2010/12/28

美術館ニュース第104号入稿/仕事納め  美術館ニュース

仕事納めの大掃除の日。
たくさんのボランティアが参加して、館内外をとてもきれいにして下さいました。
わざわざ富山から来て下さったNさんご夫婦はじめ、皆さま本当にありがとうございました。

大掃除が終わり、美術館も閉館した夕方、今年最後の仕事である『丸木美術館ニュース』第104号をようやく入稿しました。
発送作業は1月8日(土)となります。ボランティア募集中です。

今回のニュースは、9月14日に101歳で亡くなられた大道あやさんの特集号です。
表紙にはあやさんの代表作《しかけ花火》を掲載しています。
また、大道あやさんの孫の大道眞由美さんと、あやさんの聞き書き一代記『へくそ花も花盛り』を編集された菅原啓州さんが追悼文を書いて下さっています。
今回のニュースの内容は以下の通りです。

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丸木美術館ニュース第104号(発行部数3,000部)

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〈主な記事〉
【特集】 追悼・大道あや 祖母・大道あやのこと (大道 眞由美) …… p.2
アヤコちゃん (菅原 啓州) …… p.3
「『日本画』の前衛1938-1949」展 丸木位里と船田玉樹、そして広島 (永井 明生) …… p.4
「第五福竜丸事件 ベン・シャーンと丸木夫妻」展 “核と人間”を深める企画展に (安田 和也) …… p.5
「この素晴らしき世界 丸木スマとアール・ブリュット」展を終えて (佐々木 奈緒) …… p.6
今日の反核反戦展2010/没後15年 丸木位里展 …… p.7
連載 丸木位里・丸木俊の時代〈第5回〉 位里の放浪期/大阪精華美術学院/米騒動の悪戯 (岡村 幸宣) …… p.8,9
美術館の日常から (中野 京子) …… p.10
丸木美術館情報ページ……p.11
リレー・エッセイ 第36回 (平川 恒太) …… p.12

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一年の締めは毎年恒例、美術館近くの小料理店Kで忘年会。
スタッフやボランティアの皆さんと、夜更けまで楽しい時間を過ごしました。

今年も一年間、たいへんお世話になりました。
どうもありがとうございました。
来年は、目黒区美術館で「原爆を視る 1945-1970」という企画展も開催されることになり、例年にも増して忙しい一年になりそうです。
丸木美術館にとっても実りの多い一年になりますように。
皆さま、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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2010/12/26

NHK総合「没後15年 丸木位里展」紹介  TV・ラジオ放送

正午のNHK総合テレビのニュースで、企画展「没後15年 丸木位里展」が紹介されました。

   *   *   *

原爆の惨状を描いた画家、故・丸木位里さんの水墨画を集めた作品展が東松山市で開かれています。

丸木位里さんは、妻の俊さんとともに原爆の惨状を描いた「原爆の図」などで知られています。
作品展は位里さんが94歳で亡くなってことし(平成22年)で15年になるのにあわせて開かれ、戦時中に描かれた水墨画50点が展示されています。
このうち「雲」と題した作品は、墨を紙に流し込む「墨流し」と呼ばれる画法でぼんやりとした雲の姿を表現しています。
また、昭和18年にぼたんの花を題材に描いた「花王」は、当時、流行していたヨーロッパの前衛的な画法、シュールレアリスムの影響がうかがえます。
原爆の図丸木美術館の岡村幸宣学芸員は「戦争の影響を受けながらも独自の水墨画を描き続けた丸木位里の作品を楽しんでもらいたい」と話しています。
この作品展は来年(平成23年)1月15日まで東松山市の「原爆の図丸木美術館」で開かれています。

(NHKさいたま局HPより)

   *   *   *

放送終了直後から、美術館には問い合わせの電話が続きました。
反響はなかなか良いようです。
今月は寒さが増したこともあって、入館者がやや寂しい状況でしたが、このテレビ放送のおかげで、年明けは少し持ち直すことができそうです。
いつも取材下さるH記者に御礼申し上げます。
来年もよろしくお願いいたします。
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2010/12/21

映画『ANPO』トークショー  館外展・関連企画

午後7時から渋谷アップリンクで開かれた映画『ANPO』上映&トークショーに行ってきました。

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ANPO
2010年 上映時間89分 日本
監督・プロデューサー=リンダ・ホーグランド 撮影=山崎裕
編集=スコット・バージェス 音楽=武石聡、永井晶子 歴史監査=ジョン・ダワー
配給・宣伝=アップリンク

出演・作品=会田誠、朝倉摂、池田龍雄、石内都、石川真生、嬉野京子、風間サチコ、桂川寛、加藤登紀子、串田和美、東松照明、冨沢幸男、中村宏、比嘉豊光、細江英公、山城知佳子、横尾忠則
出演=佐喜眞加代子、ティム・ワイナー、半藤一利、保阪正康
作品のみ=阿部合成、石井茂雄、井上長三郎、市村司、長濱治、長野重一、浜田知明、濱谷浩、林忠彦、丸木位里、丸木俊、森熊猛、山下菊二


この映画は、黒沢明や宮崎駿、深作欣二、大島渚、是枝裕和、西川美和らの映画200本以上の英語字幕を制作した日本生まれの米国人リンダ・ホーグランドが、60年安保を知る芸術家の証言や作品を通して、日本と米国の関係を問い直すドキュメンタリーです。

中村宏や池田龍雄、桂川寛、山下菊二らの絵画や石内都、東松照明、濱谷浩の写真など、紹介される作品からあふれるパワーは、とにかく圧倒的。
ナレーションはなし、字幕は固有名詞のみという硬質な作りで、コラージュのように次々と証言や作品を重ねあわせながら、1960年6月の安保闘争が日本にとって政治と文化の分岐点になったという事実を映し出していきます。

   *   *   *

映画上映の後は、リンダ・ホ―グランド監督と西川美和監督のトークショーが行われました。
西川監督は自分と同世代ということもあって以前から注目しており、昨年『ディア・ドクター』が川越スカラ座で上映されたときにはトークショーの司会を務めさせて頂きました。
とても知的で鋭い視線を持ちあわせた方なので、今回のトークショーでは、ホーグランド監督からどんな話を引き出してくれるのか期待していました。
その期待にたがわず、ホーグランド監督の映画への思いが聴き手に伝わる、興味深いトークショーだったように思います。

