2009/2/27

猫三部作登場!  販売物

先日、丸木位里《母子猫》と丸木俊《ねんねのじかん》をデザインした一筆箋が納品されました。
すでに販売している丸木スマ一筆箋《ねこととり》と合わせて、猫三部作の誕生です!

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スマ一筆箋もかわいらしいのですが、位里《母子猫》は落ち着きがあってとても良い仕上がりです。俊《ねんねのじかん》は、唯一の横罫なので、この書きやすさも捨てがたい……と、用途に合わせてさまざまにお選びいただけます。

そしてさらに新商品情報が!
昨日、丸木スマ《ひまわり》のクリアファイルも納品されました。
こちらもとても使いやすそうです。

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いずれも早速美術館入口ロビーにて販売しています。
ちょっとした贈り物や、美術館来館の記念に、ぜひお求めください!
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2009/2/26

足尾鉱毒の図展  企画展

日曜日は理事会、火曜日はN事務局長といっしょにホタルの里の環境整備、水曜日はY子さんといっしょに群馬県太田市へ《足尾鉱毒の図》集荷と、このところ忙しい日が続きました。
《足尾鉱毒の図》は、太田市役所の所蔵する全6部作を一挙に展示する予定でしたが、太田市の意向により、前半と後半に分けて途中で2部を展示替えすることになりました。
展示スケジュールは以下の通りです。

【全期間展示 3/7-6/6】
足尾鉱毒の図第2部《押し出し》 1987年
足尾鉱毒の図《谷中村野焼き》 1989年
足尾鉱毒の図《大逆事件》 1989年
【前期展示 3/7-4/19】
足尾鉱毒の図第3部《渡良瀬の洪水》 1988年
足尾鉱毒の図第5部《谷中村強制破壊》 1992年
【後期展示 4/21-6/6】
足尾鉱毒の図第1部《足尾銅山》 1987年
足尾鉱毒の図第4部《直訴と女押し出し》 1988年


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第1部《足尾銅山》(軸装)には、画面右側に足尾銅山の製錬所が描かれ、右から左に渡良瀬川が流れています。画面中央には田中正造の顔が浮かび上がり、その周囲には煙害に苦しむ松木村の住人でしょうか、赤ん坊に乳を与える農婦の姿などが描かれています。

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第2部《押し出し》(軸装)には、足尾銅山鉱業停止を訴える「押し出し」(請願デモ)の様子が描かれています。

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第3部《渡良瀬の洪水》(軸装)は、1890年8月の渡良瀬川の大洪水を描いたものです。銅山の開発のために足尾の山の木々は乱伐され、亜硫酸ガスは残った木々を枯らしました。その結果大洪水が起こり、氾濫水に大量の鉱毒が含まれていたため、周辺農村の農業は壊滅したのです。

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第4部《直訴と女押し出し》(軸装)には、「押し出し」の列に馬に乗ったりサーベルを抜いた警官隊が乱入している場面が大きく描かれ、画面右上には直訴をする田中正造の姿も描かれています。いわゆる「足尾鉱毒事件」を連想する、もっとも迫力のある作品です。

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第5部《谷中村強制破壊》は、鉱毒処理のために遊水池になることが決まった谷中村の強制破壊に反対する田中正造と残留民の姿が描かれています。実はこの作品だけがいまだに表装されていません。

番号のついた「足尾鉱毒の図」は第5部が最後ですが、番外として屏風仕立ての《谷中村野やき》という作品があります。遊水池になった旧谷中村のヨシ焼きの様子を描いたものです。赤い炎に包まれた画面のなかに、ヘビやカエル、昆虫、ねずみたちの姿が描かれています。

以上6点が太田市からお借りしてきた作品です。
「足尾鉱毒の図」にはもう1点、個人蔵の《大逆事件》という作品があります。
なぜ「足尾鉱毒の図」に大逆事件なのか。丸木位里は『丸木美術館ニュース』第31号に以下のような文章を残しています。

