2011/5/31

黒田オサムさん聞き取り調査など  調査・旅行・出張

午前中、名古屋からヤマザキ マザック美術館のS学芸員が来館。
S学芸員は、故・針生一郎館長の最晩年にご自宅に通って聞き取り調査を行っていた方で、現在開催中の「針生一郎展」を観に来て下さったのです。

午後からはS学芸員とともに、東京西部にお住まいのパフォーマンス・アーティストの黒田オサムさんを訪れ、4時間にわたるインタビューを行いました。
S学芸員は日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴの会員で、黒田さんの記憶を口述史料として記録するというので、インタビューのセッティングなどの協力をさせて頂いたのです。

ホイト(乞食)芸や、「労働者諸君!」ではじまる大杉栄のアナーキスト演説などのユーモラスで哀愁漂うパフォーマンスを行い、近年では海外に招かれることも多くなっているという黒田さん。
その人生の足どりをお聞きするのは初めてのことでしたが、「軍国飛行機少年」として過ごした戦時中の話や、戦後になって柳瀬正夢に決定的な影響を受けた話などは非常に興味深く、また、大杉栄や伊藤野枝、辻潤から針生一郎まで、黒田さんが語る人物評もなかなか面白くて、時間はたちまち過ぎてしまいました。

余談ですが、黒田さんは、故郷の群馬県桐生市のモリマサ百貨店で1951年2月22日から25日まで開催された原爆の図展に参加し、会場の設営などのお手伝いをされたそうです。
こちらの方も貴重な証言の聞き取りを行うことができて、大きな収穫でした。

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夕方からは新宿に移動して、目黒区美術館のM学芸員、朝日新聞社のO記者といっしょに韓国料理店で慰労会。
興味深い話題が尽きず、楽しい飲み会となりました。
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2011/5/28

藤城清治 自宅スタジオ展/町田市民大学「3.11後を生き抜く」  調査・旅行・出張

午後、ボランティアのAさんのお誘いにより、目黒区で開催中の藤城清治 自宅スタジオ展へ。
あいにくの雨でしたが、会場には大勢の方が訪れており、緻密な影絵の表現で知られる藤城清治さんの根強い人気ぶりをあらためて感じることができました。
近年では全国の公立美術館などで個展をする機会も多い様子で、その際に制作した影絵のご当地シリーズのなかには、広島の原爆ドームや旧赤十字病院、長崎で被爆して片足になった山王神社の鳥居などの作品もあることを初めて知りました。

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夕方からは、東京・町田市の市民大学に参加しました。
第5回目となる今回は、映像作家の鎌仲ひとみさんによる公開講座。
最新の映画『ミツバチの羽音と地球の回転』でスウェーデンで進められているエネルギーシフトと上関原発問題を取り上げた鎌仲さんは、東日本大震災と福島原発事故のあと、国内外で非常に注目され、数多くの講演を行っています。
この日も公開講座ということで、ふだん市民大学の講座を受けている方々のほかに、学生や若い世代の人たちの姿も多く見られました。

3.11後を生き抜く」と題したお話は、「無用の被曝を避ける」、「エネルギーシフトを実現する」というふたつの課題を提示して進められました。

青森県の六ヶ所再処理工場の核廃棄物問題を長年取材されている鎌仲さんは、原子力発電所が続く限り、かならず放射能汚染の危険はつきまとうと指摘します。
そして、大気に放出され地表に付着して人体に影響を与える「外部被曝」と、食品や水を通して体内に放射性物質がとりこまれる「内部被曝」の違いを具体的に分析し、福島第一原発事故の今後影響としては「内部被曝」がより深刻な問題となっていく、つまり「無用の被曝を避けるためには徹底した食品検査や情報開示が不可欠」と指摘されていました。

興味深かったのは、スウェーデンの例をあげて説明していたエネルギーシフトの話。
スウェーデンは1972年のオイルショックを深刻に受け止め、以来、「自然エネルギーは国家の安全保障」と位置づけて、公共交通機関のエネルギーにバイオガスを導入するなどの政策を進めているそうです。
その基本となる考え方で、スウェーデンの小児癌の専門医だったカール・ヘンリク=ロベール博士が提唱したというナチュラルステップには、以下の4つ原則があります。

1.地殻から掘り出した物質の濃度が増え続けない。
2.人間がつくりだした物質の濃度が増え続けない。
3.自然が物理的な方法で劣化しない。
4.人々が満たそうとする基本的なニーズを妨げない。


こうした原則を守る社会が実現できれば、エネルギー問題を解消する糸口も見え、その上で人間が人間らしく生きる生活も保たれるように思うのですが……。

先週の田中優さんの講座でも言及されていましたが、世界における自然エネルギーはここ数年で大きな成長を見せているそうです。
こうした情報を身近に知ることができるようになってきたというのが、3.11以前と以後の大きな違いなのかも知れません。
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2011/5/26

『埼玉新聞』に「反原発 夫妻の思い受け継ぐ」記事掲載  掲載雑誌・新聞

2011年5月26日付『埼玉新聞』に、“反原発 夫妻の思い受け継ぐ”との見出しで、丸木美術館を紹介する記事が掲載されました。
記事は全文を以下のHPでご覧になることができます。

http://www.saitama-np.co.jp/news05/26/10.html

記事にもありますが、丸木夫妻は原発を「ゆっくり燃える原爆」と表現して反対し、1989年には原発分の電気料金の支払いを拒否したため、美術館への送電が止められたことがありました。
当時、『丸木美術館ニュース』などに俊さんが記していた文章を読むと、そのまま現在の福島原発事故を連想する内容が多々あります。

