2010/9/30

【埼博連県外研修】国立歴史民俗博物館/葛西臨海水族園  調査・旅行・出張

埼玉県博物館連絡協議会の県外研修バスツアーに参加して、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館と、東京都江戸川区にある葛西臨海水族園へ行ってきました。

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国立歴史民俗博物館は、1981年の開館。大学共同利用機関法人人間文化研究機構が運営し、日本の歴史、文化、民俗について総合的に研究・展示しています。

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2010年3月に現代をテーマにした第6展示室をリニューアルオープンさせたこともあり、個人的にぜひ観ておきたい施設でした。
博物館の方の全体説明のあと、1時間ほど見学時間がありましたが、第6展示室を観るだけでも1時間ではとても足りませんでした。

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第6展示室は、「戦争と平和」「戦後の生活革命」と大きく二つのテーマに分かれています。
その境界は1945年8月(敗戦)ではなく、1952年4月(サンフランシスコ講和条約発効)となっているのが目を引きました。

“現代”を取り上げるにあたり、その視点のひとつとして“人の移動”(戦争における移動や敗戦後の引き揚げ、高度経済成長と集団就職など)に焦点をあてているそうですが、たしかに朝鮮・台湾の植民地化、満州への権益拡大などの問題を、民の移住という視点から紹介した展示は興味深いものでした。展示には大陸の生活に夢を抱かせ、移住を奨励する案内書やポスターがならび、同時に、日本人の進出によって土地を奪われた人びとが国内に流入するという逆転現象についても(新たな矛盾や衝突が生まれた問題も含めて)解説されていました。

戦争の実相を伝える展示では、広島・長崎の原爆被害はもちろん、沖縄戦についての紹介もありました。沖縄戦の解説をめぐっては、当初「集団自決」について、日本軍の関与を示す文章が掲示される予定だったものの、展示直前に「時期尚早」との理由で取りやめになったとのこと。国立博物館ということで、さまざまな立場からの意見があったのではないかと思われます。
とはいえ、比嘉豊光さんらによる沖縄言葉で戦争の証言を記録するプロジェクト《島クトゥバで語る戦世》の映像(今年の春に丸木美術館の企画「OKINAWA展」でも紹介)が展示されていたのには、民間の人びとの証言から歴史を考察する姿勢が伝わってきて、感銘を受けました。

また、「戦後の生活革命」の展示には、高度経済成長の負の側面として水俣病の問題も取り上げられ、水俣病告発の象徴である「怨」の黒旗などの展示とともに、土本典昭監督の映画《水俣―患者さんとその世界》が上映されていました。
同じように炭鉱の展示では、長く筑豊で雑誌『サークル村』などの活動に関わっていた上野英信の仕事に焦点が当てられるなど、丸木美術館の視点と重なるような展示も多くありました。
丸木美術館に関わる立場としては、こうした民の視点からの歴史考察の場に、《原爆の図》が果たしてきた原爆/戦争のイメージ形成の役割の重要性をどのように認知してもらえるか(展示に入れてもらえるのか)という点が今後の課題なのかも知れないとも思いました。
ともあれ、たいへん興味深く、いろいろと考えさせられる展示内容でした。

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その後は成田山新勝寺の参道にある和菓子店・米屋へ移動。
豪華な昼食を食べた後は成田山境内を散策するというスケジュールでしたが、あいにくの雨なのが残念でした。

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続いて向かったのは、葛西臨海公園内にある東京都葛西臨海水族園
1989年に開園し、現在全国で5番目の入館者数という人気を誇る水族館施設です。
東京湾に浮かぶように見えるガラスドームが特徴的な建物は、谷口吉生の設計。

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この水族館の目玉は、水量2,200tのドーナツ型の大型水槽「アクアシアター」を回遊するマグロ類の展示。
たしかに群れをなすマグロの大群は迫力十分ですが、しかし、今は全国にもっと大型の水槽を取り入れた新しい水族館ができているので、それほど目新しいわけではありません。

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それでも多くの人が来館するのは、世界の海の生態の環境をできるだけ再現した状態で観てもらう「生態展示」へのこだわりと、広大な屋外の敷地を生かした人口の自然環境による「流れ」と「渓流」、「池沼」の水槽(淡水生物館)の設置という工夫があるからだと、博物館の方が説明をして下さいました。
多くの水族館ではイルカなどのショーが人気を集めていますが、ショーを行わない水族館として、この葛西臨海水族園はもっとも多くの来館者を動員しているのだそうです。
地道な研究と展示の工夫が人気の秘訣という点は、丸木美術館もぜひ見習っていきたいと思いました。

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雨のために屋外の「流れ」の展示までは観られませんでしたが、ペンギンたちの愛嬌のある生態展示には心を癒されました。

