2009/8/30

【広島4日目/合同研究会発表】  講演・発表

「第3回戦後文化運動合同研究会・第28回原爆文学研究会 合同研究会」にて、「『原爆の図』全国巡回展の軌跡」と題する報告を行いました。

今回の報告の中心は、昨年1月に発見した新資料をはじめ、近年の調査によって明らかになった、1950年代はじめの原爆の図全国巡回展の実態です。

当時の原爆の図の巡回展は大きくふたつに分けることができます。
ひとつは1950年2月に原爆の図第1部《幽霊》(発表時の題は《八月六日》)が発表されてから1951年末の北海道巡回にかけて丸木夫妻が直接巡回展を行っていた時期。そして、1952年3月から1953年まで吉田早苗(後の美術批評家ヨシダ・ヨシエ)と野々下徹が原爆の図を引き継いで巡回展を行っていた時期です。
これまで、吉田・野々下の巡回展については、野々下による詳細なメモがあったために知られていたのですが、丸木夫妻が帯同していた時期の記録は、ほとんど謎に包まれたままでした。
発見された新資料によって、会場や会期、主催・賛同団体などの情報が、一気に明らかになったのです。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/889.html

また、当時の新聞資料を調査した結果、《八月六日》の題は日本美術会主催の日本アンデパンダン展の開催期間中のみ使用され(原爆という語を使うとGHQにより展覧会が潰されるのではないかという主催団体の自主規制によって、丸木夫妻は題名の変更を余儀なくされた)、直後の新聞記事には「原爆の図」という題とともに現在の絵解き(解説文)の原型になる文章が掲載されていたこともわかりました。原爆の図は、その成立当初から、絵と言葉がひと組になって、原爆の実態を人びとに伝えることを目的としていたようです。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/845.html

そのほか、全国巡回展のはじまりが広島の爆心地の五流荘で、峠三吉ら「われらの詩の会」の人びとによって開かれたこと。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/904.html

1951年7月の京都大学「綜合原爆展」をはじめに、北海道大学、愛知大学でも学生主体の原爆の図の展示が行われたこと。北海道大学では「白鳥事件」、愛知大学では「愛大事件」などの不可解な事件と関わりがあったこと。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/949.html

長野では当時高校生だった池田満寿夫が原爆の図を見た感想を日記に書いていること。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/896.html

全国巡回展の軌跡を地図に落としていくと、東京や当時丸木夫妻が住んでいた神奈川県での展覧会は多いものの、なぜか関東圏ではほとんど行われず、中国・九州を中心に西日本を重点的にまわっている点(特に九州は、丸木夫妻の最初の巡回展の目的地であり、吉田・野々下も細かく巡回している)や、東北全県や北海道を早い段階でまわっている点などがわかること。

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こうした、近年の調査結果を話しているうちに、あっという間に規定の30分間を過ぎてしまいました。

   *   *   *

次の報告は小沢節子さんによる「体験者の表現と運動のあいだ―丸木スマ、大道あやの「絵画世界」を中心に―」。
小沢さんは近年、直接被爆者として早い時期に原爆の絵を残した丸木スマと、丸木夫妻の「原爆の図」を批判し被爆市民の絵に共感しながら晩年に原爆の絵の制作を試みて描けなかった大道あやの両者を比較しながら、原爆体験を表象することの問題を考え続けています。
その内容については、次号の『丸木美術館ニュース』で小沢さんが研究会全体のまとめを報告して下さるので、その記事を楽しみにしたいと思います。
ぼくの印象に残ったのは、丸木夫妻がスマをモデルにして1950年代に提唱した“大衆/国民美術論”「絵は誰でも描ける」という理念が、果たしてスマの表現の根源にある原爆体験とどこまで向き合っていたのか、むしろ、〈何が人をして描かせるのか〉を問うべきではなかったのか、という鋭い問題提起でした。

われわれ2人の報告の後には、東京大空襲・戦災資料センターの山本唯人さんと九州大学の波潟剛さんがそれぞれ有意義なコメントをしてくださり、その後は全体の討議に。
なにしろ戦後文化運動の専門家が集まる研究会なので、全国巡回展の資料から読みとれる社会的背景や新たな問題の提起など、様々な発言が飛び交い、予定時間を大幅に越えて昼休みに食い込んでしまいました。
おかげで研究会に慣れないぼくは頭がぐったりしてしまいましたが、小沢さんは「いい経験だったでしょう……」と笑顔。
今回の研究会のまとめ役として、声をかけてくださった広島大の川口さんも「資料を見たときから、これはすごいと思っていた」と言ってくださいました。