原発分の電気料金支払い拒否をはじめたきっかけが福島原発の事故だったことも、今から振り返れば複雑な思いがします。
もちろん、当時、原発について危険性を指摘していたのは丸木夫妻だけではなく、多くの方が反対の声をあげていたわけですが、そうした声がことごとく無視され、大きな事故が起きるまで「安全神話」が語り続けられていたことは、本当に残念です。

以下は、記事からの一部抜粋です。

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 電気料金の不払いは、89年1月に起きた東電福島第2原発のポンプ損傷事故がきっかけだった。丸木夫妻は同年4月25日、東電の原発設備率から算出した24%分の電気料金の支払いを拒否。東電からの支払い要請に、俊は「水力発電と火力発電の分は払う」と答えたという。東電は同年5月12日、美術館への送電を止めた。送電停止は1年以上続き、夫妻は自家発電機で対抗。来場者は裸電球の薄明かりの中で絵を観賞した。

 同美術館の学芸員岡村幸宣さん(36)によると、丸木夫妻は美術館を建設したときから、電気を極力使わないことを考えていた。九つある展示室のうち、1階にある二つの展示室以外は天窓が設置され、自然光が入る構造になっている。夫妻の遺志は今も受け継がれており、電気使用量をできるだけ抑えている。岡村さんは「絵を見ることに大きな支障はない」と話す。

 自然のままの環境で絵を観賞してほしいと、エアコンも設置されなかった。夏場は都幾川の川風と扇風機でしのぐ。震災後、来場者の理解がより進み、美術館は今後もエアコンを設置する予定はないとしている。

 「地震と津波は天災だけれど、原発は人災だ。止められなかったことは残念で悔しい」。俊のめいで夫妻の養女の絵本作家丸木ひさ子さん(55)は、俊が福島の事実を知れば、そう言うのではないかと考えている。ひさ子さん自身は原発事故後、「時代に流された」と反省しているという。原発には反対だったが、現実的には電気が必要なことも分かっていた。「原発は国策だった。国が自然エネルギーを進めていたら」と思う。

 事故後に社会全体で節電が言われ始めた。「なぜ以前からやってこなかったのか。子どもたちのことを思うと、私たち大人の責任。俊先生は怒っているだろう」


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2011/5/25

チェルノブイリ展会期延長/チャリティコンサートのお知らせ  イベント

5月3日の開幕以来、去年の同時期を大きく上回るペースで来館者が訪れている「チェルノブイリから見えるもの」展。
決して去年が少なかったわけではなく、去年は沖縄の基地問題のただなかに「OKINAWA展」を開催して大きな反響があったわけですから、それを上回る盛況ぶりには本当に驚くばかりです。
芸術と社会とのつながりや、この美術館が背負っているものの重みなど、さまざまなことを考えさせられます。

6月11日(土)に終了するはずだった会期も、6月25日(土)まで延長することが決まりました。
御理解、御承諾下さった関係者の皆さまには、心から御礼を申し上げます。

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それから、6月11日(土)午後2時から丸木美術館を会場に、PHILIA PROJECTの主催による東日本大震災チャリティコンサート「with You」が開催されます。

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出演はナターシャ・グジー(歌手・バンドゥーラ奏者)、謝雪梅(歌手・古筝奏者)、津田雄三(ファゴット奏者)、ゲルブ・アル・リシャット・アンサンブル(ジプシー音楽隊)の皆さんです。

料金は、前売2,500円、当日2,800円。
6月5日(日)に行われる代々木能舞台でのコンサートとの通しチケットは4,000円です。
(丸木美術館の入館料はチケット代に含まれます)

予約・お問い合わせはPHILIA PROJECT(090-6517-0809)まで。メールやWEB申し込みも受け付けています。詳しくはPHILIA PROJECTのHPまで。
http://www.cc9.ne.jp/~nihei-1817/with_you110605.html
チケットは丸木美術館でも取り扱っています。
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2011/5/23

安藤栄作展/Chim↑Pom「REAL TIMES」展  他館企画など

丸木美術館は休館日。
午後から銀座に出てギャルリー志門で開催中の「安藤栄作新作彫刻展」(5月23日〜28日)に行ってきました。

2011年5月20日付『朝日新聞』夕刊でも紹介されていましたが、安藤栄作さんと長谷川浩子さんの彫刻家ご夫妻は、福島県いわき市の海辺の家にお住まいで、3月11日の大震災による津波で自宅を流されてしまったのです。
偶然、お二人は娘さんといっしょに車で市内に出かけていたため、津波を免れることができたのですが、家は潰れ、作品や道具などはすべて失ってしまったそうです。
今回の新作展は、避難先の新潟県新発田市で制作した作品を中心に出品されています。

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津波が私たち家族の住んでいたあの可愛い海沿いの町を飲み込み押し流してしまった。
3週間後、放射能混じりの北風の吹くその町を訪れた。瓦礫の中を歩き回っていると、自分の作品の欠片を三つ見つけた。それは、自宅のあった場所から100mほど流され、瓦礫の間に引っかかっていた。手も足も折れてなくなってしまったその作品を拾い上げ、ブロックの穴に差し込み、写真を撮り、再び瓦礫の中に還した。大小数百体はあったであろう作品達の中から破片になっても生き残ったその作品のタイトルは「Being」だった。
全ての魂は大いなる宇宙にあってたった今も変わらず輝いている。