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帰りのバスは渋滞に巻き込まれ、予定を遅れてさいたま新都心へ帰着。そのまま池袋へとんぼ返りをして、来年度の丸木美術館企画展について話し合う企画委員会に参加しました。
夏から続くハードスケジュールに、少々疲れ気味のこの頃です。
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2010/9/29

没後15年丸木位里展のお知らせ  企画展

2010年10月19日(火)から2011年1月15日まで開催される「没後15年丸木位里展」の概要が決定しました。

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副題に「戦前の作品を中心に」と銘打ち、約50点の戦前・戦中期の作品を陳列する予定です。
現在開催中の京都国立近代美術館「『日本画』の前衛 1938-1949」展(2010年1月8日から2月13日までは東京国立近代美術館で開催)で紹介されている歴程美術協会における丸木位里の活動をより深めて観て頂くために、同時代の位里の実験的な水墨画を中心に、色紙大の小品から180cm四方の屏風画まで(丸木美術館と丸木家が所蔵する)展示可能な限りの作品を並べることにしました。
なかなか展示する機会のない作品も一挙に紹介しますので、ぜひご覧いただきたいと思います。

会期中の11月13日(土)午後2時からは、「丸木位里の芸術・靉光との交流」と題して、美術批評家のヨシダ・ヨシエ氏の講演を行います。
戦後すぐに藤沢市片瀬の丸木夫妻のアトリエを訪れ、《原爆の図》を背負って全国巡回の旅をしたことで知られるヨシダ氏は、その一方で、戦病死した靉光の死の状況を詳しく調査するなど、靉光研究にも重要な役割を果たしています。
今回の講演では、ヨシダ氏の視点でしか語ることのできない、位里と靉光の交友、そして「日本画」と「洋画」という異なる分野の実験的な交錯の様子を、お聴きできることと思います。
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2010/9/28

NHK首都圏ニュース「反核反戦展」紹介  TV・ラジオ放送

9月28日のNHK首都圏ニュースにて、「今日の反核反戦展」が紹介されました。
以下のHPで数日間はご覧になることができます。

http://www.nhk.or.jp/saitama-news/20100928142457_01.html

核兵器反対や反戦をテーマにした絵画などの芸術作品を集めた展示会が東松山市で開かれています。

「今日の反核反戦展」と題したこの作品展は、「原爆の図丸木美術館」が3年前から開いていて、ことしは世界的な核軍縮の動きなどを反映してこれまででもっとも多い90人の作家が参加しています。このうち、新潟県上越市在住の前山忠さんの「核の視界」は、鏡の中に核爆弾の絵が描かれていて、のぞきこんだ人は核兵器について意識せざるをえなくなるような作品です。
また、戦時中の特攻隊から生き残った東京在住の池田龍雄さんの作品、「場の位相」は軍事基地の存在やテロなどの暴力の恐怖を抽象的な油絵と詩で表現しています。原爆の図丸木美術館の岡村幸宣学芸員は、「反核反戦の思いをそれぞれの作家が独特の表現方法であらわしているのでぜひ多く人に見てもらいたい」と話しています。この作品展は10月15日まで開かれています。

 (NHKさいたま放送局HPより)

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取材して下さったのは、NHKさいたま放送局のH記者。いつも本当にありがとうございます。
「今日の反核反戦展」は、このところラジオや新聞で立て続けに紹介されています。
美術館もようやく過ごしやすい気候になってきたので、ぜひ多くの方にご来館頂きたいと思います。
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2010/9/28

美術館ニュース第103号入稿  美術館ニュース

丸木美術館ニュース第103号の最終入稿が、本日ようやく終わりました。
かなり綱渡り的な日程で、S印刷さんにはご迷惑をかけることになりましたが、なんとか10月2日の発送作業には間に合いそうです。

今回の表紙は、丸木位里の戦前の大作《馬》(部分)。赤地に白の絵具を垂れ流して群馬の姿を表現した実験作。現在、京都国立近代美術館で開催されている「日本画の前衛」展に展示中なので、その紹介も兼ねています。

今回のニュースの内容は以下の通りです。

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丸木美術館ニュース第103号(発行部数3,000部)

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〈主な記事〉
表紙の絵 丸木位里《馬》(部分) …… p.1
8月6日ひろしま忌報告 西本宗一さんのお話「広島原爆体験・丸木美術館での出会い」 …… p.2
栗友会コンサート「ヒロシマから平和を祈る」への想い (戸ノ下 達也) …… p.3,4
「戦死者たちからのメッセージ」展を終えて (武田 美通) …… p.5
『ひろしまのピカ』の翻訳出版に携わって (栗田 明子) …… p.6
運命のベクトル (根本 千絵) …… p.7
1952年原爆の図北海道巡回展ともう一組の《原爆の図》三部作 (岡村 幸宣) …… p.8,9
美術館の日常から (中野 京子) …… p.10
丸木美術館情報ページ …… p.11
リレー・エッセイ 第35回 (竹峰 誠一郎) …… p.12
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2010/9/26