印象に残ったのは、宣教師の子どもとして日本に生まれ、日本人の学校に通ったホーグランド監督が、小学校4年生のときに初めて学校で原爆について学んだという体験でした。
「戦勝国の子どもが敗戦国の教育を受ける」という特殊な状況。
その体験は彼女の内面にひそかな傷を作り、人生を大きく変える決め手となったそうです。

やがて映画の仕事に携わるようになったホーグランド監督は、あるとき、今村昌平監督が1959年に『にあんちゃん』という貧しいながらも希望に満ちた作品を撮影したにもかかわらず、1961年には『豚と軍艦』というニヒリズムに満ちた作品に大きく転換したことに気づきます。気づいてみると、他の映画監督も1960年を境にトーンが変わっている。
この現象は何なのか、1960年に何があったのか……と調べていくうちに、たどり着いた先が安保闘争の深い影だったというわけです。

ホーグランド監督にとって、日米安保の抱える矛盾は、まさに自らの内面にひそむ傷と重なるものだったことでしょう。
やがて彼女は、特殊な生い立ちから生じる独特の視点……どちらでもなく両方を知るという立場からしか見えないものを、世に投げかける責任があると考え、『ANPO』の制作に取り組みはじめたといいます。
『ANPO』を撮り続けるうちに、彼女は次第に広島に対する負い目が消えていったと語りました。

映画のラストシーン。
基地のある町・横須賀で育った石内都さんが、故郷を歩きながら、「傷ついたままじゃ嫌だった」とつぶやく印象的なシーンがあります。
まさにその言葉こそ、ホーグランド監督の気持ちに重なるものだったのでしょう。
自分のまわりがおかしいと思ったとき、何かを変えたいときに、「今のままじゃ嫌だ」という気持ちを持つことは、一番大事なステップで、誰にでもできる、とホーグランド監督は語ります。
そしてその気持ちは、本当の芸術家の制作の根源でもあるというのです。

『ANPO』に紹介された画家たちの作品の、大地からわきあがるような深いパワーを感じるとき、そして、現代の社会や芸術の抱える理由の見えない閉塞感を考えるとき、このホーグランド監督の映画は、鋭い問いかけを私たちに投げかけてくれるような気がします。
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2010/12/19

目黒区美術館「原爆を視る」展打合せ  来客・取材

目黒区美術館より学芸員のMさんとIさんが来館され、来年4月9日より5月29日まで開催される「原爆を視る 1945-1970」展に向けての打ち合わせを行いました。

M学芸員は、2009年に目黒区美術館で行われた「‘文化’資源としての〈炭鉱〉」展(2009年度美連協大賞受賞)を企画された方で、今回の「原爆を視る」展も、“美術を通して読みとる戦後社会”という問題意識を継承した企画ということです。

原爆を主題にした視覚表現を見渡す展覧会というのは、公立・私立の美術館を問わず、これまで一度も開かれたことがありません。
丸木夫妻の《原爆の図》の意味を歴史的に再検証するためにも、今回の企画は非常に重要な意味を持つことになるでしょう。

ひとことで視覚表現といっても、その表現は絵画・写真・漫画・ポスター・演劇・建築・モニュメント・映画など、非常に広域かつ膨大な量となります。
丸木美術館に関するものだけでも、丸木夫妻の共同制作《原爆の図》をはじめ、「原爆の図のためのデッサン」、絵本『ピカドン』、丸木俊の油彩画、被爆地のスケッチ、丸木位里が被爆地を撮影した写真、丸木スマの絵画、そして映画『原爆の図』(1953年、今井正・青山通春監督)など、かなりの数にのぼります。

目黒区美術館という限られたスペースのなかで、どのような展覧会が構成されるのか。
おそらくM学芸員の企画なので、壁面を上から下までフルに使って圧倒的な迫力を作り出す展示になることと思います。

来年5月5日の丸木美術館開館記念日には「原爆を視る」展に関連する講演も予定しています。
丸木美術館も目黒区美術館と連携し、ともに展覧会を盛り上げていきたいと思っています。
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2010/12/17

福沢絵画研究所展/麻生三郎展/ギャラリーマキ限界祭  他館企画など

美術館の休みを頂いて、都内の美術館・ギャラリー巡りの一日。

はじめは板橋区立美術館の「福沢一郎 絵画研究所展 進め!日本のシュルレアリスム」(2011年1月10日まで)を観ました。

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福沢一郎(1898-1992)は、日本におけるシュルレアリスムの牽引者として知られる画家です。
1924年にフランスへ渡り、1931年の第1回独立美術協会展にフランスから出品した37点の絵画で日本の美術界に衝撃を与えました。
それらの作品は、マックス・エルンストの影響を受け、科学雑誌の挿絵などをもとに、人や物のイメージを大胆にコラージュして描かれ、日本のシュルレアリスム絵画のはじまりと言われます。
帰国した福沢の家には多くの画家が蔵書や画集を見るために立ち寄り、やがて自宅アトリエを開放した「福沢絵画研究所」が開設されました。

丸木夫妻との関係で言えば、1940年の第1回美術文化協会展の前に、位里は福沢に「君の絵が必要なんだ」と誘われて加わった、と回想しています。
研究所は1941年に福沢が美術評論家の瀧口修造とともにシュルレアリスムを危険思想とみなされて逮捕されたことから閉鎖となりますが、早瀬龍江、米倉壽仁、杉全直、岩崎鐸、本間正義、林壽郎、山下菊二、白木正一、眞島建三、堀田操、高山良策、加太こうじ、箕田源二郎ら研究所で学んだ若者たちは戦後にさまざまな分野で活躍しました。

この展覧会は、その「福沢絵画研究所」に関わった人々の作品と資料を掘り起こし、紹介する初めての試みだそうです。
企画担当のHさんは徹底した調査研究に定評のある若手学芸員。
約20人の絵画約70点と関連資料で構成される展覧会は非常に興味深く、福沢一郎と高山良策(戦後、ウルトラマンシリーズの怪獣造形に携わる)の影響関係に焦点を当てたドキュメント映像も見応えがありました。

