2010/4/19

【沖縄出張1日目】沖縄大学・佐喜眞美術館  調査・旅行・出張

丸木美術館は休館日でしたが、出張で沖縄に来ています。

「OKINAWA展」は、沖縄の佐喜眞美術館と丸木美術館の所蔵品の“交換展”によって実現した企画です。輸送費を抑えるため、1台のコンテナを借りて、佐喜眞美術館の作品を丸木美術館に運んだ帰りに丸木美術館の作品を佐喜眞美術館に運ぶ、という工夫をしました。
もちろん、低予算の輸送にはリスクも伴います。そのため、佐喜眞美術館に到着した丸木美術館作品の梱包を開き、輸送後の状態を正確にチェックする、という必要があるのです。長い船旅を経た作品に、もしものことがあっては一大事なので、ひとつひとつしっかり確認をしなければなりません。

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今回、那覇について最初に訪問したのは、沖縄大学。
小図録に寄稿して下さった沖縄大学法経学部の若林千代先生に、ご挨拶に伺いました。
ちょうどお昼時だったので屋嘉比収先生の研究室に案内され、そこで若林先生ら数人の方とお弁当を食べることに。そこには沖縄の近現代文化史を精力的に調査されている新城栄徳さんもいらっしゃいました。
新城さんはネット上で「琉文21」と題する研究報告をされている民間の沖縄文化研究者。「ワタシは大学の先生の使う言葉はわからんヨ」とニッコリ笑う恰好の好い“オジィ”ですが、近現代の沖縄文化については、超人的ともいえる綿密な調査をされています。
その新城さんが発行された『琉文手帖 4号「沖縄近代文化年表」1868−1945』(1999年)を頂きました。

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巻頭の「編集にあたって」という文章をご紹介します。

△私は「むんじゅる節」で知られる粟国島で生まれ、小学4年のとき父の呼びよせで那覇に来た。そして中学を終えると集団就職で東京に出た。翌年の1965年、浅草の中華料理屋の出前持ちを皮切りに放浪生活が始まった。
△1970年2月、京都駅新幹線八条口の近鉄名店街にある京料理店に就職した私は4月に大阪梅田地下街をうろついて「デイゴの会」のポスターを目にし事務局を訪ね「沖青友の会」を知った。友の会活動に参加し、出会った連れあいがウチナーンチュ(表紙・金城あけみ)であるのは自然なことであった。
△本年表は以上の経歴と大阪梅田地下街でうろついていたときコンパクトに沖縄の文化、ウチナーンチュが住み書いている関西や東京、世界の流れが分かるモノが欲しいと感じていたこと、沖縄近代文化の開拓者・末吉莫夢の足跡(飯倉照平氏資料提供)で成り立っている。表紙の題字は国吉真哲翁、裏表紙のカットは金城安太郎翁


こうした方々と話をしながら、何か東京とは異なる知識の土着性というか、沖縄固有の知識体系のようなものを肌で感じる思いがしました。大学の昼休みという短い時間ではありましたが、とても濃密な体験をさせていただきました。

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夕方には宜野湾市の普天間基地に面して建つ佐喜眞美術館へ。
佐喜眞美術館では、現在「島武己作陶展」と「ケーテ・コルビッツ展」を開催中。

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このあと、4月28日から6月14日まで「丸木位里・丸木俊・丸木スマ展」が開催されるのです。
閉館後の館内で、さっそく梱包を開く作業をはじめました。
次々と姿をあらわす位里さんの《三陸》や《昆明石林》といった水墨の大作には、思わず佐喜眞館長はじめスタッフの皆さんも息をのみます。
「これは、沖縄での丸木位里の見方が変わりますね……」と佐喜眞館長。
佐喜眞美術館の落ちついた空間に、これらの作品がどう展示されるのか、とても楽しみです。

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作品の確認作業を終えたあとは、スタッフの皆さんといっしょに浦添市にある米軍住宅を改装したお店rat&sheepに行きました。店長のタイラジュンさんは、佐喜眞美術館の新スタッフ・松本太郎さんとともに季刊写真雑誌『LP』を編集・発行されている方です(『LP』は「OKINAWA展」開催中に丸木美術館でも販売中)。
そこで夜が更けるまでよもやま話。山羊のカレーやポテトソーセージピザ、自家製パンなどの料理もとても美味しくて、楽しい時間を過ごすことができました。

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明日は佐喜眞館長といっしょに、沖縄の新聞社に企画展の挨拶まわりをしてきます。
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