足尾銅山鉱毒事件を今までに四点描きました。五作目の谷中村の野やきを描いている時、内山愚童の法事の会に曽根さんに連れられてお参りしまして、それで思いついたわけでもありませんが、前々から何とか描かねばならぬと思っていた幸徳秋水の大逆事件を、この中へ入ってもらおうと云う気になって一気に十二人の処刑を描くことにしました。(中略)とにかくこの作品については、どういうふうに見てもらえるか全然わかりませんが、この幸徳秋水の大逆事件だけは今日の問題としてもう一遍も二遍も登場してもらって、皆さんと考えてゆこうではありませんか。

丸木美術館にとっても13年ぶりとなる「足尾鉱毒の図」公開。
ふだんは所蔵先の太田市でも公開されていないので、丸木夫妻の最晩年の共同制作を見るたいへん貴重な機会になります。この機会に、ぜひ丸木美術館に足をお運び下さい。
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2009/2/22

NHK BS-2「二つの水俣」  TV・ラジオ放送

先日もお伝えしたNHK BS-2の番組「あの人からのメッセージ」の詳細がHPに掲載されました。

http://www.nhk.or.jp/archives/kuradashi/wed/

正式なタイトルは「原爆と水俣 声なき声を伝えたい 〜丸木夫妻・土本典昭〜」です。
放送時間は2月25日(水)午後7時45分から8時27分までとなっています。

以下はHPに紹介された番組内容です。

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被爆直後の広島市に入り、惨状を目のあたりにした丸木さんは、夫婦で30年間にわたって原爆の図を描き続けた。土本典昭さんは、昭和30年代から水俣病患者を見つめ続け、17シリーズの水俣病患者の映画を制作。ともに、現実という悲劇と向き合いながら生きる人たちの心の叫びを世に示し続けたのである。社会の不条理と向き合い、問い続けた2組からのメッセージ。
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どうぞお見逃しなく。
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2009/2/21

あるコレクターの作品鑑賞会  他館企画など

今日は中野区の某画廊で一日公開された個人コレクターS氏の作品鑑賞会に参加しました。

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中村正義の美術館館長のN子さんに誘われて、どういう会かよく知らずに出かけたのですが、参加者はコレクターや画廊主、美術館学芸員という内輪の人たちで、S氏の話を聞いて美術の見識を深めるという集まりのようでした。
展示作家は、中村正義、星野真吾、斎藤真一、山下菊二、佐熊桂一郎、菊池容斎、秦テルヲ、小嶋悠司、浅井忠、水野朝、大森運夫、藤田嗣治、豊秋半二、丸木位里という顔ぶれ(S氏はぼくが来ることを知り、急きょ最近購入したばかりの丸木位里の松竹梅の小品3点を展示して下さいました)。
個人コレクターを代表する存在であり、美術研究者としても知られるS氏には以前からたびたびお世話になっています。今回あらためて聞く個人的な体験談はたいへん興味深く、練馬区立美術館のN学芸員の丁寧な作家解説も非常に勉強になりました。

鑑賞会のあとは夕食まで提供され、恐縮しながら参加者と交流しました。
皆それぞれ美術についての造詣が深く、話しはじめるととどまることを知らない方ばかり。ぼくは洲之内徹に詳しい某氏と隣同士になって、佐藤哲三や靉光、井上肇、林倭衛の話で盛り上がりました。某氏によると、大杉栄の肖像画《出獄の日のO氏》で知られる林倭衛の娘さんは、市川小学校で当時代用教員をしていた丸木俊(当時赤松俊子)に教わったそうです。新宿の花園神社の近くで飲み屋をされているというので、一度話を伺いに行きたいと思いました。
また、長野県の某美術館を支援する友の会組織の方々には、「ぜひ数年のうちに丸木スマ展をさせてください」と嬉しいお申し出を頂きました。まだ正式な話ではありませんが、非常に情熱的な申し出だったので、できる限り実現の可能性を探っていきたいと思います。

S氏の見識の深さと交友の広さをあらためて実感し、また、美術の世界の深遠をまたひとつ覗いてしまったと思われる、不思議で貴重な体験をした一日でした。
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2009/2/20