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続いて訪れたのは東京国立近代美術館の「麻生三郎展」(12月19日まで)。

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麻生三郎(1913-2000)も、「池袋モンパルナス」と呼ばれた豊島区のアトリエ村に住み、美術文化協会の結成に参加したという点では、丸木夫妻と関わりがあります。
美術文化協会の指導的存在だった福沢一郎と瀧口修造が検挙され、シュルレアリスム団体から戦争に協力的な方向へと美術文化協会が転換した際には、松本竣介や靉光らとともに「新人画会」を結成して時流に抗する美術活動を行った画家でもあります。
しかし、そうした戦時下の活動に比べて、戦後の画業については、何となく知っているような、知らないような……。
実に15年ぶり、個人的には初めて観る本格的な回顧展ということで、興味深く鑑賞しました。

驚いたのは、麻生三郎が1960年の日米安保反対闘争での樺美智子の死を悼んで《死者》、《仰向けの人》(ともに1961年)という2点の油彩画を残していたということでした。
また、《燃える人》(1963年)は、ヴェトナム戦争に抗議して焼身自殺する僧に触発されて描いたとのこと。
企画担当のO学芸員の解説には「社会に対する告発を目的とするのではなく、あくまでも、個の存在のかけがえのなさをいかに表すかという観点から絵画表現の探究を続けた」と記されていましたが、松本竣介や靉光、そして丸木夫妻らの「池袋モンパルナス」の画家たちが共有する戦争や人間性への“視線”に思いがけず出くわしたようで、不思議に心を揺さぶられました。

所蔵作品展で特集されていた長谷川利行の新発見作《カフェ・パウリスタ》(1928年)も見応えがありました。
版画コーナーでケーテ・コルヴィッツの連作銅版画「農民戦争」(1908年)が取り上げられていたのも、麻生三郎展との関連でしょう。
この美術館の企画・所蔵品展の連続性や展示の工夫には、いつも感心させられます。

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夜7時からは茅場町のギャラリーマキで福住廉 連続企画「21世紀の限界芸術論」vol.6『限界祭』第四夜に参加。
美術評論家・福住廉さんと根本千絵さん(ものがたり文化の会テューター)によるトーク「風とゆきゝし 雲からエネルギーをとれ――宮沢賢治と谷川雁」を聴きました。

根本千絵さんとは、最近いろいろとお会いする機会が多いのですが、いつも「かんからかんのかあん」と揺さぶられっぱなしです。
トークに関する経緯はぜひご本人のブログをご覧ください。
http://kankarakan.jugem.jp/?eid=993

この日のトークは、根本さんの活動の紹介がメインのはずだったのですが、話はさまざま多岐にわたって飛び回り、しかし、とても刺激的で面白いトークになりました。
個人的に心に残ったのは、福住さんと根本さんを結びつけるキーワード「限界芸術」についてのやりとりでした。

もとは鶴見俊輔氏が提唱したこの「限界芸術」という言葉。
鶴見氏は、専門家が制作し専門家が受容する芸術を「純粋芸術」とし、それに対し専門家が作るが大衆が受容するものを「大衆芸術」、非専門家が作って非専門家が受容する、広大な領域で芸術と生活の境界線にあたるものを「限界芸術」と定義したのです。
英語でいえば“Marginal art”(周縁、辺境、境界線上の美術との意)なのですが、それを「限界芸術」と名付けたことに対し、「限界というと“限界集落”のようなマイナスイメージがつきまとうから浸透しない」と根本さんがユニークな指摘。
福住さんは気圧されながらも、「いや、そうした誤訳気味の意味のずれを生むことも含めて、限界美術という言葉は面白い。崖っぷちというのは隣に別の何かがあって、その気配を感じることができる」と応じていました。

これまで漠然と「芸術は中心ではなく辺境の、生活の場から立ちのぼる」というようなことを、『中村正義の美術館』図録などに書いていたのですが、この“限界芸術論”に触れ、自分の考えを一歩踏み込んで整理してもらえたような感じがして、何だか勇気づけられる思いがしました。

もっとも、二人とも理論より実践を重視する立場。
根本さんは、ものがたり文化の会の活動を通して、子どもたちに「大人にプログラムを与えられて遊ぶのではなく、自分たちでルールを考えるような“突破力”を育てたい」と語り、福住さんも「まずは楽しく実践することを考えて、理論は後からつなげればいい。鶴見俊輔を使ってやるぐらいの気持ちがいい」と語っていました。

会場には一橋大学教授の鵜飼哲さんや現代美術家・映画監督の大浦信行さんの姿も見え、小さな空間にみなぎる濃厚なパワーに心地よい快感を覚える充実したイヴェントでした。
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2010/12/16

新刊『1950年代―「記録」の時代』  その他

河出書房新社より鳥羽耕史さんの著作『1950年代―「記録」の時代』が刊行されました。

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河出ブックス023『1950年代―「記録」の時代』
2010年12月30日初版発行
著者=鳥羽耕史
発行=河出書房新社
定価=1300円+税


徳島大学准教授の鳥羽さんは、戦後の文化運動を丹念に調査されている気鋭の研究者。
原爆文学研究会や展覧会などでたびたびお会いし、とてもお世話になっています。
今回の著作は、これまであまり注目されてこなかった1950年代――「記録」と文学や芸術が接近し、多彩な展開を見せた時代――を、生活綴り方やサークル詩、ルポルタージュ絵画、記録映画、テレビ・ドキュメンタリーなどに具体的に迫りながら、「記録」は現実をどう変えたかを検証し、「記録」と現代を結ぶ線を再発見するという注目すべき一冊です。

近年、東京都現代美術館での「中村宏 図画事件」展や、目黒区美術館での「‘文化’資源としての〈炭鉱〉」展、そして現在も巡回中の「池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡」展など、この時代の表現を再評価しようという動きが高まりつつあるのを実感しています。
そしてそれは、来春に目黒区美術館で開催される「原爆を視る 1945-1970」展において、ますます確かな流れとなることでしょう。
丸木夫妻の《原爆の図》連作も、そうした流れのなかで、重要な位置を占めることは言うまでもありません。

