2011/3/31

『埼玉新聞』「大道あやさん追悼展」  掲載雑誌・新聞

2011年3月31日付『埼玉新聞』に、“埼玉で花開いた画家 今秋、大道あやさん追悼展”との見出しで、昨年9月に亡くなった画家の大道あやさんの追悼記事が掲載されました。

記事には、埼玉での大道あやさんの暮らしが、知人の証言などを交えて紹介されています。
以下は、記事からの抜粋です。

 あやさんを知る川越市の女性(79)は「院展に入れるように、わしゃ頑張ると、よく口にしていた」と懐かしみ、「あやさんはコタツの中にもぐって、顔だけ出して絵を描いていた」と当時を振り返った。
 あやさんが傷みの目立つワンピースを着ている姿を見かねた別の女性が、代わりのワンピースを届けたところ「わしゃ、ぼろが好きなんだ」といい返されたというエピソードもある。人からの同情を好まず、自身や周りの人にも厳しかったという。
 埼玉ゆかりの作品には100号の「ちちぶの夜祭」「五百羅漢」「小江戸祭」「越生のしし舞い」などがある。1987年、あやさんは、越生町にスマさんと2人の作品を紹介する「オッペ美術館」を開設した。
 明るい色使いで、画面の隅々まで細かく丁寧に描く作品には温かさがある。同館の岡村幸宣学芸員は「絵本は身の回りの生き物や動物たちが主人公。繊細でほほ笑ましい」と説明する。

(中略)
 追悼展では約50点を展示する予定。県内初公開の作品も多い。岡村学芸員は「画家として埼玉で花開いた人がいたことを知ってもらいたい」と準備を進めている。

丸木美術館では、9月6日から10月15日まで「追悼 大道あや展」を開催いたします。
広島のご遺族がお持ちの作品を多数運んでくる予定ですので、ご期待下さい。
2

2011/3/30

東京国立近代美術館「岡本太郎展」/目黒区美術館「原爆を視る」展  他館企画など

午前中は東京国立近代美術館で開催中の「生誕100年 岡本太郎展」へ。

クリックすると元のサイズで表示します

岡本太郎の展覧会は、2007年に世田谷美術館で開催された「世田谷時代1946-1954の岡本太郎」展の圧倒的な資料の充実度が印象深く、また、当時の日本の前衛芸術を牽引した彼の仕事にも深い感銘を受けたのですが、今回の企画展はその後の「縄文土器論」や「沖縄文化論」に代表される日本の“伝統”の再発見や、《太陽の塔》制作における大阪万博との対峙、第五福竜丸の被曝から着想した《明日の神話》制作、80年代の印象的なTVコマーシャル「芸術は、爆発だ!」という言葉に代表される消費社会との関わりなども含んだ、非常に多岐にわたる芸術家の全体像を俯瞰する内容でした。

ちょうど丸木美術館で第五福竜丸を主題にしたベン・シャーンと丸木夫妻の作品を展示していることもあって、《燃える人》(1955年)や《明日の神話》(1968年)といった作品が目にとまります。
原爆で焼かれる人間やきのこ雲、漁船などを大胆に造形化し、核の脅威を乗り越えようという情熱を画面にぶつける岡本太郎。目に見えない放射能を現代の怪物として描きあらわしたベン・シャーン、民衆のまなざしから事件をとらえようとした丸木夫妻……それぞれ画家の表現は違いますが、根底にあるものは、それほど大きく違わないように思います。

以下は、岡本太郎の言葉から。

原爆がサクレツしたという事実と、平和の問題は言うまでもなく別個の秩序である。
平和運動はあの激しい現実をみつめたところから始る。
それは戦争よりももっと積極的に、強烈に闘いとるものなのだ。この町も、ここに集る人も、あのあまりにも美しく、あまりにも不吉な現代の象徴に、惰性のムードやごまかしではなく、猛烈な自覚と情熱で、純粋に対決しなければならない。

(「瞬間」『私の現代芸術』新潮社、1963年8月)

1967年4月3日のワシントンポスト紙上にベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)が掲載した反戦メッセージ広告「Stop the Killing! Stop the Vietnam War!」のために、岡本太郎が「殺すな」の文字を揮毫していたことも、今展で初めて知りました。

   *   *   *

午後からは、K理事長とともに目黒区美術館を訪れ、先日中止が決まった「原爆を視る 1945-1970」展について、館長・副館長・担当学芸員の方々と今後の方向性などの討議をしました。
目黒区美術館としては、完全な中止というわけではなく、2012年度の開催を目ざして準備を継続する方向とのこと。
今回の中止を前向きにとらえ、より充実した内容の企画展にするため、丸木美術館も協力していかなければと思いました。

