2010/2/19

北海道新聞取材など  1950年代原爆の図展調査

昨年12月に、この学芸員日誌でも報告しているのですが、1951年から52年にかけて北海道を巡回した「原爆の図展」についての情報を、現在、発掘しようと動いて下さっている方々がいます。
GHQ占領下において検閲の厳しかった時代、新聞などでもほとんど報道されなかった「原爆の図展」を、記憶している人がいるうちに明らかにしておこうという試みです。

http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1281.html
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1295.html

今日は午前中に、登別市にお住まいの画家Sさんからお電話がありました。
Sさんのお兄さんは、1951年10月26日から28日まで室蘭労働会館1階で行われた「原爆の図展」の実行委員の一人だったとのことです。
Sさんも展覧会に行き、「俊子さんに声もかけられずに、2時間も立ち尽くしていた……」とのこと。
展覧会は日本製鋼の労働組合や新日本文学の仲間が中心になって動いたとのことですが、当時はレッドパージが吹き荒れていたため、実行責任者は室蘭市立中央図書館の高内智海館長が務められたそうです。
Sさんの証言によれば、駅前で大規模なデモを行い、デモのどさくさにまぎれて「原爆の図展」を開催したとか。それだけたいへんな時代だったのでしょう。

今月末の『北海道新聞』に、当時の北海道における「原爆の図展」の動きを取材した記事が掲載される予定です。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1307.html
また、美唄市教育委員会のS委員長が、次号の『丸木美術館ニュース』(2010年4月10日発行予定)に、三菱美唄「綜合原爆展」の記憶/記録が発掘されるまでの流れを詳しく紹介して下さいます。

三菱美唄での「綜合原爆展」については、元労組文化部長H氏がご自身のアルバムを撮影して制作されたDVD映像『炭鉱のうたごえ:語り部ビデオ』のなかの“最終編18(一)「ヤマとの別れ・回想」=ダイジェストその1”に、展覧会場へ向かう学生たちの行列(山内全小中学生=約5,300人が参観したそうです)や、主催者たちの記念写真など4点の写真が収められています。

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ちなみにこのDVDは“最終編18(一)”とあるように、当時の美唄炭鉱に関する膨大な資料が納められた貴重かつ恐るべき資料です。
また、三菱美唄炭礦文学会文芸誌『炭炎』第5巻第8号(1952年9月1日発行)にも、「原爆展をみて<感想文集>」が特集されているそうなので、興味深いところです。
S氏のご教示によれば、小学生の感想文の一節に「そんなことを考えながら最後の三部作(水)の所を見た。」との記述があるそうで、美唄展には三部作が展示されていたことが推測されます。

   *   *   *

午後には『北海道新聞』文化部のB記者が「没後10年丸木俊展」の取材のため来館して下さいました。
こちらの記事は、1950年代「原爆の図展」とは別に、3月のはじめに掲載されるとのこと。
丸木俊さんは北海道の出身なので、没後10年の今年は、『北海道新聞』としても継続的に丸木夫妻を取り上げていきたい、と心強い言葉を頂きました。
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