いわゆる昭和三〇年代ブームの「古き良き時代」でもなく、大阪万博回顧の「懐かしい未来」でもない、生々しく野蛮な「新しい過去」への扉を開く
と記された鳥羽さんの言葉には、胸の高鳴る思いがします。

価格もお手頃ですので、ぜひ多くの方にお読み頂きたい、お勧めの新刊です。
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2010/12/15

NHKテレビ取材/FMラジオ出演  TV・ラジオ放送

「没後15年 丸木位里展」広報のための一日になりました。

午前中はNHKテレビ放送用の撮影スタッフが来館。
取材をして下さったのは、今年一年本当にお世話になったさいたま局のH記者です。

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美術館の入館者がもっとも少なくなるこの季節のテレビ取材は、本当にありがたいです。
放送予定は未定ですが、年末年始になりそうとのこと。
年明けにたくさんの方が観に来て下さると良いのですが……

   *   *   *

午後6時からは浦和のNHKさいたま放送局を訪れ、FMラジオの「日刊!さいたま〜ず」に出演。
前回に続いて滝島雅子アナウンサーがお相手をして下さり、「没後15年 丸木位里展」の話をしました。

ヨーロッパの前衛芸術思想シュルレアリスムの影響を受けて「日本画」に実験的な表現をとりいれた丸木位里や仲間の画家たちの魅力について夢中になって話しているうちに、20分の出演時間は無事に終了。
テレビの収録では限られた時間で話をまとめなければならず、つい焦ってしまうのですが、ラジオは伝えたいことを落ちついて話すことができるので、毎回楽しく出演させて頂いています。

上手に話を引き出して下さる滝島さんにも本当に感謝です。
放送前のマイクテストのときに「準レギュラーにおいでいただきました」と笑顔で緊張をほぐして下さったり、テレビとラジオの話の方法論の違いを教えて下さったり、ゲストがリラックスして話せるような細やかな気遣いをして下さるので、ふだんより上手に話せるような気になるのです。

出演の前後にはキャスターの佐々さんや石垣さんが笑顔でお迎えに来て下さって、カメラマンの顔見知りの方々も声をかけて下さるなど、毎度のことながらNHKさいたま放送局の皆さんには本当に良くして頂きました。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
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2010/12/11

美術館クラブ「王冠でクリスマス!」  ワークショップ

毎月恒例の丸木美術館クラブ工作教室。
そして毎年、12月は本川なおこさんの案内で、クリスマスを祝うのも恒例になってきました。
今回の工作の材料は……王冠です。

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さまざまな色の王冠を叩き潰してメダルのようにしたものを、板の上に貼り合わせてクリスマスツリーの飾りを作るのです。

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大人も子どもも夢中になって王冠を貼っていきます。

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できあがりはこちら。
廃品を利用しているとは思えない色とりどりのクリスマスツリーができました。

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工作のあとは、本川さんのギター演奏で「あわてんぼうのサンタクロース」を歌います。
これも毎年恒例です。

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そして今年は、画家の石塚悦子さんがサンタクロースになって、参加者にプレゼントを配って下さいました。

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妻T差し入れのクリスマスケーキを配っているのは、息子Rの扮するちびサンタです。

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丸木美術館では、来年1月22日(土)から2月19日(土)まで、いつも工作教室を主宰して下さる万年山えつ子さんの企画で、「冬のみんなのアート祭り―障害のある人もない人も いっしょに祭りをあつくしよう」と題するパワフルな展覧会を行います。
今回作ったクリスマスツリーも、「アート祭り」に展示されるようです。
賑やかで楽しい展覧会になりそうです。
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2010/12/10

広河隆一さん講演  他館企画など

この日は美術館閉館後に、事務局のNさんとともに坂戸オルモで開かれたフォトジャーナリスト広河隆一さんの講演会に行ってきました。
「1枚の写真が社会を変える」と題された講演会です。

広河さんは1982年のレバノン戦争の際に起きたパレスチナ難民虐殺(サブラ・シャティーラ虐殺事件)をいち早く取材し、チェルノブイリ原発事故についても精力的に報道活動を続けるなど世界を代表するフォトジャーナリストとして知られています。

サブラ・シャティーラ虐殺事件については、以前、川越スカラ座で『戦場でワルツを』を上映した際に豊田直巳さんをお招きしてトークイベントを行いました。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1371.html

広河さんは虐殺事件が起きた直後に現地に入って撮影されている数少ないジャーナリストです。
その写真と証言は、非常に臨場感あふれ、戦争への想像力を喚起させられるものでした。

また、広河さんが責任編集者として発行を続けているフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』についての話も心に響きました。

2001年9月11日のいわゆる「同時多発テロ」以後、大手メディアが報道本来の役割を果たしていないという思いから生まれた雑誌です。
一枚の写真が国家を動かすこともある」というフレーズとともに創刊された雑誌の方針は、次の通り。

■「人間の命と尊厳」「自然の環境」を守る雑誌。
■「権力の監視」というジャーナリズム本来の役割を担う雑誌。
■「差別、抑圧、飢餓、男性の女性に対する暴力」などに取り組む雑誌。
■フォトジャーナリズムを中心にした雑誌。
■世界の最高水準のドキュメンタリー写真を掲載する雑誌。


広河さんによれば、当時は「絶対に失敗する」と言われたそうですが、『DAYS JAPAN』は今も多くの方々の定期購読によって支えられ、刊行を続けています。
丸木美術館でも、Nさんの提案によって、バックナンバーを1階奥のロビーに置いていますので、ご覧になった方もいらっしゃると思います。

『DAYS JAPAN』の年間定期購読は以下のHPからお申し込みになれます。
http://www.daysjapan.net/subscription/index.html
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2010/12/10

東京国立近代美術館『現代の眼』  執筆原稿

このたび刊行された東京国立近代美術館ニュース『現代の眼』最新号の585号(2010年12-2011年1月号)の特集2「『日本画』の前衛 1938-1949」に、兵庫県立美術館の出原均学芸員と岡村が、ともに丸木位里に関する寄稿をしています。

