2010/11/25

世田谷美術館/針生邸調査/永井画廊  調査・旅行・出張

午前中、世田谷美術館の企画「橋本平八と北園克衛展」に足を運びました。
独自の精神世界を感じさせる木彫作品を残した橋本平八(1897-1935)と、前衛的な詩や視覚デザインで知られる北園克衛(1902-1978)の異色の兄弟を取り上げた展覧会で、たいへん興味深いものでした。

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北園克衛は、大正から昭和のはじめの新興芸術運動に参加し、シュルレアリスムの影響を強く受けた詩人です。丸木位里が参加した第一回歴程美術協会展の展評も手がけています。
そのためかどうか、彼ら兄弟の作品と現在丸木美術館で開催中の「没後15年丸木位里展―戦前の活動を中心に―」にならぶ作品は、どこか共通する空気感を持っているように思えました。

展覧会を観た後、企画担当のN学芸員にご挨拶して、しばし雑談。
N学芸員によれば、「モダニズム」と「和の伝統」は対照的なように思えるけれども、実は橋本平八・北園克衛兄弟のように、一見相反する両者に深い関心を示す芸術家は案外多い、とのこと。
西洋的なモダニズムの精神を自分たちの中に取り込み、乗り越えていくためには、和の美意識とモダニズムとの共通点を見出すことが、この時代の必然であったのかも知れません。
丸木位里もまた、1941年6月に「墨・紙・画面・印象」と題する、西洋の前衛理念をいかに東洋絵画にひきつけて理解するかを論じた興味深い文章を雑誌『美之國』に発表しています。
生涯を通じてあまり理念的な文章を残さなかった位里が、珍しく絵画論を正面から論じている貴重な文章です。
シュルレアリスムの絵画技法を水墨画で実践しようと試みていた当時の位里の絵画などを思い出しながら、興味深くN学芸員の話を聞きました。

   *   *   *

午後からは、今年5月に亡くなられた針生一郎元館長の長女のNさんとともに川崎市の針生邸を訪れ、自宅に残されたさまざまな作品資料の調査を行いました。
先日、アートスペースで個展を開催した平川恒太くんもアシスタントで参加してくれました。
平川くんのブログには、早速、個展の回想と針生邸調査の様子が記されています。
http://hirakawakenkyujyo.blog104.fc2.com/blog-entry-217.html

多摩丘陵の坂の上に建つ針生邸は、建築家の原広司の設計。
しかも玄関の三和土は画家の利根山光人作。「TONE」とサインの入った三和土に靴を脱ぐのがもったいないような気もします。
下の外観写真は昨年12月に針生邸を訪れた際に撮影したものです。

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書斎でお話をしたときの針生さんの写真もあげておきます。

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主を失った書斎は心なしか寂しげで、しかし、あまり感傷にひたる時間もなく、仏壇にお線香をさしあげた後、本の山の向こうから次々と現れる作品資料の写真撮影をしていきました。

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針生さんが背負って来られた戦後の美術史がそのまま伝わってくるような、非常に興味深く、そして勉強になる作業でした。
崩れそうな本棚の上に飾られている作品や、額に埃がたまっている作品も多く、平川くんが手伝ってくれてとても助かりました。
それでも、時間がなくて撮影しきれなかった作品もまだまだありました。
今後もじっくり調査をしていく必要がありそうです。

   *   *   *

夕方には銀座の永井画廊を訪れ、「永井三喜男へのオマージュ展」を見てきました。
現在、テレビ東京の人気番組「開運!なんでも鑑定団」に出演中の永井画廊社長・永井龍之介さん。そのお父君で永井画廊の創設者・永井三喜男さんは、丸木夫妻とともに水墨画を描き、酒を酌み交わすたいへん親しい間柄でした。丸木美術館の評議員としても長年美術館の運営を支えて下さっていました。
今回の企画は、昨年10月28日に84歳で亡くなられた永井三喜男さんの没後1年を機に、関係の深い画家たちの作品を紹介するという趣旨の展覧会です。
丸木美術館関係者としては、丸木夫妻のほか、俊の姪のひさ子さんや、評議員の平松利昭さんも出品されています(26日まで)。

ちょうど1階に永井龍之介さんがいらっしゃったのでご挨拶。
会場にはひさ子さんも来られていました。
密度の濃い一日の最後に観た展覧会。丸木位里の水墨画は、黒々と塗られた墨に白く浮き上がるひとすじの滝を描いた《九龍の瀧》が展示されていました。
その作品の深みと独自の精神性に、あらためて橋本平八の彫刻などを思い返しながら、家路につきました。
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