3月30日付『朝日新聞』夕刊にも“原発事故で「原爆展」中止に”との記事が掲載されました。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201103300284.html

以下は、記事の一部抜粋。

 同美術館によると、震災後に目黒区および美術館を運営する同区芸術文化振興財団で協議し、「放射能への不安が広がる中で(被災者など)影響を受けている人々の心情に配慮して中止を決めた」という。田中晴久館長は「復興の力を伝えるうえでも意義のある展覧会で、2012年度の開催を目指したい」と話している。
 震災後、美術館に対し、被災者や区民などから開催に反対する意見は寄せられていないという。展覧会の準備に協力してきた広島や長崎の原爆資料館や被爆者団体は中止の決定を残念としており、美術関係者らには「今こそ開くべき展覧会」などの声が上がっている。


目黒区美術館から帰る途中の電車の中で、彫刻家で丸木美術館の顧問を務めて下さっていた佐藤忠良さんが亡くなられたことを知りました。
戦後の文化を象徴する方々が、この一年で次々と亡くなられているような気がします。
9

2011/3/28

美術館ニュース105号入稿  美術館ニュース

休館日でしたが、『丸木美術館ニュース』第105号の校正原稿を送信し、ようやくニュースの入稿が終了しました。
発送作業は4月2日(土)となります。ボランティア募集中です。

今回のニュースの表紙は、丸木スマさんの《田楽》です。
とても微笑ましい表紙で、個人的には気に入っていますが、この大地の恵みを大らかに祝う絵を見るたびに、福島原発事故で汚染されている大地のことを思わずにはいられません。

===

丸木美術館ニュース第105号(発行部数3,000部)

クリックすると元のサイズで表示します

〈主な記事〉
五月五日開館記念日のご案内 …… p.2
開館記念日出演者紹介 小室等さん、正木基さん …… p.3
美術家が描いた原爆、その広がりと距離 (石崎 尚) …… p.4
「大逆事件」100年、丸木夫妻の図に出会う (小松 芳郎) …… p.5
「第五福竜丸事件」展 アーサー・ビナードさん、大石又七さん講演報告 …… p.6
冬のみんなのアート祭りが楽しく終わりました (万年山 えつ子) …… p.7
連載 丸木位里・丸木俊の時代〈第6回〉 善性寺の新築/画家になる決意/渡伊佐松先生 (岡村 幸宣) …… p.8,9
美術館の日常から (中野 京子) …… p.10
丸木美術館情報ページ……p.11
リレー・エッセイ 第37回 (高瀬 伸也) …… p.12

===

今回のニュースでは、目黒区美術館の石崎尚学芸員が、本来は4月9日から開催される予定だった「原爆を視る 1945-1970」展の内容を紹介する原稿を書いて下さいました。
「原爆を視る」展の中止決定は、すでに石崎さんから原稿を頂き、割付、校正などを済ませた後のこと。いまさら原稿を差し替えるわけにもいかず、欄外に中止のお知らせを追加して入稿することにしました。
そのため、中止の知らせと開催の紹介が同居する複雑な号になってしまいましたが、かえって貴重な資料となるのかも知れません。
0

2011/3/26

第五福竜丸展連続トーク第2回  イベント

企画展「第五福竜丸事件 ベン・シャーンと丸木夫妻」展の連続トークの第2回として、第五福竜丸平和協会事務局長・第五福竜丸展示館主任学芸員の安田和也さんと、三重大学研究員の竹峰誠一郎さんをお招きしました。
震災の影響で一時は開催も危ぶまれていたのですが、このたいへんな状況にもかかわらず、会場には30名を超える方が集まって下さいました。