                                        安藤栄作


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安藤栄作さんは、2008年夏に埼玉県立近代美術館で開催された「丸木スマ展」の際に、出品して下さった3人の現代作家のうちの1人です。
手斧の跡が丹念に刻まれた母猫やうさぎ、カブトムシなどのユーモラスな木彫作品は、今でも強く印象に残っています。
久しぶりにお会いした安藤さんはとてもお元気そうで、穏やかな口調ながら、被災にも負けず制作を続けていこうという再起に向けた力強い意志を感じました。

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その後は、清澄白河の無人島プロダクションで開催中の若手芸術家グループChim↑Pomの「REAL TIMES」展(5月20日〜25日)に足を運びました。
以下は、「REAL TIMES」展の予告動画です。



予告動画でも少しだけ映っていますが、今回の展示の目玉は、渋谷駅に設置されている岡本太郎の壁画《明日の神話》に“付け足された”福島第一原発事故の諷刺画。
19日に行われた「REAL TIMES」展の内覧会で、Chim↑Pomが手がけたことを公表したため、多くのメディアで報道されていました。
彼らは、以前、広島の空に飛行機雲で「ピカッ」と落書きをして大きな騒動を起こしたことがありますが、その“無謀”で体当たり的なパワーと、社会を敵にまわすことを恐れない抵抗精神には、たびたび感心させられます。

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偶然ではありますが、この日は、東日本大震災を題材にした個展をまわることになりました。
大きな悲劇に直面したとき、芸術に何ができるのか。
そして、その悲劇からどんな表現が生まれてくるのか。
それは、《原爆の図》を抱える丸木美術館にも深く関わる問題であるため、いろいろと考えることがありました。
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2011/5/22

『埼玉新聞』に豊田直巳さん報告会記事掲載  掲載雑誌・新聞

2011年5月22日付『埼玉新聞』に、“放射線「恐怖感じた」 豊田さん福島の現状報告”との見出しで、21日に丸木美術館で行われたフォト・ジャーナリスト豊田直巳さんによる「福島原発事故緊急報告」の記事が掲載されました。
以下は記事からの一部抜粋です。

 双葉町内では事故直後、通常の線量が毎時0.03〜0.05マイクロシーベルトとされる中、1000マイクロシーベルトまで測定できる線量計の針が振り切れた。何が起きているのか、恐怖を感じたという。
 4月11日に計画的避難区域に指定された飯館村。村民に取材すると、震災後の1カ月間、放射線量の具体的な情報はほとんど提供されていなかったという。豊田さんは「国が指示するのは(野菜や原乳を)出荷できないという指示だけ。“避難しなさい”はなかった」と国の対応を批判した。
 福島第1原発は依然として不安定な状態で、放射能を出し続けている。豊田さんは「原発をほったらかしにしていた私たちの責任もあるのでは。次の世代に責任を問われてもおかしくない」と訴えた。
 報告会を聞いた東京都府中市の主婦(56)は「現地に入った人でないと聞けない話、そこで生きている人たちの言葉を聞けてよかった」と話している。
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2011/5/21

豊田直巳さんスライド&トーク「福島原発報告」  イベント

午後2時より、企画展の関連イベントとして、フォト・ジャーナリストの豊田直巳さんをお迎えして、福島第一原発事故の取材報告スライド&トークを行いました。

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参加者は60人を超え、NHKや東松山CATV、埼玉新聞社、西日本新聞社も取材にかけつけるなど、関心の高さがうかがえました。

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この日の様子は、さっそく、NHK総合テレビの首都圏ニュースで紹介されています。
NHKさいたま局のHPの動画ニュースでは、放送内容を数日間のみ見ることができます。

http://www.nhk.or.jp/saitama-news/20110521181716_01.html

東京電力福島第一原子力発電所の事故直後から福島県で取材活動をしている報道写真家が、東松山市で原発被害の現状を伝える報告会を開きました。

報告会を開いたのは、報道写真家の豊田直巳さんで、豊田さんは、福島第一原発の事故直後から数回、現地に入り取材を続けています。東松山市の原爆の図丸木美術館で開かれた報告会は、現在開かれているチェルノブイリ原発事故の写真展にあわせて行われました。この中で、豊田さんは、3月13日に福島第一原発から4キロほどの双葉町の地区を訪れた際に1時間あたり1000マイクロシーベルトを超える高い放射線量を検知器が示す中、車で身の回りのものを取りに来た住民に出会い、すぐに立ち去るよう説得したことを紹介しました。また、原発から20キロ圏内の南相馬市の地区でペットを連れ帰ろうとした夫婦に放射線量が高いことを知らせると、夫婦が驚いて「見えない戦場のようだ」とつぶやきながら帰ったことなど深刻な状況が続く原発周辺の地域の実態を明らかにしました。東京から来た大学生の男性は「今まで原発に関心がなかったが今後は関心を持ち続けていきたい」と話していました。


   *   *   *

現地取材を重ねている豊田さんが語る、放射能汚染にまきこまれた現地の人びとの混乱と、個々の思いとは無関係にコミュニティが解体に追い込まれていく様子には、圧倒的なリアリティがあり、参加者の心を揺さぶりました。
また、トーク後の質疑では、原発事故をめぐるメディアの問題についても話が及び、豊田さんの「それぞれの放送局には原発の是非についての方針があるわけではない。ただ、スポンサーを重視する営業サイドの意向が強いから、原発批判の番組が作れないという構造になっている」という発言に、現在の電力会社をめぐる問題点が浮かび上がるように思われました。
「テレビ局でも、制作サイドのなかには頑張っている人もいる。ただ、批判の声が届くことは多くても、良かったという声はなかなか届かないので孤立する。メディアを変えるのは結局は視聴者だから、良い番組を見たら、放送局に『良かったよ』という声を届けることも大切」という言葉にも考えさせられました。