『朝日新聞』「反核反戦展」掲載  掲載雑誌・新聞

2010年9月26日付『朝日新聞』埼玉版に、“「反核反戦展」灯消さぬ”との見出しで、現在開催中の企画展「今日の反核反戦展」の記事が掲載されました。

http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000001009270004

「誰にでも開かれた平和展を」――。今年5月に亡くなった美術評論家で、「原爆の図 丸木美術館」(東松山市)の前館長針生一郎さんのそんな遺志を引き継ぎ、今年も「今日の反核反戦展」が同美術館で開かれている。著名な画家、アマチュアの区別なく90人の作品が並ぶ。絵画やオブジェに託された思いを想像する企画展だ。

という書き出しではじまる記事には、「反戦への思いや現代文明への危機感を作品にぶつけた」という池田龍雄さんの作品《場の位相》3点連作が写真入りで紹介され、針生館長の「特定の政治的イデオロギーや宗教にかかわりなく、誰にでも開かれた反戦展を開きたい」との思いも記されています。

記事のおかげで電話による反響もかなり届いています。
取材をして下さったM記者に感謝いたします。
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2010/9/25

『「国民歌」を唱和した時代』読書会  調査・旅行・出張

午後7時からは、新宿区内で『「国民歌」を唱和した時代』(戸ノ下達也著、吉川弘文館)の読書会に参加。
20年以上に渡り日本近代音楽史の研究に取り組んできた戸ノ下さんが、戦時期の音楽について「国民歌」という当時の公式な呼称を再発見し、歴史的役割を位置づける(戦時期の音楽と社会とのかかわり、「上からの」音楽統制の実態を明らかにする)という著作です。

1937年に国民精神総動員運動強調週間のテーマ曲として日本放送協会が制定した《海ゆかば》(言立=大伴家持、作曲=信時潔)についても、さまざまな意見が交わされました。
個人的には、近現代史研究者のKさんが紹介された『画家たちの「戦争」』(新潮社、2010年)のなかの藤田嗣治《アッツ島玉砕》について書かれた河田明久氏の論考が、《海ゆかば》をはじめとする「国民歌」に重なるようで印象に残りました。
以下はその抜粋です。

 1943年9月の国民総力決戦美術展にあらわれた藤田嗣治の《アッツ島玉砕》について、当初、軍の関係者は発表におよび腰であったといわれる。絶望的な死闘の主題が国民の士気をそぐのではないかというかれらの危惧はもっともだったが、しかし藤田の考えは異なっていた。
 そもそも太平洋戦争の物語が始まったときから、日本兵の死は表現上のタブーではなくなっている。それどころか、真珠湾攻撃で戦死した9名の特集潜航艇乗組員を海軍が「九軍神」に、これに対抗して陸軍では7度も感状を受けたエースパイロットの加藤健夫を「空の軍神」に、といった具合に、陸海軍自身が競い合うようにしてまつりあげてきたという経緯がある。アッツ島守備隊の玉砕もまた同じ流儀で大々的に喧伝され、藤田が制作に取りかかった1943年の夏ころまでには、すでにその「忠魂」を神がかった言葉でたたえる世論ができあがっていた。しかも「大義」にのっとった正しい死は、現実の迫害が間近にせまればせまるほど、「殉教」としての輝きを増す。

〈中略〉
 ちなみに、敗戦を間近にひかえてますます戦争画のボルテージを上げていたのは、作者だけではない。1942年の第1回大東亜戦争美術展で一挙40点の作戦記録画を公開した陸海軍は、その後も競うようにして委嘱数を拡大させ、敗戦までに陸軍が75点、海軍も68点の公式戦争画をさらに積み上げている。
 事情は作り手、送り手だけでなく、受け手の側でも同じであったようだ。1944年6月、本土では初めてとなる本格的な空襲に見舞われた北九州小倉の井筒屋百貨店が、事態の急迫を押して、東京から巡回してきた陸軍美術展の開催に踏み切ったところ、意外にも会場は観衆であふれ返り、地階から7階会場にいたる階段には入場待ちの長い列が途切れなかったという。またその翌年、東京大空襲でひと月遅れの開幕となった1945年4月の陸軍美術展も、連日の空襲にもかかわらず、わずかな会期で3万数千人の観客を東京都美術館に集めたという証言が残されている。
 これらの数字は、戦争末期の戦争画が、人びとにとってある種の必需品であったことを物語っている。「大義」とともに絵づくりの自由を手に入れた画家だけでなく、その絵をつくらせ、受け止める側の人々にとっても、現実が苛烈であればあるほど、物語はますます手放しがたかったということだろう。