安田さんの講演は「核兵器のない世界へ〜第五福竜丸は航海中」と題し、1954年の第五福竜丸の被曝事件の歴史的背景や事件のあらましを丁寧に語って下さいました。

クリックすると元のサイズで表示します

興味深かったのは、第五福竜丸乗組員の被曝した放射線量についての話。
福島原発事故の後にメディアで盛んに取り上げられている「シーベルト」という単位が身近に感じられ、彼らが推定約2シーベルト(2000ミリシーベルト)の被曝をしていたということにあらためて驚かされました。
ちなみに配布資料に掲載された3月25日の東京新聞記事「放射線量の人体への影響」よれば、業務従事者が浴びる上限が50ミリシベールト、がんになる可能性があるのが100ミリシーベルト、リンパ球の減少が見られるのが500ミリシーベルト、吐き気を覚えるのが1000ミリシーベルト、100%死亡するのが7000ミリシーベルト。
第五福竜丸は爆心から約160km離れた場所で被曝し、後に「死の灰」と呼ばれた白い粉状のものが降るなかで4、5時間作業し、その日の夜から乗組員にはだるさや食欲不振、下痢、発熱(典型的な急性症状)があらわれたそうです。
10日目くらいから脱毛現状が現れ、皮膚は火傷症状を呈し黒ずみ、焼津に戻って東京の病院に入院してからも、白血球減少症、造血機能障害など放射線の被曝による症状に苦しみました。
そして9月23日には、無線長の久保山愛吉さんが(今日の病名で言えば「放射線の障害による多臓器不全」により)亡くなっているのです。

久保山さんは戦時中に徴用漁船(軍が監視船として徴用した漁船)に乗っていた経験があり、水爆実験に遭遇した後、アメリカに存在を知られては無事に帰れないかもしれないととっさに判断して、無線を打たずに帰港したそうです。
この適確な判断が、乗組員の命を救ったと言えるのかも知れません。
実際、第五福竜丸の乗組員に対してアメリカが最初に行ったのは、ソ連のスパイではないかという身辺調査だったというから、第五福竜丸の事件については、まだまだ知らない興味深い出来事がたくさんありそうです。

   *   *   *

竹峰さんは、学生時代からアメリカの核実験場とされたマーシャル諸島を継続的にフィールド調査されている若手研究者。
今回も、豊富な資料と多角的な視点から、水爆実験当時の状況や、その後半世紀を超えるマーシャル諸島の人たちの暮らしぶりをレポートして下さいました。

クリックすると元のサイズで表示します

具体的に伝えられるマーシャル諸島の人々の生活の変化と混乱は、現在の福島原発事故と照らし合わせて考えずにはいられません。
そして、日本でしばしば使われる“世界で唯一の被爆国”という表現が、決して的確なものではないと気づかされます。
実際、竹峰さんは「グローバルヒバクシャ」という新たな言葉を提唱しながら、核の被害が地球規模で広がりを見せている実情をとらえようとしているのです。

   *   *   *

二人の講演の後には、女優・声優の好村俊子さんが石川逸子さんの詩「ロンゲラップの海」を朗読して下さいました。

クリックすると元のサイズで表示します

ロンゲラップとは、マーシャル諸島に位置する環礁の名前です。
石川さんの詩は、第五福竜丸の乗組員と、マーシャル諸島に生きる人びとが水爆実験に巻き込まれて被曝していく様子を、丁寧につづった叙事詩です。
好村さんの透き通るような言葉が、丸木夫妻の原爆の図第9部《焼津》の絵のある空間に響きわたり、イベントの最後を締めくくるのにふさわしい雰囲気を作り出していました。
朗読の後には、石川逸子さんご本人も挨拶をしてくださいました。

   *   *   *

今回の「第五福竜丸事件」展は、第1回トークと第2回トークのあいだに、3月11日の大震災・原発事故を挟み、その日を境に当初の企画意図とは大きく違った意味を帯びることになりました。
そうした企画意図との「ズレ」も含めて、展覧会というものは、今、このときの社会状況と切り離して見ることはできないと痛感する、忘れられない企画になりそうです。
6

2011/3/25

【緊急企画】チェルノブイリから見えるもの  企画展

目黒区美術館「原爆を視る1945-1970」展の中止により、丸木美術館でも4月23日から予定していた企画展「《原爆の図》とその周辺」を急きょ見直し、緊急企画を立ち上げることになりました。
現在開催中の「第五福竜丸事件 ベン・シャーンと丸木夫妻」展を4月30日(土)まで延長し(当初の予定では4月16日まで)、その後、5月3日(火/祝)から6月11日まで「チェルノブイリから見えるもの 貝原浩『風しもの村 チェルノブイリ・スケッチ』を中心に」と題する展覧会を開催いたします。

放射能に汚染された村に戻ってきた人々のつつましく、たくましく暮らす姿を描いた貝原浩さんのチェルノブイリ・スケッチ「風しもの村」を通して、今、原発事故に直面した私たちが(奇しくも25周年を迎える)チェルノブイリの事故から何を見いだすことができるのかを問い直します。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

本橋成一さんのチェルノブイリ写真、広河隆一さんの福島原発事故の最新写真なども出品して頂くことが決まりました。
本橋さんは会期中にトークイベントを開催して下さる予定で、現在日程を調整中です。
5月5日(木/祝)の開館記念日には貝原浩さんとともにチェルノブイリを訪れているフォーク歌手の小室等さんのコンサートも開催いたします。

