2009/12/29

東京新聞「小説・軍艦島」  掲載雑誌・新聞

美術館は年末年始休館に入りましたが、何かと仕事が続いています。
昨日は、S印刷さんに美術館ニュースとボランティア新聞を入稿。
そして、東京新聞S記者より、原爆の図第14部《からす》の画像を使用したいとの連絡が入り、急きょ手近にあった画像をお送りしました。

   *   *   *

本日の『東京新聞』の「こちら特報部」に、韓国人作家・韓水山さんの小説『軍艦島』の記事が掲載されました。
朝鮮半島からの徴用工として長崎県の端島(通称・軍艦島)の炭鉱で働き、長崎の原爆で亡くなった若者たちを描いた長編小説です。
この小説は、2003年に『カラス』の題で韓国版が出版されました。
その題名が示す通り、韓さんが小説の着想を得たのは、1991年に丸木美術館を訪れ、第14部《からす》を観たことがきっかけだったそうです。
原爆による死後も差別を受け、死体を放置された朝鮮の人たち。死体をついばむカラスの群れが描かれている作品です。

記事のなかで、韓さんは「原爆で負傷し、苦しみのあまり『アイゴー、オモニ(ああっ、お母さん)』と口にしたばかりに『朝鮮人だ』と冷たく放置された若者がいた。植民地政策の結果として被爆した若者たちは祖国が違うという理由で捨てられ、一方(の日本人)は生かされた。そうした歴史を小説を通じて残しておきたかった」と語っています。
小説から、その情景を描いた一部を抜粋します。

 朝になると、山中ではあちこちに一人、二人と死人が出ていた。救護隊が握り飯を持って登っていた。握り飯の包みを肩から下げた二人が、通りすがりにびっくりした声で言った。
「おお、こっちはまだ生きてるぞ……」
 東真が目を開けた。彼は必死で言った。
「タスケテクレ」
「何だと?」
 東真がもう一度助けてくれと言うと、その日本人は重大な発見でもしたかのように言った。
「朝鮮人だ。こいつ、朝鮮人じゃないか」
 彼は爪先で東真をつつきながら見下ろした。
「もう長くはなさそうだな。意識もなさそうだし」
 水、水、そう叫んだが、東真はそれが言葉になっていないことはわかっていた。目も開けられなかった。母さん(オモニ)。彼は心から叫んだ。
「おい、どうしたんだ」
「こいつ、朝鮮人だぜ」
「朝鮮人か。なら、やる握り飯はないな。日本人にさえいきわたらないんだから」
「おい、凄いな、この蠅を見ろよ」
「うわっ、包帯からウジが這い出てるぞ……」


その一方で、「単純な反日小説、日本人を告発する小説にはしたくなかった。加害者、被害者とも、いずれも時代の被害者だったのではないか。『もっと日本人を悪く書いた方がよかった』という反応は、韓国の読者からはなかった。韓国社会も変わったと感じた」とも語っています。韓さんは執筆に際して、多くの方からの証言や資料を集め、参考にしたそうです。

邦題を『軍艦島』に変え、原著の5巻本を全体の2/3ほどの分量に圧縮(原著のなかには、韓国人向けに日本の社会や文化、戦争の歴史や経緯への説明が多く含まれているため)した日本語版の上下巻は、今月刊行されたばかり。
圧縮されたとはいえ、全体で77章におよぶヴォリュームのある長編小説です。

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軍艦島の炭鉱跡は、目黒区美術館の「‘文化’資源としての〈炭鉱〉」展にも取り上げられました。近ごろは、廃墟ブームの影響もあって、一般観光客も増えていると聞きますが、こうした歴史の暗部にも目を向けながら、近代の遺産として振り返ることが大切なのではないかと思います。

ぜひこの機会に、多くの方にお読み頂きたいと思います。
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2009/12/27

大掃除  ボランティア

今年も最後の開館日になりました。
丸木美術館はボランティアの皆さんが集まって下さり、大掃除を行いました。
地元のJさん、Dさん、M山さん、越生のY口さん、志木のM園さん、八王子のT岐さん、浦和のA崎さん、川越のM岡くん、S木(N子)さん……
皆さんのおかげで、美術館がたいへんきれいになりました。
本当にありがとうございます。

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年末年始の休館は、12月28日(月)から1月4日(月)までとなります
今年は月曜日の巡り合わせにより、例年より休館期間が2日ほど長いのでご注意ください。

職員とボランティアは、これから美術館近くの飲食店Kで忘年会です。
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2009/12/26

