2011/3/30

東京国立近代美術館「岡本太郎展」/目黒区美術館「原爆を視る」展  他館企画など

午前中は東京国立近代美術館で開催中の「生誕100年 岡本太郎展」へ。

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岡本太郎の展覧会は、2007年に世田谷美術館で開催された「世田谷時代1946-1954の岡本太郎」展の圧倒的な資料の充実度が印象深く、また、当時の日本の前衛芸術を牽引した彼の仕事にも深い感銘を受けたのですが、今回の企画展はその後の「縄文土器論」や「沖縄文化論」に代表される日本の“伝統”の再発見や、《太陽の塔》制作における大阪万博との対峙、第五福竜丸の被曝から着想した《明日の神話》制作、80年代の印象的なTVコマーシャル「芸術は、爆発だ!」という言葉に代表される消費社会との関わりなども含んだ、非常に多岐にわたる芸術家の全体像を俯瞰する内容でした。

ちょうど丸木美術館で第五福竜丸を主題にしたベン・シャーンと丸木夫妻の作品を展示していることもあって、《燃える人》(1955年)や《明日の神話》(1968年)といった作品が目にとまります。
原爆で焼かれる人間やきのこ雲、漁船などを大胆に造形化し、核の脅威を乗り越えようという情熱を画面にぶつける岡本太郎。目に見えない放射能を現代の怪物として描きあらわしたベン・シャーン、民衆のまなざしから事件をとらえようとした丸木夫妻……それぞれ画家の表現は違いますが、根底にあるものは、それほど大きく違わないように思います。

以下は、岡本太郎の言葉から。

原爆がサクレツしたという事実と、平和の問題は言うまでもなく別個の秩序である。
平和運動はあの激しい現実をみつめたところから始る。
それは戦争よりももっと積極的に、強烈に闘いとるものなのだ。この町も、ここに集る人も、あのあまりにも美しく、あまりにも不吉な現代の象徴に、惰性のムードやごまかしではなく、猛烈な自覚と情熱で、純粋に対決しなければならない。

(「瞬間」『私の現代芸術』新潮社、1963年8月)

1967年4月3日のワシントンポスト紙上にベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)が掲載した反戦メッセージ広告「Stop the Killing! Stop the Vietnam War!」のために、岡本太郎が「殺すな」の文字を揮毫していたことも、今展で初めて知りました。

   *   *   *

午後からは、K理事長とともに目黒区美術館を訪れ、先日中止が決まった「原爆を視る 1945-1970」展について、館長・副館長・担当学芸員の方々と今後の方向性などの討議をしました。
目黒区美術館としては、完全な中止というわけではなく、2012年度の開催を目ざして準備を継続する方向とのこと。
今回の中止を前向きにとらえ、より充実した内容の企画展にするため、丸木美術館も協力していかなければと思いました。

3月30日付『朝日新聞』夕刊にも“原発事故で「原爆展」中止に”との記事が掲載されました。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201103300284.html

以下は、記事の一部抜粋。

 同美術館によると、震災後に目黒区および美術館を運営する同区芸術文化振興財団で協議し、「放射能への不安が広がる中で(被災者など)影響を受けている人々の心情に配慮して中止を決めた」という。田中晴久館長は「復興の力を伝えるうえでも意義のある展覧会で、2012年度の開催を目指したい」と話している。
 震災後、美術館に対し、被災者や区民などから開催に反対する意見は寄せられていないという。展覧会の準備に協力してきた広島や長崎の原爆資料館や被爆者団体は中止の決定を残念としており、美術関係者らには「今こそ開くべき展覧会」などの声が上がっている。


目黒区美術館から帰る途中の電車の中で、彫刻家で丸木美術館の顧問を務めて下さっていた佐藤忠良さんが亡くなられたことを知りました。
戦後の文化を象徴する方々が、この一年で次々と亡くなられているような気がします。
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