また、同時期には特別展示として「追悼 針生一郎」展も開催いたします。
昨年5月26日に84歳で逝去された文芸・美術評論家の針生一郎館長を偲び、ゆかりのある芸術家の作品約30点を展示する内容です。

   *   *   *

明日、3月26日(土)には、午後2時より「第五福竜丸事件」展連続トーク第2回を予定どおり開催いたします。
第五福竜丸平和協会事務局長の安田和也さん、三重大学研究員でマーシャル諸島における核実験の研究をしている竹峰誠一郎さんをお迎えします。女優・好村俊子さんによる朗読『ロンゲラップの海』(石川逸子詩)も行います。
どうぞ皆さま、ご来館ください。
6

2011/3/23

目黒区美術館「原爆を視る1945-1970」展中止  館外展・関連企画

昨日は休館日でしたが、夕方に4月9日より5月29日まで目黒区美術館で開催予定だった「原爆を視る1945-1970」展が急遽中止になったとの連絡が入りました。
予定では、本日朝一番に丸木美術館から《原爆の図》などが集荷されるはずだったのですが、その直前でまさか中止になるとは、にわかに信じられない思いでした。

その理由として、「イメージ的に、この度の大惨事や福島原発の事故と重なる部分がある」ために被災者の方々の気持ちを逆なですることにならないか、また、展覧会自体を忌避される方がいるのではないかという点が挙げられたそうです。
今回の「原爆を視る」展は、絵画、彫刻、建築、写真、グラフィックデザイン、漫画など500点に及ぶ作品によって、表現者たちが“原爆”という未曽有の出来事から何を感じ、どのように想像力を広げていったのかを歴史的に問い直すという、非常に重要な意味を持つ展覧会でした。
丸木美術館としても企画の立ち上げ段階から協力し、準備を進めてきただけに、本当に残念でなりません。

刊行されるはずだった図録には、これまで丸木夫妻が手がけてきた《原爆の図》15部連作をはじめ、国内各地に残されている《原爆の図》と題する丸木夫妻の共同制作のすべての画像を集め、そのほかに、「原爆の図のためのデッサン」を約100点、丸木俊、丸木スマの原爆を題材にした絵画作品、丸木位里が撮影した被爆直後の広島の焼け跡の写真、さらに、これまで刊行されたすべての『原爆の図』画集のデータを収録する予定でした。
また、ここ数年調査が進んだ1950年代前半、とりわけ米軍占領下の時代の「原爆の図」全国巡回展の動向を、当時展覧会を担った方やご覧になった方々の証言をもとに、全国の図書館の協力を得て、可能な限り掘り起こした資料も掲載する予定でした。
今後、世代を超えて《原爆の図》を継承していくための非常に貴重なデータベースになるはずだったのです。
「ようやく、あのときのことを話せるときがきた」と、60年前の記憶を鮮明に語って下さった多くの方の情熱が形になって社会に出る機会が失われたことを思うと、やり場のない口惜しさがこみ上げてきます。

   *   *   *

5月5日(木/祝)の丸木美術館開館記念日には、展覧会を企画された目黒区美術館の正木基学芸員をお迎えして、「『原爆を視る』展を考える」と題する講演が行われる予定でした。
今回、目黒区美術館の展覧会は中止となりましたが、5月5日には予定通り正木学芸員をお迎えして、「原爆を視る」展の内容を語って下さることになっています。
中止を余儀なくされた“幻の原爆展”がどのようなものだったのか。
ぜひ多くの方に、丸木美術館で確かめていただきたいと思っています。

(追記3/24)
2011年3月24日付の『中国新聞』朝刊に“東京の原爆美術展中止”との記事が掲載されています。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201103240075.html

以下は、原爆展中止に至る経緯と、関係者の反応を記事より一部抜粋。
中止決定に際しては、「被爆からどう復興してきたかを知る意味でも意義は大きい」という館長の意見が通らなかったようです。

 田中晴久館長によると、事故を受けて財団で対応を協議。財団理事でもある館長は「被爆からどう復興してきたかを知る意味でも意義は大きい」と開催を主張した。これに対し、他の理事からは「放射能汚染に敏感になっており、鑑賞に来る気になるのか」という意見が多く、この日の理事会で正式に中止を決めた。
 東京都原爆被害者団体協議会(東友会)の飯田マリ子会長(79)は「放射能の恐ろしさを考える機会として、今こそ意義も反響も大きいはず」と疑問を示す。
 洋画家福井芳郎が残した被爆直後のスケッチなど、資料70点余りを貸し出す予定だった原爆資料館(広島市中区)の杉浦信人副館長は「企画書によると大変充実した内容で、期待していた。時期をずらしてでも開催してほしい」と残念がった。
57