原爆の図室蘭展の新情報  1950年代原爆の図展調査

目黒区美術館で開催中の「‘文化’資源としての〈炭鉱〉」展の評判が高まっているこの頃。
まわりからも、「行ってきた!」「すごかった!」という評判が次々と聞えてきます。
会期は明日までなので(すでに図録は完売とのこと)まだ未見の方はぜひ駆け込んでください。

今日は午前中に「炭鉱展」の企画を担当されたM学芸員からお電話があり、午後には夏に広島の研究会でお会いした山代巴研究家の千葉工大のTさん、北海道大のMさんが来館して下さいました(作家として女性解放や平和運動に尽力した山代巴は、女子美術で俊さんの同級生であり、いつか丸木美術館でも彼女を取り上げた講演会など企画をしてみたいと思っています)。Tさん、Mさんとも「炭鉱展」の話題でひとしきり盛り上がりました。やはり専門の研究者には評価の高い企画のようです。

そんななか、「炭鉱展」を縁に、北海道で精力的に1951−52年の「原爆展」を調査して下さっている美唄のSさんから、またも貴重なメールが届きました。

室蘭のK氏より、これまで具体的な会場や日時が判明していなかった1951年秋の室蘭展についての情報が寄せられたというのです。
それによれば、日時は1951年10月26日から28日。場所は室蘭労働会館1階。室蘭地協の関係者と新日本文学系の文学者によって開催されたそうです。情報提供者は、当時の地協の会長の妹さんとのこと。

先日、三菱美唄炭鉱の原爆の図展が判明したときには、原爆文学研究会のKさんに「今から資料を修正しましょう」と連絡を頂いて、12月に刊行される『原爆文学研究』第8号の原稿を急きょ手直したのですが、ここにきて北海道展の情報が次々と更新されていきます。
精力的に調べて下さっているSさんのおかげです。

現時点でわかっている1951年から52年にかけての《原爆の図》北海道巡回展の足取りを、再度整理しておきます。

@10月26日−28日 室蘭労働会館1階(俊の回想によれば3日間で6,000人来場)
A11月?日−?日 旭川(会場不明、俊の回想によれば木造3階デパートの床が抜けそうなほど来場者あり)
B11月10日−12日 秩父別(俊の生家・善性寺にて3日間で3,000人来場、最終日には原爆死者追悼法要を行う)
C11月20日−21日 札幌(北大文化団体連合会主催「綜合原爆展」、丸井百貨店5階と富貴堂2階にて開催、北大中央講堂に会場を移して24日まで延長)
D11月28日−12月2日 函館(北大水産学部・学芸大函館分校自治会主催、棒二森屋百貨店2階にて開催)
E1月28日−?日 美唄(三菱美唄労働組合文化部主催、三菱美唄労働組合本部2階にて開催)
F2月24日−26日 釧路(日本平和推進国民会議釧路地区主催、釧路市立労働会館にて開催)


Sさんの調査、まだまだ新しい情報が判明しそうな勢いです。
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2009/12/26

美術館ニュース第100号!  美術館ニュース

企画展の展示が終わると、今度は美術館ニュースの編集作業。
年末はあっという間に毎日が過ぎていきます。
今回の美術館ニュースは、創刊以来第100号となる記念の号です。
本日、ようやく編集作業が終了しました。週明けにボランティア新聞第12号とともにS印刷さんに入稿し、発送するのは年を越してからになります。

今号は、「100号記念特集」と題して、写真で振り返る丸木美術館の歩みを特集しています。写真を選んでくれたのは、事務局のNさんとY子さんです。
また、連載「丸木位里・丸木俊の時代」では、俊さんが生まれた1912年をテーマにして記事を書きました。
表紙の絵も、南洋をモチーフにした若いころの俊さんの絵本原画です。
日本人の少年と南洋の少年が仲良く肩を組んでいる絵は、描かれた当時は日本の植民支配を正当化する目的で読まれていた部分もあるのでしょうが、後年に俊さんが描いた「肌の色は違っても、世界の子どもは皆兄弟」というテーマに通じるものがあり、個人的に好きな作品です。

納品予定日は1月8日(金)。ニュース発送作業は1月9日(土)です。
ニュース発送ボランティア募集中!!