スマ作品修復など  来客・取材

朝起きたら外は雪景色。実に2年ぶりの雪でしょうか。
この冬に靴屋の閉店セールで買ってみたものの、今まで一度も履いていなかった雪靴をとり出してバス出勤。しかし、午前中の雨と午後の晴天でほぼ雪は跡形もなくなってしまいました。
ぼくが丸木美術館に勤めはじめた9年前には、ひと冬に2、3回雪かきをしていたことを懐かしく思い出します。ここ数年で急激に雪は減りました。

今日は午後から当館の所蔵品の修復を担当して下さっているD社のOさんが来館されました。
来年度の修復予算をたてるため、《原爆の図》の画面の汚れや、剥落が気になるスマの油彩作品の状態などを観て頂いたのです。
昨年夏の埼玉県立近代美術館の「丸木スマ展」では、修復して額を換えた一部のスマ作品が見違えたようにきれいになっていました。
予算に限りはありますが、来年度も少しずつ修復作業を進めていくことができそうです。
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2009/2/18

埼玉近美「青春のロシア・アヴァンギャルド」  他館企画など

午前中は埼玉県立近代美術館の「青春のロシア・アヴァンギャルド展」へ行きました。

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20世紀初頭のロシア、帝政時代の終焉から革命へと向かう時代の熱狂のなかで、絵画・演劇・建築・音楽など多くの分野でセンセーションを巻き起こした「ロシア・アヴァンギャルド」。「政治の革命」に先行する「芸術の革命」は、新たな創造力の地平を大胆に切り拓き、世界に大きな衝撃を与えました。しかし、そんな輝かしい時代は、皮肉なことにロシア革命によって誕生したソヴィエト政権の方針によって、崩壊への道を余儀なくされます。芸術家グループは分裂し、ある者は秘密警察によって拘束され、自殺を図り、国外に亡命していきました。

今回の展覧会は、モスクワ市近代美術館の所蔵品により、その「ロシア・アヴァンギャルド」に重要な位置を占めた画家たちの作品を紹介するという企画です。
「スプレマティズム(無対象絵画)」という斬新な様式を生みだすなど20世紀芸術の進展に多大な影響を与えたカジミール・マレーヴィッチ〔Kazimir Malevich,1878-1935〕や、「ロシア未来派の父」と呼ばれたダヴィード・プルリューク〔David Burliuk,1882-1967〕らの作品も興味深いですが、今回、もっとも注目を集めているのはおそらく「グルジアの国民画家」と評価の高いニコ・ピロスマニ〔Nico Pirosmani,1862-1918〕でしょう。

グルジアの地方の農家に生まれ、ほぼ独学で画家になったと言われる彼は、村の居酒屋の看板を描いては絵と引き換えにパンとワインをもらう生活を送る“伝説の放浪画家”でした。 1912年、ピロスマニの住む町に休暇で訪れたロシアの3人の前衛芸術家が彼の存在を「発見」し、翌年にモスクワで開かれた展覧会に多くの絵を出品したことで一躍注目を集めます。芸術を保守的で閉鎖的な表現から解き放とうとするロシア・アヴァンギャルドの運動は、ピロスマニに象徴されるプリミティヴな民衆絵画にも大きな関心を寄せていたのでした。
日本では、加藤登紀子がカヴァーして有名になったロシアの歌謡曲「百万本のバラ」で知られています。歌詞に登場する女優に恋した「貧しい絵描き」のモデルがピロスマニです。
今回、ピロスマニの作品は居酒屋の看板《宴にようこそ!》を含め10点が展示されています。これは、1986年に西武美術館で開催された「ピロスマニ展」以来とのことです。

貴重な機会をじっくりと堪能した後、昨夏の「丸木スマ展」でたいへんお世話になったM学芸員にご挨拶。M学芸員は埼玉近美のミュージアム・ショップも担当されているのですが、次年度からミュージアム・ショップに丸木スマグッズを置かせてもらえることになりそうです。現在制作中の新商品・クリアファイルをはじめ、一筆箋、絵葉書セットが候補にあがっています。
これまでは丸木美術館以外で丸木スマグッズを購入できる場所はなかったので、これは大きな収穫でした。