出原学芸員は1994年に当時所属されていた広島市現代美術館で「丸木位里展」を企画された方で、広島の美術にたいへん精通されています。
今回の寄稿では、「『日本画』の前衛 1938-1949」展に出品されている丸木位里の歴程美術協会出品作《馬》(1939年)の発見当時のエピソードを記して下さっています。

私の文章では、現在丸木美術館で開催中の「没後15年 丸木位里展」出品作から、《さぎ(2)》に見られるデカルコマニーの表現と、発表時の作品を90度横に傾けて展示した《瀧》に見られる“実験性”を中心に、位里と靉光の交流などを紹介しています。

「『日本画』の前衛 1938-1949」展は、1月8日から東京国立近代美術館で開催されます。
ご興味のある方はぜひお運び頂き、あわせて『現代の眼』もご覧になって下さい。

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東京国立近代美術館ニュース 現代の眼

[『現代の眼』について]

美術館、、工芸館で開催される展覧会の特集記事や所蔵作品の解説、各種インフォメーションなどを載せたA4判16ページの小冊子です。1954年から定期的に刊行され、現在は隔月刊で発行しています。

[最新号のご案内]

特集1 栄木正敏のセラミック・デザイン−リズム&ウェーブ
 私の陶磁器デザインと「三つのびっくり」◆栄木正敏(陶磁器デザイナー)
 栄木正敏・自己主張する産地型デザイナー◆井上隆生(美術ジャーナリスト)

特集2 「日本画」の前衛 1938-1949
 丸木位里と船田玉樹についての覚書◆出原 均(兵庫県立美術館学芸員)
 丸木位里の「前衛」と歴程美術協会◆岡村 幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員)

[所蔵作品展「現代の人形」]
 所蔵作品展「現代の人形」によせて◆北村仁美(当館主任研究員)

[教育普及リポート]KIDS★MOMAT 2010報告
 夏休みの教育普及活動◆一條彰子(当館主任研究員)
 夏の工芸館プログラムリポート:藍染ワークショップを中心に◆齋藤佳代(当館研究補佐員)

[イベント報告]
「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」イベント ダンスパフォーマンス アフタートークから◆保坂健二朗(当館研究員)・柴原聡子(当館研究補佐員)

[購入方法]

価格:350円(税込)
美術館・工芸館のミュージアムショップで販売しています。
送付ご希望の方は、お名前、ご送付先、ご連絡先をお書き添えの上、430円(送料込み)を切手にて下記宛先までお送りください。

宛先:
〒102−8322 東京都千代田区北の丸公園3-1
東京国立近代美術館内 近代美術協会

*複数部数の購入をご希望の場合やバックナンバーに関するお問い合わせは TEL: 03-3214-2561 まで
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2010/12/9

大川美術館へ  調査・旅行・出張

群馬県桐生市の大川美術館へ行ってきました。

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1989年に開館した大川美術館は、桐生市出身の実業家である故大川栄二氏が収集した6,500点を超える国内外の作品を所蔵している私立美術館です。

山の中腹に建てられた5階建の建物は迷路のように小さな展示室が連続し、美術館の目玉である松本竣介の絵画を中心に、近現代における重要な芸術家をたどることができるユニークな展示内容となっています。

現在開催中の展覧会は「大川美術館コレクション名品選」(12月19日まで)。
大川美術館を訪れたのは久しぶりだったのですが、創設者の大川氏が2年前に亡くなられたこともあって、館内の雰囲気がずいぶん変化していました。
学芸員のOさんにお話を伺ったところ、もちろん賛否はあるようなのですが、様々な意味で館長の強烈な個性が前面に出ていた以前の展示に比べて、作品そのものを鑑賞する環境は洗練され、落ちついた印象を受けました。

時代の変化とともに、美術館をめぐる状況は少しずつ変化していきます。
美術館そのものも、少しずつ変化を続けていかなければ、やがては滅びてしまう。
小さな美術館同士、抱えている問題や悩みが似ているせいか、Oさんとの対話はついつい長くなってしまいました。

今回大川美術館を訪れた目的のひとつは、来年に丸木美術館で開催する予定の展覧会への協力要請でした。
小さな美術館同士、連携を密にして充実した活動を行っていくことが、将来に向けての重要な鍵となるという点で、お互いの意見は一致しました。
詳しくはいずれご報告しますが、来年は丸木美術館にとって、新鮮な試みとなるような企画を立ち上げていきたいと思っています。
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2010/12/8

高橋五山と教育紙芝居研究  来客・取材

以前、この日誌で、高橋五山と赤松俊子の紙芝居『おとなりさん』を紹介しました。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1312.html

本日、その高橋五山のご遺族の方から日誌にコメントをいただき、すぐに返信したところ、さっそく丸木美術館を訪れて下さいました。

高橋五山は1888年京都生まれ。本名は昇太郎といいます。
京都市立美術学校卒業後、東京美術学校図案科に進学。卒業後は幼年雑誌の編集に携わり、1931年に自ら全甲社という出版社を立ち上げます。
紙芝居の刊行をはじめたのは1935年のこと。街頭紙芝居の演じ手と聞き手の人間的な結びつきや、その場にいる皆で参加できる楽しさに着目しつつ、教育性や芸術性を盛り込んだ新しい教育紙芝居を発案しました。
当時、紙芝居は品のないもの、教育的でないものという偏見がありましたが、五山の手がけた新しい紙芝居は次第に教育の現場に普及していきました。
絵本に親しむことができたのは一部の裕福な家庭の子どもだけだったという時代に、紙芝居によって外国の童話に出会うことは、多くの子どもたちにとって新鮮な喜びだったことでしょう。
1938年には、英国の絵本ピーターラビットを翻訳した紙芝居『ピーター兎』を刊行しています。
これは日本語の書籍として最初に刊行されたことで知られる『世界新名作童話 ぴーたーうさぎのぼうけん』(光吉夏弥訳、1956年、光文社)をはるかに先がけるものでした。
生涯をかけて教育紙芝居の普及に尽力した五山の功績は大きく、現在はその名を冠した「高橋五山賞」も作られているほどです。

