2011/3/26

第五福竜丸展連続トーク第2回  イベント

企画展「第五福竜丸事件 ベン・シャーンと丸木夫妻」展の連続トークの第2回として、第五福竜丸平和協会事務局長・第五福竜丸展示館主任学芸員の安田和也さんと、三重大学研究員の竹峰誠一郎さんをお招きしました。
震災の影響で一時は開催も危ぶまれていたのですが、このたいへんな状況にもかかわらず、会場には30名を超える方が集まって下さいました。

安田さんの講演は「核兵器のない世界へ〜第五福竜丸は航海中」と題し、1954年の第五福竜丸の被曝事件の歴史的背景や事件のあらましを丁寧に語って下さいました。

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興味深かったのは、第五福竜丸乗組員の被曝した放射線量についての話。
福島原発事故の後にメディアで盛んに取り上げられている「シーベルト」という単位が身近に感じられ、彼らが推定約2シーベルト(2000ミリシーベルト)の被曝をしていたということにあらためて驚かされました。
ちなみに配布資料に掲載された3月25日の東京新聞記事「放射線量の人体への影響」よれば、業務従事者が浴びる上限が50ミリシベールト、がんになる可能性があるのが100ミリシーベルト、リンパ球の減少が見られるのが500ミリシーベルト、吐き気を覚えるのが1000ミリシーベルト、100%死亡するのが7000ミリシーベルト。
第五福竜丸は爆心から約160km離れた場所で被曝し、後に「死の灰」と呼ばれた白い粉状のものが降るなかで4、5時間作業し、その日の夜から乗組員にはだるさや食欲不振、下痢、発熱(典型的な急性症状)があらわれたそうです。
10日目くらいから脱毛現状が現れ、皮膚は火傷症状を呈し黒ずみ、焼津に戻って東京の病院に入院してからも、白血球減少症、造血機能障害など放射線の被曝による症状に苦しみました。
そして9月23日には、無線長の久保山愛吉さんが(今日の病名で言えば「放射線の障害による多臓器不全」により)亡くなっているのです。

久保山さんは戦時中に徴用漁船(軍が監視船として徴用した漁船)に乗っていた経験があり、水爆実験に遭遇した後、アメリカに存在を知られては無事に帰れないかもしれないととっさに判断して、無線を打たずに帰港したそうです。
この適確な判断が、乗組員の命を救ったと言えるのかも知れません。
実際、第五福竜丸の乗組員に対してアメリカが最初に行ったのは、ソ連のスパイではないかという身辺調査だったというから、第五福竜丸の事件については、まだまだ知らない興味深い出来事がたくさんありそうです。

   *   *   *

竹峰さんは、学生時代からアメリカの核実験場とされたマーシャル諸島を継続的にフィールド調査されている若手研究者。
今回も、豊富な資料と多角的な視点から、水爆実験当時の状況や、その後半世紀を超えるマーシャル諸島の人たちの暮らしぶりをレポートして下さいました。

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具体的に伝えられるマーシャル諸島の人々の生活の変化と混乱は、現在の福島原発事故と照らし合わせて考えずにはいられません。
そして、日本でしばしば使われる“世界で唯一の被爆国”という表現が、決して的確なものではないと気づかされます。
実際、竹峰さんは「グローバルヒバクシャ」という新たな言葉を提唱しながら、核の被害が地球規模で広がりを見せている実情をとらえようとしているのです。

   *   *   *

二人の講演の後には、女優・声優の好村俊子さんが石川逸子さんの詩「ロンゲラップの海」を朗読して下さいました。

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ロンゲラップとは、マーシャル諸島に位置する環礁の名前です。
石川さんの詩は、第五福竜丸の乗組員と、マーシャル諸島に生きる人びとが水爆実験に巻き込まれて被曝していく様子を、丁寧につづった叙事詩です。
好村さんの透き通るような言葉が、丸木夫妻の原爆の図第9部《焼津》の絵のある空間に響きわたり、イベントの最後を締めくくるのにふさわしい雰囲気を作り出していました。
朗読の後には、石川逸子さんご本人も挨拶をしてくださいました。

   *   *   *

今回の「第五福竜丸事件」展は、第1回トークと第2回トークのあいだに、3月11日の大震災・原発事故を挟み、その日を境に当初の企画意図とは大きく違った意味を帯びることになりました。
そうした企画意図との「ズレ」も含めて、展覧会というものは、今、このときの社会状況と切り離して見ることはできないと痛感する、忘れられない企画になりそうです。
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