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午後には東京国立近代美術館で開催中の「高梨豊 光のフィールド・ノート」展をまわり、神保町の檜画廊へ。21日(土)まで開催されている毎年恒例の「丸木位里・丸木俊 二人展」を見て帰宅しました。
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2009/2/17

NHK[あの人からのメッセージ」放送のお知らせ  TV・ラジオ放送

NHK BS2にて2月25日(水)午後7時15分から35分間の番組で「あの人からのメッセージ 〜二つの水俣〜」と題して、丸木夫妻と記録映像作家の土本典昭さんが取り上げられます。
このところ、担当のIディレクターと連絡を取り、写真使用などの最終調整を行っています。
原爆とともに公害にも目を向け、共同制作《水俣の図》を描き上げた丸木夫妻と、「不知火海に生きる人々の人間としての尊厳の回復を見届ける」と43年間に計17本の水俣記録映画を撮り続けた土本さんの活動とメッセージを、多くの人に伝えるような番組になるとのこと。土本さんは丸木夫妻の記録映画『水俣の図・物語』も撮影されている方です。

どうぞご期待下さい。
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2009/2/13

1952年2月釧路原爆展  1950年代原爆の図展調査

昨日、北海道釧路市にお住まいのMさんから、1952年2月24日から3日間釧路市立労働会館にて開催された「原爆美術展」に関する新聞記事が届きました。
Mさんは釧路展を鑑賞した記憶があり、現在、その当時のことを記録に残すために京都の原爆展からはじまった全国巡回の全体像について調査中とのこと。数日前に丸木美術館に問い合わせのお電話を頂いたのです。
1951年暮れに北海道を巡回した原爆展については、昨年4月の日誌に報告しています。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/949.html
しかし、翌52年になっても原爆展が釧路で開催されていたことは、今回のMさんの証言で初めて知りました。
今回お送り頂いた新聞記事は2点。いずれも小さな記事ですが、貴重なものです。

ひとつは1952年2月20日付『北海道新聞』に掲載された「原爆絵画展」の記事。以下、全文書き写します。

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原爆美術展
日本平和推進国民会議釧路地区主催、釧路市、同国支庁、同教委釧路国事務局など後援、原爆美術展は二十四日から二十六日まで釧路市労働会館で開かれる。入場料四円九十九銭。
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もうひとつは1952年2月23日付『東北海道新聞』に掲載された広告。
こちらは原爆の図第5部《少年少女》の部分図版も掲載されています。

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原爆美術展

原爆出展
◎原爆の圖 三部
◎原子爐模型
◎ピカドン及デツサン
◎廣島に捧げるの圖
◎スチール
 原爆製造工程について
 原爆の建築物に与える影響
 原子力の平和的利用
 原爆の人体に与える影響
 原爆の植物に与える影響
 原爆の国際憲章について
 原爆に関する文芸作品
 札幌に原爆が落ちたら

會期 二月二四・二五・二六日
會場 釧路市立労働會館
入場料 四圓九十九銭
 主催 日本平和推進國民會議釧路地區
 後援 東北海道新聞社
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展示された「スチール」は、おそらく京都展で京都大学の学生が制作したものをもとに、北大の学生が札幌展の際に制作したものでしょう。
気になるのは、「原爆の圖 三部」の展示内容。通常、三部が展示される場合は、第1部《幽霊》、第2部《火》、第3部《水》のセットになるだろうと思われるのですが、新聞に掲載されているのは第5部の《少年少女》。いったい、どの作品が釧路で展示されたのか、そして本物か、あるいは複製だったかもよくわかりません。
Mさんの記憶では、丸木夫妻は来場せず、作品のみの展示だったとのことです。

1950年代前半には、こうした小規模の原爆展が、全国各地で無数に開催されていたようです。そして、そのほとんどは記録に残されていません。今回のように、展覧会を観たという人の記憶と、それを裏付ける地方紙の小さな記事のひとつひとつが、その存在の貴重な証になるのです。
さまざまな人によって支えられた《原爆の図》巡回展。こうした小さな発見の積み重ねから、その全体像が少しずつ見えてくるのも興味深いです。
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2009/2/12