ある方は「最初の九州巡回を担ったのは、主催団体の名前からして社会党左派の関係だろう」とご教示くださり、また、別の方は「大阪の生野の御幸森朝鮮小学校は、(展覧会のあった1951年5月)当時は警官に囲まれて学校閉鎖の状態にあったはず。明らかに共産党主導による展覧会で、朝鮮戦争下の反米闘争キャンペーンに『原爆の図』が利用されていたことがわかる。ただ面白いのは、その一方でデパートのような商業施設でも展覧会が開かれていて、その幅の広さは、ある意味とてもすごいことだと思う」と興味深い指摘してくださいました。
そうした方々のご指摘によって、理念や党派にこだわらずに行動するという丸木夫妻の姿勢が、あらためて浮き彫りになったように思います。

   *   *   *

今回の研究会に参加したおかげで、「原爆の図」全国巡回展の資料をまとめていくことが、この時代の文化運動のひとつのあり方を知る上でいかに重要であるか、そして丸木夫妻という人物を知る上でもいかに重要であるかを、再認識することができました。
多くの研究者に「原爆の図」の情報を伝えることができ、また知り合いになった方も増えたので、今後の「原爆の図」研究に大きな勇気をもらったような気がします。

研究会の開催に尽力された川口さんはじめ、多くの関係者の皆さまに心からお礼申し上げます。
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2009/8/29

【広島3日目】丸木家墓参り/研究会初日  調査・旅行・出張

広島滞在3日目の午前中は、Kさんご夫妻と待ち合わせて三滝町の丸木家へ。
丸木位里が生まれたのは昨日訪れた安佐北区の飯室ですが、1931年には家財と土地を売り払って翌年広島市内の三滝町に転居しています。
丸木スマや大道あやが被爆したのも、この三滝町です。

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現在は、位里の弟・廣雄さんの孫にあたる、N也さんご夫婦が鍼灸院を営んでいます。
数年前に亡くなられた越伸さん(廣雄さんの子)のおつれあいのT子さんや、N也さんご夫婦の子の小学生・Kくんもあたたかく迎えてくれました。

挨拶をしたあと、みんなで三滝の山へ丸木家のお墓参りに行きました。

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鳩の母子像の絵が刻まれた「丸木家代々の墓」と、シンプルに文字が刻まれた「スマの墓」がならんで建っています。

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そのとなりには、飯室から持って来たという丸木家先祖の墓も建っていました。
1918年に亡くなった、位里の祖父・源平の名が刻まれています。
ひとつはさんだ左どなりには、大道家の墓もありました。
用意していたお花を捧げ、皆で手をあわせてしばし合掌。

その後は近くの三滝寺へ。
丸木スマが描いた二重の塔のモデルになった多宝塔を観に行きました。
俊とともにスケッチに行き、「四ひら(の屋根)が一ひらになってしもうた」と笑いながら描いたという塔です(作品はスマ《塔とねずみ》)。

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この多宝塔は、1526年の創建と言われ、和歌山県の広八幡神社の境内に建てられていたものを、原爆被災者供養のため1951年に三滝に移築したそうです。
俊とスマがスケッチに来たのは、塔が三滝に建てられた直後だったのでしょう。

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この三滝寺の鐘楼も、丸木位里が1935年に第14回日本南画院展に出品した水墨画《鐘》のモデルになっています。この作品は、位里が上京して最初に団体展に発表したものです。三滝には丸木家のさまざまな思い出が残っていますね。

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わが家の息子Rは、兄貴分のKくんの後を追って三滝寺を元気いっぱいに駆け回り、大満足。
時間もあまりなく、子ども連れで三滝山を上るのは無理なので、茶店でひと休みした後、駅まで車で送って頂きました。
丸木家のみなさん本当にありがとうございました。