トーク終了後、すぐに次の仕事へと慌ただしく移動していった豊田さん。
たいへんお忙しいなか、丸木美術館に駆けつけて下さって、本当にありがとうございました。
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2011/5/20

中村正義の美術館/赤松俊子《母と子》寄贈  作品・資料

午前中は川崎市麻生区にある中村正義の美術館へ。
現在開催中の企画展は、「中村正義 顔の世界展」(5月29日まで)。

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2009年に丸木美術館の企画展でも《顔》を中心に中村正義の絵画を紹介したことがありますが、今回の展覧会は、今まで観たことがなかった蛍光色で人物を描いた屏風画を軸にしながら、さまざまな《顔》を観ることのできる興味深い内容でした。
今年は、11月1日から12月25日まで名古屋市美術館にて「中村正義展」(2012年2月19日から4月1日まで練馬区美術館に巡回)が開催されるそうです。
中村正義のドキュメンタリー映画『父をめぐる旅』の制作も順調に進んでいるそうで、こちらも楽しみです。

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午後は、丸木美術館に寄贈して下さるという赤松俊子(丸木俊)の絵を受け取りに八王子市へ。
戦後すぐに描かれたという油彩画は、俊子の妹とその娘の母子の姿を描いたものだそうです。

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作品を実見するのは初めてでしたが、この画像は記憶にありました。
1948年11月22日から12月16日まで東京都美術館で開催された「第2回日本アンデパンダン展」に出品された《母と子》です。
この展覧会の際に制作された作品絵葉書は現存しています。

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そして、作品を所蔵していたのは、戦後すぐに眞善美社という出版社を興した中野達彦でした。
中野達彦は7年前に亡くなり、今回は御遺族の方が寄贈をして下さることになったのです。

眞善美社は、戦後の数年間だけ存在し、間もなく倒産しましたが、安部公房や花田清輝、埴谷雄高、野間宏などの重要な作品を次々と出版するなど非常に興味深い仕事を残しています。
2007年に世田谷美術館で開催された「世田谷時代1946-1954の岡本太郎」展で、眞善美社の刊行物が詳しく紹介されていたことを思い出します。

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1949年9月には赤松俊子の『絵ハ誰デモ描ケル』(写真右)が眞善美社から刊行されました。
この書籍は俊子の最初の著作でもあります。
中野達彦は俊子と気があったようで、この頃とりわけ親しく交流し、1947年に刊行された宮本忍著『気胸と成形』(写真左)が第1回毎日出版文化賞を受賞した際に、お祝いとして油彩画を贈られたのだそうです。

中野達彦の父親は1943年に東条倒閣運動の首謀者として検挙され、割腹自殺した政治家の中野正剛でした。しかし、政治家に嫌気がさした達彦は父の後を継ぐことなく、母方の祖父で文化勲章を受章した評論家の三宅雪嶺の出版事業を弟の泰雄とともに引き継いだそうです。ちなみに、祖母は歌人の三宅花圃、叔父は画家・詩人の中野秀人という文芸一族でもあります。
達彦はドイツ語が得意で、眞善美社の雑誌『綜合文化』1947年12月号(第1巻第6号)には、彼が加納元の筆名でハイネの長編叙事詩「アッタ・トゥロル」を翻訳し、赤松俊子が挿絵を描いた作品が掲載されています。

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この頃、俊子は夫の丸木位里らと前衛美術会を創設し、1947年5月に東京都美術館で開催された第1回前衛美術展の後、7月より隔月で銀座の天元画廊で「街頭展」を開催していました。
1947年11月の前衛美術会第3回街頭展には、俊子がハイネの「アッタトロール」の挿絵27点を出品したとの記事があります(1947年11月3日付『東京民報』)。
この街頭展で展示された挿絵は、『綜合文化』のために描かれた作品だと思われます。

余談になりますが、後に山村工作隊などの政治的な文化運動で知られる前衛美術会は、丸木夫妻が中心となっていたこの時期は美術の民衆化に主眼を置き(二人は1950年6月頃に前衛美術会を退会)、1949年9月の第7回まで続いた天元画廊の街頭展では、裸体デッサンや油彩画の小品、絵本、ポスター、挿絵などの出品が中心でした。
1948年4月21日から26日まで第6回街頭展として開催された「赤松俊子滞ソ小品展」の芳名帳には、中野達彦の名も記されています。

同時代のさまざまな文化活動へのつながりも感じさせる中野達彦と赤松俊子の交友。
その歴史を象徴する油彩画《母と子》は、今後、画面の修復を行った後、来年2月11日より丸木美術館で開催する「生誕100年 丸木俊展」で紹介する予定です。
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2011/5/19

今、改めて核を学ぶ「安全で必要な原子力/危険で不要な原子力」  調査・旅行・出張

昼過ぎに、画家の池田龍雄さんと、故・粟津潔さんの御子息の粟津ケンさんがそれぞれお連れ合いとともに来館。「追悼 針生一郎」展や「チェルノブイリから見えるもの」展を中心に、丸木美術館の展示をご覧になって下さいました。