2011/3/21

NHKラジオ出演/町田市民講座のお知らせ  講演・発表

東日本大震災の影響で延期になっていたNHKさいたま放送局FMラジオ(さいたま85.1MHz、秩父83.5MHz)「日刊!さいたま〜ず」の出演が、4月6日(水)に決定しました。時間は午後6時から20分間です。
企画展「第五福竜丸事件」の紹介をさせて頂くのですが、丸木夫妻とベン・シャーンの作品から広がる想像力は、原発事故が起きている現在、当初の企画意図とは大きく変わっています。
そうした点も踏まえつつ、どのような話をするか、これからゆっくり考えたいと思っています。

   *   *   *

それから、こちらは東京の町田市在住・在勤・在学の方限定の市民講座ですが、2011年度前期講座・まちだ市民国際学として、「今、改めて核を学ぶ」という機を得た連続講座が行われるのでご紹介いたします。
岡村も第9回目の講座でお話しいたします。
応募者多数の場合は抽選とのことですが、町田市の方にはお勧めの講座です。
原発事故の起きている今だからこそ、こうした試みが各地に広がっていくのは、とても大切なことのように思います。

[講座概要]
募集人数:60人
参加費:3,000円(全10回)
会場:森野分庁舎4階会議室
曜日・時間:木曜日、18時30分から20時30分 (第5回のみ土曜日、初回と最終回のみ18時30分から20時45分)
応募締切:2011年4月6日水曜日まで(必着)
応募専用ページ:http://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/hats/hats/moushikomi.html

[プログラム]
@4月21日(木)なぜ今「核」を学ぶのか?(ピースボート共同代表 川崎哲)
A4月28日(木)原爆をめぐる神話と真実(科学史技術史研究所研究員・拓殖大学教授 日野川静枝)
B5月12日(木)安全で必要な原子力(広島大学学術顧問 藤家洋一)
C5月19日(木)危険で不要な原子力(未来バンク事業組合理事長 田中優)
D5月28日(土)【公開講座】核をめぐるメディアの問題(映像作家 鎌仲ひとみ)
E6月2日(木)ドイツから学ぶヨーロッパの核状況−原子力発電と核兵器−(原子力資料情報室共同代表 山口幸夫)
F6月9日(木)核兵器を保有する新興大国インドの実像(岐阜女子大学南アジア研究センターセンター長補佐・客員教授 福永正明)
G6月16日(木)米ロ間の核問題−オバマ大統領「核なき世界・冷戦〜現代」−(朝日新聞論説委員 吉田文彦)
H6月23日(木)世界の中の日本の役割−丸木美術館での活動を通して−(丸木美術館学芸員 岡村幸宣)
I6月30日(木)まとめ−私たちに何ができるのか−修了式(ピースボート共同代表 川崎哲)
1

2011/3/20

山本寛斎さん来館  来客・取材

ファッションデザイナー、イベントプロデューサーとして国際的に活躍されている山本寛斎さんが、午前中に丸木美術館に来館されました。
前日に突然ご本人から電話があり、おひとりで電車に乗って来られたのだそうです。
おそらく電車のなかでは非常に目立ったであろう鮮やかな黄色のレインコートを身にまとって……

クリックすると元のサイズで表示します

寛斎さんは、事務所にあった「第五福竜丸事件」展のチラシを見て、急に思い立って美術館に来られたのだそうです。
さっそく館内をご案内したのですが、「ぼくは感覚的にとらえるから絵を観るのは早いんです」とおっしゃる通りに、早足で絵の前を通り過ぎながら、しかし、どの作品にも興味を持って、矢継ぎ早に質問をされていました。
そんな寛斎さんが「一番印象に残った」というのが《南京大虐殺の図》。
国際舞台で活躍するなかで、日本だけの視線から戦争の被害を見ていては他の国の協力を得られないとおっしゃる寛斎さんにとって、もっとも実体験と共鳴する作品だったのかも知れません。

イメージの通り、とても気さくでパワフルな方で、最後はスタッフや来館者の方々といっしょに美術館の前で記念撮影をしてくださいました。

クリックすると元のサイズで表示します

「(震災や原発事故が起きている)こういうときだからこそ、丸木美術館に来たいと思った」とおっしゃる寛斎さんに、大きな勇気を頂きました。
どうもありがとうございました。
5