   *   *   *

午後からは広島大学で「合同研究会〈広島/ヒロシマ〉をめぐる文化運動再考 ―「つながり」と想像力の軌跡―」に参加。
この日の内容は以下の通りです。

【報告1】水島裕雅(広島大学名誉教授/「広島に文学館を!市民の会」代表/比較文学)「峠三吉と「われらの詩の会」」
 コメント:宇野田尚哉(神戸大学/日本思想史)
【報告2】竹内栄美子(千葉工業大学/日本近代文学)「山代巴の文学/運動」
 コメント:松本麻里(ものかき/アクティヴィスト/雑誌『VOL』編集委員)
【報告3】楠田剛士(九州大学大学院生/日本近代文学)「山田かんとサークル誌」
 コメント:坂口博(創言社編集人)


峠三吉と「われらの詩の会」は1950年10月に広島市・五流荘で行われた原爆の図展に深く関わり、山代巴も丸木俊の女子美術時代の同級生。
丸木夫妻とゆかりの深い人びとについての発表を、興味深く聞かせて頂きました。
夕方からは近くの居酒屋で懇親会。わが家は妻子もいっしょに参加して、楽しい時間を過ごしました。

明日はいよいよ、「『原爆の図』全国巡回展の軌跡」と題する発表を行います。
戦後の文化運動研究を専門とする方々が全国から集まっているので、ちょっと緊張しています。
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2009/8/28

【広島2日目】丸木位里生誕地  調査・旅行・出張

広島2日目。
以前から一度訪れたいと思っていた、広島市安佐北区安佐町飯室油木の丸木位里生誕地へ。
安佐町飯室は、行政上は広島市になっているとはいえ、市内からは太田川をかなりさかのぼったところにあります。
可部駅からバスに揺られて約40分。運転手さんに行く先を確認すると、「本当にそんなところに行くの? あそこは行っても何もないよ」と念を押されました。
目的地である「飯室西」の停留所が近づくと、位里の母校である飯室小学校やスマの絵を所蔵している安佐町公民館、位里の絵が残っている浄国寺など、聞き覚えのある場所を見つけることができます。それらを次々と通過して(いつかは訪れてみたいですが)、「飯室西」で下車。
本当は、もうひとつ先に「油木」という停留所があるのですが、急行バスに乗っていたので、通過してしまうのです。

「飯室西」から「油木」までは、太田川と山に挟まれた狭い国道を約10分の距離。
大型トラックがスピードを出して通過し、歩行者などほとんど通らない危険な道です。
歩きはじめてすぐに、長沢橋のところで野生の猿が国道を駆け抜けていくのを見ました。
丸木スマの絵《ふるさと》には、村はずれの木に猿が描かれていますが、飯室は今もそういう場所なのですね。

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やがて「油木」に到着。といっても、集落と言えるほどの集落はありません。
丸木の家も土地も戦前に人手にわたっているため、どこがその場所だったのか、今となっては見当もつきません。

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福音館書店から出ている大道あや聞き書き一代記『へくそ花も花盛り』には、この「油木」の家の様子が細かく語られていますが、当時も家が三軒ほど並ぶだけの静かな場所だったようです。
国道から太田川に下りる小さな階段があったので、川へ下りて写真を撮りました。

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丸木美術館は「都幾川の風景が故郷の太田川を思い出させる」との理由で現在の場所に建てられたのですが、実際に位里さんの故郷を流れる太田川は、都幾川よりずっと水量も多く、雄大な景色の川でした。

   *   *   *

その後は(丸木夫妻も何度も絵を描いている)景勝地の三段峡を訪れようと思ったのですが、停留所でバスを待っていると、(こんなところで人が乗ってくるはずがない)と思われたのでしょうか、運転手がスピードを落とさずバスを通過させようとしたので、あわてて手を振ってバスを止め、乗りこむことができました。

夕方5時には中国新聞のK記者と待ち合わせて研究者のKさんとともに取材を受け、6時からは広島大のKさんと合流して台湾料理店で美味しい料理をたっぷり頂きました。
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2009/8/27

【広島初日】広島電鉄被爆車両  調査・旅行・出張

第3回戦後文化運動合同研究会/第28回原爆文学研究会 合同研究会「〈広島/ヒロシマ〉をめぐる文化運動再考」に参加するため、家族で広島に来ています。
初日の今日は、午前中に平和公園に行って、原爆ドームを見ました。
出発前、埼玉はすでに秋風のような涼しい風が吹いていたのですが、さすがに広島は暑いですね。