美術館ニュースとボランティア新聞の内容は以下の通りです。

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丸木美術館ニュース第99号(発行部数3,200部)

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〈主な記事〉
表紙の絵 赤松俊子《ヤシノ木ノ下》(未使用原画) …… p.1
丸木美術館ニュース100号記念特集 写真で振り返る丸木美術館の歩み …… p.2,3
「中村正義展」丸木美術館。思い出すこと。 (中村 倫子) …… p.4
武重邦夫監督講演/一人芝居「天の魚」公演/今日の反核反戦展報告……p.5
足尾鉱毒事件と田中正造ゆかりの地を歩く 参加者報告 …… p.6
第五福竜丸から丸木美術館を訪ねて (遠藤 昌樹) …… p.7
連載 丸木位里・丸木俊の時代 〈第2回〉 (岡村 幸宣) …… p.8,9
美術館の日常から (中野 京子) …… p.10
丸木美術館情報ページ……p.11
リレー・エッセイ 第32回 (ダニー・ネフセタイ) …… p.12

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ボランティア新聞第12号(発行部数2,700部)

編集・発行=神田成美、満園節子、山口和彦

〔連載〕丸木の人々 「丸木を包む風景が好き」両岡健太さん
〔特集〕ボランティア交流会A第五福竜丸展示館
小高文庫便り5(満園節子)

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友の会会員の皆さまのお手許には1月中旬に届くことと思います。
どうぞご期待下さい。
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2009/12/19

「没後10年 丸木俊展」開幕  企画展

いよいよ「没後10年 丸木俊展」がはじまりました。
『朝日新聞』が取り上げてくれた効果もあって、初日は冬の時期にしてはまずまずの来館者がありました。

今回の展示は、1階のすべての部屋(新館をのぞく)で俊作品を展示しているのが特徴です。会期中、一部展示替えをしながら、約120点の作品を紹介いたします。

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最初の展示室では、女子美術学校時代の油彩画から、代用教員時代の作品で初公開となる《女性像》を経て、モスクワに外交官の家庭教師として滞在した際に描いた作品を展示しています。

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第2室では、一転して「南洋群島」ミクロネシアを舞台にした鮮やかな油彩画やデッサン、絵本原画を紹介しています。
昨年、町田市立国際版画美術館などを巡回した「美術家たちの南洋群島展」で、一躍注目を集めた作品です。

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第3室には、「原爆の図デッサン」をはじめ、戦争の記憶を想起させる作品をならべました。なかには、1945年8月に被爆直後の広島へ駆けつけたときの倒壊家屋や焼け野原を描いたデッサンもあります。

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第4室は戦後の油彩画を展示。自画像や、鳩笛を吹く女性像などのほかに、俊の代表作のひとつと数えられる《裸婦(解放されゆく人間性)》や、《ロシア人形》など見ごたえのある作品も展示しています。

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ようやく広々とした企画展示室にたどりつくと、広い天井のスペースは、壁一面に《母子像》などの油彩画や、世界各地の風景デッサンなどがならんでいます。

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今回は、絵本原画も多数展示し、絵本画家としての俊の力量も多くの方に知ってもらおうと思っています。

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最後は晩年の作品から厳選して、油彩画の小品や掛軸などを展示しました。
晩年の俊さんと交流のあった歌人の小山光夫さんが26首の短歌をよせてくださったので、会場にて紹介させて頂いています。

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今展のために、俊さんの絵本も種類を増やして入口ロビーで販売しています。
事務局のNさん、Y子さんが俊さんグッズの特設ブースを作ってくれました。

冬期が館内も冷え込みますので、ぜひ皆さま、暖かい服装でお運びください。
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2009/12/18

大東文化大S先生・大阪女学院大O先生来館  来客・取材

午後から大東文化大学S先生と大阪女学院大学O先生が来館されました。
お二人は日本平和学会の会員でもあります。
O先生は《原爆の図》をご覧になるのは初めてとのことで、館内をご覧いただいた後、小高文庫で《原爆の図》の感想や、平和学と芸術との関わりなどについての話をしました。
「平和学」について勉強中の私ですが、S先生とO先生の会話はとても示唆に富み、深く頷くことが多くありました。

心に残ったのは、「平和学」とは実学である、という話。
たとえばAとBの間で紛争があった場合、どちらか一方の主張を解決手段とするのではなく、ともに生きることのできる第三の道を探ることが有効であり、そうした考え方は私たち日常のレベルでも生かすことができるのではないか、というのです。
また、世代を超えた平和の継承について、戦争体験者から次世代への一方的な情報の伝達ではなく、体験者と次世代がともに協力して新しい方法論を生み出すという共同作業の繰り返しが、真の継承につながるのではないか、という話も非常に考えさせられました。
お二人は、教育者の知識を学生に一方的に伝えるだけではなく、学生たちの内発的な力を引き出して、ともに「平和学」を築いていくことを大切だと感じているのですね。

O先生も共同訳著者として参加されている『ガルトゥング平和学入門』(2003年法律文化社)は、私も購入して仕事場の本棚に置いています。
来年度は春にS先生の「平和学」の授業で講義をすることになりそうなので、お二人から受けた刺激を生かしつつ、学生たちと授業を作り上げていきたいと思いました。
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2009/12/17