しかし、五山のご遺族の方のお話によれば、紙芝居という分野の研究は、これまでほとんどなされていないとのこと。
児童文学や絵本については数多くの研究者がいるにも関わらず、紙芝居は消耗品という偏見があるのか、研究の対象となっていないというのです。
たしかに、絵本を専門に収集している図書館や美術館は存在しますが、紙芝居を体系的に収集している施設は聞いたことがありません。
赤松俊子やいわさきちひろのように、絵本の世界で大きな業績を残している画家も、紙芝居の仕事を手がけています。
けれども、これまでの資料を見ても、紙芝居の仕事はまるで存在しなかったかのように、記録から抜け落ちているのです。

ご遺族の方は、五山の興した全甲社を再度立ち上げ、紙芝居の復刻に着手しつつ、五山の教育紙芝居の研究にも努められているそうです。
http://zenkosha.com/index.php?FrontPage

俊が手がけた紙芝居について、きちんと調査をしなくてはいけないという思いは前々から持っていたので、教育紙芝居研究の話は、私にとっても非常に興味深いものでした。
紙芝居の研究が進めば、あるいは、現在知られている絵本作家についても、また違った側面が見えてくるかもしれません。
ご遺族の方の熱意に感動しつつ、今後も注目し、応援していきたいと思いました。
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2010/12/8

NHK FMラジオ「日刊!さいたま〜ず」出演のお知らせ  TV・ラジオ放送

今年これまで2度出演させて頂いている、NHKさいたま放送局FMラジオ(さいたま85.1MHz、秩父83.5MHz)の番組「日刊!さいたま〜ず」に、12月15日(水)午後6時から約20分ほど、出演させて頂くことになりました。
スタジオ生放送で現在開催中の企画展「没後15年 丸木位里展」を紹介いたします。
担当して下さるのは滝島雅子アナウンサーの予定です。

この番組、毎回ゲスト出演者がリクエスト曲を2曲お願いすることができるのですが、今回は丸木位里が銀座で第1回個展を行った1939年の流行歌(!)をリクエストしてみました。
少しでも、位里たちが生きた時代の“束の間の自由”の空気をお送りできたら……という狙いだったのですが、果たして当時の音を記録したCDが見つかるのかどうか。ちょっと楽しみ。笑

もう一曲は、平和への願いを託したクリスマス・ソングとして、ジョン・レノン&オノ・ヨーコの“Happy Xmas (War Is Over)”をお願いしました。
今日はジョン・レノンの30年目の命日ですね。

番組をお聴き頂けるのは、残念ながら埼玉県内のみという限定の放送ですが、電波の届く環境にいらっしゃる方は、どうぞ午後6時に周波数をNHK-FMラジオに合わせてみて下さい!
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2010/12/5

【福井・金沢ツアー2日目】福井県立恐竜博物館/金沢21世紀美術館など  調査・旅行・出張

ゆっくり出発されるNさんたちとお別れして、2日目は朝から単独行動。
まずは福井駅からえちぜん鉄道に乗って、勝山市の福井県立恐竜博物館を目ざしました。

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えちぜん鉄道は、豊かな里山の風景のなかを1両編成の車両がゆっくり走っていくという、素晴らしい雰囲気の路線です。
遠く山々の向こうには、雪をかぶって輝く白山の頂も見えました。
特筆されるのは、乗客ひとりひとりを丁寧にもてなしてくれるアテンダント(客室乗務員)の存在。
相次ぐ列車事故により廃線の危機にあった小さなローカル線が、「人を大切にする」心を軸に鮮やかに再生を遂げたという物語は、丸木美術館にとっても決して他人事ではありません。
彼女たちの奮闘ぶりは、『ローカル線ガールズ』(2008年、メディアファクトリー)という書籍にもまとめられています。

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終点の勝山駅は1914年開業当時の駅舎がそのまま残り、登録有形文化財になっている趣きのある建物でした。

   *   *   *

勝山駅からはバスに乗り換え、およそ10分。
今年開館10年目を迎えた福井県立恐竜博物館は、日本で最初に全身の骨格が発掘された恐竜フクイサウルスや、同じく最初に全身骨格が発掘された肉食恐竜フクイラプトルなど、近年目覚ましい発掘成果を生み出している福井県の恐竜研究のシンボル的存在です。

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恐竜の卵を模したデザインの建物のなかに入り、エスカレータで地下へ下りていくと、地層をイメージした通路「ダイノストリート」。

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通路を通り抜けると、いよいよ恐竜の世界が広がります。

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まずは、今年7月のリニューアルで新たに展示されたという、カマラサウルスの全身骨格化石に圧倒されます。全身がほぼ完全な状態で発掘されたという極めて珍しい「産状化石」です。

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産状化石を見下ろしながら階段をあがると、「恐竜の世界ゾーン」。
こちらもリニューアルの際に新たに加わったという全長7mのティラノサウルスの復元ロボットがリアルに動き、迫力たっぷりの咆哮をあげます。

もちろん、恐竜の全身骨格も「竜盤目」「鳥盤目」など体系的な分類に基づいてふんだんに展示されており、まさに“等身大の恐竜図鑑”となっています。

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中央のゾーンが吹き抜けになっていて、間近で個々の展示を見た後に上階から全体を鳥瞰できるという構成は、さいたま市の鉄道博物館にもよく似ています。

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福井県内で発掘されたフクイサウルスやフクイラプトルの全身骨格も見ることができます。

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フクイサウルスは、イグアノドンの仲間の草食恐竜。日本でもっとも多くの骨が発掘されている恐竜です。

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フクイラプトルは、アロサウルスの仲間に分類される肉食恐竜。前肢や後肢の骨がほぼ完全にそろっており、肉食恐竜としては日本で初めて復元された全身骨格です。

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館内では、発掘された化石をクリーニングする作業を来館者に公開している部屋もあります。
研究者の仕事は壁の向こう側で行われ、来館者には見えないという博物館施設が多いのですが、こうした実際の研究の様子をガラス越しに見ることができるというのは、なかなか興味深い試みだと思いました。

   *   *   *

かつての“恐竜少年”として恐竜博物館を堪能した後は、福井市内に戻って福井県立図書館を訪れました。
福井市内では1952年5月に佐佳枝劇場で5日間ほど「原爆の図」展が開催されていたとの情報があり、当時の新聞記事を調べておきたかったのです。
福井駅前には、佐佳枝神社という神社が残っていて、劇場も近くにあったのではないかと思うのですが、現在、その劇場の存在を知る人はあまりいないようです。