NHK−FMラジオにて企画展紹介(予告)  TV・ラジオ放送

明日、2月13日(金)午前中11時15分頃から、NHK−FMラジオ(埼玉県内向け 周波数85.1:秩父は83.5)の番組「いきいき埼玉11時」の「カルチャーインフォメーション」に生出演し、現在開催中の企画展「大津定信展」を紹介いたします。
先日、NHKさいたま局のYアナウンサーと打ち合わせを行い、大津定信さんのプロフィールや作品紹介、展覧会の見どころなどを7分ほどの電話インタビューでお話しすることになりました。

すでにテレビ埼玉やNHK総合テレビのニュース番組などで紹介され、たいへん好評の大津定信展。あらためて、その被爆者の死を悼む作品と、この美術館の空間との相性の良さを実感しています。
ラジオは県内のみの放送ですが、お聞きになった方が美術館に足を運びたくなるように、丁寧にお話しさせて頂きます。
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2009/2/12

丸木夫妻関連の館外展情報  館外展・関連企画

日差しもようやく暖かくなり、都幾川を望む美術館の南斜面には白い梅の花も咲きはじめました。
1月から2月にかけて続けてテレビで紹介されたおかげか、冬期にもかかわらず丸木美術館の入館者数はなかなか好調。前半期の低迷を取り返すとまではいきませんが、やや持ち直していると言ってよいでしょう。
このところ、丸木夫妻関連の展覧会が各地で開催されています。
お近くの方はぜひ、この機会に足をお運び下さい。

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2月16日(月)から21日(土)までは神田・神保町の檜画廊で「丸木位里・丸木俊二人展」が開かれます。画廊主の檜さんは丸木夫妻とも縁が深く、毎年恒例の小品展です。
会期中無休、午前11時から午後6時30分まで(最終日は午後5時まで)。
お問い合わせは03-3291-9364 檜画廊まで。
檜画廊のHPも開設されました。
http://hinokigarou.jp/web/index.html

2月17日(火)から4月5日(日)までは広島県立美術館の常設展示室にて丸木位里の初期の代表作《らくだ》と《柳暗》が公開されます。
《らくだ》は、丸木位里が親友の靉光とともに上野公園にスケッチに通っていた頃の大作で、靉光の筆が入っていると言われています。
月曜日休館、午前9時から午後5時まで(土曜日は午後7時まで)開館。
お問い合わせは082-221-6246 広島県立美術館まで。

すでに1月14日(水)からはじまっていますが、3月2日(月)まで沖縄県宜野湾市の佐喜眞美術館にて「丸木位里水墨画展」が開かれています。
火曜日休館、午前9時30分から午後5時まで開館。
お問い合わせは098-893-5737 佐喜眞美術館まで。
http://sakima.art.museum/

こちらも2月3日(月)からはじまっていますが、川越市南台の「蕎麦食彩さいとう」で開催中の「丸木俊版画展」は2月28日(土)まで。
「セロ弾きのゴーシュ」などの小品版画を展示販売しているようです。
日曜・月曜定休、午前11時30分から午後3時まで開店。
お問い合わせは049-247-6061まで。西武新宿線南大塚駅から徒歩2分です。
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2009/2/10

人権タイムス「きのこ雲の下から」  掲載雑誌・新聞

昨日、江戸川区のGさんから『人権タイムス』No.260(2009年1月号)が届きました。
Gさんは丸木美術館の元理事で、現在は顧問を務めて下さっています。
『人権タイムス』には、「きのこ雲の下から〜被爆体験と江戸川の追悼碑」と題するGさんの文章が掲載されています。
Gさんは、17歳のときに広島の爆心地から1.8km離れた千田町で被曝されました。今回の文章には、その当時の体験と、東京江戸川区在住の被曝者の会「新江会」で区内の滝野公園に原爆犠牲者追悼碑を建立された経緯、その後の活動の広がりが詳細に報告されています。
滝野公園の原爆犠牲者追悼碑は、丸木夫妻が自然石に描いた「鳩と母子像」の図柄に、多くの参加者がノミを入れ、彩色して完成させたユニークなもの。1981年7月26日に除幕式が行われました。