革命の林檎  館外展・関連企画

元実習生でボランティア新聞編集長のK田(N)さんといっしょに、中野のテアトルBONBONで上演されたナマイキコゾウ第5回公演「革命の林檎―画家と戦争とシュルレアリスム―」(作・演出 宋英徳)を観ました。
この作品は、5年前の劇団旗揚げの際に上演されたもので、完全改訂を経ての再演となります。

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「ひとつの林檎から芸術に革命を起こした」セザンヌのように、現代の芸術に革命的な仕事を残したいと夢見る芸術家村の若者たちを描いた群像劇。
モデルになっているのは戦前・戦中の「池袋モンパルナス」と呼ばれたアトリエ村で、登場人物の多くも実在の芸術家がモデルになっています。
丸木夫妻は、位里さんが「丸田」、俊さんが「富江」という名前で登場。
もちろん舞台なので、細かい設定は事実とは異なりますが、物語はほぼ史実に沿って進んでいきます。

   *   *   *

シュルレアリスムという最新の西洋の芸術理論に憧れ、時に激論を戦わせながらも、制作に没頭する若き芸術家たち。
しかし、時代は終わりの見えない戦争へと突き進んでいきます。
はじめは古典的な技法による戦争画を嫌っていた彼らも、やがて軍部の圧力もあり、自らの良心をだますようにして戦争画を描きはじめました。

将来を嘱望されながら、シュルレアリスムが描けずに苦悩していた「小笠原」は、写実的な戦争画で「山之内」大尉に認められ、アトリエ村のリーダー的役割を期待されるようになります。
一方、「小笠原」のライバルであり、シュルレアリスム画家として活躍した「愛甲」は、断固として戦争画を描くことを拒み続けます。
潔癖な性格の「富江」は、戦争画を描かなければならないなら筆を折ると宣言、油絵を捨て絵本作家になりました。やがて彼女は、日本画家の「丸田」に惹かれて結婚。「丸田」の故郷の広島へ行き、原爆の地獄を見ることになります。
祖国の朝鮮が侵略されたため素性を隠して画家となり、諜報活動を行っていた「岩本」は、「山之内」に正体を知られて銃殺されます。
画家仲間の「古川」は悩みながらも団体存続のために戦争画を描く道を選び、地方から上京して美校に入学した「平八郎」は、学徒動員により戦地へと向かいます。
やがて「愛甲」も徴兵され、「小笠原」に別れを告げて兵役に就きました。
間もなく日本の敗北により戦争は終わりを告げます。

焼け野原となったアトリエ村では、生き残った「古沢」が、「こんな時代が来ると知っていたら、戦争画など描かなかった。なぜ戦争画を描いてしまったんだろう……」と苦悩しています。
「愛甲」は中国で戦病死し、「小笠原」も世を去りました。
そこへ戦地から「平八郎」が帰還。「丸田」と「富江」もアトリエ村に戻ってきます。
芸術が戦争に利用されたことに後悔の念を抱きつつ、二度とこんな馬鹿げた戦争を起こさないために画家にできることはないだろうか、と語り合う芸術家たち。
「富江」は、一人では無理かもしれないけど、「丸田」といっしょならば、原爆の惨状を伝える絵を描けるかも知れない、と立ち上がります。彼女もまた、絵本を読んで戦争に協力した子どもたちが原爆でたくさん亡くなっていたことに、心を苦しめられていたのでした。

真実を見ることを恐れ、誰もが目をそらしていた時代。
しかし、それは過去の出来事ではなく、これからの時代にも起こるかも知れない……という暗示を残して、舞台は幕を閉じます。

   *   *   *

丸木夫妻の特徴が取り入れられた場面では思わず苦笑してしまいましたが、非常によく練りこまれた内容で、感動させられる作品でした。

とりわけ「富江」を演じるために、10月にわざわざ丸木美術館を訪れて下さった石田佳奈さんの熱演は、本当に素晴らしかったです。
はじめに俊さんの役を演じると聞いた時には、内心、「え、こんな華奢できれいな方が?」と思ったのですが、舞台を見ているうちに、石田さんが若き日の俊さんの姿に重なって見えてきました。
当時の流行歌「リンゴの木の下で」を歌う場面や、原爆で死んだ子どもたちの死に責任を感じて自分を責める場面、原爆の絵を描こうと決意する場面では、涙が出そうになるほど心を動かされました。

「丸田」の飄々としたとぼけた演技には何度も笑わされ、「愛甲」(役者の方が靉光の自画像にとても雰囲気が似ていました)の出征場面には胸を衝かれる思いがしました。
池袋モンパルナスの画家たちのことは、作品を通して知る機会が多くありますが、生身の人間の演技によって彼らの生涯を追体験することが、これほど新鮮だというのは新たな発見でした。