音楽と絵画というメディアの違いはあるものの、作品を作る側、送る側、そして受け止める側が、苛烈な現実を前にして“死の大義”を求めた構造は、同じではないかと思えます。
それが美しく優れた作品であるほど、人々の心に響き、胸を揺さぶられたことでしょう。
だからこそ、二度と「聴きたくない/観たくない」という戦争体験者の方々の気持ちもわかるような気がするし、一方で戸ノ下さんのように、封印しタブー視するのではなく、歴史の教訓として直視しなければならないという考え方も、理解できるような気がするのです。

音楽と比較すると戦時期の研究が進んでいると思われる絵画の分野でも、東京国立近代美術館に収蔵されている「戦争画」153点が全点同時に公開されたことはいまだにありません。
それが論議の対象になることもありますが、当時の作品群をひとつの歴史として客観的に振り返り位置づけるには、まだ生々しい感情の問題が横たわり、さらなる時間と地道な研究の積み重ねが必要だということを、あらためて考えさせられる思いがしました。
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2010/9/25

美術館クラブ「押し葉で面白い貼り絵を作る」  ワークショップ

毎月恒例の丸木美術館クラブ工作教室。
今月は、押し花インストラクターの福岡清子さんの案内で、「押し葉で面白い貼り絵を作る」という回です。

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机の上に次々と登場する色鮮やかな押し葉に、皆びっくり!
かたちもすごくきれいです。
この押し葉を切ったり組み合わせたりして画面に貼りこんでいき、素敵な作品を作っていくのです。
見本用に福岡さんが用意して下さった作品があまりに繊細で美しいので、「これは、どのくらいもつんですか?」と聞いたところ、「空気を入れずに密閉するので、だいたい10年くらいはもちますね」とのこと。
自然の素材をそのまま使っているので劣化しやすいのではないかと思ったのですが、案外、長もちするようです。

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みんなのできあがりはこちら。
限られた時間のなかで、工夫を凝らした作品ばかりです。

次回の美術館クラブは、10月30日(土)。木工作家の遠山昭雄さんの案内で、「ゆかいな木にゆかいな色をぬるぞー」です。
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2010/9/24

『原爆の記憶 ヒロシマ/ナガサキの思想』  書籍

このところ、『原爆の記憶 ヒロシマ/ナガサキの思想』(奥田博子著、2010年6月、慶応義塾大学出版会発行、3,800円+税)を読んでいます。

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▼敗戦/終戦、そして原爆投下から65年。戦争体験者や被爆当事者が失われつつある今、あらためて原爆の投下と被爆の人類史的意味を批判的に検証していくなかで、国境と世代を越えて、ヒロシマとナガサキを考える意義を明らかにしていく。
▼日本の戦争被害者意識を正当化する根拠として、「唯一の被爆国/被爆国民」 という 「集合的記憶」 を構築し、自らの戦争責任、戦争犯罪に対する免罪符を与えようとしてきた日本政府と、そのようなナショナル・アイデンティティの構築へのマスメディアの介在を分析する。
▼広島市、長崎市、原爆資料館等の協力を得て、写真や資料を多数掲載。

 (慶応義塾大学出版会のHPより抜粋)

なぜ「廣島」と「長崎」が原爆の投下目標になったのか、そして原爆投下後に何が起こったのか、という基本的事実から、原爆がどのように記憶/忘却され、歴史化されてきたのかを、メディア論を中心に詳細に分析している一冊です。
口絵には原爆の図第6部《原子野》も掲載されています。

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「学芸員日誌」に取り上げたのは、この書籍の第9章「検定教科書のなかの原爆投下」で、《原爆の図》の教科書検定の問題について触れられているからです。
以下は、pp.321-322の部分抜粋。

 検定「歴史教科書」は、一方で、原子爆弾による壊滅的な破壊に打ちひしがれた人々の人間性や被爆者一人ひとりの顔を写し出した写真をほとんど掲載していない。戦後日本の〈原風景〉としてどこにでもあった「焼け野原」となった広島や長崎の写真ばかりで、原子爆弾による死者や死傷者の無慙な姿が教科書に写し出されることは松重美人の原爆写真を除くとほとんどない。つまり、原爆被害の実態は覆い隠されたままであると言えよう。実際、1980年代初頭には、文部省(当時)が教科書検定を通して「歴史教科書」から丸木位里・丸木俊共同制作『原爆の図』の掲載を削除するように勧告を出したことがある(*34)。このように、広島と長崎への原爆投下をナショナルなまなざしに回収してゆく検定「歴史教科書」のなかには、〈私〉の次元で実感を基にして問題に向きあう契機を見出すことはきわめて難しい。