昨日は中学校を含む3つの団体、そして今日は午前中に2つの中学校の団体と、館内説明も多く慌ただしい日々が続いています。
今日は横浜市のM中学校が館内の鑑賞の後に素晴しい合唱「若い翼は」を新館ホールで披露して下さり、N事務局長が感動の涙を流していました。

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午後6時半には町田市に移動し、まちだ市民大学「今、改めて核を学ぶ」の連続講座に参加。
先週も広島大学学術顧問・藤家洋一氏の講義「安全で必要な原子力」に参加したのですが、今週は未来バンク事業組合理事長の田中優氏による「危険で不要な原子力」です。

原子力行政の中心で原発を推進し、今後も推進し続けようとする立場の意見と、原発に頼らず新たな視点からエネルギー問題を考えようとする立場の意見を対比するという企画には、とても興味を惹かれました。

しかし、福島第一事故の直後という事情もあったためでしょうか、先週の「安全で必要な原子力」の講義は、“文明の進歩のためには科学技術=核エネルギー開発が不可欠”という前提をもとにした学術的な概論に終始し、残念ながら期待とは異なるものでした。
核エネルギー開発を“人類の宿命”として位置づける姿勢には、原爆投下を“神の恩寵”と受けとめようとした長崎における思想を連想するところもありました。
今回の原発事故についての分析では、「私たちは人命尊重という観点で事故を判断する。福島では直接的に1人の命も失われていないので、日本の原発の安全性を立証できた」との発言が印象に残りました。現実の世論の認識とのかい離とともに、原子力行政に重要な視点が欠落しているのではないか、と感じざるを得ない、象徴的なひとことでした。

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一方、今回の「危険で不要な原子力」の講義は、とても刺激に満ちた内容でした。
地震の極端に多い日本(1970年から2000年までの震度5以上の地震が起きた数は、イギリス0回、フランス・ドイツ2回、アメリカ322回に対し、日本は3,954回)ではリスクが大きすぎると考える田中氏は、原発は不要なものだという立場をとります。
しかし、「原発などの枯渇性エネルギー」から一足飛びに「自然エネルギー」への転換を論議する従来の考え方には欠陥が多いと指摘し、むしろ、まず「節電型電気料金」を導入してピーク時の電力消費量を抑えた上で自然エネルギーへの転換を考えなければならない、というのです。

電力消費量がもっとも多くなるのは、気温が31度を超える夏場、それも平日の午後2時から3時の時間帯です。その時間帯は家庭の電力消費量が少なく、ほとんどが産業需要だというデータがあるそうです。
では、なぜ産業は電力消費量が多くなるのか。家庭の電気料金は使うほど単価が高くなるのに、産業では電気を使うほど単価が安くなるしくみになっているのです。このしくみを見直し、電気料金を使うほど高くすれば、産業の電気使用量は3割から4割の節電が行われ、それだけで原発分の発電量は削減できる、というのが「節電型電気料金」導入の考え方です。

「世界自然エネルギー白書2010」によれば、2009年は金融危機・原油価格低迷・気候政策の停滞といった逆風にも関わらず、世界の自然エネルギーは驚異的成長(太陽光発電は前年比58%増、風力発電は同32%増、太陽熱温水システムが同21%増、地熱が同4%増、水力が同3%増)を遂げたそうです。欧州と米国では自然エネルギーがもっとも拡大した電源となり、特に欧州では新設電源の60%を占めています。
しかし、日本ではなかなか本当のデータが公開されません。

問題は、全国に10社ある電力会社がそれぞれの地域で1社独占の構造になっていることで、発電、送電、配電を分割してエネルギーの自由化を実現させることが重要な課題となります。
現在は「総括原価方式」といい、電力供給の経費に3%を上乗せした金額が電気料金の基準となっています。これでは電力供給のコストが高ければ高いほど電力会社が儲かるので、高コストの原子力発電が推進されていくのです。
しかも、原子力発電への理解を広めるために多額の広告費も投入されています。どんなに経費がかかっても、それが電力供給のコストとして計算され、むしろ利益につながる構造なのです。
その結果、日本の電気料金は世界一高くなってしまったのだそうです。

しかし、電力の世界に自由競争が導入され、電気料金も複数の会社から選択できるようになれば、最初に淘汰されるのは原子力発電でしょう。
なにしろ、自然エネルギーのなかでもっとも単価が高いと言われる太陽光発電でさえコストの低減化が進み、2010年には高騰する原子力発電のコストとの逆転が実現しているのです。
太陽光発電の他にも、洋上大規模風力発電や波力発電、小規模水力発電などさまざまな発電の開発も進んでいるそうです。
スマートグリッド(次世代送電網)に欠かせない5つの要素(省エネ製品、バッテリー、電気自動車、自然エネルギー、IT技術)のすべてで、日本は先進的な技術を持っているといいます。
こうした技術を生かさない手はありません。

6月だけで全国各地で40回近くの公演予定が入っているという田中氏は、「いまこそ、エネルギー問題を変えていくターニングポイント」と強く訴えます。
次に原発事故が起きれば日本全体がさらに壊滅的な打撃を受ける(偏西風の多い日本では、西日本の原発で事故が起きれば、東京など大都市圏が影響を免れない)というリスクを背負い続けていくのか、それとも危険な原発を停止して安心できる社会を築いていくのか、それを選択できるのは今生きている私たちしかいない、という発言には、非常に強い説得力を感じました。
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2011/5/17