公演は12月20日まで。いつか再々演をしてくれることがあるのでしょうか。
本当に素晴しい舞台で、できるならもう一度見たいと思います。
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2009/12/16

朝日新聞「丸木俊 初期画風に光」  掲載雑誌・新聞

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本日の『朝日新聞』朝刊埼玉版に、「丸木俊 初期画風に光」との見出しで、初公開の油彩画《女性像》が紹介されています。
この油彩画は、俊がまだ千葉県市川市の小学校で代用教員をしていた1935年頃の作品で、今年7月に当時の小学校の校長先生のお孫さんから寄贈されました。

http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1206.html

記事には、寄贈者のUさん(ご自身も版画家です)の自宅の茶の間に70年以上飾られていたことが紹介され、「大切にしていて、我が家の風景の一部になっていた」との談話も記されています。
モスクワやパラオを訪れて「女絵かき」としてのスタイルを確立する前の、無名時代の俊さんの貴重な作品。この時代の作品はほとんど現存せず、また当時も発表されていなかっただけに、彼女の模索や苦悩が感じられる、資料的な価値の大きい一枚です。
この《女性像》は、12月19日から来年4月10日まで行われる「没後10年 丸木俊展」にて公開されます。
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2009/12/13

企画展展示替「没後10年丸木俊展」  ボランティア

好評だった「中村正義展」が無事に終了し、19日からはじまる「没後10年丸木俊展」に向けて、大規模な館内の展示替えを行いました。
ボランティアに来てくれたのは、越生のY口さん、地元のM山くん、Dさん、Jさん、川越市のH多さん、志木市のM園さん、さいたま市のSさんに、今回初参加のK峯さん。
たくさんの方が来てくださったおかげで、予定していたよりもずいぶん展示作業を進めることができました。

今回の見どころは、外部の個人所有者からお借りした貴重な油彩画《ロシア人形》、掛け軸の《飛天》、《つつじのむすめ》などのほかに、初公開となる戦前の油彩画2点があります。
そのうち、今年の7月に寄贈された《女性像》は、俊さんがまだ小学校の先生をしていた頃の貴重な油彩画です。画家になりたいと思いながら、子どもたちの授業の準備に追われて絵を描く時間が確保できず、二科展にも落選して行き詰っていた時代。まだ後年の俊さんらしい人物像が確立される前の、一人の「女絵かき」への道を模索している彼女の苦しみが感じ取れる作品です。

作業終了後、朝日新聞のM記者より急きょ《女性像》を取材をしたいとの連絡が入りました。
日が沈んだ後のしんしんと冷え込む展示室で、写真撮影と取材を行いました。
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2009/12/12

美術館クラブ「びっくりクリスマスグッズ作り」  ワークショップ

毎月一度の丸木美術館クラブ工作教室。
今月は、本川なおこさんのご案内で「びっくりクリスマスグッズ作り」を行いました。
参加者はおよそ10人ほど。
まわりにプルトップを貼りめぐらせた木の額に、帯やきれいな布などをコラージュして、クリスマスツリーを作ります。

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仕上げはツリーのまわりに瞬間接着剤で模様を描き、上から銀の粉をふりかけます。
この銀の粉、実はベランダを切断した際に出る削り屑なのです。Mさんのアイディアで、クリスマスらしいキラキラ輝く銀色のデコレーションに変身するのです。

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工作の後は、毎年恒例のサンタクロースが参加者全員にプレゼントを配りました。
画家のTさんが、はにかみながらサンタクロースになってくれました。

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妻Tの差し入れクリスマスケーキも、皆で美味しく食べました。

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最後には、ちびサンタまで登場して、皆にクッキーを配りました。

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次回の美術館クラブは1月16日、石塚悦子さんのご案内で「チビタイルで遊ぼ」です。
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2009/12/9

没後10年 丸木俊展  企画展

12月19日からはじまる「没後10年 丸木俊展」の準備を進めています。
昨日は晩年の俊さんと親交のあった歌人のKさんから、《飛天》や《つつじのむすめ》を描いた掛け軸をお借りしました。
今日は午前中に椎名町へ行き、「アトリエ村の小さな画廊 ギャラリーいがらし」から、障子の前にかわいらしいロシア人形が描かれた1960年代の油彩画《ロシア人形》をお借りしてきました。
《ロシア人形》は、今回の展覧会の表紙に使わせて頂いています。

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この企画展では、美術館の1階部分の(新館を除いた)5つの展示室すべてを使い、女子美術時代から最晩年までの油彩画、水彩画、デッサン、絵本原画など約120点を展示いたします。

《女性像》(1935年頃)と《モスクワ アパートへ向かう並木道》(1937年頃)という、近年丸木美術館に寄贈され、このたび修復を終えて初公開となる2点の油彩画も見どころです。