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ぼくも妻Tも、結婚前はそれぞれ何度か広島を訪れているのですが、家族で来るのは初めて。
息子も「ばくだんがおちて、みんなしんじゃったんだ」ということが理解できる年齢になってきたので、神妙な顔で原爆ドームを見ていました。
平和祈念資料館も行こうかと思っていたのですが、乗り物好きの息子が遊覧船を見て「ふねにのりたい」と言ったので、急きょ元安川を船でまわることに。
そのおかげで、川の上から原爆ドームを見ることができました。

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遊覧船のツアーは、元安橋から上流へのぼり、かつて原爆で生き残った人や疎開から戻ってきた人たちがバラックを建てて住み“原爆スラム”と呼ばれた地域のあと(今は跡形もなく整備されている)を見ながら、北大橋のあたりで折り返します。

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写真右の土手の一帯が、かつての“原爆スラム”だそうです。

   *   *   *

午後は広島市現代美術館へ、原爆の図複製に関する資料を見せてもらいに行きましたが、その帰りに、偶然、被爆した路面電車(広島電鉄650系)に乗ることができました。

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被爆後に修復されてその後も走っていた650系の4両の車両のうち、651号と652号は今も現役で走り続けているそうです。木造の車両内には、被爆車両であることを説明するプレートも設置されていて、さながら“走る博物館”となっています。
ぼくが乗ったのは652号ですが、wikipediaには651号の被爆直後の画像が載っていました。

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ちなみに、653号は江波車庫で動態保存されており、引退した654号は広島市交通博物館に展示されているそうです。
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2009/8/25

世界の平和博物館  執筆原稿

以前、国際平和博物館会議でごいっしょしたヒロシマ平和メディアセンターのKさんから、「世界の平和博物館」のHPが開設されたとのご紹介を頂きました。

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter_d/w_museum/index.html

『中国新聞』に連載された記事をもとにした内容です。
紹介されている博物館施設は以下のとおりです。

【日本】
広島平和記念資料館(広島市中区)
長崎原爆資料館(長崎市)
東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)
ひめゆり平和祈念資料館(沖縄県糸満市)
原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)
都立第五福竜丸展示館(東京都江東区)
ちひろ美術館(東京都練馬区)
杉原千畝記念館(岐阜県八百津町)
大久野島毒ガス資料館(広島県竹原市)

【アジア】
テヘラン平和博物館(イラン)
国立ガンジー博物館(インド)
平和と連帯の国際博物館(ウズベキスタン)
ナヌムの家・日本軍「慰安婦」歴史館(韓国)
平和博物館建立推進委員会(韓国)
カンボジア資料センター(カンボジア)
中国人民抗日戦争記念館(中国)
九・一八歴史博物館(中国)

【アフリカ】
地域平和博物館遺産財団(ケニア)

【ヨーロッパ】
ザ・ピース・ミュージアム(イギリス)
レジスタンス博物館(オランダ)
フランツ・イエーガーシュテッターの家(オーストリア)
国際赤十字・赤新月博物館(スイス)
ゲルニカ平和博物館(スペイン)
平和の石塚記念館(チェコ)
ザクセンハウゼン追悼博物館(ドイツ)
ノーベル平和センター(ノルウェー)
カン平和記念館(フランス)
イン・フランダース・フィールズ博物館(ベルギー)

【北米&中米】
キッズブリッジ寛容博物館(米国ニュージャージー州)
ウィルミントン大学平和資料センター(米国オハイオ州)
USSアリゾナ記念館(米国ハワイ州)
デイトン国際平和博物館(米国オハイオ州)
アリアス財団平和博物館(コスタリカ)

とても興味深い内容で、写真資料も充実しています。
国内外を問わず、平和博物館は厳しい予算で苦労をしている施設が多いのですが、このHPを見ると、ひとつひとつの博物館の手ざわりが伝わってくるようで、とても温かい気持ちになります。
ぜひ一度、ご覧になってください。
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2009/8/20

河童会議  館外展・関連企画

東松山市の主催で、都幾川に元気いっぱいの子どもたちが集まるイベント「河童会議」。
今までは丸木美術館の上流にある鞍掛橋が舞台だったのですが、今年は鞍掛橋からカヌーで川を下って、丸木美術館に上陸するという内容で行われました。

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川風に乗って賑やかな歓声が聞こえると思ったら、川の上流から颯爽と3艘のカヌーが登場!!
最後の難関の浅瀬で沈したカヌーもありましたが、みんな無事に上陸を果たしました。