掲載紙をお送り頂くにあたり、Gさんから「ぜひ一度、追悼碑もご覧になってくださいね」とお電話を頂きました。以前から見ておかなければと思いつつも、江戸川の追悼碑にはまだ一度も足を運んだことがなかったのです。
今年はぜひ、追悼碑を見に行かなければ、そして、Gさんからも丸木夫妻との活動の証言をお聞きしなければと、あらためて思いながら、文章を読ませて頂きました。

この『人権タイムス』は、図書室兼休憩室の小高文庫で一般の方も閲覧することができます。
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2009/2/9

K小学校総合学習  来客・取材

今日は休館日でしたが、地元のK小学校3年生が総合学習のために来館しました。
出張ワークショップなど、ここ数年連携を密にしているK小学校。3年生の「唐子じまん」は毎年恒例のテーマになっています。
あいにく寒い一日でしたが、子どもたちは元気いっぱいに館内を見学し、一所懸命自分たちで考えた質問をしてくれました。
「どうしてここに美術館ができたんですか?」
「この美術館を作ったのは誰ですか?」
「美術館にはどのくらい絵があるんですか?」
「働いている人は何人ですか?」
「一日にどのくらい人が来るんですか?」
美術館を見学した後は、川へ続く坂道を下りて遊んだり、みんなで写真を撮影したりしました。
「さようならー!」
元気に手を振って学校に帰って行く子どもたち。またみんなで遊びに来て下さいね。
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2009/2/6

ヨシダ・ヨシエ氏聞き取り調査  来客・取材

今日は美術批評家のヨシダ・ヨシエさんが来館され、流々庵にてヨシダさんと丸木夫妻との関わりについて聞き取り調査を行いました。
ヨシダさんは、以前、丸木美術館の企画として原爆の図を背負って全国を巡回した当時の話を講演して下さったことがあります。また、つい先日には朝日新聞T記者の取材で、生い立ちを含めた前半生について話される場に立ち会わせて頂きました。
今回伺ったのは、その続編、というか、原爆の図巡回以後のヨシダさんの歩みと丸木夫妻との関わりです。

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1950年代前半、原爆の図巡回展を終えたヨシダさんは、丸木夫妻のアトリエを離れて、吉祥寺にあった前進座の文芸演出部に入ります。そこで知り合ったある女優さんの自殺と、その後の劇団内での口論をきっかけに座を離れた彼は、新宿でパチンコ屋のサンドウィッチマンをしながら詩を書き、私家版の詩集を出版しました。クリスマスの夜、その詩集を抱えて新宿の居酒屋を歩き、檀一雄や草野心平に「君の詩は良い詩だ」と声をかけられたとか。
やがて美術編集者の太田三吉に「批評を書け」と勧められて美術批評の道に足を踏み入れたヨシダさんは、靉光の戦病死の事実を確認するため徹底した追跡調査を行い、「靉光といえばヨシダ・ヨシエ」と名が広まったとのこと。
「美術評論をする人は数多くいるけれども、筆一本で生きてきたのは私しかいない」という自負を語るヨシダさん。筆一本で、常に現場を歩きながら生きてきた彼を“最後の無頼派”と呼ぶ人もいるそうです。「それができたのは人の出会いに恵まれたから。特に美術出版社には本当に食べさせてもらった」と振り返るヨシダさんの話はとても波乱万丈で、そのまま戦後美術史になるような興味深いものでした。
丸木位里さんが亡くなる1995年に池田20世紀美術館で「丸木位里・丸木俊の世界」展を開催できたことが「若い頃にいろいろ世話になったことへの、せめてもの恩返しだった」とヨシダさんは語ります。「だって、位里さんは亡くなる最後までこの展覧会のカタログをめくっていたんだから」という言葉からは、ヨシダさんが丸木夫妻を本当にかけがえのない存在だと思っていることが感じられました。