県立図書館で当時の新聞の閲覧を申請したところ、地元の『福井新聞』のマイクロフィルムを見ることができました。限られた時間の調査ということもあり、残念ながら「原爆の図」の記事にたどり着くことはできませんでしたが、佐佳枝劇場の広告は掲載されていました(1952年5月15日付)。

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たしかに、1952年5月に佐佳枝劇場という劇場が存在していたことがわかりました。
どうやら「劇場」という名ではありますが、映画館だったようです。
映画館で「原爆の図展」……ロビーに展示されたということでしょうか。
ますます謎は深まります。どなたか、当時の佐佳枝劇場での「原爆の図展」をご覧になったことがあるという方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください。

   *   *   *

調査の後は急ぎ足で福井駅に戻り、特急「しらさぎ」に乗って金沢駅へ。
すぐに石川県立図書館へ向かい、再びマイクロフィルムの閲覧を申請しました。
今度は、やはり石川県の地元紙『北國新聞』の調査です。
そして今度は……ついに記事を発見しました。

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1952年5月24日付の『北國新聞』4面に掲載された〈思い起せ“広島の悲劇”片町大和で「原爆の図」展覧会〉という見出しの記事です。
記事によれば、展覧会は5月23日から3日間金沢市片町大和5階ギャラリーで開催され、第1部から第5部までが展示されたとのこと。この記事は、今井正・青山通春監督による記録映画『原爆の図』(1953年、新星映画新社)のなかにほんの一瞬映っているのですが、丸木美術館には記事が現存せず、いつ、どの新聞に掲載された記事なのか、ずっとわからなかったのです。
貴重な発見に、やはり現地に行って調べてみるものだとあらためて実感しました。
ちなみに片町の大和(だいわ)というデパートは、現在も金沢市の中心の商業施設としてたいへんな賑わいを見せています。

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最後に訪れたのは、「ミュージアムとまちとの共生」をコンセプトに、2004年の開館以来、新しい美術館のモデルケースとして注目を集めている金沢21世紀美術館

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金沢の町の中心、兼六園や市役所に隣接するという立地条件を生かし、円形に設計された美術館は企画展を行う「展覧会ゾーン」と、さまざまな人が気軽に立ち寄ることのできる「交流ゾーン」によって構成されています。

「交流ゾーン」と呼ばれる無料のエリアにも現代美術が恒久展示されています。
そのひとつが、ブエノスアイレス生まれのレアンドロ・エルリッヒによる《スイミング・プール》。

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美術館の中庭にあるのは、一見、ただのプールのようですが、よく見ると水中を服を着た人たちが歩いています。
実は強化ガラスに深さ10cmほどの水を張り、その地上と地下から作品を眺めることで、別の鑑賞者との“出会い”が生まれるという、とても面白い作品なのです。

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水面下から見ると、こんな具合。こちらは入場料を払わないと中に入ることができません。
ほかにも身体の感覚を使って楽しめる展示作品があり、小さな子どもを連れた親子連れが歓声をあげて遊んでいる光景が見られました。

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「展覧会ゾーン」で現在開催中なのは「ペーター・フィッシュリ ダヴィッド・ヴァイス」。

写真、立体、映像などのメディアを柔軟に操りながら、日常的な素材を使って、皮肉とユーモアを織り交ぜながら人間社会の本質を浮き彫りにするチューリッヒ生まれの2人組の活動を紹介する企画展です。
日曜日ということもあり、会場には若者を中心にたくさんの人が訪れていました。
こんな美術館が町の中心にあれば、一般的に“難解”と思われがちな現代美術が“楽しい!”と身近に感じることができるのだろうなと、うらやましく思いました。
ヨーロッパの現代美術館に、ちょっと雰囲気が似ているような気がします。

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21世紀美術館を出る頃には、周囲はすっかり真っ暗。
夜景もなかなか開放的な雰囲気です。
ちなみに「展覧会ゾーン」は午後6時に閉館しますが、「交流ゾーン」は午後10時まで開館しているそうです。

夕食は金沢駅で美味しい海鮮丼をいただき、夜のバスで東京に戻りました。
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2010/12/4

【福井・金沢ツアー初日】東尋坊/金津創作の森/宇野重吉演劇祭  調査・旅行・出張

今年5月に亡くなった針生一郎館長のご長女のNさんに誘われ、Nさんご一家と友人の方々、美術関係学芸員、映像作家の皆さんとともに福井へ第1回宇野重吉演劇祭鑑賞・針生館長の足跡をたどるツアーへ参加しました。

行きの新幹線の座席はNさんが予約して下さって、東京駅からごいっしょする予定だったのですが、なんと「在来線の事故に巻き込まれ、地下鉄に乗り換えたが予定の新幹線に間に合わない」とのメールが届き、急きょ途中まで一人旅に。
しかも米原駅で北陸本線の特急「しらさぎ」に乗り換える際に、一度もお会いしたことのない名古屋の女性学芸員Sさんを見つけなければならないという、のっけからスリリングな展開に。
今年から携帯電話を持つようになって本当によかった!
Sさんは某美術誌で非常に読み応えのある針生館長の追悼文を書かれた方で、Sさんたちが取り組んでいるという日本美術オーラルヒストリー・アーカイブについてお話を伺っているうちに、あっという間に福井駅に到着しました。

   *   *   *

福井駅前でSさんと越前そばを食べ、結局約1時間遅れで到着したNさん御一行と無事に合流。ウルトラシリーズの怪獣デザインで知られる美術家の成田亨に迫るドキュメンタリ映画「日本の怪獣」を制作中という映像作家Tさんも合流しました。
駅前でレンタカーを借りて、まず一行が目ざしたのは、針生館長が丸木美術館のほかにもうひとつ館長を務められていた「金津創作の森」。

途中、三国の古い湊の町なみを通り抜け、世界有数の見事な柱状節理で知られる東尋坊に立ち寄りました。

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前日の嵐の影響もあって、この日の東尋坊は日本海の荒々しい波が激しいしぶきをあげ、たいへんな迫力でした。

