映記念トークイベントを行いました。

20代の頃から東京と群馬県上野村との往復生活を続けながら、近代社会の矛盾について深く思索されていた内山さんが、今回の原発事故をどのようにとらえているのか。
個人的にぜひお話をお聞きしたいと思ってゲストにお迎えしたのですが、丸木美術館の友の会の方からも「内山さんの著作は昔からずっと読んできました。よく内山さんをお呼びしましたね」と声をかけて頂き、とても嬉しい思いをしました。

124席の会場は予想外の超満員。急きょ補助席を用意したものの、それでも席が足らずに、立ち見の方も出るほどの大盛況でした。
原発問題への関心の高さ、そして内山さんの熱心なファンの方もずいぶんいらっしゃっていたようで、社会科の先生に勧められたという地元の高校生の姿も目立ちました。

私は司会を担当したのですが、内山さんのお話のあいだはずっとメモをとる手がとまりませんでした。非常に興味深いお話を伺うことができたと思います。

少々長くなりますが、以下に全体の内容を要約して報告いたします。
なお、この報告記事は、川越スカラ座のHPにも掲載されています。
http://event.k-scalaza.com/?eid=1264281

   *   *   *

原発事故以来、自然エネルギーへの転換が必要だと気づいた方、また、原発の“代わり”に自然エネルギーを使って今までどおりの生活に戻すという考えではだめなのではないかと感じた方も多いでしょう。

それでは、どういうふうにこれからのことを考えていくのか。
時間をさかのぼっていくと、17世紀にヨーロッパ社会が大きな転換点を迎えているのです。

人間は大昔から「生産活動」をしていました。しかし、それまでは単に日々の営みであって、「生産活動」と捉えるのは17世紀。そこから、「生産」を高める合理的な発想が生まれ、世界に広がっていったのです。

18世紀に英国の経済学者マルサスが『人口論』を書いています。産業革命によって文明は発展し人口は増加するが、食糧生産は増えないため食糧難が起こるという予測です。
無限の経済発展は自然も無限でないと成立しないという問題は、すでに考えられていたのです。

しかし、現代経済は「自然は無限に存在すると仮定する」ことから出発しました。
そして、これまでは“あたかも無限にあるごとく”資源が見つかっていたのですが、今日は資源・環境に限界が見えはじめ、どのように着地するかが課題になっているのです。

原発は決して「安全」とは言えません。放射能が人間に害をおよぼすことが「危険」なのではなく、人間の感覚では判断できないから「危険」なのです。

かつて豆腐はとても腐りやすい食べものでした。だから、夕方の食事時になると近所の豆腐屋に買いに行ったのです。
しかし、防腐剤が開発されて保存できるようになり、大型店舗にも並ぶようになりました。しかし、その防腐剤は胃がんを引き起こしやすい化学物質を含んでいました。
今から20〜30年前、日本人は胃がんの発生率が高く、日本の食生活が胃がんの原因だと言われていました。しかし、やがて防腐剤が禁止されると(その頃には別の防腐剤が開発されていたのですが)、胃がんの発生率は下がり、現在では欧米並みの数値になっているそうです。

人類はずっと腐敗とつきあってきて、腐敗を見分ける能力も備わっています。
しかし、食品添加物の危険は感じることができません。
われわれの五感では判断できないのです。
放射能も同じで、人間の五感では判断できません。わからない「危険」とともに生きなければならない社会を作ってしまったことが問題なのです。

素人に判断できないことは、専門家に丸投げしなければなりません。
しかし専門家というのは、専門領域から物事を考えることしかできません。
専門的な判断にすべてを委ねるというのはたいへん危険です。
こういう時代を、われわれはいつまで続けていくのか。

私自身は、原発が「安全」か「危険」かという論争はしたくありません。
事故には原因があり、「こうすれば安全です」という答えが必ず出てくる。
そうなると、見解の相違にしかなりません。
そうではなくて、人間が対応できないものと付き合わなければならない時代を終わらせなければならないのです。

(以下、質疑応答)

Q:原発は、われわれに賛否を聞かれる機会がなかったという手続きに問題があるのではないでしょうか?