3月6日(土)午後2時には、栃木県立美術館の小勝禮子さんをお招きして、「赤松俊子(丸木俊)と戦中・戦後の女性画家」と題する講演会も行います。小勝さんは、2001年に「奔る女たち 女性画家の戦前・戦後 1930-1950年」という女性画家の歴史を掘り起こす素晴らしい展覧会を企画された方なので、興味深いお話を伺えることと思います。

丸木俊の生涯の画業を振り返る貴重な機会となりますので、ぜひ、多くの方にご覧頂きたいと思います。

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原爆の図丸木美術館「没後10年 丸木俊展」
2009年12月19日(土)−2010年4月10日(土)

●主な出品作品
《みよ子さんの像》 1932年 油彩・カンヴァス 個人蔵
《ロシアの風景》 1938年頃 油彩・カンヴァス 原爆の図丸木美術館蔵
《ヤップ島》 1940年 油彩・カンヴァス 個人蔵(後期展示)
絵本原画『ヤシノミノタビ』 1942年 インク、水彩・紙 個人蔵
《裸婦 解放されゆく人間性)》 1947年 油彩・カンヴァス 個人蔵
《北京 国慶節近し》 1956年 水墨彩色・紙 個人蔵
《鳩笛》 1956年 油彩・カンヴァス 原爆の図丸木美術館蔵
絵本原画『うみのがくたい』 1964年 インク、水彩・紙 個人蔵
《ファンティマイに捧げる母子像》 1970年 油彩・カンヴァス 個人蔵
絵本原画『ひろしまのピカ』 1980年 水墨彩色・紙 個人蔵
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2009/12/8

『原爆文学研究』第8号の紹介  執筆原稿

今年の8月、広島で「第3回戦後文化運動合同研究会・第28回原爆文学研究会 合同研究会」が開かれました。岡村も「『原爆の図』全国巡回展の軌跡」と題して発表を行いました。

http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1237.html

その報告を雑誌『原爆文学研究』に特集掲載するとのことで、11月上旬に原稿を提出していたのですが、このたび、雑誌の目次が届きましたので、紹介させて頂きます。

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原爆文学研究8(花書院、2009年12月21日刊行予定、定価1200円)

山本昭宏 核エネルギー言説の戦後史〜原子核物理学者を中心に〜 2
Roberta Tiberi 大野允子『ヒロシマの少女』論 16
―おとなになるとはどういうことか―
川口隆行 原爆テクスト教材論@ 大牟田稔「平和のとりでを築く」 27
坂口博 「原爆文学」探査G 城山三郎『大義の末』 36

◇小特集原爆表象の六〇年代と三島由紀夫
野坂昭雄 六〇年代の三島由紀夫―『美しい星』から『豊饒の海』へ― 40
山概糎・純文学論争、SF映画・小説と三島由紀夫『美しい星』 50
柳瀬善治 『破綻としての原初』あるいは『分配される終末』 69
―三島由紀夫の文学=自由観と「小説の終焉」について―

◇特集〈広島/ヒロシマ〉をめぐる文化運動再考
特集にあたって/冒頭提起(川口隆行/道場親信) 89
《報告》
水島裕雅 峠三吉と「われらの詩の会」 95
竹内栄美子 山代巴の文学/運動 110
楠田剛士 山田かんとサークル誌 125
岡村幸宣 「原爆の図」全国巡回展の軌跡 140
小沢節子 丸木スマと大道あやの「絵画世界」 169
道場親信 「原爆を許すまじ」と東京南部 190
― 50 年代サークル運動の「ピーク」をめぐるレポート
《コメント》
宇野田尚哉 戦後サークル詩運動のなかの『われらの詩』 107
松本麻里 山代巴を読み継ぐことの希望 121
坂口博 長崎と佐世保の文化運動への一視点 135
山本唯人 表象が立ち上がる場を見つめる 183
―丸木スマ・大道あや・「原爆の図」全国巡回展をめぐって
波潟剛 現象としての絵画 188
小田智敏 〈広島/ヒロシマ〉と音楽 204
《研究会評》
鳥羽耕史 合同研究会の経緯と成果 210
茶園梨加 「原爆言説」と「戦後文化運動」の接点をさぐる 213
柿木伸之 飼い馴らされることのない詩と批評の力を今ここに 217

◎ 彙報 221
表紙/石原一慶


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岡村の報告は、文章のほかに、資料編として1950年から53年にかけての《原爆の図》巡回展の日付や会場、主催団体などを記録した一覧表もまとめています。先日明らかになったばかりの美唄炭鉱展も、締切直前に滑り込みで追加させて頂きました。