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柱状節理とは、地上に噴出したマグマが冷え固まって柱状に規則正しく(多くの場合は六角形に)発達した現象です。
こうした不思議な地層を見ると、何だか胸が躍ります。
地層の奥から、太古の生きものたちの声が聞こえてくるようです。

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現在丸木美術館で開催中の「没後15年 丸木位里展」にも、位里が描いた《柱状節理》と題する水墨が2点展示されています。
描かれた場所は特定できませんが、東尋坊のような奇景が位里の心をとらえたのでしょう。

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金津創作の森」の話は、針生館長からたびたび伺っていたのですが、実際に訪れるのは今回が初めて。

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旧金津町(現あわら市)によって1998年にスタートした複合芸術施設(ミュージアム機能を備えた中心施設「アートコア」のほかに、入居作家の生活の場や工房も揃えている)「金津創作の森」は、約20ヘクタールという自然の里山を最大限に生かして作られています。

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まずは「アートコア」を訪れ、H事務局長にご挨拶。
企画展は、「Art Document 2010 共鳴する森」と題して、福井で長年前衛芸術運動を牽引してきた八田豊氏と、彼が長年交流してきた韓国人作家韓永燮氏をはじめ、国内外24名の現代美術作家による自然素材を主にした作品展示が行われていました。

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八田氏は1980年代の終わりに視力を失い、その後は和紙の原料である楮(こうぞ)を指先でよりほぐしながらキャンバスに貼り付けていくという表現を確立させた非常に興味深い作家です。
針生館長とも親しく交流されていた八田氏は、Nさんが来館するというので会場に来て下さいました。「長年視力を失っていると、指の先に目がついているようになる」と制作にまつわる話などをお聞きした後、急ぎ足で野外の広場などに展示された作品も観賞。
雨上がりの里山は瑞々しい輝きを帯びて、現代美術の作品とやわらかな調和を醸しだし、深く心に沁み入りました。

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里山の自然を生かすというコンセプトに加え、福井県内でも決して交通の便の良くない場所で質の高い芸術作品を紹介するという活動を続けていくことは、本当にたいへんなことだと思います。
針生館長、そしてスタッフの方々の努力を目の当たりにして、あらためて深い感動を覚えました。

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レンタカーを福井駅前で返した後は、軽い夕食をとり、福井県民ホールで開催される「宇野重吉演劇祭2010」へ。
宇野重吉(1914-1988)は福井県出身の俳優・演出家。劇団民藝を創設するなど長く演劇界を牽引し、新藤兼人監督の『原爆の子』や『第五福竜丸』など原爆を主題にした映画にも出演しています。
今回の公演は、第1回宇野重吉演劇賞受賞作品「アラル海鳥瞰図」(作=高野竜、演出=根本コースケ)。

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実は、演出家の根本コースケ氏は、Nさんのご長男。つまり針生館長のお孫さんなのです。
チラシに記された「演出家より」という文章を以下に紹介します。

「アラル海鳥瞰図」は、偶然にめぐりあった青年期をすごす若者たちが、
彼ら「普通の人」の目と感覚で、遠くの彼の地を見つめ、その中で、
自分の青年期をどう生きぬいていくかについて思いを巡らす物語です。
彼らの語りにより、彼らの世界により、抽象的でぼやけていた「世界」、
「アラル海」は、次第にはっきりと、遠くではあるが確かに存在するもの
として浮かび上がり、それぞれの人物との「つながり」になっていく。
そのつながりが、彼らの青年期を生き抜く確かな「力」となる。世界と
如何につながり、それを自身の力にしていける。これがこの作品の主題です。
その「つながり」が、7人の役者の世界に立ち向かう姿を通して、見ている
お客さんにも確かに感じられるような、そんな作品にしたいと思います。
福井でも、いや、日本でもめったに見ることのできない作品になると思います。
どうぞ劇場まで足をお運び下さい。


中央アジア、ウズベキスタン西部にある世界第4の湖「アラル海」は、ソビエト連邦の時代から続く農業用水の汲みあげ過ぎによって枯渇しようとしているそうです。
そして湖周辺には、スターリンの「民族シャッフル」政策により極東から集団移住した朝鮮族の末裔が今でも多数住んでいるとのこと。
演劇は、その「アラル海」をキーワードにして、現代を生きる7人の日本の若者たちの独白が、決して直接交わることなく、しかしどこかに「つながり」を感じさせながら、最後まで複雑に交錯していくという内容でした。
作者は埼玉県在住とのことで、物語のなかでは、高句麗の滅亡によって亡命した朝鮮人が(丸木美術館に近い)埼玉県の飯能市に集団移住したという話も登場していました。

留学でも移住でもいいんですけど、僕なんかね、どんどん人は動いた方がいいって思うんですよ。行って、見て、帰ってくる。あるいは帰ってこない。動いたことが悲劇だと思ってたら、ずっとなんていうか恨みを晴らすために生きてるみたいな感じになるじぁないですか……」という台詞が、非常に印象的でした。
先日、千葉県佐倉市にある国立歴史民族博物館を訪れた際、20世紀は戦争の世紀であり、人類史上例にないほど大規模に人間の移動が行われた時代であった、という展示を見て、そのことがずっと心に残っていたのです。

国家によって強制的に馴染みの土地からひきはがされる人びと。
土地に縛られることなく、自らの意思で“ここではないどこか”を目指す人びと。
生きるために、生まれた土地を離れなければならない人びと。
事情や思いはそれぞれ違っても、現代は生まれた土地で生涯をまっとうする人の方が少ないような時代です。
人は動けば、自らとは異なる背景世界を背負った人と出会い、刺激を受けることでしょう。
世界を見つめる視線が大きく変わるかもしれません。
その経験が、人びとに何をもたらすのか。
そうした時代の世界観は、これまでとどのように変わってくるのか。
演劇をみながら、さまざまなことを考えさせられました。

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写真は公演のあと、ロビーで語らう関係者と観客たちの様子。
出演者の若々しい熱演もあって、非常に好感度の高い舞台になっていたように思います。

劇場を出た後は、Nさん一行とともに駅前の居酒屋へ行き、夜が更けるまで語り合いました。
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