ホタルの里整備/松戸の美術100年史  館外展・関連企画

午前中は地元の東松山市唐子地区で進めている「ホタルの里」竹林整備に参加。
ホタルの棲む池の落葉を掻きだしたり、間引いた竹を運び出して短く分断する、という作業です。
丸木美術館の南側斜面の竹林整備は毎日孤独な仕事でたいへんなのですが、「ホタルの里」は数十人で一斉にとりかかるので作業が早い!!!
本当にうらやましいです。
農家のお母さんたちが竹林で採れたタケノコを使って美味しいまぜご飯を炊いて下さいました。

今年はたくさんのホタルが飛んでくれるかな……
6月18日の夜には、「ホタルの里のキャンドルナイト」というミニイベントも予定されています。

   *   *   *

午後には、松戸市教育委員会美術館準備室のT学芸員が来館され、今年の10月8日(土)から11月27日(日)に松戸市博物館で開催を予定されているという企画展「松戸の美術100年史」の話をして下さいました。

あまり知られていませんが、丸木夫妻は1965年から翌年暮れに埼玉県東松山市に転居するまでの短い間、千葉県松戸市八ヶ崎で暮らしていました。
自宅近くの緑の林のなかでは縄文中期から後期の遺跡が発掘されているという場所で、丸木夫妻はやはり松戸市在住だった友人の画家・岩崎巴人らとともに遺跡の保存運動にも関わっていたようです。
丸木美術館にも、当時遺跡から掘り出されたと思われる土器の一部が保管されています。

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俊さんの字で「近郊発掘品 千葉縣松戸市貝の花塚より(位里・俊住宅裏手)」という添え書きも記されています。

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今回の企画展は、1911年から現在にいたるまで松戸に住んで活動した作家たちの主要な作品を紹介し、松戸の近現代美術史を回顧展望するという内容だそうです。
俊さんが描いた貝の花塚遺跡発掘現場のスケッチなども展示される予定なので、楽しみです。
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2011/5/15

本橋成一さんトークイベント開催  イベント

午後2時より、企画展「チェルノブイリから見えるもの」の出品作家で、写真家・映画監督の本橋成一さんをお招きして、トークイベントを開催しました。

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会場には100人を超えるお客さんが来場され、満員となりました。

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今回の福島第一原発の事故について、「人間の思いあがりが限界にきているとつくづく思った」という本橋さん。
子どもの頃は物の豊かさに憧れていたが、写真家になっていろいろなものを撮るうちに、本来持っていた豊かさが少しずつ失われていくことに気づいたというお話は、深く心に沁みました。
福島で作られた電気が東京で使われていたのと同じように、チェルノブイリも東欧諸国へ輸出用の電気が作られていた。自分たちは電気を使わず、しかし、決して貧しいとは思っていない農民たちが一番の被害者になる。この人たちの暮らしをちゃんと見たい、皆に見てもらいたい、と思ったのが、『ナージャの村』や『アレクセイと泉』という映画を撮りはじめた動機だったそうです。

汚染された村を離れようとしない老人の「どこへ行けというんだ、人間が汚した土地だろう」という言葉は、他人ごとのように取材をしていた本橋さんに“おまえの問題なんだよ”と教えてくれたといいます。
そして「外へ出てしまったら、いのちを返すときに水を返せないだろう」という言葉は、生まれた土地に“水を返す”……いのちの循環のなかに生きるという謙虚な考えを教えてくれたそうです。

「人は何十年かけて道を間違えてきたのか。何十年かけて少しずつもとに戻せば、子どもたちにツケを残さずにすむんじゃないか」という本橋さんの言葉が、いつまでも心に残っています。

   *   *   *

本橋さんのトークに続いて、5月21日(土)午後2時からは、フォト・ジャーナリストの豊田直巳さんによる福島原発事故報告のスライド&トークが行われます。
多くの方のご来場をお待ちしています。
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2011/5/13

東松山CATVで「チェルノブイリ展」紹介番組放送  TV・ラジオ放送

午前中、東松山CATVのI葉さんが「チェルノブイリから見えるもの」展を取材した約15分間の特集番組のDVDを持って来館して下さいました。

美術館の概観、企画展の展示替えの様子から、貝原浩さんの絵とお連れ合いのS田さんへのインタビュー、広河隆一さんと本橋成一さんの写真の展示、岡村による企画趣旨の説明、小室等さんのコンサートなどを丹念に取材した素晴しい番組でした。
とりわけ、番組後半で小室さんがロシア語で歌う「ベラルーシの少女」に合わせて貝原さんの《風しもの村》スケッチが次々と映し出されていくシーンは、とても心に響きます。
取材して下さったI葉さんは、これほど長い番組を制作したのは初めてとのことですが、展覧会とはまた雰囲気が異なり、映像が伝える力をあらためて感じさせる内容になっています。

東松山市内のケーブルテレビでは、5月31日まで毎日午後3時45分から放送されています。
また、埼玉県内の他のケーブルテレビ局とも連携し、番組が放送されるそうですので、県内在住の方はぜひご覧になって下さい。