2011/3/17

鉄道運行状況改善  その他

「計画停電」の影響で鉄道運行の状況も日ごとに変わっています。
今日は、東武東上線が通常の40%程度の本数ながら、日中に志木〜小川町間を運行してくれたので、片道20kmの自転車通勤をせずに済みました。
それでも午後6時から10時半までは不通になってしまうので、早めに帰らなければなりません。

通常通りの開館を続けている丸木美術館ですが、今週はまだ有料入館者がありません。
今日は友の会の方が1人、展示を観に来て下さって、少しだけ心を励まされました。
3

2011/3/16

大木茂写真集『汽罐車』  その他

東武東上線が運行していないので、とりあえず今日は自宅待機。
自宅も朝から「計画停電」があり、窓から差し込む朝日で静かに写真集を観ることにしました。

クリックすると元のサイズで表示します

3月3日に刊行されたばかりの大木茂写真集『汽罐車 よみがえる鉄路の記憶 1963-72』(新宿書房)です。

大木茂さんは、映画のスチール写真や鉄道写真を撮影するカメラマンとして活躍されています。
近年では『北の零年』や『憑神』、『剱岳 点の記』などの映画の仕事を手がけているとのこと。
その大木さんが、若かりし頃、日本列島を縦横に旅しながら撮影した蒸気機関車の写真を集めた豪華写真集を刊行されたのです。

モノクロームの世界を駆け抜ける力強い蒸気機関車の姿。
そして今、沁みるように心に響くのは、鉄道を通して見えてくる、この列島の津々浦々に生きる人々の暮らしのぬくもりです。

実は、大木さんは、ボランティアで丸木美術館所蔵作品の撮影を請け負って下さっています。
経済的にゆとりのない丸木美術館にとっては、プロのカメラマンに作品写真を撮影していただけるのは、本当にありがたいことなのです。
その大木さんの原点が、こうした鉄道写真にひそんでいると思うと、なおのこと、頁をめくりながら胸が熱くなります。

 蒸気機関車とは考えてみるとなんとも不思議なものだ。本来効率を考えるなら垂直に設置するボイラーを横倒しにして車輪をつけて走らせてしまう。ずいぶんと無理をしてでき上がった機会なのだが、汗と涙と時には血を流して先人たちは苦労し工夫し使いこなしてきた。手間がかかるだけに注がれたものは大きく「人間に一番近い機械」とも言われ、鉄道の魅力の中心にいたのはたしかだ。
 しかし、非効率的な機械は淘汰されていった。無駄を省き安く大量に生産され、大量に消費される社会が生まれてきた。求められるのは目先が利き上手く立ち回れる人々だ。
 駆逐されたのはなにも蒸気機関車だけではなかった。愚直ではあるが真面目に生きてきた人々も、生活も、進歩効率化の名の下に箒で掃き捨てるように片隅に追いやられてしまった。僕にとっての蒸気機関車とは、使い捨て物質文明に潰されてしまった人々の優しい心根へのオマージュではないかと、今は考えている。

 (筆者「カメラと寝袋と機関車」より)

蒸気機関車のまわりで、走り、遊び、笑顔を見せる子どもたちの姿も、とてもまぶしく映ります。
原発事故の放射能汚染を危ぶみ「子どもを外で遊ばせてはいけない」と警告される現在。
そんな社会を生みだしてしまった大人の責任は重い、と思います。
9

2011/3/15

丸木美術館の現況  その他

先週末の東日本大震災で、丸木美術館も多くの方にご心配を頂いていますが、館内に大きな異常はなく、本日も平常通り職員は出勤しています。
いまのところ、計画停電の影響もありません。
とはいえ、東武東上線は不通なので(今日は川越から自転車出勤でした)、遠方からのご来館はお勧めできません。

福島の原発事故も心配です。
「私たちは皆第五福竜丸に乗っている」という、先日のアーサー・ビナードさんと大石又七さんの対談が、このように現実の問題としてあらわれたことに、何とも言えない思いを抱いています。

16日(水)午後6時に予定していたNHK-FMラジオへの出演が、23日(水)に延期になりました。
19日(土)午後2時からの丸木美術館クラブ工作教室は中止が決定しました。

美術館ニュースの発送や、次回企画展の準備など、ともかく今できることを少しずつ進めていくしかないのですが、先の見えない社会状況、何より、次々と届く震災現場からの悲しい報告に、心の痛む日々が続いています。