A:原発について国民意識の表明の仕方を考える必要はあるけれども、巨大システムへの意思表示は非常に難しいです。すべての問題に手続きが踏めるでしょうか?
地震や津波の「危機」とは、生活・労働などのシステム崩壊です。
こうした「危機」は昔から何度もありましたが、かつてのシステムは等身大だったので次の日から再建に向かうことができたのです。
今日はシステムが巨大化して一般の人が手をつけられず、すべてのシステムが崩壊します。

政府の対応の遅さが指摘されていますが、政府も相互依存の巨大システムに取り込まれているので機能しないのです。政府だけでなく、都道府県、市町村の対応も遅く、責任のなすり合いをしているように見えます。
ひとつが破綻するとすべてが破綻するような、私たちが対応できないものに依存しているのが問題なのです。

上野村では、人間と自然が等身大で生き、「危機」を自分たちで解決します。
こうした“迂回路”が必要なのです。
巨大システムに依存し、“迂回路”を持たない社会は、すべてが予定通りにいかないとたちまち「危険」が生じます。

今回、「想定外」という言葉が頻繁に使われましたが、そもそもあらゆる設計は「想定」をしてはじめて作られます。
たとえば年金問題は、その「想定」が崩れてきたからガタガタになっているのです。
巨大システムは、素人が想定・設計に関与できず、意思表示もできません。
手が届くところで自分たちが設計できる社会に変えていかなければならない。
どのくらい危険なのか、何が起こるか誰もわからない、立証できないこと自体が危ないのです。

Q:映画を見て、10万年後の想定や、「忘れることを覚えていろ」という台詞に象徴される問題の複雑さに混乱しています。

A:自分たちの手で工夫したり制御したりできる以上のものを作っていいのでしょうか。
原発事故は人間的な対応が意味をなさなくなってしまいます。

「風評被害」は原発にはありえません。放射能に耐える器の大きさは人によって違うから、基準値は、これくらいは我慢しろというあきらめの判断基準でしかないのです。
福島の農家を応援したいという思いが通用しないのが放射能事故です。人間的な思いが通用する社会でなければいけません。

Q:工学部の出身ですが、処理できないものを推進する原発が本当に科学と言えるのか。人間の生き方の本質が欠けているように思えます。現代の科学者はどうあるべきでしょうか?

Q:哲学者という立場から、偽専門家を見分ける方法を教えてください。

Q:巨大システムに個人で風穴を開けるにはどうしたらいいでしょうか。

A:個人の決意だけではできないので、全体を変えていく必要があります。どういうかたちで皆が動き出すかが重要です。

昔の社会はあらゆるものに専門家と素人をつなぐ中間的存在が機能していました。
たとえば神や仏、医者と患者をつなぐ信用される中間の人です。
中間的存在が欠落すると全体の関係が崩壊します。

原発では、市民の側に立った専門家として高木仁三郎という人が、専門家を監視し、実は事態はこうなっていると市民に公表していました。
戦後には武谷三男らが技術者は労働者とどうつながるかという技術者運動に取り組んでいました。こうした動きが消えていったことで、素人には教えなくていいという専門家の暴走がはじまったのです。

あらゆる進歩にはその分だけ後退がともないます。
プラスとマイナスを見極め、どこで手をうつのか。
素人―中間的存在―専門家がつながり、皆で全体を考えながら最終的な価値判断を下していくかたちを作ることが重要なのです。

   *   *   *

内山さんのお話は、原発事故が単なるエネルギー問題というより、私たちの生活そのものを根底から考えなおさなければならない歴史的な問題だということを示してくださいました。

3月11日以後、私たちが歴史的な転換点に生きているのだと実感することが多くなりました。
「100,000年後」へ続く歴史を作るのは、今この時代を生きている私たちです。
最後に残ったのは核廃棄物だけ、というのでは、あまりに悲しすぎます。
そのために、何ができるのか。何からはじめればいいのか。

『100,000年後の安全』という、途方もなく現実から離れた映画のテーマを、私たちの生活の地点にまで近づけ、考える機会を与えて下さった内山さんに、心から感謝いたします。
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