放送予定局は以下の通り(それぞれの放送日時などは不明)。
入間CATV(入間市および東京都西多摩郡瑞穂町の各一部)、JCN川越(川越市内)、行田CATV(行田市内)、熊谷CATV(熊谷市)、JCN埼玉(川口市、戸田市、鳩ヶ谷市)、狭山CATV(狭山市内)、秩父CATV(秩父市旧市街、横瀬町の一部)、JCN関東(草加市、三郷市、八潮市、鳩ヶ谷市、吉川市、越谷市、春日部市、さいたま市岩槻区、蓮田市、白岡町、宮代町、杉戸町、幸手市、久喜市、加須市、鴻巣市、北本市、桶川市、坂戸市、鶴ヶ島市、ふじみ野市、三芳町、鳩山町ほか)、株式会社J:COM東上(朝霞市、志木市、富士見市、ふじみ野市、三芳町の一部)、蕨CATV(蕨市内)、飯能CATV(飯能市、日高市)、本庄CATV(本庄市)、ゆずの里CATV(毛呂山町)
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2011/5/12

『中央公論』、『朝日新聞』、『毎日新聞』に「チェルノブイリ展」掲載  掲載雑誌・新聞

今日も雨の一日でしたが、一日がかりで「第五福竜丸事件」展の作品返却を行いました。
埼玉県朝霞市の丸沼芸術の森、東京の丸の内ギャラリーと第五福竜丸展示館……無事に返却を終えて、ようやく肩の荷が下りました。
これで「第五福竜丸事件」展の作業はすべて終了。
会期中に震災と福島原発事故が発生したこともあり、本当に忘れ難い展覧会となりました。

   *   *   *

開催中の「チェルノブイリから見えるもの」展の反響は、相変わらず続いています。

2011年5月10日発行の『中央公論』6月号のコラム「Art」欄に、“「チェルノブイリから見えるもの」展 根本的な問いかけの力”という見出しで、美術評論家の住友友彦氏が大きくとりあげて下さいました。
以下は、記事の冒頭からの抜粋です。

東日本大震災後、海外の知人から、日本は原爆の被害を受けた国なのに、なぜ原子力発電を推進するのか、と聞かれた。電力を大量に必要とする社会を維持するため、というのが政治や経済が示してきた答えだろう。経済成長のために原子力の平和利用が喧伝されてきた時代から、それに疑問を続けた作家がいた。政治や経済とは異なる芸術の分野に、個人の感性を出発点にした根本的な問いかけの力があることを忘れないでおきたい。

その作家は丸木位里、丸木俊である、と続く文章は、『原爆の図』が常設展示されている美術館の企画展として、チェルノブイリ事故で被害を受けた村で暮らす人々を描いた貝原浩のスケッチや広河隆一と本橋成一の写真が展示されている、と紹介して下さっています。
また、針生一郎展についても触れながら「とりわけ、芸術と社会の関わりに強い関心を持ち続けてきた彼の発言にも今学ぶべきものがきっとあると思う」とまとめられています。

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また、2011年5月12日付『朝日新聞』朝刊埼玉版にも“原発事故後 村人の生き様描く”との見出しで展覧会が紹介されました。

http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000001105120001

以下は記事からの一部抜粋です。

画家の故・貝原浩さん(1947-2005)の「風しもの村 チェルノブイリ・スケッチ」の絵巻は、立ち入り禁止の村に戻って耕作する人々らの様子が、叙事詩のように丹念に描写されている。
「長い時間をかけて畑を耕し、日々の営みの全てをその土地に委ねてきた人たち。残り少ない時をその土地で生き切りたいと願い覚悟して戻ってきた」などと、絵巻にまつわる話がつづられている。
写真も展示されている。フォトジャーナリストの広河隆一さん(67)の作品は、病院で甲状腺の手術を受ける11歳の少女の写真など12点。本橋さんの15点からは、事故の翌年に生まれた女の子「ナージャ」や村人がたくましく生きる様子が見てとれる。


というように、個々の作家についても紹介されています。

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同じ2011年5月12日付『毎日新聞』夕刊文化欄には、“「チェルノブイリから見えるもの」展を開催”との見出しで、貝原浩さんのスケッチ「風しもの村」を中心とする紹介記事がありました。

http://mainichi.jp/enta/art/news/20110512dde018040075000c.html

以下は記事からの一部抜粋です。

画家、貝原浩(1947〜2005年)が残したベラルーシのスケッチ集「風しもの村」の作品を中心に22点を展示。貝原は92年から、チェルノブイリ原発の「風下」にあたるベラルーシへ通い、放射能汚染に苦しむ人々の暮らしを見つめた。おばあさんの笑顔に刻まれた深いしわ、まきを割る農夫のたくましい腕、無人の村で営巣するコウノトリ……。逆境にあってなお輝く命が、力強い線で描き出される。
同展は、チェルノブイリ原発事故25周年を期して今秋の開催を予定していたが、福島の事故を受けて急遽繰り上げたという。学芸員の岡村幸宣さんは「絶望だけでは生きられない。ベラルーシの人々のたくましさに、今こそ触れていただければ」と話している。


こうしたさまざまな記事のおかげで、美術館には多くの方が来館して下さっています。
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2011/5/11

『朝日新聞』に「原爆の図」展調査報告記事掲載  掲載雑誌・新聞

今日はあいにくの雨でしたが、企画展「第五福竜丸事件」及び同時開催の「大川美術館所蔵によるベン・シャーン展」で借用したベン・シャーン作品20点を群馬県桐生市の大川美術館に返却。
何事もなく無事に返却を終え、まずはひと安心です。

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本日、2011年5月11日付『朝日新聞』夕刊の文化欄に、“丸木夫妻の「原爆の図」初期3部作 4年で166回、反核運動の象徴”との見出しで、1950年代前半の原爆の図巡回展の調査報告記事が掲載されました。
以下のHPで記事の全文を読むことができます。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201105110288.html