そして、この註(*34)には、《原爆の図》がどのように「歴史教科書」に掲載されてきたのかが具体的に整理されています。
以下は、p.464の註の抜粋です。

(*34)米国政治の研究者である袖井林二郎は、教科書検定によって「原爆の図」が教科書から削除されたことを「歴史の事実を抹殺しようとする」行為であると批判している(『戦後史を読みなおす4」『朝日新聞(夕刊)』(1981年8月10日)3面)。
 小学校6年生の社会科教科書では、『改定 小学社会6上』(教育出版、1989年)が『原爆の図 第8部救出』の一部を口絵の見開きの頁に掲載しているだけである(131-132頁)。
 それに対して、中学校社会(歴史的分野)教科書における『原爆の図』の掲載は増える。教科書冒頭の口絵として、東京書籍は『原爆の図 第8部救出』の一部(1975〜2001年)を掲載、教育出版は『原爆の図 第2部火』の一部(1981〜92年)を掲載、日本書籍は『原爆の図 第8部救出』の一部(1981〜92年)と『原爆の図 第2部火』の一部(1993〜2001年)を掲載、中教出版は『原爆の図 第2部火』の一部(1981〜96年)を掲載、そして学校図書は『原爆の図 第8部救出』の一部(1978〜80年)と『原爆の図 第2部火』の一部(1984〜86年)、そしてふたたび『原爆の図 第8部救出』の一部(1987〜96年)を掲載している。歴史記述に付帯する掲載写真としては、大阪書院が『原爆の図 第8部救出』(1993〜2001年)、そして清水書院が『原爆の図 第8部救出』の一部(1981〜92年)を掲載している。
 高校日本史教科書では、実教出版のみが『原爆の図 第2部火』の一部(1980〜83年)、そして『原爆の図 第8部救出』の一部(1984〜94年)を掲載している。


このように《原爆の図》と「歴史教科書」との関わりが整理されたのは初めてのことでしょう。

個人的なことですが、私と《原爆の図》との出会いは、中学校の教科書で第2部《火》を見たことでした。つまり、教育出版か中教出版の教科書を使っていたということになります。《原爆の図》の掲載がごく限られた時期であったということは、もちろん当時は想像すらしませんでした。
図版は小さなものでしたが、炎に包まれた赤ん坊の印象があまりに強くて、大人になっても忘れることができませんでした。もし教科書に図版が載っていなければ、《原爆の図》に関心を持たないまま今にいたっていたかも知れません。
どんな小さな図版でも、教科書に載ることの影響力は、決して軽視できないように思われます。

ともあれ、このように細部まで非常に丁寧に調べられているので、それこそ“教科書”のように手もとに置いて、原爆をとりまく事象について学ぶにはとても適した書籍です。
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2010/9/22

NHKニュース取材/FMラジオ出演  TV・ラジオ放送

午前中はNHKさいたま局のH記者が来館し、「今日の反核反戦展」を取材して下さいました。
ちょうど東京・八王子市の中学校が団体で来館したので、作品を観る中学生たちの様子などをテレビカメラで撮影。放送日は未定ですが、近日中に総合テレビの朝の首都圏ニュースで放送されることになりそうです。

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夕方にはNHKさいたま放送局を訪れ、FMラジオの番組「日刊さいたま〜ず」に生出演しました。
担当は滝島雅子アナウンサーでした。
この番組では出演者がリクエスト曲をかけることができるのですが、私が今回リクエストしたのは、元ちとせの『死んだ女の子』。映画『キャタピラー』の主題歌に使われ、話題になった曲です。トルコの詩人ナジム・ヒクメットが広島で死んだ少女を題材に書いた詩をもとにしているそうです。
(作詞=ナジム・ヒクメット、訳詞=中本信幸、作曲=戸山雄三)

あけてちょうだい たたくのはあたし
あっちの戸 こっちの戸 あたしはたたく
こわがらないで 見えないあたしを
だれにも見えない死んだ女の子を

あたしは死んだの あのヒロシマで
あのヒロシマで 夏の朝に
あのときも七つ いまでも七つ
死んだ女の子はけっして大きくならないの

炎がのんだの あたしの髪の毛を
あたしの両手を あたしのひとみを
あたしのからだはひとつかみの灰
冷たい風にさらわれていった灰

あなたにお願い だけどあたしは
パンもお米もなにもいらないの
赤いあめ玉もしゃぶれないの
紙きれみたいにもえたあたしは

戸をたたくのはあたしあたし
平和な世界に どうかしてちょうだい
炎が子どもを焼かないように
甘いあめ玉がしゃぶれるように
炎が子どもを焼かないように
甘いあめ玉がしゃぶれるように