昼食のあとは丸木美術館を鑑賞。
川遊びと《原爆の図》……一瞬、何かつながりがあるのかと不思議に思った子もいたようですが、地元で「河童会議」を支え続ける人たちが、長年、会議と丸木美術館をつなげたいと温めつづけていた思いが、今年ようやく実現したのです。

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鑑賞のあとは野木庵で参加した子どもたちに感想を書いてもらいました。
「川」「丸木美術館」「将来」三つのテーマに分けて、それぞれの感想を貼り出します。

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最後にS木(F)さんが、『ひろしまのピカ』の紙芝居を読んでくれました。
今年の「河童会議」は、川遊び体験を楽しむだけではなくて、「命」についても深く学ぶことができたようです。
また来年も丸木美術館に“河童たち”が来てくれるといいですね。
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2009/8/15

平松利昭と三人の「師」展  館外展・関連企画

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8月15日から9月23日まで、岡山県の高梁市歴史美術館で「平松利昭と三人の「師」展」が開催されます。
平松さんはかつて丸木夫妻とともに活動された油彩画家で、高梁市の出身です。
丸木美術館からは原爆の図第5部《少年少女》が貸出され、ほかにも位里の《臥牛》、俊の《ファンティマイに捧げる母子像》など代表作が出品されます。
お近くの方は貴重な機会ですので、ぜひぜひご覧ください。
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2009/8/13

広島合同研究会に向けて  来客・取材

8月末に広島で行われる合同研究会「〈広島/ヒロシマ〉をめぐる文化運動再考 ―「つながり」と想像力の軌跡―」を前に、原爆の図研究で知られる近現代史研究者のKさんが来館されました。

この研究会には私も参加して、「原爆の図全国巡回展の軌跡」についての報告を行う予定です。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1193.html

被爆体験者の表現という視点から、大道あやと丸木スマの「原爆の絵」について論じられるKさん。この日は企画展「丸木スマ・大道あや展」をご覧になり、研究会で使用する画像の打ち合わせなどを行いました。

研究会の前には、ごいっしょに三滝の丸木夫妻のお墓やお寺などを巡る予定。
一昨年から藤沢、北海道、沖縄と続いているKさんとの「遠足旅行」。
今年の目的地は広島ということになりました。
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2009/8/10

神宮寺より《原爆の図》返却  館外展・関連企画

8月4日から9日まで長野県松本市の神宮寺に展示されていた原爆の図第11部《母子像》が無事に戻って来ました。

昨年、10年がかりで原爆の図全14点の展示を実現させた神宮寺さん。
今年からは貸出がないのが寂しいね、と話していたのですが、先月になってT住職から電話があり、「やっぱり夏には原爆の図を見たいという声が多いので、ふた回り目をやることにしました!」と嬉しいお知らせ。

岩波新書から『寺よ、変われ』という著書も刊行され、新聞各紙で取り上げられるなど相変わらずお忙しい様子のT住職ですが、そのパワフルぶりは健在のようです。

今年の来場者は約1,500人とのこと。
これからも、たくさんの方々に《原爆の図》を紹介して頂きたいと思います。
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2009/8/8

実習生打ち上げ  学芸員実習

中央大学のKくんの学芸員実習が無事に終了し、美術館閉館後に高坂駅近くの居酒屋Dさんでスタッフを中心に打ち上げを行いました。
ちょうど、1週間ほど丸木美術館に通って《原爆の図》の調査を行っているペンシルバニア州立大学助教授のSさんもいっしょです。Sさんは、中世日本文学が専門で“語りと視覚表現”の視点から《原爆の図》に興味を持たれたとのこと。今後どのように研究を進めていかれるのか、とても楽しみです。

この1週間ですっかりスタッフとも打ち解けたKくんとSさん。
Kくんは大学の写真部に所属し、国立新美術館のサポートスタッフにもなっているとのことで、丸木美術館のユニークな運営のあり方にも関心を持ったようでした。

暑いなか、草刈りなどたくさんの仕事を手伝ってくれたKくん、お疲れさまでした。
今後の活躍に期待します。
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2009/8/7

後片付け  ボランティア

ひろしま忌から一夜明け、美術館は静かな朝を迎えました。
職員・実習生・ボランティアは後片付けに汗を流す一日です。
K林(T)さんやS木(N子)さんが手伝いに来て下さって、今年の5月に実習を行ったばかりの東京造形大のYさんも忙しいなか駆けつけてくれました。

