2010/12/17

福沢絵画研究所展/麻生三郎展/ギャラリーマキ限界祭  他館企画など

美術館の休みを頂いて、都内の美術館・ギャラリー巡りの一日。

はじめは板橋区立美術館の「福沢一郎 絵画研究所展 進め!日本のシュルレアリスム」(2011年1月10日まで)を観ました。

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福沢一郎(1898-1992)は、日本におけるシュルレアリスムの牽引者として知られる画家です。
1924年にフランスへ渡り、1931年の第1回独立美術協会展にフランスから出品した37点の絵画で日本の美術界に衝撃を与えました。
それらの作品は、マックス・エルンストの影響を受け、科学雑誌の挿絵などをもとに、人や物のイメージを大胆にコラージュして描かれ、日本のシュルレアリスム絵画のはじまりと言われます。
帰国した福沢の家には多くの画家が蔵書や画集を見るために立ち寄り、やがて自宅アトリエを開放した「福沢絵画研究所」が開設されました。

丸木夫妻との関係で言えば、1940年の第1回美術文化協会展の前に、位里は福沢に「君の絵が必要なんだ」と誘われて加わった、と回想しています。
研究所は1941年に福沢が美術評論家の瀧口修造とともにシュルレアリスムを危険思想とみなされて逮捕されたことから閉鎖となりますが、早瀬龍江、米倉壽仁、杉全直、岩崎鐸、本間正義、林壽郎、山下菊二、白木正一、眞島建三、堀田操、高山良策、加太こうじ、箕田源二郎ら研究所で学んだ若者たちは戦後にさまざまな分野で活躍しました。

この展覧会は、その「福沢絵画研究所」に関わった人々の作品と資料を掘り起こし、紹介する初めての試みだそうです。
企画担当のHさんは徹底した調査研究に定評のある若手学芸員。
約20人の絵画約70点と関連資料で構成される展覧会は非常に興味深く、福沢一郎と高山良策(戦後、ウルトラマンシリーズの怪獣造形に携わる)の影響関係に焦点を当てたドキュメント映像も見応えがありました。

   *   *   *

続いて訪れたのは東京国立近代美術館の「麻生三郎展」(12月19日まで)。

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麻生三郎(1913-2000)も、「池袋モンパルナス」と呼ばれた豊島区のアトリエ村に住み、美術文化協会の結成に参加したという点では、丸木夫妻と関わりがあります。
美術文化協会の指導的存在だった福沢一郎と瀧口修造が検挙され、シュルレアリスム団体から戦争に協力的な方向へと美術文化協会が転換した際には、松本竣介や靉光らとともに「新人画会」を結成して時流に抗する美術活動を行った画家でもあります。
しかし、そうした戦時下の活動に比べて、戦後の画業については、何となく知っているような、知らないような……。
実に15年ぶり、個人的には初めて観る本格的な回顧展ということで、興味深く鑑賞しました。

驚いたのは、麻生三郎が1960年の日米安保反対闘争での樺美智子の死を悼んで《死者》、《仰向けの人》(ともに1961年)という2点の油彩画を残していたということでした。
また、《燃える人》(1963年)は、ヴェトナム戦争に抗議して焼身自殺する僧に触発されて描いたとのこと。
企画担当のO学芸員の解説には「社会に対する告発を目的とするのではなく、あくまでも、個の存在のかけがえのなさをいかに表すかという観点から絵画表現の探究を続けた」と記されていましたが、松本竣介や靉光、そして丸木夫妻らの「池袋モンパルナス」の画家たちが共有する戦争や人間性への“視線”に思いがけず出くわしたようで、不思議に心を揺さぶられました。

所蔵作品展で特集されていた長谷川利行の新発見作《カフェ・パウリスタ》(1928年)も見応えがありました。
版画コーナーでケーテ・コルヴィッツの連作銅版画「農民戦争」(1908年)が取り上げられていたのも、麻生三郎展との関連でしょう。
この美術館の企画・所蔵品展の連続性や展示の工夫には、いつも感心させられます。

   *   *   *

夜7時からは茅場町のギャラリーマキで福住廉 連続企画「21世紀の限界芸術論」vol.6『限界祭』第四夜に参加。
美術評論家・福住廉さんと根本千絵さん(ものがたり文化の会テューター)によるトーク「風とゆきゝし 雲からエネルギーをとれ――宮沢賢治と谷川雁」を聴きました。

根本千絵さんとは、最近いろいろとお会いする機会が多いのですが、いつも「かんからかんのかあん」と揺さぶられっぱなしです。
トークに関する経緯はぜひご本人のブログをご覧ください。
http://kankarakan.jugem.jp/?eid=993

この日のトークは、根本さんの活動の紹介がメインのはずだったのですが、話はさまざま多岐にわたって飛び回り、しかし、とても刺激的で面白いトークになりました。
個人的に心に残ったのは、福住さんと根本さんを結びつけるキーワード「限界芸術」についてのやりとりでした。

もとは鶴見俊輔氏が提唱したこの「限界芸術」という言葉。
鶴見氏は、専門家が制作し専門家が受容する芸術を「純粋芸術」とし、それに対し専門家が作るが大衆が受容するものを「大衆芸術」、非専門家が作って非専門家が受容する、広大な領域で芸術と生活の境界線にあたるものを「限界芸術」と定義したのです。
英語でいえば“Marginal art”(周縁、辺境、境界線上の美術との意)なのですが、それを「限界芸術」と名付けたことに対し、「限界というと“限界集落”のようなマイナスイメージがつきまとうから浸透しない」と根本さんがユニークな指摘。
福住さんは気圧されながらも、「いや、そうした誤訳気味の意味のずれを生むことも含めて、限界美術という言葉は面白い。崖っぷちというのは隣に別の何かがあって、その気配を感じることができる」と応じていました。

これまで漠然と「芸術は中心ではなく辺境の、生活の場から立ちのぼる」というようなことを、『中村正義の美術館』図録などに書いていたのですが、この“限界芸術論”に触れ、自分の考えを一歩踏み込んで整理してもらえたような感じがして、何だか勇気づけられる思いがしました。

もっとも、二人とも理論より実践を重視する立場。
根本さんは、ものがたり文化の会の活動を通して、子どもたちに「大人にプログラムを与えられて遊ぶのではなく、自分たちでルールを考えるような“突破力”を育てたい」と語り、福住さんも「まずは楽しく実践することを考えて、理論は後からつなげればいい。鶴見俊輔を使ってやるぐらいの気持ちがいい」と語っていました。

会場には一橋大学教授の鵜飼哲さんや現代美術家・映画監督の大浦信行さんの姿も見え、小さな空間にみなぎる濃厚なパワーに心地よい快感を覚える充実したイヴェントでした。
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