本番直前の打ち合わせで、滝島アナウンサーと「いい曲ですよね」「この曲はカットしないで最後まで流しましょう」と話していたところ、「曲明けに『キャタピラー』の感想も少し入れましょうか」と提案されて、ちょっとドキドキしました。
それでも、「反戦展も映画も、言葉を超えた感覚で人の心に伝えるところは共通していますよね」「美しい田園風景の日常と戦争の深い傷の対比が鮮やかで、重い余韻が残りました。最後に流れた主題歌の効果もあって、しばらく席を立てなくなりました」と自然な流れで会話ができて、結果的には良かったのではないかと思います。

肝心の反核反戦展の紹介は、5月に急逝した針生一郎館長の企画への思いを伝えながら、最後の呼びかけ文となった昨年の針生館長の文章の一部を読みあげました。

一枚の絵に、直接戦争をやめさせる力はないが、こんな戦争はもうごめんだ、それにはどうすればいいか、と人びとに考えさせる力はある。美術展は実際にそれを見た少数にしか語りかけないが、その語りかけは政治家の空疎なスローガンより深く心に響く。

また、出品作家のなかから、国際的な核廃絶の流れを踏まえた作品として、前山忠さんの《核の視界》と、池田龍雄さんの《場の位相》を紹介しました。
前山さんの《核の視界》は、一見、画面の中央に核爆弾が描いてあるシンプルな絵と思わせながら、絵の前に立つと背景が鏡になっているという作品。観る人は、自分の世界が常に核兵器と同居していることを見つめざるを得ないわけです。
池田龍雄さんの《場の位相》は、《基地》《田園》《都市》の3つの主題を抽象的に表現した3連作の絵画。《基地》の中央には核ミサイルが封印されているように見えます。荒廃しつつある《田園》や膨張し破裂寸前の《都市》とともに、絵には文明批判が込められた詩が添えられ、現代社会の問題点を鋭くえぐり出した作品になっています。

最後に、もう1曲リクエスト曲をかけられるので、《一本の鉛筆》をお願いしました。
今年の8月6日のひろしま忌に栗友会合唱団が歌って下さった合唱の原曲で、1974年第1回広島平和音楽祭で美空ひばりが歌ったことで知られているそうです。
(作詞=松山善三、作曲=佐藤勝)

あなたに聞いてもらいたい あなたに読んでもらいたい
あなたに歌ってもらいたい あなたに信じてもらいたい
一本の鉛筆があれば 私はあなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと私は書く

あなたに愛をおくりたい あなたに夢をおくりたい
あなたに春をおくりたい あなたに世界をおくりたい
一枚のザラ紙があれば 私は子どもが欲しいと書く
一枚のザラ紙があれば あなたを返してと私は書く

一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば 人間のいのちと私は書く


今回のリクエストは、偶然ですが、2曲とも「ヒロシマ」をテーマにした曲をお願いしました。
「今日の反核反戦展」も、常設展示である《原爆の図》と合わせてご覧いただきながら、心に響くものを見つけていただけると嬉しいです。
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2010/9/18

中村正義の美術館「山と水の作品展」  他館企画など

午後から川崎市の中村正義の美術館を訪れ、秋の企画展「山と水の作品展」を観てきました。

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岡崎市立美術館からお借りしてきたというユーモラスな南画風の連作《瀟湘八景》や、第18回五都展で大評判になったという《雪景色》を中心に、「山と水」を描いた作品を展示した地味ながらも見応えのある展覧会でした。

日展を脱退してからは強烈な色彩と大胆な描写で《顔》や《舞妓》のシリーズを描いていた正義の作品は人気がなくなり、陰では「正義は絵が描けなくなった」と噂されていたそうです。
そんななかで突然発表したのが、《雪景色》(1969年)という作品(DM下の写真)。
この作品が五都展で大評判となり、1969年の落札価格ベスト10に入るほどだったとのこと。
「面白いことは、ぼくを疎外してきた画壇の状況がたった一枚の絵で動くということだ」と正義はうそぶいたそうですが、彼の自負と反抗心がよくあらわれた言葉だと思います。
作品そのものは、正義の高度な技術が感じられる、一分の隙もない完成された風景画ですが、でもよく見ると青空に伸びる木の枝の伸び具合に尋常ならざる魔性が隠しきれません。
やはり私は、異界との境界を行き来するような彼の妖しさに心惹かれるようです。

館長のN子さんによると、2年後に練馬区立美術館で大規模な「中村正義展」が準備されているとのことで、今からとても楽しみです。
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2010/9/16