朝一番には岡山県の高梁市歴史美術博物館のK学芸員が原爆の図第5部《少年少女》貸出のために来館。
8月15日から9月23日まで「新高梁市発足5周年記念 平松利昭と三人の師たち」という展覧会が開催され、丸木夫妻の作品も展示されるのです。

ひろしま忌が終わっても、まだまだ丸木美術館の夏は続きます。
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2009/8/6

被爆64年 ひろしま忌  イベント

被爆から64年目を迎えた丸木美術館ひろしま忌。
今年もまた、多くのボランティアと来館者の皆さまに支えられ、盛況となりました。
心配された雨もとうろう流しの時間には辛うじて止み、例年より早い日暮れのなか、約80体のとうろうが都幾川の流れに浮かびました。

この日の来場者は234人。ボランティア・スタッフ含めて約280人の参加は昨年のおよそ2倍になります。
自動車で来館される方々の交通整理にあたって下さった駐車場係の皆さんや、駅まで車で来館者の送迎をして下さった送迎係の皆さん、カレー出店やTシャツ売り、友の会受付などなど、たくさんの方が汗をかきながら大切な一日を盛り上げて下さいました。

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美術館クラブ工作教室では、昔の蚊帳を使って楽しい工作を行いました。

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毎年恒例となった川越城西中学の和太鼓“欅”の演奏も力強く、爽やかな風を巻き起こしました。

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大道芸人・立松正宏さんは自作楽器で鮮やかに手足の技巧を駆使した演奏を披露。

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加納実紀代さんの講演「わたしの原爆の図」は、途中雨で新館ホールへの移動があったものの、多くの方が熱心に耳を傾けていました。
(私はあちこち駆け回っていて、落ち着いて話を聞けませんでしたが)

今年のひろしま忌の集いでは、30年前の8月6日を記録映画に撮影したという市内在住のHさんが映写機を持参して貴重な映像を流して下さいました。
連日の雨で例年以上に増水した都幾川でのとうろう流しも、何とか無事に終了。

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すべてのイベントが終わった後は、スタッフ・ボランティアで集まって打ち上げ会。
花火職人Nくんがたくさんの花火を差し入れてくれて、急きょ皆で花火大会を行いました。
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2009/8/4

反核平和の火リレー  来客・取材

8月6日に向けての準備を進めつつ、天気予報が気になるこの頃。
今日は雨との予報でしたが、一日蒸し暑い曇りの日となりました。
ここ連日の雨で都幾川の水がやや増水しているため、とうろう流しの場所の整備が難しいです。今日は地元ボランティアのK林(T)さんとJさんが草刈り機できれいに川岸や大型駐車場の整備をしてくださいました。

午前中には、毎年恒例の「反核平和の火リレー」が丸木美術館の前を通過。

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事務局を代表し、以前にもリレーに参加されたことがあるというNさんが挨拶をして、平和の火の中継を行いました。
暑いなか、皆さんお疲れさまでした。

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2009/8/3

アートスペース市川一郎展  特別企画

丸木美術館の理事で、みずからも丸木位里とともに臥竜展に水墨画を発表されていた市川一郎さんが、80歳を記念して丸木美術館アートスペースで個展を開催されました。

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1986年の第1回臥竜展出品作《戦火1》《戦火2》をはじめ、野仏や千手観音を主題にした《救済1》《救済2》など、丸木位里直伝の水墨の効果、ぼかしや流し込みを用いた作品がならびます。

会期は8月9日までと短いですが、8月6日のひろしま忌に参加される方はぜひ2階のアートスペースもご覧になってください。

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2009/8/3

今日も草刈り  ボランティア

昨日ボランティアに来てくれた元実習生のMくんが今日も来てくれることになったので、実習生のKくんとぼくの3人で一日がかりで都幾川へと続く道の草刈り作業を行いました。
はじめは曇り空で絶好の草刈り日和かと思いましたが、途中から陽射しが強くなり、草刈り初体験のKくんはかなり疲れた様子でしたが、がんばって最後まで作業をしてくれました。
休憩のときに食べたマンゴー(佐喜眞美術館より)やスイカ(事務局Nさんの差し入れ)の美味しかったこと!!

今年は雨が多く、川岸の足場もぬかるんであまり状態が良くありませんが、なんとか8月6日にとうろう流しができるように、多くの人が努力をしてくれています。
あとは天気次第……
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