ここ数年、調査を進めていた1950年から53年までの、米軍占領下の時代と主権回復直後の「原爆の図」全国巡回展の実態が明らかになりつつあることに焦点を当てた記事です。
以下は、記事からの抜粋。

 目につくのは、労働組合や学生団体が主催者になっていることだ。当時の平和運動や文化サークル活動の高まりが、各地で展覧会を手弁当で開く「運動」へと発展した様子がうかがえる。夫妻は52年に3部作をもう一組仕上げ、巡回展をさらに広げた。
 だが、原爆被害の展示はしばしば「反米的」とされ、当局の圧力がかかることもあったという。一方で「運動」的な色彩が強まるにつれ、美術界からの言及も減っていった。
 岡村さんは「夫妻も、社会的な使命と芸術のはざまで葛藤があったようだ」と話す。「巡回展が、原爆被害の実相を伝える先駆的な試みだったのは間違いない。ただ、これだけ広がったのは、見る人の心に訴える芸術的な強さが作品に備わっていたからです」
 調査結果は、来年、目黒区美術館で開催を検討している「原爆を視る」展で紹介される予定だ。


記事を書いて下さったのは、小川雪記者。
小川記者は、昨年7月20日付『朝日新聞』朝刊に原爆の図展の証言を募集する記事を掲載し、調査に協力して下さいました。どうもありがとうございます。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201007200086.html

本来は今年4月から開催予定だった目黒区美術館の「原爆を視る」展で調査結果を発表する予定だったのですが、展覧会が「中止」となり、記事にもある通り、来年の開催を検討している状況なので、1年間準備期間が増えたと思って、さらに詳しく調査を進めていくつもりです。
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2011/5/10

NHK FMラジオにて「チェルノブイリ展」紹介  TV・ラジオ放送

午後6時20分過ぎから、埼玉県内向けのNHKのFMラジオ放送(さいたま85.1MHz、ちちぶ83.5MHz)「日刊さいたま〜ず」に8分間ほど電話で生出演。
開催中の「チェルノブイリから見えるもの」展の紹介をさせて頂きました。
久しぶりの電話出演なので緊張するのではないかと思いましたが、お相手して下さった石垣真帆キャスターは、実は小学校時代のスイミングスクールの同期生。彼女の明るくはきはきした受け答えのおかげで、とても落ち着いて話すことができました。

主な一問一答は以下の通り。

Q:もともとは秋に開催予定だったと聞きましたが?
A:今年はチェルノブイリ原発事故から25年ということで11月に企画を予定していたのですが、福島原発事故を受けて、芸術に何ができるのか、私たちには今こそチェルノブイリを表現した作品を観ることが重要なのではないかと考え、緊急企画として開催を早めました。
Q:今回の展示の特徴は?
A:2人の写真家と1人の画家。3人の表現者のそれぞれの視点から、事故から25年の歳月が経過したチェルノブイリの現実を見つめていくというのが大きな特徴です。それぞれの視点はかならずしもひとつの答えにおさまらないかも知れない。けれども、その複雑で多様な現実を見つめることからはじめたいと思っています。
Q:全部で何点の作品が展示されているのですか?
A:写真と絵をあわせて50点ほどです。今このときにチェルノブイリを見つめるということは、その先に福島原発の事故の現実を見つめることにつながると思っています。来館者数も非常に多く、関心の高さを感じています。
Q:来館者の方の反応は?
A:チェルノブイリで被害に直面している人たちの生活は他人事とは思えない、という声や、私たち自身がこれから何を変え、何を大切にしていかなければならないか、考えるきっかけになる、という声が聞こえてきます。
Q:3人の出品者はどんな方たちですか?
フォト・ジャーナリストの広河隆一さんは、事故がもたらした被害の現実を鋭く追求しています。病気で治療を受ける子どもや、廃墟となった街の風景などに胸が痛みます。
写真家で映画も撮影している本橋成一さんは、汚染された地域に残って生きる人びとの暮らしに命の再生と希望を見出します。地面の奥深くから湧き出るきれいな泉を飲んで生きる人びとの暮らしぶりには、絶望してばかりはいられないという気持ちにさせられます。
そして、画家の貝原浩さんは、現地で暮らす人びとのなかに溶け込み、いっしょにお酒を飲んだり、ご馳走を食べたりしながら、その雰囲気が伝わってくるような温かい筆づかいで彼らのたくましい暮らしぶりを巧みにスケッチしています。馬を耕し、ニワトリを飼い、地に足をつけて生きている人々の姿は、最新の科学文明の象徴のような原発と対照的に映ります。
また、広河さんが取材した福島原発事故の被災地域の写真も展示しています。
Q:3人の共通点もあるんですよね?
A:共通するのは、「見えないものを見えるように表現した」ということだと思います。放射能という目に見えないものをテーマにして絵や写真を制作したという意味でもありますが、それだけでなく、私たちがチェルノブイリの事故から25年のあいだに見ていなかったこと、見ようとしなかったことを伝えてくれる、という意味でもあります。
Q:最後にラジオをお聞きの方にメッセージを。
A:会場で作品に直接触れて感じることは多いと思いますが、会場に来られない方も、機会があれば3人の画集や写真集などをご覧になって頂きたいです。美術館でも貝原さんのスケッチ集がとても良く売れています。今このときだからこそ、彼らの仕事を見つめることは、私たちがこれからできること、何を見直していくかを考える一歩につながると思います。
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