NHK FMラジオ「日刊!さいたま〜ず」出演のお知らせ  TV・ラジオ放送

9月22日(水)午後6時から約20分ほど、NHKさいたま放送局FMラジオ(さいたま85.1MHz、秩父83.5MHz)「日刊!さいたま〜ず」という番組のCultureコーナーに出演することになりました。
スタジオ生放送で現在開催中の企画展「今日の反核反戦展2010」を紹介します。
企画を提唱された故・針生一郎館長(5月26日逝去)のことも、お話しする予定です。

担当して下さるのは滝島雅子アナウンサーです。
本日、滝島さんは大雨にもかかわらず、わざわざ丸木美術館を訪れて下さり、じっくりと展示をご覧になっていました。
とても素敵な方なので、22日の出演が楽しみです。
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2010/9/11

反核反戦展オープニング/針生館長追悼の会  イベント

いよいよ「今日の反核反戦展2010」の初日。
今年は午前10時からオープニングを兼ねて針生一郎館長の追悼の会が開かれました。
朝早い時間にもかかわらず、会場にはたくさんの方が来て下さいました。

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最初に講演をして下さったのは、現代美術家・映画監督の大浦信行さん。
2001年に映画『日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱えこんでしまった男』、2005年に続編の『9.11-8.15 日本心中』を制作した大浦さんは、なぜ映画で針生一郎を撮ろうと思ったのか、という話を中心に、たっぷり1時間お話しして下さいました。

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心に残ったのは、針生さんが傾倒したヴァルター・ベンヤミンと保田與重郎という左右両極端の思想のなかに同居しているものとして、“断片”“断章”があげられるのではないか、という指摘でした。
針生さんの評論のスタイルは、決して結論を言い切らずに、断片的でバラバラな状態のまま言い散らしていく。それは一見言論として弱いように思えるかも知れないが、みずからの思考を縦の権力にせず、横の地平に広げていくための姿勢だったのではないか、という指摘です。
ベンヤミンの言葉のなかにも「世界の歴史の瓦礫を拾い集めていくと星座のようになっていく」という表現があるが、針生さんにとっても「瓦礫を拾い集めていく」ことは、生きる糧を永遠につかもうとする意欲や想像力あるいは好奇心を喚起させるための努力だったのかもしれない、と大浦さんは語りました。

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続いて講演をして下さったのは画家の池田龍雄さん。
針生さんとは敗戦直後からの長いつきあいで、なぜ針生さんが髭を生やしはじめたのか、という逸話をはじめとして、当時人名を「当たらずとも遠からず」の意味に置き換えるあだ名づくりが流行し、針生さんは「保留一応(ホリュウイチオウ)」と呼ばれていた、という微笑ましい回想をして下さいました。

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昼食は美術館の前庭に移動して、参加者全員で針生館長に“献杯”。
川越のM年山さんはじめボランティアの皆さんがたくさんの料理を用意して下さいました。

   *   *   *

午後からは、毎年恒例の展覧会出品者によるパフォーマンス。
今年は開始時間が早かったためか、暑さのせいか、途中で帰る参加者も多く、最後のイベントが終了した午後6時15分には、はじめの1/4ほどの人数にまで減ってしまいました。
まるで耐久マラソンのようなイベントに、最後までお付き合い下さった参加者の方、そしてボランティアの皆さま、本当にお疲れさまでした!
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2010/9/8

『芸術新潮』にイノセンス展紹介  掲載雑誌・新聞

現在発売中の『芸術新潮』2010年9月号(第61巻第9号)の「Art News」に、栃木県立美術館の「イノセンス展」の紹介記事が7頁にわたって掲載されています。

圧巻なのはpp.114-115の見開き。紙面の2/3を使って、右頁には丸木スマの《簪》が、左頁には大道あやの《しかけ花火》が大きく掲載されています。
実際の展示もこのように2作品がならんで展示されていましたが、その様子が誌上で再現されたというわけです。
それぞれの作品には、次のような解説がつけられています。

丸木スマは、日本画家の丸木位里の母親だが、70歳を過ぎて描き始めた、いわゆる素朴派の画家である。80歳の年、二曲一隻屏風に描いた《簪》(1955年 原爆の図丸木美術館蔵)は、スマの作品世界の集大成ともいうべき大作で、生命讃歌の無限の湧出に圧倒される。

大道あやは右頁の丸木スマの娘で、母ともども広島市で原爆に被爆。また、1968年には花火師だった夫を、工場の事故で失う悲劇も体験している。翌'69年、兄・位里の元へ転居してから絵を描き始めた。自身、花火師の資格を持っていたあやが、この大作、《しかけ花火》(1970年 作家蔵)にこめた思いの程は想像を超える。