お亡くなりになった方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2

2011/3/11

地震速報!  その他

午後3時前に、強い地震がありました。
丸木美術館もかなり揺れ、いくつかの素焼作品などが倒れましたが、建物、絵画作品とも基本的には無事です。
スタッフ及び入館者の方も速やかに屋外に避難し、全員怪我はありません。
電話回線は通じませんが、停電にはなっていません。
取り急ぎ、午後3時半現在の情報でした。
0

2011/3/6

『朝日新聞』“第五福竜丸「人類みな乗っている」”  掲載雑誌・新聞

2011年3月6日付『朝日新聞』埼玉版に“第五福竜丸「人類みな乗っている」米詩人と乗組員が対談”という見出しで、アーサー・ビナードさんと大石又七さんのトークイベントの報告記事が掲載されました。

http://mytown.asahi.com/areanews/saitama/TKY201103050435.html

記事には、次のような二人の言葉が紹介されています。

 大石さんが「(事件は)私たちだけの体験ではない。核実験は続き、誰でも被曝するかもしれないと伝えたい」と語ると、ビナードさんが「人類はみな、第五福竜丸に乗っている」と応じた。
(中略)
 ビナードさんは「核実験がこれまでに2千回以上も行われている。『日本人は平和ぼけしている』と言われるが、『戦争ぼけ』が正しいのではないか」とも述べた。
 被曝者であることを隠して東京で暮らした大石さんは、事件後十数年たってから被曝体験を語り始めた。「被曝者への偏見は今でもあり、自分から進んで話したくはない。でも、誰かが話さなければ、もっとすごい被害が地上に起こる」と話した。


   *   *   *

また、2011年3月5日付『毎日新聞』埼玉版にも、「第五福竜丸事件」展の基本情報が掲載されています。

http://mainichi.jp/area/saitama/news/20110305ddlk11040073000c.html
0

2011/3/5

第五福竜丸展連続トーク第1回  イベント

企画展「第五福竜丸事件 ベン・シャーンと丸木夫妻」展の連続トークの第1回として、詩人のアーサー・ビナードさんと元第五福竜丸乗組員の大石又七さんをお招きしました。

今回の企画展は、「ラッキードラゴン・シリーズ」を手がけたアメリカを代表する画家ベン・シャーンと、原爆の図のなかで《焼津》や《署名》といった作品を描いた丸木夫妻という、日米両国の芸術家の視点によって1954年の第五福竜丸事件を見つめなおそうという試みです。
絵本『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』を刊行し、忘れられてはいけない歴史を語り部として伝えようというビナードさんの詩人らしい意外性のある視線と、被爆の実体験を伝える証言者として長年活動されている大石さんの力強い思いは、展示から生まれる想像力を深く広げて下さるもので、とても刺激的な企画になりました。

TV局の取材もあり、ビナードさんは午前中から来館して展示を観て下さいました。

クリックすると元のサイズで表示します

興味深かったのは、ビナードさんが原爆の図第10部《署名》をご覧になったときの反応でした。
ビナードさんは大の自転車好き。
絵の前でふと立ち止まって「あれ、ここに自転車が描かれているね」とつぶやき……しばらく見入った後、「豆腐って漢字が書いてある!」
原水爆反対の署名運動の行列を描いた作品には、よくみると当時の庶民的な風俗がさまざまに描かれており、そのなかに、自転車を曳いてラッパを吹く豆腐屋の少年の姿があるのです。
「力……賀正の賀? なんて書いてあるんだろう?」
「加賀、じゃないですか。力のとなりの口が消えていて見えにくいですけど」
「加賀豆腐店か!」
フレームのがっしりした昔風の自転車、荷台にとりつけられた豆腐を入れる木箱に、思わず「この自転車、欲しいなあ……」とつぶやくビナードさん。
署名、という主題を離れて、この絵画が等身大の人間の視線から出発していることに、とても感動して下さったようでした。

クリックすると元のサイズで表示します

ビナードさんがレギュラー出演しているラジオ番組で告知して下さった影響もあって、トークイベントは約100名の方が集まる大盛況。
いつもは寒い美術館の館内ですが、企画展示室は熱気に包まれ、寒さを感じませんでした。