雑誌は年内に発刊の見込みとのことで、丸木美術館でも販売させて頂く予定です。
(バックナンバーも、小高文庫に揃えていますので閲覧可能です)
とても充実した内容ですので、興味のある方はぜひお求めください。
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2009/12/5

平和のための博物館・市民ネットワーク全国交流会  講演・発表

午後からは文京区民センターで開催された「第9回平和のための博物館・市民ネットワーク全国交流会」に参加しました。
丸木美術館からは、K理事長とT常務理事も参加されました。

この日の内容は以下の通り。

基調報告:都立第五福竜丸展示館 安田和也さん
特別報告:ひめゆり平和祈念資料館 普天間朝佳さん「平和の次世代継承の取り組み」
東京大空襲戦災資料センター 山本唯人さん「体験世代と第2・3世代の記憶継承活動」
ピースおおさか 常本一さん「“公立”平和博物館としての現状と課題」


「都内の小学校の来館が減少している」という第五福竜丸展示館の危機意識は、丸木美術館にも共通する問題であり、その対策としての各方面への積極的な呼びかけなどの取り組み方は参考になりました。
ひめゆり平和祈念資料館の記憶継承の取り組み「次世代プロジェクト」(証言映像の記録化、展示リニューアル、後継者の育成)の充実ぶりは素晴らしかったです。
東京大空襲戦災資料センターの山本さんには、夏の広島での研究会でもお世話になりましたが、鋭く論理的な問題提起にはいつも感心させられます。今回の発表でも、「継承の空間」としての“場”の重要性や、世代間の記憶継承の「連続性」を保持する努力の問題など、参考になる点が多々ありました。
ピースおおさかの直面している公立平和博物館の“逆風”に立ち向かうための、「“ストーリーありき”の展示から脱却して、ひとつひとつの事実の検証を重視する展示をめざす」という課題は、丸木美術館にとっても、決して忘れてはならない大事な問題だと感じました。

「平和博物館」とひとことで言っても、それぞれの館の成り立ちや背景はさまざまですが、共通の目的を持つ館同士が連帯し、情報を交換する“場”の重要性をあらためて実感しました。

交流会の最後には、丸木美術館の現状報告も少しだけさせて頂きました。
大東文化大学のS先生も参加されていて、丸木美術館との「平和学」を通じた連携についても、補足をして下さいました。
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2009/12/5

セバスチャン・サルガド「アフリカ展」  他館企画など

午前中は東松山市環境保全課のKさんといっしょに恵比寿の東京都写真美術館へ。
セバスチャン・サルガドの「アフリカ」展を観に行きました。

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セバスチャン・サルガド(Sebastião Salgado,1944-)は、ブラジルに生まれ、経済学者から写真家に転じてアフリカの現状を取材し続けています。
ちょうどNHKの日曜美術館で特集されたばかりとのことで、開館後すぐに入館したにもかかわらず、会場内はかなり混雑していました。

サルガドとアフリカとの関わりは、ルワンダからはじまります。
1971年、彼はロンドンの国際コーヒー機構(ICO)でアフリカの農業発展構想に携わり、現地を訪れました。やがて写真家に転身し、豊かな緑にあふれたコーヒー農園を再訪。今回の展覧会でも、美しい農園や生き生きと働く人々の姿を記録した写真が展示されています。

しかし1994年、ルワンダでは部族間の対立が激化し、3か月余で80万〜100万人の命が犠牲となる大量虐殺が起こりました。激変した土地で、サルガドはともに農業の発展に関わった友人家族が全員死亡したことを知らされます。学校の床にならべられた何百人もの白骨化した遺体、大虐殺に関与した罪で刑務所に収監された多数の人びと、疲れ果てた表情で移動を続ける難民たち……サルガドの写真には、無惨に変わり果てたルワンダの姿が映し出されます。

アフリカに途絶えることのない紛争や飢餓、貧困の問題をとり続けた彼は、やがて、マウンテン・ゴリラをはじめとするアフリカの動物たちや自然に視線を向け、「GENESIS(ジェネシス/起源)」というプロジェクトに取り組みます。世界各地、前人未到の地までも取材し、作品発表だけではなく、教育や植林活動等を通して地球の恵みと人類の歴史を見直そうという試みは、彼にとっての「最後の大プロジェクト」になるとのこと。

アフリカの民衆を襲うさまざまな問題は、目先の利権争いに終始する政治家たちに起因するのでしょうし、その背後には日本を含む欧米諸国の力が影響しているのでしょう。われわれの便利な生活も、アフリカの搾取を支える「構造的暴力」の上に成り立っているのだということを、写真を見ながら考えさせられます。