その他、栃木県内で表現活動をしている障碍のある作家の作品や、「人間がより良く生きるためのアートというコンセプトを持った作家」の作品なども紹介され、企画担当の小勝禮子学芸課長が「イノセンス」という展覧会の意味を解説するなど、とても読み応えのある記事になっています。
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2010/9/7

『サンデー毎日』に反核反戦展紹介  掲載雑誌・新聞

本日発行の『サンデー毎日』2010年9月19日号(第89巻第40号)の「News Navi」に、“理想は絵に描いた餅ではない 「反核反戦」は一人一人の課題”との見出しで「今日の反核反戦展2010」が紹介されています。
以下は、その記事の冒頭部分の抜粋です。

〈一枚の絵に、直接戦争をやめさせる力はないが、こんな戦争はもうごめんだ、それにはどうすればいいか、と人びとに考えさせる力はある。美術展は実際にそれを見た少数にしか語りかけないが、その語りかけは政治家の空疎なスローガンより深く心にひびく〉
 絵画「原爆の図」で知られる丸木美術館(埼玉県東松山市)で昨年秋に開かれた「今日の反核反戦展」に向け、同館長を務める美術評論家、針生一郎館長氏がつづった「呼びかけ文」の一節である。
「今年の反核反戦展でも、最後まで『(呼びかけ文の)原稿を書く』とおっしゃっていたのですが……」
 同美術館の岡村幸宣学芸員はそう話す。針生館長は5月26日、急逝した。84歳。
……

記事にはその後、針生館長が死の直前に「反戦展は特定の主義や思想を持つ団体が占有してはいけない」と語ったことや、今年の8月6日に広島の平和記念式典に日米大使が初めて出席したことなどが記され、今回の特別出品作である大浦信行さんの《遠近を抱えて》と、佐藤俊男さんのコラージュ作品《沖縄・辺野古》、そして針生館長の写真が紹介されています。

短い記事ですが、そのなかで今回の「反核反戦展」の意味を、とても的確にまとめて下さっていると思いました。
取材して下さったH記者に感謝です。

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2010/9/5

今日の反核反戦展 展示替え!  企画展

“記録的な猛暑”という声が世の中をにぎわせている毎日。
冷房設備のない丸木美術館ですが、今日は企画展の展示替えが行われました。
さすがにボランティアの反応は鈍く……まあ、最終的にはスタッフががんばるしかないか、となかばあきらめていたのですが、それでもN村さん、T岡くん、M山くんから参加表明があり、当日飛び込みでY口さんと元スタッフのNさんが駆けつけてくれました。

武田美通展の搬出は「支える会」の皆さんが手際よく進めて下さり、丸木美術館の展示替え班は「今日の反核反戦展2010」の展示に専念。
おかげで予想以上に作業がはかどったように思います。

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今日の反核反戦展2010」は、ここ数年でもっとも多い92名(うち特別出品1名)の参加者が集まっています。
美術館1階の展示室4部屋を使って、今年もパワーあふれる展覧会になりそうです。
9月11日には、故・針生一郎館長の追悼の会を兼ねたオープニング・イベントが行われます。
当日のスケジュールは以下の通り。

10:00〜11:00 講演:針生一郎館長を偲ぶ@大浦信行(現代美術家・映画監督)
11:00〜12:00 講演:針生一郎館長を偲ぶA池田龍雄(画家)
12:30〜13:30 オープニング・パーティ
13:30〜14:00 パフォーマンス@
 “ひめゆり”を偲んで
 作曲:ロクリアン正岡、演奏:山内達哉(バイオリン)
 奈良幸琥「白き龍に捧ぐ」―老女というもの―
 作曲:ロクリアン正岡、演奏:山内達哉(バイオリン)、永井由比(アルトフルート)
14:00〜14:30 パフォーマンスA宗方勝(身体表現)
14:30〜15:00 パフォーマンスB星野暁子(詩の朗読)
15:00〜15:30 パフォーマンスC「a manifold日本初公演」(ライブペイント)
 出演:大山結子(うさぎ組)・増山麗奈(桃色ゲリラ)・佐々木裕司(受身絵画)
 作曲:小森俊明「地/血の考古学」(初演)
 演奏:小森陽子(ヴァイオリン) ほか
 曲目:バッハ「クーラント」 ほか
15:30〜16:00 パフォーマンスD村田訓吉(バーニング・アート)
16:00〜16:30 パフォーマンスEフォークグループあじさい(コンサート)
16:30〜17:00 パフォーマンスF南阿豆(ダンス:67億人の涙雨)
17:00〜17:30 パフォーマンスG黒田オサム(踊り)
17:30〜18:00 田中聡(記録映像上映)
 針生一郎トーク 2010年3月27日高田馬場BABACHOPシアター


1日がかりの大規模なイベントになります。
ぜひ皆さま、ご来館下さい!!
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