2011/2/9

【広島出張初日】広島県立美術館/広島拘置所/広島県立図書館  調査・旅行・出張

急に広島へ出張することになり、夜行バスに乗って午前9時過ぎに広島駅へ到着。
午前中は広島県立美術館へ行き、所蔵作品展を観てきました。

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22日から巡回してくる「『日本画』の前衛1938-1949」を観ることができないのは残念でしたが、この企画展に合わせて紹介された第1室「マックス・エルンスト《博物誌》」、第2室「広島画壇の先鋭・山路商とその時代」、第3室「日本画革新の系譜」、第4室「陶芸の前衛 走泥社」などの展示は見応えがありました。

マックス・エルンスト(1891-1976)は、シュルレアリスムを代表する芸術家として、丸木位里や歴程美術協会の仲間たちに多大な影響を与えました。
今回の展示の中心は、木目や貝殻、木の葉などの上に紙をおいて鉛筆や木炭で表面の凹凸をこすり取る“フロッタージュ”と呼ばれる技法を駆使して制作された《博物誌》。
「海と雨」ではじまり、「イヴ、我らに残された唯一の女」で終わる34点の連作は、1926年に画廊主ジャンヌ・ビュシェによって版画集として刊行された、エルンストの代表作のひとつです。
“フロッタ―ジュ”によって写しとられた自然物の模様を巧みに構成し、筆を加えて幻想的なイメージの世界が存分に表現されています。
同じ第1室には、イサム・ノグチのブロンズ彫刻《追想》(1944年)やサルバドール・ダリの《ヴィーナスの夢》(1939年)、ルネ・マグリットの《人間嫌いたち》(1942年)、ベン・シャーンの《強制収容所》(1944年)などの作品も展示され、興味深く観ることができました。

第2室で特集されている山路商(1903-1944)については、『丸木美術館ニュース』第104号でも紹介させて頂きましたが、1920年代から広島で前衛美術運動の中心として活躍し、若き日の丸木位里にも大きな影響を与えた油彩画家です。
以前から興味を抱いていましたが、実際に14点もの作品を観るのは初めて。
《男(眠れる)》(1931年頃)や《T型定規のある静物》(1932年)、《犬とかたつむり》(1940年)、《自画像》(1942年)などの作品はとても印象に残りました。
同じ部屋では、靉光の《帽子をかむる自画像》(1943年)や、当時広島の画家たちの集いの場だった黒川医院の芳名帳に描きこまれた丸木位里の三瀧寺の絵なども観ることができました。

第3室「日本画革新の系譜」では、丸木位里の《竹林》(1964年)、船田玉樹の《春の鐘》(1950年)などとともに、橋本雅邦や横山大観、速水御舟、甲斐庄楠音、平山郁夫らの作品が紹介されていましたが、児玉希望という画家の《新水墨画十二題》(1959年)という連作に心を惹かれました。水墨のにじみを生かして描かれた実験的な抽象絵画。それぞれのタイトルも「梵唄」、「滴律」、「海禾」、「雲似」と哲学的で、宇宙の根源のような不思議な作品に、もう少しまとめて観てみたい、という気持ちにさせられました。3月1日からは位里の友人である浜崎左髪子の絵画が特集され、6点ほど展示されるそうなので、こちらもちょっと観てみたかったです。

   *   *   *

その後は、県立美術館の近くにある広島拘置所へ。
以前、目黒区美術館のM学芸員にご教示頂いたのですが、この拘置所の外壁には、広島の画家・入野忠芳氏が制作した長さ190mの壁画があるのです。

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1989年に広島城築城400年を記念して広島市が企画し、入野氏に依頼したもので、1808年に本川沿いの繁栄が描かれた「江山一覧図」をもとにしながら、広島の城下町の風景、巨大な鯉や龍などの迫力のある姿が描かれています。

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太田川舟運の図もあり、丸木位里の故郷を思い出させるような描写に見入っていると、牛が描かれているのを発見。牛は位里の大好きな題材です。

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たしか、位里の実家でも牛を飼っていたはず。
太田川と牛は切り離せない関係にあるのかと、壁画を見ながら気づかされました。
制作から20年が経過しているため、さすがに色彩などの劣化はまぬがれないのですが、2009年から5年計画で修復中とのことで、部分的には鮮やかな色彩が再生されていました。

   *   *   *

午後からは広島県立図書館に移動して1950年代はじめの『中国新聞』を調査。
原爆の図巡回展について新しい情報を得られたら……と期待していたのですが、1950年9月26日に加計町で開かれた「原爆の図三部作表装完成展」の展示会場(常禅寺)が判明した程度で、あまり多くの収穫はありませんでした。1953年6月に原爆の図三部作がヨーロッパへと旅立ってからは、(その後も日本に残された作品で全国巡回は継続されたのですが)新聞が記事として取り上げる機会は少なくなってしまったのかも知れません。
その一方、1953年8月7日から6日間、東京日本橋の白木屋で中国新聞社主催、広島県・広島市後援による「ノー・モア・ヒロシマズ広島原爆展」が主催され、福井芳郎による「原爆記念画」7点が展示されたという『中国新聞』の記事を見つけました。
丸木夫妻だけではなく、さまざまな芸術家たちの表現が原爆のイメージを伝え、大きな反響を得ていたことを、あらためて考えさせられます。
おそらく今年4月から目黒区美術館で開催される「原爆を視る1945-1970」展は、そうした問題を見つめなおす貴重な機会となるのでしょう。
そのなかで、丸木夫妻の《原爆の図》が果たした役割がどのようなものであったということも、浮かび上がってくるのだろうと思います。

夕方にはホテルの喫茶店にて、位里の妹で昨年9月に101歳で亡くなった画家の大道あやのご遺族の方と待ち合わせ。
今年9月から10月にかけて丸木美術館で予定している企画展「追悼・大道あや展」のための打ち合わせを行いました。
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