写真の造形的な完成度も素晴しく、美しい装幀の図録も、ぜひ手もとに置きたい一冊です。
お勧めの展覧会、会期は12月13日まで。
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2009/12/4

1952年美唄炭鉱「総合原爆展」  1950年代原爆の図展調査

先日、目黒区美術館の「‘文化’資源としての〈炭鉱〉展」を訪れた際、M学芸員から一枚の写真を見せて頂きました。

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雪の積もる建物の玄関先で、2人の青年に引率されて並ぶ30数人の子どもたち。入口扉には「綜合原……」という貼り紙も見えます。
この写真は、今回の炭鉱展に出品されている《習作 人民裁判事件記録画》(1950年、193.9×130.3cm、油彩・キャンバス、美唄市教育委員会蔵)を共同制作した三菱美唄美術サークルのメンバーの一員、平山康勝さんが所蔵されているもの(三菱美唄美術サークルについては、ジャスティン・ジェスティー氏が「炭鉱展」図録に興味深い文章を寄せています)。1950年代に美唄炭鉱で開催されたという「綜合原爆展」の貴重な証拠写真です。
平山さんの証言によれば、三菱美唄美術サークルの活動の一環として、絵画教室の子どもたちを原爆展に連れてきたときの写真で、2人の青年のうち、向かって左側に写っているのが平山さん。右側はサークルのメンバーの一人・鷲見(わしみ)哲彦さんだそうです。偶然のようですが、鷲見さんは現在も丸木美術館の「反核反戦展」に毎年出品して下さっている画家さんです。

《原爆の図》の展覧会は、当時「原爆展」と呼ばれることが多く、1951年7月の京都大学同学会の主催による大規模な展覧会では、医学、物理、化学、政治、経済などの多角的な視点から原爆に関する展示物が制作され、初めて「綜合原爆展」という名称が使われました。
この展覧会はその後の「原爆展」の基盤となり、同年11月の札幌展も、北海道大学の学生が京都展に倣うかたちで多角的な原爆資料を展示し「綜合原爆展」として行いました。
1951年11月の札幌「綜合原爆展」については、以前にも紹介しています。

http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/949.html

丸木俊さんが自伝で回想している北海道の「原爆展」は、室蘭、旭川、秩父別、札幌、函館の5会場(最初に予定していた岩見沢は手違いで中止)ですが、翌1952年2月に釧路に巡回していたこともわかっています。

http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1140.html

しかし、美唄炭鉱で「原爆展」が行われたことは初めて知りました。
「綜合原爆展」という名称から、おそらくは札幌展の展示が巡回してきたものと思われます。
その後、美唄市教育委員会委員長S氏のご協力により、会場が新築の三菱美唄労働組合本部2階大会議室であったこと、地元の常盤中学校、沼東中学校の生徒が見学に行っていたことなどが判りました。さらに、美唄市議会議員Y氏が沼東小学校6年生のときに展覧会を見に行った記憶があるとのことで、S氏が沼東小学校の沿革史をたどったところ、「雑」記録の1952年1月28日に「原爆展見学」という小さな記述が一行だけ出てきたそうです。

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1枚の写真をきっかけに、埋もれていた原爆展の記憶と記録がつながってくるのは本当に感動的です。

   *   *   *

現在判明している1951年から52年にかけての《原爆の図》北海道巡回展の足取りを、ここで少し整理してみます。

@11月?日−?日 室蘭(会場不明、俊の回想によれば3日間で6,000人来場)
A11月?日−?日 旭川(会場不明、俊の回想によれば木造3階デパートの床が抜けそうなほど来場者あり)
B11月10日−12日 秩父別(俊の生家・善性寺にて3日間で3,000人来場、最終日には原爆死者追悼法要を行う)
C11月20日−21日 札幌(北大文化団体連合会主催「綜合原爆展」、丸井百貨店5階と富貴堂2階にて開催、北大中央講堂に会場を移して24日まで延長)
D11月28日−12月2日 函館(北大水産学部・学芸大函館分校自治会主催、棒二森屋百貨店2階にて開催)
E1月28日−?日 美唄(三菱美唄労働組合文化部主催、三菱美唄労働組合本部2階にて開催)
F2月24日−26日 釧路(日本平和推進国民会議釧路地区主催、釧路市立労働会館にて開催)


俊さんの回想のなかに、函館までの5会場しか登場していないのは、おそらく函館展を終えた後に、丸木夫妻が《原爆の図》を残して帰京したからではないかと推測されます。
その後は《原爆の図》などの展示物だけが道内各地を巡回したと思われますが、美唄や釧路のように“埋もれている”「原爆展」は、ほかにもまだあるのではないでしょうか。
今後も継続して調査を進めていきたいと思います。
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