クリックすると元のサイズで表示します

「ベン・シャーンは社会派画家、と呼ばれるけれども、ぼくにはその言葉の意味がよくわからない。彼はなんでも描ける実力の確かな画家であり、社会的な事件を描いても絵になる力を持っている。社会派画家、という箱のなかに収めてしまうのはおかしい。むしろ、社会的主題を描かない画家を、ふにゃふにゃ画家とか、社会無視画家とか、そういう箱に収めて、ベン・シャーンはふつうに画家、と呼んだ方がいいのではないか」
いつもながらビナードさんの視点は新鮮でユーモアがあり、しかし、思わぬ方向から本質を突いてくるので、油断がなりません。
午前中に発見したばかりの《署名》の自転車の話も早速紹介し、多くの人が自転車を見つけるために絵を振り返って観ていました。ビナードさんが「自転車」という入口を示したことで、絵が今までと違うかたちで輝いてくるのが不思議です。
以前、ビナードさんが丸木スマの絵について語って下さったときも、「この絵のなかに住みたい」と言った途端、絵のなかの人や生きものたちが生命を得て動き出しはじめたように感じたことを思い出しました。

クリックすると元のサイズで表示します

大石又七さんのお話では、近現代史研究者の小沢節子さんが聞き手役を務めて下さいました。
実は事前に、第五福竜丸で被曝したときの証言からはじめて、徐々にその後の大石さんの人生をたどっていきましょう、と打ち合わせを行っていたのですが、熱い気持ちを抑えきれない大石さんは、「20歳で第五福竜丸に乗ったんですよね?」という小沢さんの質問に、最初から現代の核問題をとりまく状況に対する思いを力強く語りはじめたのです。
おお、さすが海の男は違う、と圧倒されつつも、この後どうするんだろう?とやや不安に思われたのですが、そこは小沢さんが時計の針を巻き戻すように丁寧に質問を重ねて、被曝の状況とその後の苦難の人生、証言をするようになった複雑な心境についての話など、貴重な言葉を聞き出して下さいました。

クリックすると元のサイズで表示します

最後はビナードさんと大石さんが現代の状況をめぐって対談。
大石さんが「被曝は私たちだけの体験だけではない。核実験はその後も続いているし、空気も水も汚染されている。誰もが被曝者になる世界を生きているということを、もっと感じてもらいたい」と語ると、ビナードさんも「私たちは皆、第五福竜丸に乗っているんだ」と応えていました。

   *   *   *

この日も多くのボランティアが、駐車場の整理や会場の設営を手伝って下さいました。
おかげさまで、たいへん充実したイベントとなりました。
閉館後は、NHKさいたま局のH記者と第五福竜丸展示館のYさん、スタッフたちで近くの焼鳥屋で打ち上げも行い、さらに濃密で充実した一日になりました。
3

2011/3/2

アーサー・ビナードさん、大石又七さんトーク予告  イベント

現在開催中の「第五福竜丸事件」展連続トークの第1回として、3月5日午後2時より、詩人のアーサー・ビナードさんと元第五福竜丸乗組員の大石又七さんによるトークイベントが開催されます(参加自由、当日の入館券が必要です)。

ここが家だ――ベン・シャーンの第五福竜丸』(2006年、集英社)を刊行し、第12回日本絵本賞を受賞したアーサー・ビナードさんと、被曝体験を語り続ける大石又七さん。それぞれの視点から語られる第五福竜丸事件は、非常に興味深く、また、現代社会につながる問題提起もなされることと思います。
ぜひ皆さま、ご来館ください!!

●アーサー・ビナード
1967年、米国ミシガン州生まれ。ニューヨーク州のコルゲート大学で英米文学を学び、卒業と同時に来日、日本語での詩作を始める。
詩集、エッセイ、絵本を多数上梓するほか、文化放送と青森放送でラジオ・パーソナリティーをつとめる。全国各地で講演活動等も行っている。
2001年に詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞、05年に『日本語ぽこりぽこり』(小学館)で講談社エッセイ賞、08年には『左右の安全』(集英社)で山本健吉文学賞を受賞。
ベン・シャーンの「ラッキードラゴンシリーズ」13点+2点と自らの温かく力強い言葉で構成した絵本『ここが家だ――ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)は、第12回日本絵本賞を受賞した。

●大石又七(おおいし・またしち)
1934年、静岡県榛原郡吉田町生まれ。
48年から漁師、第五福竜丸の甲板員・冷凍士として被爆。
入院生活後、東京でクリーニング店を営む。
83年頃より被曝体験を語り、核廃絶を訴える活動をすすめる。
築地にマグロ塚を作る会主宰。財団法人第五福竜丸平和委員会評議員。
主な著書に『死の灰を背負って』(新潮社・1991年)、『ビキニ事件の真実――いのちの岐路で』(みすず書房・2003年)、『これだけは伝えておきたい ビキニ事件の表と裏』(かもがわ出版・2007年)など。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