このインタビューのために、さる方からお譲り頂いた、ヨシダさんが初めて原爆の図についての評論を書いたガリ版刷りの『原爆の図について』(1953年3月14日発行、鹿児島民主々義科学者協会物理部会)のコピーと、その文章の一部が転載された『人民文学』1953年8月号をお見せしたところ、ヨシダさんは「よくこの本を見つけてきたね!」とたいそう驚かれました。
ご本人は「文章が拙くて気にいらないので、この前出した『全仕事』にも収録しなかったんだ」とおっしゃっていますが、原爆の図巡回展をしていた当時、24歳のヨシダさんがどのように作品や原爆そのものを受け止めていたのかが生々しく伝わってくる貴重な文章だと思います。

このような、丸木夫妻や《原爆の図》周辺に生きた人びとの証言も、これから少しずつ集めていきたいと思っています。
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2009/2/5

ちひろ美術館から作品返却  来客・取材

今日は、ちひろ美術館・東京から、「ちひろと水墨」展に出品されていた丸木位里水墨画やいわさきちひろがモデルになった裸体デッサンが返却されました。
若き日のちひろの絵画に影響を与えた丸木夫妻の作品。今回の展覧会は、その技法に視点を当てながら、位里の代表作《臥牛》などを紹介する好企画でした。
これからも、ちひろ美術館とは交流を続けていきたいと思っています。

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午後にはそのまま収蔵庫で原爆の図デッサンの整理作業と写真撮影を行いました。
古くなって傷の目立つ額を新しい額に取り換え、作品箱と布袋を新調する作業を、今週末に近くの額屋さんに依頼する予定になっています。
同時に、この機会に丸木夫妻の原爆の図デッサンを見直して、正確なデータを作成することにしました。原爆の図制作のために人物を基礎から描きなおしたという位里のデッサンは味わい深く、もともと人物描写に定評のある俊のデッサンは冴えわたり円熟味を感じさせます。なかなかじっくりと見せる機会の少ない二人のデッサンですが、原爆の図の礎となったこれらの作品は、資料としてもたいへん興味深いものだと思います。

   *   *   *

明治学院大学の学生のゼミグループが来館し、館内の説明を行いました。
見学のあとは小高文庫で30分ほど時間をとり、戦争を語り継ぐ方法としての絵画の可能性や、世界から見た丸木美術館の役割など、さまざまなテーマで質疑応答を行いました。
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2009/2/4

読売新聞「この街に生きる」取材  来客・取材

今日は読売新聞川越支局の記者が来館し、古くから丸木美術館を支えて下さっている地元の方々を取材して下さいました。

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地方版の「この街に生きる」という連載企画の舞台に東松山市がとりあげられ、そのうちの1回に丸木美術館が紹介されることになったのです。
集まって下さったのは、長年丸木夫妻の身のまわりの世話を続けた近所のE野さん、東松山市の教育長として水上勉氏と丸木美術館を結びつけたT口さん、美術館の建設に携わった建設会社のM田さん、事務局として美術館に関わり続けたS木(E子)さん、現在も毎月ワークショップをして下さるM年山さん、俊さんの姪のH子さんです。
それぞれのスタンスで丸木美術館に関わり続けた皆さんの話はとても興味深いものでした。
あらためて、丸木夫妻の求心力を感じたと同時に、この場が人びとの集い出会う場として40年にわたり多くの人を引きつけてきたことを考えさせられました。
掲載日は未定ですが、2月から3月のあいだになりそうです。

   *   *   *

また、この日はNHKさいたま局が大津定信展を取材に来館して下さいました。
こちらは明日正午からのNHK総合テレビのニュース(関東甲信越地域)で紹介される予定です。
今日は大津さんの地元、名古屋でも中日新聞が展覧会を大きく掲載して下さったとのこと。
このところマスメディアへの露出が続いているせいか、1月の月間来館者数は最近5年間でもっとも多い数字を記録しています。
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